国立暁学園設立、及び本校による破軍学園襲撃事件からおよそ1週間が経過した。
此度の動乱によって世論は、これまで通り日本は《連盟》の庇護下にあるべきか、反対に国家として真の意味で独立すべきか、真っ二つに割れていた。
が、ここでは大して追求することはしない。そのような裏賭博じみた謀略は、これから始まる祭典においては無用のものであるからだ。
学生騎士同士の研鑽と信念のぶつかり合い。
──《七星剣舞祭》開幕が、目前に迫っていた。
「「「あ」」」
《七星剣舞祭》開催の地である大阪・湾岸ドーム近くの高級ホテルの一室。
そこから出てきた男女三人──《無冠の剣王》黒鉄一輝、その妹である《深海の魔女》黒鉄珠雫。そして彼らの共通の友人である有栖院凪の声が重なった。
その視線の先にいたのは、久方ぶりに顔を見る彼らの知人。
「……おう。久しぶり、でいいのか?」
珠雫のような銀髪とは比べ物にならないほどくすんだ、骨のような白髪。
ただそれは彼らの記憶の中にあるものよりも切り揃えられ、整えられている。おかげで彼の血の色をした赤と、日本人特有の黒瞳とよく目が合う。
それを引き立てる藍色の、袴に似た和装。
和装と羽織の胸元には、日本という国家の象徴である『日の丸』があり、地平線から昇りつつあるそれは彼らの学園の名たる『暁』をこれ以上ないほどに表現していた。
「久しぶり、百鬼くん……随分と様変わりしたね、色々と」
「あぁ。……メディアに露出するのだから、ちゃんと身なりは整えろと栞に説教されてな。髪もアイツに整えてもらったんだ」
「あら、西園寺……あぁ、もう『西園寺』じゃなかったんだったわ。栞さんにやってもらったの?」
「散髪屋に行くのに抵抗があってな。……刃物を持った人間に身を委ねる、ということがどうしても好かない」
彼らも仕事でそれをやっていて、それに対し一定の矜持を持ってやっているということは彼──百鬼紫苑も理解している。
仮に彼らが自身を害そうとしたならば、即座に制圧に移ることができる確信もある。だが、自分の気持ちはどうしようもできない。
「その点、栞なら安心できる。腕も確かだったしな。あとはアイツがやってくれた髪型を、俺が再現できているかどうかなんだが……変じゃないよな?」
「えぇ。よく似合ってるわ。前から勿体ないと思ってたのよねぇ。貴方、磨けば光りそうな原石だったのだもの。貴方が許してくれるなら、あたしがやりたかったのだけど……」
「勘弁してくれ。そういう事は栞だけで間に合っている」
有栖院の言葉に肩を竦める紫苑。
栞にやってもらった最低限のお洒落でさえ、紫苑は窮屈で仕方がなかったのだ。有栖院も腕は確かだと信じられるが、これ以上の拘束は勘弁願いたい。
「それよりも有栖院に相談があるんだが」
「あら、何かしら」
「今からでも『暁』に戻ってくるつもりはないか?」
──空気が凍るというのは、おそらくこういう事を言うのだろう。
これまで紛いなりにも和やかに、歓談しながら目的地を目指していた筈の彼らの間に流れる空気が剣呑なものになる。
正確に言うのであれば珠雫の雰囲気が、であるが。
「へぇ……」
沈黙。その張り詰めた空気を破ったのは、珠雫であった。
「……正直な事を申しますと、貴方のことは尊敬していたんですよ。お兄様とアリスの次に、私が見習うべき方だと。にも関わらず、テロリストの犬に成り下がったと思いきや、あろうことか私の姉に、再び『あんな場所に戻れ』と?
