カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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古代編 3

 ガブリエルは、聖書に登場する高位の天使の名である。

 宗教や神話に詳しくない者でも、名前くらいは聞いたことがあるのではないだろうか。西洋では、人名にも用いられるくらいにメジャーな天使である。

 しかし、こと草薙護堂の傍に仕える者からすると、途方もなく強大で有名な天使が降臨したという事実以上に驚愕せざるを得なかった。

 何せ、ガブリエルは草薙護堂が最初に討伐した『まつろわぬ神』なのだから。

 相手は護堂のことを知らない。

 しかし、護堂からすれば、時を超えて再会を果たした形になるのだ。様々な思いが、護堂の中で渦巻いていても不思議ではない。

「僕の名を知っているか。どうやって見抜いたんだい? メンルヴァですら、見通すことのできないこの僕の名を」

 問いを投げかけてくるまつろわぬガブリエルの口調には若干の好奇心が含まれている。

 ガブリエルは啓示を司る権能を持つ。

 それは、護堂が簒奪した『強制言語(ロゴス)』にも含まれる能力である。それを用いて、このガブリエルは護堂やメンルヴァの直感をすり抜けて接近を果たしたのであり、護堂が指摘するまでメンルヴァにすら正体を悟らせなかったのであろう。

「答える必要があるか?」

「僕の言葉は神の言葉だ。逆らうのなら、君に未来はないということになる」

「じゃあ、何も言う必要はないな。さっき、抹殺宣言喰らってるからな」

 護堂が開き直ったように言い切ると、その後ろメンルヴァと呼ばれた女神は失笑した。

 面白そうに口元を歪めた女神に、ガブリエルはいたく機嫌を害したように冷笑を向ける。

「悪魔風情が僕を笑うか」

「ふん、悪魔の筆頭とも言うべき神殺しに論破されているようでは、神の力も衰えたものだな。いや、もともと貴様は神の使いなどではなく――――」

 轟、と風が鳴った。

 前触れなく解き放たれた風の弾丸が、メンルヴァの身体を打ちのめした。

 強烈な一撃をメンルヴァは辛うじて楯で受け止めるも、衝撃を殺しきれずに仰向けに転がった。

「無礼な悪魔だ。やはり、神殺しと共に滅ぼすべき悪だな」

 言うや否や、ガブリエルの背後に無数の水の塊が現れた。

 宙空を漂う水球は、細長い棒状に伸びると、先端を鋭く尖らせた。

「まずは小手調べだ」

 ガブリエルの号令の下に、大量の水の槍が降り注ぐ。

「我は鉄を打つ者。我が武具を以て万の軍をまつろわせよ!」

 護堂が咄嗟に一目連の聖句を唱える。

 解き放たれる呪力に呼応して、輝く《鋼》の刀剣が召喚された。

 護堂の刀剣は、射出と同時に水の槍と激突し、これらと相殺する。

 撃ち落した水の槍を構成する水分が、再び一点に収束する。直径二十メートルはあろうかという巨大な水の球は、さらに凍結して強度を高めた。

「これならどうだい?」

 墜ちる氷塊はさながら隕石のようだった。

 迫り来る氷塊に対して、護堂ではなく晶が迎撃を行った。

 影から伸び上がる魔手。 

 太い大木のようなその先は漆黒の刃となっていた。

「だああああああああああああああああああ!」

 晶が叫び、刃が氷塊を刺し貫く。

 さらに、護堂が数百からなる剣群を生成し、ガブリエルに向けて投射する。

 煌く凶刃は大気を切り裂き、たった一柱の天使に殺到する。

『回れ』

 ガブリエルは小さく呟く。

 回避行動は一切取らず、力強い言葉のみで刃に相対したのである。

 鋼鉄すらも、護堂の刃の前ではバターに等しい存在へ成り下がる。『まつろわぬ神』であっても、その肌を切り裂き、肉を穿って骨を断つ代物である。

 神具は生半可な守りを許さない。

 しかし、神の言葉は絶対だ。

 それが、如何なる製鉄神より簒奪した権能であろうとも、その言葉はさらに上を行く。

 護堂の剣はガブリエルの言霊を受けて回転した。

 刃同士が互いに撃ち落しあい、空中は大混乱の様相を呈した。火花を飛び散らせ、目茶苦茶な方向に飛んでいく剣たち。

「そんなに上手くいかないか」

 しかし、得意の剣が無効化された護堂は舌打ちすることもなければ、落胆することもなかった。

 相手は『まつろわぬ神』である。

