鬼舞辻無惨は神や仏、妖といった存在を信じてはいない。何百年と生きてきて実際に見たことがないし、人を数え切れない程殺してきたが罰せられたこともないからだ。己が人間であった頃、寝込む度に家人に祈祷師を呼ばれたが特に効果がある事はなく。いるわけもない妖を祓おうとしたって、治るわけがない。そんなわけで神社で祈っている人を見かけたりした際は、なんとも愚かだと鼻で笑ってやったものだった。……童磨の存在を知ったときは笑うどころかドン引きものだったのは記憶から消しておく。
だがごく偶に、極々偶に、突然変異といった形でトンデモ生物は生まれてくるのだとは思っていた。主に縁壱とかいう大災との遭遇経験からである。だが生物であるからして対処法は簡単だった。相手が寿命で死ぬまで会わなければいいのだ。己は日に当たれないことを除けば、ほぼほぼ完璧な存在。鬼殺隊という鬱陶しい存在はあるが、鬱陶しいだけである。ましてや一般人やそれ以下の畜生なぞ恐るるに足らず。
縁壱的生物への警戒心はあっても、そう思っていた。
そう、思っていたのだ。
*
その建物はこの辺では珍しく、西洋風の佇まいだった。驚くことに扉を照らす灯りと出ている看板から、食事を提供していること、夜も深け周囲に人通りはないのに店を開けていることが伺えた。
今宵も適当な人間を見繕い、鬼を作る予定だった。目についた。選んだ理由はそれだけだった。分厚い扉を押すとちりんちりんと控えめな音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
店主はカウンター越しにこちらを出迎えた。何かを煮ている。甘い香りが漂う店内には他に誰も居らず好都合。人の良さそうな顔の店主は、此方が聞きもしないのになんともまぁお喋りだった。この店は最近建て替えただの、新しい試みで夜中に喫茶店を開いてみただの、立派な南瓜を貰ったのでとりあえず煮ているだの。少し腹立つことに意外と巧みな話術だったらしい。無惨は気がつけばカウンター前の椅子に腰掛けていた。
「よかったら南瓜食べていきませんか?お代はいただきませんよ」
目の前に皿を置かれる。ホクホクと湯気をあげる艶めいたそれは、どこからどう見ても唯の南瓜の煮物。それなのに体が全力で拒否しているのがわかった。頸がチリチリと灼ける感覚。この感覚、以前何処かで……。店主を盗み見るが人の良さそうな顔をニコニコさせているだけだった。店主に悪意は見えない。店主は勝手に話を続ける。
「大切な家族を亡くし、意気消沈していた知り合いがうちの子に大分慰められたらしいのです。お礼に家の庭で採れたこの立派な南瓜をくれまして」
座りの悪い何かが裡に溜まっていく。
「とってもいい子なんですよ、うちの子」
左手になにか
産毛が逆立つ 心の臓が
「よかったら構ってあげて下さい」
猫がいた。
……………黒い、長毛の猫だ。左手に感じたのは尻尾の毛か。無惨は(ほぼ)完璧な存在であるからして、決してビビってないし緊急パージなんて行おうともしてない。
左隣の椅子から、猫は月のようにまんまるな目で此方を見ていた。
……おかしい。店内には店主しか居なかったはずだ。鬼にするつもりで来たので気配はしっかり探った。この猫はいつから居たのだ?
月のような目に既視感を覚える。……そうだ。少し前に見た猫もこんな目だった気がした。飼い主諸共殺したので確認しようもないが。
猫は視線を外さない。……瞬きもしない。おかしい、だって気配は店主1人分しかないのだ。なのに今己はたくさんの目にみられているのだ。しほうはっぽうからしせんをかんじていて。めのまえに猫はいるのにけどいなくてでもたくさんの目にみられていて
殺そう。
別に必ず鬼にする必要などない。殺せばそれで今宵は終いだ。手を鞭のようにし雑にしならせた。真っ二つでいいだろう。
猫はずっと無惨を見ていた。
手は猫の胴体に吸い込まれ、舐めるように皮膚を走り。
戻ってこなかった。
「はっ?」
引き込まれる身体を捻り、2歩下がったのは無意識だった。二の腕半ばから先がない。綺麗な肉の断面。痛い。何故回復しない、痛い、猫が此方を見ていて、痛い、何故回復しない腕の感覚が戻ってこない私が、空間ごと?ない、腕、私が、喰われたのか?
ゆたかなけはほんとうにまっくろで、ひかりはすいこまれて、まるでよぞらのよう、まえあしのしたにあるつきのようなめと目があったのだ。
「
無惨は緊急パージした。
*
「あれっ、お客さん?帰っちゃったんですか?」
何か割れる音がして振り返ると、そこには誰も居ない。斜めに引かれた椅子に少し開いた扉が客が帰ったことを示していた。
「せっかくの夜喫茶お客第1号だったのになぁ」
お試しで夜に開けてみた。決まったお品書きはまだない。この時間帯に来る客に何が食べたいのか意見を聞いてみようと思ったのだ。偶然南瓜を貰ったのでとりあえず煮ていたが、あの客南瓜苦手だったのかもしれない。床を見ると割れた皿と南瓜が転がっている。しゃがんで確認するが、どうも食べられそうにない。
「勿体無い。猫ぉ-お前さんは看板猫なんだからもう少し引き留め、って、あっコラ」
いつの間にかカウンターの上にいた猫は優雅に歩行し、残りの南瓜が入っていた鍋は邪魔だと言わんばかりに押し除けていた。盛大な落下音。つまりは南瓜全滅、掃除追加のお知らせであった。
「南瓜の感想伝えられないじゃないか。どうするんだ猫ぉ-」
寝そべる猫を撫でながら失笑する。知らぬと言いだけに、返事は小さな”にゃ-”だけだった。