百鬼さん、これ以上口を開くのなら……」
相応の覚悟はしてもらうと、怒気を膨れ上がらせた珠雫。
辛うじて霊装を抜かない理性は残っているが、それだけだ。再び紫苑が迂闊な言動をすれば、何一つ躊躇わず彼女は異能を行使するだろう。
だがそこに待ったをかけたのは、
「待った、珠雫」「落ち着きなさい、珠雫」
兄である一輝、そして当の有栖院であった。
並外れた観察眼を持つ一輝、そして人よりも多く人の悪意に触れ合ってきた……触れ合わざるを得なかった有栖院は、理解していたのだ。
紫苑の言う『暁学園に戻るつもりはないか』という言葉には、それ以上の意図は欠片も含まれてはいない事を。
「早合点も良いところよ。貴方のその優しさは美徳だけれど、もう少し話を聞いてあげても良いんじゃないかしら」
「そうだね。そもそも僕達は何故百鬼くんが『暁学園』の代表になったのか。その経緯も知らないんだ。……その辺りも、説明してくれるんだよね?」
言外に『説明しろ』と問いただす一輝に、紫苑は彼らしくもなく曖昧な返事を……否、返事未満の吐息を漏らした。
「あぁ……。それは勿論説明するが……日を改めて良いか? 総理や栞と相談してくる」
「何をですか」
「お前達に『どこまで』話していいか」
「…………」
「俺としても破軍を裏切った手前、多少の負い目はある。だからお前達が求めるなら、相応の対応は勿論する。するが……今の俺は内閣総理大臣・月影獏牙の傘下だ」
自分達の《七星剣舞祭》への参加権をもぎ取るため、あれほど乱暴な手段に頼ったが、彼は日本の内閣総理大臣。
となればその言動に相応の責任がつきまとうのが道理というもので、それは自分達も同じ事。
民衆からの支持を受け、国家元首となった彼の部下として振る舞わなければならない都合、今の自分は友情だの義理だのを優先して動ける立場にないのだと、紫苑は言う。
「話せないものはどうしても話せない。栞や総理には彼らの都合や思惑があるからな。だが話していい、と言われた事は包み隠さず話そう。この剣と……薫姉に誓って、約束する」
「……わかった。信じるよ」
薫姉──彼の敬愛する幼馴染にして、自身の原点たる瀧華薫の名前をわざわざ出してまで約束したのだ。これ以上の誠意はないだろう。
緊張が緩みかけた空気、そこに渇を入れるべく珠雫は再度口を開く。
「では改めて。何故、アリスに戻ってこないか? などと伺ったのですか?」
「あぁ……元はそういう話だったな。決まっている──」
「今の『暁』には連中の行動を窘める奴が不足してるんだ……」
彼の声色が変わった。
平坦なものから、切実さ、あるいは悲嘆が滲むようなものへ。
「先に俺達の行動は総理の評価にも関わってくる、という話をしただろう。その辺りを分かっていない連中が多すぎるんだよ。特に酷いのは王馬だ。所構わず栞に喧嘩をふっかけやがる。
割って入ったり、闇討ちでも仕掛けまいか見張る方の身にもなってほしい。なまじ他の連中と比べて強さが突き抜けているから、周りに被害がいかないか気を配るのが面倒くさいんだ……。なぁ、一輝、珠雫。アレ、お前達の兄貴だろ。どうにかしてくれよ……」
訂正、本当に切実だった。全く以て彼らしさの欠片もない、じめじめとした不満たらたらの言葉の奔流だった。
どこか彼の顔には疲労が残っている。さぞ大変だったのだろうな、と話を聞くだけでこちらにも疲れが伝播してきそうだ。
これには珠雫も殺気が霧散した。
兄達が言う通り、彼は有栖院に《解放軍》の暗殺者に戻れなどと言っているわけではない。よくよく考えてみれば、その辺りの事情を彼が知っているかどうかも怪しい。
というか一番迷惑をかけている輩が《解放軍》のテロリストではなく──その一派に身を落としたのやもしれないが──身内である、黒鉄王馬であるというのがいただけなかった。
《風の剣帝》黒鉄王馬。
公式に記録されている中では、日本で唯一のAランク学生騎士にして黒鉄家の長男。
