カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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古代編 17

 大熊の群れは、護堂とサルバトーレによって瞬く間に駆逐されていった。

 凶暴かつ強大なる野生の化身も、さすがにカンピオーネ二人を相手にしては分が悪い。

 全滅は時間の問題であり、事実、最後の一頭をサルバトーレが両断するまでにかかった時間は、ものの三分程度であった。

「やっぱり、君の権能は数で圧してくる相手には相性がいいなあ」

 陽気に笑うサルバトーレは護堂が射出した宝剣の一つを手にとって言う。

「まあ、そういう権能だしな」

 と、護堂はにべもなく答えて剣を消す。

 サルバトーレは特に未練もないのか、呪力に還元されていく剣を見送った。

 残されたのは二人のカンピオーネと、血溜まりの中で呻くフランク族の戦士たちである。

 近くにいた一人に護堂は駆け寄り、その顔を見る。血に染まった顔は、半ばから失われていた。酷い傷である。心臓を抉られたり、様々な刀傷を負ったりした経験がなければ吐いていたかもしれない。二十一世紀の医療技術があったとしても、この傷を癒すことはできないだろう。まして、五世紀の医療では救えない。

「まったく」

 熊と戦えばこうなることは分かりきっていただろうにと思いながら、護堂は傷口に手を翳す。

「治せるのかい?」

「一応は」

 若雷神の化身は、他人にも使用することができる。これまで、自分の周囲に重傷者がほとんどいなかったこともあって使用頻度は低かった。

 再生の呪力が戦士の傷を瞬く間に塞いでいく。

 顔は元通りに修復され、失われた血も補われた。

 その様子を見ていたアイーシャが感激したように両手を胸の前で握った。

「まあ、草薙さん、そのようなお力をお持ちだったのですね。命を賭けて誰かのために戦うだけでなく、その誰かの命まで救おうとなさるなんて!」

「アイーシャさん。俺では一人ひとり治していくので手一杯なので、まとめてどうにかできませんか?」

「もちろんできます。今すぐに皆様の傷を癒しますね」

 アイーシャはさっと手を振って呪力を撒き散らす。

 春の風がどこからともなく吹き込んで、辺り一帯を暖かく包み込む。すると、戦場に倒れた戦士たちの傷が見る見る癒えていく。アイーシャが持つ癒しの権能。女神ペルセポネーから簒奪したという第一の権能の春の力である。

 傷が治った戦士たちは何事かと目をパチクリとして状況が理解できていない様子だ。

「サルバトーレ。この人たちに逃げるように伝えてくれ」

「ん、そうだね。まあ、邪魔になるしね」

 フランク族の言葉を護堂は知らない。知らなければ、千の言語であっても適用はされないのだ。カンピオーネであっても、言葉を自在に操るには、少なくとも、二、三日は彼らの言葉の中で生きていなければならない。

「ねえ、君たち。早いとこ離れてくれないか?」

 サルバトーレの言葉に、フランク族の戦士たちは素直に従った。どうやら、サルバトーレは彼らの親分になっているらしい。それに加えて、邪悪な気配が周囲に蔓延し始めた。彼らはそれを敏感に感じ取ったのだろう。

 三人のカンピオーネは同じ方角を見ている。

 忽然と姿を現した美女に目を奪われた、というわけではない。

 簡素は肌着の上に毛皮を被り、頭にも熊の皮を載せている。

 煌びやかさとは無縁ながら、尊大で偉大な空気をありありと漂わせる彼女は、間違いなく『まつろわぬ神』の一柱であった。

「実のところ、今の今まで迷っておった」

 女神が小さく口を開いた。

「神殺しに不覚にも傷を負わされた我が身では復讐を果たすことは叶わぬ。そこにさらに二人の神殺しが加わってはさすがに不利」

 女神は自身の下腹部に手を当てる。

 そこには痛々しい傷跡があった。赤黒く爛れたようになっているのは、恐らくはサルバトーレに付けられた傷なのだろう。

「ここまで来れば、是非もない。剣を鍛え、研ぎ澄まし、そなたたちを討伐するべき我が息子を招来するとしよう。天より来たりし、魔王討伐の英雄だ。神殺しを殲滅するには、十二分だろう」

