カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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古代編 6

 青く燃える空を見て、リリアナは死を覚悟した。

 大気は灼熱に包まれ、木々が萎れていくのを感じている。

 あれは、先刻、メンルヴァを叩き落したガブリエルの奥の手に他ならない。その正体を、理解できないリリアナではない。魔女の直感も霊視も必要ない。ガブリエルが天から落とす裁きの火は、聖書にも記されるものだから。

 ゴーレムを射る手を思わず止める。

 この状況を変えられるとしたら、唯一人、草薙護堂を置いてほかにはいない。

 救いを求めるように、護堂を見る。

 彼もまた立ち尽くしていた。

 剣を放り投げ、あたかも降服するかのように――――。

 否、護堂の身体に充溢する呪力は加速度的に上昇している。何かしらの権能を使う前触れ。ガブリエルの硫黄の火に対して、護堂もまた異なる権能で対抗しようとしているのである。

「護堂さん!」

 リリアナは叫んだ。

 護堂が何をしようとしているのかは分からない。

 それでも、護堂の権能に賭けるしかない。

 天使が召喚したゴーレムくらいはリリアナでも何とかなるだろう。

 上位呪術師が一体作り出せれば僥倖というほどのできばえであるが、ランクとしては魔獣程度でしかない。だが、空で輝く青い炎は別格なのだ。あれはまさしく権能と言うべき代物である。リリアナが寿命の総てを注いで大呪術を放ったところで、あそこから漏れる火の粉にすら敵わないだろう。

 そして、空から絶望と共に青い炎が落ちてくる。

 

 ガブリエルが余裕の笑みを浮かべながら地上の護堂を見下ろしていた。

 羽のように広がる青い炎は、遙か古の時代に悪徳を積んだ二大都市を消し飛ばした神の裁きそのものである。

 ガブリエルにとっては最大火力と言っても差し支えない。

 悪しきモノに対して特効効果を持ち、ありとあらゆるものの存在を許さず灰燼に帰す絶滅の炎。

「さて、神殺し。このソドムとゴモラを焼き払った硫黄の火を受けて、それでも立ち向かってこられるか、試してみようじゃないか」

 メンルヴァがそうだった。

 この火を受けて、立っていられる者などそうはいない。

 ガブリエルと同等の天使たちならば、あるいは防ぐなり打ち返すなりはできるかもしれない。が、しかし神殺し風情にどうこうなるものではない。

 地上にある神殺しと、その仲間を纏めて焼き払い以て神の正しさを証明する。

 わざわざ狙う必要もない。

 ただ、無造作に振り下ろすだけで事足りる。

 ガブリエルの硫黄の火は、莫大なる熱と呪力で神殺しを粉砕し消滅させるであろう。

 

 

 空を見上げる護堂に向けて、遂にガブリエルの炎が落ちてきた。

 それは隕石というよりも流星群のように複数の火球に分かれて地上を目指している。無差別に森を焼き払うつもりなのであろう。

 空は相変わらず青く燃えている。

 燃える天蓋から火球が降り墜ちる様は、焼夷弾を落とす爆撃機の編隊を想起させた。

 これが地上に落ちることを許したら、護堂の敗北は濃厚になる。

 ならば、落とさせない。

 受け止め、打ち消す。そのための武器を、護堂は持っているのだから。

「この炎は、聖書に記された神の裁きの中でも特に有名なソドムとゴモラを滅ぼした硫黄の火だ。退廃の都となったこの二つの都市に派遣された天使の中にガブリエルはいたとされている」

 青い炎が空中で落下を止めた。

 ガブリエルは目を見開き、護堂は当たり前のようにその現象を受け止めている。

 燦然と輝く黄金の星。ウルスラグナの『剣』が、硫黄の火の真下に展開されたのである。

 神を斬り裂く言霊の剣は、対象となった神格に関するあらゆるものを無力化する。それが、例えソドムとゴモラを滅ぼした聖書最大の滅びであったとしても、ガブリエルの権能である以上はガブリエル殺しの言霊を越えることはできない。