 この程度の刃に曝されたからといって、大人しく撃退されるような存在ではないということくらいは自明のものとして理解している。

「製鉄の魔物から奪った権能か。雑な使い方だ。もったいないなぁ」

「よく言われるよ。けど、効果的でもあるんじゃないか」

「さて、どうかな。いい武器を無数に作ることができるのに手に取って戦わないというのは、矢として使う利便性以外にも理由がありそうだ」

 ガブリエルはそう言うと、右手に諸刃の剣を呼び出す。

 そして、次の瞬間には護堂の左隣に姿を現していた。

「ッ……!」

 護堂は大きく身を引いてガブリエルの刃を交わした。

 護堂の頬を浅く割いたガブリエルの剣は、返す刀で護堂の首を狙う。

「この……!」

 避けきれないと判断した護堂は、即座に土雷神の化身を発動して地中に逃れた。閃電となった護堂をガブリエルは視認していたが、突然の神速に対応が遅れたのである。

 再出現した護堂に向かって、ガブリエルが再び剣を振るおうとする。距離を詰めるなどお手の物だろう。遠距離戦よりも近接戦のほうが護堂を圧倒しやすいと確信したガブリエルは、神速への突入を試みる。

 が、しかし、ガブリエルは姿を消すことなくその場に踏み留まった。

「これは……」

 ガブリエルは周囲に視線を配る。

 薄らと見える細い線が、太陽を受けて僅かに光っている。

 蜘蛛の巣のように張り巡らされた糸が、いつの間にかガブリエルを取り囲んでいた。

「メンルヴァ!」

「貴様の相手がわたしであることを失念したか? 礼儀を知らぬな、ガブリエル!」

 膝立ちになったメンルヴァが、ガブリエルに手を伸ばす。

 その手に操られて、張り巡らされた糸の結界が一気に収縮する。

 複雑な紋様を描く絹の織物にして、屈強な神を封殺する神秘の檻だ。

 そう易々と打ち破ることはできない。

「おのれ、悪魔が……!」

「神殺しめに集中しすぎたな。今のわたしでも、貴様を封じることくらいはできるというのに!」

 ガブリエルは水の弾丸をメンルヴァに向けて放つ。

 明確な殺意を込めて発射されたそれは、閉じつつある糸の結界に阻まれてしまう。

「この……!」

 メンルヴァを取るに足らぬと放置した結果、足を掬われる形となったのである。

 護堂を相手にしている間に、彼女はガブリエルを封じるための下準備を着々と進めていたのだ。確実に事を成すためにじっと様子を窺い続けていた。

 そして、真白な牢獄が完成する。

 美しい花をあしらった絹の球は、その内側に至高の天使を封じ込んだのだ。さらに、追い討ちをかけるかのように地割れが生じた。地の底に通じるが如き大地の亀裂に、絹の牢獄は呑み込まれていった。

「く……」

 メンルヴァはこの一撃のために溜め込んだ力を吐き出したのか、その場に崩れ落ちた。

 女神としての意地を貫いた彼女も、もとより手負いの身である。晶から与えられた呪力も、ほんの僅かでしかないのだから、このような権能の使い方をすれば瞬く間に枯渇してしまう。

「おい、大丈夫か?」

 護堂が駆け寄って声をかけても、メンルヴァは応答しなかった。

 うつ伏せに倒れ伏して、再び気を失っている。

「護堂さん。ここは一旦引きましょう」

「だな。ガブリエルを倒せたわけじゃなさそうだし」

 基本的に『まつろわぬ神』との遭遇戦というのは危険なのである。

 相手は格上ばかりなので、できる限りこちらに利する環境で戦いたいというのが本心である。せっかくメンルヴァが作ってくれた猶予を対ガブリエルのために利用する。そのためには、まずは拠点に移動し、体制を整える必要性があった。

「とりあえず、この女神様は俺が背負っていく」

「それでは、わたしは拠点を確保しておきます。『まつろわぬ神』に狙われているというのに、集落に戻るわけにもいきませんからね」

「そうか。確かに、そうだな」

 そこまで考えが及ばなかった。

 確かに、ガブリエルが護堂たちを追って集落にやって来たら大問題である。交通の発達していないこの時代に於いて、田畑が破壊されたり蓄えが失われたりするのは致命的な損害となる。『まつろわぬ神』と人里近くで戦闘を行うのは、あまりにも迷惑極まりないことであった。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 護堂たち一行が仮の宿と定めたのは、集落から離れた場所にある水車小屋だった。

