隷属者はハグレ王国の夢を見るか   作:ベリーナイスメル

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王冠の色は何色か

 白黒(モノクロ)の世界があなたにとって全てだった。

 

 比喩でもなく、夢でもなく。

 あなたの目を通して彩られる世界に色彩はなく、ただただ白と黒のみが存在していた。

 

 今にも崩れ落ちそうな天井の隙間から見える空は白く、臀部で感じる床の冷たさは黒を通して伝わっていた。

 

 移ろいゆく季節を感じることはなく、人形のように流れゆく様を眺めるだけだった。

 

 あなたは隷属者だ。

 

 この世界へと召喚されるより以前から、あなたという存在が生まれ落ちてよりずっと誰かに使役され続ける隷属者。

 そのことに疑問を覚えたことは無かった。そもそも疑問という単語の意味すらわからなかった。

 常に与え続けられる命令に生きたあなたは疑問を覚える必要がなかったのだ。

 

 ――お前の在り方を定義する。

 

 そういった主は既に見当たらない。いつからそうだったかすら覚えていない。

 あなたに命令を行う人間がいなくなり、生きろという命令も与えられておらず。

 だから彼方より此方まで、床に座ってただ朽ちゆく自分を過ごした家に重ねるだけしかしなかった。

 

 しかしながらそれももう限界。

 

 身体がエネルギーを求めなくなって。

 緩やかに死の足音が近づいて、死神の鎌が優しく首筋を撫でている。

 

 最初から、最後まで。

 あなたは自分の意思というものを理解することのないまま息絶える。

 

 それで良かった。

 生きろとも死ねとも言われなかったから。

 自然がそう命令を下したのなら従うのみだった。

 

 故に、あなたは目を閉じる。

 瞼の裏からでさえ感じる、白と黒の圧力を感じながら。

 

「うわっ! ボロボロでちね!」

 

「気をつけろよデーリッチ。床が抜けてしまうかも知れない」

 

 感じる圧とは違うもの。

 久しく聞かなかった声という音。

 少しだけ首筋から刃が離れる感触。

 

 どうやらまだあなたにはほんの少しかも知れないが時間が与えられたらしい。

 それでも背後に死の感触は残っているし、不可視の刃はそこにある。

 

 近づいてくる足音は二人分。

 

 一つは落ち着いた一定の歩幅で、もう一つはちょこちょこと不規則なリズムを刻む。

 あなたが理解できていることは間違いなく主の帰還では無いということだけ。

 

 そう広い家でもないこの場所。

 だからその音達があなたへたどり着くまで時間は要さなかった。

 

「うわっ! し、死んでるでち!?」

 

「……いや」

 

 目を瞑ったまま頬に感じる体温。

 どうやら頬を撫でられたらしい、そしてそのままその手はあなたの首筋に添えられる。

 

「微かだけど脈がある。私達と同じ身体の構造だって前提で言うなら生きているよ」

 

「ほ、ほんとでちか……? むしろ生きてる方が驚きなんでちが……」

 

 それほどまでに自分の身体はひどい有様なのだろうかと思うあなただが、入浴したのは、着替えたのは、いつだっただろうか。

 少なくともあなたの記憶上それは霞んでしまうほど前の事だったし、そんな状態だったから当然身だしなみを整えるなんてことは随分としていない。

 そう思い出した時、不意に腐臭とも言える香りが鼻についた。

 それは紛れもなくあなたが発するものだったし、よくこんな状態の自分へと触れたものだと感心してしまう。

 

「……おーい、生きてるでちかー?」

 

「だから辛うじてだけど生きてるって」

 

 人の声を間近で聞いたからだろうか。

 あなたの身体には僅かに活力が灯った。

 今ならこんな場所へとわざわざ足を運んだ奇特な存在を目に収める事ができる。

 

 だから。

 

「わわっ! 目をあけたでちよローズマリー!?」

 

「その驚きはどうなのさ。……えっと、大丈夫ですか?」

 

 開けた目に映ったのは相変わらず変わらない白黒の世界に……不釣り合いと言わざるを得ないほど輝きを放つ黄金色。

 

 あなたは自分を覗き込む二人、それも小さい女の子の頭に鎮座する王冠へと目が釘付けになった。

 それは紛れもなく初めて目に入れた色というモノで、あなたにとっては極彩色と言ってもいい。

 王冠以外に映るのは相変わらず白と黒。

 少し大人びてに見える女性は紛れもなくその二色で構成されていたし、持ち主であろう小さな少女も同じく。

 

