「随分と遅かったな」
「乙女には色々と準備があるんですよ。日焼け止め対策とかまぁ色々。……まぁ約一名ほど全く気にしてない方もいますけど」
そう言い、栞は兎丸に視線を向ける。ついでにステラに視線が向かい、そして紫苑へと向かう。
──言わずもがなだろうが、ここにいる女性陣は全員容姿が極めて良い。スタイル云々は……まぁ、それぞれの好みもあるだろうし、言わないとしてそれでも魅力的である事には変わらない。
中でも暴力的なスタイルをしているのが、後ろからやって来たステラ・ヴァーミリオンである。彼女の身体つきは男性の理想を詰めたものと言って良いだろう。
やはり国民性の違いだろうか。彼女の選んだ水着は露出度の極めて多い紐ビキニ。布面積が少ないせいか、それとも彼女の圧倒的物量を誇る胸部装甲のせいか、それは歩く度にたゆんたゆんと揺れている。
彼女は歩く度に男性の視線を釘付けにし、それは彼女や家庭を持っている男性すら関係ない。恋人達にひっぱたかれるまで、彼らの視線を縛り付けた彼女の肢体は、ただそこに在るだけで人を魅了する至高の美である。
あらゆる視線を纏いながら、砂浜という水着姿の戦場に魔性がエントリーした。
「「おぉ……」」
その姿にステラの水着姿を初めて見る泡沫は勿論、一度綾瀬との鍛練で以前に同じ姿を見たはずの一輝も息を飲む。
真夏の海が放つ魔力が、さらに彼女を美しく見せていた。
同姓の栞ですら彼女の水着姿は非常に魅力的に映るのだ。それに紫苑だって、そういう事に疎いとは言え一人の男性だ。彼女に視線を引き付けられるのは仕方ない──そう思いながら、視線をやったのだが……その視線はずっと栞に向けられたままだった。
「……? あ、火起こすの下手だったか? 悪い、これでも本とお前から教えてもらった事を参考に、それなりに頑張ったつもりだったんだが」
「い、いえ。とても上手だと思いますよ。初めてだとは思えないくらい」
首を傾げられ、言われるのは的外れな事。
本当に本に書いてあることをそのまま真似たのだろうという、素晴らしい手並みである。
いや、そうではない。
「他の方の水着姿を見て、どう思われました?」
「……? 『水着だ』?」
「……それだけですか?」
「それ以外にどんな感想持てば良いんだよ……?」
さっぱりわからん、と言う紫苑に外野(主に女性陣)が集まる。ついでに言うと泡沫はお尻ペンペンの刑から解放され、女性陣の会話に混ざった。
「あれ本気で言ってるんですか? あそこまで興味持たれないといっそ清々しいくらいなんですけど」
「アタシも本当に見向きもされないとは思わなかったわ……なんか屈辱的……」
「百鬼くんもしかして枯れてるんじゃないの?」
「うたくん今日お肉抜きにしましょうか」
「なんで!?」
「というか栞ちゃんは脱がないの? 私達全員脱いでるけど」
上から淡い水色のワンピースタイプの水着を纏った珠雫、ステラ、最低な事を言った泡沫に、それを戒めるように言ったのはタンキニタイプの水着を着た刀華。そして『自分達も水着見せてるんだから、お前もさっさと脱げ』と言ったのは競泳水着を着た兎丸である。
「やっぱり脱がないと駄目ですよね?」
「遅いか早いかの違いでしょ。それにステラちゃんと海に来てる時点で、見比べられるのは覚悟の上よ、皆」
「まぁそれは確かに……」
加えて栞は珠雫の《水》を模倣し、海中の調査を行うことが事前の話し合いで決定されている以上いつか脱がなければならないのは事実。
それなら早々に脱いだ方がメンタル的に楽かもしれない。そう思い、ラッシュパーカーのファスナーを下ろす。
──紫苑は自分が先程言った、『水着なんて水着だ、以外の感想なんてどう持てば良いんだ』という言葉が綺麗に吹き飛ばされた。
最初に『綺麗だ』と思った。
栞が選んだ水着は黒のモノキニ。露出度などはステラのそれとは比べるまでもなく少ないが──シースルー部分が極めて多いデザインだった。
なので実際に肌が見える面積は、一般的なビキニとそう変わらないほどだろう。ステラほどでないにしろ豊満な胸が作った谷間も、日頃の努力の賜物だろう引き締まった腹部もシースルー部分に覆われている。露出度は前述したようにステラのそれとは大差があるのだが、布に覆われているのに透けているというその事実が官能を匂わせる。
