カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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中編 ロサンゼルス編 Ⅲ

 何がどうなっているのか。

 空の上には、何の冗談か全長三〇メートルはあろうかという赤い竜が飛んでいる。間違いなく、『まつろわぬ神』だ。

 形態は典型的な西洋竜。ただし、手足がすらりと長く、鉤爪が地上からでも見て取れるほどに大きい。蝙蝠のような翼を広げると、陽光が遮られて地上に大きな影ができた。

「怪獣系か。これはこれで久しぶりだ」

 『まつろわぬ神』として対峙した敵の中で、人の姿を取っていなかったのは一目連くらいのものだ。思えば、竜は神獣としては顕れたが、『まつろわぬ神』としては降臨していない。少なくとも、この一年の間には。

「そこにいるのは、神殺しか」

 図太い、それでいて知性を感じさせる声で竜が言った。

「ほう、なるほど。我を信奉するもの共が言っていたな。今、この地に二人の神殺しがいると。先ほど、一人とは一戦交えたが、貴様が残る一人ということか」

「スミスと戦ったってのか!?」

「うむ。とはいえ、彼奴は腰抜けよ。正面からぶつかってくることもなく、様子見に徹しておったからな。貴様がそうではないことを祈るぞ神殺し」

 スミスは権能の使用に制限がある。アルテミスの矢も変身も軽々しく使えるものではないから、敵の情報を探り手の内を読んでから攻める。ヒット&アウェイは、彼の常套手段ということだ。

「戦う気は満々か」

 外見で判断すれば、火を吹くことも考えられる。周囲は自然公園というだけあって緑豊かな地で、こんなところで火炎放射などされては、大火災になってしまう。そうなれば、背後の祐理たちの逃げ場がなくなる。開けた場所まで移動する必要があった。

『縮』

 短く言霊を呟いて護堂は空に昇る。竜の頭を飛び越えて、放物線を描いて自由落下。空中でほどよい土地を探し、そこを目掛けて空間を圧縮する。

 護堂が舞い降りたのは、ピウマロードと呼称される道の近くだ。周囲は赤茶けた土が露出し、低木が立ち並んでいる。西部劇に出てきそうな、乾燥した大地で、連なる山々によって起伏が生まれていた。人気はない。延焼は仕方がないとしても、巻き込まれる人は少ないだろう。

 と、そこに空から炎の塊が落ちて来る。

「あぶねッ」

 護堂は斜面を転がり落ちて直撃を避ける。爆発によって崩れた土砂が、護堂の身体にかかる。シャツの中に砂が入って気持ちが悪い。

 だが、そんなことに構っていては直撃を食らう。護堂は一目連の権能を駆使して無数の楯を生成し、空中に展開する。

 竜の炎が楯にぶつかり、派手に火花を散らした。

「《鋼》の楯! なるほど、製鉄神を殺めたか!」

 口腔から炎弾を連射する竜は、どのような原理か平然と言葉を紡ぐ。匂いか気配か。一目連の権能が生成する武具に宿る《鋼》の聖性を感じ取っているらしい。

 やはり、見た目どおり《蛇》に属する神格なのか。

 しかし、外見が竜だから《蛇》という発想も危険だ。《蛇》は他勢力に征服された証のようなものだ。そういった歴史的、神話的背景がなければ《蛇》と断定するのは難しい。

「なかなかの楯だ。戦いなれているな神殺しの少年。……炎を弾くならば、少々力押しに行くまでのこと!」

 竜が、爪をぎらつかせて舞い降りる。

 炎を完全に防いで見せた楯の数々も、三〇メートルに及ぶ巨獣を前にすれば紙屑も同然か。圧倒的な重量はそのまま物理的な破壊力に変換され、護堂に襲い掛かる。

 迎撃は、危険。回避するには、地中を行くしかない。

 土雷神の化身を行使し、肉体を解く。雷と化して地中に潜り、竜神から距離を取った。直後、竜神が楯を蹴り砕いて大地に足を突いた。凄まじい衝撃が四方に奔り、硬い低木の枝が激しく揺さぶられて吹き飛ぶ。竜神が着地した斜面も、衝撃を支えきれずに崩落し、直下の道路が寸断された。