 呟くように、諦観に包まれた女神は言った。

 彼女の発言に、護堂は背筋が凍りつく。

 魔王を討ち果たす英雄と聞けば、つい最近ウルディンと話をしたばかりの最強の《鋼》を想起させるではないか。

「何か不味そうだな」

 直感して、護堂は素早く剣を放つ。

 銘すらない武具ではあるが、権能によって産み落とされた明確な神具である。神々の武具に伍する七つの剣は、女神にまっしぐらに突っ込んでいく。

 直撃さえすれば、その五体を容易に引き裂いたであろう。しかし、相手は曲がりなりにも女神である。深手を負ってはいても、回避は造作もない。

 剣が直撃する前に、女神は輪郭を崩して融けるように消えた。

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 

 女神が去った後、護堂たちはサルバトーレとフランク族が起居している古代ローマの植民市コロニア・アグリッピナに移ることになった。

 コロニア・アグリッピナはローマの殖民市ではあるが、今はフランク族が支配している。サルバトーレが人に振るうには大きすぎる力を適当に振りかざして、ローマの駐屯軍を追い出してしまったのだ。やっていることは、ウルディンと大差ない。

 護堂が通されたのは、フランク族の大族長と崇められるサルバトーレの邸宅の一室だった。

 コロニア・アグリッピナは、この時代の都市の中でも比較的大きく発展している。

 もともとはローマ派のゲルマニア人の入植地であり、後のローマの駐屯地、さらに発展してゲルマニア地方の拠点となった。

 また、コロニア・アグリッピナという名はローマ皇帝クラウディウスの妻である小アグリッピナに由来し、彼女は自分の出身地であるこの地方都市をローマの植民市に格上げするように要請し、結果としてオッピドゥム・ウビオルムを呼ばれた地方都市は、コロニア・アグリッピナへと名を変えることとなった。

 そして、歴史の中でアグリッピナは省略されコロニアという部分だけが残り、さらに未来ではケルンと名を改めて二十一世紀を迎える予定である。

「つまり、ここはドイツなのか」

 護堂はリリアナの解説を聞いて呟いた。

 ケルンと聞けば、大体の位置はイメージできる。ドイツの西に位置する都市で、サッカーのプロチームが有名だ。それと大聖堂。

「まあ、まだ大聖堂ないんだろうけどな」

「ありますよ」

「え?」

 残念そうに呟いた護堂にリリアナがきょとんとして言った。

「大聖堂だぞ。あの、有名なケルン大聖堂」

「形は違いますが、ケルンの大聖堂はあります。創建は四世紀なので」

「え、本当に? あれ、四世紀からあるのか」

「いえ、護堂さんが想像されている建物はさすがにありませんよ。二十一世紀に残っているのは、中世に造られたものですから。ですが、その原型となる建物は四世紀に創建されているのです」

「へえ、そうなのか」

 今までも日本との文化の違いにいたく感心してきたが、千年先まで続く建築物の原型をすでにこの時代に生み出していたというのは驚きである。

 石材という長持ちする材料を駆使する技術の賜物だろうか。木造建築の多い日本の建造物は、焼失しやすく経年劣化も激しい。法隆寺などの一部を除けば、二十一世紀まで残る建物というのは僅かだ。

