冷たい風が扉から吹き込んでくる。ちりんちりんと鳴る音は来客の合図だった。カウンターの内側から顔を出す。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは常連の田中さんと初めて見るヒョロ長の青年だった。
「こんにちは、店主さん。ちょいと紹介したい人がいましてね、こちら同僚の悲鳴嶼さん」
田中さんの同僚。はて、田中さんの職業はなんだったか……。あぁそうだ。オカルト関係だった気がする。全国の変わった話や伝説、物騒な噂を調べているのだ。この喫茶店を利用してくれるお客さん達は多種多様だ。仕事で全国を周る人、噂話が好きなご婦人方、何処からか資料・情報を集めてここで執筆する物書き先生。そんな人達から田中さんはよく話を聞きまわっていた。確か田中さんの所属している会社?組合?はお化けや化け物を実際に退治しているらしい。悲鳴嶼さんも情報を集める仕事かな?
「いやいや、俺とは違って実際に対応する方です」
意外だった。猫背気味でよく言えば穏やかそうな、悪く言えば気の小さそうな見目だったからだ。でもよくよく聞くと僧侶でもあるらしい。なるほど、破ぁ‼︎ってやつですね。近所の寺生まれの丁さんを思い出す。
「悲鳴嶼さん猫好きなんですよ。元気出してほしくてここを紹介したかったんです」
猫好き大歓迎だ。ここは『猫ノイル喫茶店』。その名の通りうちの看板猫がお客さんをお迎えするお店だ。黒い長毛でまんまるお目々の穏やかな仔、みんなから“猫”って呼ばれている。実際にうちに住んでいるのはこの猫1匹だけだが、ここは昔から猫の溜まり場になっていた。色んな猫が出入りするのだ。たとえば田中さんの足下にある籠に入って寝こけているのは、週5くらいうちに通ってくるお向かいの呉服屋の飼い猫、太郎くんである。どっちが実家かわかりゃしない。色んな猫が出入りして店主である自分も全てを把握しきれてないが、これといった揉め事はなく平和なものだった。どうもうちの猫はこの辺の縄張りの主らしく、統率の取り方がすごい、らしい。よく知らんが。見かけたお客さん曰く、汚い足で机の上に飛び乗ろうとした新顔猫を叩き落してたらしい。普段あんまり見れないうちの猫の厳しい顔と猫社会の上下関係を見て、変に胸が高鳴ったと興奮してたのは医者の吉田さんだったか。不整脈かな?
そんなうちの猫はのっそりと歩みより、悲鳴嶼さんの足に顔をすり寄せていた。初対面でこれとは、どうも気に入られたらしい。どうしたらいいのかと手を宙で彷徨わせていた悲鳴嶼さんは、ゆっくり、ゆっくりと猫に触り、抱え上げていた。ホロリと涙が溢れていた。
「あぁ……暖かい」
心が弱り気味だったのだろう。柔らかい小さな温もりを大事に大事に抱いていた。たまに悲鳴嶼さんのように静かに涙を流すお客さんがいる。猫たちも敏感に何か感じとるんだろう。特に嫌がることなく、されるがままにしてくれる仔たちが多かった。
そっと田中さんが教えてくれた。初めてのお仕事で元凶は消せたけど、助けられなかったらしい。詳しくはあえて聞かない。想像以上に危険な仕事のようだった。そうだよな。悪霊や化け物を相手にするんだもんな。普段話を聞く近所の寺生まれの丁さんがすごいのだ。1発破ぁ‼︎をぶち当てて解決していく丁さん。同じ寺生まれでも寺生まれ格差はあるんだろう。丁さんは何か言ってたっけなぁ。確か……
「当てなければ意味がない。当たらなければ問題ない」
落ち着いてきたらしい悲鳴嶼さんが顔を上げる。言葉の意味が気になるようだ。
「凄腕の同業者さんが仰ってたんです」
丁さんの破ぁ‼︎は強力だが当てなければ意味ない。逆に悪霊や化け物の攻撃はいくら恐ろしいものでも、当たらなければ問題ない。
「それらは全て、筋肉が解決する、と」
田中さんは確かに隊士の皆様筋肉凄いもんなぁとぼんやり言っている。筋肉は嘘をつかない。鍛えたら鍛えた分だけ糧になる。お仕事をこなしていけば経験が増えるだろう。経験が増えれば、最適解、行動がわかってくるはずだ。でも反射的にわかっても、筋肉が足りてなければそこにうつれない。土台筋肉大事。筋肉増えると精神的に安定感出るらしいし。よくは知らんけど。
「南無。私も、もっと鍛えます。日々これ修行」