「ガブリエルは聖典に名前が現れる三柱の天使のうちの一柱であり、神の言葉を伝えることを主要な職能としている。最も信仰を集める天使の一つでもあり、ユダヤ教からキリスト教に受け継がれた後も受胎告知のように主要な場面で度々登場する重要な役割を担った」

 リリアナから与えられた知識を最大限に活用して『剣』を研ぎ澄ます。

 護堂が言霊を紡ぐたびに黄金の星は数を増し、空一杯に溢れかえるまでになった。青い炎にもびくともせず、逆に受け止めてはこれを斬り捨て、消滅に追い込んでいく。

「まさか――――神格を斬り裂く言霊の剣か! それが、君の奥の手というわけだな!」

 ガブリエルは自分の奥の手を封じている護堂の権能を見て、事情を察した。

 己の業が手の中からすり抜けていくのを感じている。

 硫黄の火が目の前で次々と斬り捨てられていく。

「何という、愚かなことだ。神の裁きを受け入れないか。不敬にも程があるぞ! 天上にまします神よ。我に滅びの火を与えたまえ!」

 硫黄の火が火力を増した。

 護堂を一息に焼き滅ぼそうという算段なのだろう。

 護堂は『剣』を集めて、火球に対抗する。

「お前は聖書最大級の天使として多くの信仰を得た。けれど、この時代から百年くらい前にはすでに聖書の成立過程の中で色々な神話伝承が取り入れられていることは知られていた。ガブリエルという天使も、元は別の神話で語られた神だったってこともこの時代には知られていることだった。源流となったのはメソポタミア――――時代は新バビロニア王ネブカドネザル二世の頃だ」

 護堂の中でガブリエルの知識が白熱していくのが分かる。

 自分のモノではない知識が徐々に浸透し、口を付いて表に出てくる。

 知っていることと理解していることは違う。

 今の護堂はただ知っているだけではなく、正しくガブリエルという天使を理解している。

 黄金の星は容赦なくガブリエルの青い炎を斬り付けていく。墜ちてくる炎は言わずもがな、ついには空に昇り、滞空している炎の羽にすら喰らいつく。

「ネブカドネザル二世はイスラエルを占領し、多くのユダヤ人たちをバビロニアに連行した。バビロン捕囚と歴史に残る出来事は、当時のユダヤ人たちに自らの宗教や民族性を再考させるきっかけにもなった。半世紀あまりのバビロニアでの生活の中で、先進的な文明に圧倒され、故郷の神殿すらも破壊されてしまったユダヤ人は、物質的ではない信仰を求めて「律法」を宗教の中心に置くことになった。それは、解放された後も発展し続け、バビロニアの宗教の影響を大きく受けながら今日に伝わるユダヤ教となったんだ。やがてそれは救世主の登場と共にキリスト教に繋がっていく! 当然、その流れの中でバビロニアの神々を天使として取り込みながらな!」

 青い炎が砕け、黄金の星が舞い踊る。

 熱も呪力も地上には届かない。

 満天の星空が、その上から降り注ぐ焔を完全に遮断しているからだ。

「どこまで抗うか、神殺し。無礼なヤツ。早々に滅びるがいい!」

 ガブリエルが呪力を上昇させて黄金の星々に炎を落とす。

 当然のように打ち消されるが、しかし『剣』の言霊は無限ではない。斬れば斬るほどその切れ味を落としていく。ならば、ガブリエルのようにひたすら攻撃を繰り返すというのも、言霊の『剣』を打ち破るには有効な手の一つである。もちろん、その過程で自分の神力を使いきる可能性も否定できない。要するに、これは意地の張り合いなのだ。

 押し切られるわけにはいかない。より深くガブリエルの歴史を掘り返し、打ち破る刃としなければならない。

「ガブリエルという天使の名前は、一般には「神の力」とか「神の人」とかいう意味だとされている。けど、これもシュメール語由来で解釈されることもある。それによれば、ガブリエルの「ガブリ」は、シュメール語で「統治者」あるいは「英雄」という意味になる単語だという。マルドゥクの影響を受けたミカエルやウリエル、バビロニアでラビエルの名で呼ばれたというラファエルと同じくガブリエルもバビロニアの神の一柱だった」

