カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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古代編 18

「くっそ、いてえな、ちくしょう」

 毒づきながらオークの大木によりかかる護堂は、全身から真っ赤な血を流している。

 油断したというのは否めない。

 最後の王ないし最強の《鋼》と呼ばれ、原作で大いにその危険性が語られた存在との対決は護堂の敗北に終わった。

 強大極まりない白銀の太陽こそ回避したものの、流れるように踏み込んできたかの神格を前に護堂は押し込まれてこの有様だ。

 止めを刺される瞬間に、土雷神の化身で一気に距離を取って、一目散に逃げたおかげで一命を取り止めはしたが、出血が治まらず、現時点でどうなるかは不透明だ。

 土雷神の化身は地中を雷と化して移動する神速の化身である。その特性から移動経路が読まれにくく、こうした撤退では重宝する。

「サルバトーレと同じ回復阻害かなんかか。若雷でも少しずつしか治んないじゃないか」

 自分の身体の状態を確認すると、見るからに酷い怪我がいくつかある。

 一番酷いのは脇腹に穿たれた傷であろう。

 白熱した剣でずぶりと刺されたここは、じくじくと護堂の脳髄を責め苛んでおり、止まらない出血は意識を遠のかせていく。

 赤黒く変色し、周囲の皮膚組織は焼け爛れている。

 サルバトーレがアルティオにつけた傷によく似ているなと、埒もないことを考える。

 護堂は、頭を固い木の幹に預けてずるずると座り込んだ。

「まいったな」

 無我夢中で地中を駆け抜けたために、どれくらい離れたのか分からない。晶との繋がりは感じられるので、彼女は無事だろうしリリアナも傍にいれば大丈夫だろう。それだけは安心できる材料ではあるが、鬱蒼とした森の中ではどのような危険があるか分からない。

「我が言は衆生を導く教えなり。我が呪言は、万象貫く法にして罪人を討つ裁きの剣なり」

 護堂はガブリエルの聖句を唱えて直観力を強化した。

 目を瞑り、身体の中になけなしの呪力を巡らせる

 深呼吸をして、致命傷であると感じた部位に優先して若雷神の化身を使用することにしたのだ。命の危険に直結しない部位は放置する。

 血を流しすぎたようだ。

 視界がすっかり暗くなり、何も見えなくなる。頭の中が冷え切って、全身から力が抜け落ちていった。

 

 

 

 

 晶が護堂を見つけたのは、その日の夜のことである。

 戦場を神速で離脱した護堂の行方を探るのは、魔女術の使い手であるリリアナであっても非常に難しい作業である。しかし、晶は護堂の式神ということもあって霊的な繋がりがある。互いに居場所を察知し合える関係であり、安否についても連絡が取れないほどに遠くにいたとしても確認する程度は可能だ。

 その第六感を駆使して、晶は護堂を探し当てた。

 戦場から五十キロも離れた森の中にある、大きな木の下で眠っているところを見つけたのだ。

 疾風のように大地を駆けるため、身体に纏っていた伏雷神の化身を解除して護堂に近付く。

「よかった、先輩!」

 駆け寄った晶は護堂の傍らに膝を突き、その頬に触れる。

「先輩?」

 軽く揺すっても、護堂は脱力したまま動かない。

 晶の心中に、冷たい風が吹き抜ける。

 鼓動が五倍は速くなったような錯覚。受け入れがたい未来を前に、目の前が真っ白になる。

「先輩……ねえ、草薙先輩! 嘘、ねえ、起きてください!」

 呼吸が浅く、身体は冷たい。

 夜の気に当てられたわけではあく、出血が酷すぎたのだろう。

 強大無比な剣神の一撃が大地に大穴を穿ったときに嫌な予感はしていたのだ。そして、護堂が剣神に斬られた瞬間に、主人の劣勢を実感した。

 強者同士の戦いは、長期戦になるか一瞬で勝敗を決するかの二択になると聞いたことがある。今まで、護堂の戦いは喰らい付く長期戦。それも、多くの戦いで勝利を繰り返してきたから無条件で安心しきっていた部分は否めない。

