あと筆者はファッションに全く詳しくありません。そのことを留意して読んでいただければと思います。
──結論から言ってしまえば。
ステラ・ヴァーミリオンは黒鉄一輝に敗北した。それも文句のつけようもない完全敗北で。それはFランクがAランクに勝てるわけがないという油断もあったが、決定的な要因としては実力差というシンプルな理由だ。
そも、ステラがヴァーミリオンから日本に留学してきたのはヴァーミリオンには自分と同等の力を持つ者が存在しないため、更なる強者を求めてやってきたという事らしく、それは言い換えれば自分と同じくらいの強者と戦ったことがないということになる。
つまりは紫苑が指摘した通り、同等の敵との実戦経験が著しく少ないのだ。
それに対し黒鉄一輝は、一部では負け戦の百戦錬磨と評される男だ。相対するもの全てが格上であり、そのほとんどに勝利を修めてきた一輝にとって彼女は言ってしまえば良い鴨であったのである。
……とはいえ、彼も自身の伐刀絶技(いわゆる必殺技のようなものだ)の代償として、長時間気絶することになったのだが。
さて、そんな無惨な敗北を喫してしまったステラ・ヴァーミリオンと紫苑の戦いが行われることはなかった。彼女が目覚めるまでの新宮寺黒乃が止めたことが要因としては大きいだろう。……まぁ、それでもと言ったステラに新宮寺が折れ、近日中に予定を組むと言い、予定の擦り合わせを行っている間に彼女と一輝の妹である黒鉄珠雫が教室をまるごとひとつ吹っ飛ばしたことで、一週間の自室謹慎と共にその機会は流れたが。
そんなこんなあり、紫苑と栞が破軍学園に入学してからかれこれ一週間と少しの月日が流れた。
「はぁ……はぁ……つ、疲れました……!」
げっほ、ごっほ! と咳き込みながら、栞は道路に踞る。その姿は破軍学園の制服でも私服でもなく、市販されているジャージ姿。洒落っ気など欠片もない格好であるというのに、それがひどく魅力的に見えるのは彼女の美貌がなせる技であろう。
「お疲れ。ほら、飲めるか?」
そんな彼女にスポーツ飲料の入ったペットボトルを差し出すのは、彼女のルームメイトである百鬼紫苑だ。彼は黒のタンクトップに黒のハーフパンツのジャージというシンプルな出で立ちだ。しかしその肉体は肉食獣のように鍛え上げられているおかげか、実際よりも一回り二回りほどは大きく見える。
差し出されたそれを「ありがとうございます」と礼を言って受け取り、中身を凡そ1/3ほど一気に飲み干した。
「それにしてももう吐かずに二十キロ完走か。あと一週間くらいはかかると思ってたが」
「百鬼さんに……気を遣わせるわけにもいきませんので……」
息も絶え絶えで彼女は言う。
──そもそも何故彼らが一緒に二十キロもの長距離を一緒に走る事になったのか。それは彼らがルームメイトになった翌日、早朝からトレーニングに出掛けようとした彼を栞が呼び止め、良かったら自分もやらせて欲しいという形で始まった。
初日は半分も行かないところで倒れた。そこで二日目からは彼女のペースに合わせ速度を落としていたのだが、迷惑はかけられないから先に行ってくれと言われ、そのまま走り続けたらいつまで経っても来なかったので道を戻っていった時に道の端で踞っている栞を発見。
そこから三日目、四日目と徐々に走った距離を伸ばし、時間を縮め、そして一週間目にしてついに紫苑とほぼ変わらないペースで完走したのだった(完走自体は一昨日からできていたのだが、着いた途端に胃液を吐いていた。これでは完走とは彼女自身は言いがたかったものである)。
「俺がこれをこなすのに二年近くかかったのに、比べれば随分早いさ」
「それ何歳くらいの話です?」
「確か……七歳くらいだな。これぐらい走れるようになったのは」
「それ、百鬼さんの方がおかしいですよ」
フルマラソンのおおよそ1/2を走れる七歳児が居てたまるか。
