「────ッッ!!」
目を覚ましたステラは勢いよく起き上がった。それはひとえに意識を失ってもなお、闘志を燃やし続けた証だろう。
しかし視界に入ってきたのはすり鉢状の観客席でも、対戦相手だった少女の姿でもない。真っ白な天井に簡素な、けれど清潔に整えられたベッドと……パイプ椅子に座った恋人にして好敵手──黒鉄一輝の姿。
「良かった。ステラ、身体に違和感はないかい?」
「ちょっと気怠いけど……大丈夫。ここは?」
「医務室だよ。あの後、すぐに運び込まれたんだ」
言われて見てみれば自分が今着ているのは制服ではなく、薄い水色の病衣である。全身に負った傷を焼いて出血を止めていたから、包帯のひとつでも巻かれているかと思ったが……IPS再生槽に入れられたからか、傷跡ひとつ見当たらない。
けれど頭が鈍く痛んでいる。思わず頭を抑えた。
そこで思い出す。
自分と栞の《
「そっか……アタシ、敗けたんだ」
噛み締めるように呟かれたその言葉に、一輝は何も返さない。何も返すことができなかった。その態度が、何よりも雄弁に自分が敗けてしまったことを語っていた。
「そうだ、シズクは?」
「……敗けたよ。今はアリスがついている筈だ」
「そっか……」
自分と同時刻に行われた、もう一人の最強との戦い。
試合の間はずっと自分の事を考えてばかりだったが、終わればそちらに意識が向いた。
そうか……彼女も敗けてしまったか……。
「──途中で百鬼くんに会ったときに教えて貰った。お前の妹は最後まで俺に勝つために全力を尽くしてきたって。敗けてもなお、彼の足首を掴んでいたそうだ。……目が覚めたら『見事だった』と伝えろ、とも言われたな」
「……アイツらしいわね」
どこまでも勝ちに貪欲で、自分の愛する兄に並び立とうと必死に努力する姿。たとえ及ばなかったとしても、それでも足掻き続ける彼女の姿が目に浮かぶようだ。
「ねぇ、イッキ……アタシの話、聞いてくれる?」
「……うん」
ふぅ、と大きく息を吐いた。少しでも落ち着いて話せるように。胸に手を置いて、鼓動を確かめる。それは内に秘めた激情が暴れまわるように激しくなっていた。
そんな時だ。優しく、背後に手を回される。何をされたのか一瞬わからなかったが……抱き締められているのだと、すぐに気づいた。
「イッキ……?」
「……僕は今のステラになんて言ったら良いのかわからない。だからせめて何かしようと思って……駄目だった?」
「ううん……ありがと……」
自分のそれとは違う、男性らしいがっしりとした身体。それに包まれていると、暴れていた鼓動が落ち着いたものになっていく気がした。
滔々と言葉が溢れ出る。
「──完敗だった」
「…………」
「アタシはアイツの掌の上で踊らされていた。追い詰めたってアタシが思ったのも、全部シオリが演技してただけだった。……アイツは全然本気で戦ってなかった……!」
今になれば、栞があの試合の中で何を考えていたのかわかる。
彼女が考えていたのはどうやってステラに勝利するかではなく、どれほど手の内を曝さずにステラに勝利するかであったと。
そして栞が本気でステラに勝とうとしていたら──最初からステラの《炎》を《複写》していたら、自分は一分として立っていられなかっただろう。
無論、それはただの推測でしかない。栞は最初、《眠り》で戦ってきたのだから。仮定の話など無意味だとわかっている、
しかしその時でさえステラは一方的に攻撃され続けてきた(ステラが攻勢に出た場面もあったが、それは全て栞がそうなるように仕向けたものだろう)。
それほどまでの実力の差が彼女と自分の間にはあったのだ。
「最後の《天壌焼き焦がす竜王の焔》もそう。アイツは渾身だって言ってたけど……あれも嘘よ。そう言えばアタシが全力で技を振るってくるって確信してたから、そう言っただけ。……アイツには余裕だった。余裕で、アタシの全力を軽く受けきった!」
だから《天壌焼き焦がす竜王の焔》が相殺された後もすぐに動いて、自分の脳天に刃を突き立てられたのだ。