少しは気は紛れただろうか。自分が話せるのは受け売りばっかりだ。命や人生がかかった重い問答なんてできやしない。答えは自分で見つけていただきたい。ただこの空間で少しでも癒されてもらったり、安寧を感じてもらうのを願うばかりである。
「猫さん、ありがとう」
猫に癒されたのだろう。悲鳴嶼さんの顔色は少しはマシになったみたいだ。猫は百薬の長、猫万歳。田中さんもほっとした様子だった。よかったですね、田中さん。
ところでここ喫茶店なんですよ。なんか頼みません?猫用のお品書きもあるんですよ。推し猫に貢げます。
悲鳴嶼さんが周囲を見渡す。悲鳴嶼さんは盲目だが、その分、聴力など他の感覚が優れているので、生活や仕事に全く支障はないらしい。自分の盲目の知り合いもここまでじゃなかった。寺生まれってすげー。
「この店は猫が沢山いるんですね。20匹以上もいるなんて凄い」
……20匹?今自分が認識しているのは7匹だ。どう見ても7匹しかいない。いやでも寺生まれの悲鳴嶼さんが言うのだ。自分達に見えない猫が20匹以上いるのかもしれない。この店は先祖代々茶屋をしていて、何代か前に喫茶店になったのだ。どの代でも看板猫がいて繁盛していたらしい。もしかしたら歴代の猫たちが守護霊になって、この店でごろ寝しているのかも。
そうだったら嬉しいなぁ。
「ははは、猫の御加護があらんことを」
「店主さん、なんか違う気がします」
田中さんははよ注文してください。
*
梅の香りが漂うこの頃、朝はまだまだ寒い日々が続いていた。ちりんちりんと鳴る来客の合図で振り返ると、少し久しぶりの悲鳴嶼さんだった。
「いらっしゃいませ。お久しぶりです悲鳴嶼さん。……成長期きました?」
最後に見た時よりも、ひと回り大きくなっている気がする。見間違いでなければ猫背だったのも直り気味だ。猫たちもなんだなんだと集まってきていた。
「……あれから自分の限界を目指して鍛えていたら、どんどん背が伸びまして」
元から大きかったがこれは凄い。この人に助けに来られたら、安心感が凄いのだろうなぁ。体は損わず、お仕事は無事熟せているようだ。
「……間に合わないことも、自分を不甲斐なく思うこともままあります。そんなことばかりです。でも、少しでも人として成長していると思いたい」
成長してますよ。少なくとも物理的に。ところで後ろの背負ってる箱はなんですか?ガッチャガッチャいってますが。
「仕事道具の武器です。筋肉を鍛えたおかげで鉄球を投げれるようになりました。遠距離にも対応できるおかげで助けが間に合う人が増えました。やはり筋肉ですね」
悪霊は鉄球で物理的に潰せるらしい。あの時の会話からこんなことになるとは思わなかった。……結果良ければ全てヨシ!やはり筋肉なんですね丁さん。筋肉は全てを解決する。
「ところで猫さんはいますか」
今悲鳴嶼さんは猫に囲まれている。まみれている。大人気だ。周りにいすぎてどれがうちの猫かわからないらしい。目の前にいる仔がそうですよ。
「……ひと吸いさせてもらいたく」
癖になりますもんね。猫吸い。猫を吸いながら猫にまみれている悲鳴嶼さん。なんであんなに人気なんだろう。
……あぁなるほど、筋肉のせいか。
ところでご注文は?
*
蝉の声が外から響いてくる季節。ちりんちりんと鳴る風鈴が涼しげだ。店に入ってくる客はみんな汗ばんでいて、さらにひと回り大きくなった悲鳴嶼さんも例外ではなかった。
「今日は。猫さんはいますか」
こんにちは。ねこはいます。でも多分猫吸いは無理です。
「な、何故ですか店主?」
涙をダバダバ流して絶望顔をしている。南無。悲しいお知らせをしなくてはいけない。
「悲鳴嶼さん、嘘をついて申し訳ない。筋肉でも解決できないことがありました」
「それは一体?」
「猫です」
筋肉、それは無限のぱぅわぁと可能性を秘めたもの。
悲鳴嶼さん、筋肉は凄い熱を生み出すんです。
悲鳴嶼さん、現在夏真っ只中です。
猫たちは遠巻きに悲鳴嶼さんを見ていた。絶対に近寄りたくない意志を感じる。
申し訳ないが自分も近寄りたくない。暑い。
人間1人100wというらしいんだが、悲鳴嶼さんは何人分の熱を出しているんだ。暑い。
「南無……」
悲鳴嶼さんの悲しげな声が店に響いていた。
人生ままならぬ。とりあえずアイスコーヒーでも注文しません?