「そういえばなんで俺の日課に付き合うなんて言ったんだ? お前は魔術に重きを置く伐刀者だろう。こんなことするより、魔術の訓練をした方が伸び代はあるだろうに……」
自身の伐刀者の能力が攻撃性を持たない上に魔術にも録に頼れない紫苑は、全伐刀者の中でも五指に入るほど武術に片寄った者だが、栞はとてもそうとは思えない。なにせ彼女からは武芸者特有の雰囲気を感じないから。能力も知らないため断定はできないが、現在の伐刀者に共通した、魔術に特化した訓練を行ってきた騎士だろう。
そんな彼女が自分の日課をこなしても、実力の伸びはあまりないと思うのだが……、
「一概にそうとは言えませんよ。黒鉄さんや百鬼さんのようなクロスレンジ特化の騎士と戦うときは、どうしたって体力勝負になってしまいますし。それに体力というのはないよりもあったほうがいいでしょう?」
まぁ一輝や紫苑は伐刀者というよりは剣客と言った方がいいだろうが。一輝に至っては魔力を用いた伐刀絶技がひとつしかないのだから尚更である。
「まぁ、それは確かに……」
「それはそれとしてひとつ聞きたいことがあったんですけど、いいですか?」
「あぁ。なんだ?」
「百鬼さんの服って……何着くらいあるんです?」
前述の通り、紫苑と栞が一緒の部屋で生活し始めてかれこれ一週間くらいが経つが、栞が見た紫苑は制服姿と今のような格好だけだ。お洒落もへったくれもない……どころか、普通に生活していくのすら困るほどの服のレパートリーの少なさ。
流石にこれだけではないだろうとは思うが……。
「制服だろ。それに今着ている服に同じようなのがあとワンセット……あと冬用の……って感じだが」
「それだけですか!? 外出用の服は?」
「これで済ませてるが……」
「…………なるほど」
嘘だろう、という気持ちが隠しきれない。今までどうやって生活してきたんだ。今まで同居していたという西京寧々は一体何をやっていたんだ。あまりにも問題がありすぎる。
いくらお洒落に疎いものでも、もう少し服くらい持っているだろう。彼の強さへの渇望のほんの一パーセントほどでも、世間一般的な常識に合わせようという意識に向けてくれないだろうか。
(これはいけません……!)
私の目の黒いうちはそんなことは許しはしない。新宮寺理事長にも一般教養というものを教えてやってくれ、と頼まれているし、なおかつ……、
(こんなにも磨けば光りそうなのに……勿体ないです)
百鬼紫苑当人は意識したことがないだろうが、彼はかなり顔が良い。一輝のようなどこか可愛げがあるわけでもないが、凛々しく、それでいてどこか儚げなその魅力に惹かれる者も多いことだろう。それを純日本人離れした白髪に赤と黒のオッドアイという容貌が拍車をかけている。
しかし洒落気ゼロの今のままでは宝の持ち腐れだ。
だが……如何にして彼にお洒落に興味を持って貰う、とまではいかなくても、最低限意識して貰えるだろうか。
彼はひどく、それはもう本当にひどく常識に疎いだけで、それが必要なことだと理解すれば、それを実行するだろう。
しかしそれでは意味がない。それではただの思考停止だ。可能ならば自分でこうした方がいいのではないか、と考えられるようになって欲しい。
さて、どうしたものか……。
──そこで栞の中の豆電球が光った。
「百鬼さんは七星剣舞祭で優勝を目指していらっしゃいますよね」
「……? あぁ、それがどうした?」
七星剣舞祭。
それはここ、破軍学園を含めた伐刀者を育成する機関──騎士学校。日本に七つある騎士学校の生徒の中から日本一の騎士を決めようという、国家の祭典だ。そこで優勝することができれば《七星剣王》の称号を獲得でき、その栄誉はその後の人生を大きく左右するだろう。
多数の学園が能力水準(一般的には伐刀者のランク付けがそれに相当する)で出場選手を選定しているのだが、破軍学園と関西にある武曲学園では学内予選を勝ち残った者が出場権を獲得する、選抜戦方式をとっている。
