カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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久しぶりなので初投稿です


中編 古の女神編

 延々と続く森がある。

 天高く聳える木々が風に揺れて、時折木の葉を散らす。風は冷たく、息は苦しい。朝から四時間も歩きづめで、しかも山を登り続けている。標高はスタート時点で二千七百メートルを超えていたはずで、それから考えるとそろそろ三千メートルの大台に突入していてもおかしくないのではないか。

 しかし、だとするとこの景色はおかしい。

 一般に、ヨーロッパの森林限界は千八百メートル前後とされている。右を見ても左を見ても、太くたくましい木々が立ち並ぶ景色は異常と言っても過言ではない。

「呪力が濃密になってきましたね」

 と、少女は言う。

 蜂蜜を溶かしたような黄金の髪を棚引かせ、赤と黒の戦装束に身を包むエリカ・ブランデッリである。過酷な環境で疲労もあるが、そうと感じさせない優雅さを維持しているのはさすがというべきか。

「ああ、気をつけろ、エリカ嬢。すでに、常識が通じる空間ではない。いつ何が出ても不思議ではない」

 深刻そうな顔で警告してくれるのは、彫りの深い顔立ちの青年だ。屈強な体躯でエリカよりも十は年上だからか落ち着きがある。この青年こそ『王の執事』にして大騎士アンドレア・リベラである。そして、彼がいるということはすなわち、彼が仕える王がいるということでもある。

「何だろうなぁ。楽しそうな空気になってきたじゃないか。ねえ、アンドレア?」

「楽しいわけがあるか。前を見て歩け、この馬鹿」

 ヘラヘラと笑いエリカとアンドレアの前方二十メートルを歩く青年こそが、呪術世界に広くその悪名を知られる魔王サルバトーレ・ドニである。

 剣の王の異名を持つ彼は、その名に違わず右手に両刃の長剣を持ち、手慰みに手近な木々を斬り付けている。

 子どもが道ばたで拾った木の枝でするような行動を、本物の剣でやっているのだ。ここが街中でなかったからいいものを、彼を知らない一般の人が見れば眉を顰めるどころではなく即通報ものである。

 カンピオーネなので地上の法には縛られない。

 サルバトーレが逮捕されるようなことはありえないが、そうならないように方々に駆け回るのはアンドレアの仕事だ。

 つくづく胃の痛くなる話である。

 エリカが側にいるというのに、サルバトーレへの隠すことなく悪態をついたのは、よほど彼の苛立ちが募っているからであろう。

 ここエリカがサルバトーレに招集されたのは一週間前のことだが、アンドレアはそこに至る段階で《赤銅黒十字》との交渉に奔走していた。

 日頃からのストレスの積み重ねが、アンドレアの王の執事としての仮面を崩しつつあったのだ。

「サルバトーレ卿、楽しそうな空気というのはどういったことでしょう?」

 と、エリカは尋ねた。

 呪術の才は欠片もないサルバトーレは、剣一本で『まつろわぬ神』を討ち取って見せた剣の鬼才だ。彼は戦うという一点に人生のすべてを賭けているし、サルバトーレが楽しいというのは間違いなく同格以上の相手との死合である。

「ん? そりゃあ、ここはもう相手のテリトリーなんだろ? 勝手に踏み込まれて黙っているわけないじゃないか。それに、ほら、なんていうかこうピリピリしてるの感じないかい?」

「それは……」

 エリカとアンドレアは視線を合わせる。

 サルバトーレの研ぎ澄まされた野生の勘は馬鹿にできない。

 人よりも獣に近い感性を持つのがカンピオーネだ。危険察知能力の高さは未来予知にも匹敵するほどで、戦いの気配には人一倍敏感ときた。

 サルバトーレがこう言うからには、間違いなく近いうちに目的の敵が現れる。

「エリカ嬢、もう少し距離を取ったほうがよさそうだ」

「そのようですね。そろそろ、わたしたちも用済みでしょうし」

「降りかかる火の粉は払うものだが、振り払えない猛火の中に突撃するのは愚行も同然だからな。特に君は、今回ばかりは完全に巻き込まれた口だ。いよいよとなれば、我々を置いて下山して構わない」

 そもそもエリカはサルバトーレとは組織レベルで関係がない。それなのにエリカがサルバトーレに同行しているのは、サルバトーレの思いつき以外の何物でもない。

 それも草薙護堂に《青銅黒十字》のリリアナ・クラニチャールが協力し実績を残したことを餌にすれば、ライバル関係にある《赤銅黒十字》を動かすのは容易だと考えたらしい。

 サルバトーレ本人はイタリア国内の呪術結社の動向には関心はまったくない。どれほど大きく歴史や権威のある呪術結社だとしても、カンピオーネが声をかければ協力しないわけにはいかないからだ。