「素早いな、神殺しの少年」

「正面からあんたの体重を受け止めようとは思わないだろ。逃げんのは当たり前だ」

 護堂は周囲に剣を展開する。《鋼》の剣。《蛇》を打ち倒し、敵を征服する象徴。《蛇》から生まれし《蛇》殺しの力だ。

 切先を向けられた竜神は臆することなく牙を剥いた。

「貴様たち神殺しが地上に蔓延し、星の運行は大いに乱れている。主も嘆かれるはずだ。我もまた神殺しを血祭りに上げ、世に巣食う悪鬼羅刹への宣戦布告としてくれよう」

 翼が大気を打つと、目に見えない津波のような大風が起こる。それが、そのまま攻撃に転用されるのだから、風の攻撃は反則じみている。

 護堂の剣を薙ぎ払って、赤茶けた風の壁が護堂を襲う。

 護堂は一目連の権能を使って簡易シェルターを構築し、風をやり過ごした。単純ながら強烈な打撃攻撃に曝されたシェルターが悲鳴を挙げる。

 並みの神獣程度であれば、この一撃を受けるだけで消滅しただろう。護堂も、生身で直撃を食らえばどうなることか。爆風が指向性を持って襲い掛かってくるに等しいのだ。脅威以外の何物でもない。

 しかし、竜神の攻撃を受けても護堂の心は穏やかだった。

 幾多の死線を潜り抜けてきた恩恵からか、冷静に敵の力を分析する余裕がある。…………それ自体が、どこかおかしいと感じながら、護堂は呪力を練る。

「陰陽の神技を具現せよ。鬼道を行き、悪鬼を以て名を高めん」

 

 

 

 彼をこの地に呼び出したのは、復讐心だ。

 現代で言えば、カルト教団というべきか。人間がロサンゼルスと呼ぶ都市のはずれに巣食った邪術師たちが祈念し、己が身を犠牲にしてまで祈り続けた結果、降臨したのがこの竜神だ。

 血肉を捧げた邪術師に思うところがないではないが、彼も『まつろわぬ神』。人間に配慮をする気にはならないものの、神殺しへの復讐には手を貸してやることにした。

 彼は権力を肯定し、地上を治め、四方を安定させる。創世神話の一翼を為す竜神は、創造主に仇為す神殺しを殲滅する義務がある。

 風を受け流すために鉾状になったシェルターに篭った神殺しを蒸し焼きにしてやろうと、竜神は口腔内に炎を溜める。

 あの形状では風は防げても熱までは防げない。神殺しは生物の限界を突破してはいるが、さすがに神の火には耐えられまい。

 灼熱の炎を吹き出す瞬間、彼は標的を変更して上空に顔を向ける。

 いつの間にか、真上に神殺しがいた。

 黒い槍の穂先を向けて、竜神に向かって落ちてくる。

「笑止。その程度の小癪な技で、我を討てると思うな!」

 狙いは上空の神殺しに向けられる。

 守りは一切ない。不意打ちは、気付かれた時点で立場が逆転する危険な賭けである。今回は、竜神のほうに分があった。

 紅蓮の炎弾が、三連射。

 一発で大地に大穴を穿つ威力の、炸裂弾が如き必殺の炎。それが三発。すべて直撃した。苛烈極まりない先制攻撃。敵を蒸発させて余りある威力の攻撃は、そのまま真っ直ぐ進むはずだが、あえて炸裂させた。神殺しを殺すには直撃だけでは足りないからだ。熱で簡単に融解するはずがない。だから、爆発させる。膨大な熱と大地を穿つ炸裂弾を叩き付けて、粉々に吹き飛ばすのだ。

 虚空ゆえに、その炎弾が爪痕を残すことはない。

 しかし、響き渡る轟音と打ち寄せる熱波がその威力のほどを如実に語っている。

 

