カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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古代編 15

 ウルディンとの戦いから丸一日。

 護堂は麗らかな日差しの下で目を覚ました。

 戦いで傷ついた身体はすでにない。すっかり元通りに再生している。《蛇》の再生能力は役に立ってばかりである。右手を開いて握る。確認作業をそれとなくこなし、身体に問題がないことを実証してから床に下りた。

 今、何時なのだろうか。

 時計がないので分かりにくい。

 未来から持ち込んだ時計は正しく時を刻んではいるが、これで分かるのはどれくらい時間が経ったかであって、今が何時になるのかということではない。二十一世紀から五世紀初頭のガリアに来た際に、同時刻に移動した保証はなく、畢竟、腕時計そのものが示す時刻と実際の時刻とで大きなずれが発生している。

「先輩、目が覚めましたか」

 ノックの後に入ってきた晶が言う。

「ああ、おはよう、晶」

「はい、おはようございます」

 小さく礼をした晶の手には三つの取っ手がついた壷(ヒュドリア)があった。中には水がたっぷりと入っていて、ちゃぷちゃぷと音がする。

 女子が手に持って運ぶにはあまりにも重いものではあるが晶はこれを苦もなく持ち上げて運ぶことができる。人ならざる膂力の持ち主であるため、成人男性でも持ち上がらない重さの物体を平然と運ぶくらい訳ないのである。その点、水の入ったヒュドリア程度、まだ常識の範囲内だ。

「お水です。使いますよね」

「ああ、ありがとう。気が利くな」

「え、あ、と、当然のことをしたまでです」

 急に護堂に誉められたものだから、どもってしまう。

 思えば面と向かって相手を誉めるような一言を護堂が発するのは珍しいのではないか。それを思うと嬉しくなってしまう。単純ではあるが、それが晶の長所であり短所であった。自分ではどうすることもできないし、どうにかしようとも思わないので、きっとずっとこのままだ。彼の一挙手一投足に喜んだり、悲しんだりするのだろう。

「ところで、先輩。身体の具合はどうでしょうか。どこか、悪いところでもありませんか?」

「大丈夫だ。若雷が効いてくれたしな。何も問題ない。今から一試合しろって言われても、大丈夫なくらいだ」

 一試合とは、サッカーのことである。もともとサッカーをしていた護堂だから、こうした明言せずともそこにはサッカーであるという前提が入り込む。晶はそれを共通認識としているから、何がと言わずとも分かる。

「まあ、今更俺の身体の心配しても意味ないだろ?」

「そんなこと、ないですよ」

 晶は言う。

 確かに護堂の言う通りではあるのだ。かつて、目の前で心臓を抜かれたときはさすがにダメだと思ったが、護堂はそれでも復活した。ならば、重傷ではあっても重体とまではいかなかった昨夜の戦いでの負傷など、負傷のうちには入らない。

「ところで、おはようとは言ったケド、今は朝なのか?」

「お昼前ですね。十一時ごろになります。さっき、水時計を見てきましたから」

「そうか。この時代に来てから時間の感覚が曖昧なんだよな。ぱっと時間を確認できないから」

「腕時計とか携帯とか、やっぱり便利だって思いますよね」

「普段はそんなこと、考えもしなかったんだけどな」

 失くして分かる大切さがあるという。腕時計も携帯電話もあって当たり前のものだ。多くの日本人にとって、この二つが存在しない世界というのはまずありえない。朝起きて、すぐに手元で時間を確認できるというのがどれほど自分の一日に於いて重要であるか。護堂は、このガリアでの旅の中でしっかりと体感した。幸いにして、時間に追われる旅ではない。寝過ごしたとしても何の問題もないのだが、それはそれ。一日を始める上で、時刻の確認は非常に重要なのだ。

