私の記憶にある一番古い記憶は公共放送杯で父が名人に勝って、優勝している瞬間である。当時から、というか生まれてから振り飛車しか指したことのない父だからやはり振り飛車だった。その時はまだ将棋を覚えていなかったが、解説で言っていた事を暗記するほど見返した。
「生石六段は角道を開けて、飛車を五筋に振り、得意のゴキゲン中飛車に構えました。」
1人で実況解説まがいのことをやりながら、父に買ってもらった将棋盤に、何回も見た父の棋譜を並べるのが幼稚園の時の私の1人遊びだった。
何が言いたいのかというと私にとって父とは間違いなくヒーローだったのだ。どんな筋にも飛車を振り、相手の急所を突き、華麗に捌き、時に粘り勝つ。
そんな私が将棋を覚えた時に飛車を振るようになるのは当たり前の事だった。
~ 著 生石龍華 「腕振って、飛車振って」 はじめに から一部抜粋 ~
小学校二年生の時に小学生玉将戦で優勝、三年生で研修会に入り、四年生で奨励会に入会、中学校二年生で三段リーグ入りをして、高校一年でプロデビュー。
華のJK女性棋士として、史上初の女性棋士として高校時代を過ごす。新人戦も二回取った。チャレンジ杯も粘り勝った。
自分の将棋人生を思い返してみると側から見るととても順調なように見える。いつでも全力だった。いつでも前向きだった。腕振って、飛車振って、大駒を捌く、切れ味鋭い攻め将棋。
だけどそれは私の憧れたものの前では竹光と同然だった。するどい切れ味を持つ正宗の前では、まさに子供の児戯に等しいように感じた。
初めてのタイトル戦、初めての父との対局
一局目は緊張からか不出来だった。二局目は焦って詰みを逃した。三局目は良いところなく惨敗だった。そして四局目。私の玉にはどうにも受けがない。穴熊を組むのを優先し、手損を重ね、綺麗に詰まされる。憧れの舞台に立って、浮かれて、舞い上がっていたところに現実を突きつけられる。
「負けました」
歯の隙間から漏れ出すようにどうにか声を絞り出し、頭を垂れる。
私の夢見た舞台は私自身のミスによって最速で流れ落ちていった。
東京の短大を選んでよかったって思う。もし、大阪の短大を選んで自宅から通うことにしていたら、どんな顔して過ごしていいか分からないから。父と大きな舞台で将棋を指すことが夢だった。
こんな無様な将棋を指したかったんじゃない。こんな不出来な将棋を見せたかったんじゃない。
玉将戦4-0で生石玉将の防衛。父としての貫禄を見せる。こんな見出しをスポニチに書かせたかったんじゃないのだ。感想戦も悔しくて喉を掻き毟りたかった。感想戦もインタビューも終わり、父が何か話かけようとしてくるが無視して部屋に逃げ込んだ。涙をこれ以上止めることなどできなかったから。
こうして私の初めてのタイトル戦は終わりを告げた。
生石龍華19歳、職業将棋棋士、段位は六段、今の目標は父を超える事。
将棋界に史上四人目の中学生棋士となる九頭竜八一が誕生する実に10日前のことだった。