 イタリアは世界的に見ても名の通った呪術結社を多く抱える国で、その中でも《赤銅黒十字》はカンピオーネを祖とする名門だ。カンピオーネから一定の距離を置くという政治スタンスを通してきたこともあり、あまりサルバトーレには関わりを持たなかったのだが、サルバトーレから命を受ければ話は別だった。

 アンドレアとしては甚だ不本意である。《赤銅黒十字》もエリカ・ブランデッリも、『まつろわぬ神』の捜索に捜索に付き合わせるというだけでも、後々にどれほどの影響ができるか。まして、エリカに万一のことがあれば、面目が丸つぶれである。《赤銅黒十字》との関係は修復不可能になってしまうだろうし、個人的にも後味が悪すぎる。

「ありがたいお言葉ですが、アンドレア卿。一度、『紅き悪魔(ディアボロ・ロッソ)』の肩書きを賜った以上、鉄火場に背を向けるような恥を晒すわけには参りませんわ。それに何より、『まつろわぬ神』が降臨しているのが、ほぼ確定しているからには、少しでも情報を持ち帰らなければ示しがつきません」

「そうか。なら、止めはしない。だが、命あっての物種だぞ」

「もちろんです。わたしはわたしの役割を果たすだけです。無駄死にはごめんですから」

 悠然とエリカは微笑んでみせる。

 まだ十代半ばだというのに、肝の据わっていることだ。

 『まつろわぬ神』の驚異を知らないわけではない。欧州に生きる呪術師は、常にカンピオーネと『まつろわぬ神』の戦いに関わり続けてきた。エリカがどれだけ武勇を誇ろうとも傷一つつけることのできない自然災害の如き存在を相手にするつもりは毛頭ない。

 サルバトーレが『まつろわぬ神』と戦うのであれば好きにすればいい。エリカの仕事はこの異界を見つけた時点で九割方終わっている。残るはサルバトーレの戦いがどのようなものだったのかを可能な限り見届けて、情報を持ち帰ることだ。

 それが『赤銅黒十字』の次代を担う『紅き悪魔』の役割だと自負しているからだ。

 

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 

 空から流星が降ってくる。

 眩い光の雨が地上に降り注ぎ、轟音とともに土煙を上げる。炸裂する膨大な呪力は、光の筋一つだけでも超一流の呪術師が命を捧げて絞り出せる呪力を軽く凌駕するほどだ。しかも、光の筋は一条だけでなく、数え切れないほどで、束になって一つの大きな光の柱を形成した。

 一瞬の輝き。爆発音は重なりすぎて一つにしか聞こえない。爆心地は山肌が大きく抉れて、木々は消し飛んでいた。

「びっくりしたなぁ!」

 土煙からサルバトーレが飛び出した。衣服はところどころ焼け焦げているが、無傷だ。身体を取り巻く青白いルーンの輝きが、彼を守ったのだ。

「これを凌ぐか、神殺し」

「ちょっと痛かったけどね」

 ひゅんひゅん、と剣が虚空を斬る。

 サルバトーレの剣の間合いから『まつろわぬ神』が飛び退いた。見た目に反して俊敏な動きをする。外見はオーソドックスな女神だ。金色の神を束ねティアラを身につけ、ふわりと風になびくドレスを身につけている。

 サルバトーレと『まつろわぬ神』の戦いは、始まって十分ほどが経っている。

 サルバトーレが斬りかかり、女神が距離を取って反撃するといった攻防が続いている。

 攻めているのはサルバトーレだが、女神もよく応戦している。一概にどちらが優勢とは言えない状況だ。

 戦いの様子をエリカとアンドレアは大きく距離を取って観察していた。事ここに至ってしまえば人間にできることは情報収集くらいしかない。

「見た目だとギリシャかローマ由来の女神のように見えますね」

「あの装束を見ると確かに文化圏はそのあたりかもしれんな。断定はできんが、地中海に信仰の基盤を持っていてもおかしくはないか。属性としては地母神的な女神なのは間違いない。今のところ、呼び出しているのは蛇にライオンか」

 木々の陰からサルバトーレに十頭の雄ライオンが襲いかかった。アフリカのサバンナに生きるライオンとは大きさがまるで違う。尾の先から頭までが五メートルはあろうかという巨体だ。並の人間ならば、撫でられただけで首を千切れてしまうだろう。