 手狭な小屋は生活を営む場所として設計されてはいない。

 半分以上は物置で、残り半分は穀物を粉末にするために利用する場所といった感じになっている。

「まあ、雨風を防げるんだから文句ないな」

「申し訳ありません。集落の外でとなると条件がかなり限られてしまって」

 四方数キロを捜索したものの、屋根があるのはここだけだった。

 川の向こうは森で、こちら側は背後に田園地帯が広がる場所である。護堂が寝泊りしていた集落は、上流に二キロほど離れた場所になる。

「生活に必要な道具は、借りて来ましたので何とかなるとは思いますが、カンピオーネたる御身をこのような環境に置いてしまうのは心苦しい限りです」

「いやいや、そういうのはいいから。しょうがないことだし。そんなことよりも、リリアナも晶も俺に付き合う必要ないからな。こんなところ、女の子には辛いだろ」

 そう言うと、晶は勢いよく首を振って否定する。

「問題ありません。そもそも、先輩の式神であるわたしが、先輩を差し置いて集落に戻るわけにはいきませんよ」

「わたしも同感です。王を水車小屋に案内した挙句自分はベッドの上で眠るなど許されることではありませんからね」

 と、護堂の提案はすげなく却下された。

 そこまで思ってもらえるのは、ありがたいことではある。

 しかし、薄い木の板で囲まれただけの小屋である。部屋の区切りはなく、床も土のままなのだ。そのような環境は、年頃の乙女には辛いのではないか。

「まあ、正直に言えば、あまりよくはないですよね。でも、わたし、もっと酷いところにいたこともありますし気になりませんね」

「程度の低いところと比べるなって。というか、それ笑えないからな」

「そうですね。わたしも自分で言って欝になりそうです……」

 晶は沈んだ声で言った。

 五年近く劣悪な環境に止め置かれ、身体を弄られ続けた最悪な記憶が蘇る。嘔吐感と悲壮感で気分が一気に沈みこんだ。

 リリアナは晶の事情を深くは知らない。

 この会話の意味も分からなかったが、聞くべきではないと判断して無視する。

「とにかく、わたしたちがあなたと離れる理由は特にありません。小屋が狭いというのであれば、わたしは外に出ますし」

「さすがにそれはダメだ。人として許されないっての」

 女の子を外に放り出すとかダメ男にもほどがある。それだったら、護堂のほうが外に出る。

「とりあえず、先輩。女神様をどうするのか考えたほうがいいんじゃないですか」

 と、晶は積み上げた毛布の上に寝かせたメンルヴァを見て言った。

「どうにかって言ってもな。ぶっちゃけ、どうにもならないだろ。目を醒ましてくれないことにはさ」

「またわたしのジュースを飲んでもらいますか。そうすれば、快復が早まると思いますけど」

「そうだな。それがいいな。頼めるか?」

「はい」

 晶は頷き、小屋の外で林檎の木を育て始めた。

 メキメキと音を立てて、一本の木が生まれる。早回しの映像を見ているかのようだが、生長した木は真っ赤な林檎を何個もつけて、生き生きと葉を茂らせている。

「高橋晶の能力、正直に言って出鱈目だと思うんですけど」

「それは、俺も思う。まあ、神様由来の力だからな、おかしくはないんだけど」

 豊穣神の力で育てた木は、その幹や葉にも呪力を漲らせている。

 晶からの呪力供給が失われれば、瞬く間に枯れる儚い存在ではあるが、そうとは感じさせない生命力の脈動を感じ取れる。

「なあ、高橋晶」

「なんですか?」

 リリアナに話しかけられた晶は木に手を伸ばしたところで振り替える。

「いや、その木なんだが」

「この子がどうしました?」

「動いてないか?」

 リリアナがそう言ったとき、木の太い枝が突然曲がり、晶が伸ばした手の中に林檎を一つ落とした。木質化しているとは思えない曲がり方だった。そして、それがさも当然のように林檎の木は元の状態に戻った。

「動いているだろ?」

「そうですね」

「そうですねって」

 何かおかしいですか? と晶は首を傾げた。

 生みの親である彼女からすれば、この特殊な林檎の木が意識を持っているかのように振る舞うのが当然という認識なのだろうか。その構造を誰よりも知っているからこそ、おかしいと思っていないのである。

