この話は『読者の皆様が不快に思う可能性を大いに含んでいます』なので『閑話』と別に読まなくても良いよ、という話として扱わせていただきます。
ざっくり説明すると、原作三巻に相当する話の裏側で一体何が起こっていたかというのをさらっと説明し、そのおまけでちょっとした情報がついてくるくらいです
裏の内容は同日に上がる活動報告の方で、(作者のやる気があったら)纏めさせていただくと思います。やる気次第で数日遅れますが、その辺りはご了承くださいませ
大切なことですので、最後にもう一度言います。
『この話はあなたが不快に思う可能性を大いに含んでいます』
その上で読んでいただけるのであれば、どうぞお進みくださいませ。
第24話
──失敗した。
失敗した。失敗した。失敗した。
赤座は観客席から、青ゲートを目指し走っていた。その動きはお世辞にも速いとは言えず、どたどた、という擬音が聞こえてきそうなほどに醜悪である。
しかし外聞など気にしていられるほど、赤座には余裕がなかった。
──彼は失敗した。黒鉄一輝の騎士資格を取り上げる今回の計画は、黒鉄一輝が西園寺栞に勝利したことによって水泡に帰した。
今度は別の手段で彼を陥れようとしても、世間がそれを許しはしないだろう。それほどまでに『決闘に勝利した』という事実は大きいのだ。
完全に詰みの状況である。
そうなれば赤座に待っている未来はひとつしかない。
自分は今回の騒ぎの責任を取らされ、失脚するだろう。
これまで『倫理委員会』という暗部で、昇進のために耐え抜いてきた時間も。そこに至るまでに重ねてきた努力も。
その全てが無駄になってしまう。
あんな生きる価値もないゴミのせいで、自分という人間の全てが崩れ去ってしまう。許されるものか。認められるものか。
そもそも西園寺栞などという猿真似しかできない雑魚を、決闘の相手に指名したのが間違いだったのだ。
《赤の淑女》や……非常に癪ではあるが、《雷切》東堂刀華を打ち破った百鬼紫苑を決闘の相手に指名できていれば。
そうだ、百鬼紫苑を利用すれば良かったではないか。互いに奴らの名誉を貶める材料は作ってあったのだ。部下が命が惜しいだの色々言っていたが、弱みでも握って脅せば良かった。
そうすればどちらが負けようが、黒鉄厳の目の上のたんこぶを処分できていたことには変わりなかったのに。
「クソッ! クソクソクソォッッ!!」
ここ最近分からないことばかり起こる。
世界最弱の騎士である百鬼紫苑というゴミを、厳が非常に重く見ていること。
奴を貶めようとしていた策が悉く失敗し、マスメディアが駄目ならネットだと彼の名誉に泥を塗る噂を流しても、その全てが何者かに抹消されたこと。
黒鉄一輝の食事に仕込んだ自白剤が満足に機能しなかったこと。
その全てが百鬼紫苑に関わった時から起こった。
──すべてあの男のせいだ。
黒鉄一輝を排除したら、すぐにあの男を貶めてやる。二度と剣が振るえないようにしてやる。
確かに奴は強いが、それもすべて腕っぷし。策略や謀略の類いに奴は滅法弱い。
厳には止められるだろうが、そんなもの知ったことではない。全てが自分に利するように働くべきであり、自分以外の全ては自分に見下され、己の踏み台になるべくして在るのだから。
そうだ。私は悪くない。
自分にこんな役回りを強いた黒鉄厳が、決闘に敗北した西園寺栞が、運命に抗った黒鉄一輝が、自分の命令を自分の命が惜しいなどという理由で従わなかった部下が、そしてすべての元凶である百鬼紫苑が悪いのだ。
私は悪くない。私は悪くない。
狂気に満ちた禍々しい笑いが赤座から溢れる。
気がおかしくなったのか、現実から逃避してしまったが故か。彼は己の衝動のままに罵詈雑言を吐く。
「ふひっ! ふははははははは!! 待っていろよ、百鬼紫苑!! 黒鉄一輝を処分したら次は貴様だ! そして私は──おぶっ!?」
