夜中の繁華街は賑やかであった。人々が行き交う中、一人の男が蒼い顔をしていた。彼の目前には、ある女性と、更にその隣には男性が並んで立っていた。
「……そういう訳ですから、先ほども申し上げました通り、私はこの方とお付き合いをしております」
言われた方の男は、女性の隣の男性を指差しながら、言う。
「嘘、ですよね……?」
それに対して女性の方ははっきりと返答した。
「嘘じゃありませんわ。信じて頂けそうになかったから、わざわざこの方にも来て頂いているのですし」
男の方は震えていた。
「そんな雰囲気、なかったのに……」
「あら、言ってませんでしたか? 思い込みも大概にして頂きたいですわね」
美貌を持つウルフボブの髪型をした女性は楽しそうに言う。
「とにかく、私にはこの方がおりますので、貴方とのお付き合いはお断り申し上げますわ」
彼女はそう言って自分の隣にいる男の腕に抱きついた。
そう宣言された方の男はすっかりうな垂れ、無言のままその場を立ち去って行ってしまった。
「……高雄、本当に良かったのかよ、おい?」
女性に抱きつかれていた男が言った。
「構いませんわ。元々全然その気も無かったのに、向こうがしつこかったんですもの。何度断っても諦めてくれなくて……」
そう言って高雄と呼ばれた女性は男の方を向き、更に続ける。
「提督にご協力頂けて助かりましたわ! これで私も煩わしさから解放されましたから!」
「煩わしいヤツ扱いされてたアイツも可哀想な気がするがなあ」
提督、と呼ばれた男は苦笑いした。彼は軍において、高雄の直属の上官であった。
高雄は艦娘である。今や人類の脅威と化した深海棲艦に対する切り札として海軍の主力を担う艦娘は、高い戦闘能力を持つだけでなく、美貌を持つ者が少なくない。しかもその大半は内面までも魅力的ときているから、軍以外の一般の人間からも羨望の眼差しで見られる事も多い。オフの日に街へ出ればそういった民間の人々と交流する機会を持つ艦娘も少なくない訳だが、そうなると当然ながら民間人側に勘違いをする人間も出てくるし、それで艦娘が迷惑を被るケースも出てくる。つい先程までの高雄がそうだったようだ。その気もないのにしつこくアプローチを仕掛けられて困っていた為、ここは自分の上官である提督にお願いして付き合っているフリをしてくれと頼み込んだという訳である。
「それにしても随分アッサリと引っ込んだなあ」
「ええ、もしかしたらもっと粘るかも、なんて思ってたものですから」
「そんときゃ俺どうすりゃ良かったのよ?」
「その時も私に合わせて下されば結構でしたわ。こちらがなんとかしますから。重要なのは、私に付き合ってる相手がいるという事を、あの人に認識させる事でしたから」
「そんなもんかねえ」
提督は首を捻り、更に聞く。
「でもよ、俺がわざわざ出張ってくる必要があるもんでも無くねえか? お前だったら並みの男一人捻るくらい訳ねえだろ?」
「あら、酷い。私をケダモノか何かみたいに」
高雄は軽くふくれっ面をする。提督は特に気にする事もなく、
「体力必要な仕事こなしてんだからな。その程度は出来てくんねえとこっちが困るんだよ」
とあっさり言った。それを聞いて表情を戻した高雄は、
「ですが、普通の方に乱暴は働きたくありませんし……」
と言う。提督はそれに対して軽く頷きつつ、こう返した。
「その考え方は悪くねえと思うんだけどよ、嫌ならキチンと突っぱねるとか、それが無理なら変にもつれる前に予防線張っとく位の事はしろよ? このままだとお前また同じ事繰り返すぜ?」
「予防線、ですか……」
うーん、と言って高雄は考え込んでしまう。提督は少しばかり助言を追加する。
「別に今すぐって訳じゃねえよ。その内、次があるかも知んねえから自分で相応の対策考えとけって事。俺が出来る事には限りがあるんだからよ、特にこういったのはな」
「……はい、分かりました」
高雄は上を見て夜の街を彩るイルミネーションを眺めつつ、そう返答した。
それから数日経ったある日の事だ。
「僭越なんですが、それはどうでしょうか。どうも私には過ぎた話のように思えるのですが……」
執務室で一人、提督が電話の応対をしていた。相手は上官の一人のようである。
「そうは言うが、そろそろ君も身を固めた方が良かろう。君も海軍の幹部の一人なんだ。自身の家庭をきちんと守ってくれる相手がそろそろ必要だと思うんだがねえ」