「七星剣舞祭で優勝すれば……というよりは、出場したら、ですかね。百鬼さんは当然話題に上ることでしょう。史上初のFランク騎士の出場ですから。そうなれば当然……それに嫉妬する輩も出てきます」
「……? つまり、どういうことだ?」
要点が掴めない、と首をかしげる紫苑。
それはそうだろう。彼にとってはなんの脈絡もない話をされたのだから当然だ。
「くだらない事であなたを叩く輩も出てくるという事です。まるで重箱の角をつつくような、本当にくだらない事で。そんなくだらない事で……あなたの剣技が侮辱されることもあるかもしれません」
「……!」
それに紫苑は明らかな反応を示す。
彼は自分が使用する剣術に対して並々ならぬこだわり……もはや執着とも言えるそれを持っている。少なくとも栞はそう感じた。
自分は剣術はすこしかじった程度で、あまり詳しくはないがそれでも彼が自分の剣技をとても大切に想っている事は彼の鍛練を見れば誰でも理解できることだろう。
「それは……」
「腹立たしいですよね? そこで先の話に繋がるわけですが、つまりはそんなやっかみが反応してくるものをひとつひとつ潰していこう、という話なんですよ」
「それで服か」
「はい。服に多少の気を使うだけで第一印象はかなり良くなりますからね。それで私生活が乱れている、なんてやっかみは消えるでしょう」
「なるほど……一理ある」
ある種の有名税のようなものかと納得する。
自分が剣の道を歩み始めかれこれ十一年。その年月をずっと研鑽に費やしてきたからわからなかったが、そういうただ強いだけでは認めてくれない人々がいるというのは盲点だった。
「しかし俺はそういうのはさっぱりだぞ」
知っていればこんなことにはなっていない。
「そこはお任せください。これでも年頃の乙女ですので。服選びはお手伝いしますよ。……まぁ、その代わりと言ってはなんですが……」
「……? どうした?」
「私もお付き合いして欲しいところがありまして、ピザ屋なんですけど」
「ピザ屋?」
「はい。近くのショッピングモールにあるところで、父にそこの割引券を貰ったんですけど……下調べをしてみたらそれが結構量が多くてですね……」
「なるほど。食べるのを手伝えば良いのか」
これまでの生活でわかったことのひとつではあるのだが、栞は紫苑に比べて食べる量がかなり少ない。
これは紫苑が自身の身長のわりに(おおよそ百六十センチ半ばほどである。男性の平均身長より少し低めくらいか)大食漢であるからで、それは並の食事量では現在のウェイトを維持できないからであるのだが……閑話休題。
それに対し栞の食事量は女子の平均を出ない。そんな彼女がピザなどというカロリーも量も多い料理を持て余すのは至極当然と言えた。
「えぇ。お願いできますか?」
「あぁ。それぐらいなら」
なにせ食事を一緒にとるくらいだ。した手間でもないし、自分の服を選ぶのにわざわざ付き合ってくれるのだ。それぐらいお安いご用である。
「それで、それってどこにあるんだ?」
「えーっと……ここですね」
彼女がスマートフォン代わりにもなる破軍学園の生徒手帳で示すのは、学園のほど近くにあるショッピングモールだ。交通の便も良く、すぐ近くには駅もある。
これならば休日である今日は大変賑わっていることだろう。
「今から行きますか? ふたりともシャワーを浴びていく必要はありますけど」
「そうだな……現地集合にしないか? 俺はもう少し鍛練していきたい」
「わかりました。そっちの方が雰囲気出ますしね」
「雰囲気?」
「なんか……デートっぽくないですか?」
にこり、と微笑む栞に紫苑の心臓は跳ねる。何故ここまで顕著な反応になってしまったのかは本人にもわからないが……。
「……付き合ってもないのにデートって言って良いものなのか?」
「デートの定義って男女ふたりが一緒に出掛けることらしいですよ。それに従えば立派なデートです。とまぁ、冗談はさておき。私は適当な場所で時間を潰しておきますので、着いたら連絡ください」
