カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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十八話

 リリアナ・クラニチャールにとって、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンは最古にして最強のカンピオーネであり、同時に最も恐ろしい魔物である。

 カンピオーネは人類では決して勝てないとされる『まつろわぬ神』を討ち果たし、その権能を簒奪することによって強大無比な力を手に入れた人間のことだ。性格は往々にして尊大。荒事を好み、世界をかき乱すことにおいて右に出る者はいない。それは、魔術世界のおける半ば常識となっているし、特にカンピオーネの密集する欧州の魔術師たちにとって、彼らを王と仰ぎ、膝を屈して臣下の礼をとるのは、彼らの威光によって自分たちが成り上がるということよりもむしろ、カンピオーネの逆鱗に触れることを何よりも畏れるからである。

 それはもはや神と同じ次元での扱いと言えるだろう。

 忠誠を誓い、その怒りに触れないようにつつましく生きている限りは概ね安全。しかし、その攻撃に晒されてしまえば、神話の退廃都市のごとき運命が待っていることはわかりきっている。それゆえに、リリアナたち純粋な魔術師というものは、生まれたその瞬間から神とカンピオーネの恐ろしさをその骨の髄まで教え込まれている、今回の万里谷祐理の捜索と身柄の確保という騎士道精神からひどく逸脱した行いですらも、一度命じられてしまえば従わざるを得ないのだ。

 リリアナは嵐に沈んだ東京の夜を走る。高層ビルが立ち並ぶその都市は、都市計画を疑わずにはいられないほどに煩雑で雑多なコンクリート・ジャングルで、お国柄というものを一切感じることができない。日本の文化を愛好する親日家として、日本の首都の中に、日本らしさを感じることができないということを寂しく思いながら、日本人は他文化との共存を苦手としていることに思い至り、これも一つのお国柄かと、やや落胆した気持ちになった。

 リリアナは大きく地面を蹴った。それはちょうど体操の選手がマットの上で勢いをつけてジャンプする様子に似ていた。リリアナのイタリア人にしては小柄な身体は、百メートルはあろうかというビルの頂という、常識で考えられないほどの高さまで一気に飛び上がった。

 リリアナはしばしば妖精に例えられる可憐な容姿の持ち主であるが、その動きは清楚で無邪気な妖精というよりも、鋭い動きで獲物を狙う猛禽類のハントに近かった。

 女性魔術師の中でも極少数の人間にしか備わらない『魔女』の才能をリリアナは持っている。

 欧州の魔女たちは魔術を研鑽すると同時進行で、この魔女の才能を高める修練をする。

 空を飛ぶのも、この魔女たちの専売特許なのである。

 リリアナはこれを『飛翔術』と呼ぶ。

 人間の使う術の中では最高速度を出すことのできる反面、事前に目的地を定めておく必要があり、直線移動しかできないという制約がある。長距離を移動するときは、常に迎撃される可能性を考慮しておかなければならないし、それがあるために、こうして近くのビルとビルを飛び回るという移動方法をとっているのだ。

「またか、ちまちまと鬱陶しい!」

 ぼやくリリアナは、自身の愛刀を振るう。空中で三回金属音がなり、そのたびに火花が散っては風に吹き散らされていった。

 手裏剣による奇襲攻撃に晒されたのは四度目になる。何者かが、自分に攻撃を仕掛けているのは明白であり、それはこの国の魔術組織『正史編纂委員会』の一員が関わっていることは自明の理である。ヴォバンやリリアナの滞在先が草薙護堂に筒抜けになっていたことも彼らがリークしたと考えられる。

 万里谷祐理をリリアナには渡さないという委員会の姿勢は十分に理解した。ヴォバンという魔物を相手にそう啖呵を切った心意気はさすがだと思う。だが、しかし、過去に同じ選択をして消滅した組織が両の手の指で数えられないほどである。だから、欧州魔女のリリアナは、その選択を好ましいと思っても、実行はできない。実行できない以上は、戦うしかない。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 祐理を乗せて走っていた冬馬の車は、このとき都道首都高速3号線谷町ジャンクションの近くで停車していた。護堂がヴォバンに挑みかかるよりも前に、交通規制を敷くことができたので、車は一台も走っていない。

 本来であれば、停車している余裕などないのだが、リリアナが追いかけてきていることがわかったために、その迎撃のために、車外へ出ていたのだ。『飛翔術』の速度は自動車よりも速い。敵の足を止めなければ、何れ追いつかれてしまう。