 後で見物に行くのも悪くないかもしれない、などと思う。すでに失われた初代ケルン大聖堂だ。目にできるのは、貴重な経験だろう。

「いや、お待たせ護堂」

 バンとドアを開いてサルバトーレが室内に入ってくる。

 革靴と腰につるした剣以外はこの時代の簡素な衣服である。むしろ、動きやすさを追及すれば、ここに行き着くのかもしれない。

 もともと権威には無頓着な男だ。

 大族長などと持て囃されていても、そのこと自体にはまったく興味がなく、よって金品を身につけることもない。

「勝手に座らせてもらったぞ」

「いいよいいよ好きに寛げば」

 と、家主は寛容な態度を示す。

「それで、色々と聞きたいことがあるんだけど、まず、どうしてサルバトーレはフランク族の大族長なんてことになったんだ?」

「あー、それね。話せば長くなるんだけど、フランク族の皆はどうにも呪いをかけられてたみたいなんだよ」

「呪い?」

「そう。あ、呪いって言うか予言かな。さっきの女神、アルティオって言うらしいけど、彼女がフランク族にお前たちは何日後に死ぬだろうって、言ったらしいよ」

「女神様の呪い、ね。そりゃ気が滅入るだろうな」

 女神はこの時代に於いても強い力を持っている。権能という意味ではなく政治的、宗教的な意味でだ。その女神の本物が降臨して自分たちの死を予言したとなれば、精神的にもかなり追い込まれることだろう。

「どうしてフランク族はアルティオに呪われたんだ?」

「さあ?」

 サルバトーレは首を捻る。

 どうやら、その辺りについてはまったく聞いていないようだった。

「ただ、前の決闘のときにガリアの民の恨みがどうたら言ってた気がする」

「ガリアの民の恨みって」

 ガリアはこの辺り一帯を指す土地の呼び名である。その民というのならば、フランク族も該当するのではないだろか。

「恐らくは民族の違いかと思います」

 リリアナが言った。

「フランク族はゲルマン系です。対して、アルティオはケルト系の女神のはずですから、その辺りが絡んでくるのはないかと」

「ケルト人、か」

 確かゲルマン民族に追い立てられるようにヨーロッパから姿を消した古代ヨーロッパの人々である。北欧やイギリスなどはケルトの影響が強い。

「アルティオという女神はスイスの辺りで暮らしていたヘルウェティイ族の女神です。戦士階級から崇拝される戦いの女神であり、その名は熊を表します」

「はあはあ、見えてきたぞ。あの女神はそれで熊を操ってたのか」

 サルバトーレは本当に理解できたのか分からないものの、納得がいったという顔で仕切りに頷いている。

「推論でしかありませんが、フランク族に恨みを持つケルト系の民族の誰かが女神招来の儀式を行ったのかもしれません。あるいは、降臨した女神がケルト人の嘆きを察してフランク族に敵意を抱かれたということもあるかと思います」

「自分を崇拝する人を助けようってわけだから、それ自体は悪くはないんだろうけどな」

 護堂は面倒くさいとばかりにため息をつく。

 人間同士の小競り合いに女神が介入すればろくなことにならない。それは神話の時代から一貫している。いずれにしても自分を崇拝する者の願いを叶えないというのは女神としての沽券にも関わってくるだろう。サルバトーレが庇護下に置いたフランク族の人々は、神殺しが去れば遠からず滅びることになるだろう。

「歴史の流れ的にどうなんだ、それ」

「確か、コロニア・アグリッピナは後々フランク族に征服されたはずです。それも、五十年ほど先の話ではありますが、メロヴィング朝が始まれば完全にこの辺り一帯はフランク族の領土になります」

「ということは、フランク族が滅ぼされるのはかなりまずいのか」

「未来にどのような影響があるか分かりませんが、ろくなことにならないでしょうね」

 西洋史に詳しいリリアナが、憂慮するように表情を曇らせる。

「それで、サルバトーレがアルティオと決闘して、フランク族を助けたわけだ」

「結果的にはそうなるね」

 それで大族長だ。

 女神は死んでいない上にサルバトーレの武力は一人で一国を攻め落とせるほどである。となれば、フランク族が今後生き残っていくためにもサルバトーレの下に馳せ参じるのは不可解でもなんでもない。

「なら、アルティオは早々に倒さないとダメだな」

 うん、と護堂は納得して頷いた。

 アルティオを捨て置けば歴史が変わってしまうかもしれない。今後どうなるか分からないが、ここまで深く護堂たちが関わった以上はあの女神もまた正しく歴史をなぞることはないのではないか。勝手な物言いではあるが、女神と人命のどちらを取るかと言われれば、護堂は即断で人を取る。