 そのライオンをサルバトーレは易々と斬り捨てる。

 手にしたものは何であれ、万物を斬り裂く魔剣に変貌させる銀の腕の権能がその効果を遺憾なく発揮したのだ。

「うぐッ」

 サルバトーレがうめき声を上げてひっくり返る。女神が放った光の矢が胴体に直撃したのだ。サルバトーレの鋼の肉体は超重量だ。簡単に吹っ飛びはしない。逆言えば、サルバトーレを転ばせるほどの威力が、女神の矢には込められていたということでもある。

「あっちちちち!」

 並大抵の攻撃ではサルバトーレに傷をつけることはできない。

 しかし、今の一撃は「並」ではなかった。

 サルバトーレの服に大穴が開いていた。穴の縁は焦げていて、鍛えられた肉体も真っ赤に白熱している。

「貴様が鋼鉄の肉体を誇るというのなら、わたしは輝ける灼熱にて焼き払おう。《鋼》には似合いの末路であろうよ」

「うーん、これはちょっと不味いか」

 サルバトーレは舌打ちをする。

 脳天気な彼でも戦闘では抜け目がない。目の前の女神の権能が、『鋼の加護(マン・オブ・スチール)』に傷をつける手立てがあるというのは厄介だ。

 《鋼》の権能に由来する不死身は、強力だが万能ではない。例えば鉄をも融かす超高温ならば、鋼鉄の不死身を文字通り「融解」させることもできるだろう。

「おっと」

 放たれる光の筋を、サルバトーレはステップを踏んで躱す。

 女神の矢が『鋼の加護』を突破する以上、身体で受け止めて突き進むといった攻め方は悪手だ。サルバトーレは、光の矢を斬り払い、躱し、どうしても避けられないものは触れる面積を最小限に抑えられる角度で受け止める。呪力を高めれば、灼熱の矢であっても耐えることは不可能ではない。

「《鋼》の身体に《鋼》の剣。大地を切り刻む忌々しき剣神の性、大いに堪能した。が、その程度でわたしを討てると思わぬことだな」

 女神がサルバトーレに手のひらを向ける。すると、大地から太い木々が槍のように突き出してサルバトーレの行く手を遮る。

「こんなもの」

 サルバトーレは銀の腕を振るった。

 万物を両断する斬撃だ

 女神が空に弓を掲げる。この世の物だけでなく、神々が鍛えた不朽不滅の神具ですら時に斬り裂いてみせる神域の刃。

「ええ!?」

 サルバトーレが目を見開いた。

 如何に太く頑丈だろうとサルバトーレの斬撃の前には無力。そう思われた大木の槍が、サルバトーレの剣を受け止めていたのである。

 魔剣の呪力は確かに効果を発揮している。神気を宿した木の槍衾を半ばまで斬り込んでいる。しかし、それまでだ。あっさりと斬り裂くはずだった剣は、槍を数本斬り捨てたところで止まってしまったのだ。

「だりゃッ!」

 サルバトーレは強引に剣を振り抜いた。呪力を放出し、「両断」の念を込めた剣撃で不可思議な木槍を斬り捨てた。

「ほほう、力業で斬り裂いたか。だが、見事だ。我が末たる男よ」

 サルバトーレは女神との距離を詰めるべく疾走する。

 呪術を使っているわけでもなく、権能による高速移動というわけでもない。サルバトーレの移動速度は人間のそれと大きく変わらない。

 剣士の行く手を遮るように、木々が撓って鞭となる。

 一本目を斬り捨てて、二本目を身を低くして躱す。そして、三本目は胴で受け止める。

「う、くッ」

 瞬間、サルバトーレの呼吸が止まった。

 胸を強かに打って、サルバトーレは跳ね飛ばされてしまったのだ。

 猫のように空中で体勢を整えて着地し、口元の血(・・・・)を拭う。

「いてて……なんかいつもと違うんだよね」

 口の中に血の味がする。胸が熱いのは肋骨あたりに罅が入ったからだろう。サルバトーレが血を流すのは珍しいことだ。『鋼の加護』が機能していれば、彼が血を流すことはない。あらゆる攻撃を弾き返す無敵の肉体だ。例え攻撃が通ったとしても、鋼鉄も同然の肉体は血を流すことがないのだ。

 サルバトーレは木の鞭を寸でのところで回避する。そして、思う。

「僕の権能が弱体化してるって感じかな。理由は分からないけど」

 斬った感じでは、木々の槍が特別硬いというわけではなかった。古代ガリアで戦った《鋼》の軍神のような頑強さでサルバトーレの権能に抗った感じではなく、むしろサルバトーレの権能が弱まっていると考えるほうが納得できた。