そして彼女の上半身が粗方黒に覆われているからこそ、目映い肌色の脚が引き立てられ、すらっと伸びた脚は健康美と呼ぶに相応しい。
「えぇっと……どうでしょうか……?」
「あぁ……えっとだな……」
「……なんつーかエロ──へぶらっ!」
下衆な感想を口走った泡沫は、見えない何かに額をぶっ叩かれたように仰け反る。自分達は何もしていないのに何故、と女性陣が仰け反った方向とは真逆──即ち紫苑達がいる方向に向ければ、紫苑がデコピンのように泡沫に人差し指を向けていた。
《鳳穿花》の理合いを用いた飛ぶ刺突ならぬ、飛ぶデコピン。それを放ち彼を黙らせたのだ。たかがデコピンと言えど、紫苑の膂力でそれが放たれれば威力は言わずもがなである。
「俺は洒落たことは言えないが……似合ってる。綺麗だし、良いんじゃないか……?」
「あ、ありがとう、ございます……」
赤面し、はにかむ栞。そんな彼女に視線を向けても良いものか悩み、視線を宙に彷徨わせる紫苑。
そんなふたりの周りだけ、夏の喧騒から切り離されたようで──、
「あ、イッキもこっち来たんだ。作業終わったの?」
「まぁ、大体は。……一番の理由はあのふたりの周りで空気になってるのに耐えきれなかっただけなんだけど」
「まぁ気持ちはわかるわ。……あのふたりの周り、なんか全体的に甘い匂いがしてそうというか、ラブコメっぽい空気がしてるというか……」
「ステラさんの水着に何の反応も示さなかったのも納得ですね」
「……食後にコーヒーでも飲みたい気分ですね。ブラックで」
珠雫の言葉に紫苑と栞以外の全員が頷いた。
「紫苑さん、お肉どうですか?」
「あぁ、悪いな。それにお前焼いてばっかだろ、代わろうか?」
「焼きながら少しずつ食べてるので大丈夫ですよ。お気遣いありがとうございます」
そうか、と紫苑はタレの付いた肉を頬張り、海の方へと視線をやった。その先には先に描写したように、家族連れやカップル、友人達と来たのだろう者達がやいのやいのと騒ぎながら遊んでいる。この光景は、紫苑からしてみれば意外であった。
「怪物騒ぎなんて噂が立っているにしては人が多いんだな」
「話題性の問題であろう」
それに答えたのは管理人から話を聞いて戻ってきた、砕城雷である。彼はそのガタイの良さに似合わず、焼いた椎茸を頬張りながら続けた。
「これが鮫が出ただの、クラゲが大量発生しただのであれば海水浴場を閉鎖することも出来たのだがな。『怪物がいるらしい』という荒唐無稽な、しかもその怪物による被害者もいないとあれば閉鎖する理由にはなり得ん。それに古来よりこういう噂は人を惹き付けるものだ」
「……よくわからん」
「某もあまり理解はできんがな。それでもそういう人々はいるものよ。それにしてもそなた、小柄な割にはかなり食えるのだな」
「まぁな」
紫苑は見た目と異なり、かなりの大食漢である。
それは彼の鍛練と《努力》の異能によって彼の筋肉が常人の数倍の強さにまで発達したことが理由である。それほどのパワーマシンを満足に動かすには、それなりの食事量が必要なのだ。
言っている間にも、彼は持っていたイカ焼きを綺麗に平らげていた。
「西園寺と会長、そして一輝が買ってきた材料の量を見たときには、買いすぎなのではないかと思ったが……なるほど、確かにこのレベルの大飯食らいが二人もいれば納得だ」
彼が視線をステラにやれば、ステラが五本の金串に刺さった肉や野菜を一気に食べていたところだった。
「……のろのろしていると某達の分まで食われかねんな」
「そうですね。……砕城さんもその身体だと結構食べなきゃいけないでしょう? これ如何ですか? 良い感じに焼けてますよ」
「かたじけない」
栞から差し出された香ばしい肉と野菜の刺さった串を受け取り、口に運ぶ砕城。
その時、「あの……」と控えめに彼らに声がかけられる。
「珠雫さん、どうされました? あ、何か食べますか? それならもうしばらく待って欲しいですけど」
「いえ、それは結構です。満腹ですから。その……百鬼さんと話したくて」
「俺とか?」
紫苑と珠雫の接点などあまりないし、仲が良いか否かで語れるほど会話をした覚えもない。あるとすれば先日の選抜戦の事だろうが……わざわざ掘り返したりするものだろうか?