「ふふふ、君もアルティオ狙いってわけかい?」

「いや、俺が倒さなくてもいいんだけどな。とにかく、あの女神を放っておくのはよくないってだけだから、サルバトーレが倒しても構わないぞ」

「なんだ、相変わらずだな、君は。そんなことを言って、どうせ後でアルティオと戦いたくなってくるんだろ」

 皆まで言うなとばかりにサルバトーレはウィンクを飛ばしてくる。

 ずっと黙っていたアイーシャは、少しばかり頬を染めて、

「お二人とも分かり合ってらっしゃるのですね……」

 などと夢見がちな表情で呟いたりしているが、護堂は無視した。

 フランク族は百年もしないうちにこの地に巨大王国を築き上げる。それを邪魔されるのは人類の歴史を大きく変えてしまうことになるだろう。

 ならば、アルティオは護堂の敵である。

 しかしながら、アルティオと個人的な因縁があるのはサルバトーレだ。護堂はアルティオが倒れればそれでいいので、サルバトーレに任せてもいいんじゃないかとは思っていた。

 

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 

 

 どうやら護堂は大族長の盟友などという触れ込みでフランク族に売り込まれていたらしい。

 いつの間にか、サルバトーレが乗っ取った屋敷に匹敵するほどに大きな屋敷が与えられていて、そこで寝食することになったのである。

 つい一月ほど前までローマ人の地方貴族辺りが暮らしていたはずの屋敷は、アウグスタ・ラウリカで護堂に与えられていた屋敷と同規模のものであった。

「しかし、落ち着かないな」

 護堂はため息混じりに呟いた周りを見回す。

 ゲルマン系の顔立ちの少女たちが、右に左に駆け回り、屋敷の掃除をしているのである。

 およそ三十人ばかり集められた、見目麗しい少女たちは全員護堂に差し出された小間使いである。

「男の浪漫ってヤツじゃないんですか?」

 晶は多少棘混じりに護堂に言ってくる。

 護堂に明確に好意を示す彼女が、機嫌を損ねるのは十分に理解できることである。そこまで、護堂も鈍くはない。

 しかし、小間使いがよりにもよって女だけだというのはどうなのだろうか。

「何にしても気をつけなければなりませんよ、草薙さん。彼女たちに手を出すことは、歴史を歪めることでもありますから」

「分かってるよ、それは大丈夫だ」

 リリアナの言いたいことは分かる。

 護堂がこの時代で子を作れば、その影響力は各方面に大きく広がることだろう。それでは歴史にどのような悪影響をもたらすか分からない。

 晶に宣言した以上、今更他の婦女子に手を出すことはない。

 しかし、彼女たちは権力者に取り入りご機嫌伺いをするために送り込まれたハ二ートラップのようなものだ。

 気をつけなければならない、というのは護堂だけでなく彼女たちから行動された場合にも当てはまる。

 左右に少女を侍らせて廊下を歩く姿は確かに、大きな屋敷の主人を思わせるだろう。まだ、少年から青年に変わりつつある年代というところからすれば若旦那といった感じなのだろうか。小間使いに派遣された少女たちは、明らかに護堂と歳の近い者を選び出している。

 そんな護堂たちの杞憂も気にせず、一人アイーシャはこの屋敷を気に入って愛嬌を振りまいている。すでに護堂からも離れて小間使いの少女たちとの交流を熱心に行っているのだ。

 花瓶の花を見ては、

「まあ、綺麗なお花ですね」

 などと言って声をかけては二言三言で彼女たちの心を鷲掴みにする。

「人が篭絡されるのがはっきり分かるってのも凄いもんだな」

「権能の影響もあるのでしょうが、やはり天性の才能なのでしょうね」

 アイーシャの能力に感心しながら、護堂たちは歩を進め、屋敷を探索した。

 中庭のついた大きな屋敷である。

 小間使いの少女たちが三十人いたとしても、決して窮屈ではないと言えばその広さが分かるだろう。小間使い用の独立した空間までも完備されているので、前の主人はよほどの権力者だったのだろう。誰か分からないが、少し申し訳なく思う。