 鋼鉄の肉体を突破された後に出血したのも、この説を補強している。

 あの女神はどういうわけかサルバトーレの権能に干渉して、その効力を低下させることができるようだ。

「それでもわたしを斬ることができるか? 神殺し」

「もちろん。この世に僕に斬れないものはない。それが例え神様だろうとね」

「やはり獣だな、神殺しという者は。よかろう。いずれにせよ、わたしの行いに変わりはない。神の領域を侵す不届き者には、それ相応の報いが必要だ」

 女神は艶然と微笑んで、白熱の炎を手の平に出現させる。それは瞬く間に弓と矢に変わり、

「天高く輝く太陽よ。今ここに《鋼》を融かす灼熱を運べ」

 光り輝く矢を引き絞った女神は、そのまま空に矢を射放った。

 そして、先ほどと同じ、いやそれ以上の矢の豪雨がサルバトーレを襲った。

 

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 

 古代のガリアで、最強の剣神と死闘を演じた護堂だったが、無事に現代日本に戻ってきてからは平穏無事な日常が続いていた。

 いや、厳密に言えば小規模な戦いはあった。日本アルプスを舞台に降臨した《鋼》の鬼神と戦う羽目になったのはつい先日の話だ。本来ならば、一生語り草になるようなスケールの戦いなのだが、この一年の間に何度も『まつろわぬ神』と対峙してきた護堂にとっては、特別な出来事ではなくなっていた。

「本当に何もすることがないな」

 と、呟く護堂。

 居間でテレビを見ている。日曜日の午後だ。興味を引くテレビ番組はないようで、適当にチャンネルを変えてみたが、期待に応えてはくれなかった。

「お兄ちゃん、最近落ち着きがないから、ちょうどいいんじゃない?」

 カチカチとシャーペンを慣らしながら最愛の妹が言う。

「落ち着きがないとは言ってくれるな」

「事実じゃん。何日も家に帰ってこなかったし、帰ってきたと思ったらまたどっか行くし。人助けっていうけど、本当は何してるの?」

「人助けは人助けだぞ。力仕事とか、いろいろな」

「怪しい」

「何がだ」

「全部」

「酷い言い草だな……」

 静花のジトッとした視線に居たたまれない気持ちになってしまう。

 もちろん、護堂の言葉のすべてが真実ではない。呪術の世界の話は静花にはできないから、一切語っていないのだ。

 人助けの部分だけは事実ではある。護堂はそのつもりで海外にまで足を伸ばしているのだから。

「静花さん、護堂さんのお話は本当ですよ」

 そんな護堂に助け船を出したのは祐理だった。

 お盆に麦茶の入ったグラスを乗せて、居間に入ってきたのだ。

「万里谷さん」

 静花は恐縮したように呟く。

 祐理は静花にとって部活の先輩だ。それもただの先輩ではない。完全無欠のお嬢様で大和撫子な祐理は、静花にとっては憧れの対象だ。近づきがたい先輩が兄の隣に自然に座っていることに、違和感を覚えずにはいられない。

「えーと、万里谷さんはお兄ちゃんがこの前何をしていたのかご存じなんですか?」

「はい」

 と、祐理は頷く。

「護堂さんには、わたしの方からお願いしたことがありまして」

「万里谷さんからですか?」

「そうなんです。実はわたしの親戚が岐阜で酪農をしているのですが、この前怪我をしてしまいまして。動物相手の仕事なのでどうしたものかと護堂さんに相談したのです。そうしたら手伝っていただけるとのことで、恥ずかしながらお願いした次第です」