「あぁ、わかった」
そんなこんなでデートと言って良いのかわからないふたりの一日が始まった。
「お買い上げありがとうございました。またのご来店をお待ちしております!」
店員の声に見送られて紫苑と栞は服屋を出た。
「これで多少は並んでマシになったかね」
現在彼が着ているのはロング丈の白のTシャツに黒のニット、デニムパンツ。紫苑の身体にフィットするような形になっているので、さりげなく男らしいパーツのアピールができている……らしい。紫苑にはさっぱりわからないが。
これらの服は先ほどの店で購入してきたものだ。これらを買う前は破軍学園の制服を着ていたのだから、それに比べればかなり周囲から浮かなくなっただろう。
「えぇ。ちゃんと似合ってますよ」
そう言う栞はストライプのTシャツにデニムジャケット、濃緑のロングスカートという出で立ち。それらの服が栞の大人びた雰囲気をさらに引き立てている。
「少し早いですけど昼食にしますか?」
時間を見れば時刻は午前十一時。昼飯時と言うには少し早いが、あと少し経てばどこの店も客で一杯になるだろうという時間だ。
「そうだな。もう少し経てば混んでくるだろうし」
「じゃあさっさと行きましょうか。こっちです」
言われ、ついていった先には食欲をそそる匂いが漂ってきた。
かなり盛況ぶりで、前述のように昼食時とは少し早いのに列ができているほどだ。
「……こういう店って近くに食べる場所があるもんじゃないのか?」
「ここって持ち帰りだけなんですよね。百鬼さんは近くのベンチを確保してきてくれませんか?」
「俺が並んで来ようか? ピザ、大きいんだろう?」
「百鬼さんこういうの慣れてないでしょう?」
確かに彼はこういった外食の経験が少ない。しかもこういった店は一際不馴れであり、どんな事をしでかすかもわからない。
ここは大人しく栞に任せよう。
「わかった。場所はまた連絡する」
「えぇ。何が良いとかありますか?」
「こういうのは良くわからんからな。……肉が多いやつで」
「ふふっ、男の子ですね。了解しました。少し待っててくださいね」
列に並ぶ栞を見送ったところで、紫苑はどこか座れる場所を探す。幸いなことにふたりが丁度かけられるようなベンチが空いていたので、そこに座り、栞に連絡する。そこで「ふぅ……」と溜め息をついた。
今日はあまりに不馴れな事ばかりをしたせいか、ひどく疲れた。体力面では余裕なのだが、精神的なそれがまるで重りのようにのし掛かる。
それは栞と店員があれもこれもと次々と服を選んで、着せてきてというまるで着せかえ人形のような扱いを受けたからなのだが……わざわざ自分のために付き合ってくれたのだ、それぐらいは甘んじて受けた。
栞が帰ってくる間は少しゆっくりしようと目を閉じる。
「ねぇ、そこのお兄さん」
近くで声がする。しかし自分ではない誰かに向かって言っているのだろう。気にすることはないと無視を決め込み、さらに背もたれに身を預ける。
「ねぇ、無視しないでくださいよ。白髪のお兄さん」
「…………あ?」
そこまで言われて目を開ける。するとそこには一人の女性が立っていた。世間一般で言われるような美貌の持ち主であろうことは間違いないのだが……栞を見て感覚が麻痺しているのだろう。紫苑の心にあまり響くことはなかった。
「……何か用ですか」
「いえ。ひとりなのかなーと思いまして。良かったら私とお茶なんてどうですか?」
「いや。人を待ってるので」
──それは世間一般でいうナンパと呼ばれるものだった。しかし紫苑からすれば人が疲れている時に突然話しかけてきた初対面の人間であり、有り体に言ってしまえば『なんだこいつ』といった感想だった。
「そんなに邪険にしないでくださいよー。いいじゃないですか、ちょっとくらい……駄目ですか?」
──そんな状況を栞は遠目で見て「あぁ……」とすぐに状況を察した。というのも、予想ができないことではなかったためである。