「僕の過去を土足で踏みにじるか。その忌々しい口、どこまで開いていられるかな!」

「あんたが落ちてくるまでかな――――ガブリエルは天使たちの中で唯一女性的に描かれる天使だ。聖母はガブリエルを見たとき同姓だと分かって安心するという描写が伝わっているし、ユダヤ教で女性の位置とされる主人の左側に座るのもガブリエルだ。お前の象徴は月と水と百合だけど、これも総て地母神の象徴だ。ガブリエルの元になったのは英雄神というよりは、地母神として崇められた女神だったんだろう」

 黄金の『剣』が遂にガブリエルの炎の羽をズタズタに引き裂いた。苦悶に顔を歪めるガブリエルはそれでも黄金の『剣』を振り払うために硫黄の火をばら撒く。自分に届く前に対消滅させるつもりなのだろう。空中を動き回って、回避に出る。

「逃がすか! 追え!」

 『剣』に思念を送る。

 ガブリエルを取り囲むように、『剣』を動かしていく。

 護堂の『剣』は減ったが、ガブリエルの炎も順調に減っている。有利なのは、護堂のほうだろうか。いや、油断はできない。

「ガブリエルのルーツを探る上で、百合は貴重な考察材料だ。ラテン語でリリウム、後に英語でリリィと呼ばれる花だけど、この花を象徴とし、そしてその名を持つ悪魔が聖書には登場する」

「やめろ、それ以上口を開くな神殺し!」

 やはり、さすがにここまで言われるとガブリエルも冷静ではいられない。

 何せ天使でありながらも悪魔を代表する存在と祖を同じくするのだから。

 だが、黙らない。 

 それこそがガブリエルのルーツを紐解く鍵にして、黄金の『剣』を真にガブリエル殺しに創り変える要素なのだから。

「悪魔の名はリリス。アダムの最初の妻にして多くの悪霊の生みの親であるリリスは、元を辿ればメソポタミアの悪霊リリトゥに行き着く。リリトゥはアッカド語ではアルダト・リリとなるが、「リリ」は大気や風に由来する言葉だ。この悪霊は、メソポタミア神話の女神「風の女」ニンリルと関係付けられる」

 「ニン」は女神、貴婦人を指し、「リル」は「風」となる。その名が示す通りニンリルは風の女神であり夫である風の主人(エンリル)と共にメソポタミアの風を支配した。

 南風の女王であるニンリルは同時に死神でもあった。

 南風は人類に敵意を持つ存在として語られる。それは、夏の熱風が砂嵐を呼び、当時の人々を苦しめたからであろう。

 ニンリルは冥界と結びつき、強大な死神であるネルガルの母となる。

「そして、ニンリルにはまた別の名がある。多くの異名を持ち、時に他の女神すらも自分の名前の中に取り込んでしまう偉大なる女主人。豊穣の女神であると同時に天空の支配者であり、歴代シュメール王を育てたとされる女神の名は、ニンフルサグ。これが、ガブリエルの祖、あるいは近縁となった女神だ」

 ニンフルサグ。

 その意味は「聖なる山の女神」。

 シュメールに於いて山は死後の世界であり、故に彼女は死神でもあった。そして、死神は同時に生命の誕生を祝福する存在でもある。「胎児の女神(ニンジナク)」「生命を生み出す母(アマウドゥダ)」などと呼び習わされる彼女は、まさしく豊穣の女神の原初の一つである。

 そして、ガブリエルがメンルヴァの毒を打ち消した理由もここにある。

 ニンフルサグは、神話の中でエンキの体内から病の原因を取り出しているのである。この神話の中では、エンキが病になった原因もまたニンフルサグであるが、権能はこれを拡大解釈でもしたのだろう。自分の体内から毒素を抜き出すという形で応用したに違いない。