生粋の求道者たる彼は、己が更に強くなること以外の全てを些事と捉え、我が道を往く暴れ馬だ。
彼をよく知る黒鉄兄妹からしてみれば、そんな彼が今回の『暁』を巡る騒動に荷担している事すら不思議で仕方ないのだが……、
「………………。ごめん、無理かな。あの人の頑固さは僕よりも融通が効かないし……」
「……その、身内がご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません…………」
そんな彼だからこそ、今さら身内程度が諌めたところで止まるはずもなく。故にその直接の被害をおそらく二番目に被っているだろう紫苑に対しては、頭を下げるしかなかった。
そして有栖院はといえば、
「ごめんなさい。あたし、連絡役である平賀玲泉と王馬さん以外の『暁』のメンバーは知らないのよね。それに……あたしはもう、この子を裏切れないの」
「アリス……」
珠雫の肩に手を置き、彼女に微笑みかける有栖院。
そんな彼の顔を見てしまえば、紫苑も無理強いは出来ず「……なら仕方ないな」と引き下がった。
「……というか、そこ二人以外と面識無かったのか」
「えぇ。……今思えば、栞さんはあたしが『暁』を裏切ると、早々にわかっていたからでしょうけど。…………そんなにひどいの?」
「…………。俺が『目付役』なんてやってる時点で察してほしい」
ふっと紫苑が目を逸らした。
──百鬼紫苑という男は、破軍学園において目立ってはいたが、断じて素行の悪い生徒というわけではなかった。しかし決してよくもなかった。
何より《瀧華一刀流繚乱勢法》という刃に半生を捧げ、鍛え続けてきた結果、世間一般的な常識が備わっているとは言い難い。
加えて自らの剣術、そして瀧華薫への罵詈雑言に対しては我慢が利かず、王馬との一触即発寸前まで言ったことからもそれは明らか。
そんな彼が栞と並んで『暁学園』の『目付役』として抜擢されることが、暁学園の異常さを表していると言って良かった。
……それは月影親子の協議が行われた結果『彼は薫氏に対する侮辱がなければ、他のメンバーと比較して遥かにまともで、なおかつこちらの意図を汲み取ってくれる』として目付役となったのだが、それは彼の知る由もない事だ。
「向いてないんだよ……俺は見張られる側だろう……」
「それを自分で言えてる時点で、お目付け役に選ばれたのは必然だったと思うけど。……それで件のさいおん……月影さんは? 相談したの?」
「勿論した。『一緒に頑張りましょうね?』と言われた。あとついでに『私はこれに加えて突発的に発生したアクシデント対応、前夜祭の計画と、謀反者の処理もやってましたから。出来ますよ』……だそうだ」
あれは『絶対に道連れにしてやる』という眼だった、と語る紫苑。
──これが暁学園の最高戦力のうちの一人の姿だろうか。
哀れなことこの上ない。一輝は所属したことがないからわからないが、ドラマなどでたまに見る中間管理職のような悲痛さを感じさせる。
自分達を裏切ったことに関して一言二言くらい文句を言ってやりたかったが、これほど哀愁を漂わせているとそんな言葉も喉から出ない。
有栖院は栞の仕事を増やしてしまった張本人であったため、哀れみよりも申し訳なさが勝ってしまったが。断じて後悔はしていないけれど。
「……今日は平和に終わるだろう。来るのは凛奈とコルデーくらいだった気が……サラも来るんだったか? その辺りなら……他の連中に任せていいか」
「ちょっと、お目付け役」
「その辺りは『まだ』マトモ寄り……というか、霊装を抜かなければその辺りの女と変わらんから良いんだよ。一輝は…………絡まれるかもしれないが」
「ちょっと!?」
紫苑の口から漏れた言葉に、一輝は思わず声を荒げてしまう。百鬼紫苑をここまで追い込んだ──あくまでも精神的にだが──者を相手取る可能性があると言われれば冷静ではいられない。
「珠雫や有栖院がいればどうにかなるだろ……じゃあ俺は飯食ってくるから」
「百鬼くん!?」