そんな彼を何かが阻んだ。
それは……壁だった。淡い輝きを放つ白い壁。弾力性に富んだ泡のような壁が、赤座の足を止めたのだ。
「クソッ! なんなんだこれはっ!」
赤座は自身の霊装である手斧を顕現させ、それを壁に向かって叩きつける。しかし壁を破ることはできず、壁が持つ弾性によって跳ね返された。
泡のような、と上述した通り、その壁の見かけは非常に脆そうに見える。だというのに赤座の攻撃を一切通さない。肥満体で、身体を動かす機会こそ少なかったにしろ、連盟においてCランクという上位十パーセントに入る赤座の攻撃がびくともしない。
赤座は手に持っていた杖を投げ捨て、全力で斧を振るった。魔力放出による加速も加えた、正真正銘赤座の全力の一撃だ。
しかしそれすらも通さない。それどころか一際強く跳ね返され、赤座の身体が吹き飛ばされる。
醜い豚のような苦悶の声が赤座の口から漏れ、毬のようにごろごろと転がる。そして彼の身体は再び壁に叩き付けられた。
間違いなく、障壁系統の能力を有する伐刀者が自分の道を阻んでいる。
「一体どこにいる! 正体を見せろォ!!」
赤座が吼えた。その瞬間、とん、という何者かが着地したような軽やかな音が背後から聞こえた。
この自分を閉じ込めたことを後悔させてやる、と赤座が振り向き──そして眼を剥いた。
ここにいる筈のない人物だった。
当たり前だ。赤座はこの目で、この下手人が黒鉄一輝に斬られる様を見届けたのだ。そしてそれが、赤座を一輝の元へと向かわせた要因でもあったのだから。
──西園寺栞が、そこにいた。
「赤座守。貴方に──彼らの邪魔はさせない」
「どうして……貴様が……! お前はさっき、斬られた筈……!!」
「そんなもの治療したからに決まっているでしょう」
当たり前の事を聞くなという西園寺栞の瞳は、紫苑が見たこともないほどにずっと冷えきっていた。人を人と思わぬ、まるで路傍の石を眺めるようなそれで、赤座を見下ろす。
「ならば何故立たなかった!? 治療すれば勝てた筈だろう! それなのに、何故──」
「彼を勝たせた方が利になると思ったからです」
「ふざけるな!!」
手を抜いたというのか。
この女は、一輝を勝たせるためにわざと負けたと。
赤座は怒りに身を任せ、手斧を振りかぶるが──赤座がそれを振り下ろすよりも、栞の蹴りが赤座の身体に突き刺さる方が速い。
赤座の攻撃とは比較することすら烏滸がましい神速の蹴り。乙女の細足から繰り出されたとは思えない威力のそれは、肥満体の赤座の肉体をサッカーボールのように軽く蹴り飛ばす。
「げほっ、がはっごほっ!!」
「ふざけるな? それはこちらの台詞です。貴方のせいで、私がどれほど駆け回ったと思っているんですか? 黒鉄さんに仕込んだ自白剤の効果軽減の為の治療、食料を届ける手間、それらを行うための下準備。……本当に手間をかけさせられました」
「なん……」
ありえない。
黒鉄一輝を監禁していた部屋は古くに作られたため、内部に監視カメラは仕掛けられていないが部屋の外は別だ。常に監視の眼があり、外部の人間が入って来ようものなら絶対に気付く。
それに彼女の口振りからは、定期的に室内に侵入していたようではないか。そんなことを許すほど、連盟日本支部が敷く警備網は甘くない。
「入れる、筈が。いったいどうやって」
赤座がそう言った直後。彼女の左手に複数本のナイフが顕現する。一見すると『鍵』のように見える、僅かな白い輝きを放つ短剣。
それを赤座は知っていた。
そのナイフは──否、
「《
国際魔導騎士連盟副長。
《翼の宰相》ノーマン・グリードの霊装である《蒼天の扉》。
それが保有する能力は──転移。しかしその転移可能距離が規格外だ。
向かう先に《蒼天の扉》が存在している必要があるという条件こそあれど、それさえ満たせていれば地球の裏側にまで一瞬で転移する、天駆ける能力の最高峰。