「え、えぇと? こんにちは?」

 

 大きなトンガリ帽子を被った女性があなたの身体を心配しながらも挨拶を交わそうと試みる。

 思わず笑ってしまいそうになった理由はわからないが、どうやら今の状況をあなたは愉快に感じているらしい。

 笑えと命令されたわけでもないのに、笑ってしまいそうになる自分を不思議に思いながらも、灯った僅かな活力では笑顔を浮かべることは許してくれなかった。

 

 もどかしい。

 そう、もどかしさをあなたは感じている。

 それをそうだと言葉付けられないが。

 

 名前のつけられない感情に導かれるままあなたは口を開こうとする。

 

「え? なんでち? 聞こえないでち」

 

 あなたのもどかしさは募る。

 久しぶりに口を動かしたと思えば、今度は声の出し方を忘れてしまっていたようだ。

 口から出るのは音を宿さずただ掠れた息を吐き出すだけで。

 

 だがそれすらも愉快に思えた。

 この二人が目の前に現れてから、今まで感じたことのない感情があなたの胸に過り宿る。

 

「……とにかく、一回治療すべきか」

 

「そうでちね、流石にほっておけないでち。じゃあ――」

 

 手を伸ばされた。

 あなたに手を伸ばしてきた少女の目には心配という二文字が浮かんでいたし、隣にいる女性も同じ様な瞳をしている。

 自身の身を案じているのは確かだろう。

 面識は当然無い、助けられる義理も、義務もないだろう彼女たち。

 だから向けられたモノは確かな優しさであることに疑いはないし、疑えない。

 

 しかしあなたは致命的なまでに隷属者だ。

 

 差し伸べられた手を取れない。

 簡単な話だ。あなたをここから連れ出したいのなら、立てと命じればいいだけなのだ。しかしそれを初対面の彼女達が理解しているはずもない。

 だがそうすればあなたはその命令を全力で遂行するだろう、身に宿った僅かな活力を振り絞って立ち上がる。

 そして彼女たちの手を握るまでもなく後ろを歩き追従する。

 

 差し伸べられた手は言っている。

 助かりたいのならこの手を取れと。

 あなたの意思を試している。

 

 彼女たちにそんな意は無いのかも知れない。

 だがあなたはそうだと感じるのだ、今まで命令をされて従い遂行したことは何度もある。

 それでも初めてなのだ意思を問われたのは、そしてそれを尊重されたのは。

 

 理由はわからない。

 二人は決してあなたの身体を抱きかかえるようなことはしなかった。

 ただあなたが伸ばした手を取るのを待っていた。

 少女の目にはこの手さえ取ってくれたらと描かれていたし、女性の目はただただ穏やかにこの光景を眺め待っていた。

 

 だからあなたは動けない。

 宿る活力は手を握る程度には十分だったが、そうしろと言われなかったから動けない。

 

 心も、思考も。

 

 全てがあなたを待っていた。

 

 伸ばされた手から、再びあなたは小さな王冠へと目を移す。

 

 あなたの目を穿つ極彩色。

 初めて目に映した色彩はあまりにも強烈で。

 それが色だと理解できないほどに輝き誇る。

 

 白黒の世界で唯一輝くそれ。

 

 何故色を持っているのか。

 何故これだけが輝いて見えるのか。

 

 そうしてようやくあなたは初めて疑問と興味というものを覚えた。

 

「良かった」

 

 瞬間、無意識に手を取ったその時。大きな風をあなたは感じた。

 感じた風は世界の白と黒をこそぎ取り、ボサボサの髪をかきわけ朽臭を吹き飛ばし、あなたの目に色を届けた。

 

 思わずあなたは目を細める、届けられた情報量が多すぎたのだ。

 空の色と少女の髪が同じ色だと理解した、隙間から見えた大地に根付く草は女性の象徴色だと理解した。

 圧倒的過ぎる情報過多。

 

 同時に感じていた死神の冷たい刃も、死の感触も何処かへ消えた。

 

「デーリッチ」

 

「わかってるでち! ゲートオープン!」

 

 

 