「あ、それとご飯はリリアナさんが用意してくださるそうです」

「へえ、リリアナが」

「まあ、わたしも、そこそこに料理はできますけど」

「知ってるよ。晶の料理も、今度食べさせてもらいたいよ」

「え、あ、はい。それはもう、いつでも言ってください」

 にこやかに晶は答える。

 晶が料理ができることは護堂も知っている。

 外食よりもお金がかからないからと一人暮らしの涙ぐましい努力があったが、最近では鹿児島の実家から仕送りがあるらしく、料理をする目的は大きく変わってきている。

 話をすれば、なんとやら。リリアナがやってきて、料理が完成したことを告げる。

「時間を考えれば、昼食と言ったほうがいいのでしょうが」

「そうだろうな。すまない。俺がもっと早く起きていればよかったな」

「いいえ。護堂さんはウルディン様とあれほど激しく戦ったばかり。カンピオーネとはいえ休息は必要ですから、大いに休み、そして大いに食べてくださればいいのです」

「そんな自堕落すぎやしないか、その表現は」

「いつでも戦えるように英気を養うのも戦士の務めなのです。もちろん、争いはないに越したことはありませんが……」

「カンピオーネに平和はありませんからね。先輩のこの一年を見ると特にそう思います」

 リリアナの言葉を晶が続ける。

「それは、言わずもがなで諦めてはいるけどな」

 平和主義など口が避けても言えないくらいの戦いを護堂は経験してきた。その過程で、いろいろと壊してしまったり、迷惑をかけたりしたところは多々ある。

「そう、それと。今後の話を食事をしながらしたいのですが」

「そうだな。そうしよう」

 リリアナの提案に護堂は頷いた。

 アイーシャと繋がりを得た護堂は、このまま現代に帰還するという手もなくはない。しかし、依然としてサルバトーレが行方知れずであることを考えると、彼を残したまま現代に帰還するのは嫌な予感しかしないのだ。

 護堂は、リリアナと晶と共に部屋を出て食堂(トリクリニウム)に向かう。

 二十一世紀の日本人からすれば異様な光景にも見えるだろう。

 部屋の中央にあるラウンドテーブルの三方を長椅子が取り囲んでいる。それだけならば、まだ普通であるが、その長椅子は頭を乗せるでっぱりがあるのだ。ローマの人々は、この長椅子に寝転がりながら食事を摂るのが正式な作法であるらしい。しかも、上流階級では満腹になると喉に指を差し入れて胃の内容物を戻し、それから食事に戻るという。千五百年後の人々からすれば、おかしいと口を揃えて言いたくなるような食習慣である。もっとも、常にそうした食事をしていたわけではなく、簡易的に座って食べたりもしているようだが、正式には寝て食事を摂るらしい。

 もちろん、護堂たちはそのような食事の仕方はしない。結果、護堂たちは食事時は三人で過ごすことになるのだ。

「うん、この肉美味いな。なんだ?」

 護堂は、真っ先に口を付けた肉料理についてリリアナに尋ねた。

「これは、野兎の肩肉を使ったステーキですね。献上品の中にあったので、使ってみました」

「野兎? へえ、初めてだ」

「兎食べてたんですね、ローマ人」

 護堂は感心し、晶もこくこくと頷きながら野兎の肉を咀嚼する。

 正確にはガリアに近い土地ではあるが、ローマな都市である。文化的にもローマ化しているのは間違いない。

「ローマの人々は驚くほどに多様な食文化を持っていますから。牛肉はまだ一般的ではありませんが、豚や猪、兎や鶏などを育てて食べていたようです」

「五世紀だよな、ここ」

「日本じゃ考えられませんよね」

 記憶を遡ってみても、五世紀の日本について学校で学んだ記憶はほとんどない。日本史的には古墳時代に該当する頃ではあるが資料も乏しい。記紀神話すらまだ先の時代であり、史実と伝説が入り混じる時代でもあった。そろそろ雄略天皇が登場する時代かという頃であり、日本史の中でも初期であると言っても過言ではあるまい。

「小学生の頃は、平安時代ですら大昔って感じだったんだけどな」

「世界史的には新しい部類ですよ。だって、中世なんですから」

「なあ」

 日本人二人が日本史と世界史を比較して話をする。リリアナは中々会話に入れない。日本好きではあるが、日本史をどこまで把握しているかというとそれほどでもないのだ。得意なのは侍の時代であって古代史は注目したこともない。