 一つの神格が、別の宗教に取り込まれた際に善と悪の側面で別の神に分化するのはよくある話である。

 インド神話のインドラがペルシャに入って悪神となった際にその善性がウルスラグナに変化したように。

 天の主人、最高峰の女神としての部分がガブリエルの原型へと繋がり、死神としての側面はリリスへと受け継がれた。

「ニンフルサグは聖書に大きな影響を与えた女神だ。彼女は夫であるエンキと共にエディヌという庭園を作ったことで知られる。ニンフルサグは土から人間を作り出し、エンキの間にはニンティという女神を生む。この女神は「肋骨の女神」とか「生命の女神」とか呼ばれる。これは、一つの単語に肋骨と生命の二つの意味があるからだ。エディヌの庭園、土から作られる人間、肋骨から生まれた女――――聖書に記されるエデンの園の源流となる伝説だ。だから、お前の源流はメソポタミア神話に違いない。聖書に影響を与えた女神。大地の女神にして天空の女王、そして「王権の守り女神(ニンメンナ)」の異名を持つニンフルサグだからこそ、「統治者」の称号を持つお前の祖に相応しいんだ」

 そして、護堂の星が空一面に広がっていた青い炎を駆逐し尽した。

 もはや、ガブリエルを守るものは何もない。

 見るからに焦るガブリエルを取り囲んだ黄金の輝きは、逃げる間を与えずに偉大なる天使に殺到し、その神格を深々と斬り裂いた。

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 ――――やった。

 リリアナも晶もそう思った。

 周囲を埋め尽くしていた土のゴーレムが崩れ落ちる。

 空は夜の闇を取り戻し、燃える炎を地上に達することなく消え果てた。

 地に墜ちる天使。

 あたかもそれは、罪を犯した天使が神罰を受けたかのようだ。

(そういえば、ガブリエルも一時期は天界を追われたことがあるという伝説があったな……)

 などと、リリアナは考える余裕が持てるまでになった。

「先輩!」

 晶が嬉々として護堂に駆け寄ろうとする。

 それを、護堂が視線で制した。

 見れば、地に伏していたはずのガブリエルが立ち上がり、護堂と対峙しているではないか。

「最後の一瞬で、ガブリエルという神格の表層にニンフルサグとかリリスを押し出して逸らしたのか。器用なことするな」

 護堂の「戦士」の目がそのからくりを見抜いていた。

 ウルスラグナの権能はあらゆる神々に対して劇薬となる。そして、単一の権能であるが故に原作のそれよりも効果が大きく、たとえ同一視されている別神格のものであろうとも斬り裂くことができる。今回、ガブリエルがやったような手は原作では弾かれていただろうが、今の護堂の「戦士」ならば、纏めて斬ってしまう。それでも、切れ味は大きく劣ってしまうらしい。ガブリエルが立ち上がっていられるのもそのためだ。

「僕の、過去を暴きたて、神格を斬り裂く黄金の剣……東方の軍神から奪ったものか。確かに、驚異的だ」

 顔色は蒼白だが、目の力は失われていない。

「だが、「神の力」に敗北はない!」

 轟、と風が吹いた。

 目に見えない豪風が護堂の身体を打ち据える。

「ぐ……!?」

 指向性を持つ風の魔弾。

 おまけに熱い。中東地域を駆け抜ける熱波を凝縮したような乾燥した風ではないか。

 肌がひりつき、水分が奪われる。

「水が欲しいかい? なら、くれてやる。たんと飲め」

 ガブリエルがライン川に手を向ける。

 どぶん、という音と共に舞い上がるのは巨大な水球であった。

 全盛期ほどではないにしても、水を司る天使の力は強大に違いない。 

 『剣』に斬られていながらまだ、これほど残っているとは。

「撃ち落すしかないってか」

 一目連の権能でドリル状の巨大な槍を創り出し、水球にぶつける。激突と同時に水球が爆ぜて、周囲に雨を降らせる。

「ガブリエルは……!?」

 まずい、と思った。

 ガブリエルを今の交錯で見失った。

「我が言は衆生を導く教えなり。我が呪言は、万象貫く法にして罪人を討つ裁きの剣なり!」

 ガブリエルの聖句を唱えて自らの直感を強化する。

 相手もまた同種の権能を持っている。

 こちらの知覚力と相手の隠蔽力はほぼ互角、あるいは、相手が一枚上手。打ち消し合い、弱体化し合う関係性。しかし、今はガブリエルも弱っている。その傷、漏れ出る呪力を探れば――――。