それを用いて、一輝の監禁場所へと侵入していたのだと。
だが、それもありえないのだ。
西園寺栞の能力は《模写》
複製し、身に宿すことができるのはあくまでも『能力』のみであり、伐刀者の魂の具現である《固有霊装》は模倣することができない筈。
だというのに彼女はそれさえも模倣してみせる。模倣し、その異能を行使してみせる。
それはもう《模写使い》の範疇に収まるわけが──。
そこではたと気付く。
赤座とて騎士連盟に所属するもの。伐刀者の能力については知識を叩き込んでいる。その中には当然《模写使い》の知識も入っているが、前述したように『相手の霊装すら模倣』した者は前例がない。
ならば、彼女がその能力を極めに極めたが故に可能となった異例なのか。
──否、そうではない。
「貴様……《模写使い》ではないな……!!」
ステラ・ヴァーミリオンは最初、彼女が《眠り》の能力者であると勘違いしており、彼女が自身の能力である《炎》を扱ったことで《模写使い》であると判断し、それに彼女もまた同意をしたが──
数多の能力を自在に使い分ける。他者の霊装を顕現させる。
それすら彼女の能力の一端に過ぎない。
彼女の本当の能力は、引き取った義父をして『世界最強』と断言させた全能である。
赤座の言葉に栞は無言で肯定を示し、彼に言う。
「貴方の質問には答えました。今度は私が問いに答えなさい」
「何をふざけた真似を! 答えるわけが──」
あるか。
そう言おうとした瞬間、
聞くに堪えない絶叫が、栞が展開した結界の中に響き渡り、吹き出した鮮血が栞の制服を汚していく。
突如として人体に穴が空く現象……それを引き起こした栞の左手には先程まで握られていた《蒼天の扉》の代わりに、白銀の拳銃──《世界時計》新宮寺黒乃の霊装のひとつである《エンノイア》が握られていた。
《クイックドロウ》
新宮寺黒乃の能力である《時間》を操り、赤座の周囲の時間を停止。時空間の境界線上に弾丸を配置し、時間停止が解除されると同時に銃弾が相手に突き刺さる回避不能の伐刀絶技であり、新宮寺の十八番とも言える技である。
それを容易く行使してみせた栞は、次いでぱちんと指を鳴らす。
瞬間、赤座の身体に空いたすべての銃痕は消え去り、栞の制服を汚した血も消え失せた。まるで先ほどの攻撃がすべて夢だったかのように──否、ようにではない。
『彼が攻撃を受けたのは夢だった』と現実を改変したのだ。
「私は答えてくださいと言ったのではなく、『答えろ』と言ったのです。……この意味、わかりますよね?」
「……!!」
「嘘を吐いたら撃ちます。私が嘘を吐いたと判断した場合も同様です」
「ふざけ──」
再び風穴が空く。絶叫が木霊する。そしてすべての外傷が《夢》になる。しかし痛みを負ったという記憶だけは現実に残り、彼の精神を蝕む。
「あぁ、ごめんなさい。言い忘れていましたね。私に対し反抗的な態度をとった場合また然りです。大丈夫、心配はいりませんよ。──貴方が何度死のうと、私が何度でも甦らせますので。死んで楽になれるなんて思わないことです」
栞が微笑みを浮かべる。しかしその眼は全く笑っていない。
ただうっかり殺しきってしまわないようにと注意を払っているが、それだけだ。彼女にとって自分を殺害することは、路傍の石を蹴り飛ばす行いとなんら変わりないのだと理解させるにはあまりに充分すぎた。
「貴方はわかっていないかもしれませんが──私、怒ってるんですよね。わざわざ貴方のために、こんな時間を割いている事自体が不快なんですよ。わかりますか?」
「…………」
喋っては駄目だ。
何が彼女の逆鱗に触れる行いかわからない。ならば何もしない。黙ってさえいれば、彼女の機嫌をこれ以上損ねることはないのだから。
なんと、甘い考えか。
彼の頭蓋に風穴が空いた。脳ミソが床に散らばり、どさりと赤座だった物が床に転がる。そして……その傷の全ては夢になる。
