彼女たちが旭高校に初登校する当日の朝。
「ねぇ、ナナミくん。この制服どう?」
「んー?……いいんじゃない?似合ってるぞ」
「むっ、なんか適当に褒めたって感じ。そんなんじゃ女の子にモテないぞ~?」
本当に珍しく一人で起きて制服に着替えてきた一花の小言を聞き流し、朝食で使った食器を洗っていく。
それまでの過程に目を瞑り、同じ学校の生徒になることは本来であれば喜ばしいはずなのだがイマイチそんな気分になりきれなかった。
(家庭教師、ねぇ……)
今日から彼女たちに家庭教師がつく。
しかもその相手は五月に因縁を付けてきた男だと来たもんだ。
どこからどう考えても絶対一悶着あるでしょ、と。
考えれば考えるだけ気が重くなっていく。
……朝から五つ子たちに制服の感想を聞かれ続けたからでは決してない。
「……ふっ!!」
午前中の授業が終わり、座りっぱなしで凝り固まった身体を椅子の背もたれを使って背中を反らすとバキバキバキッ!と背骨が鳴った。
プロの人間じゃない限り間接とかあまり鳴らさない方がいいんだろうけども、鳴らした時の爽快感というか心地よさを味わったら病みつきになっちゃうんだよな。
一通り背骨を鳴らし終え、お昼を学食にしようか売店で何か買うか悩んでいると隣の席に座っていた三玖が話し掛けてきた。
「ナナミ。お昼は?」
「学食にしようか売店で何か買おうか悩んでる」
「それなら一緒に学食、行こ?」
「おう。いいぞ」
ロッカーの中に入れていた財布を取り出し、制服のズボンのポケットに突っ込んでから廊下に出る。
しばらく三玖と雑談をしながら歩いていると、少し前方に赤毛の身内が歩いていたので少し早足で歩いて追い付く。
「五月。お疲れ様」
「お疲れ様です、七海くん。それに三玖も」
「五月も学食?」
「はい。三玖たちもですか?」
「うん」
目的地が一緒のため、午前中受けた授業とかクラスの雰囲気とか色々話を聞きながら学食へと向かう。
何でも五月が転入したクラスにはあの上杉がいたらしく、さらに席も隣同士らしい。
『あの時ほど自分の運命を呪った時はありません!』と語気強く話す辺り、上杉に対して相当ご立腹の様子だった。
何をどう話したらあの短時間の間にこんなんなるんだか……。
注文していた品を取りに行っている間にいつの間にか姉妹全員集合となり、それぞれが談笑しあいながら昼メシを食べていると四葉があの話題を切り出してきた。
「そういえば私たちに家庭教師がつくんだって!」
「家庭教師、ねぇ……」
真っ先に難色を示したのはやはりというか二乃だった。
そういえば執事として俺が中野家に関わり始めた時も、こんな感じだった。
「ナナミがいれば家庭教師なんていらない」
「私は別にどっちでもいいかな」
「私も一花と同じです」
三玖も二乃と同様に難色を示し、一花と五月はどっちつかずな意見を吐露した。
「正直外部の人間なんて七海だけでお腹一杯よ」
二乃はフンッ、と不機嫌そうに鼻を鳴らした。
そう評価してくれるのはありがたいことなのだが、この言葉を聞いて中野家に関わり始めた時の事が思い出される。
今となってはいい思い出ではあるけども。
「……あれ?なにか落ちてる」
それぞれのお膳を持って立ち上がろうとしたら、四葉が床に落ちていた1枚の紙に気付き、スカートの裾を気にしながらしゃがみこんで拾い上げる。
中身を確認した四葉は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに折り目に沿って折り畳んだ。
「七海さん。お願いがあるんですけど……」
「どうした?」
「持ち主のところに届けたいんですけど、この人の事分かりますか?」
渡された紙を受け取って広げると、100点満点のテストの答案用紙。
落とし主の名前は『上杉 風太郎』の文字が書かれていた。
上杉、か…。
見える範囲にいてくれればいいのだが、と思いながら少し背伸びをして周辺一体を見渡す。
すると、俺たちか座っていた座席の突き当たりのところに手を組みながら座っている上杉を見つけた。
上杉がいる場所と上杉個人に宛てた伝言を伝え、この場を四葉に任せることにした。
……ちゃんと来てくれるといいのだが。
そう思いつつ、一緒に食堂を後にした。
放課後三玖に生徒会の雑務をしてから帰ることを伝え、しばらく書類作業をしているとガラガラとドアが開く音が聞こえた。
一度書類から目を離し、生徒会室に入ってきた人物が待ち人であった上杉であることをこの目でしかと確認する。