あの光の剣で仕留めきれれば重畳、仕留めきれなければ別の手段で倒せば良いとでも考えていたのか……いや、彼女の事だ。あの一撃さえも、後の攻撃を確実に通すための布石だったのかもしれない。
……いや、それだけであればここまで怒りは湧いてこなかった。ステラにとって許せないこと、それは──
「最後アイツは
幻想形態。肉体的ダメージを負わせず、体力を削ぎ落とす事を目的とする、霊装の展開方法のひとつだ。
その意図は──『お前なんてこの程度で充分だろう?』という侮蔑。
……実際には『IPS再生槽を用いても治癒できるかわからない傷を負わせるわけにはいかなかった』という、良識ある人間ならば取って然るべき行動なのだが。
というよりも確実に勝利するためにと首を飛ばしたり、身体を一刀両断している紫苑の方が人としては異常である。
けれどその良識ある行動が、ステラは自身を侮辱したと感じた。仮に紫苑も同じ事をやられれば侮るな、と激昂したことだろう。
だが、それも当然なのだ。
彼らは戦士であり、栞は戦士ではないのだから。
そもそもの価値観が根本的に異なる。
故に栞からすれば当たり前の行動が、彼女にとっては当たり前ではなくなってしまうのだ。
そして何よりも──、
「ごめん……イッキ……! アタシ、約束守れなかった……!」
譲れなかった想いがあった。叶えたい夢があった。
それは少女にとって一番大切な約束。自分が憧れ、愛する男との再戦の誓い。
彼女が自分との戦いに対して本気で挑んでこなかったよりも。自分を掌の上で転がし、なおかつ決して壊さないようにと丁重に扱われ、敗北を喫した事よりも。
それがただ、悔しくて。申し訳なくて。
──このまま選抜戦が進めば、七星剣舞祭の選手は、選抜戦内で無敗を守った選手になるだろう。
それは選抜戦を戦う者達の共通認識だった。
だから自分は絶対に勝たなければならなかったのに。一度負ければ、その全てが自分の掌から溢れ落ちてしまうと理解していたのに。
……自分は、取りこぼしてしまった。
一度堰が破れてしまえば、もう止められない。
彼女に良いようにやられてしまった非力さが、ただただ憎い。自分のこれまでの研鑽に対する後悔が胸を苛む。
言葉にできない悔しさが、申し訳なさが、嗚咽となって溢れ出た。一輝の顔に顔を埋め、しがみつく。
──本当はこんな姿自分にだって見せたくはないのだろう、と一輝は思う。彼女は《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオンという理想で在り続けようとしているから。
それでも彼女が弱いところを見せられる相手なんて、恋人である自分を置いて他ならないと一輝はわかっているからこそ。
胸に爪が立てられ、食い込むほどの力であったが彼は抱擁を緩めなかった。
夜も更け、太陽の代わりに月が道を照らす頃。
一時の休息と、コンビニへ買い物に出かけた栞の生徒手帳が震えた。誰だろうか、と鞄から取り出して見てみれば、ここ数日はろくに話せていない彼女のルームメイトからだった。
「もしもし、西園寺ですけど」
『俺だ。……今、良かったか? 都合が悪いならかけ直すが』
「大丈夫ですよ。一息いれようと思ってたので、丁度良かったです。どうかしましたか?」
ルームメイト──紫苑から自分に連絡が来るなど珍しい事があったものだと、用件を聞くと新宮寺からの頼み事だった。
毎年、破軍学園が合宿に使用している海水浴場に怪物が出現しているという噂が流れている。現状、被害などは報告されていないが、懸念事項は残したくないため生徒会に調査を依頼したものの、海の中まで調査するとなると些か人手が足りない。
なので戦力面及び索敵の人手として、自分と紫苑の力を貸してくれないか、との事だった。
『俺としては理事長に無理な編入を受け入れて貰った恩義もあるから、協力したいとは言ったが……お前はこのところ忙しいだろう? だからお前に関しては返事を保留にしてある。勿論、忙しかったら断ってもらって良い。恩義がある云々は俺の都合でしかないからな』