ただ『彼女に殺された』という痛みと事実だけが赤座に襲いかかる。
「ハァ……ハァ……! ヒュゥ……ヒュゥ……」
「悪いことをしたら『ごめんなさい』でしょう? 『倫理委員会』の長ともあろう方が、小学校で習うこともできないんですか?」
侮蔑の言葉が吐き捨てられる。……屈辱だった。
自分よりも二回りも歳をくっていない子供に、これほど好き放題されている現実が。しかし彼には分別を弁えられるだけの冷静さがあった。
赤座が栞に向かって土下座をする。
「もう、しわけ……ありませんでした……」
「えぇ。本当に。……貴方を殺すのも、甦らせるのも手間です。これ以上私の手を煩わせないでくださいね?」
地面に這いつくばる赤座を睨睨しながら、栞は続けた。
「まずひとつめ。──どうして紫苑さんを巻き込んだんですか?」
「な、何故あの男の名が──」
指に向かって銃弾が放たれる。その一撃は赤座の太い指を吹き飛ばし、その長さを半分ほどにまで縮めた。
「無駄口を叩くな。私が聞いた事だけ答えなさい。今度は指程度では済ましませんよ」
「……っ! それは、私の上官の命令だ! 連盟日本支部支部長黒鉄厳が──」
銃弾が赤座の土手っ腹に大きな穴を空ける。
これまでのそれよりも遥かに魔力が込められたそれは、臓物だけでなく骨すらも消し飛ばし、彼の意識さえも粉砕する。
それを栞は頭を蹴り飛ばすことで無理矢理覚醒させ、傷を治療した。
「黒鉄長官には貴方の独断専行である、と謝罪と共に言質を頂いています。……本当に貴方は、私の怒りを煽るのがお上手ですね?」
「がぼっ……」
銃口が口の中に突っ込まれ、赤座は声にならない悲鳴を漏らした。自分の腹部の大部分を吹き飛ばした弾丸が、口の中で炸裂すればどうなるか……彼には容易に想像ができた。
「──嘘を吐くな。私の手を煩わせるな。再三言っている筈なのに、どうしてご理解いただけないのでしょうか?
……あぁ、なるほど。どうせ治療されるのだから、いくら痛みを負おうが構わないという腹なのですね。それならば治療はやめにしましょうか。貴方が死んだところで私はどうでも良いですし」
「……ッ!!」
「違う? それなら最初から正直に答えなさい。その方がお互いのためでしょう。違いますか?」
栞の言葉に勢い良く首を縦に振る。
死ぬのは嫌だ。死んでしまっては再起することすらできない。ここをやりすごす事さえ出来なくては、彼女に復讐する機会さえも叶わない。
──彼女の命令に従順になること。それだけがこの場を乗り切る唯一の光明である。
「答えなさい。貴方が黒鉄長官から下された命令は、黒鉄一輝の騎士資格剥奪だけだった筈。にも拘らず何故貴方は、一切関係がない紫苑さんを巻き込んだのですか?」
「……ッ、奴が黒鉄厳の障害になっていたからだ」
「…………」
「奴の話をするとき、彼はいつも顔をしかめる。彼が掲げる厳正な秩序、それを逸脱する百鬼紫苑を排除する事で、それを取り戻すために──」
「なるほど。よくわかりました」
「────ッッッッ!!!」
数千を超える弾丸が赤座の身体に突き刺さった。《クイックドロウ》──もうひとつの新宮寺の霊装《プロパトール》を使用しての乱射。
それに赤座が堪えられる筈がない。意識を失い、痛みによって意識を覚醒、また気絶──。のたうち回り、小便を垂れ流す赤座。それを光の一切ない瞳で見下ろす栞は続ける。
「紫苑さんの排除に成功すれば、黒鉄一輝の騎士資格剥奪後の昇進に更に箔をつけられる。そしてゆくゆくの昇進の足掛かりに……ですか。全く──腹立たしいにも程がある。
そんな理由で──私の愛する人に手を出したんですか」
赤座は消え行く意識の中で耳を疑った。
好きな方、だと? つまりこの少女は──自分の惚れた男を守るために、自分の策の全てを潰したのか?