「これで、しばらくはここに腰を落ち着けることになるのか」

 古代でのゆったりとした時間の流れに反して、『まつろわぬ神』やウルディンとの戦いがあったために恐ろしく早く時が過ぎたような気がする。

 しばらくはこの地にいるとしても、そう遠からず出て行くことになる。分かりきったことではあって、それに今更感慨も何もないが、せっかくならば楽しまなければ損だろうと思えるくらいには護堂もまたこの時代に毒されつつあった。

 

 

 

 それから三日。

 未来のケルンは未だ発展途上。しかし、ここを征服したフランク族は、この時代では珍しいことに略奪を一切行わず、原住民との間にそれなりに良好な関係を築いているようだった。

 護堂はリリアナと晶の二人を連れて、散策のために外に出た。

 コロニア・アグリッピナはライン川の傍らに築かれた城塞都市であり、その周囲はどこまでも続く平原である。街の中央を縦に貫く大通りと東側に横に通った大通りの二つが主要な通りであり、直線の道が十字に交差する計画的に作り出された都市であることが分ける。

「サルバトーレ卿が禁令を出したらしいですね。一切の略奪行為を禁止するって」

 晶が聞きかじったことを言う。

 護堂と晶には好機と畏怖の視線が注がれている。

 サルバトーレの盟友であることもあるが、見た目がフン族と見分けがつかないというのが大きいのだろう。

 フン族の影響もここまでは届いてはいない。しかし、その驚異的な戦闘能力と外見は十分に伝わっているだろう。

「サルバトーレって、意外に人を使うのが上手いんだよな。感覚的にやってるんだろうけどさ」

「イタリアにいたときも、《青銅黒十字(わたしたち)》や《赤銅黒十字》を手足のように使っておられた方ですからね」

 人の上に立つ才能は天賦のものがあるのだろう。ただし、人の上に立つ者としての責任感は小学生以下だと言わざるを得ないが、フランク族を配下にした経緯などからも分かるとおり、サルバトーレは自然と自分のところに集まってくる人々に指図しているだけであって、彼自身が王になるとかいう意識はない。だから、責任も何もないというのが、彼の思考なのではないだろうか。

「王の中の王といった感覚でしょう。他者は自分に奉仕するものというのは、カンピオーネが持っていて当然の感覚だと思います」

「馬鹿言うな。それはさすがに外道に過ぎる」

 力を持ちすぎるカンピオーネは、法治国家が主体となる二十一世紀にあっても法に縛られずに好き勝手にやっている。その特権で護堂が救われたことも一度や二度ではないが、それでも進んでその状況を受け入れられるほど達観はできていない。

 その一方でリリアナは生まれついての魔女であり、西洋呪術師の感覚でカンピオーネを捉えている。絶対の超越者としてカンピオーネを崇めるのは、どこの国も同じだが、西洋はカンピオーネの誕生率が歴史的に高いこともあってその付き合い方は成熟している。

 生真面目なリリアナが、カンピオーネに限定して放埓な生活すらも容認してしまえるのは、彼女の育った生育環境によるものなのだろう。

「アイーシャさんは、あれで自由人過ぎるしな」

「カンピオーネの皆様は、何かと自分の正義がある方が多いですからね。それについては護堂さんも同じように見えますが」

「そうなのかもしれないな」

 なんだかんだで我の強さ。自分のルールを相手に押し付けるという点では護堂も同レベルであろう。究極的にはそれは人類の他者に対する接し方の一つであり、誰もが経験するものではある。

 ただ、カンピオーネはその度合いが非常に強い。負けず嫌いで、人の話を聞かないのはほぼ全員に共通していると言える。あの温厚なアイーシャですら、この傾向は強い。いや、むしろアイーシャは常に自分のルールに従って行動している部類であろう。そうでなければ、護堂がここまで振り回されることはない。