「なるほど……」
想像してみる。
海水浴場と言っていたから、自分も紫苑も水着だろう。
常に二人きりというわけには無論いかないだろうが、自分が早々に怪物を見つけ出すなりしてさっさと仕事を終わらせれば、時間を捻出できる。
紫苑と海辺でふたりきり……なら一緒に遊べたりもするのだろうか。紫苑は負けず嫌いな性格だし、勝ち負けがつくゲームでもすれば意外と乗り気になってくれるかも……。
問題は彼の本気に自分がついていけるかだが、まぁそれはともかくとして。
(──良いですね)
新宮寺にとって予想外な事があったとするならば、西京が言っていたラブロマンスに対して、その栞が意外と乗り気であったという事だろう。
紫苑と知り合って早二ヶ月。西園寺栞は自分が紫苑に抱いている気持ちを自覚していた。そして著しくアホになっていた。
恋は人を馬鹿にすることはあっても、賢くすることはないのだという言葉に今でなら栞は共感できる。
「確か次週の末でしたか?」
『あぁ。ただ色々準備があるから、今週の金曜までに返答をくれるとありがたい、だそうだ』
「となると猶予は今日含め三日……」
現在、栞が抱えている問題を脳内で列挙し、それらの解決をシミュレート。自分が最善の動きで、それも全力で動いた場合かかる時間は……、
「なんとか間に合いそう……ですかね?」
『……大丈夫なのか? 都合が悪かったら別に断っても……』
「いえ、間に合わせます」
確固たる決意で紫苑に答える。
解決すべき問題は山積みだ。
そもそも現在、栞が抱えている問題は極めて大きいもの。解決に取りかかって既に五日が経過しており、栞としては解決できるのは次週末ほどだろうと考えていた。
このまま行くと間に合わない。
自分達の準備も整え、尚且つ思わぬアクシデントが発生したときに備えて、数日は問題の対処に回すための予備日が欲しい。生徒会から引き受けた仕事中に連絡が来ないようにするためには、その条件は必須である。
改めて考えてみて、無謀だと思う。
……だがそんな事知ったことではない。
紫苑と海。バーベキューに花火にエトセトラ……。
これまで青春とは無縁な生活を送ってきた栞であっても、そういった事に憧れはある。それも好きな男と一緒にそういったことができるのであれば尚更だ。
そんな楽しい時を過ごせるのならば、多少の無茶は承知の上。
解決できるか、できないかではない。
「すみません、紫苑さん。学園の方には三日ほどお休みするという連絡を入れておいて貰えますか? ──本気で終わらせますから」
『わ、わかった……確かに伝える。後──』
「……? どうしましたか?」
用件はこれで終わりだろう、と判断し、電話を切ろうとしたとき紫苑が続ける。なんだろうか、と続きを待っていると。
『ヴァーミリオンに勝ったって聞いた。……おめでとう、で良いのか?』
「……ありがとうございます。紫苑さんも珠雫さんに勝ったって聞きました。お互い、このまま勝ち続けましょうね」
『あぁ。……悪い引き留めて。それだけだ』
「いえ、嬉しかったです。それじゃあ改めて……おやすみなさい、紫苑さん」
言い、電話を切る。
時間にしてはごく短い時間、コンビニから現在泊まっている宿泊施設に帰るまで話せただけ。
それでも栞の心は天にも昇らんとしていた。栞を少しでも知っている人間がこの場にいたら『誰だお前?』と言っていたに違いない。それほどまでに彼女は浮かれていた。
普段は冷静な栞が、自然と笑みを溢し、鼻唄まで歌うほどなのだから。
「さっさと終わらせて、紫苑さんと海……」
少女の顔が微かに緩む。
非常に多才で、優秀で、数時間前には《紅蓮の皇女》をいとも容易く打ち砕き、彼女の夢を閉ざした少女は。
今はただの恋する乙女でしかなかった。
──なおこの数分後に、同じ施設内にいた知り合いに「ご機嫌ですけど、何かあったんですか?」と問われ、自分の有頂天具合を猛省するのはまた別の話である。