頑張れ、本当にまずそうな時は割って入ってやるからと紫苑は一輝の側から離れる。
彼の周りにいたらどんな騒動に巻き込まれるか分かったものではないと、ここ1週間ほどの疲労を抜くべく数少ない休暇を満喫しようとするのだった。
「……疲れた」
「私もです。……あれで百鬼さん曰く『マトモ』なんですから、他のメンバーが今から恐ろしいですよ」
はぁ、と大きく溜息を吐く一輝と珠雫。
ちなみにここに有栖院はいない。彼は彼でマスメディア関係者のために開かれたパーティへの出席の約束があったため、紫苑と別れて程なく別行動をとった。
「風祭財閥のご令嬢に、あろうことかお兄様へヌードモデルを迫った変態擬きの画家ですか……」
「珠雫、言い方。でも……そうだね。いかにもテロリストでございって雰囲気はしなかった」
一輝の顔や身体を見るなり『私の作品のヌードモデルに相応しい』と断言し、服を脱がそうとしてきた画家。
暁学園の制服を魔改造した衣服を纏う女性──サラ・ブラッドリリー。
対して彼に向かって『私のものになる気はないか?』と職業斡旋をしてきた、風祭財閥の令嬢──風祭凛奈にその従者たるシャルロット・コルデー。
シャルロットを除いて距離の詰め方にパーソナルスペースを感じさせなかったが、それでも彼女らからは悪意というものを感じなかった。
彼女らはただ単に自分の思うがままに生き、思うがままに振る舞っているだけなのだと。
「それでも傍迷惑極まりなかったですけどね。でも……《解放軍》ってあんな方ばかりなのでしょうか。だとすれば人手不足も良いところ……」
「──んな腑抜け共と一緒にすんな。不愉快だ」
やや怒気を滲ませながら、兄妹の会話に割って入ったのは、顔をヴェネツィアンマスクで覆ったドレス姿の少女。
二人は最初、彼女が何者なのかわからなかったが……破軍学園新聞部部長・日下部加々美から提供された資料の中から特徴が合致する者を見つける。
「……多々良由衣さんかな」
それは真夏だというのに身体を防寒着で包んだ少女。極端に顔の露出を避けようとした彼女が、このような目立つ場所に出てくるとは思わなかったが。
「あァ、そうだ。ったく、どいつもこいつもテメェがカタギじゃねぇって自覚が足んねぇんだ。どんな神経してれば、顔も隠さず人前に出てこられんだ」
これまで出会ってきた《解放軍》の人間が有栖院含め、およそ自分の中にあった反社会勢力のそれとズレていたため、ここにてようやくまともな──という言い方は奇妙だが──殺し屋が登場したことに安堵する珠雫。
しかし自分が裏社会の人間だと認めてしまうのは構わないのだろうか。問いただせば、嘲笑混じりに返ってくる。
曰く国内に於いて日本政府の情報操作は完璧に近いと。
たとえ直接の被害者である破軍学園の生徒が騒ぎ立てようと、理事長である新宮寺が《連盟》本部に連絡を入れようと、そのような話はすべて与太話として片付けられるのだと。
尚且つ自国の首相がテロリストと通じている、などという話はあまりにも荒唐無稽。多少噂が広がろうとも、妄想好きの陰謀論というレッテルを貼られ話題はそれ以上広まらない。
「……お前達からすりゃあ歯痒い話だろうなァ? キキ……」
「…………」
「おぉ、おっかねぇ。だがなぁ、んな怖ぇ顔すんなよ、黒鉄妹。今日はオフなんだ。折角のパーティなんだから、お互い楽しもうや」
「……うん。それには異論ないよ、多々良さん。ただ……その袖に忍ばせた物で、僕の妹に一体何をする気だったのか……聞かせてもらいたいけどね」
「……ッ」
兄の剣呑な声色に目を丸くし、見上げれば彼は『敵』を見据える剣士の瞳で彼を睨みつけていた。
そんな彼に多々良も一瞬、表情が抜け落ちたものの彼女は大笑する。
「きははっ、マジか? どんな眼してりゃこれに気付く?」
言い、彼女が袖口から取り出したのは──カミソリの刃。
彼女の視線が大きな骨付きチキンに向かっていた事から、そこに刃を仕込んで珠雫に差し出すつもりだったのだろう。