紫苑本人は全く自覚がないが、彼は容姿には恵まれた方である。一流のアイドルやモデルなどと比べれば劣ってしまうが、それでも鍛え上げられた肉体と合間って魅力的に映るのは事実。今までは壊滅的なファッションがそういった輩を退けていたが、それが栞のコーディネートのよって一新された今、あぁいった積極的な女性から彼を守るものは何一つとしてない。
それに彼は今回のような状況に巻き込まれたことがないため、対処法も全くわからない。ほとほと困り果てた彼は周囲に視線を向けるが、自分には気づいていないようだ。
(これはなんとかしなければいけませんね)
多少席を探す手間が増えたとしてもやっぱり一緒に並ぶべきだったか、と後悔しても後の祭り。
さっさと紫苑にねちっこく絡む女を追い払ってしまおう。
「──紫苑さん、どうしました?」
女が振り返り、紫苑が助かったと安堵した表情を見せたが、困惑も見せた。おそらくは普段と呼び方が違うことだろうが、突っ込まれれば面倒なことになってしまう。
ここは私に任せてください、とアイサインを送る。
「すみません、何かご用ですか?」
「いえ……その……失礼しました」
思ったよりあっさりと女は引き下がって、去っていく。
それを見送って、栞はふぅ……と小さく溜め息をついた。
「災難でしたね、百鬼さん」
「よくわからなかったが助かった。ありがとな。それよりピザは?」
「焼き上げるから少し待っていて欲しいと。できたらこのアラームが鳴るので、今度は一緒に取りに行きましょうか。あんな手合いに絡まれるのも面倒ですし」
「本当にな。俺はあの人の顔に見覚えはなかったが、どっかで知り合ってたのか……?」
やはり自覚はなかったのか。
「百鬼さんはナンパされてたんですよ」
「ナンパ……? ナンパってあのナンパ?」
「百鬼さんがどのナンパを思い浮かべているかはわかりませんが、一般的には男性が見知らぬ女性を口説くナンパですね」
「…………あの人も見る目がないな。俺より良い男なんてそこら中にいるだろうに」
「そんなことはないでしょうけど……でも、今後ああいう事があったら『彼女がいる』とかはっきり言った方がいいですよ。少なくとも私と出掛けているときくらいは」
「……付き合ってないぞ?」
「嘘も方便、ですよ。実際に付き合っているかどうかはさしたる問題ではありません。彼氏彼女に第三者から見えれば、それでいいんですよ」
「そういうものか」
「はい、そういうものです。さて、今度は一緒に取りに行きましょうか。またあんな輩に絡まれれば面倒ですから」
「あぁ」
──その後は多少雑談をしながら、ふたり並んで昼食を済ませた。
「ふぅ、ごちそうさまでした。予想以上に旨かったな」
「本当に。こんなショッピングモールのテナントじゃなくて、ちゃんとした店があっても不思議じゃないくらいでした。……ただ百鬼さんが頼んだのは私にはちょっとくどかったですけど」
紫苑が食べたのは照り焼きチキンピザだったのだが、その肉とマヨネーズなどの具材がてんこ盛りで、栞は一切れ貰っただけで満足してしまった。
自分は比較的野菜が多めの物を頼んでいて助かった。ただそれでも量が多くて、三割ほど紫苑に手伝って貰ったのだが。
「なぁ、本当に奢りで良かったのか?」
「はい。割引券のお陰で財布のダメージも最低限で済みましたし。その代わり、また一緒に出掛けたときは何か奢ってください」
「あぁ。それぐらいなら」
何気なく次も一緒に出掛ける約束をしてしまったが、彼女と出掛けるのなら楽しそうだ。どこか彼女には不思議と気を許してしまえるような、そんな独特な雰囲気を纏っていたから。
「さて、これからどうする?」
「帰るのは勿体ないですよね。何か良いところありましたかね……?」
栞と喋りながらふと、視線を向けた先。そこを歩いていったふたり組の男に紫苑の目が縫い付けられる。
「……? どうしました?」
「いや、あのふたり組。歩き方がおかしくないか?」