「それで、護堂さん。これからのことですが」

 強引にリリアナは会話の流れを変える。

「これから、な。ウルディンはあの後から動きはないんだろ?」

「はい。護堂さんと共倒れになった後で、お供の二人に連れて行かれましたので」

 護堂とウルディンの戦いは決着がつかずダブルノックダウンで終わった。護堂もウルディンも共に意識があったにも関わらず、身動きができない状態だった。事ここに至って優位にあったのは、アイーシャを仲間にしている護堂であり、ウルディンのほうもそれが分からないほど馬鹿ではない。素直に撤退していった。

「勝った、とはいえないなあ」

「戦略的には勝利ですよ。ウルディン様はアウグスタ・ラウリカ(この街)を手に入れられず、護堂さんは守り通したのですから」

「ああ、まあそうなんだけどな」

 護堂は目的を果たし、ウルディンは失敗した。その一点で見れば、確かに護堂の勝利ではあるのだろう。実際の殴り合いで互角だった上に勝利条件では護堂が有利だったので、そのまま喜ぶことはないが。

「ウルディンだって、死んでないならもう回復しているだろうしな。昨日の今日で攻めてくるってことはないだろうけど」

「呪力の回復には相応の時間がかかるもの。数日は間を置くのではないですか?」

「ウルディンに回復とか再生とかって権能がなければ、しばらくは様子見に徹してくれるかもな」

 如何にカンピオーネの回復力が尋常ではないものだったとしても、呪力を完全回復するにはそれなりの時を要する。護堂もウルディンも呪力はすっからかんになるまで戦い抜いた。護堂の場合は、回復系の権能のおかげもありそれなりに呪力の回復も早いほうではあるが、同格以上との戦闘を見越すのであれば二、三日は様子を見るべきであろう。そして、それはウルディンも同じ。むしろ、ウルスラグナの言霊によって斬り付けられた彼の消耗は護堂以上であると思われる。失われた神力が取り戻されるまでは、迂闊に動くタイプではないと感じる。

「まずはアイーシャさんだな。ウルディンがあの人に危害を加えないようにしないといけない」

「そうですね。まあ、あの方もカンピオーネですし、ああ見えて歴戦の猛者でもありますからそういう意味では心配はしませんが」

 晶が不安そうな表情を浮かべる。

 確かに、危害を加えられるか否かという点に於いて、アイーシャを心配する必要性は余りない。彼女はウルディンや護堂よりも遙かに長い時間を生きるカンピオーネである。その権能の全貌が明らかになったわけではないが、それでも生き残ることに特化した「厄介」な権能の数々を所持しているはずである。

「サルバトーレがここにいてくれれば、アイツを連れて元の時代に戻るんだけどな」

「問題はそこですね。サルバトーレ卿がこの時代で何をなさるのか……歴史がどのように変化してしまうのか、よく分かっていませんし不安材料ですね」

 時間が無数の可能性から成り立つのであれば、平行世界理論なるもので片付くが、もしも一本道であれば過去の改変が未来に影響することになる。護堂たちは、そういった概念的な歴史については詳しくない。二十一世紀の呪術師であっても時間を解析することなど不可能であり、権能を持っているアイーシャだからこそタイムスリップなどという奇跡を体現できる。

 結局、時間への干渉は奇跡の類だ。専門の権能でも持ってこない限りは、到底解析などできるはずがない。

「とにかく、俺たちが元の時代に戻るのをウルディンが邪魔しないようにはしないとな」

「では、交渉を?」

 リリアナが尋ね、護堂は頷いた。

「するしかない。戦いはもうやったからな。何となくだけど、ウルディンは話が通じないタイプじゃないと思うし」

「ああ、確かにそんな感じでしたね」

 晶がウルディンを思い出して、納得したといった表情を浮かべる。

「戦いを楽しむというよりも、手段の一つと捉えている節は感じました。もちろん、楽しんではいたようですがなんというかこう……」

「戦闘狂という感じではなかったな」

「そう、それです。サルバトーレ卿やヴォバン侯爵とは違った感じです」

 リリアナと晶でウルディンの人となりを言葉に落とし込んでいく。

「フン族を率いる身であるということをきちんと自覚しているようでしたね。高橋晶が言うように、彼にとって戦争は一族を富ませる手段の一つということなのでしょう。フン族は略奪や身代金などで生計を立てていましたから、それが自然なやり方なのでしょうね」

