いつもより重厚に感じる
決して、臆したわけではない。
俺が何年、幼馴染と一緒にいたと思っている。十年は容易く超えている――だからこそ、察することが出来るのだ。
何故か幼馴染は怒っている。
勘違いかもしれない。電話というものは厳密に同じ者の声を届けているわけではなく、幾万通りある同質の声を、つまり似て非なるものを当てはめて互いに聞かせている。偶然、幼馴染の声音に普段と異なる声質のものが選ばれた可能性もあるのだ。
「まぁ、いるに決まっているな」
玄関にある靴を確認して意味のない言葉を吐く。最近購入したお気に入りのスニーカーだ。白一色の靴は合わせやすいと、本当に全部着るのか疑わしい量の――といはいえ、上下七組程度である――洋服と共にレジに持って行っていた。さすがに彼女が訪れたと知れば軽い騒動になるため、支払いは金を貰った俺がしたのだが……。
極めて丁寧に靴を揃えて脱ぐと、つま先から廊下に触れる。音を立てない造りの高級マンションに始めて感謝をした。
やがてリビングに入る扉に辿り着き、ドアノブを下げる。防犯上、どうしてもラッチ音が鳴ることに今度は激しく残念に思った。
「……」
見慣れた室内だ。リビングは最低限のものしかなく、大きなL字型のソファの前にはガラス張りのテーブルと幼馴染の身長と同じサイズのテレビが鎮座している。さらに、相応の家賃がするためか入って右には階段が備え付けられており、半階ほど上がった先には彼女の寝室と衣裳部屋がある。
幼馴染の姿は見えない。
他の部屋にいるのだろう。
このままソファに座って待つか、すれ違いになっていなかったとでも言って外に出るか……さすがに後者は選べないので、大人しくソファに座って待つことにした。
しかし――と思案する。
俺が感じた幼馴染の不機嫌さが本当ならば、彼女は一体何に対してそう思ったのだろうか。
『事務所に着いてから予定が変わって』
と、言っていた。スターズの事務所は基本日曜日は休みで、そうなると当然社員も平日のようにいるわけではない。通常業務ではないので彼女を不機嫌にさせた原因は普段と異なった状況からということだ。では、その異なった状況を作り出したのは誰か――日曜日にまで出社して幼馴染と会う人といえば、それは代表の星アリサを除いていないだろう。
アリサさんが幼馴染を不機嫌にした……?
いや、考えられない。
あの人は勿論そういった嫌がらせをするタイプではない。また、合理的なことから幼馴染に負担が生じるときも、幼馴染が一方的に不機嫌さを滲ませた態度を取るようなことはない。仮にそのようなことがあっても、彼女が察して“今必要なこと”だと理解するからだ。
つまり、考えられることは――――。
「……俺か?」
いや、なわけないだろう。普通に暮らしていて文句を付けられる
彼女の不祥事は即ち、俺の失態ともいえる。
仕事に直接関わっているわけではないが、昔から食べるべき食事のレシピを渡したり、身体作り、体調管理には助言しているのだ。さながら作品ともいえるように育ててきた彼女にマイナスになることはしない。
「――あ、来てたんだ」
先ほど聞いたラッチ音とともに声がした。
どうやら廊下の部屋にいたようだ。振り返ってみると、その手には霧吹きと雑巾を持っている。
「虫部屋の掃除をしていたんだな」
「うん。それと、もう少ししたらカブトムシとクワガタが出てくるでしょ。今年は時間を見て採りに行って繁殖させようかなって、余ってる土がないか確認してた」
「クワガタを育てるなら、菌糸ビンもあったほうが良いな」
「昔やろうとして、変なキノコ生えて失敗したやつだよね。今回は上手くいけば良いけど」
「前のは自然の土と合わせたおかげか中にカビが繁殖したからな……今回は専門ショップに売っているものだけで挑戦しよう」
思えば馬鹿な話である。素人が最初から真似て、山で拾ってきたもので出来るわけがないのだ。その辺の土を使えばカビか、最悪の場合ダニを入れてしまう。現在のように細心の注意を払っているが、一つの部屋で昆虫を育成している環境でダニが繁殖すれば隙間から抜け出たダニが隣の籠に飛んでいき……やがて収拾のつかないことになるだろう。
特に目をかけて可愛がっている
「夏休みは久しぶりに関西に行こうかな」
「近畿地方か?」
さらに以西の可能性もあるが。
「うん。大阪だと人が多いから、京都……も、微妙かな。兵庫県だと北の方に行けばまだまだ自然豊かみたいだよ? 温泉と、神戸に行けば買い物も出来るし」