 後ろに豊穣の気配を察して、護堂は身を捻る。

 間一髪、突き込まれた剣を避けることに成功した。

「この……!」

 護堂が反撃に出る前に、ガブリエルの蹴りが護堂の脇腹を打つ。

 呻く余裕すらなく、蹴り飛ばされた護堂は着地の隙を狙われないように土雷神の化身で地中に潜り、安全を確保した上で地上に戻った。

 ジンジンとと痛む脇腹を押さえてガブリエルと再度睨み合う。

 晶の権能で強化された身体能力の恩恵は大きいが、それでもアテナの権能が切れつつある今護堂の動きは鈍り続けている。

 長期戦はまずい。

 そして、それは敵も同じようだ。

「……ずいぶんと疲れてるみたいだな。ガブリエル。呪力が駄駄漏れだぞ」

 ガブリエルの身体からは、今も大量の呪力が漏れ出ている。

 まるで穴の開いたドラム缶のように。

 ウルスラグナの『剣』の傷は、護堂が思っているよりもずっと深かったのだ。

「抜かせ神殺し。僕のほうも分かっているぞ。君はさっきまでの動きはできないと。何かしらの権能の補助は、もうとっくに切れていると」

 ガブリエルは剣を構えて言う。

 図星であった。

 護堂の動きは鈍り、戦闘センスも下落した。剣による接近戦は、ガブリエルの直感に頼るしかない。

「かもな、でも負けねえ」

「試してみようか」

 ガブリエルが護堂に飛び掛った。

 負傷を物ともしない高速移動に護堂は剣で応じる。

 相手の土俵だが、逃げる場所がない。護堂が逃げるよりも先に、ガブリエルの切先が護堂に届くだろうから。

 勘任せに振るう剣が辛うじてガブリエルの剣を捉え、交錯する。

「鋭く、速き雷よ! 我が敵を切り刻み、罪障を払え!」

 三合目。

 剣が交わる瞬間を見据えて、護堂は咲雷神の化身を使う。

 どこかの高木が両断され、その代わりに護堂の剣に切断の雷撃が宿る。

「ぐ、ぬ!」

 護堂の剣は紫電を纏ってガブリエルの剣を斬り捨て、そのまま左腕を斬り飛ばす。

『弾け!』

『弾け!』

 言霊が激突し、空間が捻くれる。

 呪力が呻き声を挙げるかのように。歪んだ世界は一瞬で爆発し、護堂を跳ね飛ばした。

「う、おおおおおおおおおおおおお!?」

 同種の権能。

 しかし、相手は『まつろわぬ神』である。護堂のそれよりも出力が高いのは当たり前だったか。

「大地よ命を紡げ。その生誕を寿ぎ、人の世の始まりを示せ!」

 ガブリエルが呪力を地面に叩き込んだ。

 土が捏ね繰り回されて、岩石混じりのゴーレムが生まれた。

 その大きさは、先ほど作られたゴーレムよりもずっと大きい。ニンフルサグの土から人間を造り出す権能。ガブリエルであるが故に完全には使いこなせないが、ゴーレムとして使役することはできるということなのだろう。