「そうだったんですか。大変だったんですね」

 祐理の話を静花はすっかり信じ込んだようだ。

 護堂には疑り深い視線を向ける妹も、祐理が嘘をつくとは思ってもいない。あっさりと鵜呑みにしてしまうのはどうかと思うが、今回は祐理に感謝だ。

「お兄ちゃん、迷惑になりませんでした? 大丈夫でしたか?」

「はい。それはもう、助けていただいてばかりで。今度、正式にお礼をさせていただきたいと思ってます」

「お礼なんていいですよ。万里谷さんの頼みならお兄ちゃんの一人や二人、どこにでも連れてってください」

「静花、兄ちゃんは一人しかいないぞ……」

 勝手なことを言う妹に護堂は小声で指摘する。

 そんな護堂のささやかな意義は、静花には届かず黙殺される。

「相変わらず仲いいわね」

「静花ちゃんは万里谷さんには弱いんだね」

 祐理に遅れること五分弱、居間に入ってきた明日香と晶は、座卓を囲んで座った。

「護堂、はいこれ」

 明日香が護堂にUSBメモリを渡した。

「この前のヤツ、纏めといたから。冬馬さんにも同じの渡してるけど、あんたも見といて」

「サンキュ、助かる」

「ま、これくらいはね」

 USBメモリの中には、最後の王の有力候補として名が上がったラーマ関係の資料が入っている。

 最後の王については謎が多すぎる。

 祐理が偶然、神名に繋がる霊視を得ることができたのは僥倖だった。

 有史以来、神々の間ですら正体が秘匿されてきたという最後の王は、おそらくは今後数ヶ月以内に日本に現れるだろう。

 これを乗り越えなければ、護堂の命はない。

 歴代カンピオーネは、ただ一つの例外もなく最後の王の前に命を散らしたのだから。

「静花ちゃんは先輩のことが心配なんだよね?」

「べ、別に心配なんてしてないし。ただ、お兄ちゃんが余所で何かやらかしてたら、それは草薙家の評判に関わることなだけだし」

「そうかな?」

「そうだよ」

「えー、ほんとにー?」

 晶が静花の頬をつつきながら意地悪く言い寄る。

 静花は顔を紅くして晶を払いのけている。

「ま、護堂のフットワークの軽さは昔から変わらずってことね」

 呆れたような諦めたような表情で明日香が呟く。

「昔からですか?」

「そうそう。昔からそう……まあ、海外とか県外とかはさすがになかったけど、頼まれごとには弱いって言うかねぇ」

 護堂と明日香はお互いに訳ありだ。人に言えない「過去」がある。ある意味で同族というべき間柄で、幼馴染という関係性以上に「信頼」できるのだが、幼馴染であるという一点で晶や祐理に比べて護堂のプライベートの情報を多く握っている。

 前世の記憶があるからか、人格的には早熟だった護堂は子どもならではの失敗はほとんどない。しかし、うっかり調子に乗ってやらかしたことが皆無というわけでもないのだ。

「それにしても、この一年でずいぶんと華やかになったね、お兄ちゃん周り」

「そうか? まあ、そうだな」

「前は明日香ちゃんがうちに来るくらいだったのに」

「確かに、言われてみればそうだな」

 明日香が草薙家に来るのは珍しいことではなかった。しかし、それ以外の異性が草薙家に来ることはほとんどなかった。護堂はモテる男ではあったが、特別女子との仲を深めようとはしてこなかったからだ。

 それが、この一年で晶と祐理が加わって、一気に女っ気が増した。

 晶も祐理も人目を引く美少女である。少し疎遠になっていたように見えた明日香も、最近はよく来るようになって、草薙家は賑やかになった。

「それだけ先輩に人望があるってことなんですよ。静花ちゃんもそこは誇っていいよ」

「晶ちゃん、なんでそんなにお兄ちゃんシンパになっちゃったの?」

 静花の怪訝そうな視線に晶は気づかない。

 晶が護堂に染まっていく過程を友人の視点で見てきた静花だが、いまいちきっかけが分からないままここまで来てしまった。

 いつの間にか友達が自分よりも兄に懐いてしまったということに一抹の寂しさすら覚える。

 誰も見向きもしていなかったテレビにテロップが表示されたのはそのときだ。

『ただいま入ってきたニュースです。本日、午後十五時二十分頃、フランスのイズラン峠で大規模な土砂崩れが発生しました。イズラン峠は、有名な自転車ロードレースにも設定されていますが、現在は積雪のため通行止めになっているということです。外務省はこの土砂災害による日本人の被害の有無を確認中としています』

 テレビに映された映像は、雪崩とともに大量の土砂が崩れ落ちた後の無残な峠道を移していた。

「こりゃ、しばらくは通れないね」

「雪崩だけじゃないんだな」

「地震? そんな感じじゃなさそうだけど」

 雪崩ではなく土砂崩れだ。それも山の頂上から大きく抉り取られるような生々しい傷跡を山肌に残している。

 護堂の袖を祐理が引いた。

「ん?」

「護堂さん、これ、何だか変です」

「変?」

「胸がざわつくと言いますか……」

「もしかして、神様関連か?」

「……可能性はあると思います」

 遥か遠方の出来事ではあるが、無関係とは言えない――――かもしれない。

 『まつろわぬ神』には、どうあれカンピオーネが関わることになる。

 フランスなら、サルバトーレが一番近い。神様との戦闘が大好きなサルバトーレが解決に動くのは目に見えている。

 しかし、同時に彼が引き起こすトラブルも護堂に飛び火するかもしれない。

 サルバトーレが神様を斬って終われば、シンプルな解決になるのだが、祐理が不安げなところを見ると、この平穏な生活は嵐の前の静けさだったのかもしれない。

 


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