「まあ、五世紀だしな。どこもそんなもんなんだろうけど」

 護堂はため息混じりに言う。

 五世紀ごろのヨーロッパはどこもかしこも殺伐としている。平和などというものは、百年も続くものではないが、この時代はゲルマン人の大移動の真っ只中だ。あと数十年もすれば、南下してきたゲルマン民族との小競り合いに疲弊した西ローマ帝国は滅亡するだろう。ヨーロッパにおける古代と中世の転換期であり、二十一世紀に続く「西洋人」を形成する重要な時期であるといえよう。

 ゲルマン人の大移動の原因の一つであるフン族の指導者こそが、神殺しウルディンだ。権能を使えば、民族の一つや二つ、簡単に根絶やしにできるだろう。ゲルマン人たちが、フン族から逃げるのは当たり前のことのように思える。自分たちの仲間に神殺しがいなければ、抵抗することなどできないからだ。

「世の中に積極的に権能を使っていこうって、俺たちの時代にはいなかったな。ああ、アイーシャさんはあれだけど」

 護堂は同時代に生まれた六人のカンピオーネを思い浮かべる。

 二十一世紀のカンピオーネたちもまた王であり、組織を率いてはいたが、勢力争いなどはしていなかった。部下は便利屋程度の扱いであり、自分たちの組織を肥大化させるために戦うことはしていない。その点、ウルディンはフン族を率いて運営している。戦乱の世に生まれ、自分の戦いだけでなく組織の戦いを経験してきたからだろうか。未来のカンピオーネとはまた異なる思考の持ち主である。そして、組織を運営する王であるのならば、組織にとって利になる話には乗るだろう。筋肉至上主義というか、戦うことを第一とするカンピオーネに比べれば幾分か交渉の余地があるように思う。

 護堂としてはアイーシャが敵の手に墜ちるようなことがなければそれでいい。

 交渉の要件。ウルディンを釣るための餌は、すでに決まっているようなものだろう。

 アイーシャは今も外で元気に活動している。相変わらずの人気振りで、親しくしている護堂が顔も知らない男たちに目の仇にされているらしい。

 アイーシャに今後の予定を伝え、彼女の了承を取ってから本格的にウルディンの砦に乗り込むことにしよう。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 アウグスタ・ラウリカを出た護堂は、リリアナの飛翔術で瞬く間にこの場所まで移動し果せた。本来であれば馬車を使って数日の道のりであるが空を飛べばあっという間だ。さすがは魔女術の中でも最高峰の性能を誇る秘術である。一流の術者ならば、大陸を横断することも不可能ではないという辺り、この呪術が如何に秀でたものであるかが窺えるだろう。

 同伴者はリリアナと晶の二人。この世界に迷い込んだときから変わらないパートナーである。

 わざわざアウグスタ・ラウリカにアイーシャを残してこんなところにまでやって来たのはウルディンとの対話が必要だったからである。

 彼の狙いはアウグスタ・ラウリカとアイーシャ。しかし、護堂はアイーシャがいなければ元の時代には戻れない。ならば、なんとしてでもアイーシャだけはウルディンに奪われるわけにはいかない。もちろん、彼女もまたカンピオーネである。容易く手篭めにされることはありえないが、二十一世紀の世に戻るのに邪魔が入るのはいただけない上に万が一にでもアイーシャの命に危険があっては困るのだ。

「護堂さん、来ました」

「ああ」

 リリアナが小さな声で護堂に忠告する。

 頷く護堂の視線の先に、巨大な翼竜に跨るウルディンの姿があった。

「七日ぶりだな、兄弟。見たところ傷は癒えたようで何よりだぞ」

「俺には回復系の権能もあるからな」

 カンピオーネの非常識なまでの回復力を考えれば、七日という時間は傷を癒すには十分すぎるほどである。

「ふん、なるほどな。兄弟のほうが早く傷が癒えるというのに、俺の傷が癒えるまで待つというのは、争いに来たわけではないという意思表示のつもりか?」

「まあ、病み上がりを攻撃するのは気が咎めるってのもある」

「甘いことだな。俺ならば相手の弱みにはとことん付け込むところだぞ」

「否定しない。けど、あんたとの戦いはもう終わっているだろ。後は落とし所を探るだけだ」

「ハハハ、だろうな。そう来ると思っていたぞ。要するに講和がしたいってことだろ?」

 翼竜の羽ばたきが発生させる風を頬に感じながら護堂はウルディンを見上げる。ウルディンも笑みを浮かべつつも抜かりなくこちらを観察している。彼我の距離は、不意打ちに対応できる絶妙な距離に保たれている。

