──巨門と破軍の合同合宿も最終日となろうとしていた夜。
天気は生憎の雨であった。嵐というほどではないが、大粒で勢いのある雨粒が破軍学園新聞部部長・日下部加々美の自室の窓をぱたぱたと叩いている。
もう夜更けと言っていい時間であるというのに、眠らず彼女が何をしているかと言えばこの合宿期間中に収集した資料の整理である。小さなデスクスタンドに照らされ、机の上を埋め尽くさんばかりの書類の数々は今回の合宿で取材をした情報と、他校の新聞部とトレードを行った情報。そして書類を押しのけるように鎮座しているノートパソコンには、他の部員達が集めてくれた他校の合宿の情報が入っている。
これらの情報を照らし合わせ、合宿期間の七校の動向やそれぞれの戦力分析を俯瞰的な視線から行う。七星剣舞祭前の特集号のために。
──それはそういった過程での発見であった。
きっかけは彼女の尊敬するクラスメイトであり、先輩の黒鉄一輝からの電話。
『巨門の代表選手の『
随分と曖昧な質問であったが、その時も彼女は漠然とした事しか教えることが出来なかった。
元々彼の詳細は不明であったし、そもそも今回の七星剣舞祭においては天音のような……つまりは
ヴァーミリオン皇国からやってきた超新星《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオンに、日本人唯一の学生Aランク騎士《風の剣帝》黒鉄王馬の七星剣舞祭への参加表明、現《七星剣王》諸星雄大などなど。ジャーナリストとして着目するべき点は多くあったのだから。
しかし尊敬する先輩に頼ってもらったのであれば、その信頼には応えたいもの。
そんな気持ちで彼の調査を開始したのだが……、
「なによ、これ……!」
日下部は目を見開いた。現在彼女がいる東北の山奥は真夏でも涼しいくらいであるというのに、冷や汗が止まらない。
彼女が目を落とすのは苦労して手に入れた件の少年、紫乃宮天音の一学期の成績表。そこに記されていた授業内の模擬戦の成績。
六戦六勝──うち
新聞部として多くの選手の戦績データを集めてきた日下部だが、こんな不気味な戦績は見たことがない。
いや、見たことがないといったら……これほどの無名の選手がエントリーしてきた七星剣舞祭自体、前例がない。
ただの豊作。今まではそのように考えていたが、果たしてそのようなことがありえるのだろうか。
力がある者は本人が望まずとも目に留まるのがこの世界だ。だというのにこれほど多くの、一年でありながら代表に選ばれるほどの『実力者』達が……今まで誰の目にも留まっていなかったなどという事が。
(まるで今まで日の当たらない世界にいた者達が、示し合わせたみたいな……)
「……ッ」
ふと感じる。
自分が気づいてはいけないものに気付きつつあることを。そしてそれは自分のような一記者にはどうしようもできないほど、途方もないものであることを。
──過去に百鬼紫苑の事について調べた時のような。
アレが今、自分が気付こうとしているモノと同一のモノであるとしたら。以前は警告だけで済ませてくれた。しかし……二度目はないかもしれない。
(……それでも)
自分はジャーナリストだ。違和感を覚えたからには追求しなければならない。
それに今回の件で巻き込まれるのは自分だけではないのだ。一輝達、七星剣舞祭に情熱を燃やす者すべてが巻き込まれることになる。そんな事態はなんとしてでも防がなくては。
故に日下部はすべての資料をひっくり返し、自らの内に芽生えた違和感を徹底的に追及する。
七校すべての代表生の情報から理事会の面々に目を通したとき──。
雨の音とは異なる異音が、日下部の耳に届いた。
「──ッッ!!」
勢いよく音のした方へと顔を向ける。
音の発生源は──窓だ。雨の降りしきる外から、その音は聞こえた。かりかり、と窓をひっかくような音が。
彼女は恐る恐る、窓に向けてスマホのライトを照らすと……。
「なおーん」
と鳴く、一匹の黒猫がそこにいた。
「なんだ、猫ちゃんか……驚かせないでよ、ほんと」
首を傾げる黒猫に、日下部はほっと胸をなでおろした。
調べている事が事なのだ。いつ自分を黙らせに来る刺客がやってきてもおかしくないこの状況で、この黒猫の来訪はあまりにも心臓が悪かった。
