カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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十九話

 リリアナには魔女ゆえに極めて鋭い直感力が備わっていた。これは万里谷祐理などの媛巫女も有する力で、その多くはアストラル界(日本では幽界と呼ばれる)にアクセスして様々な情報を入手する魔女術の一種であり、霊視と呼ばれる力だ。これは魔女や巫女と呼ばれる一部の呪術者に先天的に現れる力であり、純粋に生まれ持っての才能によってその力の強度は変わってくるし、大多数の魔女たちは、自分の意図によってこの力をコントロールするということはできない。成功率も低く、大人数が一箇所に集まって精神を集中してやっと霊視を成功させるという程度。確率的に言えば成功率十パーセントがいいところで、リリアナもそれよりは高い数値を出せるものの、お世辞にもよいとは言えない。世界最高峰の霊視能力者である祐理ですら六十パーセントほどというのだから、この術の難易度の高さが伺える。

 しかし、魔女の直観力というものは、侮りがたいのもまた事実。アストラル界との交信はできなくても、感応的な魔術においてその力を大いに発揮することができることに加え、根拠もない勘によって危機を脱する事も不可能ではない。

 その賜物であろうか。

 ビルとビルを飛び移りながら、祐理を追うリリアナは、あるビルの屋上に立ったときに不意に襲ってくる危機を察し、その場に伏せた。ほぼ同時に、背後にあった貯水槽が爆発した。攻撃には呪術的な要素はまるでなく、よってリリアナにはこれを事前に察することは困難を極めたはずであるが、結果として、その不可視の攻撃はリリアナを捉えることができず、ビルの貯水槽を破裂させるに留まったのであった。

 その攻撃の威力にリリアナの背筋は震えた。

 金属でできた貯水槽はちょっとやそっとの衝撃では穴が開くこともない。分厚い金属の筒であるそれを簡単に貫いた攻撃は、大口径の銃弾である。貯水槽に開いた大穴を見れば、すぐにわかる。これまでの術を使った妨害とは違い、銃器による射殺も考慮に入れ、本気でこちらと相対しようとしているのだ。

 一撃だけでも、直撃したら死ぬ。

 貯水槽に与えたダメージから推し量るに、あれは狙撃銃の範疇に留まる代物ではないはずだ。恐らくは対物ライフルに属する、人体ではなく戦車などの装甲車を相手に使用する類の銃器のはず。その射程距離は二千メートルを越え、剣を主体として戦うリリアナは劣勢に立たざるを得ない。銃器の発達によって刀剣の時代は幕を下ろした。相手の攻撃の届かないところから一方的に攻撃する手段を人類が確立したからである。呪術の業界では未だに刀剣が主流であるが、それは呪術が現代兵器よりも優れているという証拠にはならない。その一方で、銃器が呪術を圧倒するということでもない。ようは使い方次第ということである。

 リリアナは全身の隅から隅まで徹底的に防護の術で固め、飛び起きて駆け出した。

「ッ……!」

 二十歩ほど進んだところで、首のすぐ後ろを弾丸が擦過していくのが感じられた。熱を持ってひりつく首筋に顔をゆがませながら、今度は聴覚を強化する。

 風の中に、確かに発砲音を捉えることができた。

 方角は北東。また、銃弾の角度から自分がいる場所よりも僅かに低いところから狙撃していることが分かった。

 高所にいないということは、ビル群を縫うように移動すれば狙撃の危険性が一気に減るということだ。上から狙われたのであれば、堪ったものではないのだが、角度のついた低所からの攻撃であれば隠れるところなどいくらでもある。

 ただ、これは魔術戦だ。重武装である対物ライフルであっても、それを抱えて軽々と跳躍して移動することも難しくはない。

 ということは、結局姿を隠しながら移動したところで、自分が敵に狙撃される危険性は排除しきれないということであり、このままいたちごっこを続けていても目標の万里谷祐理には逃げられたままになってしまうということである。

 では、戦闘を避けて祐理を追うべきなのか。

 それは無理な相談である。

 敵はこちらの目標が祐理であることをすでに知ってしまっている。リリアナはどうあっても祐理の下に行かなければならないのだから、そこに網を張って待ち伏せることも可能なのだ。

 戦闘は避けることができない。

 それであれば、正面から堂々と進み、稚拙な罠も含めて切り倒す。しかる後、ヴォバン侯爵からのオーダーに応えるのがスマートな解法であろう。

「ああ、そうだ。騎士たる者。敵に背中をさらすような戦いはできんしな!」

 リリアナはビルを飛び降りた。

 落下する途中で飛翔術をかけて、空中を横滑りするように移動する。ジェット機にも比する速度で、東京のビル群を縫って飛び、着地と同時に走る。数歩走って、再び飛翔術。銃弾がリリアナの頬を掠めるが、防護の術がこれを封殺した。

