振り飛車を指すというのは人間にとってごく普通のことだ。駒の動きを覚えたばかりの初心者が最初に指す戦法は五筋に飛車を振る中飛車がほとんどだ。これは人間の遺伝子に飛車は振って戦うものだということが染みついている証拠ともいえる。つまり人間にとって振り飛車という戦法は本能によって作られたある種の完成させられた戦法なのだと言える。話は変わるが将棋ソフトはほとんど飛車を振らない。いや、正確に言おう。ソフトは飛車を振ることが出来ないのだ。多くの人間が人間を超越した将棋ソフトが飛車を振らないことで誤解してしまっているが、居飛車が振り飛車より優れているからソフトが振り飛車を指さないわけではない。ソフトには飛車を振るという柔軟な発想が欠如しているのだ。もし、将棋に絶対無敵の戦法があってもソフトは絶対に指すことは出来ないだろう。なぜならその戦法は振り飛車に属するもので間違い無いからである。そう信じて私は今まで飛車を振ってきたし、これからも飛車を振り続けるのだ。
~ 著 生石龍華 「振り飛車の勧め」 より一部抜粋 ~
公式戦で初めて年下との対局で負けたのは、竜王戦本戦トーナメント挑戦者決定三番勝負のことだった。六組優勝から挑戦者決定戦まで勝ち上がってきたのは、まだまだ小僧である九頭竜八一(当時四段)との対局だった。
九頭竜は奨励会三段として参加した竜王戦で六組で優勝した。その途中で四段に昇段を決めたのだ。
対する私は、三組優勝から勝ち上がり、一組二位から挑戦者を目指す名人との対局に粘り勝ち、ようやくたどり着いたタイトル挑戦への道だった。相手は棋戦初参加でこの前まで中坊だった15歳。しかも小学生のころから棋士室でひねってた思い出がありガキのイメージが抜けない。なめてかかったわけではないと言いたいが心のどこかでなめていたのだろう。後手番で阪田流向い飛車。玉を囲わせてもらえないまま開戦を余儀なくされた。作戦負けから粘りに粘り一分将棋になって受けを間違え結局負けた。
これが私にとって初めての年下の公式戦における黒星だった。
気を取り直して迎えた二局目。
先手の私は四間飛車で藤井システムに構え即座に開戦。玉頭に歩を残して橋頭堡にすることに成功。その後に自然に美濃囲いを完成させ、飛車を裁いて詰みに持って行った。
そして最終第三局。振り駒の結果後手。
角道をあけ、五筋に飛車を振り、ゴキゲン中飛車へ。向こうの銀に対して飛車を裁き、角も渡して、角銀交換をして、人間の目から見ると互角だった。私から見ても互角か少し良いくらいかと思っていた。しかし、ソフトの評価値放送ではこの段階で大差とのことだった。私の詰めろに対して詰めろ逃れの詰めろ。私が相手の玉を詰ますには銀が必要だった。だから合駒に桂馬を使った。これが敗着だった。これが銀合だったなら私の玉は詰まず、長い手順ではあるが私有利に進んでいたようだった。
こうして私の竜王挑戦は消えた。
この対局が後に何度も対局し、何度も私の前に立ちはだかってくる西の魔王との初対局だった。