 神殺しに呪術系の攻撃は効きずらい。

 しかし、ゴーレムのような物理攻撃ならば話は別になる。

「く、そ」

 ゴーレムが振り下ろした豪腕が護堂を掠める。

 飛び退いた地面が大きく抉れて、ひっくり返った。土と石が飛び散って、護堂の身体を打ち据える。

「我は焼き尽くす者。破滅と破壊と豊穣を約束する者なり。全てを灰に。それは新たなる門出の証なり」

 護堂が切ったのは火雷神の化身のカード。

 莫大な火炎で、ゴーレムごとガブリエルを狙うつもりなのだ。

「大地よ水よ! 僕を守護せよ!」

 大地と水の精気がガブリエルを包み込む。

 真っ赤な炎の津波はゴーレムという楯に激突し、これを粉砕する。そのまま突き進み、ガブリエルを守る水と土の要塞に衝突した。

「どらああああああああああああああ!」

 吼える護堂は、そのままねじりこむように腕を押し込む。

 それに呼応して火雷神の化身の炎が火力を増してガブリエルの要塞を蒸発させて貫いた。

 勢い余った炎の怒涛は背後の森に到達し、進路上の木々を一瞬にして灰に変えた。

 火雷神の化身が焼き払った直線上には何も残らない。

 地面に真っ直ぐな焼け跡が刻み込まれるだけである。

「その炎で、この僕が倒せると思ったのかい!?」

 声が響く。

 見上げた空に浮かぶ一つの影。

 天使ガブリエルは煤一つなく、輝ける姿のままそこにいた。

「あの砦は身を守るためじゃなくて、姿を隠すためだったのか」

 護堂は呟いた。

 火雷神の炎が要塞を貫いたときには、すでにガブリエルは脱出を果たしていたのである。

「僕をここまで追い込んだことを誇るといい。なるほど、君は神殺しに相応しい罪人だ」

「だとして、どうするんだ?」

「無論、ここで神罰を下すのみだ。それが、天使である僕の定め」

 今も、呪力を失いつつある身体でガブリエルは言い切った。

 逃げることもなく、ただ護堂を討つことだけを考えている。使命に忠実な神の使徒のあり方を体現したような言い草であった。

「だったら、ここで終わりだ。ガブリエル!」

「それは君のほうだ、神殺し!」

 護堂は剣を掃射する。

 三十挺の剣はガブリエルに殺到し、空中に現れた大きな水の塊に吸い込まれてしまう。正面からの単純な攻撃は、やはり通らない。

 だが、この剣は囮だ。

「天叢雲!」

 ここで、護堂は右手の相棒に呼びかけた。

 使えそうなものは何であれ使い、勝利を手繰り寄せるのが神殺しの真骨頂。

 天叢雲剣の能力でコピーした権能を、このタイミングで発動する。

 月の光に僅かに映り込む、黒い線。

 無数のピアノ線のような何かが、ガブリエルの周囲に突如として現れたのである。

「……ッ!? これは!?」

 黒い糸だった。

 ガブリエルの腕や足、胴体に絡みつこうと襲い掛かるそれを、剣や氷で受け止める。結果として、ガブリエルは空中に固定される形になってしまった。僅かでも抵抗を緩めれば、護堂の糸に絡め取られてしまう。そうなれば、引き裂かれるか、先日のように封じられるかするだろう。

「それは、メンルヴァの権能だ」

 護堂は言う。

「なん、だって?」

「メンルヴァが、この前アンタを封じたときの権能を真似させてもらった。俺の相棒にはそういうのが得意な奴がいるんだよ」

 護堂は笑った。

 ガブリエルの権能でできることは、大体護堂の権能でも模倣できる。ならば、真似る必要はないし、何よりオリジナルに対して同じタイプの権能を使っても効果は薄まる。ならば、ガブリエルを封じたメンルヴァの糸を紡ぎ出す権能を複製するほうが、後々使えそうだと判断したのである。

「抜かりないヤツめ。……だが、これが限界だな。君は、この状態を維持するだけでその先がない。これで、僕を倒すことは、不可能だ!」

 ガブリエルには分かっていた。

 護堂にも余力がないことを。メンルヴァの権能を模してガブリエルを固定したはいいものの、止めを刺すための一撃を用意するだけの余裕がないのである。少しでもほかの権能を使おうとすれば、その隙にガブリエルは糸の結界から抜け出すだろう。