 キーオブパンドラという魔道具(アイテム)。あるいは古代遺物というべきか。

 それによって生まれたゲートでやってきたのは規模こそ違えど、今まであなたが居た場所と同じ……廃墟と言ってもいいような場所だった。

 中は広く、寺院か城と言っていい程の大きさはあるが人が生活できる程度に整えられたのは僅か。

 そんな中の一室であなたはベッドの上で身体を横たえている。

 

「どうだい? 身体の調子は」

 

 ある程度自分の身体がどの程度回復しているのかわかってるのだろう、顔を覗き込んできた女性はローズマリーと言う名らしい、既に心配しているといった表情は伺えない。

 言葉通りここに来てから彼女のされるがままに過ごしてきたあなたの体調は万全とまでは言えないものの随分と良くなった。

 

「しっかし……変わるもんでちねぇ」

 

 ひょっこりとローズマリーの後ろから顔を出した王冠の少女はデーリッチ。

 デーリッチが言うのはあなたの容姿のこと。

 あなたにとってはかつて見慣れた自分の姿ではあったが、ここに来て久しぶりの入浴を終えてボサボサの髪を整えられて。

 ローズマリーにされるがままだったあなたの変わりぶりを見たデーリッチは驚きのあまり、誰でちか!? なんて叫んだ程だ。

 

「あはは、そうだね。綺麗にしたら美人だろうなとは思っていたけどここまでとは思わなかった」

 

 自分がそういう域にいる生物学上の女であるとは理解していたし好都合だと利用したこともあるが、比べる対象が居たわけでもないしかつての主にそうだと言われたわけでもなかったあなたは首を傾げることしか出来ない。

 少なくとも一緒に入浴をしたローズマリーの事を綺麗だと思ったし、デーリッチのことも可愛らしいと思っているあたり美醜感に狂いはないが、比べる対象を得たという意味から自身を鑑みて二人のほうが魅力的だと思っている。

 

「いや、まぁ、うん。そう真顔で言わないで欲しいな」

 

「でっちっち。嬉しいけど何だか照れるでちね!」

 

 照れさせたいわけではなくただ事実を言っただけのものの、二人の顔は赤い。

 だがローズマリーの言葉が引っかかる。

 

「あぁ、違う。言わないで欲しいというのは命令じゃない。気恥ずかしさから口に出てしまっただけで、気にしないで欲しい」

 

 そう言われてあなたは身体の強張りを解く。

 主以外の他者と関わったことはあれど、交流自体を持った経験がないあなたには些細ですらない一般的な言葉の匙加減が理解できなかった。

 あなたとしてはこうして命を救われた身であり、今は主を失った身。

 それ故、命をつないだ、つながれた以上新たな主になって欲しいと願う心があるのは否定できないところで。

 

「ナイスフォローでちローズマリー。デーリッチ、もうこないだみたいなのは嫌でち……」

 

 実のところ自身の価値を示し、勧誘を促す機会はあった。

 デーリッチがやや顔を強張らせて思い浮かべたのは少し前、身体を動かせる程度には回復したあなたはデーリッチ達が行っているこの拠点の掃除を手伝おうと申し出たのだ。

 心配そうな顔を浮かべていた二人ではあったが、リハビリとしても少しは身体を動かしたほうがいいかと簡単な清掃をあなたに頼んだ二人はすぐに後悔した。

 

「そうだね、私も誰かに休めと命令したのは初めてだったよ」

 

 まず手伝いを申し出たという言葉は普通に聞こえるかも知れないがあなたはやはり骨の髄まで隷属者。

 お願いでは動けないから命令してくれと頼み込むという奇妙な光景から始まり、戸惑った二人だったが最終的に拠点の清掃をあなたに命じたのだ。

 

「綺麗になったのは嬉しいでち。でも……」

 

「簡単な掃除を頼んだはずがまさか一時間で三日かけて整理したところ全てが綺麗になるとはね。その結果がキミのあの姿というなら……うん、私としても軽々とは喜べないな」

 

 あなたは持てる力の全てを駆使して既に確保されていたスペース全てを磨き上げた。

 生まれ変わったかのようにという言葉がまさに当てはまるレベルで綺麗になった生活スペース、そのど真ん中でやりきった瞬間あなたは再び倒れた。

 そう、あなたは常人、あるいは一般的なハグレがおよそ丸一日かけても不可能な作業を二人が生活用品の買い出しに出かけていた一時間でやり遂げたのだ。

 

 そういった経緯もあってあなたへと新たに下された命令は身体が完全に回復するまで休めというもの。

 