「まあ、わたしの式神みたいなものですからね」

 晶はそう言って自分の手にある林檎を見てから、林檎の木の幹に手を付いた。

「もうちょっと呪力込められるよね。うん、そうそう。いいよ、その調子。もうちょっと。がんばれがんばれ」

 晶は林檎の木を慈しむようにその樹皮を摩り、声をかける。

 すると、林檎の木はざわざわと枝葉を揺らして晶に応えている。呪力を地中から吸い上げ、林檎の実にどんどんと送り込む。晶が応援するたびに、真っ赤に染まった林檎は艶を増し、普通の林檎よりも一回りも二回りも大きく膨らむ。

 晶はそうしてできた林檎を一つ取ると、その場で二つに割った。

 断面から溢れんばかりの汁が染み出し、滴り落ちる。

 濃い林檎の芳香がその場に広がり、汁を浴びた枯れかけの下草が緑を取り戻した。

「大地の精気が濃縮されているな……こんなに濃く溜め込んでいる果物は始めてみたぞ」

 リリアナが生唾を飲んだ。

 見るからに美味しそうな林檎だ。おまけに、含まれる呪力は、一口で数日分の呪力を補給できるのではないかというほどである。

「これなら、女神様にも十分効果を発揮してくれますよね」

 晶は微笑む。

 自分が端整込めて作った作品が役に立ちそうなので、嬉しいのだろう。

「今日の夕飯になりそうだな」

「そうですね。川で魚を取って、林檎をデザートにしましょう」

 食糧事情が改善されるというのはいいことである。 

 食べる物があれば、生きられる。食料の有無は古代に飛ばされた護堂たちにとって大きな問題であったが、その心配がなくなった今では、精神的にもかなり余裕を持てていた。

 

 

 リリアナが用意した調理道具は、古めかしいデザインのものばかりであったが、使い方が分からないものは一つもなかった。

 鍋と皿とスプーンがあれば大抵のものは現代人風に食べられる。

 腹に物を入れるだけならば、何も丁寧に料理を作る必要もなく、使う道具も最低限で済む。リリアナは抗議したかったようだが、食材も限られる今では工夫にも限界があった。

 女神は部屋の真ん中を陣取り、相変わらず浅い寝息を立てている。

 リリアナの見立てでは、呪力の快復を第一にしているらしく、調子を取り戻すまではこの状態を維持するつもりらしい。

 晶の林檎ジュースだけでは、女神を本調子まで持っていくことはできなかった。かなり快復したのは間違いないが、それでも追いつかないくらいに疲労しているのであろう。

 あたかも冬眠しているかのように、眠りに就いている。

 そんな女神がいるために、人間と神殺しの三名は、水車小屋の端によって夕食を摂らなければならなかった。

 川魚とキャベツの煮込みと林檎、そしてパンが今夜の夕食である。リリアナと晶が、フリウスの屋敷から貰ってきた食材をベースにして作った簡素なものだが、腹を膨らませるには十分であり、晶の林檎が想像以上に身体に染み渡ってくれたので疲労も一気に吹き飛んだ。恐るべき、ドーピング剤になるのではなかろうかと、護堂は思った。

「リリアナさん。メンルヴァ様ってどんな神様か知ってますか?」

 食後、晶がリリアナに尋ねた。

 メンルヴァが起きていたら、決して口にできない話である。

「それは俺も気になってたんだ。聞いたことのない名前だからな」

 護堂も晶と共にリリアナに尋ねる。

 リリアナは護堂の背後で眠るメンルヴァに視線を向けて、彼女が相変わらず深い眠りに就いていることを確認してから口を開いた。

「メンルヴァ様はエトルリア神話に登場する女神の一柱です。父はティニアという嵐の神で、その妻のユニと共に主要な三柱の神として大きな尊崇の念を集めていました」

「エトルリアって、何か聞いてもいいか?」

 まったく聞き覚えのない言葉に護堂は初めから躓いた。晶もまったく分かっていないという表情である。

「エトルリアは、イタリア中部にかつて存在した都市国家群の総称ですね。ギリシャともローマとも違う文化を築いた先住民たちの国でしたが、後にローマに吸収されて消滅します」