「確かに、俺には余力がないな。――――俺にはだけどな」

 その呟きをガブリエルは拾えただろうか。

 黒い糸の結界の上。月の光を小さな影が遮った。

 舞い上げる銀の騎士。その腕に抱かれた黒髪の少女が、宙に身を躍らせる。

「行け、高橋晶!」

「任せてください!」

 常のガブリエルならば、こんな風に接近を許すことはなかっただろう。神格を傷付けられ、護堂以外に意識を割く余裕がなくなった今だからこそ、リリアナの飛翔術を察することができなかった。

「結局、あんたらは人間を舐めすぎた。眼中にないなんて言ってるから、そうやって隙を曝す」

 ガブリエルは護堂からすでに視線を外している。

 今の時点では護堂から攻撃が来ることはない。

 上から飛び降りてきた黒髪の少女こそが脅威だった。護堂の加護を受けた、神殺しの従者。微力ではあるが、神力を持っているのならば、神を傷付けることもできるだろう。

 ガブリエルは、咄嗟に氷の幕を張った。

 晶の攻撃を弾く程度なら、これでも十分な強度だ。

 その、はずだった。

「我は最強にして、全ての勝利を摑む者なり。全ての敵と、全ての敵意を挫く者なり!」

 護堂と晶の聖句が自然と重なり力となる。ウルスラグナの聖句が呪力を高め、悪神を討ち滅ぼす鉄槌となる。

 晶の右腕が黄金に輝く。

 草薙護堂の取っておき。密かに残しておいた、最後の『剣』の一太刀である。

「いやああああああああああああ!!」

 晶が咆哮と共に突き込んだ拳は、ガブリエルの防御膜をあっさりと撃ち抜いて、その本体にまで届いた。

 胸に突き立つ右腕から、ガブリエル殺しの権能が毒となって滲み出て、ガブリエルを侵す。

「く、ぬ、おおおおおおおおああああああああああああああ!?」

 ガブリエルが絶叫するのは、これが初めてなのではないか。

 今回ばかりは逃れられない。

 ウルスラグナの『剣』が、その神格を完膚なきまでに叩き壊し、討ち滅ぼす――――。

 晶の全力のパンチで地面に叩き落されたガブリエルは、それでも原型を止めていた。人間ならば、粉微塵になっているであろう衝撃も、頑丈な『まつろわぬ神』の身体を壊すには至らない。

 だが、それでもこの天使は死に体だった。

 身体を起こすものの、胸にぽっかりと開いた穴からはおびただしい呪力が漏れ出している。生と死を司る女神の末端にいるガブリエルでも、この損傷を癒すことはもはや不可能であろう。

 勝敗は決したのだ。

「いや、まだだ……」

 ガブリエルは事ここに至っても敗北を認めないらしい。

 僅かに動くたびに、命の源が流出しているというのにだ。

「もう、止めろ。それ以上は……」

 護堂が声をかけた。

 懸命に動こうとする天使が痛々しかったからだ。同情も憐憫もないが、それでも生き足掻いている姿は見るに耐えない。

「僕は神殺しの罪を罰しなければならない……それが、ガブリエルの職務、だからだ」

 虚ろな表情でガブリエルは言う。

 もしかしたら、ガブリエルとして召喚されていながら異教の神の逸話をその身に取り込んでいるという矛盾に、抗っていたのかもしれない。異教を認めない思想でありながら、『まつろわぬ神』の身には異教の神々が取り込まれているからである。

 自我の強弱が『まつろわぬ神』の強さの源であるならば、自らに疑問を抱く、あるいは自らの出自を恥じる神の強さはどうなるのだろうか。考えても仕方のないことではあるが、興味はあった。

 ガブリエルは強かった。

 しかし、それが真骨頂を発揮できていたのかどうか。

 余計なことを考えているうちにガブリエルの姿は薄くなっていく。

「このまま、神殺しに僕の力を与えるわけにはいかない。――――僕はすでに刻み込んだぞ。この世界に、僕の力を……僕はこのまま消えるが、僕の意思を受け継ぐ者がやがて現れるだろう……そのとき、こそ、君の罪を清算する、ときだ」