「簡単なことだよ。君ほど『悪意』を振り撒く者が、何かしない訳が無い。そこからは連想ゲームさ。
正面から襲いかかるのは、これほどの集団の中で実行するには確実性に欠ける。なら飲食物に何かを仕込むのが丸い。
そして君の衣装で何か物を隠しておける且つ、目立たずに取り出せるなら袖か長手袋の内側。手袋の中に何かが入っている風には見えなかったから、袖に何か仕込んでるんじゃないか──カマかけだったけどね」
「ギギギ、なるほどなぁ。アタイはまんまと引っかかちまったわけだ。……話には聞いてたが、バケモノじみた観察眼だなァ、《無冠の剣王》」
「お褒めにあずかり光栄だよ。……今日はオフなんじゃなかったのかい?」
「あぁ、オフさ。オフだから、1人くらいぶっ殺しとこうと思ったんだよ」
自らの企み、それを実行する前に邪魔された事に多々良は大きな舌打ちをする。
「アタイは殺し屋だ。殺しのプロフェッショナルだ。ガキの頃からそうあり続けてきて、呼吸するみてぇに人をぶっ殺してきた。そんなアタイに『学園を襲え。でも誰も傷つけるな』だぁ? ナメた仕事寄越してきてんじゃねぇよ。欲求不満でイライラすんだろが……!!」
サメのような鋭い歯を大きく露出し、ゲラゲラと笑う多々良。その右手には凶悪な魔力が集まり、収束する。
彼女の歯に似た、乱杭歯が並ぶチェーンソー。それが顕現した。
『おい、こんなところでおっ始める気か!?』
『本気なの、あの子……!!』
場を弁えない蛮行に、会場にどよめきが伝播する。
対し一輝は珠雫を庇うように前に立つ。彼女は到底、話せば分かるなどという平和主義者の理論が通じるような人間ではないと理解しているからだ。
そしてそのような手合いを黙らせるためには、彼女が用いようとする手段と同じところまで降りていき、打倒するしかない。
吼えるチェーンソーを構え、目の前の獲物に襲いかかろうとした多々良。対して一輝もまた自身の魂を顕現させようと……。
「多々良」
──その声は、チェーンソーの轟音が轟く中でやけに鮮明に聞こえた。
特別怒鳴りつけているわけでもない。怒気を孕んでもいない、どこまでも平坦な静かなもの。
だというのに多々良は──多々良と一輝は動きを封じられた。
相手を否応なく従わせる、絶対的な重圧。側にいるだけでこのレセプションルームが狭くなったと感じさせる、圧倒的な存在感。
白髪の剣鬼。百鬼紫苑がそこにいた。
「百鬼ィ……!!」
多々良は紫苑を忌々しげに睨みつけるが、そんなものはどこ吹く風と皿に持った食事を箸で口に運ぶ。
どうにも緊張感に欠ける絵面だが、目の前の存在がそれを許してくれない。
「……多々良。念のため確認しておく。『七星剣舞祭出場者を開催前に蹴落とせ』と、月影総理はお前の命令したのか。それともお前の独断専行か。どちらだ」
「ッ……。ハッ、どうせ聞いてたんだろ。アタイの憂さ晴らしだ。それが何だってんだ。女に媚びて尻尾振るしか能がねぇ駄犬が、アタイをどうするって? えぇ?」
仮にも仲間であるというのに、侮蔑を隠さず紫苑を煽る多々良。事実、多々良に彼に対する仲間意識など欠片もなかった。
多々良にとって他の『暁学園』のメンバーはナイフやピストルといった、自分の受けた仕事に役立つ道具のようなもの。
利用できるうちは使い潰すが、使えなくなった道具はその辺りに放り捨てる。ならば今の紫苑は道具未満の存在だ。
使い手に反目する道具など有害でしかない。そして障害は力ずくで排除するのが多々良の流儀であれば。
──多々良由衣。
《解放軍》が誇る殺しの名家《黒い家》出身の兇手。
銃撃、爆撃、斬撃、魔術。あらゆる攻撃を跳ね返し、前進し続け、対象を殲滅する。故に彼女の異名を《不転》という。
そんな彼女は、紫苑が自身を制圧しようと仕向けた。
どれほど紫苑の剣術が並外れていようと、自分の持つ力の前では意味を成さないから。全て《反射》されるのが道理であるから。
そして現に紫苑は多々良を鎮圧しようと動こうとしている。
(テメェの大事な大事なその剣で、無様を晒せ!)