「いいぜ、乗ってやる。実は俺も兄弟を酒宴に呼ぼうかと思っていたところだったからな。今宵は、朝まで飲み明かすとしようじゃないか」

 

 

 ウルディンの居城は、今までに何度も目にしてきた巨大な石造りの砦である。もともとはローマ軍の支配下にあり、対異民族のための最前線基地であったようだが、それをウルディンが力技で奪取し、自分のものとしてしまったのである。

「まあ、戦略的な拠点てのは必要だろ。フン族(俺たち)がいくら定住地を持たないって言ってもな」

 遊牧民の強さはその機動性にあり、一つの土地に留まる農耕民にとっては天敵とも言うべき存在である。居住地がないというのも厄介で、反抗しようとしても居所が中々掴めないのである。

 ウルディンは砦を利用して擬似的な居住地を生み出してはいるが、それは神獣を育成するのに都合のよい環境だからということが大きいのである。ウルディンの神獣は、この砦の周囲の鬱蒼とした森で育つ。放牧できるものではないのである。

「内装はずいぶんとローマ的だな」

 護堂は砦の中に配置された調度品や像を見て呟く。

「そりゃそうだ。もともとはローマのもんだからな。俺は戦争を仕掛けてこの砦を奪ったわけじゃない。気前よく譲ってもらっただけだからな。モノは前にいた連中のが残ってる」

「脅して奪ったんだろ」

「竜を見せたら、敵わんと思ったんだろう。向こうが譲ると言ったんだ。貰ってやるのが俺の流儀だ」

 何でもないというように言い切るウルディンに、護堂は不快感を抱かなかった。この世界の常識に対して、とやかく言うのはお門違いというものだ。それが、護堂の不利益にならない限りに於いて、極力口出ししない。無論、人命や人の尊厳に関わる行為が目の前で行われていればその限りではないが。

 案内された広間にはすでに長机が用意されていて、宴の準備が着々と進んでいるところだった。

 老若男女、人種すらも異なる人々が忙しなくあちらこちらを行き来している。

「兄弟が突然来たものだから、準備が追いついていない。悪く思うなよ」

「本当に宴会しようって?」

「そう言ったろう。互いに権能を交えて戦った仲じゃねえか。なら、後は酒と飯だ。滅多に会えねえ同族同士、仲良くいこうや」

「大した肝っ玉だな……」

 互いに主張がかみ合わず、殺し合いをした仲だ。それにも関わらず本拠地に招き、酒食を共にしようと言い出す。王の器というものだろうか。それに快く同意してしまう護堂も護堂ではあるが、この辺りの感性が人と違うのだろう。

 護堂は案内された椅子に座ろうとする。そこに、声をかけてくる者がいた。

「ちょっと、待って」

 見覚えがあると思った。日に焼けた褐色の肌の女性は、護堂やウルディンと同じアジア系――――おそらくはフン族の女性であろう。

「どうした、ルスカ。何かあったか?」

 ウルディンはルスカと呼ばれた女性に尋ねる。

「なんか、嫌な感じがする」

「おいおい、唐突だな。客人の前だぞ」

「そう、客。草薙護堂、原因はあんたと後は街の聖女、それからサルバトーレっていう剣使い。遠いところから来た神殺し」

 言葉が途切れ途切れになりながらも、ルスカは唇を震わせるように呟いた。

 祐理の霊視に近い状態だと、護堂には分かった。晶が護堂の袖を引っ張り、ルスカが魔女であると教えてくれる。晶とリリアナが戦ったウルディンのお供のうちの一人だ。道理で見覚えがあるわけだ。

「俺たちが、嫌な感じの原因? どういうことですか?」

「分からない。感覚的なものだから。でも、そう、数が多すぎるし、早すぎる……」

 数というのは、当然カンピオーネのことだろう。

 今分かっているだけでも四人のカンピオーネがこの近辺に存在している。原作では七人で当たり年とされており、それはこの世界でも変わらない。数世紀に渡ってカンピオーネが存在しない時代もあるくらいだから、突然三人のカンピオーネが追加されては、多すぎるという表現になるのも当然であろう。