そんな……。
「そんなくだらない理由で……?」
「くだらない……ですって……?」
瞬間、赤座は理解する。
自分が──少女の逆鱗に振れてしまったことを。
栞の蹴りが、赤座の胸部を吹き飛ばした。臓物が壁に叩き付けられ、鉄の匂いが結界の中に満ちる。そして全ては夢になる。
「くだらない!? くだらないですって!? 彼の事を何も知らないからッ! そんな事が言えるんですよッッ!!」
五体満足で赤座の肉体は戻ってくる。しかしそれでも栞の怒りは止まらない。殴打が、蹴りが、何度も何度も赤座の命を絶命に至らせる。
その度に赤座の死はすべて夢だったことになる。何度も何度も死から生へ、現から夢へと流転する。
「あの人があそこまでの強さを得るまでッ! どれ程頑張ってッ! どれほど苦しんできたかッ! どれほど足掻いてきたかッ!! どれほど自分を責め立てたのか!! お前にッッ!!」
栞は知っているのだ。
自分が助けを求めてしまったせいで、輝かしい姉の将来を奪ってしまった。そのせいで彼女の父親を自殺に追い込んでしまったと、自分を責めていることを。……彼は何も悪くなんてないのに。
自分には才能がないから、他人が当たり前に持っているものを切り捨てて強さに変えなくてはいけないと彼が自分に言い聞かせていたことを。……本当は切り捨てたくなかったのに。
自分の心の絶叫が聞こえないように蓋をして、痛みも感じないふりをして毎日毎日努力を重ねていたことを。……本当はずっと前に泣いてしまいたかったのに。
家族を切り捨て、友達も切除して、自分の弱さを削除して、自分を一振の刀として研ぎ澄ませようとしていたことを。……本当は刀になんてなりたくなかったのに。何度も何度も諦めたいって思ってたのに。
《瀧華一刀流繚乱勢法》は世界最強の剣術だから。
自分の憧れた剣士・瀧華薫は世界最強の剣士だから。
自分は最強で居なくてはならないと、自分を追い込み続けた百鬼紫苑。最強で在り続けようとする彼が……。
本当は《黒鬼》なんて異名が似合わないほどに脆くて、優して、どこにでもいる普通の男の子なのだと知っているから。
最強で在り続けなければならない彼の『弱いところ』を、自分は知っているから。
認められる筈がなかった。
許せるわけがなかった。
理不尽に襲いかかる悪意に、彼の夢が挫かれてしまう現実を。
だから栞は赤座の行おうとしていた行為の悉くを潰したのだ。
──努力したからといって、それが本当に報われるとは限らないと栞はわかっている。死ぬ寸前まで努力を続けようとも夢に届かない者もいれば、自分のように大した努力もせずに隔絶した強さを手に入れる事例もあるだろう。
運命とは平等に不平等を与えるものだと知っている。だから今さらそんな事に憤慨しようとは思わない。
けれど──今回のような例は別だ。
明らかな害意を持った人間の行いで、全うに努力してきた人間の道が閉ざされる。夢に挑む権利すらも剥奪される。
善人が損をし、悪人が得をするようにこの世は出来ている?
人を信じれば、掬われるのは足元だ?