 紅蓮が風に流れた後には、何も残されてはいなかった。

 当たり前だ。人間が、炸裂弾の直撃を受けて人の形を保つことができるか。できるはずがない。跡形もなく消し飛んで当然なのだ。

 だがしかし、相手は人の身で神を殺した神殺しだ。《鋼》の楯を作り出す権能を所持しているのも確認している。大人しく、直撃を受けて跡形もなく消し飛ぶとは思えない。

 では、どこへ。

「ご……ッ」

 激痛が脳髄を焼いた。

 痛みの出所は足だ。強靭な竜神の皮膚を貫いて、宝石のような輝きを持つ槍が竜神の足を貫いていた。足の裏から甲へ。貫通して地面に縫い付けられる。

 地下からの不意打ちだった。

 竜神が空中の護堂を迎撃しようとして上を向いた、その瞬間を見越した攻撃だった。

 さらに、それだけに終わらず、槍が地面を食い破って突き出てくる。

「おごあああああああッ」

 叫び、気合を入れて身体を捻る。胴体に向かって伸びる槍の穂先から、何とかして逃れなければならないから。

 焼けた鉄を押し付けられたかのような痛みが襲い掛かる。

 胴体を取り逃がした槍の一挺が、左の翼を貫いたのである。

 足が縫い付けられているために飛び立てない。

 急所こそ外したものの、合計五挺の槍が身体の末端に突き立ってしまった。傷は深いが、戦いを止めるほどのものではない。

 体勢を立て直そうとしたそのとき、竜神の身体を怒涛の炎が襲った。

 

 

 

 □

 

 

 

 火雷神の化身は大気中の水分濃度が低いときに使用可能になる。

 超高温の炎を敵に叩き付けて焼き払う、殺傷性の高い化身だ。使い勝手の悪さが目立ち、なかなか日の目を見ることはないのだが、多くの戦場で敵に大打撃を与えてきた。気難しいながらも頼れる化身だ。

 直撃を受けた竜神は消滅。

 赤茶けた大地は融解して赤熱している。

 初めから護堂はシェルターから動いてはいなかった。

 竜神の体当たりを土雷神の化身でかわした際に、地雷を設置するかのように地中に槍を埋め、シェルターに隠れながら、式神を護堂に似せて相手の頭上に飛ばす。

 相手が釣られてくれれば御の字という程度の浅はかな策ではあったが、上手く嵌ってくれた。

 地中から攻める手は、以前アテナと戦ったときに決め手になったのと同じやり方だ。あの女神の不意を突けたのだから、この竜神にも通じるかもしれないとは思ったが、こうもあっさりいくと拍子抜けする。

「おかしいな」

 護堂は眉根を寄せる。

 火雷神の化身による大火力攻撃によって、竜神は粉々に砕け散った。それを、確かに見届けたにも拘らず、

「権能が増えない。何か、条件があったか……?」

 護堂が知る限り、権能獲得の条件は『パンドラを楽しませる戦いをする』という前提に立つものである。そのため、『弱った神を討つ』『数的優位で勝利する』というような状況では、権能が増えないとされる。

 しかし、今回は正面から一対一で戦ったのだ。

 今までの敵に比べて、簡単に勝利できたとはいえ、『まつろわぬ神』であることに変わりはない。

 だというのに、権能は増えないのは何故なのか。

「倒していないとか。逃亡用の権能を使って、死ぬ前に撤退した?」

 ありえないことではない。

 カンピオーネと『まつろわぬ神』との戦いが正しく決着するというのは希らしい。これまで護堂は出会った神は概ね打ち倒し、権能を簒奪してきたから実感がないが、川中島の戦いのように勝敗が決せず互いが勝利を主張するような、そんな終わり方が多いらしいのだ。

 今回のあっさりとした終わり方のように、生死を賭けた戦いが長引くとは限らず、思いの他あっけない幕切れになるという展開もないではないだろう。

 一瞬で決するか、長期化するか。二つに一つだというのなら、これでもいい。

 しかし、そう考えても、あの竜神は弱かった。

 『まつろわぬ神』特有の生命力と勝負強さが感じられなかった。

 ウルスラグナと対峙したとき、一つ選択を誤ればその場で死んでいたと思わされる綱渡りの感覚がない。

 これでは、熊やライオンのような、『ちょっと危ない動物』を相手にするのと大差ない。

「てことは、まだ何かあるんだな……」

 あの竜に関する秘密。勝負がついていないのではなく、そもそも始まっていないと考えれば手応えのなさも頷ける。

「まずはスミスと連絡を取らなきゃならないかな」

 あの竜神が言うにはスミスとも一戦を交えたという。

 彼は地元のカンピオーネだし、魔術にもおそらく詳しいだろう。カンピオーネとしての経験もあるから護堂が一人で悩むよりもずっと建設的に話を進められるに違いない。

 そうと決まれば戻らなくては。

 護堂は、まず祐理に連絡を入れて無事を報告し、合流地点を決めて土雷神の化身を行使したのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 神速の化身を使ったので、祐理と合流するのにかかった時間は一瞬だった。