 ウルスラグナとの戦いのときであっても、こうも一方的に敗北することはなかっただろう。

 この意外に過ぎる展開に、晶は暫し忘我せざるを得なかった。

「どうしよう……!」

 護堂の若雷神の化身がきちんと機能していないように見える。斬り裂かれた衣服の下からのぞく傷口は一応は治癒しているようだが、内側がどうなっているのか分からないし、身体に刻み込まれたいくつかの傷は今でも残ったままである。治癒阻害の毒が、あの剣には込められていたのかもしれない。となれば、このまま寝かせておくだけでは、護堂の身体は回復せず弱っていく可能性もある。生命力の象徴である若雷神の化身が治癒しきれないのだ。今も護堂を苦しめている毒素を、取り去るだけの治癒能力が必要である。

「アイーシャさんがいれば」

 晶は唇を噛み締める。

 普段なら弾かれるだろうが呪力への抵抗力も落ちている今、アイーシャの権能ならば、この護堂の傷もたちどころに癒えただろうに。

 しかし、この重要な局面にあってアイーシャはいない。

 頼れるのは自分だけ。

 ならば、ここは晶が護堂の傷を癒し、呪力を回復させるべきである。

 護堂からの呪力の供給もほとんど切れかけている状況だ。それほどまでに、護堂の身体には余裕がない。

「ごめんなさい」

 何を謝っているのか、自分でも分からないまま口に出し、それから目を瞑る。

 想像するのは、稲穂の恵み。金色の大地だ。

 晶は護堂の式神であり、その存在の大半を護堂の呪力によって補っているものの、実は彼女を構成しているのは護堂の権能だけではない。いくつもの大呪法を重ねてあるために、ある程度は主人から独立することもできる。その一つが、法道の置き土産とも言えるクシナダヒメの権能であった。

 自分の中核たるクシナダヒメの権能によって、晶は大地から加護を受ける。

 護堂の式神となり、自分の正体を正しく認識したときから晶の力は強まり続けている。幸いにして、今は満月だ。月の呪力も取り込んで、身体の中に膨大な大地の呪力を渦巻かせる。

 それから、晶は護堂にキスをした。

 ただの治癒術では、効きが悪い。

 彼を苦しめている毒素を抜き出すには、権能でなければならない。

 護堂の若雷神の化身と晶の若雷神の化身を循環させる。クシナダヒメの権能で吸い上げる呪力で、若雷神の化身をさらに補強して、護堂の能力を一時的に増大させることで、彼の呪力への抵抗力を底上げするのである。

 晶は護堂にとっての予備電源のようなものだ。大地の呪力を貯蓄することで、いざというときに受け渡せるようにする。それは、晶が思い立ち、いくらか実験を重ねる上で実現した自分の役割の一つであった。

「はう、ん……」

 身じろぎつつ、晶は護堂の唇を吸う。

 身体の内側から呪力が唇を通して護堂の中へ流れ込んでいく。その感覚に陶然とした気持ちになりながら、晶はさらに深く繋がりを求めた。

 恐る恐る、反応を窺いながら舌を押し込んで道を開き、さらに強く呪力を送り込む。

 無防備な相手にキスをしているという背徳感と護堂を身体を心配する気持ちが綯い交ぜになって思考に靄がかかる。

 護堂の身の安全が確保されたと断言できるまで、晶は行為を続けた。

 

 

 

 