「構いませんか?」
「あぁ。……場所変えるか?」
「お願いします」
「わかった。じゃあ行ってくる」
「はい。いってらっしゃいませ」
栞に見送られ、二人は喧騒から離れた砂浜に座り込む。漣の音だけが彼らの間に流れていた。
「……西園寺さんと仲良いんですね」
「あぁ。食いながらで良いか? 冷める」
「構いません」
「はぐっ……ごくっ……で、話したいのはそんな事か?」
「いえ……」
なんと話し始めれば良いものか。深く息を吸う。海特有の磯臭さに負けないくらいの肉の香気が、彼女の鼻腔を通り抜けていった。
紫苑は話しあぐねている珠雫を急かすような真似はせず、ひたすらに肉を食らっている。そんな彼の空気を読まない行動が、むしろ珠雫にはありがたかった。
「──先日の選抜戦、完敗でした」
「あぁ」
「私の魔法を悉く受けきられた。私の全部を込めた《
「はぐっ……それを答えて、俺に何かメリットがあるのか?」
「うっ……」
何もない。
彼からしてみれば、今自分がした質問に答えることはただ自らの手の内を曝すだけの愚行。そして自分にそれを上回るだけの利を差し出すことは極めて難しい。
やはり忘れてくれ、と言って引き下がろうとした時だ。はぁ、と隣で大きく溜め息を吐かれる。
「そんな顔するんじゃねぇよ。俺が虐めてるみたいだろうが」
「す、すみません……」
「……一個貸しだぞ」
そう言い、紫苑は《究極生存本能》のからくりを話す。
悪意の有無、天災や兵器による攻撃など『自分に害のあるもの』すべてを感知する絶対的な嗅覚。
珠雫の水面下で仕掛けていた攻撃も。そして最後の背後からの攻撃が水分身によるものであり、本命は彼が背後を向いたあとに自分が切りかかることであると見抜いたのも、すべてこの特性による物であると、包み隠さず。
「な、なんですかそのインチキ……」
「こういう勘を生まれながらに持ってるやつもいるんだぞ。そっちの方がインチキだろうが」
後天的に努力して身に付けた俺の方が遥かにマシだろう、と語る紫苑にどっちも大して変わらないんですよ、と珠雫は突っ込む。異能ありきとはいえ、努力してそんな超直感を身に付けられる紫苑も大概である。
「……良かったんですか? 話してしまって」
「お前が話してくれって言ったんだろ」
「それはそうですけど……」
「はぁ……それにお前、俺が嘘を吐いてる可能性もあるだろ」
「……それは確かに」
紫苑は騙し討ちのような真似はしないだろう──そう決めてかかったからこそ、決定的な一撃を受けてしまったのでぐうの音もでない。『貸しだぞ』とは言ったが、彼が本当の事を話している保証はどこにもないのだから。
それに紫苑としては、自分が話したことが嘘かもしれないと疑わせた時点で目的は達成しているのだ。
「ちゃんと学んでるみたいだな」
「授業料が非常に高かったですから。何か学んで持って帰らないと」
「それでいい。人生は負けて、学んで、成長して、また負けての繰り返しだからな。……少なくとも俺にとってはそうだった」
彼は平らげた皿を砂浜に起き、空を見上げた。自然と珠雫も目線が空に向かう。思い返しているのは……彼らが今まで味わった敗北の記憶。
「努力しろよ、黒鉄。何度も負けて、何度も学んで、何度も研鑽して、そうやって高く高く積み重ねろ。そうしたら……そのうち自分の手を届かせたいところに届くだろうよ」
「……アドバイスですか?」
「あぁ。十一年間ずっと敗けを積み重ねてきた、敗者の先輩からのな。負けた数の多さなら誰にも負ける気がしない」
「それで勝っても嬉しくないですよ」
苦笑する。
黒星の数で勝るなど、それはもう敗北と同じだろう。
「……話せてすっきりしました。ありがとうございます、百鬼さん。私も負け犬らしく、必死に足掻こうと思います。そして──次に戦うときは、鬼の首を獲れるようにしますね」