 自然公園の駐車場。護堂たちが乗ってきたマイクロバスが停めてある場所だ。そこで、避難した人たちと一緒にいた祐理やジョーに状況を伝え、スミスがどうしているのか尋ねた護堂は、再び驚愕の事実を知ることとなる。

「スミスが言うには、竜神はあちらで討伐したとのことだが……」

 ジョーが困惑したように言う。

 それもそうだろう。

 彼自身も赤い竜神を目撃しているのだから、スミスが倒していたなどと言われても信じられない。

「こっちに出た竜神とは別物ということでしょうか?」

 祐理の意見に、護堂が首を振る。

「それは違うだろう。俺が倒した竜のほうが、スミスと戦ったって言ってたからな。まったく別の神格ってわけじゃなさそうだ」

「でしたら、同じ神格の竜神が二柱いたということになります」

「さらに、第二第三の竜が出るかもな」

「草薙さん。笑いごとじゃないですよ」

 そうは言っても、笑うしかない。

 竜神が複数確認されたというのなら、護堂が危惧するとおりさらに数を増やすかもしれないのだ。

「とにかく、SSIはこの件に全力で対処する。続報が入り次第君にも情報を提供するが、今の段階で言えることはほとんどない」

「それは仕方がないでしょうね」

 先ほど出現が判明したばかりの『まつろわぬ神』の情報を寄越せと言われても、出せるはずがない。

 地道に正体を絞り込もうとすれば、数日、あるいは数週間かかるだろうし、正体不明のままに終わることも考えられる。

 スミスが戦ったというから、スミスの持っている情報と突き合せれば、また別の事実が浮かび上がってくるかもしれないが。

 情報がなければ行動に移すこともできない。護堂は、今後の方針を練るために一旦宿泊しているホテルに戻ることに決めた。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 護堂が泊まっているホテルは、簡単に言うと世界屈指のセレブが宿泊するとんでもホテルだ。人種の坩堝であるアメリカに日本人がいてもそれほど目立たないが、一歩ホテルの中に入れば年齢もあって異様に浮く。

 ここがSSIの傘下にあると言っても、一般人も利用するのだからその人物からすれば護堂の事情など知るはずがない。ここで言う『一般人』はあくまでも呪術を知らないということであり、それを除けば『一般人』などという括りにできないような立場の人間は大勢いる。

 そして、護堂は高校生でありながら、見目麗しい同年代の少女と共にこのホテルを利用しているので、周りから見れば何者だと奇異の視線を集めることになる。

 実は遠まわしな嫌がらせなのでは、とも思わざるを得ない。

 今度から宿泊するところは身の丈にあったところにしようと心に誓う。

「やっぱり、皆さん気にされていますね」

 部屋に戻ったとき、祐理が護堂に言った。

 ロビーからこの部屋に来るまでに二人に注がれた視線を言っているのだろう。

「万里谷は気になるか?」

「いいえ、そういうわけではないのですが、やはりこういったところを利用するのは不思議な気分です」

「落ち着かない、よなぁ」

 そう言いながらもソファに座り込みリラックスしているように見える護堂を見て、祐理は笑う。

「草薙さん。言動が一致していませんよ」

「そうでもないぞ。内心では、民宿みたいなとこのほうが合ってると思ってる」

「草薙さんはカンピオーネなのですから、それもどうかと思いますけど」

 祐理は、笑みを困ったような、そんな微妙なものへと変えた。

 護堂が王としての自覚を持っていることは明確なのだが、行動が伴っていないという感覚。祐理の生真面目な部分が、王として振舞う護堂と一人の少年として振舞う部分の双方を肯定しているから、どう表現すべきか困ってしまうのだ。

「深く考えているわけじゃないしな」

 と、護堂は言う。

「カンピオーネなんて、皆感覚で生きてるんだと思うぞ」

 他のカンピオーネもひっくるめて、護堂は評価を下す。

 あまりにも横暴で根拠のない意見だが、これまでに接してきたカンピオーネたちには概してそういった傾向があった。それは、適当というようなものではなくて、個々人の感覚が常人とは異なるベクトルを向いているというものだと祐理は思った。