 チチチ、という鳥の声に目が覚めた。

 頭がぼんやりとしていて飛び起きるには億劫だった。

「身体が……?」

 痛みがなくなっていて、多少のだるさは残っているものの健康体になっているように思えた。

 立ち上がってみたが、特に問題があるよには思えなかった。呪力も大方回復している。あれだけ命の危険を感じていたのに、これはどうしたことだろうか。

「先輩、目が覚めたんですね」

 聞きなれた声に振り返る。

「ん?」

 護堂は一瞬、目を疑った。

 そこにいるのは、小さな少女だった。小学校に上がるかどうかという程度の年齢だが、護堂との霊的経路は確かにその娘と繋がっている。

「まさか、晶、なのか?」

「そう、です。こんなになってしまいましたけど」

 少女の正体は晶だった。

 ショートヘアの黒髪や目元などはなるほど晶の面影を残している。記憶にある二人の妹と、よく似ているのは血の繋がりを感じさせるところだ。

 身体にあった衣服がないからだろう。晶は小さく縮んだ身体に、マントのような一枚布を巻きつけている。

「どうして、縮んでるんだよ。何があったんだ?」

「え、いや、何があったというか、先輩が戦線離脱した後必死になって探して、それでここで見つけたんです。で、わたしの呪力を先輩にお渡しした結果こうなりました」

 しどろもどろになりながら、晶は状況を説明した。

 要するに自分の身体を構成するのに十分な呪力がない状態である。そのため、実体化するために呪力を節約しているのだという。

「でも、もう俺も大分回復しているから、呪力持っていってもいいんだぞ?」

「大分とはいっても万全ではないじゃないですか。わたしは、あまりお役に立てませんし、徒に力を先輩から貰うわけにもいきません」

 生真面目なことを言って、晶は護堂からの呪力供給量を大幅にカットしている状態を維持するつもりらしい。

 その気になれば自前である程度賄える。とはいえ、護堂から注がれる呪力が実体化に必要な量を補うのに最適なのは変わらない。自分で組み上げるのと人から貰うのでは、労力が違いすぎる。まして、カンピオーネの呪力供給量を自分の力で補うのは、やはり骨が折れる。

「そうか。晶に助けられたのか」

「いえ、わたしがしなくても先輩は助かったと思います。でも、身体の傷はしばらくは引き摺っていたかもしれませんけど」

「うん、そうだろうな。ありがとな、晶」

 と、言って、自分の腰くらいの身長になった晶の頭に手を置いた。

 歳の離れた妹、あるいは娘を慈しむかのような思いが護堂の胸の内に溢れる。

「あう……」 

 対する晶は顔を真っ赤にして俯きながら、護堂の手の平を甘受した。

 その後は、晶が用意した特性林檎で英気を養い、状況を把握するために出立した。

 大鷲の式神を生成し、昨日と同じく晴れ渡った空を飛ぶ。

 晶は霊体となって護堂の傍に控えている。呪力の消費をさらに抑える算段なのだ。

『リリアナさんはコロニア・アグリッピナに戻ったそうです。サルバトーレ卿とアイーシャさんも』

「そうか。みんな無事だったってことか」

 護堂はほっとした。

 一晩あったのだ。晶がリリアナの下に式神を飛ばし、状況をやり取りするくらいは十分できるだろう。

 晶が語るところによれば、護堂が敗退したあとサルバトーレとアイーシャが共にアルティオと最強の《鋼》と戦ったそうだ。

 結果としては、アルティオ側が押し切られて撤退といった運びになったらしい。

「そうか。まあ、アイツも本調子っぽくなかったからなぁ」

 護堂は昨日の戦いを振り返って言った。

『本調子じゃなかった、ですか? でも、ものすごく強そうに見えましたけど』

「うん。いや、殺されかけた俺が言うのもおかしいけど、やっぱり何か事情があるんだろうな。きっと、そこに付け入る隙もあるはずだよ」

『また、戦うんですか?』

 晶が心配そうに言った。

 相手が退いたのならば、このまま遠くに逃げてしまうのも手だろう。

「アルティオは遠くのカンピオーネの所在を感じ取ってたからな。逃げてもダメだろう。それこそ、アイーシャさんの通廊を通れは別だけど」

 そう上手くも行かないのではないだろか。

 アイーシャの通廊の権能は、正直危ういところがあるし、本人も制御できていないようなので信頼性に劣る。逃げようとして発動しなければ話にならない。

「大丈夫だろ。負けた原因は分かってるし、次はそうはならない」

『原因?』

「ビビッてたんだよ。俺が」

『え、先輩が?』

「ああ。最強の《鋼》の話は前々から聞いてたからな。それで先入観が先走った。けど、アイツの状態を冷静に見極めれば、さっきも言ったように付け入る隙はあったからな」

 『まつろわぬ神』は基本的に格上である。まして、最強の《鋼》ならばしっかりと心してかからなければならない相手だ。だというのに、護堂は魔王殲滅の神という部分に引き摺られて臆した。それが敗因だ。最後には気持ちがものを言う。実力で負けている相手に気持ちでも負けていたら、それは敗北も必至だろう。