「早すぎるというのはどういう意味ですか?」

 それを尋ねたのは長い金髪の女性だ。

 クロティルドというウルディンの妻の一人で、晶と激突した女性である。恐るべき剣士であり、ルーン魔術の使い手だという。

「さあ、それは分からない。けど、こんなにそろうのはもっと先だったんじゃないかって気がする」

「神殺しの数が増えると、危険なことが起こるってことか」

「多分。具体的なことは視えないけど」

 ウルディンが頤に手を当てて、考え込むようにする。

 ルスカの言葉に護堂もまた脳裏に警戒心を刻み込む。魔女の勘はよく当たる。そして、ルスカの言葉は恐らくは正しい。

「なあ、ウルディン」

「どうした?」

「実は今の託宣に関わる噂を聞いたことがあるんだが」

「何? 神殺しが増えるとマズイってヤツか?」

 護堂は頷いた。

 詳しいことを知っているわけではないが、護堂の時代に於いてもその脅威はひしひしと感じられていたからだ。グィネヴィアやランスロットという厄介な敵が追い求めていた災厄こそが、ルスカの託宣の正体ではないかと思ったのだ。

「最強の《鋼》って聞いたことがあるか?」

「最強の《鋼》? なんだ、そりゃ?」

「この世の最後に現れる王なんて呼ばれ方もあるみたいだけど、『まつろわぬ神』の一柱らしい。ただ、ソイツはこの世界に存在する総ての神殺しを殲滅する権能があるって話だ」

「何だと?」

 さすがにウルディンも目の色を変えた。その配下であるルスカとクロティルドもまた目を見開いて驚く。当然だろう。『まつろわぬ神』と神殺しの実力はほぼ拮抗している。にも拘らず神殺しを一方的に殺害できる存在がいるなどというのは眉唾物である。

「そりゃ、本当のことか?」

「そこまでは分からない。けど、話によればソイツはずっと昔から神殺しの殲滅と休眠を繰り返しているらしい。俺が前に戦ったグィネヴィアって神祖は、その神をアーサー王って呼んでてな、復活させるために色々と画策してたんだ」

「ふむ、なるほどな。神殺しを殺す神か。今のところは情報が少なすぎるな。ま、それについてはドナートあたりに調べさせるとしよう。感謝するぞ、兄弟。いい情報だった」

「いや、こっちこそ」

 問題となっている《鋼》の神格が正体不明なのは相変わらずだ。しかし、それでもカンピオーネの数が復活の要因であるというのは収穫ではある。

「さて、概ね食事の準備もできたことだ。盛大に飲み、盛大に食らうとしよう!」

 ウルディンの一声で、宴が始まった。

 古代の食事なので、遙か未来の食事ほどバリエーションがあるわけではなく、味付けは素朴なものばかりではある。それでも、決して劣るということはない。肉の塊が豪快に乗った大皿もあれば、小麦パンにチーズと、川で取れた魚など千年先でも変わらない食材をふんだんに使った料理が出てくる。

「ところでウルディン、あんた、サルバトーレに会ったことがあるのか?」

 先ほどルスカが漏らした言葉の中に彼の名があった。少なくとも護堂がこの地に来てからサルバトーレと会ったことはなく、この近辺にもいないはずだった。

 ところがウルディンは頷いて、

「前にこの砦の入口まで来たことがあるな。ふらりとやってきて、ふらりと去っていった。北で一旗上げてから、俺と一戦交えるなどと抜かしてたがな」

「アイツらしい馬鹿げた発想だな」

 迷惑そうに護堂は言う。

 サルバトーレの常識を省みない発想は、多数の混乱と困惑を生み出してきた。今回はその最たるものと言っていいだろう。

「そうか? 男なら一旗上げようってのは分からんでもないだろう。強い者に弱い者が従うのは自然の摂理だ。そうでなければ、人は生きていけないからな」

「あんたはそうかもしれないけどなぁ」

 大自然の中で共存していた時代ならば、そういう発想もあっただろうが、サルバトーレがいるべき場所は二十一世紀のイタリアである。そのような時代は百年以上前に死に絶えた。