「そう簡単にくれてやるつもりはねぇよ」
立ち上がる。
午後から本格的に調査開始だ。
色々抱え込んでいた物が落ちた今なら、もう少し昼食も食べられるような気がした。
静謐な海の中を掻き分けるようにして、紫苑は泳ぐ。
一寸先も見えないような闇ではあるが、紫苑には関係ない。己の鍛練によって、鍛え上げられた肉体操作。それによって普段は味覚や嗅覚に割いているエネルギー、その全てを視覚に回す事で人間の限界を遥かに越えた目で海底や海中を見据える。
もはや夜目が利く、などというレベルではなく僅かな岩の起伏すらも彼の目は捉えていた。
──言わずもがなであろうが、《水》の能力を持つ珠雫と、その能力を《複写》した栞と比べ、残る紫苑とステラの索敵能力は彼女達のそれに遠く及ばない。
それでも二人が海中調査に抜擢されたのは、残るメンバーと比較して飛び抜けた肺活量を有していたことと……聞き込み調査が難航してしまうからというのが理由として挙げられる。
紫苑は全身に刻まれた傷跡のせいで威圧、悪い場合は嫌悪感を与えてしまうため、そしてステラは対極的に男性に頻繁に絡まれる。そんな状態では円滑な聞き込みなど出来たものではない。
なので紫苑とステラは魔力での索敵では得ることの出来ないだろう視覚的情報の収集に尽力しているわけである。
しかし……、
(──何も見つからない)
怪物騒ぎなんて噂され、遠方……どこかのテレビ局まで調査に来ている状態だというのに痕跡のひとつも見当たらない。見当たるのは海中を呑気に泳ぐ魚の群れのようなもの。
紫苑は海に対する知識など欠片としてないが、野生動物たる彼らが怪物などという存在に微塵も警戒していないことはわかる。
「ぷはっ……」
海中で十分ほど動きまわり、限界を向かえた紫苑は海面に顔を出す。静寂に包まれていた海中とは対極的な、音や陽光、潮風が奏でる騒がしいセッションが紫苑を出迎える。
紫苑は荒々しく呼吸し、酸素を身体中に行き渡らせながら今まで見てきたものを思い返し、それらしい痕跡があったか思い返すが──成果は何もない。ここまで来ると、怪物騒ぎなんてデマだったのではないかとすら思える。
調査を開始してもう二時間近くが経過している。今頃、陸組の方ではSNS上での調査や聞き込みなども一段落付いた頃だろう。一旦、情報共有のために戻っても良いかもしれない。
『──紫苑さん、そちらの方はどうですか?』
突如として紫苑の脳内に声が届いた。自分の事を『紫苑さん』と呼ぶ者は一人しかいないため、声の主はすぐに誰かわかった。
西園寺栞である。
「こっちは空振りだ。そっちはどうだ?」
言って、紫苑は疑問を抱く。
彼女が能力を使ってこちらにメッセージを届けてきていることはわかるのだが、自分はそんな真似は全くと言って出来ない。
だが、それは即座に彼女から返事が返ってきたことが答えになった。
『こちらもあまり芳しくはありません。珠雫さんと協力して、索敵範囲を広げてはいますが……もっと外洋の方に向かってみようと思います。流石にそこまで行くとステラさんと紫苑さんは来れないでしょうし……一旦戻って報告という形にしてもらっていいですか?』
「あぁわか──っ!」
何の前触れもなく、紫苑の本能が自身の死を嗅ぎ取った。それに彼は即座に行動を起こそうとする。しかし陸上であればともかく、海という人類にとってアウェーな場所では対応が間に合わない。
「がぼっ……!」
彼は為す術もなく海中に引きずり込まれる。
──そして彼が見たのは蛇のような怪物。
しかし、その蛇は彼の知識にはなかった。当然だ、その蛇は身体が岩などで作られた化け物だったのだから。
それを見、彼はこの怪物騒ぎの下手人の正体を看破する。
(──鋼線使いか!)