彼女はびしょ濡れになった猫を室内に迎え入れ、身体を拭いてやる。
身体が濡れている以外は清潔で、暴れまわったりもしない。首輪もしているし、誰かの飼い猫だろうか。この施設で誰かが飼っている猫が迷い込んできたのか、はたまた深夜の散歩にでもやってきたのか。このままでは調査の続行もできないし、夜更けに悪いが施設の人に預けよう──そう考えていた時だった。
猫の青い瞳が淡く輝き、日下部を眠りの世界に引きずり込んだ。
日下部が迎え入れた黒猫──それが一瞬のうちに姿を変え、地面に向かって倒れる日下部の身体を支えた。
それは破軍学園の制服を纏った黒髪の少女、西園寺栞改め月影栞である。
彼女は日下部の身体を椅子に座らせると、机の資料すべてとパソコン、加えて彼女がまとめていた資料に目を通していく。
彼女がここにやってきた理由は《暁学園》が明日(もう今日になろうとしているが)行う《前夜祭》の成功をより盤石にするためであるが、何故こうも易々と侵入・そして今情報の隠蔽を行えているのか疑問が残りはしないだろうか。いや、そもそも
それは彼女が日下部が滞在している部屋を中心として伐刀絶技を使用していたためである。
その技の名は《幻想結界》。数週間前赤座を拷問していた時に使用していた結界だが、その真骨頂は『結界内で起こるすべての事象に干渉することが出来る』点である。
今回の例で行くのであれば『ある特定の音を対象は必ず拾うようになる』『それに関して違和感を覚えなくなる』『結界内に滞在している者の警戒心の低下させる』などなど……挙げたらキリがないほどの事象に栞は干渉している。
それほど高度の結界を日下部に一切関知されることなく行うことが出来たのは……ひとえに彼女の魔力操作技術が極めて優れているからに他ならない。
そのように自身が潜入する準備を整えた栞は《変身》の異能を用いて猫に化け、真正面から日下部がいる室内に入ると《
こうして用意に侵入を果たした栞は、日下部のまとめた資料に目を通し、感嘆と呆れが混じり合ったような溜息を吐いた。
「……これは、見事というかなんというか……」
そこにあったのは、七星剣舞祭の代表生の名前が複数。
『巨門学園』紫乃宮天音
『禄存学園』サラ・ブラッドリリー
『文曲学園』平賀怜泉
『貪狼学園』多々良幽衣
これだけならばただ日下部が気になった生徒をピックアップしただけのように見える。しかしこれらの資料に記されていた者達は──全て栞が所属する『暁学園』が他校に潜入させていた生徒の名前だった。
加えて栞が彼女を無力化した時に開かれていた資料は、西園寺栞のもの。一輝に敗北し、代表生に選ばれていなかったにも関わらず調べている辺り末恐ろしいものがある。
「優秀過ぎるのも困りものですね」
ともかく『暁学園』に自分が関わっている証拠を隠滅しなければ。
栞は日下部の頭にそっと手を置くと自身の魔力を彼女に注ぎ込んでいく。それは『西園寺栞の事を考えようとした瞬間に、何を考えようとしていたか忘れる』ようになる、という認識阻害術式。まるで目覚めたとき、《夢》の内容が記憶から抜け落ちていくように彼女の脳に一時的に仕掛けを施した。
無論、後遺症が残るといった事はなく、時間経過で自然と解除される。また全力で《迷彩》を施したため、学生騎士レベルの人間に術式が発見されることはまずない。
「これでよし」
自身が関わっているという証拠は完全に隠蔽した。またあえて日下部にとっての本丸である『暁学園』の存在には気付けるようにしてあるので、眠らせる前との記憶の齟齬も最低限に済んでいる。
『暁学園』の隠蔽は
栞は《転移》の異能を用いて日下部の部屋から出ると、《幻想結界》内にいる者すべての認知を書き換える。そして、
「
誰にも悟られることなく、自身の目標を達成したのだった。
「……ん? アレ!? 私、いつのまに寝ちゃってたの!?」
机に突っ伏して眠っていた日下部は勢いよく起き上がる。
部屋の壁にかけてある時計を確認すると時刻は1:25。彼女の記憶にある限り、10分間眠っていたことになる。
「しっかりしろ、私。早くこの違和感の正体を突き止めないと……」
