「そんな事のためにわざわざここまで来たのか。随分と暇なんだな、《剣士殺し》」
「あァ。
ベンチに座る紫苑に向かって、倉敷が歩みを進める。
無論、彼は破軍学園の部外者であり、ここに来るまでに何人もの人間に危害を加えている。当然学園の警備を担当している者が捕らえようとするのだが……彼は警備員を一睨みしただけで黙らせる。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、彼らは動きを止める。
「そうか。アイツは挑んだのか」
「あぁ。完膚なきまでに負かしてやったけどなぁ。そんで、吐かせてみたらお前の名前が出てきたんだよ。しかも破軍にダチがいる奴に聞いたら、ソイツは《雷切》に勝ったFランクだって剣士だって言うじゃねぇか。──そりゃあ、挑まねぇ道理がねぇだろう?」
「受けたところで俺に何の利がある」
「あァ? 利だと? ──そんな物が闘争に要んのかよ、《黒鬼》」
くっだらねぇ、と吐き捨てながら倉敷は紫苑の胸ぐらを荒々しく掴む。決して軽くはない紫苑の身体が、片腕で持ち上げられた。
「強ェ奴と殺し合いてぇ。闘争に必要なのはそんな殺意だけ。そんなもんもわかんねェのかよ」
「……」
「だが……どうしてもそれが要るってんなら、用意してやるよ。綾瀬の実家の道場──テメェ、それが欲しいんだろ?」
「いらん」
彼の言葉を遮るように、紫苑が言う。それに倉敷は怪訝そうな顔を浮かべた。
期間が短かったとは言え、紫苑と綾瀬は師弟関係だった筈。そして彼女の事情をある程度知っていて、その上で彼女を強くしようとしたのだから、綾瀬の道場は彼とて求めるものだろう。
彼が彼女の道場を取り戻し、そして綾瀬に譲渡すればそれだけで綾瀬は欲しいものを手に入れられるのだから断る理由がない。
「あの場所は──いや、お前が綾辻から奪ったものは、全てアイツ自ら取り戻すべきもの。俺が奪って何になる」
「だったら、何が望みだ」
「……俺が勝てば、綾辻の挑戦を受け続けろ。何百、何千、何万回だろうとだ。毎回、手を抜かずにな。約束するなら、受けてやる」
「──! ハッ、良いだろう。雑魚を相手し続ける約束をするだけでテメェと戦えるなら安い買い物だ」
「それと……『いい加減離せ』」
彼がそう言った途端、倉敷は紫苑の胸元から手を離し、飛ぶようにして距離を取った。
──それは反射めいたものだった。
(ありえねぇ)
その反応に一番驚いたのは、倉敷本人だった。そして自身の背筋を伝った寒気にも。
……彼の胸中を占めていた感情は、恐怖だった。
まるで奈落の底を覗き込んだかのような原始的な感情。己の死に対する拒絶。それが紫苑の胸元を離した理由であると自分の身体は訴えている。
(刀も抜いてねぇ剣客相手にビビったってのか? 俺が?)