「次は勝つよ」

 断言する。

 そうすることで、気持ちを入れ替えるのだ。

 話によれば、まだ決着はついていない模様だ。リベンジの機会は遠からず訪れるだろう。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 コロニア・アグリッピナに戻ってきた護堂を迎えたのは、身体にいくつかの傷を残すサルバトーレと無傷のまま、けれど相応に消耗したアイーシャだった。

「草薙さん、よかったです。ご無事だったとは伺っていましたけど、やっぱりお会いするまで心配で心配で」

「ありがとうございます、アイーシャさん。晶のおかげもあって、このとおりピンピンしてますよ」

 護堂は力瘤を作って健在をアピールする。

「ふふ、君は殺しても死なないような男だからね、あっさりとやられるとは思ってなかったよ」

「いや、やられたよ、割とあっさりね」

「いやいや、僕らの戦いは殺す殺されるが基本だからね。逃げるのも手の一つ。死んでなければ、逆転の目はあるさ」

「それだけど、相手を取り逃がしたんだって?」

 護堂はサルバトーレに聞いた。

 もっとも、カンピオーネと『まつろわぬ神』との戦いは決着がつかないことのほうが多いらしい。何かの拍子に、戦いが継続できなくなったり、引き分けに終わったりすることが大半だという。共に生命力が強い者同士だからということもあるのだろう。

「ああ、そうなんだ。アルティオが限界だったみたいでさ」

「きっと、あの最強の《鋼》を呼び出すのに力を使いすぎたんだな」

「かもしれないね。それで、あの剣士のほうも充電が切れたみたいに消えちゃったんだよ。おかげで不完全燃焼さ」

 肩を竦めたサルバトーレは残念とばかりにため息をついた。

「アルティオが限界って、消えちゃったんだろうか」

「多分回復に努めてるんだと思うよ。そんな簡単に消えるほど、大地の女神様は甘くないと思うし」

 サルバトーレの歴戦の勘は、こういったところでは役に立つ。

「あ、それになんか別の神様も出てきたみたいなんだよ」

 と、後から余計な追加情報を出してきた。

「別の神様って、アルティオと最強の《鋼》以外のヤツってことか?」

「そうそう。多分風の神様だと思うけど、パッと出てきて、パッと消えちゃったからよく分かんないんだよねぇ」

「神様のオンパレードだな……リリアナは、その神様のこと、何か分かったりしないか?」

 尋ねてみたがリリアナは首を力なく横に振る。

「申し訳ありません。姿もほとんど見えなかったものですから」

「姿が見えないって?」

「つむじ風の具現のような感じでしたね。竜巻の姿をしていましたが、恐らくは《鋼》の軍神でしょう。そんな、気がします」

 言葉をひねり出すようにして、リリアナは言った。

「風の神様で《鋼》か。ハイブリッドってヤツだな」

『斉天大聖みたいなものですね』

 晶が脳裏に話しかけてくる。

 斉天大聖。またの名を孫悟空。日光で護堂を苦しめた、中国の大英雄にして《鋼》の軍神であった。そういえば、斉天大聖が魔王殲滅の秘儀を僅かばかり形にしていた。

「そうか、きっとあの最強の《鋼》はカンピオーネを殲滅する権能をまだ使えなかったんだ」

 護堂は得心がいったとばかりに呟いた。

「ん? どういうことだい、護堂?」

「いや、前に戦った斉天大聖って神様が一時的に魔王殲滅の権能とかいうのを使ってたみたいなんだよな。多分、最強の《鋼》が使う権能の劣化版なんだろうけど……昨日戦ったあの神は、斉天大聖ほど脅威じゃなかったと思うんだよな」

「へえ、そうなんだ。やっぱし本調子じゃないんだ。うーん、本調子の神様と戦うほうが俄然面白いんだけどなぁ」

「馬鹿言うなよ。この世の最後に現れる王なんて言われてるヤツだぞ。叩けるときに叩いたほうがいいに決まってる」

 『まつろわぬ神』の権能は、その神に纏わる伝説によって決まる。ならば、この世の最後などという表現が使われる神の権能が、どのように影響するのか皆目検討がつかない。本来の力を取り戻す要件は分からないが、弱っているときに消えてもらうに越したことはない。