「この時代にはもう……」

「ありませんね。紀元前四世紀頃から一気にローマ化してしまいますから、この時代から数えても八百年は前になりますか」

「へえ、じゃあ、この女神様はすでに滅んじまった文化の名残ってわけなのか」

「エトルリアという集団は確かにローマに吸収されてしまいましたが、その文化まで完全に滅んだというわけではありません。彼らの文明はローマからしても珍しく先進的でしたので、その後もローマ文明の中で生き残り続けます。エトルリア語はインド・ヨーロッパ語族には属しませんが、ギリシャの文字を参考にしたものとされ、ローマで用いられるラテン文字の原型となっていますし、芸術面でもローマに与えた影響は大きいのです。当然ながら、ローマ神話にも重要な役割を果たします。例えば、こちらのメンルヴァ様は、後にミネルヴァとなってローマ神話に登場します。要するに、エトルリア人がギリシャ神話を自らの神話に取り入れ、そしてエトルリアを征服したローマがそれに触発されたという形になるわけですね」

 ローマ神話とギリシャ神話の互換性については、昔から知っていることではあった。

 ローマ神話の神々には、それぞれギリシャ神話に対応する神がいる。それは、ローマが当時最先端の文明を築き上げていたギリシャの文明を取り入れたことによって生じたものであり、結果としてローマ古来の神話の大半が消滅してしまったのだという。

 リリアナが名を挙げたミネルヴァという女神は、そんなローマ神話の中でも非常に高名で、世界中に名を知られる存在である。

 権能が多彩で、有名所は学問や裁縫、芸術あたりであろうか。ミネルヴァの名を冠する学校を初めとする公共施設は多い。

 そして、護堂にとってもこの女神はかなり重要な存在である。

 なんと言ってもその前身はギリシャの戦女神アテナなのだから。

「護堂さんは女神アテナと戦われた経験がありますから、思うところもありますか」

「そうだな。まあ、ないと言えば嘘になるけど」

 護堂は複雑な心境を表情に浮かべた。

 アテナと雌雄を決したというわけではない。ランスロットの妨害があり、そしてアテナは聖杯に命を吸われて消えた。護堂の中に、彼女の権能の一部を移譲するという極めて希な現象を遺して、この世を去ったのである。

「ガブリエルにアテナの後輩かよ。ほんとに、こっちに来てから縁のある神様ばっかだな」

「メンルヴァ様の権能は主にアテナと同じでいいんでしょうか?」

 護堂が毒づき、晶がリリアナに質問する。

「そうだな。多くがアテナから受け継いだ権能だというのは間違いないんだろう。ただ、メンルヴァ様は他の女神にはない雷神という相も持っていらっしゃる。エトルリア神話に於いて、ノウェンシレスと呼ばれる九柱の雷神に数えられているくらいだ。まあ、元となったアテナもゼウスの雷を生み出したという説のある女神で、何よりも嵐の神の頭から生まれているのだから雷神としての側面があってもおかしくはないんじゃないか」

「頭から生まれたのはアテナなんだろうけど、メンルヴァも?」

 護堂に問われたリリアナは首肯する。

 父であるティニアの頭からメンルヴァは生まれるらしい。

 どうやら、メンルヴァはかなりアテナの影響を受けて成立した女神のようだ。

「とにかく、復調すれば非常に強力な女神であることは間違いありません。ガブリエルが明確に護堂さんを狙っている以上、神殺しと女神の呉越同舟を考えてもいいかもしれません」

 リリアナの提案に護堂も頷いた。

「ああ、それがいいと俺も思ってる。さっきは成り行きで共闘したけど、ガブリエルをどうにかするまでは、敵対したくないからな」

「まあ、先輩はそういうの得意ですからね。アテナとも共闘しましたし、なんだかんだで上手くやるような気がします」

 晶は神殺しと女神の共闘について、ほとんど心配していないようであった。

 護堂のこの一年の戦いにほとんど随行していたのだから、その悪癖をよく理解しているのであろう。

 草薙護堂という男は、敵と認識した相手には全力で戦うが、状況が変わればその敵とも手を取り合いかねないのだと。悪く言えば行き当たりばったり、良く言えば柔軟な発想の持ち主で敵味方に拘りがない。きっと、この男は去る者追わず、来る者拒まずの精神を持っているのであろう。

「まずは、身体を休めることですね。メンルヴァ様の封印がどれくらい持つのか、わたしには分かりませんが、相手は最大級の天使の一柱です。数日中には、再戦となる可能性も考えておくべきでしょう」