倉敷蔵人は己が強者であることを知っている。
天から授かった戦闘──特に近距離戦闘──において必ず優位に立てる特性、そして暴力の才能。
それはただその力を己の衝動のままに振るうだけで、《最後の侍》綾辻海斗に一方的に勝利し、昨年の七星剣舞祭においてベスト8にまで勝ち上がった実績もある。
傲りでも、粋がっているわけでもなく、彼は己が強者である事を理解しているのだ。
そんな自分をただの威圧だけで退かせたこの男を見据え、彼は──。
(上等だ)
笑ってみせた。
東堂刀華の代名詞である《雷切》を真正面から打ち破った男。曰く、破軍学園最強の剣客。
この程度やってくれなくてはつまらない。それにこれほどの男を斬り伏せれば、自分は今よりももうひとつ上のステージに上がれるだろうという確信もあった。
「なら今すぐにでもやろうぜ──」
「ちーっと待ちな。クソガキ」
「あァ?」
自分と紫苑の間に割って入る女の声。興を削ぐなとそちらを振り向けば、そこには華やかな和装を着崩した少女。一見、学生に見えるほど小柄な女性ではあるが、その女を倉敷は知っていた。
──いや、魔導騎士を志しているものであれば知らない人間はいないだろうという有名人。
「寧々」
「よぉ、紫苑。なんか面白そうなことやってるねぇ。ウチも混ぜてくれよ」
「──《夜叉姫》西京寧々」
環太平洋圏最強の騎士にして《重力使い》
破軍学園非常勤講師である西京寧々だ。
「ウチがいる
「……俺を貪狼に突き返す気か」
「いや? ちょっと前から話は聞いてたが、紫苑は合意したんだろ? ならセンコーとしちゃ失格だが、摘まみ出す気なんか更々ねぇよ。ただお前ら野放しにして暴れられたら、学園が滅茶苦茶になっちまう。ウチはそれを止めようって出てきただけさね。
だからウチが審判、及びルールを決定し、お前らふたりはそれに従ってもらう。それに納得できねぇなら今すぐテメェを摘まみ出す」
「……わかった。道場破りの作法は俺も心得ている」
破軍学園に乗り込み、警備員や生徒達を蹴散らしながら《黒鬼》に戦いを挑む。自分がやった行いは一種の道場破りである。
そして道場破りを仕掛けた者は、道場の主──この場合は審判役である寧々だ──に従うのが礼儀である。
「結構。ほんじゃ移動すんぞ。ついてきな」
紫苑達が向かったのは、第八訓練場。
そこでは次の試合に向けての清掃や、リングの修復などが行われている最中だった。
それらの指示を出していた折木有里は、西京達の姿を目にした瞬間目を剥いた。正確に言えば、その背後に控えていた倉敷に対してだが。
「さ、西京先生? どうしてここに……それにあなたは、貪狼の……」
「ごめんな先生。5分くらいここ使わせてくんね?」
言うや否や、西京は粗方の事情を折木に説明した。
紫苑に戦いを挑みに来た倉敷を納得させるため、そしてそれを合意した紫苑に対して戦いの場を用意したいこと。加えて現在次の試合まで少しばかり時間があるのが、ここくらいしかなかったことなどを。
「なるほど……時間の余裕もありますし、西京先生がきちんと見張っていてくれるのであれば、私は構いません。ただしスケジュールもありますので……」
「わかってらぁ。それまでにはきちんと帰らせっからよ。……ほんじゃ、ルール説明だ。耳かっぽじってよーく聞け」
西京が提示したルールは以下の通りである。
制限時間は次の選抜戦、そしてそれに向けた準備などもあるため5分とする。
幻想形態で試合を行う。実像形態を用いた場合、即失格とする。
「そんで肝心の勝ち負けの付け方だが──」
西京は自身の魔力を紫苑と倉敷に鎧のように纏わせる。
「これで決める」
「これってどういう事だ?」
「今お前らに纏わせたのは魔力の鎧。これを5分以内に削りきられた方、タイムアップになった場合は削られた魔力が多かった方が負けだ。ゲームでいうヒットポイントみたいなもんだと思えば良い」
普通こういう模擬戦では、相手が倒れるまで試合を行うのが常だが、前述した通り今は試合と試合の休憩時間である。
しかし彼らほどの実力者同士になると、五分では互いに倒しきれない可能性が出てくる。そこで一種の勝ち負けの指標が、寧々がふたりに纏わせた魔力の鎧だ。
──これを使うのなら実像形態で試合を行っても良いのではないか、という意見もあるかもしれないが倉敷は他校の生徒。しかも学園に殴り込みをかけてきた男だ。
加えて現在は選抜戦が行われている最中。あらゆる怪我を治療する再生槽の使用は破軍生徒を優先するのが当然だ、と西京は語り、それに倉敷も頷く。
こんなにも下らないことで揉めて、紫苑との試合時間が短くなっては堪らない。
「そんじゃ、ふたりとも開始線に立って霊装を幻想形態で展開しな」
「食い散らかせッ! 《大蛇丸》!」
「──《亡華》」
西京の指示に従い、共に霊装を展開した。
倉敷は鉈のような形状の骨剣を、紫苑は赤黒い靄を纏った一振の日本刀を。
倉敷は自身の闘争本能を剥き出しにした笑みを浮かべ、対する紫苑はどこまでも冷静に沈黙を貫く。
(スカしたツラしてやがる)
奴の顔には昂りというものを微塵も感じられない。自分を、以前に勝利した《雷切》よりも下に見ているからか。
……それに怒りが湧かなかったと言えば嘘になる。しかしそれ以上に──楽しみで仕方がない。あの余裕の顔を歪ませてやるのが。
(テメェも殺してやるよ。《黒鬼》……!)
