人気棋士にあだ名が多く着くのは当たり前のことだが、その例に漏れず、生石龍華玉座にも多くのあだ名がある。一番有名なのは『捌きの女帝』だろう。ますます鋭さを増したその切れ味は、並みの棋士ではあらがうことなく刈り取られるだろう。親娘そろっての棋風から『振り飛車の遺伝子』と呼ばれるのもよく聞く。
そんな中に、彼女に棋風の激しさや、苛烈な発言などから『過激派振り飛車党』とも言われているが、最近のトレンドは『振り飛車原理主義』らしい。あまりに振り飛車に一途な所を見ているとこれが一番的を射ている風にも思える。
振り飛車冬の時代と言われるプロの世界で、誰よりも研究し、結果を出し続けて周りを黙らせる。
結果を見せて、反論を許さない。まさに正しさの暴力である。そんな周りを焼き焦がす太陽のような姿が将棋プロとして、一番の特徴なのかもしれないと思う。
~ ブログ ある棋士の憂鬱日誌 「明日対局、対戦相手に思うこと」 より 一部抜粋 ~
その日、俺ーーーー九頭竜八一はどうにか山刀伐尽八段に勝つきっかけを得るために将棋道場兼銭湯という日本に恐らくただ一つしかない珍しい施設『ゴキゲンの湯』に来ていた。
振り飛車党総裁とも言われる「捌きの巨匠」生石充玉将が運営しているこの施設は大阪の、いや、関西の振り飛車党の総本山ともいえる場所だ。
居飛車党のタイトルホルダーである俺からすれば、ここはまさに敵地。
普段なら来ようとも思わない場所である。
そんな場所にきたのは、きっかけを求めてだった。
些細な事でいい。少しのきっかけが欲しかった。
だからここに来た。
三連敗もしてる相手だからこそ、奇襲と言われようとも、卑怯と言われようとも勝ちたかったから。
「つべこべ言うな、稽古はふたりともみっちりつけてやる。二週間もすれば、飛車が横に動かなきゃ我慢できない体にしてやる。それとーー」
「「それと?」」
「バイト代は払わなくていいよな?」
こうしてどうにかこうにか巨匠との契約が決まった矢先、
「じゃあ、まず私が相手してやるよ。」
出来ていたギャラリーの外側から聞き覚えのある声が聞こえた。
「龍華、こっちに来るなんて珍しいな。」
「入口からそこのクソガキの声が聞こえたからな。」
以前にあったときよりも大きな存在感を纏って、熟練の棋士が時折見せる貫禄と似たようなものを感じる。
その存在感に自然とギャラリーは割れ、そのプレッシャーにギャラリー全員が呑まれていた。
俺はその存在感に押しつぶされそうにながらも、彼女を見る。
あいさつをしようとする俺より先に彼女の口が開いた。
「居飛車で勝てんから飛車を振るための教えを乞う?いい度胸やな?」
彼女の口からは侮蔑の感情が感じ取れた。
「勝負で勝つために戦法を学ぶことは大いに結構なことだ。だけどなぁ、軽々しく飛車を振るなんて言うんやないぞ?」
もうすでに俺の目の前に座り、公式戦ーーとくにタイトル戦の前の棋士が発するような異様なプレッシャーを感じ、背筋が凍る。
「あんまり振り飛車をなめるんじゃないぞ?」
そこには振り飛車に絶対の自信を置いている一人の棋士の姿があった。
その将棋は俺の先手で始まった。
角道を開けて、角交換を行う角交換四間飛車
急戦で仕掛ける俺に対して、美濃囲いを完成させ、応戦してくる。
俺は歩の突き捨てから露出させた銀を目掛けて攻撃を仕掛けるが、形勢がよくなっている気がしない。
主導権を握って攻め立てているはずなのによくなってる感じが全然しない。
惑わされるな!