「それにしても、あのアルティオって女神はどこで何をしているんでしょうね」

 晶が言った。

「魔王討伐の英雄を呼び出すって言ってたじゃないですか。それって、きっと最後の王とか最強の《鋼》とかって呼ばれてた神ですよね」

「十中八九、そうだろうな」

 少し緊張した面差しで護堂は言った。

 原作におけるラスボスだと思われる。

 その名は一切不明で、ただカンピオーネを全滅させるほどの力を振るう『まつろわぬ神』だと伝わっている。

 そして、その最強の《鋼》は五世紀のイギリスで眠りに就いたのではなかったか。

 そうか、と護堂の脳裏に電流が走った。

 二十一世紀と同じく五世紀もまた「当たり年」なのだ。

 多数の神殺しが入り乱れて乱世の様相を呈したときに、最強の《鋼》が降臨しそれらを殲滅してイギリスで眠りに就く。

 ルスカが言っていた早すぎるというのは、彼、ないし彼女の降臨時期を指しているのではないか。

 とすれば、本来は後数十年後にカンピオーネが揃わなければならないところに、三人ものカンピオーネがやってきてしまったものだから最強の《鋼》の復活が早まってしまったという解釈も成り立つ。

 ここで総ての神殺しを殲滅しつくして最強の《鋼》が眠りに就けば、本来殲滅されるべき後世の神殺しが生き残ってしまう。それは歴史的にも大きな変化をもたらしてしまうのではないか。

「ん」

 そんなことを考えていた矢先のことである。

 赫々として光に満ち溢れていた太陽が欠けたのだ。

「日食?」

 雲ひとつない空が暗くなっていく。

 常軌を逸した異常現象。

 日食の存在を知っている護堂たちならばいざ知らず、そういった知識のない人々は狂乱して慌てふためいている。

「アルティオが何か始めたのかもしれませんね」

 晶が言った直後に、空から一条の雷光が落ちた。東の方角だ。一瞬だけ地平線が白く染まり、再び真っ暗になる。

『来たぞ』

 護堂の脳内に天叢雲剣の声が響く。

『とてつもなく鋭い剣だ。己と同じく屈強なる《鋼》に属する某かと見て間違いないだろう』

 普段はまったく言葉を放つことのない気難しい神剣は、どこか楽しんでいるように喋った。

「護堂さん」

「ああ。行くしかないな」

 場所は天叢雲剣が分かるという。

 コロニア・アグリッピナの大通りを駆け抜けて、門の外へ出ると護堂は法道の権能を使って二匹の大鷲を生み出した。

 翼を広げれば五メートルには達する水墨画の大鷲である。

「晶とリリアナはそっちに。リリアナ、魔女の目で先行してくれるか?」

「なるほど、承知しました」

 リリアナは頷いて、晶と共に大鷲の背に跨る。

 飛び立つと同時にリリアナは魔女の目を光が落ちた方角に飛ばして、目的地を偵察する。この状態のリリアナは基本的に無防備となる。それを晶が支えるために同じ大鷲に乗せたのだ。

 地上を走るよりも遙かに速く、護堂たちは空を飛んでいく。

「ッ……魔女の目を!」

 唐突にリリアナがびくり、と身体を震わせた。

「リリアナさん?」

「大丈夫だ。く、やはりアルティオでした。魔女の目を撃ち落されてしまいました」

 申し訳なさそうにリリアナは言った。

「仕方ない。相手は女神だ。勘も鋭いだろうし、気にしてもどうしようもない。それよりも、場所ははっきりしたか?」

「はい。この先を五キロほどの行った平原です」

 よし、と護堂は先行する。

 五キロ程度ならば、数分もかからないで跳び越えられる程度の距離である。

 真っ暗な世界でも、カンピオーネの目は何の問題もなくアルティオを見つけ出すことができた。

 晶とリリアナは後方五百メートルほどの空中に待機させた上で護堂は一人地上に降りる。

 護堂の場合、空よりも地に足をつけていたほうが機動力があるからだ。雨が降っていれば、その限りではないが、今は晴天である。日食が起こっていなければ、麗らかな陽気が世界を包み込んでいるはずである。