──そんな理に、西園寺栞はふざけるなと吐き捨てる。
善人が損をし、悪人が得をするようにこの世が出来ているのならば、私が悪人を叩き潰そう。
足元を掬われそうになっていたならば、私がそれを助けよう。
理不尽も、害意も、悪意も。
彼が歩むと決めた道、その外から彼を傷付けようとする一切から彼を守ろう。彼が真っ直ぐ夢に向かって歩けるように、それ以外の全てを自分が退けよう。
『尊敬する姉の剣術こそが、世界最強の剣術なのだと証明したい』
──自分にはそんな大それた願いはない。
大切な人の努力が報われてほしい。
大切な人が苦しむところを見たくない。
大切な人に笑っていてほしい。
そして彼が許してくれるなら……自分が彼を幸せにしたい。
与えられた才能に比べれば、あまりにもちっぽけで平凡な望み。だがそれこそが栞という一人の少女の根幹だった。
……どうして才能とは欲しいと願っている人の元には行かず、別にいらないと思っている人間の場所に向かうのだろうか。
いや、才能を渇望するからこそ才能はその者の手に渡らないのか。この世は理不尽に満ちている、と栞は何度目かわからない怒りを覚えた。
不意に栞の暴力の嵐が止まり、赤座の肥満体を片腕で持ち上げ、目を合わせる。
「ひぃ! は、離せぇ!!」
赤座はじたばたと暴れ、栞を殴打する。しかしその全ては栞が自身の周囲に展開した魔力の障壁に阻まれる。
「──あの人の苦しみを知らないなら、木っ端だけでもその身で味わいなさい」
「な、何を」
栞の青い瞳が禍々しい赤い輝きを放つ。
そして──その魔術を発動させた。
「《
──瞬間、赤座は知らない場所に立っていた。
ひどく現実離れした場所だ。もう真夏に差し掛かろうかというのに、空は黒い雲に覆われ、天からは黒く染まった雪が降っている。
その雪は、それがまるで刃であるかのように赤座の身体に突き刺さった。口の端から悲鳴が漏れる。痛みに悶絶し、身体を捩ろうとするが満足に身体が動かせない。
四肢を黒い鎖が拘束していたからだ。
「ここはどこだ! おいっ! 私に何をしたッ!? ここから解放しろ!!」
叫ぶが、その声はこの空間に木霊するばかりで誰も答えてはくれない。幸い霊装は展開できるようで、それを用いてなんとか鎖を切断しようとした。
その時だ。
カンカンカンカン──と。
どこからかそんな音が響いてきた。この音を赤座は当然知っていた。だが何故……踏み切りの音がこんな場所で聞こえてくるのだ?
黒い霧で覆われていた周囲が晴れていく。
自分がいたのは線路の上だった。周囲には踏み切りがあり、そこに両手両足の鎖が伸びて、自分は拘束されている。
そして──眼前からは、血色の電車が迫ってきていた。
「ま、まて……!」
逃げ出そうと必死に身体を動かすが、拘束が解かれる気配はない。電車が止まる気配も同様である。
そしてそのまま轢かれる直前──彼は思い出した。
『彼が巻き込まれた事故は、鉄道車両整備士であった百鬼紫苑の父親が故意に整備不良を起こして引き起こしたものである』
そんなでっちあげを記事に記載するようにと、報道記者達に命令したことを。
赤座の身体を適当な控え室に乱雑に放り込み、栞は部屋から出た。
今頃、彼は百鬼紫苑が味わった地獄をそのまま体験している。夢の中ではさぞかし苦しむだろうが、夢から覚めたら──およそ一週間ほど後の事だろうか──忘れるように魔術は調整した。
紫苑のような後遺症はまず残らないだろう。
その間に彼の上官である黒鉄厳が、この事態の後始末を行ってくれることは確約してくれている。栞の役目は、その間彼が一輝や紫苑に対して余計なことをしないように、赤座の動きを封じることだった。
彼を眠らせれば良かっただけの話なのだが、今回の件を栞は本当に腹に据えかねていた。厳にも『責任を取らせる必要があるため、奴を殺さない範囲でなら黙認しよう』と憂さ晴らしの許可は貰っている。
ここまで怒ったのは初めてだ。逆にここまで自分は感情を動かす事が出来たのかと、感心すら覚えたほどである。