形が良いのは自分だし、駒割りでも自分が得をしてる。
自分の読みを信じるんだ。
あと少しで急所の銀が剥がれる。あれが剥がれれば俺の勝ちが近づく。
「焦りが出てるで、竜王」
そう言うと彼女は手抜き、自分の桂馬を切り飛ばした。
囲いを崩そうと攻め立てる俺に対して、駒を与えるのが怖くないのだろうか。
俺の疑問を感じたのか彼女からため息のような吐息が漏れる。
「言うたろ?焦りが出てるって。」
桂馬を取るために動かしたせいで空いたスペースに角を打ち込まれる。
慌てて受けた俺の飛車に対して、銀が成りこんでくる。
馬の辺りをさけたスペースに香車と歩で攻めの橋頭堡を作られる。
銀を犠牲に馬を排除したら飛車が龍に成り迫ってくる。
ようやく受け切ったと思ったら、自分が打ちたい場所に先に駒を入れられる。
気が付けば、俺の陣地が焼け野原になっていた。
形はボロボロ、駒の効きも足らず、圧倒的な実力の差を見せられた形だ。
はぁっ とため息が聞こえ、俺はショックのまま動けなかった。
「12月までの成績なら、優秀棋士賞どころか最優秀棋士賞も狙えた。勝率一位賞も、勝数一位も」
ぼそっと始ったのは感想戦ではなかった。
「唯一の全勝で昇級圏内だった順位戦もその後連敗。帝位リーグも一瞬で陥落。手にした記録は連敗記録。」
言われているのは、俺の竜王戦後の成績だ。
あまりにも悲惨な成績。
「そんなんだから結局将棋大賞も結局新人賞だけ。タイトル獲ったからって調子乗って、一番大事な将棋をおろそかにしたんちゃうんか?」
「師匠みたいに粘って、執拗に勝ちを狙う自分の将棋忘れて、小奇麗な将棋を指すようになったり、それが治ったら今度は負け続けてる相手の意表を突くためにオールラウンダーになる?」
「将棋舐めるのも大概にせえよ?」
彼女の言葉は俺に反論を許さなかった。
言葉だけではなく、この将棋の結果が棋士としてのプライドから反論をする力を失わせていた。
これだけの差を見せつけられては何も反論など出てくるはすがなかった。
彼女は言いたい事を言い終えたのか、俺の前から静かに立ちさった。
「竜王になって、弱くなったな。」
最後に俺にだけ聞こえるように言ったそれは、俺のちっぽけな意地やプライドと一緒に心を折るには十分な一言だった。
ーーーーー
その後のお通夜な空気の中、どうにかこうにか指導を再開して切り抜けた。
将棋を指し終えて、お風呂へ
風呂上がりに一息ついているとあいから
「あの、ししょう。ししょうを負かしたあの女の人って…」
「ああ、あいは知らなかったか。」
生石龍華玉座
史上初の女性棋士で、玉座のタイトルを持つ最強の女棋士
生石充玉将の長女で、『捌きの女帝』の異名を持つ純粋振り飛車党
そして俺が誰よりも棋士室で教えてもらった相手
「やっぱ、強いなぁ。」
「そんなことないです!最強はししょうです!」
思わず漏れた本心に、あいが反応してくるが今は頷く気にはなれなかった。
「あいつはお前に期待していた。」
いつの間にか隣に来ていた巨匠はタバコをふかしながら遠い目をしていた。
「自分からタイトル挑戦を奪い取ったお前の将棋に一番感心していたのは龍華自身だ。粘って執拗に勝ちを狙うお前の将棋をすごく評価していた。」
タバコの火を消して真っすぐに俺の方を見る巨匠の目は俺に訴えかけてきた。
「それなのにお前が竜王を取った後に下手な将棋指すからなぁ」
なにも言い返せない…
「今日、お前に言った事は全部お前への期待の裏返しだ。自分の将棋の良さも出せて無いのに飛車を振るなんて言うから、自分の弱さを戦法のせいにしている風に思ったんだろうよ。」
そう言われてハッとした。
果たして俺は、タイトルをとってから自分の将棋に真剣に向き合ってきたのだろうか。
「まぁ約束通り振り飛車は教えてやる。失われた期待は勝って取り戻さないとな」
そうだ。まずは勝たないと。
勝たないと何を言っても敗者の戯言にしかならない。
俺とあいは頭を下げて、ゴキゲンの湯を出る。
今日新しく目標が出来た。
もう一度、あの人を倒すことだ。
次回は桂香さん視点の予定