感情は熱く、思考は冷たく。生粋の殺人者である多々良は紫苑攻略の最適解を導き出した。
「……あぁ、あったあった」
──だからこそ今の自分の状況が分からなかった。
紫苑との距離が離れている。
自分の後ろにはレセプションルームの壁があり、足元には《反射》で作り出した足場があった。重力を《反射》させている時の、パンパンという音がやけに大きく聞こえてきた。
刹那遅れて、彼女は自分の身に起きたことを……否、自分が
『後退』したのだ。《不転》の名を持つ自分が。
目の前に出現した怪物を前に、自身が『生存』するための最適解──即ち『逃走』を、自身が自覚するよりも前に殺し屋としての本能が選択した。その結果が、紫苑と自分の間にある距離の正体だ。
その脅威とは一体何なのか。
多々良は目を凝らすような事をしなくとも、はっきりとその正体が見えていた。
「百鬼ィ! 舐めてんじゃねぇぞテメェ!!」
見えていたからこそ激昂した。
紫苑が持った物。
彼の霊装である《亡華》ではない。それどころか刀剣の類いですらない。
それは……パーティ会場に置かれていた、なんの変哲もない食事用のフォークだったのだから。
「そんな物でアタイを仕留める気か!? ふざけんのも大概にしろよ!!」
「別にふざけてない。ここは《霊装》を抜いていい場所ではない。そんな中で最低限『武器』として役に立ちそうな物が、たまたまこれだっただけのことだ」
それ以上でも以下でもない、と紫苑は言い、改めて多々良に視線をやる。
「このまま帰るなら何かするつもりはない。……俺としてはそちらの方が助かるんだが」
「ッッッ!! 上等だ!! んなに死にたきゃここで殺してやるよぉ!!」
多々良は自身の本能を否定した。
殺し屋を相手取るにも関わらず、奴は凶器を抜かなかった。自身の獲物を持たず、あまつさえお前程度ならば『食器』で事足りると吐き捨てたこの男を、断じて許せぬと。
多々良は宙を蹴り、乱雑にスターターグリップを引いた。回転する刃が吼え、紫苑の命を終わらせようとする。
「あぁ、それと。お前は勘違いしているんだが……」
「あァ!?」
「既に仕留めている」
瞬間、多々良の身体から血色の光が溢れる。瞬間、彼女はろくに受け身を取ることもできず、そのまま床に倒れ伏した。
《霊装》あるいは魔術的手段を用いて、対象に精神的負荷を与え意識を落とす術──《幻想形態》で攻撃された時の特徴だ。
そう。紫苑は多々良がこのような騒ぎを起こした時点で、無事で帰すつもりなど欠片もなかったのだ。
故にフォークを手にしたその瞬間に、彼女に対して攻撃を仕掛けていた。
《瀧華一刀流繚乱勢法》の絶技のひとつ。飛翔する刺突《鳳穿花》。それを《倍化》させ多々良の身体を蜂の巣にした。
その結果が、これだ。
「……すまない、一輝、珠雫。身内が迷惑をかけた」
その景色を差も当然となんの感慨を抱くこともなく一瞥した紫苑は、フォークを置き、直接の被害を被った二人に詫びた。
「いや大丈夫だよ。こっちも被害が出たわけじゃないし」
「えぇ、私も気にしていません。それよりも……」
真横で紫苑の行いを見ていたからこそ、辛うじて彼の実行したことを把握している二人は言う。
自分が把握している限りでは、という枕詞がつくが、一週間前の紫苑が先と同じ事を実行しようとすれば《亡華》を抜かざるを得なかっただろう。
では一週間前の彼と、現在の彼。その差異とは何か。
「凄まじい魔力制御技術ですね。もしかして……私達といた頃もそれぐらいできたんですか?」
魔力による身体強化。たかがフォークを、伐刀者が纏う魔力による防壁を食い破り、人体を刺し貫くまでに強化せしめた爆発的な加速。一度の刺突を瞬間的に数十倍にまで《倍化》させる異能の技量。
魔力に関連する技術の全てが、劇的な成長を遂げている。
もはや『進化』といって差し支えないほどに。
「まさか。……アイツの言うところの『女に媚びて尻尾を振った』結果だよ」
「…………もしかして、気にしてる?」
「してない」
「いやでもして──」
「してない」
「……」
「してない」
「何も言ってないってば」
やっぱり気にしてるんじゃないか、と苦笑する一輝に、ふん、と外方を向く紫苑。ここだけ見てると男子高校生らしいやり取りなんですけどねぇ……と溜息を吐く珠雫。
彼らの談笑はしばらく続き、紫苑の「ここにいる面々に詫びに回ってくる」という言葉でこの場はお開きになった。
閑話で紫苑の修行エピは必要ですか(本編中でこんな事やった、というのは触れる予定)
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いる
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いらない
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はよ本編仕上げろ