「準備は良いな? それじゃ──試合開始!」
西京の号令が為され、倉敷が《大蛇丸》を振るおうとした瞬間──紫苑が殺意を叩きつけた。
「──ッッ!!」
風が吹き荒れたと錯覚するほどの濃密な死の波動。それ自体には攻撃性など微塵も孕んでいない、ただの威嚇。
だというのに倉敷は見た。──自身が巨大な黒い掌によって握り潰され、絶命する光景を。そして自身の死に様を見、喜悦する鬼の姿を。
(んだったんだよ、さっきまでのツラは!)
何がスカしたツラだ。
ここまでの殺意を突き付けられた経験など彼にはなかった。七星剣舞祭でこれまで戦ってきたときも、激昂した《最後の侍》と戦ってきたときでさえも。
何より彼は殺意を心地好いと感じる人間だった。だからこそ闘争を楽しみ、そして求めていたのだから。
だというのに彼の荒々しい殺意に心地好さなど微塵もない。これまでの殺意が児戯のそれであると感じるほどに、隔絶したそれであった。
初めてだった。これほどまでに──死を身近に感じたのは。
身体の震えが抑えきれない。《大蛇丸》を握る手が、じわりと汗で湿る。
そしてそれを見逃す紫苑ではない。
リングを踏み締め、飛ぶように一気に間合いを積めた。そうして刹那の間に、紫苑の領域──近距離戦闘の間合いに倉敷を引きずり込む。
僅かな烈帛の気合いの息を吐き、繰り出すは上段からの振り下ろし。名があるほどの技ではない、ただ幾年もかけて積み上げた堅牢な基礎に裏付けされる一撃。
だがそれゆえにその剣は重く、そして疾い。
それを──倉敷は容易く回避して見せた。
紫苑の覇気に呑まれたのなら……否、呑まれていなかろうと、決して多くの伐刀者ならば回避できないだろう一刀。それを彼は回避できない筈のタイミングで避け、
「《蛇咬》ッッ!」
あろうことか反撃の一撃──否、二撃を見舞ってくる。
《蛇咬》の名に相応しく、挟み込むようにして振るわれる二撃は、全くの同時と判断させるほどに速い。
しかしその速さに対して、その二太刀はあまりに杜撰すぎた。剣術などまるでかじっていない、素人剣術でございという手振りで振るわれるそれ。如何に速かろうと、そんなものを迎撃するのは紫苑にとっては容易い。
《
紫苑は振るわれる一刀目を弾き返し、一歩踏み込む。
『超攻撃特化型剣術』と謳われる《瀧華一刀流繚乱勢法》の踏み込みは日本──否、世界中に数ある剣術の中でも随一の速さを誇る。
無駄の一切を切除し、最短距離で踏み込み、横薙ぎ一閃。
それを胴体ががら空きの倉敷では防げる筈もなく──、
「ハッハー──ッ!」
そんな道理を目の前の男はいとも簡単に蹴り飛ばした。
戻ってくる筈のないところから彼の刃が戻り、横薙ぎを防御。短剣ほどにまで間合いを短縮した《大蛇丸》が《亡華》と衝突し、甲高い音を奏でる。
そしてそこ──超近距離は紫苑ではなく、倉敷の間合いである。
「オラオラオラオラァッッ!」
「チッ」
短剣の間合いから振るわれる、回転の速い高速連撃。前述した通り、彼の振るう剣には理合いがなく──言うなれば肉体性能に任せた子供の棒振りのような物だというのに、彼は技の出が極めて速い。
それこそ、間合いの不利はあれど攻撃を得意とする紫苑が刃の間合いで遅れを取るほどには。
紫苑の剣を掻い潜り、ひとつ、ふたつと大鉈が魔力障壁を削っていく。
──一旦距離を取らねば不味い。
その辺り、紫苑は極めて冷静だった。
彼は最初に仕掛けたように、彼に殺気を飛ばす。間隙を縫い、強引に剣を捩じ込んでやるとわざと──故意であると思わせない程度にではあるが──剣に力を込め振るった。