「なんだって!?」

 ガブリエルの言い分に護堂は耳を疑った。

 負けを認めないどころの話ではなかった。

 自分の死後も必ず護堂に再戦すると、世界に何かしらの呪詛をかけたのだ。ガブリエルの言い分を信じるのなら、護堂の権能は増えず、いつかガブリエルの意思を継いだ何者かと再戦しなければならないというのだ。

「何年先になるか分からない。けれど、必ず僕は君に辿り着くぞ。――――覚悟、して、おくんだな」

 皮肉げな微笑を残して、ガブリエルは消えていった。

 その言葉のとおり、倒したはずなのにガブリエルの権能が増えることはなかった。何の恩恵もなく、ただ命を賭けただけの戦いになってしまったではないか。

「護堂さん。あの、もしかしてこれは……」

「言わないでくれ。考えたくもない……」

 ガブリエルの残した呪い。

 もしかしたら、それは、千五百年後にすでに体験していたのかもしれないから。

「あの、でももう終わったことなら、気にしなくてもいいんじゃないですか?」

「うん。まあ、確かにそうなんだよな。晶の言うとおり」

 千五百年後の未来で、ガブリエルはすでに倒してしまっている。

 この時代のガブリエルの残した呪いは成就し、しかしそのときにいたのは神殺しではないただの少年草薙護堂だった。

 神殺しの草薙護堂と戦うという呪いは中途半端な形になってしまった。

 まさか、護堂が神殺しとなる発端になるとは考えもしなかっただろう。そう考えると、何とも言えない無情な気持ちになってしまう。

「あんたは、どうなるんだ?」

 護堂は気配のみを察して声をかけた。

 ゆらゆらと漂う神気が、大地から立ち上った。明確な形はなく、そこに何かいるという程度の脆弱な気配である。

「ああ、わたしはこのまま地上を去ることになろうな。口惜しいが、仕方あるまい」

 まつろわぬメンルヴァは、やはり残れないらしい。

 ヤツの最期を見届けただけでも良しとしようなどと前向きな発言をする。

「わたしもただでは死なん。我が叡智を石に刻んだ。いつの日にか、我が力を継承し、地上を治める女神が現れることだろう」

「また、面倒なことを……」

 ガブリエルもメンルヴァも、考えることはおなじだったらしい。

 もしかしたら、護堂がそれに巻き込まれるかもしれないというのにだ。迷惑なことこの上ない。

「ふふふ、あなたとそのときに縁があるか分からんがな――――」

 風に火の粉がかき消されていくように、女神の気配は大気に溶けて消えていった。

 『まつろわぬ神』が消えるときは、往々にして物悲しいものだ。絶対的な存在感を有していたものが消えるのだから当然だろう。

 護堂たちは、五世紀の初戦を勝利で飾った。

 得るものはまったくなかったが、それでも今後に向けた弾みにはなるだろう。

 決してこの時代で活躍するとかは考えていないが、無事に現代に戻るためにもまず生きていかなければならないから、神様との戦いを乗り切ったのは、モチベーションを高める上でいい意味を持つ。

 アイーシャ夫人とサルバトーレ・ドニ。

 この二人の行方を捜すためにも、再び人里に帰らなければならない。

 護堂たちは、疲れた身体に鞭打って当初拠点としていた集落への帰路に就くのだった。




ウルディオーネを書いている辺りからシュメールの単語が少しだけ頭に入っているようになってしまった。
エンキ、とかって神の名前を見ても、ああ、大地の主ね、みたいな感じで自動翻訳される。なぜ、これが学生時代の英語で発揮されなかったのか。もう少し言語そのものに興味を持てていれば、学年で下から二番目などという不名誉を曝さなくても済んだのに。
やっぱり面白いと思えることが学習の第一歩なのだ。
まあ、単語といっても両手で数えられる程度だけれども。

ちなみにガブリエルに関しては諸説あるのであしからず。
ニンフルサグと繋がるという意見もあるらしいという程度で考えてください。



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