──それほどまでに、自分は紫苑に惚れているということか。
好きな男に悪意を向けた相手に報復を行うなんて、今までの自分では絶対にあり得なかった。
これまでの自分ならなんとか怒りを押し殺し、咀嚼し、消化していただろう。だというのに『そう』しようとすら欠片も思わなかった自分に、今更ながら驚きを覚える。
本当に恋は人を変えるものなのだと自分の事ながら呆れる。尤も、恋なんてするんじゃなかったとは、毛頭思わないが。
「自分は大人びていると、そう思っていたんですけどね……」
自分の事ながら呆れる。今回の事で義父からは叱責を受けるだろう。何もここまでやる必要はなかっただろう、と。
何気に義父に怒られるなんて初めての経験だ。普段が温厚だから、怒らせると非常に恐ろしそうだ。
『──ッキ! イッキ、しっかりして!』
赤座が向かおうとしていた方向──青ゲートの方からステラの声が聞こえてきた。良かった……とは、自分が彼に負わせた傷を考えれば言える筈がないが、彼らは言葉を交わすことが出来たのだろうか。
……いや、今、言葉を交わせなくても良い。彼らの『これから』は自分が彼に敗北したことで、確かに紡がれたのだから。話す機会は沢山あるだろう。それよりも彼は、自分との戦いで負った傷を癒すべきだ。
そうなると無論、こちら側に向かってくるだろう。
それはよろしくない。自分は今、一輝に破れたことで再生槽の中で治療を受けている事になっているのだから。
栞は自身が行使する数多の異能の中から瞬間移動を選択し、発動。第一訓練場から破軍学園の校舎のひとつの屋上へと転移。
次いで、赤座を閉じ込めた結界──現実世界から《夢》の世界へと隔離する伐刀絶技《幻想結界》を発動する。
そして数分前から震えていたスマートフォン──破軍学園から配布された生徒手帳とは異なる──をとった。
電話の向こう側にいるのは……彼女の義父だ。
「──お待たせしました。お義父様。栞です」
『試合を見たよ、栞。負けたね。……彼はどうだった?』
「やはり強かったです。『西園寺栞』として全力を出しましたが……結果はお義父様もご覧の通りかと。これは私の見立てですが──そう遠くない内に《
『君にそこまで言わせるか。……それなら、君が負けるだけの価値はあったと。そう判断していいんだね?』
「はい。間違いなく」
『それならば構わない。君の事は信頼しているからね。……しかし、ここで君に黒星が付いたこと。それが報道で大きく取り上げられたことは、今後を考えるとあまり好ましいとは言えない。それは心得ているね?』
「……はい」
叱責と呼ぶにはあまりに静かで、落ち着いた声音。
それは自分が言った事を全て、栞が理解していると確信しているからだ。
彼女は非常に聡明だ。
しかし同時に、情に厚く身内に非常に甘い少女だ。
他者に襲いかかる不条理や理不尽を嫌い、自分に与えられた才能と身に付けた技術などでそれを排除しようと動こうとする嫌いがある。美徳と言うこともできるだろうが。
それは自分が敗北することが、自分が所属する組織にとって不利になるとわかっていても、彼にとって有利な条件で決闘を行ったことからも明らかだろう。
無論、彼女が言ったように『西園寺栞』として出せる全力を出して彼と戦ったことは事実ではあるが。
「今回の敗北は──前夜祭の成功を以て取り返します」
『最後の確認だ、栞。前夜祭で、君が行うべき事はなんだい?』
「《黒鬼》百鬼紫苑の無力化です。……わかっていますよ、お義父様。検証も試行も何度も繰り返しました。必ず成功させます」
『あぁ、その通りだ。彼に暴れられると、我々がどれほど状況を整えようとも、盤面ごとひっくり返される。それは是が非でも防がなくてはいけない。ただし……やり方は君に任せるよ』
「はい。心得ています」
『よろしい。……さて、仕事の話はこれで終わりだ。ここからは父娘の会話と行こうじゃないか』
がらり、と電話先の気配が変わる。
冷酷さすら感じさせる知的な声から、彼が自分で言ったように娘との会話を楽しむ父親としての声に。