「また、そのような乱暴なことを仰って。神様にも事情はあるかもしれませんし、きっと話し合いで解決できる部分はあると思うんです」

「んー、でも俺は、話し合いでどうにかなった事例ってほとんど経験がないんですよね」

 アイーシャが言うのももっともではあるのだが、それは人間側の感性でしかないのだろう。

 この人は護堂よりも長い時間をカンピオーネとして過ごしているから、こうした発想でよく生きてこられたなと思う。

「うん、アイーシャ夫人のえげつない戦い方はこの考え方から始まるんだね」

「えげつない?」

「あ、護堂は知らなかったのかな? アイーシャ夫人は、善良なことを言って近付いて、不意打ちにパンチを放つような戦い方をするんだよ」

「差し伸べた手の逆の手にナイフを握ってるって感じ、なのか?」

 護堂は、サルバトーレの言葉を聞いて、恐る恐るアイーシャを見る。

「そ、そのようなことはしません! 失敬しちゃいます!」

 アイーシャは憤慨してプイとそっぽを向いた。

 けれど、護堂は納得できたような気がする。彼女の性格と能力で、どうやって生き残ってきたのだろうかと疑問ではあったのだ。

 アイーシャの権能は暴走気味だということも加味すれば、サルバトーレの言うえげつない戦い方も自ずと見えてくる。

 ほわほわとした笑みを浮かべて話し合いを求めておきながら、本人の意図とは別のところで一撃必殺が炸裂する。

 使い手自身も無意識なので、当然、相手は察知できない。それをえげつないと評さずしてなんとするか。アイーシャの権能と化した『まつろわぬ神』たちも、冥府の底で憤然としていることだろう。

「どっちにしても、相手が回復するのを待つ理由がないと思うんですよね」

「えぇ、でも」

「向こうも弱っている状態なら、交渉の余地があるかもしれないじゃないですか。戦える状態なら、ふざけんなやっつけてやるとなるかもしれませんけど」

「ああ、なるほど。確かに、今のアルティオさんは戦える状態ではありませんからお話はしやすいかもしれませんね」

 弱きを討つということに若干の後ろめたさを感じていた様子のアイーシャではあったが、護堂の提案を受けてあっさりと納得してしまった。

「サルバトーレはどうするんだ?」

「君のほうこそどうするつもりなんだい? 君は一度痛い目にあっているんだろう?」

「俺はもう大丈夫だよ。痛い目は一度で十分だからな」

「ふぅん、ならいいんだ」

 サルバトーレはにやりと笑って言った。 

 好戦的な笑みだった。

 これから、狩りを始めるのだという獣の笑みである。決して、相手を思いやり誇りを持って戦う騎士の笑みとは言えないだろう。

 

 

 

 

 弱っているうちにアルティオを叩くといっても、敵がどこにいるのかは定かではない。

 傷ついているのならば、身を隠すだろう。

 護堂たちが血眼になって探したところで、本気になって隠れた『まつろわぬ神』を探し出すのは難しいかもしれない。

 しかし、そういった難題に対して意外にも力を発揮したのはアイーシャだった。

「わたくしには幸運のご加護がありますから」

 とのことだが、これが凶悪だ。

 アイーシャの目的を運命すら操って達成させようという指向性のある力とでもいうのだろうか。

 アイーシャがアルティオに出会いたいと思って旅をすれば、自ずとのその道の先にアルティオがいる、可能性が高くなるのだという。彼女はこの権能のおかげで探しものに苦労することもないと言っていた。

 出発は正午になった。

 後四時間弱。

 各々自由に過ごし、決戦に備えるのだ。

「正午に決戦を選んだのは、正しい判断ですね」

 と執務室でリリアナが言った。

 部屋の中には縮んだままの晶と護堂がいる。

「正確には探索開始、だけどな」

「はい。ですが、相手はアルティオ。月の女神でもある冥府神です。昼と夜では、断然夜のほうが厄介でしょう」

「やっぱりそうだよな。というか、アルティオは月の女神なのか?」

「軍神としての相が強い女神ではありますが、ギリシャのアルテミスと深く繋がりのある女神でしょう。アルテミスは月の女神ですが、狩猟の神でもあり、そして熊を聖獣としますから」