紫苑の剣気に倉敷もまた反応した。ほんの刹那、最初に見た情景が頭を過るが、くだらねぇと吐き捨て彼の一撃を力ずくで押しきってやると負けず剣を振るう。
衝突音。
倉敷の一撃に込められた威力さえも利用し、紫苑は後ろに下がった。
それに倉敷は追撃しない。先程の荒々しい剣のぶつかり合いが嘘のように、ふたりの間には静寂が流れた。
野次馬めいた観客達があれやこれやと騒いでいるが、思考に何ら影響はない。
(──速いな。一輝と同じ《身体能力強化》系統の能力か? ……いや、どれほど強化していようがあのタイミングでの防御は間に合わない)
紫苑は眼前敵の能力の解析に思考をやる。
(となると別だな。《未来予知》それに類する能力だろう。あそこで間に合わせたのは《予知》に加えて魔力放出で間に合わせたのか)
だがそれなら然したる問題にはならないだろう。
──対応できる速度以上の連撃で押し潰してしまえばいい。
たとえ未来を読んでいようが、当人が処理できる容量以上の攻撃を叩き込み続ければいずれ許容範囲を超えて潰せるだろう。
何よりそれは『超高速連撃を以て相手を圧殺する』という《瀧華一刀流繚乱勢法》の理念そのもの。紫苑が得意とすることだ。
だが、これはあくまでも予測。頼りにしすぎるのは愚策だ。
それよりも現在わかっている事に目を向ける。
(奴がやったのは刀身の短縮。となれば伸長も出来るな)
相手の戦力を鑑みた上で、紫苑は勝つために身体に適切に燃料を振り分ける。
戦闘を行うと決まってから既に味覚はカットしていた。
その分のリソースを視覚、聴覚、嗅覚に4:3:3の割合で配分していたが、それに修正を加える。
今回の相手は毒物やガスのような物質を用いて来ないだろうと推測。嗅覚に回していたエネルギーを移譲し、加えて嗅覚を二割削減。
次いで視覚の中でも色を削ぎ落とし、取得情報を少しでも軽くする。聴覚はそのままに、しかし余計な情報が入ってきているため、不要な情報を全て覚醒の無意識に放り込むようにする。
色の識別や不要な音情報の取得に使っていた動体視力に回し、蔵人の剣を目で捉えられる程に強化。
そして配分で出てきた余剰エネルギーをすべて──反射神経に回す。
普段ならば、よほどの強敵相手──長期戦が愚策となる相手か、そうしなければそもそも刃を交えることが難しい相手にしかやらない反射神経強化。
否──本来の反射神経の速度に戻す、と言った方が正確か。
反射速度を早くする──それは諸刃の剣である。
確かに反射神経が速くなることはアドバンテージ……紫苑のように近距離を主体としている騎士になればなるほど、その恩恵は大きくなる。何せ敵が一度行動する間に、複数回行動することができるのだから。
しかし最初に述べたように良いことばかりではない。
その欠点は即ち──体力の消費が極めて大きくなる、ということだ。
上記の通り、反射速度が速くなれば常人が一度のアクションを行う間に、複数回のアクションを起こすことが可能だ。しかし、そのアクションを行うための体力が減ってるくれるわけではない。
反射速度を引き上げることは即ち、短期決戦に特化すると同義であり、また長期戦を捨てる行為である。
やっている事は先程紫苑がやったような、肉体のリソースを振り分けることと同じ。
そして……どちらかといえば紫苑は長期戦を苦手としている騎士だった。
それは単に魔力量の少なさ。
《瀧華一刀流繚乱勢法》の使い手となるべく剣術も魔力制御技術も磨いた紫苑ではあるが、それでも平均の十五分の一という魔力量は継戦能力を著しく低下させている。
ならば長期戦の目を捨て、短期決戦に特化すればいいじゃないかと考える者もいるのだろう。しかし紫苑は万が一それで仕留めきれず、体力も魔力も尽きかけという状況に陥るのを良しとしなかった。