 狙撃というのはとても高い技量を求められる。音速に倍する速度で弾丸を射出したとしても、千メートル先の標的を捉えるのに二秒以上はかかる。それは、弾丸の小さな攻撃範囲から逃れるには十分な時間的余裕といえよう。だから、狙撃の第一条件としては敵に悟られないことなのである。リリアナを一撃でしとめられなかった時点で、狙撃の成功率は著しく低下した。リリアナが普通の人間であれば、その後の射撃で事を終えられたかもしれないが、リリアナは優秀な魔女だ。狙撃があるとわかればそれに対抗する術を使えるし、飛翔術を細かく使ってジグザグに移動すれば、それで狙撃は通用しなくなる。

 とは言っても、リリアナが完全に優位に立ったかというとそうではない。コンピューター制御されている現代兵器を除くが、およそ手動で扱われる兵器という物は、対象が近づけば近づくほどに精度を増すものである。リリアナが敵と事を構えるには、狙撃手に接近する必要がある。だからこうして敵への接近を試みているが、それは同時に、自分が敵のテリトリーへ深く入り込むということでもある。飛び移る場所、隠れる物陰、移動速度、そういった諸々の要素の中で僅かでも判断を誤れば、その時点で、銃弾が身体を直撃しかねない。まさに綱渡りをしている状況なのである。

 敵の位置は大まかな予想がついている。

 ここまで近づけば術を使って一発である。

 リリアナは頭を伏せ、弾丸が一瞬前まで頭のあった場所を過ぎ去っていく。

 一気に距離を詰めるならば今だ。リリアナは呪力を循環させ、勝負に打って出た。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 結果として、リリアナの渾身の飛翔は天秤を大きく動かすことに成功したようだ。

 急激な加速によって狙撃手の照準が大いに狂ったこともあるだろうし、それ以前の段階で、リリアナが十分に距離を詰めていたことも大きい。

 敵に撃ち落されることもなく、リリアナは都道首都高速3号線に降り立つことができたのだ。

 リリアナの前には一人の少女。自分と同じか、もしかしたら年下かもしれないくらいの少女だった。学校の指定服の上から黒いコートをマントのように羽織っていて、コートについているフードを被っているために、髪型などはよくわからなかった。その華奢な腕には一挺の大型狙撃銃が握られていたが、リリアナは一目で、武道に関しても、この少女は『できる』と感じ取った。

「まさか同じ年頃だとは思わなかった。一応名を聞かせてもらおうか?」

 リリアナは相手に配慮して日本語で話しかけた。

 少女のほうは警戒心を隠すことなくリリアナを見つめ、答えた。

「質問に質問で返すようで悪いのですが、人に名を尋ねるときは、まず自分から名乗るものではありませんか?」

 しっかりとした声でそう返されると、リリアナはムッとするよりも先に得心がいってしまい毒気を抜かれる形となった。

「確かにその通りだったな。わたしはリリアナ・クラニチャール。《青銅黒十字》の大騎士だ。もうすでにわかっていることと思うが、ヴォバン侯爵の命で万里谷祐理の身柄を確保しに来た」

「わたしは高橋晶です。正史編纂委員会の所属です。万里谷祐理を守ることが、わたしに与えられた任務ですので、あなたの要求に応えることはできませんね」

 祐理を捕らえにここまでやって来たリリアナと祐理を守るためにここに残った晶。互いの目的は百八十度正反対で、ぶつかり合うことに疑いの余地はない。

「ここでわたしに万里谷祐理を渡せば、事は穏便に解決するはずだ。東京の治安を考えても、それが懸命な判断であるはずだぞ」

「バカなことを言わないでください。そんなことができる訳ないでしょう」

「じきに侯爵が猟犬を放たれるだろう。そうなればこの都市が灰燼に帰することも考えられる。無益な殺生をわたしは好まない」

 リリアナは本気で言っている。草薙護堂の情報は一応仕入れてはいるが、カンピオーネになったのはこの春のことだ。一方のヴォバンは三世紀も前。権能の数も、経験も護堂とヴォバンは比べるべくもない。そして、ヴォバンにとってこの東京は大した価値のある都市ではない。邪魔と思えば、無造作に、それでいて圧倒的な力で壊滅させることだろう。

「草薙先輩が負けるとでも?」

「言うに及ばず、だな。彼我の実力差もわからない王では、侯爵には勝てない」

「……それでさっさと万里谷先輩を確保しておこうと? 護衛がいるとわかっていて一人でですか?」

「それも言うに及ばず、だな。押して通るのみだ!」

 リリアナは魔剣イル・マエストロを振るう。刀身についた雫が払われ、白銀に光る。

「ちょっとカチンと来た! 絶対に倒してやる!」

 晶は声を荒げるとXM109ペイロードを放り投げた。長砲身の対物ライフルは接近を許した時点で無用の長物だ。代わりに短機関銃のH&K MP5が現れる。口径9mm。装弾数32発。フルオート射撃の精度を追及した高性能な短機関銃であり、その性能は『拳銃弾を使うには過剰性能』とまで言われたほどである。日本でもSAT等で採用されていて、晶の所持しているこれも、もちろんそういった公的機関からの横流し品である。