どうやら独身を貫いている提督の身の上を心配して、見合い話を持ち出して来ているようだ。
「そうはおっしゃいますが……私はあくまで前線の人間ですからなあ。このご時世じゃあ、いつ死ぬとも分からない訳ですから。仮に後に残される人間が出るというところまで考えますと……」
そう提督は渋る。実際、自分はその内戦場で死ぬ可能性が高いというのが彼の認識であり、その場合に残された家族をどうするのかという点に関して、未だに割り切れないものがあるのが正直なところである。
「うむ、その辺りに関しては向こうも分かってくれていてだな。これは勝手で悪いんだが、相手方には君の事は伝えてあるんだ。君が言っていた事も踏まえて、是非会いたいと言ってくれていてだね……」
「はあ……そういう事でしたか……」
そう言って提督は写真を見た。見た目もそうだが、話を聞く限り、相手は育ちの良さそうな女性であり、こういう職業に就いてさえいなければ、会う事を承諾するに際して迷いは無かろう。
「うーん、少々考えるお時間を頂いても宜しいでしょうか。申し訳ないんですが、なにぶん突然でもありますから……」
そう提督が言ってくるのは想定内であったのだろう。相手は、
「うん、即答は求めていないよ。とりあえず、考えておいてくれ」
と言い、そのまま電話は切れた。
「んー、そうだなあ……」
受話器を置きながら提督はそう呟き、見合い写真を見ながらどうしたものかと考える。確かに悪くない話なんだが、などと思考を巡らせていると、
「お見合い、するんですか?」
と、いきなり頭上から声が聞こえた。驚いた提督が顔を上げるとそこにいたのは高雄である。
「おい、びっくりしたじゃねえか。部屋入るならノックぐらいしろよ」
提督がそう言うと、
「しましたけど」
と、シンプルな答えが返ってくる。そんな返答をした高雄は無表情である。
「あー、そうだったか……やっぱ考え込んじまったんだろうな。気づかんかったわ」
「……お悩みなんです?」
「うん、まあ、とりあえず、会うか会わないかだけな……」
「そうだったんですね。とりあえず、この書類のチェックだけお願いします。本日実施した訓練の報告書です」
無機質な声で高雄はすっと紙の束を差し出した。
「おう、分かった」
提督が書類を受け取った後、高雄は無言のまま軽く頭を下げ、そして静かに退室した。その際、普段の彼女とは異なる謎の微笑みが浮かんでいたのだが、上官からの電話の件もあったせいか、提督が特に気にする事はなかった。
次の休みの日、提督が街を歩いていると、
「すいませーん!」
と、声をかけられた。振り向くと20代の前半と思わしき女性が数名こちらを見ている。
「……何か?」
と提督が言うと、女性のうちの一人が、
「高雄さんの上司の方ですよね?」
と聞いてきた。
「はい、そうですが……」
一体なんだろうと思いつつ、素直に肯定すると、
「いーなー、高雄さん。こんな方とお付き合い出来てるなんて!」
(……へ?)
彼女達が訳の分からない事を言い出した。
「やっぱり軍人さんってキリッとしてるよねえ」
「見るからにしっかりしてるじゃん! ウチの彼に見習わせたいわー!」
「いやー、アイツはダメじゃない?」
「うわ、ひっでぇ!」
提督を置いてけぼりにして盛り上がる女性陣。
いや、自分は高雄とは付き合ってなどいないという言葉が口から出かかったが、かろうじてそれを押し留めた。以前、高雄にしつこく言い寄ってくる男を追い払う為に、彼氏の役目をやらされた事を思い出したのである。仮に、この女性達があの男の知り合いだとしたら、再び高雄が追い回される可能性が出てくる。ここは極力はっきりとしない形で話を合わせた方が無難だろう。
「皆さんは高雄のご友人で?」
と聞くと、
「あっ! いきなりで失礼しました! はい、高雄さんの休みの日とかに一緒に遊ばせてもらってます!」
「はあ、そうなんですね」
「今日は高雄さんは一緒じゃないんですか?」
「うん、非番は俺だけですね。アイツは仕事があるから……」
「うわー、それは残念ですね。デートも出来ないんですもん」
「まあ、こういう仕事なんでね。そこは仕方ないですよ」
適当に話を合わせていたが、向こうはそのうち話題が尽きたのか、
「あ、お時間取らせてすいませんでした! 高雄さんによろしくお願いします!」
と言って女性陣はその場を離れていった。提督は挨拶がわりに手を振っていたが、
(俺が高雄と付き合ってるってどういう事だ……?)
