『ありがとう、父よ。おれはあなたを忘れない。あなたはこの山で、おれのこと見守ってくれるのだろう。』
若いマタギによる最後の台詞が始まる。
背景は分厚い水色の幕が張られ、どこまでも続いていく空を表している。山の頂で決意を告げる彼を見守っているのは生命力を滾らせる朝焼けの黄金だ。
『おれはマタギだ。
けものを喰らい、けものに喰らわれるだろう。それでもおれはマタギであることをやめない。自然の中で生きることをやめない。
それが――あなたに教わったことなのだから』
幕が閉じられていく――瞬間、示し合わせていたかのような湧き立った拍手が劇場内に響き渡った。もちろん俺も拍手している。隣に至っては今すぐにでも飛び出しそうな雰囲気で前のめりになっていた。
「落ち着け。まだカーテンコールがある」
「最後に手を繋いでお辞儀するやつ?」
「ああ」
カーテンコールは舞台の初日や千秋楽といった節目のタイミングで役者たちがそれぞれ挨拶をするときがある。その延長線上で今回の演劇の難しかったところを述べたり、軽く舞台裏の面白いエピソードを話したりとおまけがあるのだ。そして、今日の舞台は最終日にあたる。
「何か参考になることがあればいいな」
「だといいのだけれど」
第十話「 めぐり合わせ(前) 」
むすっとした頬を膨らませてホールを歩くのは、先ほどまで楽しみにカーテンコールを見ていた夜凪景だ。
山に迷い込んだ旅人の女とそのお供役の数人が喋り、殺された父役も愉快に今回の役について語っていた。そしていよいよ中心にいた若いマタギの主人公――明神阿良也の出番かと思えば彼は受け取ったマイクをそのまま横流しにして何も言わなかったのだ。これには肩を上げていたこいつもハッとして、既のところで捕まえていなければ舞台に上がり込みそうな勢いだった。
「何よ、ちょっと演技が上手いからって格好つけて。私知ってるわ、ああいうのを中二病って言うんでしょう?」
それとはまた違う気がする。
「演じているときと普段の姿が違うのは役者間ではよくあることだろう? 他の観客の反応も、いつも通りといった感じだった」
「そうだけど、そうだけど……」
かくいう幼馴染もそうだ。彼女はテレビや雑誌、ラジオ番組内も含めて私生活がルーティンの定められたストイックな行動をしていると思われがちだが、割と突発的に旅行に行こうとするなど破天荒な部分がある。仕事面で神経質になっていることの裏返しなのだろう。同じように、明神阿良也もメリハリのついた演技をする反面、それ以外は固執しない性格なのかもしれない。
何かを持った人間は総じて良くも悪くも自己中心的なのだ。
貸したままの俺の制服に、現在進行形で強く抱きしめて怒りをぶつけているこいつもそういう類なのだから素質は十二分にあるということだ。返してくれ。
「さて、観劇も終わったことだ。どこかに寄って行くか、それとも食べに行くか……まあ、このあとに用事あるならば真っすぐ帰るが」
「忘れたの?」
心底不思議そうな声音で、こちらに向きながら言った。
「『張り込みも辞さない』って」
……覚えていたか。
何とかスタッフ口から入ることが出来れば――
「――――あれ?」
どうにかしてスムーズに会う方法を考えていると背後からやや素っ頓狂な声が聞こえた。正面にいる彼女も瞬きをして、後ろの存在に疑問を浮かべているようだ。
「
妙に聞き覚えのある声に振り返ると目が合った。
「……」
「……」
「――?」
無言で見つめる俺と相対する彼は肩から下げたバックのベルトを握った姿勢のまま停止している。変装用眼鏡の奥の碧玉は大きく見開かれていた。
「久しぶりだな――アキラ」
こちらが日和見に挨拶をすると、今をときめくスターズの若手で唯一『天使』と張り合えるであろう日曜日の人気者――星アキラが戸惑いがちに手を上げながら返事をした。
「うん……久しぶり」
一、
星アキラと初めて出会ったのは中学生も後半、いよいよ受験シーズンに差し掛かるといった頃だ。その時期になると幼馴染はドラマ出演で実力を発揮し、『次世代期待の子役ランキング』といったゴールデン番組のコーナーでは常に一位の存在になっていた。
一方、彼のほうは名前を聞いていたかと問われるとそうでもなかった。
今でこそスターズの代表的若手俳優だが、残念ながら彼は幼馴染より早期にレッスンを受けていたにも拘わらず花咲くことはなく、母親から受け継いだ顔貌から雑誌モデルには呼ばれることはあるもののドラマ出演の頻度は限られていた。
「えー、その……夜凪くん、彼はどこで……?」
「同じ高校なの。『デスアイランド』の撮影のときにレイとルイがお世話になったから、そのお礼も兼ねてここに来てて」