「そなたが一番手か、黒髪の神殺し」

 静かに、アルティオは言った。その眼差しには苦悶と煩悶が篭っており、身体の傷は相変わらずのようだ。生命力に優れた大地の女神が、これほどまでに苦しむとはさすがはサルバトーレの刀傷だ。

「正直、あんたとはそれほど因縁もないんだけどな。あんたが、フランク族を攻撃するっていうのなら、俺は見過ごせない」

「ふ、何を今更。妾たち神々とそなたら神殺しはいつの世も相争ってきたではないか。そなたもそのつもりで出向いたのであろう」

 無論理解してはいる。

 だが、とりあえず自分を正当化する理由を述べておかないと心の準備ができないだけだ。護堂が言ったとおりアルティオは護堂に牙を剥いたわけでもなく、因縁らしい因縁はほとんどない。サルバトーレならばいざ知らず、護堂がアルティオと戦うというのは、どこまで突き詰めても護堂の理由でしかない。

「とはいえ、手負いの我が身。遠方にいる三人の神殺しに加え、そなたの後を追ってくる二人の神殺しまでも含めれば六人もの神殺しが存在している。嘆かわしいことこの上ない」

 憂慮に歪む表情でアルティオは護堂を見る。

 どのような手を使ったのか、アルティオは今世界に存在する神殺しの位置を正確に捉えているらしい。サルバトーレとアイーシャだけでなく、ウルディンや未だ見ぬ二人の神殺しまでも捕捉している。

「我が息子の名代として魔王殺しの英雄を顕現させれば、あるいはこちらの勝利があるかもしれぬ」

 アルティオの手にはさび付いた長剣が握られていた。

 いつの間に用意したのか、護堂にも分からなかった。

 が、それはもう驚きに値しない。相手は神だ。虚空から剣を呼び出したところでどうしたというのか。そのようなことよりも、護堂は彼女の手にある剣そのものを危険視する。

 それはまさしく、最後の王にして最強の《鋼》が使ったとされる剣の骸に違いない。

「我は鉄を打つ者。我が武具を以て万の軍をまつろわせよ!」

 以前と同じく先制攻撃は護堂だ。

 会話をしながらも準備を進めていた結果、護堂が生成した刀剣は百を超える。それが雨霰となって、アルティオに殺到する。

 アルティオは剣を持たないほうの手をさっと地に翳し、呪力を放出する。すると、大地が隆起して剣の前に立ち上がったではないか。

 土と石でできた頑強なる城壁だった。アルティオの呪力で補強されたそれは、ただの土塊とは比較にならない防御力を有しているらしい。護堂の剣はその壁に遮られてアルティオを貫けない。

「この……!」

「その顔を見るに、この剣が何を意味するのか知っているようじゃな。珍しいこともある。が、遅い」

 アルティオの手を離れた剣が白き光を解き放つ。

 真っ白な落雷が護堂の視力を奪う。

「この世の最後に現れる聖王よ、今こそ来たれ!」

 雲のない空に雷鳴が轟いた。

 次の瞬間に現れたのは、背の高い男だった。

 目鼻立ちの整った顔立ちで、青い貫頭衣とズボンを身に着け、さらに白いマントを羽織っている。

 やけに長い前髪ではっきりとした表情は見て取れない。

 彼の手に握られている剣は、白銀に輝いていた。闇夜を切り裂く導きの光のように。

「最強の《鋼》、か……?」

 まだ確信は持てない。

 しかし、ここまで情報が揃ってしまえば断定せざるを得ないだろう。

 恐るべき力を持つ、魔王殲滅の英雄。

 護堂は遂に、彼と出会ってしまったのだ。


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