「お仕事の方はよろしいのですか?」
『あぁ。一段落した……とは言い難いが、厳くんにかなり投げてきたからね。随分と楽にはなったよ。流石にヴァーミリオンとの話し合いには私が出向かねばならないだろうが、それでもしばらくあちらの方は後処理でてんてこ舞じゃないかな』
「……そこそこにした方がいいんじゃないですか?」
『栞がそれを言うかい? 赤座守氏をこれでもかと蹂躙してきた君が?』
「うっ……」
『いやぁ、あの時の栞は本当に見ていておっかなかった。『絶対に潰す』なんて暴言が君から飛び出したときには耳を疑ったよ。それに……
「誰が義息子ですか! 誰が!!」
ぼっ、という音が出るほど栞は赤面する。
まだ自分と紫苑はまだ交際すらしていないのだ。にも関わらず、義息子だなんて気が早すぎる。……それは勿論、そういう関係なりたいとは思ってはいるけれど。
『《魔人》が有事の際に運用できない、また運用できたとてその後処理が極めて面倒になる事態は
はぁ、と電話先で溜め息を吐かれる。
『一体誰が想像するんだろうねぇ。今回の一番の功労者である君がここまで頑張ったのは──『初恋の相手にあらぬ噂をつけられそうになったことに激怒したから』だなんて……』
「~~~~~~~~~~~ッッ!!!」
声にならない悲鳴が漏れた。
穴があったら入りたい、いや今すぐこの場で転がり回りたい。義父と電話を繋がず、メッセージで先の言葉が送られていたら羞恥心でのたうち回っていただろう。
『初恋の相手にあらぬ噂をつけられそうになったことに激怒したから』
改めて字面に起こしてみるとなんて恥ずかしい理由だろうか。
「お義父様! それ絶対に誰にも話しちゃ駄目ですからね!!」
『なんでだい。良いじゃないか、青春らしくて。僕は嬉しいんだよ? ずっと僕の頼みのために努力し続けてくれた栞に、ようやく春が来てくれたんだって。志保さん達も喜ぶんじゃないかな』
「だからですよ! 絶対からかわれるじゃないですか!?」
自分が傍にいないときに、彼の周囲の世話をしている方達──栞とも随分と長い付き合いになるが、彼らに知られてみろ。
やれ赤飯だ、やれお祝いだなどと騒ぎ倒すに決まっている。そしてそういう時、自分の父親は悪ノリするタイプだというのも知っている。
『それにこの前、海にだって行ったんだろう? どうだったんだい? 水着も新しく買っていったと聞いたけど、彼に褒められたのかな?』
「もうお義父様! そんな話ばかりするなら電話切りますからね!?」
『あはは、すまないね。何せこんな栞は新鮮だから。ついからかいたくなってしまう。父親らしいことを出来たことなんてほんの僅かだし、それに……君を私の願いを叶えるための駒として利用している申し訳なさだってあるんだ。本当なら、彼との仲がこじれるかもしれない役目を君に押し付けたくはないが……』
「……良いんですよ、気にしなくて。話を聞いて、やると決めたのは私なんですから」
栞は知っている。
彼が十年という僅かな年数で、一介の教師から日本の政治界の頂点に君臨するという偉業を成し遂げたことを。そしてそれに苦労と努力を重ねたことを。
すべては──日本を、そして国民を最悪の未来から守るために。そのために……自分は日本最高の伐刀者教育を六歳の頃から受け続け、こうして破軍学園にも侵入しているのだから。
『すまない、栞』
「だから良いって言ってるでしょう? もう、何度も謝るのはお義父様の悪い癖ですよ」
『あぁ。……頼んだよ──』
その少女はあらゆる伐刀者の能力を自在に行使する、全知全能である。
彼女はあらゆる神話や英雄譚をただの事実へと堕する、埒外の絶技を振るう。
それほどの絶技を持ちながら運命の外には至らず、一人の男を愛し、慈しみ、寄り添うただ一人の女である。
そして──第八の騎士学校《暁学園》の
《夢》《伐刀者》
「《
赤座は世界で一番怒らせてはいけない女の地雷を的確に踏み抜いた。
恋する乙女を怒らせると怖い。はっきりわかんだね。