鋼線使い。
その名の通り、糸のような霊装を用いる伐刀者の総称だ。そして彼らのような手合いの大半は、紫苑に岩で出来た大蛇をけしかけるように無機物を糸で操り、人形を作って戦闘を行うのが鉄則。
そして──このような手合いと紫苑の相性はお世辞にも良いとは言えない。
(《八重椿》)
紫苑は自分の足に噛みつき、深海まで引きずり込もうとする蛇の頭を顕現させた日本刀を叩き付ける。
使用した技は《八重椿》
《瀧華一刀流繚乱勢法》が誇る絶技のひとつであるそれは、端的に説明すれば重なる斬撃である。
振るった斬撃の数そのものを増やし、重ねることによって威力を数十倍にまで高めるそれを、彼は峰を使うことで重なる斬撃を重なる打撃へと変化。
釘を打ち付けるように重なる打撃が岩の身体に叩き込まれ、形が保てなくなる。
が──岩の破片が磁力で引かれ合うように集まり、紫苑を海中に引きずり込んだ蛇が再構築された。
やはりこうなるか、と紫苑は歯噛みする。
紫苑と鋼線使いの相性が悪い理由──それは攻撃が通用しないというシンプルなものだ。霊装である糸を切ったところで然したる痛手にはならず再び人形を操られ、人形を粉微塵になるまで斬ろうと思ってもそれを行うには場所が悪すぎる。
おまけに──紫苑が感知できる限りでも、岩の怪物は十数匹はいる。そんな相手にまともに戦っていれば敗北は必至。されど海中では逃げ切ることも叶わない。
だが──それは紫苑が一人であればの話だ。
紫苑を取り囲む岩人形、その周囲に奇妙な渦が発生した。それはミキサーのように岩人形を瞬時に粉へと変える。数瞬遅れ、残像を捉えることしか叶わないほどの速度で迫る黒い影が紫苑を抱き抱え、海面へと浮上する。
「ぷはぁっ!」
「はぁっ……! 悪い西園寺、助かった」
その影の正体は栞である。
彼女は会話中に紫苑の言葉が急に途絶え、その刹那、怪物調査に来たメンバー以外の魔力反応を感知。
それが出現したタイミングから、自分達に敵対する者による攻撃であると判断し、珠雫に自分の身体を守ることを最優先にするように厳命してから、数キロ先にいる紫苑を救出に向かったのだ。
彼女は紫苑の言葉に「間に合って良かったです!」と返し、
「ステラさんの方にも襲撃が行っているので、彼女を救出してから陸に向かいます。紫苑さん、少し失礼しますね」
そう言い、彼女は紫苑の顔に淡い青色の魔力を纏わせる。
「これがあれば水中でも問題なく呼吸が行える筈です。それじゃ急ぎます、しっかり捕まっていてください──!」
返事の代わりに紫苑は抱きつくように腕を回した。それを確認すると、栞は《水》の能力を使い、人類の限界を容易く超えた速度で海中を泳ぐ。
亜音速に迫ろうかという速度で泳ぐ栞は、すぐさまステラの元にたどり着いた。そして彼女を襲っていた岩人形の全てを容易く蹴散らすとステラを回収。加えて事前に空気を集めておいた魔力のヘルメットをステラに被せ、陸地を目指す。
あの人形が潜んでいたのは海中、それもそれなりに砂浜からは離れていた場所であった。そうこうしている間にも、あの岩人形達が海水浴場に侵攻している可能性があった。
栞はふたりの身体を可能な限り労りながら、けれどその上で出せる最高速で浜辺を目指し──そして三人の目に予想外の光景が飛び込んできた。
雷撃と鋼の音色、そして純銀の煌めきが飛び交っていた。
海から侵攻してくる岩人形を貴徳原が数億の刃──彼女の霊装である《フランチェスカ》を以て切り刻み、刀華が振るう雷を纏った居合い抜きが爆砕する。
しかしもうひとりが問題だった。
一輝が戦っている相手──は同じ怪物調査のメンバーである《速度中毒》兎丸恋々と《城砕き》砕城雷。
いや、それだけではない。観光客の何十名かが同じ観光客に襲いかかっている。しかも明らかに正気ではない様子で。
この海水浴場の監視員だろう者達がなんとか押さえ込もうとしているが、尋常ではない怪力で無理やり拘束を解いている。
「何よ、これ……!」
「俺達にけしかけられた岩人形と同じことを人間でやってんだよ! おい、ヴァーミリオン! お前は貴徳原と東堂に加勢しろ! あの岩共を押さえ込むのにアイツ一人じゃ手に余る!」
「わ、わかった!」