「ん、ああ、そうか。どっかで聞き覚えがあるなと思ったらアルテミスか」

 ロサンゼルスでアルテミスの呪いを斬った際に、アルティオについて言及していたような気がする。残念ながら教授で得た知識は長持ちしない。すでにうろ覚えとなっていた。

「神様の属性って意外に大事なんですよね。先輩の権能も、気象条件に左右されたりしますし、似たようなものでしょうか」

「どうだろうな。でも夜の属性だからって、日中活動できないわけじゃないだろ」

「はい、そんな吸血鬼みたいな設定はないですね。もちろん、原典で太陽の下に出られないとなっていれば別だと思いますけど」

 晶は椅子の上で足をぶらぶらとしながら言った。

 小さな身体を堪能しているかのようではある。もう、元に戻ることもできるだろうに。

「高橋晶。あなたは、姿、というか年齢を自由に変えられるのか?」

 と、リリアナは尋ねた。

「どうでしょう。多分、わたしが経験したことのある年齢じゃないと難しいかと。具体的には十五歳までで、それ以上はダメでしょうね。枠の問題で」

「枠?」

「枠です。型とも言えますが、まあ、わたしの大本の都合です」

「そうか」

 それ以上、リリアナはこの件には触れなかった。

 十代中頃で成長を止めてしまった晶に、この話題を続けるのは酷だろうと判断したのだろう。

「先輩、リリアナさんに教授してもらったほうがいいんじゃないですか?」

 突然、晶がそんなことを言った。

「いきなりだな」

「そ、そうだぞ高橋晶。大体、わたしは別に、なんというか、その」

 口篭るリリアナはちらちらと護堂のほうに視線を投げかける。

 白い肌が、若干ほんのりと紅くなっている。

「わたしはアルティオの解説できませんし。勝率を上げるには、やっておいたほうが無難かと」

 晶の言うことはもっともではある。

 相手はアルティオだけではなく、最強の《鋼》に加えて風の《鋼》もいる。アルティオ以外は正体不明であり、アルティオも手負いとなればウルスラグナの権能も大きな活躍は期待できないだろうが、それでも手札は大いにこしたことはない。実際に使うかどうかは本番で決めればいいのだ。

「しかし、高橋晶。先日と言っていることが妙に違うような気がするんだが、何かあったのか?」

 リリアナは馬車での一件を思い出して、尋ねた。

 晶は護堂を好いている。

 リリアナがする教授の必要性を理解してはいるが、感情的には受け入れがたい。

 そういった態度だったはずだ。

「え、いや。だって、先輩には頑張ってもらわないとだめだし……それに、わたしは、いや何でも」

 と、今度は晶のほうが口を重くする。

 何だ、とリリアナは首を捻るが晶の外見が外見なので強く言うこともできない。からかうというのは、基本的にリリアナの発想にはなく、まして子どもを相手に無理矢理口を割らせるのはありえない。それが見た目だけだとしてもだ。

「それで、リリアナはいいのか?」

「え、あ、はい。王がそうせよと仰るのならば、従うのも騎士の務めですから」

 と、生真面目に言う彼女の頬は紅いままだ。

 言葉を操ることで、自分の気持ちを落ち着かせようとしているのが見え見えである。

「分かった。じゃあ、リリアナに頼む」

「う、はい」

 ぎゅ、と拳を握ってリリアナは緊張の眼差しで護堂を見る。

 勝利のために必要となれば、護堂に躊躇はない。

 リリアナが許可をしたことで自制の意味もなくなり、彼女の小さな身体を抱き寄せて唇を重ねる。

 古代の世界に来たことで、より野性味を増したというのか。

 ウルスラグナの権能を使用するのに必要となれば、言い訳のしようもなく護堂は求めてしまう。それが戦士の気質というものだろうか。

 リリアナも身体の力を抜いて、護堂を受け入れる。

 むすっとした晶の前で交わされる熱烈なキスとアルティオの知識が、護堂の右手に熱をもたらすのだった。

 

 






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