顎でしゃくられ、栞もそちらを見る。
そのふたり組は一見すればただの旅行客のように見えた。一般人が見ればその印象は変わることはなかっただろう。しかし紫苑と栞は確かな違和感を感じ取った。
そのふたりはリュックサックを背負っていた。それだけならば前述にように旅行客か、あるいは登山帰りなのではないかと思っただろう。
しかし問題はその男達の歩き方だ。リュックサックのサイズとそこに収納されているだろう荷物を鑑みれば、身体の各所にかかっている負荷があまりにも大きい。
栞が小さく溜め息をついた。
「……食後の運動にしては些かハードなことになるかもしれませんね」
「確かに。……
栞は頷き、彼らははその男達の後に続いた。
無論、ただの憶測。万が一の予防線を這ったに過ぎない。
何、自分達の憶測が外れれば杞憂だったと笑って、改めて休日を謳歌すれば良い。
──やがてそのふたりは男子トイレに入っていった。そこで紫苑は栞に見張りを任せ、中へと入っていく。
入ってすぐに聞こえたのはガチャガチャという──金属が擦れるような音。杞憂では済んでくれなかったらしいと、彼は心の中で溜め息をつく。
『ははっ、テンションあがんなぁ、おい。早くコイツをぶっぱなしてぇよ』
『あんま勝手なこと済んじゃねぇぞ。客は人質にするって言われてんだろ?』
『わかってるっつの。ただ抵抗されたらこっちだってそれなりの手段をとらなきゃなんねぇだろ? ひひひっ』
下衆な欲望が孕んだ言葉を交えながら、戦闘用の装備を纏って男達はトイレの個室のドアを開けた。
──だが、少なくとも彼らの悪意が民間人に届くことはない。
百鬼紫苑が戦闘態勢をとって待機している。その時点で男達の運命は決まっている。
紫苑が放つ神速の太刀が男達の意識を刹那のうちに刈り取った。
悲鳴など上がるはずもない。彼らから見れば自分達が個室の外に出たら一人の男がいた。ただそれだけが見えただけだっただろう。
首を仮初めの刃で断たれた男達は、なんの支えもなく床に倒れこんだ。
「済みましたか?」
「あぁ。《幻想形態》で斬ったから気絶してるだけだが」
《幻想形態》──伐刀者の《霊装》の形態のひとつで、それによって攻撃を受けた場合、傷を負う代わりに体力や精神力と言ったものを削る事が可能である。
「《
「わかるんですか?」
「あぁ。前に駆り出されたときに全く同じ装備を見た。となると目的は金か。しかし敵の規模が掴めないことにはどうにも……手間だが叩き起こすか」
「いえ。それは必要ありません。百鬼さんは新宮寺理事長に連絡を頼めますか?」
彼女から差し出された電子生徒手帳はすでに新宮寺へのコールがなされていた。電子機器全般の扱いが苦手だと、この一週間でわかっていたが故の気遣いだろう。
幸いなことに電話はすぐに繋がった。
『百鬼か? 西園寺はどうした?』
「西園寺が少し立て込んでいるので俺が代わりに状況の説明を。……近所のショッピングモールで《解放軍》と出会しました」
『なんだと? 敵の規模は──』
「敵の総数は二十六名。《信奉者》二十四名に全体の指揮をとる《使徒》が一名。能力は《罪と罰》。左手で受け止めた攻撃を《罪》として吸収し、それを《罰》として右手から放出する《反射》の亜種ですね。それとは別口の傭兵、連盟基準でのB~A級相当が一名いますが能力は不明。目的は百鬼さんの推察通り金品と身代金の要求で、人質をモール内のフードコートに集めるようです」
「──だ、そうだ」
『……流石だな』
「これから俺達は事態の鎮圧に動きます。なので」
『あぁ。『百鬼紫苑』と『西園寺栞』の学園外での《霊装》の使用を許可する。諸々の連絡は私に任せておけ。……わかっているとは思うが一番優先すべきなのは民間人だ。あまり無茶はするなよ』
頷き、紫苑は電話を切ってそれを栞に渡す。
「さて、そうは言ったもののどうするか。客を人質として扱うなら当面の安全は保証されるだろうが、問題はB、Aランク相当の傭兵だな。人質を守りながらそいつと戦うのは手間だぞ」