「いやー、さすがに《青銅黒十字》の若きエース、リリアナ・クラニチャールですねえ。私如きの式では太刀打ちできませんか」

「叔父さんは隠密が主だからね。元々戦闘には向いてないし。後はわたしがやるよ」

「やれやれ、どうやらナイトは私には荷が重かったようですねえ。一度はやって見たいと思うものですが、やはり、慣れないことはするべきではないですね」

 若干疲れた様子の冬馬の隣で、晶は巨大なライフルを肩に担いでいた。土蜘蛛を相手にしたときに破損した大口径対物ライフルを修理したものだ。金属の塊であり、刀剣のような美術的外観は当然ながらない。ただただ、遠くの敵を始末するためにのみ存在している兵器であるから、緻密に計算されつくされたフォルムは、数学的には美しいのかもしれないが、常人からすれば、餓えたライオンの牙の如く、恐怖を死を連想させるだけの代物である。

「それ、通用しますかね?」

 冬馬はライフルを指差して尋ねた。

「わからないよ。牽制にしかならないかもしれないけど、牽制できるだけでも十分。だって、無理に勝つ必要はないんだし」

 対人戦で使用することは国際法的にも問題のある兵器だが、それが通用しない可能性もあるということが、リリアナ・クラニチャールへの二人の評価だった。

「あの、晶さん……」

「万里谷先輩は叔父さんと一緒にここを離れてください。叔父さん、こう見えて逃げることに関しては一流なんですよ」

「で、ですが」

「とにかく! あなたは今すぐにでも移動を再開すべきです! 侯爵の狼や騎士たちが追いかけてきたらとても逃げられないんです! それがまだ来ていないということは草薙先輩が侯爵と互角に戦っているということなんですよ! せっかく先輩が作ってくれた時間を無駄にしないでください!」

 晶は祐理の反論を封殺するように叫んだ。祐理は絶句して息を詰まらせた。

「な、なぜですか……なぜ、あの人はそんな危険を冒したのですか……?」

 祐理にとって、ヴォバン侯爵は恐怖の象徴である。四年前に地獄を見たその日から、表面上の平静を保ちつつも、常に心のどこかが魔王への恐怖に震えていた。エメラルド色の瞳も、知的そうな身のこなしも、撫でつけられた銀髪も、どれも鮮明に思い出すことができてしまう。よい印象など何一つない。あの時の祐理は餓えた狼の前に投げ出された子羊でしかなく、今の祐理もまた、狼に狙われるだけの獲物に過ぎなかった。

 その祐理を助け出そうと、奮闘する少年がいる。何度聞いても、それを信じることができないでいた。

「そんなこと、わたしが知る訳ないじゃないですか」

 晶は、震える祐理を突き放つように言い放った。

 冬馬は再び運転席に戻り、ハンドルに手をかけている。しかし、晶が戻る気配はなかった。

「それが知りたければ、明日にでも本人に聞いてください」

「晶さん」

「わたしなら大丈夫です。先輩から預かっているものもありますし、まず負けませんよ。今は自分の心配をしてください。それで、余裕があったら、先輩の心配をしてあげてください」

 雨は一層激しくなる。晶は祐理に笑ってみせたが、降り注ぐ雨粒が笑顔にノイズを走らせていた。晶は、運転席に目をやって、

「叔父さん、行って!」

「わかりました。どうかご無事で、晶さん!」

 冬馬はアクセルペダルを踏み込み、晶を残して車体は動き出す。

「あ……!」

 と、祐理は何かを言いかけたが、轟音とも思える雨音にかき消され、それ以上は晶の耳には届かなかった。

 晶の見つめる前で、黒いミニバンはどんどんと小さくなっていく。紅い尾灯の光が見えなくなったところで、晶は呟いた。

「なんでって、そんなの。あなたを守るために決まっているじゃないですか……」 

  

 

 

 

 □

 

 

 

 

 護堂とヴォバンの戦闘が始まってからそれなりの時間が経過した。戦いの期限は夜明けまでだとヴォバンは指定していたが、はたして東京の夜明けは何時ごろになるのであろうか。四時か、五時か、六時か。いずれにせよ、まだ、あと三時間以上の時間が必要になる。そして、厄介なことに、人一人縊り殺すのに三時間も必要ない。