ぱん、と頬を叩くと彼女は再びパソコンと資料に向かい合う。
──己が感じている違和感、その一端が欠落したことに気付かぬまま。
……そしてその40分後、日下部は彼女が調査を行っている最中ずっと監視を行っていた有栖院凪の襲撃に遭い、意識を失う事になる。
その有栖院すら、栞の行動には一切気付くことが出来なかったのは語るまでもないであろう。
そして一夜明け。夕刻。
合同合宿を終えた破軍学園のメンバー達は、生徒会メンバーの一人・砕城雷が運転するバスに乗り帰路をたどっていた。山形からの長旅はもう終わりも近く、破軍学園はほど近い。
生徒たちは皆、仲の良い者同士で近くに座り、和気藹々と談笑している。とある一人を除いては。
「はぁ……」
「元気だしなよ、ステラ……」
「だって、悔しいんだもん……」
一輝がステラを気遣うも、彼女の顔に活気は戻らない。
そんなところに声をかけてきたのは破軍学園の七星剣舞祭の代表、葉隠姉妹である。
「どったのステラちゃん」
「バス酔いなの?」
彼女達の言葉にステラは「そういうわけではないわ」と言葉を返すが、彼女の気分は沈むばかりである。
何があったの、と彼女らは一輝に視線を向ける。
「……百鬼くんとの模擬戦の結果に思うところがあったみたいで」
「ちなみに戦績は?」
「…………六戦全敗」
言うとステラは、ズゥーンという効果音が聞こえてきそうなほどに意気消沈してしまう。
合宿初日からステラは紫苑に模擬戦を挑み続けた。しかし結果は彼女自身が言った通り、完膚なきまでに打ちのめされ、叩きのめされ、負かされ続けたのだ。
しかも最終日以外は一太刀も浴びせることが出来ずに敗北している。
これを惨めと言わず何と言うのか。
だが葉隠姉妹はそうは思わなかったようで。
「南郷寅次郎相手に真正面から互角に戦える相手だぜ?しょうがなくないか?」
「そうそう。今年のFランクは絶対にFランクじゃないの。Fランクの皮を被った別の何かなの。バケモノなの」
「あれ、これサラッと僕ディスられたな……」
男の嘆きがどこからか聞こえてきた気がしたが無視。そんなもの聞く価値もない。
「……でもそんなの言い訳にならないわ。だからこそシオリにも恥を忍んで特訓してもらったのに……うがー!!」
「人の名前を呼んでおいてすぐに吼えるなんて酷くないですか?」
苦笑しながら話に入ってきたのは、ステラの特訓相手の一人の栞である。
しかし吼えたくもなる、と彼女はまくしたてる。
「だって! アレのどこがバドミントンよ!! ラケット何本も使うとか反則でしょ!?」
「貴女もやっていいですよ、って私言いましたよね?」
「出来るわけないってわかって言ってたでしょ!?」
「それは勿論。そんなに簡単にされたら私の形無しじゃないですか」
「し~~お~~り~~!!」
「ふふ、まぁそれは冗談として。魔力制御技術は一日で一気に伸びる、という物ではありません。毎日コツコツと続けることが、一番の近道です。頑張ってくださいね」
「むぅ……」
そもそも自分は栞に文句を言える立場ではないことは重々承知である。
やりたくない。断る。紫苑のサポートに徹したいと言っていた彼女に無理を言って頼んだのは自分なのだから。
だからと言ってアレはなくないか、という気持ちもあり……。
そんな彼女をよそにそういえば、と黒鉄珠雫は栞に尋ねる。
「その百鬼さんはどこに行かれたのですか? 姿が見えませんが……」
「彼なら南郷先生と一緒に東京に帰られるそうです。あのお二人は師弟関係である前に、祖父と孫のような関係ですから。色々積もる話があるのでしょう」
無論それは嘘である。
今頃紫苑は自分が合宿中に使っていた部屋のベッドで、すやすやと眠っているはずだ。それが露見しないように紫苑が使っていた部屋には意識が向かないような細工を施してきたし、それとは全く別にリラックスできるような環境を整えてきた。
(南郷先生に互角で終わった事を気にしていましたし……折角疲れを取る魔術をかけてきたのに、安眠できないんじゃ嫌ですよね)
そもそも無理やりかけた魔術だろとか、色々と自分で突っ込みたいところはあるがそれも仕方のない事だ。