「いや、まあ、千世子が行きたいなら行ってくれば……」
「一緒に行こうよ」
「それは、予定が合えば――」
「夏休みに決まってる予定なんて特に無いくせに」
「……そっちの予定に合わせるので決まったら教えてくれ」
予定がないと決めつけられるが、俺だってないとは限らないだろうに。もしかするとレイやルイがプールに行きたい、バーベキューをしたいと言ってくるかもしれない。そのとき俺は全力で夏を楽しむ要素を提供しようと思う。去年も手持ち花火で遊んだのだ。
念のため、夜凪家にさり気なく『夏を満喫!』などと書いた雑誌を持ち込もうか。間違いなくあいつも金銭的余裕が出てきているので今年は連れ出せるはずだ。
遊びたい盛りの小学生が、どれだけ日常が楽しくとも夏らしい思い出が手持ち花火だけなのは寂しいだろう。
「ああ、でも――」
彼女は続けて言う。
「一人だけ仲の良い友人がいるって言ってたね。その人と遊ぶ約束でもしてた?」
正確には当人でないが、弟妹たちのことを考えていたのでタイミングの良さに少し驚いた。
「仲は良いかもしれないが、そこまでじゃない。それに最近は忙しいようで……前のようには遊んでいない」
事実である。
「ふぅん」
なんだその反応。
変な空気を感じたので、話を変えることにする。
「それより、予定が変わったと言っていたが何かあったのか?」
「んー、そうなんだけど……」
手に持っていたものを片付けた幼馴染はこちらに歩いていくる。スリッパを履いているためか軽い足音が耳を突いた。
ソファに座っていた俺の背後に立つと、細長い指が絡むように下顎に触れる。そのまま優しくを上を向かされ、琥珀色の三日月が如く瞳に射抜かれた。
「――昨日、どこに行ってたの?」
第十三話「
凡百の人間ならば、彼の隣にいてもかまわない。
それでも彼女にとって――
一、
「昨日は、観劇に行っていた」
「『劇団天球』?」
「ああ」
「アキラくんと会ったんでしょ?」
「? そうだが……」
知っていたことに驚きはない。幼馴染と星アキラはスターズ内でよく比べられるが、だからといって二人の関係が悪いことはなく、むしろ良好に当たるだろう。度々アキラが足の代わりにされているのを見る。彼もまた努力家な一面があり、休みの日に事務所にいたことに違和感はない。
「それと――」
互いの鼻先が当たっている。
いつもならば押し返す所だが、先の言葉が気になった。
「――――夜凪景」
「……っ」
「彼女も一緒だったんだよね?」
どうしてあいつの名前を……?
百城千世子が? ――何故だ。
どこに繋がりがあった――あるのがおかしいか?
アキラと……『デスアイランド』――あいつとアキラが共演しているならば、可能性はある。
「ちょうど、こういうのが届いたんだ」
目前に掲げられていたそれは――『デスアイランド』と書かれた台本だ。デフォルメ化された原作キャラたちが表紙を飾っている。
彼女は台本を、就寝前の子供に読み聞かせる絵本のようにして開いた。
「ほら、ここのキャストの部分わかる?」
上から降ってくる言葉に頷く。
「主人公は私が演じる『カレン』。最初から最後まで希望を持ってクラスメイトと状況を切り抜けようとする、唯一の生き残り」
そして、と隣を指す。
「結局死んじゃうんだけど、カレンの次に長く生き残る――『ケイコ』というキャラクター。これが夜凪さんの役」
「準主演か」
「そう。
このキャラクターはね、元々原作に存在しないキャラクターなの。実写版を制作するにあたってスポンサーが話題性を持たせるために無理やり作った、映画オリジナルのキャラクター。おかしいよね。漫画では彼女がいないで完結してるのに、いきなりサバイバル物で登場人物を作って、しかも原作ストーリー主軸で作るんだよ? 監督にとっても撮り難いものだったと思うよ」
漫画・アニメの実写化の多くは評価が芳しくない。原作者にとって理想的なコマ配置、CGを必要としない派手な表現。読者にとっても理想的な登場人物たちの口調や妄想で補填できるカバーストーリーの数々など、リアルでないからこそ楽しめる要素がある。
そこに『実写』という一つの因子を加えるだけで、世界は裏返るのだ。
ましてや今回は危険な橋を渡るだけはなく、橋をそのまま強化せず、渡る人物を一人増やすという――オリジナルキャラクター案だ。
「不安定な映画だからこそ、選ばれた監督が