と、内心では疑問しか思い浮かばなかった。
「しっかしどうすっかなー……」
休日明けの提督はその日の書類を片付けた後、先日上官から送られてきた見合い写真を見て独り言ちた。具体的に結婚を考えている訳でもないので、いまいち会う気にはなれないのである。しかし、せっかくの上官の勧めである。向こうが言ってきてくれているのであるから、応じる必要はあるのではないかと考えているのが実際のところだ。
(まあ、会うだけ会って断るってのも……うーん、それも不義理かも知れんしなあ……)
それとも会ったら結婚もきちんと考えなきゃダメか、などと考えていると、執務室のドアがノックされた。
「おう、入れ」
この鎮守府に所属している艦娘が書類を手に、
「こちらの決済をお願いします」
と言いながら入室してくる。
「おっ、これか」
提督が書類に目を通し始めると、その艦娘は見合い写真の存在に気付いたようで、
「失礼ですが、提督、これは……?」
と聞いてきた。
「ああ、それなあ。いやさ、俺のお世話になってる上官が見合いしないかって送ってきたんだけどよお。別に俺結婚するつもりもねえし、会うか会わないかで迷っちまっててよお」
と、ちょっとした愚痴をこぼすつもりで言ったところ、その艦娘は変な顔をして、
「え、提督って高雄さんと……」
と言って、その後は言葉を詰まらせてしまった。それが少しばかり気になった提督は、
「あー? 俺と高雄がどうかしたか?」
と軽い気持ちで聞いてみたが、その艦娘は焦ったように、
「いえ、何でもありません!!」
と言い、「それでは失礼しますっ!」と言ってさっさと退室してしまった。
「なんだあ、ありゃあ……?」
状況が飲み込めない提督はそう呟くしかなかった。
そしてその日の定時後、食堂で夕食を摂った提督が茶をすすりながらのんびりと過ごしていると、高雄が将棋盤と駒箱を持って来て、
「提督、一局指しませんか?」
と聞いてきた。断る理由も特に無いので応じる事にする。
しばらく高雄と将棋を指していると、突然手元のスマホに着信があった。見ると、発信元はあの見合いを勧めてきた上官である。
「ちょっと、外すな」
そう言って提督は一旦席を立つ。少しばかり離れた人のいない場所で電話に出たところ、
「いやあ、すまんっ! 大変申し訳無かったっ!!」
と言う上官の第一声が提督の耳に飛び込んで来た。
「どうかなさいましたか?」
「いやね、先日言った縁談の話あっただろう? あれ無しにしてもらえないかね?」
「……は?」
突然の話だが、何かあったのだろうか。
「ええと、それはどういった事情でしょうか?」
「とぼけなくていいよ。君、高雄君と付き合っているそうじゃないか」
「えっ!?」
提督は思い切り驚く。先日街中で会った女性達といい、何故そんな根も葉も無い話が出てくるのか。
「水臭いじゃないか、あんな良い子がいるのに。聞いたよ、わざわざこっちの顔を立てる為に会うかどうか迷ってたんだって? そんな気づかいはしなくて良いんだよ。こっちは君の事を完全な独り身だと思ってて話を持って行ったってだけなんだからさ」
そう言う上官は怒っていると言うより、むしろ楽しげである。
「せっかく高雄君のような子がいるんだ。大事にしてあげるんだよ?」
そう言って上官は電話を切ってしまった。
(どういう事だおい……)
席に戻ってきた提督は、
「高雄」
と声をかける。
「はい、なんでしょうか?」
高雄の方は落ち着き払ったものである。
「いや、良く分からねえんだがよ、お見合いの話持ってきたあの人な、俺と高雄が付き合ってるって思い込んでるらしいんだよ」
と不思議そうに言う提督。
「はい、私があの方にそう伝えるよう、他の艦娘に言伝を頼みましたから」
柔らかい微笑みを浮かべながらそう言い切る高雄。提督は状況が理解出来なくなってきた。
「……!? なんで、そんな事を……」
「それはもちろん、提督を私のモノにする為ですわ」
高雄は実にあっさりと言い、そして続ける。
「提督って結構競争率高いんですよね。誰かのモノになるのは時間の問題でした」
「……」
「自分のモノにするにはどうすべきか……工夫が必要な訳です」
そう言って彼女は駒をパチリと打つ。
「さ、提督。貴方の番ですよ?」
「ん? お、おう……」
高雄に突飛な話を聞かされて忘れていたが、今自分は彼女と将棋の対局をしていたのであった。盤面をしばらく見つめ、駒を進める。