 護堂の場合はどうだろうか。

 表現が難しい。護堂自身にも、祐理にも分からない。どのように言い表せばいいのか、適した言葉が見つからない。

 ただ、護堂はあまり路頭に迷うようなことはない。

 行動する前に、結論を用意するタイプなのだろう。そのための道筋を、どうするのか迷うことはあっても、我武者羅に無軌道な行動はしない。

 だから、傍目から見れば迷いがないように見えてしまう。

 実際はいろいろと考えているのだが。

 

 しばらく、他愛のない会話を交わしていると、護堂のスマートフォンが振動した。

 画面にはジョー・ベストの名がある。

「ジョー先生、どうしましたか?」

 ジョーとの会話は数分程度だった。

 スミスと情報を付き合わせる必要性から、彼と予定を合わせなければならないということだった。護堂のほうは自由が利くので相手に合わせると言うと、今日の午後六時を指定された。場所は、ジョーと最初に会った、彼の研究室だ。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

「まずは三〇〇〇人もの人命を救ってくれたことについて、礼を言わせてもらおう。草薙護堂。君のおかげで、多くの人が人としての生を取り戻した」

 バイザーの怪人は、芝居がかった口調で護堂にそう言った。

 他の人間がこのような話し方をすれば鼻持ちならないヤツという程度の認識に終わるが、スミスはそのミステリアスな服装と出自から舞台俳優的な仕草が実に似合っている。

 彼でなければ、こうはいかないだろう。

「そんなことはいいって。それよりも、あの人たちは今、どうしてるんだ?」

「大半が意識を取り戻した。ただ、動物だったときのことは覚えていないようで、時間の経過に意識がついていかないのが現状だな」

「浦島太郎状態ってことか」

「日本の民話だな。言いえて妙だ。確かに、そのようなものだろう」

 護堂の呟きを的確に拾ったスミスが言う。浦島太郎伝説は日本では知らない者のいないメジャーな物語だが、それをスミスが知っているとは。

「日本の神がアメリカに降臨しないとも言い切れないのが、『まつろわぬ神』の厄介なところだ。世界各国の民話や神話をある程度齧っておくのも大切なことだろう。もっとも、我らが同族にはそのような地道な努力にまったく興味を示さない者もいるがね」

「ああ、あれでよくやれるなと思うよ」

 護堂が思い浮かべるのは、サルバトーレ・ドニの間抜け面だ。

 彼ほど不勉強なカンピオーネは他にいないだろう。

 他のカンピオーネは意外にも神話に精通している。アレクサンドルは当然のように知識が豊富だし、羅濠教主は嗜みとして学問にも造詣が深い。近代以前のアジア系の神話であれば、いけるだろう。ヴォバン侯爵はどうか分からないが、戦闘狂だけに神には詳しそうだ。

「それで、スミスは今回の『まつろわぬ神』についてどう思っているんだ?」

「さて、それに関してはなんとも言えないな。情報が出揃っていない状況で不確かな推測を口にするわけにもいくまい」

 スミスは大仰に肩を竦める。

 その上で、

「草薙護堂。手を引くならば今だぞ。君への貸しはアルテミスの被害者を救ってもらったことで帳消しだ。この上、この問題に手を出す必要はないと考えるが?」

「邪魔はしないが、あれだけで借りが返せたとは思わないんだよな。こっちは斉天大聖を相手にしたわけだし、『まつろわぬ神』の事件に協力するのが釣り合ってると思う。せめて、一定の解決を見るまでは協力するぞ」

 斉天大聖のとき、スミスはその従属神を相手に戦ってくれた。一方でその借りを返しにきた護堂が人命救助で終わったのでは借りを返しきれていないのではと思わされる。

「ふむ、なるほど。貸し借りにうるさい性格というわけだ。とはいえ、君はなかなか厄介事を惹き付ける性質にも思えるしな、ハイリスクハイリターンな取引だな」

「失礼だな。トラブルに愛されてんのは、そっちも同じだろ」

「それは違うな。私はトラブルに愛されているのではなく、トラブルを愛しているのだよ。ダイナミックなトラブルは、役者をより輝かせるものだろう?」

「そっちのほうが性質が悪いじゃねえか」

 もしかして、今回の件もこの魔王が引き起こしたのではないか。そのようにも思える発言だ。

「まあ、戦力は多いに越したことはない。敵の正体を探る上でも、君たちの協力は必要不可欠だ」

 