映画を撮らせるとまず元は取れる、といわれる監督だ。
「まあ、結構私頼りのシーンも多かったんだけどね……台本も酷かったよ。正直何で映画化出来るのかよくわからないくらいには」
「そう言うな。漫画の方は読んだのか?」
「ううん、台本だけ。時間が無いのもあったけど、それで十分だったし」
「漫画が面白かったということだろう。百城千世子を主演にあてるくらいだからな」
さらにアキラとなれば、かなり稼いでいるはずだ。
「景の演技はどうだった?」
「夜凪さんの?」
あいつが役者業を始めて約一月、その後に映画に出演すると聞かされてレイとルイの二人を任された。映画出演とは聞こえは良いが、実際はエキストラ出演だったということもある。さすがに、実は前からやっていて、ようやく実を結んだから報告も兼ねて教えたということはないだろう。コネ採用も考えられるが、許容する性格ではない。
そうであるならば、短期間で幼馴染の隣に立つ、数億という価値を持つ『天使』百城千世子に並ぶ者として判断された夜凪景の演技はどのようなものなのか?
「んー、夜凪さんの演技はね……迫力がある、かな」
「迫力がある?」
「そう。たぶん、あの場にいた中で夜凪さんより演技が上手い役者はいなかった。スターズも、オーデイション組にいた人たちも、誰一人として。だから監督は私の隣に立たせたんだろうけど」
「千世子よりも?」
「――
そうだろうな。
そうに違いない。
いつも彼女はこうだった。
最後に――勝つ。
これが彼女の在り方なのだ。
「夜凪さんの演技、見たことないの?」
「この前聞いたが恥ずかしがって見せてくれなかった」
「そういうタイプじゃないのに」
「それはわかる」
こうなれば、ますます気になってきた。
「でも良いな、演劇。私も見たかったかも」
「チケットはすぐに取れるだろう? アリサさんにでも頼んで観に行ったらどうだ」
「一緒に観に行きたいって言ってるの」
ぺちぺちと額を
「演劇か……」
『劇団天球』はシーズンの合間になるので暫く休みだ。かといって、生半可な劇団に妥協する気も起きない。
「次の『劇団天球』の舞台に景が出るんだ。せっかくだし、それを観に行くか?」
「良いじゃん。そうしよう」
チケットが取れるかはわからない。次公演の情報は既にホームページで出ていると思うので、販売日がいつになるのか把握しておかなければならないだろう。最悪、あいつに拝み倒してチケットを貰うという選択も……やめよう、負けた気がする。
「そういえば」
ここに来る前に気になっていたことを尋ねる。
「電話先で少し機嫌が悪いように感じたが、結局何があったんだ?」
「……本当?
そんなつもりはなかったんだけど――どうしてだろうね」
幼馴染は関心の薄そうな反応を見せると、不思議そうに笑っていた。
二次小説書いて、改めてまとめて思いましたが『デスアイランド』ってなかなか歪な状況での映画ですね。おそらく「百城千世子がいることにより現場は彼女によって整合性がとれる」といった彼女の総合的強さを表すための舞台でもあったのでしょうが……。
そういう状況ならば、スターズが「とりあえず元取れる」監督を用意したのがよくわかります。さすが手塚先生。虫繋がりもかけていると思います。
こう、千世子ちゃんは直接好き好きって感じじゃなくて、いつの間にか正妻的ポジションに、自然に、はたまたあるべき姿かのように、人前でもそっと指を絡めてくるような……そんな感じが、イイです。
景ちゃんとは夜のドンキホーテとかでしょうもないモン買って笑いあったり、寝るとき枕の取り合いとかしたい。
雪ちゃんとは家から一番近い居酒屋で、ビールとかサワーじゃなくて意外と日本酒とか焼酎で衣が片栗粉の唐揚げ食べながら、最後はお互いに酔っ払って同じ家に帰りたいです。
いつの間にか、旅行と観劇の約束を取り付けられている主人公……一歩下がれば、三歩進むのが『天使』である。
原作登場人物の背景も少し増やしてほしい
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主人公が直接関わるようなら
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できれば
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別に良いかなぁ