 リリアナの神妙な顔つきを見れば、その悲観的な考えを的外れではないと考えていることが読み取れる。

 如何にメンルヴァが高位の神格であろうとも、相手もまた高位の神格である。弱体化した状態の封印術が、そう上手く機能し続けるとも思えないのは護堂も同感であった。

 

 

 疲れを取るには睡眠が一番である。

 が、問題として、この水車小屋は極めて狭いということが挙げられる。

 おまけに、中央を女神が占領しているのだ。

 三人が使うことのできるスペースはほとんどないと言っても過言ではない。

「日本には男女七歳にして席を同じくせずという言葉があったはず……!」

 複雑な表情を浮かべて身体を固くするのはリリアナである。銀色の髪を下ろし、すでに就寝も間際といった姿になっているものの、白い頬は淡く紅潮しているようだ。

 寝る場所はなく、しかし眠らないというわけにもいかない。護堂と晶がそれぞれガブリエルの権能による探知を行えるということとリリアナの使い魔たちが外を見張っているということを合わせても、本人たちがそのまま起きている必要性は低かった。敵は直感をすり抜けてくるかもしれないが、それでも完全に同一の権能である。相殺することで、隠密性を著しく下げることができるのは、ガブリエルの攻撃を護堂が打ち払ったところからも分かる。

 現状では、詰めて川の字になって寝るという以外に方法がない。

 リリアナからすれば、異性とここまで近い距離で就寝するという事実に混乱するばかりであった。

「日本じゃなくて中国の言葉ですよ、それ」

 リリアナが口走った言葉にすでに毛布に潜り込んでいた晶が指摘した。

 灯りのない真っ暗な五世紀の夜。水車小屋は光一つない暗闇に包まれているものの、夜目が効く晶たちにとっては大した意味もなく、普通に相手の表情すらも読み取れる。

 未来人の感覚で言えば、大体夜の九時くらいだろうか。

 日が没すれば一日が終わるのがこの時代である。

 何もすることがないので、寝るしかない。

 そう割り切った護堂は、早々に眠りに就いていた。恐るべき環境適応能力である。さすがに、リリアナは呆れざるを得なかったが、これがカンピオーネの特性なのだと無理矢理に自分を納得させる。

 来るべき戦いに備えて牙を研ぐのは、カンピオーネならば誰もが行うものである。そのための準備には余念がない。普段ならば、晶やリリアナと寝床を同じくすることに苦言の一つもしただろうが、今回はガブリエルという強敵との戦いを控えていることもあり、護堂はそれ以外の一切を頭から排除して身体を休める選択をした。

 結局寝付けないのは、リリアナだけである。睡魔と闘う必要性のない晶は、護堂の隣で寝転びつつも完全に眠りに就くことはないのだから。

 雑念を打ち消して、リリアナは自分の毛布に潜り込んだ。

「というか高橋晶。あなたは霊体になることができるのだから、そこで寝なくてもいいんじゃないか?」

 声を潜めて、リリアナは尋ねた。

 晶が霊体になれば、一人分のスペースが開く。狭い水車小屋の中で、この一人分のスペースは中々貴重である。

「リリアナさん。そんなこと言って、先輩の隣で寝たいだけなんじゃ……」

「い、いきなり変なことを言うな! わたしはただ合理的に考えれば霊体になったほうが余裕ができるのではないかと聞いただけだ!」

 確かに、晶の言うとおり晶が消えれば護堂とリリアナは並んで寝ることにある。一人分のスペースは、結局は一人分でしかない。数十センチを稼いだところで、大きな距離の変化は起こらない。今でも、手を伸ばせば護堂に届く程度の距離なのだ。

「…………ふーん」

 晶は三白眼でリリアナを見つめる。

 その表情は、如何にも警戒しているといった風である。

「ま、別にいいんですけどね。今更一人二人増えたところで変わりませんし。でもここはわたしの場所です」

 晶はもぞもぞと毛布の中で体勢を変える。自分の分の毛布は抱き枕のように丸め、自分は護堂が使っている大きめの毛布の中に入り込んでいる

「取るつもりはないんだが……」

 縄張りを侵された猫のような反応をする晶に、リリアナは呆れ顔で言った。

 そのときにはもうすでに、晶はリリアナではなく護堂のほうに身体を向けて小さくなっていた。

 


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