たとえ魔力が尽きようと、体力さえ残っていれば《瀧華一刀流》で仕留められる可能性があるからだ。
だが──今回の模擬戦は違う。
五分というタイムリミットが存在する。これは紫苑のとって非常に有利な条件だった。
普段の戦いがゴールの見えない長距離のランニング(もしかしたら短距離走レベルの短さで済むかもしれないが)であるならばこの試合は明確に短距離走であると定められている。
ならばわざわざ長距離走の体力配分で走る理由はない。
更に今日は選抜戦の予定も入っていない。
ならばこの勝利のために全力を注いで良いということだ。
(──斬る)
紫苑は明確な殺意を抱いて、蔵人に突貫した。
「──ッ! 《蛇骨刃》ッ!!」
だが倉敷もまた、彼の接近を許そうとはしない。
彼は自身が最も得意とする近距離戦で、紫苑に一太刀も与えることが出来なかった事実を非常に重く見ていたからだ。
蔵人は刀身を伸長させ、それを鞭のように振るう。
剣の届かない遠距離から一方的に攻撃を仕掛け、紫苑の疾駆を止めようとする。
だが紫苑とて超一流の剣豪。そう大人しくは止まってやらない。紫苑は歩みを止めず、その一撃を軽く弾き飛ばした。そのまま間合いを詰める。
遠距離攻撃を行えるほどに刃を伸ばした分、攻撃の回転率がひどく落ちているのだ。動体視力を平時よりも強化した紫苑にとって、その攻撃は文字通り止まって見える。
当然その特性を倉敷も理解している。
だからこそ彼は自身の素質と、《大蛇丸》の本当の能力──『刀身操作』を併用して、無数のフェイントを加えながら攻撃しているのだが……紫苑はその悉くを打ち落とす。
(ありえねぇ……!)
倉敷の心をじわりじわりと恐怖が侵食していく。
自身に与えられた天からの贈り物が全く通用しない。
『暴力の天才』と謳われた己の攻撃の一切がすべて叩き落とされる。
(舐めんじゃねぇぞッ!)
だが竦みだす己の心に渇を入れ、蔵人は己の魂を操作する。
仕掛けるは背後からの強襲。弾き飛ばされ、剣の間合いに捉えたところ……眼前敵ががら空きの身体に注視したタイミングで、奇襲を仕掛ける!
それに対し紫苑は──《亡華》の鞘の形状を変化させ、背中を覆う盾としてその一撃を防いだ。
(アイツの霊装! 形を変えられんのか!)
気づいた時には既に紫苑の間合い。繰り出されるは逆袈裟斬り。それを蔵人は後ろに飛び退くことで回避しようとするが──、
(《鳳穿華》)
飛ぶ斬撃が彼を追い、西京が纏わせた魔力装甲を削り取る。
何故、という思案。それによって発生する刹那の硬直。それを見逃す紫苑ではない。
一瞬で踏み込み、再び彼を《亡華》の間合いに捉え、刺突を見舞う。瞬間、蔵人の姿が紫苑の視界から消える。
普通の、否、超一流の剣客だろうとこのタイミングで敵を見失ったことに困惑するだろう。しかし彼にそんな事はあり得ない。
自分の死を恐れる絶対的な嗅覚が、このままであればお前はこのように死ぬと教えてくれるのだから。
──下。首を撥ね飛ばされて死ぬ。
「ラァ──!」
上体を寝かせたまま振るわれる一撃。それを紫苑は《亡華》で受ける。
(体勢を崩した──!)
蔵人はしてやったりと笑う。
辛うじて防御を間に合わせたようだが、その表情は険しい。余裕がなくなっている証左だ。
(だが、それも当たり前なんだよ)
彼は畳み掛ける。仕掛けるは型も何もない自らの衝動に任せた乱撃。
ここは無理をする場面ではないと、体勢を崩した紫苑は判断し防御に注力する。
彼は頭上に刀を構え、振り下ろされる大鉈を受けようとする。それこそが蔵人の狙いだとも知らずに。
(殺った!)