「遅かったな。アルバイト申請書は持ってきたか?」
「…ほらよ」
手渡された書類にサッと目を通し、不備がないことを確認してから生徒会の承認欄に判子を押す。
「はい、確かに承認しました。先生たちからもらう判子とかは俺が回って貰っとくよ」
「そうか」
ぶっきらぼうに言い放った彼はそのまま踵を返し、さっさと生徒会室から立ち去ってしまった。
昨日の出来事から薄々は察してはいたが、勉強以外まるで興味がないような感じだ。
果たしてこんなやつに家庭教師なんて務まるのだろうか…。
それぞれ必要な先生たちの承認の判を押してもらい、最後に校長先生に提出してから割と急いで帰宅する。
一度自分の部屋に行って制服から仕事の服に着替え、姉妹たちの部屋へと向かう。
入口には上杉と一花、四葉の3人が立っていた。
「あっ、ナナミくんおかえり。生徒会のお仕事お疲れさま」
「三玖から遅くなるって聞いてましたけど思ってたよりも早かったですね!」
「は?副会長がなんでこいつらの家にいるんだ?」
事情を把握しきれていない上杉は疑いの表情を隠すこと無く、冷たい視線を容赦無く浴びせてくるがそれをサラッと流し、左手を腹部に当て右手は後ろに回しながら一礼。
「中野家へようこそ、上杉様。私中野家の執事をしております水瀬 七海と申します。以後お見知りおきを」
「は?………はっ?」
それ以上のリアクションが無く、どうかしたのかと頭を上げると上杉は口をポカン、と開けてなんとも間抜けな表情になっていた。
目の前で手を振ってみたりスマホで連続写真を何十枚か連写で撮ってみたりもしたが何一つ動じなかった。
「こいつフリーズしてやがる……」
「たぶんナナミくんが執事だった事に驚いてるんじゃないかな?」
「あ、あはは…」
上杉は四葉に任せ、夕食の支度をしようとキッチンへ行くと二乃が鼻歌混じりにオーブンの中身を見守っていた。
「おかえり。三玖から遅くなるって聞いたけど思ったよりも早かったわね」
「まぁな。…クッキーか?」
「そうよ」
オーブンの中を見てみると小麦色の生地が均等に並べられており、仕上がりを見る限りだと焼き上がるまで時間はそんなに時間は掛からないだろう。
「なら邪魔にならん程度に支度しとくよ」
「夕食の準備なら私がやるわよ。その代わりこれ買ってきて欲しいんだけど……」
手渡されたメモを受け取り、サッと目を通す。
それなりの量があるため、徒歩で行くしかなさそうだ。
「頼めるかしら?」
「いいけど少し時間が掛かるけどいいか?」
「じゃあお願いね」
「オレの分も少し残しといてくれよ」
そう言い残し、玄関を出ると同時にスーパーへ向かって走り始めた。
「はぁ…。キッツ……」
気合いを入れて走ったお陰で想定した時間よりも少し早く買い物を終え、荒れた息をエレベーターの中で整える。
頼まれた品の重さが意外とあるため、なかなかハードな買い出しだった。
「ただい……は?」
両手に物を持っているため、使用人としてはどうかと思ったが足でドアを開けると一花と三玖がテーブルの上に置かれたペーパーに頭を悩ませ、その隣にはシャーペンを握り座ったままオーバーヒート寸前の四葉。
そして、フローリングに突っ伏したままの上杉の姿があった。
「……二乃?これどういう状況?」
「眠らせたわ」
「眠らせた!?」
サラッとすげぇこと言ったな、オイ!?
荷物をキッチンに置いてから改めて上杉の様子を観察。
規則正しい呼吸に眼球の向きなどから、本当に眠っていることを確認することができた。
テーブルの上にクッキーが乗った大皿や水が中途半端に入ったグラスがあったため、大方水の中かグラスの縁に睡眠薬を盛ったのだろう。
「二乃」
「なによ」
「こいつにどういう思いがあって眠らせたかなんて聞くつもりはない。けど……」
「けど…、なによ?」
「こいつどうやって家に返すんだ?」
「……あっ」
ポケットに入れていたスマホを取り出し、電話を掛ける。
「もしもし、江端さん?少し頼みたいことがありましてちょっとマンションまで来てもらえますか?」
その後、江端さんに事情を説明してから眠りこけている上杉を家まで送り届け、妹ちゃんにも事情を一部分を省いて説明すると布団を用意してもらった。
布団に寝せて何かあったら、という事で連絡先を渡してから上杉家を後にした。
そして二乃にはせめて後先の事を少し考えてからやるように、と釘を刺しておいた。