何せ紫苑が今回の前夜祭に参戦すれば、自分達の敗北は必至。自分ならば彼を抑える程度はできるが、それでも自分以外が七星剣舞祭に参戦することが出来ないという状況にもなりかねない。
それは父が掲げる悲願の為にも、絶対に防がなくてはならないのだ。
といった裏の事情はあるのだが、それをこの場所にいる面々が見抜けるはずもなし。
話はステラがやけ食いを始めた菓子、そこから発展して女同士の聖戦に移り変わり、それを栞は微笑ましく見守る。……確かにステラのあの体質は詐欺だろう、などと思いながら。
そんな時だった。
砕城が勢いよくブレーキを踏んだ。あまりに唐突に推進が失われたことでバスにいた全員が前に投げ出される。
「何があったの!?」
真っ先に動いたのは生徒会長である東堂刀華である。彼女はすぐに席に立ちあがり、砕城に駆け寄った。
感情を表に出さない砕城にしては珍しく顔を青く染めながら、真っ直ぐ前方……破軍学園がある方を指さしていた。そこには……血のような空に。もうもうと黒煙が立ち上っていた。
一輝達を乗せたバスは、突っ込むような勢いで学園の正門を潜り抜け、タイヤを滑らせながら停車した。
同時にドアから、窓から外に飛び出し、その惨状を目にした。
校舎のあちこちから火の手が上がり、黒煙が立ち上っている。地面を舗装しているアスファルトはひび割れ、砕け、爆撃で儲けたのかというありさま。そして学園のあらゆるところで、破軍学園に滞在していた教師や生徒が倒れている。
しかし目の前で何が起こったのかを把握する暇を与えず、上から声が響いた。
「レディィィィィィス!!!!!!!!!アーーーーーーーーーーンド、ジェントルメェーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!」
なんともふざけた、軽い調子の声が響いた。一輝達は一斉に視線を上げ、その声の主を捉える。
道化師の装いをした、長身痩躯の男。それが燃え盛っている校舎の屋上に佇んでいたのである。
「山形からの長旅、大変お疲れ様でしたぁ! お待ちしていましたよぅ!!」
その姿はあまりに奇妙。破軍学園を襲撃した賊に違いはないのだろうが、あまりにも場違いな格好であり、ほとんどの者が困惑を浮かべるが……一輝と東堂にはその姿に見覚えがあった。
「『文曲学園』の平賀怜泉さんですよね。これは貴女がやった事ですか?」
「いえいえ。いえいえいえいえいえ。『ボク』ではありませんよぉ」
言うや否や、《道化師》平賀怜泉は高さ十メートルはあろうかという屋上から飛び降りる。あまりにも無謀、しかし飛び降りたのは彼一人だけではない。
彼の背後から次々と続くように人影が飛翔し──全員揃って一輝達の前に着地する。
野太刀を携えた和装の男──武曲学園代表・黒鉄王馬。
トップレスにエプロンを羽織っただけの奇抜な格好をした女──禄存学園代表・サラ・ブラッドリリー。
黒いライオンに跨る少女とメイド服の女──廉貞学園代表・風祭凛奈及びその従者、シャルロット・コルデー。
その他三名、合計七名の面妖な風貌と、その風体以上に凶悪なオーラを孕む者達が、一輝達の前に並び立つ。
そして平賀は仰々しく手を広げ、告げる。
「ボク達、『暁学園』です」
影で蠢いていた第八の勢力が、正式に名乗りを上げた。北斗七星の名を関する七校にあてつけるような、『暁』という名を。
「……破軍以外の六校の代表が顔を並べ、破軍へ襲撃を行った。一体どういう意図なのか……納得のいく説明を聞きたいね、兄さん。皆は無事なんだろうね?」
一輝は賊の中でも最も縁のある者──実の兄である王馬に問うが、それに彼が応じることはない。
彼はただ真っ直ぐ、ステラだけを見つめていた。
それにステラもまた睨み返す。
暁と名乗った全ての者たち全員が覇気を纏う魔人に相違ないのだろうが、彼はその中でも規格外だ。まさに桁が違う、という表現が相応しい。
だが負けじと、ステラ以外の者達も暁学園の面々を睨み返す。徐々に、しかし確実に両者の緊張が高まっていく。
そんな中で一輝が投げかけた疑問に、平賀が答えた。
「あぁ、ご安心を。倒れている皆さんは幻想形態によるダメージで気絶しているだけで、怪我一つしていませんよ。それで……あぁ、何故このようなことするのか。そも暁学園とは何なのか。えぇ、お教えいたしますとも。