「で、兄弟。そろそろ、お前がここに来た理由を教えてくれ」

 葡萄酒で唇を濡らしながらウルディンが言った。

「簡単に言うと、休戦協定を結びに来たってところだな」

「ああ、だろうな。だが、口約束には何の保証もない。見返りやらなんやらが必要になるぞ」

「ああ、だからこうしよう。今回俺たちが戦ったのはアイーシャさん――――聖女と呼ばれる彼女とアウグスタ・ラウリカの二つを巡って争ったのが原因だ」

「そうだな」

「そして、俺たちは戦ったけど、結果は引き分けだった。なら、取り分は分配すべきじゃないか?」

 そこまで言って、ウルディンはにやりと笑った。

「ほお、なるほど。で、兄弟はどちらを取る?」

「俺たちはもともとアイーシャさんとサルバトーレの二人に用があったんだ。だから、今回の件ではアイーシャさんさえ無事ならそれでいい」

「むう、なるほどな。女を取るわけか。ハハハ、まあその気持ちも分からんでもない。そうすると俺はあの街をいただく格好になるが、さてどうするかな」

 ウルディンは悩むような仕草はわざとらしくする。

 彼は稀代の女好きでもあるようだからアイーシャ夫人に固執する可能性は高い。アウグスタ・ラウリカ程度の都市ならば、簡単に攻略できるだろうから女神殺しを選択することにもなりかねない。

「ん、草薙護堂。そのアイーシャっていうのは、神殺しの一人ということでいい?」

 そこに口を挟んだのがルスカだった。

「あ、はい。そうです」

 護堂は頷いた。

「あの人は旅の権能を持っているんです。その力で色々な場所を巡っているようなんですが、俺とサルバトーレはその権能に巻き込まれてガリアに……ですので、あの人に何かあると故郷に戻れなくなりかねないんです」

 丁寧に護堂はルスカに説明する。彼女の目ならば、護堂がこの土地の人間ではなく不可解かつ非常識な経験をしてここに来てしまったことを感じ取るだろう。

 ルスカはクロティルドと視線を交わし、頷きあった。

「僭越ながらウルディン様、ここはアウグスタ・ラウリカをお取りくださいませ」

「クロティルド? なんだ、急に?」

「御身が先ほど仰っていたではありませんか。戦略的な拠点は必要であると」

「最強の《鋼》っていうのも気になる。落ち着いて調べごとをするには、定住地も必要になる。今後のため」

 クロティルドとルスカが口をそろえてウルディンに進言する。

「なんだお前たちいきなり。僭越だぞ」

「夫の行く末を思えばこその諫言とお考えください。先ほどの話を総合すると、神殺しの数は少ないほうがいいに越したことはありません。アイーシャなる神殺しやサルバトーレ某をこの方が引き取ってくださるのならば、早すぎる災厄も引き伸ばせる可能性はあります。対策を練る時間を稼ぐのでしたら、聖女に気を取られてはいられません」

 クロティルドの理路整然とした言葉にもウルディンは動じないものの、しかしそれでも感じるものはあったらしい。

「なるほどな、ルスカ。お前も同じか?」

「ん、同じ」

「ふむ、だそうだ。兄弟。少し惜しいが、先々を考えれば街一つ楽に手に入るならそれに越したことはない」

「じゃあ、この話は成立ってことでいいな?」

「おう、いいぜ」

 気前のいい兄貴分のように、ウルディンはあっさりと和平の案を飲み込んだ。

 何か裏があるのかもしれないと思えるほどにあっさりとだ。

「何、可愛い妻が嫉妬心をむき出しにしているからな。少しは応えてやらんとな」

 などと言って、ウルディンはルスカとクロティルドを不敵な表情で見る。二人は一気に顔を紅く染め上げながらも必死になって否定した。

「ば、馬鹿なことを」

「うん、これからのことを考えただけ」

「ハハハ、まあそう言うな。――――さてと、小難しい話はここまでにしよう。これから先は、飲んで食っての大騒ぎだ! 兄弟、途中で音を上げるなよ!」

 上機嫌になったウルディンは、その後も酒を呷り、料理を口に運び続ける。食い意地では負けないとばかりに護堂も食事に意識を集中し、結局は朝まで騒ぎ明かしたのだった。


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