「改めて言うけど、キミはとても難儀な性格をしているね」

 

 困ったようなローズマリーの視線があなたの目に注がれる。

 そうと言われてもあなたにはどうしようもない。ずっと受けた命令を遵守し、途中で一旦切り上げるということをしたことがなかったし、その発想すら無かったのだから。

 今更簡単に生き方を変えられないし、どうすればいいのかすらわからない。

 もっと柔軟に生きろと命令でもされれば別の話なのだろうが、それはあなたにとって今までで一番達成困難な命令になるだろう。

 

 そう話すあなたにやっぱりローズマリーは困ったような視線を止めなかったし、デーリッチも同じく。

 

 なまじっかあなたの遂行力が高すぎるせいでもある。

 二人と出会うまでに仕えた主の命令は経緯や過程を問わず結果のみを見れば常に最良と言える結末で遂行した。

 その片鱗を垣間見たからこそ二人は余計に頭を抱えたのだ。

 しかしながらあなたからすればそれで何を困る必要があるのかと疑問でもある。

 

 二人はこの世界に召喚されて行き場のないハグレと呼ばれる存在のための王国を作りたいと言っていた。

 

 ハグレとはかつてこの世界に際限なく別世界から召喚された存在のことをそう指し、あなたも主に召喚された身であることからハグレという括りの中にいる存在だと二人から教えられた。

 今でこそ召喚には大きな制約が設けられているが、そうやって召喚されすぎたハグレの多くが居場所を失い、召喚した側勝手にも関わらずハグレ達が軽んじられているということも。

 

 ローズマリーがデーリッチを旗、王にすると言っている以上あなたがハグレ王国に身を置くことになれば仕える相手はデーリッチだ。ローズマリーは参謀を務めるという話だから、正確に言うのであればデーリッチに仕え、ローズマリーの命令を受ける立場となるだろうか。

 ならば誰憚ることなく胸を張って自分を使えば良いのだとあなたは思っているし何度も伝えているが、その都度二人は微妙な顔をする。

 

「キミが私とデーリッチに続いて初めての王国一員になってくれるというのなら諸手を挙げて喜ぶべきことなんだけどね。ただ私達は臣下を求めているわけじゃないんだよ」

 

「そうでち。言うならば仲間、そう、仲間が欲しいんでちよ」

 

 仲間と繰り返して言うデーリッチの言葉にあなたは首を傾げる。

 そもそもとして仲間というものがどういったものか理解が及ばないのだが、それでも二人が指す存在がどのようなものか想像すらつかなかった。

 

 多様な色彩に目を眩ませて。

 初めて他者と交流を深めようとして。

 

 どれもが不思議で、理解の出来ないものばかり。

 それはあなたが生来持ちあわあせていなかったものを疼かせた。

 それが好奇心、興味をもつということであるとハッキリ自覚はしていなかったが少なくとも悪いものではないと感じてはいる。

 

 出来ることなら自分を受け入れて、王国の一員と認めて欲しいものではあるが。

 やはり認めて貰うためには命令を受けて、それを完璧、あるいはそれ以上に遂行することで自身の価値を示し、勧誘に足る人物であると促す方法しか浮かばないあなただった。

 

「とは言えデーリッチ」

 

「あ、うん。そうでちね」

 

 ローズマリーが何やらデーリッチを促し、それを受けて妙な咳払いをする。

 終えたデーリッチは姿勢を正してあなたの目を真っ直ぐ見て言うのだ。

 

「キミを王国に迎え入れたいでち」

 

 真摯に、かつてのように手を差し伸ばして。

 先程言っていた仲間というものがどういったものなのかはやはりわからない。

 しかし、それでも迎え入れたいと言ってくる少女の顔は見た目不相応に大人びて見えた。

 

 こんなときこそ、一員となれと命令して欲しいと思う心があると認めている。

 

 多分それはあなたの目の前にいる二人も理解していることだろう。

 わかっていてなお、命令ではなく望んでいるのだ。あなたの意思を。

 

 果たして自分の意思がそうしたいと思っているのか。

 思っているのだろうしかしそれがそうだと信じるにはあなたはあまりにも無知だった。

 

 ただ、それでも。

 

「――ようこそ、ハグレの王国へ」

 

 握った手。白黒の世界へ息を吹き込んだ温かい風。

 あなたは無意識に、それを手放したくはないとだけは思った。


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