 護堂が騎士の包囲網を雷化して潜り抜けたとき、ヴォバンは興味深そうに目を細めた。

「アレクサンドルと同じ雷化の権能。それが貴様の神速の正体だったわけだな。どこぞの雷神より簒奪したわけか」

 ヴォバンは口角を吊り上げて笑う。

「だが、その類の権能は魔術破りに弱い。人間の魔女でも簡単に破れてしまうほどにな。私を前にして多用しなかったのはなかなか聡明な判断だったぞ」

 そう。雷に変化したとき、護堂は物理的な攻撃を受け流しかつ神速に突入するという極めて凶悪な状態になることができるという反面で、神速状態を外部からの干渉で容易く解除されてしまうという弱点も抱えることになる。しかし、雷にならずに神速を多用すれば、心身への負担が大きくなり戦闘どころではなくなる。速度を調整していたのは手の内を見せないようにするためというよりは、デメリットを晒さないようにするためでもある。

 ヴォバンは配下に魔女を多数抱えている。もしも護堂が天高く飛び立てば、ヴォバンの命を受けた魔女たちが、一斉に雷化を解除しようとしてくる。そうなれば、護堂はギリシャのイカロスと同じ運命を辿ることになるだろう。

 しかし、雷化への対策をされたところで、護堂は痛くもなんともない。神速は二種類あって、もう一方を使えば容易に逃げられるからだ。

 護堂は、騎士達の攻撃を危なげなく躱したが、それによってヴォバンとの距離が開けてしまい、舌打ちした。近接戦を挑もうという作戦が通用しなかったことへの苛立ちからだったが、

「カンピオーネの戦いに作戦もクソもないか。結局最後は力押しになるんだしな」

 と、気持ちを切り替える。

「よっと……!」

 斬りかかってくる騎士の攻撃を再び神速で避ける。心眼を心得ているので、カクカクとした動きで追いすがってくるが、わかっていればやりようがあるというもの。結局のところ速さではこちらが上である。相手の動きを見極められる最小限の出力から入り、動くところで加速すれば、敵の武器は護堂の動きに対応できない。すれ違いざまに背中に触れて電流を流し込む。殺傷能力で言えば非常に低いものの、基本スペックが人間素体であるので十分効果があった。

 最後の一人を倒したとき、護堂の身体に強烈な衝撃が襲い掛かった。

「うがッ!?」

 全身を同時に叩かれるというのは実際のところ初めてのことだった。

 どんな攻撃が来たのかまったくわからなかったが、眼に見えない壁のようなものが勢いよくぶつかってきたということが感覚的につかめた。

 ヴォバンの権能の中で、それを可能とするのは、間違いなく、『疾風怒濤』である。

 護堂はコンクリートにたたきつけられる前に神速を発動する。神速は時間制御の権能だ。移動時間を操るということは、速く動くだけでなく、その移動時間を遅くするということも可能なので、落下速度を遅くし、体勢を整えて着地した。

「風か。見えないのは辛いな。ちくしょうめ」

 おまけに、ヴォバンの配下は不死の軍勢だ。いざとなれば、彼らを巻き込んだところで痛くもかゆくもない。思っていた以上に、『死せる従僕の檻』は厄介な権能だったようだ。これは認識を改めなければならない。それ自体の攻撃力だけでなく、それを他の権能と組み合わせたときの厄介さを考えなければならない。それがカンピオーネ戦だ。

「我が言は衆生を導く教えなり。我が呪言は、万象貫く法にして罪人を討つ裁きの剣なり!」

 ガブリエルの聖句を唱えて呪力を高める。次に襲い掛かってきた鉄板の如き風の壁には、吹き飛ばされずに耐えることができた。さすがカンピオーネの身体だと、護堂は自分の身体を誉めてやりたくなった。

「ほう。まだなって時間がたたないと聞いていたが、呪力を受け流す術をもう覚えているのか。面白い!」

「あんたに面白がられても嬉しくないんだよ!」

 護堂は右手を突き出した。

『弾け!』

 言霊の力がヴォバンの身体を弾き飛ばす。

「ぬ! ふふ! 甘いぞ、小僧!!」

 が、ヴォバンは倒れなかった。それどころか、護堂がたたきつけた呪力の割には効果が薄い。護堂がヴォバンの風をやり過ごしたように、ヴォバンも護堂の言霊を呪力で弾いたのだ。

「言霊による強制干渉か。種類としては呪いに近いな。珍しい力だ! が、汎用性が広いだけ、攻撃能力は高くないようだな!」

「そこまでわかんのか。知的ぶってるって言うけど、実際相当な知識量だよな」

 三百年の歴史は伊達ではないということか。護堂は改めてこの老人の手強さを思い知った。

 しかしこの戦には負けるわけにはいかない。

 護堂は闘志を漲らせ、脳裏に浮かぶ聖句を唱えた。

「我は神々に代わり魔を討つ者。如何なる邪悪も、我が身に害を為すこと叶わぬと知れ!」

 


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