「珠雫さんに中継点ハブの捜索を頼んで、水の分身も付けました! 私もこっちに加勢します!」
最初は混乱していたステラであったが、言われれば行動は早い。彼女は《妃竜の大剣》を再び出現させ、岩の群れに一気呵成に飛び込み、一振で数匹を木っ端微塵に粉砕する。
そして紫苑は逃げに徹することで、なんとか戦闘を継続させていた一輝に合流する。
兎丸の攻撃──選抜戦で一輝が受け流した物のの数倍の速度と威力で放たれるそれを辛くも回避したところで、最大重量まで累積された砕城の一撃が振るわれる。そこに紫苑が割り込み、《八重椿》を以て弾き返した。
「百鬼くん! 助かったよ!」
「フッ──!」
紫苑はそれには答えず、一輝に攻撃を叩き込んだ後、瞬時に離脱した兎丸に向かって居合い抜き──《瞬菊》と《鳳穿花》を合わせた《花束》を見舞い、兎丸に絡み付いていた糸を幻想形態で斬り飛ばした。
「彼らに何があったんだい?」
「…。コイツらは全員、怪物騒ぎの元凶が伸ばした糸に操られてる。脳に糸を張り巡らせて、意識があるまま操り人形にされてるんだ」
「……ッ!」
意識のあるまま人を操り人形にするという、その悪辣さに一輝が顔をしかめる。だが、と紫苑は続けた。
「アイツらの脳に張っている糸。それを断ち切れば支配下からは解放される。お前ならやれるだろ。ここはお前に任せる。これが終わったら西園寺に──」
加勢してやってくれ、という言葉は彼の口からは漏れなかった。
身体が氷で出来た二十以上の栞の分身が、海水浴場中を駆け回っていたからだ。
その氷の分身は氷の拘束で観客達を拘束し、糸を断ち切り、拘束した客達を監視員と協力して避難させている。そして本人は大量の海水を操り、海から上がってくる岩の人形達を次々と砂に変えていた。
彼女が持つ圧倒的魔力制御技術、その極致を以て砂浜に上がろうとしている岩人形達のほとんど食い止めている。
しかし彼女の魔力量はお世辞にも多い方ではない。これだけの魔術を並行して発動させていれば、流石の栞も魔力切れを起こすのではないか──そうならない理由は彼女の足元にある。
海水が彼女に吸われるようにしてなくなっている。
──自然干渉系の能力を有した伐刀者は、他の系統の能力にはない強みがある。
それは自分の能力に対応する物質──《炎使い》であれば炎を、《風使い》であれば風を取り込むことで、その物質を擬似的な魔力に変換することが出来ること。
そして栞の現在の能力は《水》
海水を常時魔力に変換し続けることで、魔力の少なさを補っているのだ。
そして──、
「《凍土平原》──!」
海岸線すべてが氷で覆われた。
彼女が溢れ出る岩の軍勢を捌ききり、珠雫の支援に向かわせた物も加えて計三十を超える水の分身全てをマニュアル操作した栞は、その場に倒れる──直前で彼女の身体が、がっしりとした腕に支えられる。
「紫苑さん……。すみません、お手数お掛けして……」
「気にすんな。こっちこそ悪い。ほとんどお前に任せた」
「相性が悪いから……仕方ないですよ。適材適所です……」
栞は頭を押さえる。
自分のキャパシティギリギリまで精密な魔力操作を行ったからだろう。頭が割れるように痛かった。
「百鬼さん」
次いで姿を現したのは、海を凍らせた立役者である黒鉄珠雫である。彼女は海の方──正確に言えば、そこに不自然に出来ている水で出来た竜巻を指差し、
「あそこに中継点があります。破壊を試みたんですが、私では中継点を守る人形を突破しきれませんでした。──斬れますか?」
「──あぁ。西園寺を頼む」
珠雫に栞を任せ、彼は日本刀を振りかぶる。
上段からの振り下ろしであると確信させるその一刀を、この場所にいるメンバーは見たことがあった。
それは刀華を打ち破った、彼の全身全霊。
森羅万象、その全てを切断するすべての剣士が目指した到達点。その神域にある必殺だ。
彼の筋肉が隆起する。滅多なことではひとつも傷が付かない筈の霊装が、ぎちぎちという不快な音を立てて軋む。
そして──すべての華を散らす一刀が、振るわれる。
「──《散華》」
その《必殺》の剣は──神話に語られる預言者のように海を割り、岩人形の首魁すらも跡形もなく消し飛ばした。