「……百鬼さん。その敵の居場所さえ掴めれば、人質側の敵を制圧している間足止めしておくことはできそうですか?」
「能力の相性差如何によるが……寧々や南郷先生クラスなら倒せはせずとも、最低足止めくらいはできるだろうな」
「比較対象のスケールが大きすぎますが……頼もしいですね」
片や環太平洋圏最強と言われる《重力使い》に、第二次世界大戦で最も苛烈だった戦場を無傷で乗りきり、日本人で唯一中国で開かれる《闘神リーグ》の優勝者。
これ以上に頼もしい言葉はない。
「だが、それも居場所がわかればの話だ。俺にそんな芸当はできないぞ」
「えぇ。しかし私にはできます。少し待っててくださいね」
栞が目を閉じる。
そしてそのまま彼女の魔力が、僅かに放出され、そして……。
「──見つけました」
と、そう言った。
「本当か?」
「えぇ。それらしき魔力の持ち主を見つけました。このショッピングモールの3階のカフェテリアにいますね。今は動いてないですからティータイム中なんでしょうか」
「そこまでわかるのか……?」
「はい。私の魔力制御技術はAランク相当ですので。そのなかでもこういった索敵は得意ですから」
その代わり真正面からの戦闘技術は百鬼さんに十数段は劣りますけど、と彼女は苦笑して、
「私は一足先にフードコートに向かって、タイミングを見計らい、人質の救出及びフードコート内の敵の制圧を行います」
「それで俺は奴らが雇った傭兵の足止め、可能なら撃破だな」
ふたりは頷き合って、
「あまり無茶はしないでくださいね」
「あぁ。お前も」
トイレ前で別れ、それぞれ目的地に向かった。
「──♪」
無人のショッピングモール内を一人の男がいた。
顔は平々凡々。くすんだ金髪に中肉中背の身体。すれ違ったとしても、数秒後にはなんの気にも留めなくなるようなそんな男が鼻唄を歌いながら、歩いている。
「あぁ、気乗りしねぇなぁ」
その男──カイン・オズボーンこそが此度のショッピングモール襲撃に雇われた男だった。
「なんで俺が小遣い稼ぎなんかに付き合わなきゃいけねぇんだよ、かったりぃ」
こんな退屈な仕事だとは思わなかった。もっと大暴れできるかと思ったのに。しかしこんなつまらない仕事を引き受けるくらいには、オズボーンは金欠だった。
「やっぱギャンブルでスッたのが駄目だったなぁ。いやいや、でもギャンブルで稼いだ金で女を抱くときはさいっこうに気持ちいいからなぁ……」
昔ながらの性分はどうしようもならないと、彼はタバコを吹かし、床にタバコを捨てようとしたとき──タバコの火が突如として消えた。
ただ、それだけだった。それだけであったのに彼が咄嗟に首を自身の魔力で守ったことは称賛に値するだろう。事実、守っていなければ死んでいただろうから。
「……チッ。仕留め損ねたか」
「──ッッ! 誰だ!!」
その刺客は自分の上、四階の廊下から跳躍してきた。
異常なまでに白く染まった髪に、不気味な血色と闇色のオッドアイ。洋服は民間人と同じだが、その右手には闇色の鞘に収められた一振の日本刀。
そして何より、その全身から薫るのはひどい悪臭。それを嗅ぐだけでオズボーンの全身は震え出す。その原因は……恐怖だ。
自らの戦場で鍛え上げられてきた、第六感が自分に告げている。
──オマエ タタカエバ シヌゾ と。
(何を馬鹿な!)
よくあの下手人を見ろ、カイン・オズボーン。
齢は二十歳にもなっていないだろうガキ、それも自分が感じ取れる魔力はほとんどない。それこそ自分が能力を使いきった後の残りカスとそう変わらないほどの少ない魔力だ。
あんな敵が脅威足り得るはずがない。そうだ、今のはたまたま不意打ちをとられたから、自分が過敏になっているだけなんだ。
そう自分に言い聞かせる。
その間に
「《瀧華一刀流繚乱勢法》──百鬼紫苑。推して参る」
一人の鬼が、眼前敵を必ず斬るという必殺の宣誓を行った。