そこで彼は大鉈の軌道に大幅な修正を加える。
頭上からの攻撃を、胴体を薙ぐ攻撃へ。これを紫苑が避けられる道理はない。
「は?」
──そんな彼の思惑を、紫苑は真正面から蹂躙する。
紫苑は自身本来の反射神経と、予知の領域へと足を突っ込んでいる第六感を以て彼の一撃を暖簾を潜るような気軽さで避ける。
紙一重という言葉すら生温い、最適距離で彼の一閃を回避し、
「《八重椿》」
紫苑が誇る剛撃にて、倉敷の身体を大きく吹き飛ばした。
(あぁ、始まった)
その様子を見守っていた寧々は、小さく嘆息する。それはこの戦いの決着を完全に理解したが故。
即ち──ここからは紫苑の独壇場になると。
西京は非常勤ではあるが、破軍学園の教師と言う立場上、他校の生徒の情報も多少は仕入れている。その中に蔵人の情報もあった。
昨年の七星剣舞祭においてベスト8という優秀か成績を修めた彼の強みは──《神速反射》という極めて凶悪な素質によるものである。
それは常人のおよそ六倍──約0.05秒という速さの反射速度を有しているという、シンプルなもの。しかしその凶悪さは、紫苑が意図的に反射神経の速度を落としていたものを、元に戻したときに語った通りである。
今回の彼の敗因、それは──自分と同じような事が出来る人間が存在すると考慮しなかったこと。それに尽きるだろう。
紫苑の本来の反射速度はおよそ0.08秒と蔵人のそれには及ばない。しかし《究極生存本能》と《瀧華一刀流繚乱勢法》がその差を埋めるには余りある。
(まぁそれも仕方ないっちゃ仕方ないねぇ)
誰が予想するだろうか。後天的に人類の限界を超越した反射神経を身に付けた人間がいるなんて事を。
語るまでもないことだが、紫苑の反射神経は最初は常人のそれ……否、それよりも遅いくらいだった。しかし彼は反射神経を鍛える特訓を続け、人類の限界点に到達してもなお鍛え続け、彼の努力は《魔人》となった頃に実を結んだ。
(あえて名付けるなら──《
そして《偽神速反射》は《瀧華一刀流繚乱勢法》と極めて相性がいい。それは──目の前の光景を見れば明らかだろう。
「ぐっ……ぎ、ぁ……ッッ!」
戟音が訓練場を席巻する。
蔵人は《神速反射》を以て何とか防御を成立させているが、それさえも薄氷の上に成り立つそれでしかない。一切攻勢に出ることは出来ず、退くことすらも許されない。
蔵人は苦悶の表情を浮かべる。呼吸を行うことすら出来ない。そんなものをしていれば、喰い殺されると理解しているから。
対して連撃を見舞う紫苑の動きは──、
『綺麗……』
『あぁ、まるで……踊ってるみたいだ……』
精練された舞の如く。
剣がぶつかる鋼の音と闘争の場にあって然るべき殺気。それが不相応に見えるほどに、その動きは流麗である。
これこそが《瀧華一刀流》創始者、瀧華想厳の娘であり超一流の舞踊者だった瀧華蓮華が編み出した剣術舞踊。
相手に攻撃させず、退くことも許さず、眼前敵を押し潰す《瀧華一刀流》が『超攻撃特化型剣術』と謳われた所以であり、瀧華薫、延いては百鬼紫苑の必殺。
──《
舞い踊り繰り出す連続剣。
それだけでも極めて凶悪な技ではあるが《瀧華一刀流繚乱勢法》における《刃桜舞い》はそれを更に昇華せている。
それ即ち──『斬撃の倍化』
薫と紫苑の《刃桜舞い》には不可視の斬撃が複数伴うのだ。
その数は十も振るえば五十は超えよう。それが文字通り目にも止まらぬ舞いと一緒に繰り出されるのだ。
その凶悪さは、寧々の師である南郷寅次郎をして「あれを無傷で防ぎきれる人間はおらん」とまで言わしめるほど。
学生騎士に防ぎきれる代物ではない。
むしろ善戦している方だと寧々は蔵人を評価する。
しかし……その表情には明確な怯えが浮かんでいる。
(まぁ、それも仕方のないことさね)
最初に紫苑が殺気を飛ばしたときの反応で、寧々は蔵人のもうひとつの強さに気づいた。
それは……死への鋭敏な嗅覚。
それこそが今の紫苑を相手に戦闘を継続させられている要因であり、ロクな剣術を学んでいないながらも《最後の侍》綾辻海斗を一方的に粉砕した天性の戦闘センスの正体である。