「な、なるほど」
頷くものの、まだ何か言いたそうな雰囲気を拭えないでいる。
「まさか知り合いだったの? すごい偶然だわ……」
「いやいやいやっ。夜凪くん、知り合いも何も彼は千世――」
「――待て、アキラ。
景、少し話をしてくるから待っていてくれ」
「? 別に良いけど……」
咄嗟に星アキラの肩を掴むと、回れ右をしてその場から離れて行く。ちょうど無人の簡易休憩所ともいうべき場所があったので入った。
「その様子だと、景のことは知っていたようだな」
「うん。僕も『デスアイランド』には主演してたから、その繋がりで知り合ってね」
「アキラも出ていたのか。なら、話は早いかもしれないが、俺が百城千世子と幼馴染なのは黙っていて欲しい」
「君がそれでいいなら僕からは何も言わないけど……どうしてだい?」
「景の性格からして、俺が千世子の幼馴染であるとわかると興味を持って会おうとするだろう。これは確実だ。何故なら今も明神阿良也に強引に会おうとしているからだ。そして二人が会うと、間違いなく厄介なことが起きる気がする」
「カメレオン俳優の――たしかに夜凪くんが興味を持ちそうだね」
このとき、両者には絶妙な齟齬が発生していた。
片方の言い分としては「百城千世子に興味を持った夜凪景が、自分経由で会おうとすれば板挟みになって面倒くさいことになる」という意味を持って述べたのだが、もう片方の聞いていた側は「たしかに『デスアイランド』の撮影時に
ここで重要なのは、前者が百城千世子と夜凪景が互いに知り合いであるということを
決して彼は悪くない。
弾けると大量の針が飛んでくる風船の紐を握っているのは星アキラではないのだから、持ち主の運の無さが悪いのだ。
「うん、そういうことならわかったよ。君と僕の関係はともかく、君と千世子くんの話は避けるようにするよ」
「ありがとう。助かる」
「かまわないよ――――じゃあ、夜凪くんのところに戻ろうか。彼女も待っているだろうしね。それに、僕の名前を使えばもしかすると裏口から入らせてくれるかもしれない」
「良いのか?」
「使えるものは使う主義だから」
「なるほど」
俺たちはあいつの待つ場所に向かって歩く。
「そういえば、アキラが観劇とは珍しいな」
「CMスポンサーからチケットを貰ったんだ。何か参考にでもなれば良いと思って、二階席で観ていたんだよ」
演劇俳優のリアルタイムで観客に魅せる技術はドラマ俳優といえど覚えたいものなのだろう。
廊下には大々的な宣伝ポスターが掛けられており、やはり一番人気の明神阿良也の姿があった。その横には眼鏡をかけた女性と、どこか軟派そうな男性が額に手を当ててポージングをしている。舞台監督の巖裕次郎は端に名前が載っているだけで、それすらも目立つのは俳優であると拘りを見せているような気がした。
「――いない」
そう言った彼に釣られ、ポスターから視線を外すとそこには待っているはずのあいつがいなかった。
「いないな」
まったく、どこへ行ったんだ。もしかするとトイレにでも行っているのかもしれない。少し待って、それでも姿が見えなければ連絡を入れれば良いだろう。適当に辺りを見回すが似たような姿もない。制服姿なので遠目から目立つのだが――妙齢の二人組の女性が歩いて来たため横に避ける。すると、すれ違い様に気になる言葉が入ってきた。
「今日は最終日だから、スタッフ口でインタビューがあるらしいわよ」
「へえ、今から行けば近くでアラヤを見れるかしら?」
「関係者以外は入れないから無理よ」
香水の香りが鼻腔を突く。
「アキラ」
「ああ、うん。聞いていたよ」
「俺が関係者スペースに入ると部外者でややこしいことになりそうだからそちらは頼む。念の為ロビーにいるから、何かあれば電話してくれ」
「了解」
この判断が正しかったのかはわからない。台風の目のような夜凪景と、それに巻き込まれる役者たち。後にスターズの代表に「手回しが大変だった」、「予測は出来なかったのか」とお小言を貰うのだが、既に夜凪景が向こうにいると確信している彼はぼんやりとロビーの中心に安置された天球模型を眺めるばかりで細かいことは考えていなかった。
そして何より、明日に会う幼馴染に事の真相が露見するのだから、文字通り彼も台風の目の中で悠々と胡座をかいていることには気付いていなかった。
千世子ちゃんと、景ちゃんと、主人公の、共通の知人である……これだけで、アキラくんは大変な立ち位置かもしれない。
原作登場人物の背景も少し増やしてほしい
-
主人公が直接関わるようなら
-
できれば
-
別に良いかなぁ