いくら『暁』に所属している生徒が七星剣舞祭への出場権を持っているからといって、連盟の許可なく設立された新設校が参戦するなど運営委員会が認めるはずがない。故に、認めさせる必要があるのですよ。我々、『暁』が存在しない『日本で一番強い騎士を決める祭典』がどれほど無意味で、空虚な物なのかを。誰の目にも見える形でね」
「……つまり『破軍』を壊滅させることでその『示し』を行い、『破軍』に変わって第七の学園として出場しようというわけですか。……そのような無法、まかり通るとお思いで?」
「委員会だって馬鹿ではない。出場停止になるのがオチだろう」
「フフ、皆さん聡明で助かりますよぉ。しかしそれがそうでもない。我々は必ず七星剣舞祭に参加します。
というよりも運営委員会、そしてその母体たる連盟は我々を認めざるを得ないのですよ」
だってそうでしょう? と彼は語る。
《騎士連盟》は傘下の伐刀者教育を一身に預かる身であり、連盟所属の教育機関より遥かに力を持つ教育機関を許せない。
それは戦後半世紀以上の時をかけて構築してきた、『日本の伐刀者教育の全てを独占する』という権益を守るため。
国家の守り手である伐刀者の教育を日本ではない全く別の組織が代行しているというある種歪な状況を国民に容認させ続けるため。
そして此度の破軍学園壊滅によって失われた信頼を回復するため。
以上の理由から連盟は必ず自分達の挑戦を受ける。
否、受けざるを得ない。
そのような状況を作り上げる事こそが、此度の襲撃の目的であった。
「ですので、非常に申し訳ありませんがここで貴方達には残らず倒れてもらいます。我々の踏み台として」
──ぞわり、と。ドス黒い殺気が暁の背から昇り、それぞれが霊装を構える。
「ここまでコケにされて、はいそうですかなんて言うと思う?」
それに対し一輝達もまた霊装を構え、応戦の意志を示す。
あまりに唐突な悪意。動揺が残っていないと言えば噓になる。
だがそれ以上に、自分達をここまで足蹴にした連中に一発かましてやらねば気が済まない。
「やれるものならやってみなさい!」
「それでは遠慮なく。ふふふ……」
こうして場の緊張は一気に沸点に達し、両軍が同時に地を蹴った。
……その様子を破軍学園の内通者、有栖院凪は酷く冷静な目で見ていた。
(ここの一撃は必ず通る)
有栖院は自身の霊装である《
──彼はこの瞬間のために今の今まで忍んでいた。
有栖院の能力は概念干渉系《影》。伐刀絶技《
しかし彼の能力は真正面から戦いよりも、奇襲という場で尤も活きる能力だ。
ならばそれが通るだけの状況を作ってやればいい。
学園に入り込み、何食わぬ顔で実力者たちに近づき、信頼させ、たった一撃だけ無条件で通る隙を作り出せば暁学園の勝ちは揺るがない。
そしてこの瞬間、有栖院はその全てをやり遂げた。
破軍陣営は有栖院に無防備な背を曝し、眼前の敵に駆け出してしまっている。一輝の生徒手帳から『有栖院はスパイである』と警告が発せられるが、それは僅かに、けれど致命的な位に遅かった。
最早回避も防御も不可能な状況を整えた。
だからこそ彼は──
彼は暁学園を裏切っていた。
ここに到着する前に一輝達に暁学園の存在、目的などを打ち明け、その上で彼らの打倒に力を貸してほしいと頭を下げていた。それに対し一輝達は……彼を信じることにしたのだ。
しかし暁のメンバーがその事を知っている筈がない。故に自分を信用し、ここで破軍陣営を有栖院が無力化すると確信している。
……と、彼は思ってしまっている。
彼は気が付くべきだった。
この場所に百鬼紫苑が、今回の襲撃における最大の障害が既に取り払われている事に。
彼は感じるべきだった。
《黒鬼》がこの場にいないという、奇襲にはもってこいの状況がすでに完成されているという事に、なんら違和感を感じなかった事に。
だから、ほら──暁陣営に駆け出した破軍の生徒が
「がっ…………!!?」
有栖院の胸元、そこから大振りの刃が飛び出していた。
「……は?」
「あり、す……?」
暁陣営に向かって投擲されるはずであった《黒き隠者》。
それが放たれず、あろうことか背後で有栖院の苦悶の声が聞こえてきた事に破軍陣営は振り返った。