彼は迫りくる『死』への質や量などから攻撃を推し量り、それを《神速反射》にて回避または迎撃していた。
そう──紫苑の《究極生存本能》と同様の力を彼は有していたのだ。
だが……幸か不幸か、蔵人には紫苑と異なり才能があった。天から与えられた素質のみで、大抵の相手を蹂躙できるほどに。
(だからこそ、アイツには紫苑と違って『死』への耐性がねぇ)
生まれながらの素質で大抵の相手を打ち倒せた。それは逆に言えば苦戦した経験が極めて少ないとも言える。対峙しただけで『死ぬ』と思わせた相手との戦闘経験など言わずもがなだろう。
まるで嗅覚に優れた犬が強烈な悪臭を感じたとき、痛みすら覚て悶絶するほどに。『死』への嗅覚が優れているという事は、それに対する恐怖などを一切誤魔化せない事と同義である。
紫苑は《究極生存本能》を会得するまでに何千回もの『死』を感じ、それに適応したが、蔵人にはその経験がない。
だからこそ『死』を感じたときに身体が竦む。怯え、身体から力が抜けていく。──恐怖が、身体を侵食する。
(同じ理屈の力だろうと、どこぞとも知らねぇ何者かにただ授けられただけの奴と、勝つために死に物狂いで掴み取った奴。差が出るのは当たり前さね)
人類の限界を超えた反射神経、死に対する絶対的な第六感。
同様の力を持ちながら、決定的な差を生んだ要因はたったひとつ。
──その力に至るまでの過程である。
「あや、綾瀬っ……ちょっと待ってってば……!」
ルームメイトから懇願される。けれど綾瀬はそれに耳を貸さなかった。貸してなんていられなかった。
速く行かないと間に合わない。その一心で、彼女は走る。
そしてたどり着いたのは第八訓練場。
自らの師であった百鬼紫苑と、仇敵・倉敷蔵人が決闘を行っている場所だ。
観客席までの階段を煩わしいと、魔力による身体能力強化まで行って駆け上がり、そして──彼女は見た。
「がっ……はっ……!」
──百鬼紫苑の剣が、倉敷の身体を大きく切り裂いたのを。
幻想形態特有の赤い光《血光》が蔵人の身体から舞い、苦悶の声をあげて彼はリングに倒れる。
「そこまでッ! 勝者、百鬼紫苑!」
決着がついたと、寧々がジャッジを下せば紫苑は刀を下ろした。反射速度を戻してからは一太刀も食らわなかったとは言え、その体力と《刃桜舞い》による魔力消費は些か大きかった。
汗で張り付いた髪を乱雑に掻き上げ、《亡華》を消した。
「ハァ……」
「お疲れさん。ほれ、紫苑。ダチが来てんぜ?」
寧々は言いながら蔵人を背負い、そして彼の最後を指差す。
そこには荒い息を吐く、綾瀬の姿があった。視線が合う。
「百鬼くん……!」
彼の名を綾瀬は小さく呟いた。
彼女にとっては独り言だったが、彼の耳はそれを確かに拾った。どうしてこんな事をしたの、そう言いたげな声だった。
それに紫苑は答えない。ただ──彼女を指差した。それだけだった。
「良いのかい? なんも言わなくて」
「これで伝わる」
紫苑がそう言えば、寧々は「そうかい」とにやりと笑って蔵人の身体を紫苑に預けた。重いから持て、という事なのだろう。
彼は溜め息を吐いて、気絶した彼を運んでいった。
綾瀬は紫苑をそのまま見送った。そしてその一分後程に、彼女のルームメイトも綾瀬に追い付いた。
「はぁ……綾瀬、速いって……。私みたいな普通の女の子にも気を遣って欲しいんだけど?」
「あ、うん。ごめんね」
「まぁいいけど。それで、彼とは話せたの?」
「いや、話せなかったよ」
「そっか、そりゃ残念」
「いや……そうでもないよ」
そう言い、微笑む綾瀬の様子にルームメイトは頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
「さ、早く帰ろう。帰って特訓しなきゃ」
「え、マジで? もうちょっと休もうよ~」
そんな暇はない、と綾瀬は訓練場を去る。それは彼が自分を指差した理由を理解したが故。
『次は、お前が勝て』
そう彼は言ったのだから。