 

 

「では、まず情報を整理しよう。あの竜神が出現したのはハリウッドの郊外にある《蝿の王》の関連施設だ」

「《蝿の王》。……スミス様が昨年討伐した、邪術師の結社ですね」

「ああ。今回の主犯は、その残党だ。彼らがロスに入ったという情報を得たのが、昨夜のことでね。用意周到にダミーを置いていたおかげで追撃に手間取り、召喚を許してしまった」

 昨夜、護堂と会話を交わした後で、スミスは仇敵を倒すべく行動を開始したのであろう。しかし、相手もスミスをよく知る一派だけに簡単にとはいかず、時間を消費してしまった。

「待ってくれ。『まつろわぬ神』を召喚するなんて、そう簡単にできることじゃないだろ」

 護堂はスミスの言葉に疑問を投げかけた。

 『まつろわぬ神』を呼び出すには、多くの制約と危険を乗り越えねばならない。狂気に等しい一途さで祈る祭祀と道しるべとなる巫女、そして星の並び。これらの要素を取り入れなければならず、そのためにヴォバン侯爵は祐理を拉致しようとしたのである。

「その通りだ。だが、それだけでもない。運の要素も忘れてはならない。彼らにとっては幸運だっただろう。そして私たちにとっては不運なことに、『まつろわぬ神』が降臨してしまった。彼らはそのために命を捧げる羽目になってしまったが、私に一矢報いるのであればこれほどの成果はないだろう」

「じゃあ、本当に適当に儀式をやったら、神様が出て来たってのか?」

「そういうことになるだろう。根城となっていたビルが倒壊してしまったので、触媒がなんだったのかも分からない。そちらから敵の正体を探るのは難しいな」

「ずいぶんと安い神様だな、おい……」

 このように簡単に『まつろわぬ神』が出てきたと聞いたらヴォバン侯爵はどう思うだろう。

 出てくる神も神だ。自分を安売りしすぎているのではないか。

「さて、話を続けよう。私は、出現した竜神をハリウッドの上空で撃墜した。その身体が砕け散るのも目視で確認している。よって、あの竜が君たちのところに飛んでいくとは思えない」

「だけど、俺が戦った竜はお前と戦ったって言ったぞ。しかも、お前のことを正面から戦わなくて様子見ばかりだって文句垂れてたし」

「それは見解の相違だな。しかし、そうなると同一個体でないとしても記憶を共有していることになるか」

 スミスはバイザーの顎の部分に手を当てて思案する。

 そのスミスに、ジョーが自分の見解を述べる。

「記憶を共有しているのなら、それは同一神格と考えるほうがいいだろう。複数の肉体を一つの意思で操っているのか、それともそれぞれが独立しているのかは判断がつかないけどね」

「私もジョーの意見には賛成だ。独立しているのなら数には限りがあるだろうが、そうではないのなら頭脳(ブレーン)となる個体がいるはずだな。護堂、君と戦った竜神の特徴を教えてくれ」

 スミスに問われて、護堂は竜神の姿を思い返す。

「そうだな。手足が長くて、全長は三〇メートルくらいか? 口から火を吹いて、風を起こして攻撃してきたな。翼は蝙蝠みたいだった」

「なるほど。どうやら私と戦った竜と同種のようだ。身体の色は黒か?」

「黒? いや、真っ赤だ。赤い竜」

「赤?」

「ああ。そっちは黒だったのか?」

 スミスは頷いた。

「赤と黒の竜神か。これが、偶然によるものでなければ、正体を探る助けにはなるだろうな」

「それだけでは絞れないか」

「いや、大分絞れるな。とはいえ、アメリカ大陸は竜神は多い。特に南米の神話は多くが竜神の姿を取る。神の身体の色について言及する神話は少ないから、降臨した際にどのような色をしているか分からないからな」