「私は鎮守府の外にも知人がいますし、事情を知らない相手ならそう言えば信じてくれるんですよ」
「……外で高雄の彼氏扱いされたぞ。あれ、お前か」
不愉快そうに提督は言い、
「否定しときゃよかったぜ……」
と苦い物を吐き出すようにこぼしたが、
「私に付きまとっていたあの男の方の知人とは考えなかったので?」
そう高雄に返されて言葉に詰まる。
「そういった人の中には艦娘のみんなの共通の知人というのも少なからずいますし、そういった人から鎮守府内に話が広がったりもしたりするんですよね。当然ですけど、ここの艦娘で提督を知らない子はいませんから」
そう言って高雄も駒を進めてくる。
「卑怯な事しやがる……」
実に面白くない提督が更に一手駒を進めると、大駒が一つ、手に入った。ここで高雄が言う。
「ところで、提督。頓死というものはもちろんご存知ですよね?」
「将棋のか? そりゃな」
「誤った手を指して負けてしまう事、ですよね?」
「……何が言いたいんだよ?」
提督は不審げに高雄を見た。彼女は微笑みを絶やさないまま、
「お見合いの話を受けるかどうか迷われてましたよね。アレは絶妙なタイミングでした」
「あ?」
「今日、ここの一部の艦娘が海軍省の本省で研修を受ける事になっていましたよね? 私には行く予定はありませんでしたが、研修の一部をあの上官の方が担当されていました」
高雄が更に駒を打つ。彼女の将棋は先ほどから訳の分からない動きをしている。
「それを事前に知ってたからあの人に嘘を吹き込ませたってのかよ……」
「嘘になるかならないかは貴方次第ですよ、提督? 今更否定してしまえばあの方の顔に泥を塗る事になる。義理人情に厚い貴方がそのような事をおやりになるので?」
「……いや、その辺りはきちんと事情を説明すればだなあ……」
そう言って提督は更に駒を進めた。そんな時、高雄はこう言った。
「本当でしたらね、あの例の男の方、あの方にももう少し粘って欲しかったんですよ」
「……何でだよ?」
「あの方ったら全く困ったお人でしてねえ、あちらのお父様にも私の事を勝手に紹介してしまっていたみたいなんですよ。ならばと思いまして、私はせめて口付け位は見せつけてしまいたかったのですが、私が提督に抱きついただけで諦めてしまうなんて……本当に根性がありませんわね」
「そんなのに根性も何もねえだろうよ……」
訳の分からない事を言いやがる、と呆れたように返す提督に対して、高雄は言った。
「そうでしょうか? 仮にも海軍大将のご子息で、海軍中尉でもあられるお方でもですか?」
「!?」
ギョッとしたように顔を上げた提督に向かってニッと目で笑った後、彼女はゆっくりと盤面に駒を置いた。
「一度か二度、提督もお会いになった事があったかと思いましたが……まあ、所属が異なりますものね。お顔を覚えておられないのも当然かと」
「……おい……それ、本当か……?」
「私のスマホに念の為、写真を一枚だけ残してあるんですよ。後で軍の名簿と突き合わせて頂ければよろしいかと。……ところで、まだ続けるのですか?」
そう言われて、提督は高雄が新たに駒を打った盤面を再び眺め始めたが、しばらくして、いやそんな筈は、と思った。どう考えても既に自分の玉が詰んでいるのである。取られるまではほんの数手。流石に冷や汗が流れた。
「ああ、一つ申し上げておきますね」
提督が視線を上げると高雄が妖しげな雰囲気を醸し出していた。
「私、将棋は得意中の得意なんですよ」
「もしかして、なんだが……お前、相当前から……」
提督はそう言い澱んだ。
「詰将棋のような恋があってもよろしいではありませんか」
提督の問いに直接答えるでもなく、そう言いながらコロコロと笑う高雄の正面で、視線を下げた提督は苦虫を噛み潰したような表情をして盤面を睨み続けていた。
「お時間は、幾らでも差し上げます。ただ、棋譜をあまり汚すような真似はなさらない方がよろしいかと思いますよ?」
高雄は穏やかな微笑みと共にそう言っているが、しかしこれはもはや提督に対する勧告であった。
その後もかなりの時間、提督は無言で盤面を睨み続けていたが、やがて、
(やりやがったよ、このクソアマ……)
と思いつつ、気が抜けたかのように静かに駒台代わりに使っていた駒箱に手を置いて頭を下げた。
そして、その様を眺める高雄は一見ホッとしたかのようでありながら、実に嬉しそうな表情を浮かべるのであった。