そこには前述した通り、大振りのナイフによって胸元を貫かれた有栖院の姿があり。彼が倒れたことによってその姿が露になった。その姿を捉えたステラは吼える。
「どういうことよ……シオリ!!」
「はぁ……」
ステラの咆哮、それに刺客──栞は大きく溜め息をついた。
彼女は左手から作り出した魔力糸を用いて気絶した有栖院の身体を絡め取り、そしてたんっ、と軽く背後に飛んだ。
そして空いたおよそ二十メートルほどの距離。それこそが栞と破軍メンバーとの決して埋められない溝の象徴であった。
そのすぐ背後で……景色が揺らぐ。
栞の背後に立っていたのは二人の男。和装を纏った青年と、道化服に身を包んだ長身痩躯の男。
「ふっふっふっ、お疲れ様でした。栞さん。お見事でしたよぅ」
「……早くこの男を彼の元へ届けに行きなさい」
道化服を纏った男──平賀怜泉は、笑うがそれに栞は不快感を隠そうともせず顔を顰めた。
「そんな顔をしなくてもいいじゃぁないですか」
「早くしろ、と私は言いましたが」
「えぇ、えぇ。勿論ですとも
「リーダー……?」
その声は一体だれのものだったのか。
目の前で行われるやり取り、突如として動きを止めた暁学園のメンバー。そして自分達の背後から現れた黒鉄王馬と平賀怜泉。そしてトドメに自分達の作戦を挫いた西園寺栞。
目まぐるしく変化する状況に彼らは到底追いつけていなかった。
破軍学園の面々が現実を飲み込もうとしている間に、栞は確認すべきことを済ませていく。
「残りのメンバーは?」
「ここを壊滅させた後、《世界時計》と《夜叉姫》の足止めに向かった。既に奴らが通るだろう東海道新幹線の線路上で待ち伏せが完了しており、空路も既に封じてある。これはクライアントに指示を仰ぎ、彼もまた了承している。故にオレ達がやることは目の前の敵を叩き潰すことだ」
「私達の負担が大きすぎるような気がしますが……まぁ良いでしょう。今に始まった事ではありませんし。……それで、どういうつもりか、でしたか。そんなもの決まっているでしょう?」
「
最初からお前達の敵であったのだと。そう告げた。
「つまりアンタは……最初からアタシ達を騙していたのね!?」
「えぇ。そう捉えてもらって構いませんよ。申し訳ないとは思っていますけどね。
ですが……貴女方が七星剣舞祭での優勝を志すように、我々にも為さねばならないことがある。そのために、貴女方にはここで倒れてもらいます」
ステラの糾弾にも、栞は一切表情を変えない。
それに彼女以外もまた、察するだろう。
のっぴきならない事情があって、自分達と戦う事を強要されているわけではない。彼女は有栖院が暁を裏切ったのと同じように、自分自身の意志で彼女は自分達の敵になったのだと。
「……それに『はい、そうですか』なんて言うと思う?」
改めて破軍学園のメンバーは霊装を構えた。
目の前の不条理に抗うために。そして母校を滅茶苦茶にした敵を絶対に許してはならないという覚悟で。
──しかし、彼女達にとってそんな決意などは言ってしまえばどうでもよかった。
彼女達がどのような決意を持っていようとも、その全てを上から叩き潰すのみなのだから。
「《紅蓮の皇女》は俺が貰う。文句はないな、《全智の魔女》」
「えぇ、勿論。それでは──」
栞はそっと微笑み、そして──。
「記せ、《
己の霊装を顕現させた。
──それは一冊の本だった。
持ち運ぼうと思うと脇に抱えなければならないほど大きな本。
タイトルも書かれておらず、装丁も何もかもが白い。白紙の名を関するに相応しい、真っ白な本。
そんなものに殺傷力など望めようはずがない。だというのに……。
(なに、あれ……!!)
葉隠姉妹の膝は笑っていた。カチカチ、と歯が鳴る音が周囲に響き、冷や汗が滝の様に溢れる。
怖い。恐ろしくて仕方がない。先ほどまでは抗おうと克己していたにも関わらず、あの本を見ただけでその決意がゴミのように思えてくる。
あの白い本に込められた絶対的な『力』。黒鉄王馬のそれをなお上回る圧に、彼女と向き合った全員が確信する。
自分達の最大の脅威。それは西園寺栞をおいて他にない、と。
そして──。
「それでは蹂躙を開始します」
絶望が、自分達の終わりを宣告した。