「そうか、なるほど……」

 『赤い竜』という情報で絞ろうにも、色に言及されない竜神が赤い身体で降臨するかもしれず特定には至れないというのだ。

 黒と赤の二色を有するとなれば、かなり絞れるようだが確信できるかといえばそうではないのだろう。

「赤い竜と黒い竜。今の段階ではこれしかないが、この地には赤い竜の痕跡が残されている。君ならば、何かしら読み取れるのではないかと思ったのだが?」

 スミスの視線を感じた祐理が恐縮したように身を縮めた。

 祐理ほどの霊力者はアメリカにはいない。千年もの長きに渡って血を守ってきた日本の呪術師は数こそ少ないが質は桁外れに高い。栄枯盛衰が世の常だった西洋にも誕生して二〇〇余年という若い国にもいない。

「わたしの霊視は、そう簡単に降りてくるものではありません。その、今回の竜神に関しても、赤と黒という情報だけでは……ッ」

 ふらり、と祐理は膝の力が抜けたように崩れ落ちる。護堂が慌てて腕を取って支えると、祐理は生気のない機械的な表情で唇を動かした。

「世界の始まりより前から存在する神。……四方を安んじ、世界を象る……」

 祐理の霊視だ。

 幽界と繋がる彼女の霊感は、向こう側から適切な情報を引き出して護堂を度々助けてくれた。今回も、彼女は当たりを引いたらしい。

 祐理が呟く神の名にスミスは満足げに頷いた。

「半信半疑だったが、これで神の名の確証が取れた。しかし、惜しいな。彼女ほどの霊能力者がSSIにもいてくれれば、《蝿の王》との抗争ももっと早期に決着できただろうに」

 そう言ってから、スミスは祐理をイスに座らせた。

「彼女を労わってあげるといい。間違いなく、今夜最高の功労者だ」

「それはそうだが、これからどうするんだ?」

「敵の正体が知れたのだ。後は決着をつけるのみ、だ」

 スミスはそう言って、自信たっぷりに宣言した。

 

 

 

 □

 

 

 

 敵となる『まつろわぬ神』の居場所は、大体見当がついているという。

 姿や気配を隠す権能を所持していない神は、その呪力の強大さから凡その居場所を特定できる。そもそも、姿を隠すという発想がない者もいる。捜索は容易だっただろう。

 明日、『まつろわぬ神』と接触する。

 おそらくは、戦闘になるだろう。敵の本体と戦うのはスミスで護堂はスミスの支援に回る形になるはずだが、敵の性質上護堂もいろいろと背負い込まねばならない。

「あの……草薙さん。どうか、ベッドを使ってください。明日は戦いになるのでしょう? 英気を養っていただかないと」

 夕食を終えて、シャワーを浴びると、後は特にすることもなくなってしまう。テレビを見るか、背伸びして夜景を楽しむかくらいだ。本を読むという手もあるが、祐理がいるのに一人で本を読むというのはどうなのか。あまりいい選択肢とはいえない。

 とすると眠るしかないのだが、ベッドはキングサイズが一基だけだ。

「ベッドを使ったら万里谷が寝れなくなるだろ」

「わたしはソファがありますし」

「バカ言うな。女の子をソファに寝かせて自分がベッドなんてできるか。恥ずかしいぞ、それは」

 このように、どちらがベッドを使うのかで揉めることになる。

 年頃の男女が同じベッドで眠るというのは、魅力的ではあるがやはりよくない。

「しかし、草薙さんをソファで眠らせるわけにもいきません。ですので、わたしがソファを使います。昨日はベッドを一人で使ってしまいましたし、このような失態を続けるわけにはいきません」

「失態でもなんでもないって。何度も言うけど女の子をソファに追いやる男は問題があるだろ」

 偏に男としての矜持の問題だ。

 世の中には、それで平然としている男もいるだろうが、草薙護堂はそのような外道になるつもりはない。

 『まつろわぬ神』関係で人様に迷惑をかけてしまうのは仕方がないと割り切れるが、日常生活ではそうもいかない。

 しかし、その一方で祐理もまた自分がベッドを占有するわけにはいかない立場にある。

 単純に申し訳ないのと、これから戦いにいく護堂に万全の状態になってもらわないといけないという理由。体調不良から、昨日は早く休んでしまったので、今日こそはと護堂がベッドを使うべきだという立場を堅持するつもりでいた。

 互いの意見が食い違い、平行線を辿る中でいきついたのは、二つの結論だ。

 二人で一緒にベッドで寝るか、それともベッドを使わないかだ。

 不毛な言い争いに、結論を出す難しさを悟った二人は、ぎこちなく視線を交わした後、諦めたように笑って床を同じくした。


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