 晶が銃口をリリアナに向ける。

 リリアナは回避行動をとらなかった。千メートル以上の距離を、対物ライフルに狙われ続けながら駆け抜けたリリアナにとって、それ以下の威力の銃など怖くもなんとも無い。呪術で十分に防げる程度でしかないのだ。

 だから、正面から斬りかかる。

「そんなモノ、今さらわたしに効くものか!」

 サーベル状のイル・マエストロが敵に届くまでの距離はおよそ二十メートル。一瞬で詰めるには遠い。晶が引き金を引くほうが速い。

 銃口が火花を散らす。マズルフラッシュが、リリアナの網膜を焦がし、9mmパラベラムの嵐が襲い掛かる。

 目を見開くのは晶。フルオートを浴びせかけられながら、リリアナは止まらない。やわらかい少女の肉など簡単に引き裂き、骨を砕く銃弾が、見えない壁に阻まれて、あらぬ方向に弾かれる。

 清朝末期、義和団が用いたことでその術は脚光を浴びた。弓矢、銃。そういった射撃系の攻撃はこの護身術を前にして無意味。十数分前には晶の放つ対物ライフルすらも防ぎきった見えない鎧なのだ。

 だが、晶もその程度はわかりきっていたことだった。ただ、銃弾の中を突っ切ってくるという行動に瞠目しただけで、それ以上でもそれ以下でもない。

「お言葉を返します。そんな古臭い護身の術が今さら効くとでも?」

 晶は『南無八幡大菩薩』を唱える。

 遠距離攻撃において、多大な恩恵を与えてくれる『弓の神』。銃弾はこのとき、呪力を帯びた魔弾となった。

「な、く……!」

 リリアナは両腕をクロスさせ頭部をガードする。全身に叩きつけられる銃弾はリリアナの身体を傷つけることこそ叶わなかったが、弾き返されることもなくなった。リリアナの術と晶の術が互いに互いを無力化しようと鬩ぎあっているからだ。

 高速で射出される銃弾の運動エネルギーがそのままリリアナの身体を襲う。それは、金属バットで殴り続けられるにも等しい猛攻であり、彼女の足を止めるには十分な攻撃力を持っていた。

 晶はリリアナの足を止めたところで、大きく後方へ跳躍した。空中で素早くマガジンを交換し、着地と同時に射撃する。マガジンの交換には一秒とかからなかったものの、リリアナが態勢を立て直すには十分だった。

 射線を逃れるように真横へ飛び、武器をイル・マエストロを地面に叩きつける。

 武具というよりも、鉄琴を奏でたかのような霊妙な音が響く。

「あ、くそ!」

 そして晶が毒づく。銃弾はリリアナを捉えることなく、まったく別の方向に飛んでいった。

 晶は自分のこめかみを片手で叩く。表情は不快感を隠そうともしていない。

「音を使った幻術。聞いていたとおり面倒な」

 リリアナとの戦闘は予想されたことではあった。そのため、彼女の情報をできる限り取り寄せたのだ。その中に、主要武装とされるイル・マエストロの『魔曲』の特性があった。

 この武器が製造されたのはずいぶんと昔のことだ。幾度も戦功を重ね、名のある騎士の間を渡り歩いていく間に、イル・マエストロ自体にも付加価値がついた。今では認められた有望な騎士でしか帯びることが許されないほどの逸品である。が、そうした経緯から情報は簡単に入手できてしまう。対策を練ることも可能。よって、イル・マエストロを帯びる騎士には、常に新しい魔曲を奏でることが要求されるのである。

 晶は体内の呪力を高め、幻術を解除した。

 晶の呪力は同世代随一。媛巫女の中での、極めて異質な突然変異体とも言うべき晶は、大地の力を借りるということまで可能なのだ。地力で負けはない。

 晶は距離をとりながら銃撃を重ねる。

「チッ……この広い道路ではこちらが不利か。だが、射はそちらの専売特許ではないぞ」

 イル・マエストロの魔曲を三重に奏でる。呪力の減衰、視覚に干渉、平衡感覚の喪失。悪質な呪詛を飛ばし、晶を苦しめる。

 銃撃の止むその瞬間に、青い弓を呼ぶ。

 晶はすぐに正気を取り戻したが、このとき、すでにリリアナの準備はできていた。

「くらえ!」

 四本の矢が、一斉に晶を襲う。レインコートを翻し、これを回避する晶だったが、次の瞬間にその表情は驚愕に変わる。

「つ、追尾性能!?」

 四本の矢はそれぞれが宙を舞う鳥のように晶に襲い掛かったのだ。これにはさすがの晶もたまらない。回避に専念せざるを得なかった。

 飛来する矢はまるで意識のある魚か鳥のようだ。それぞれがタイミングを見計らって襲い掛かってくる。

 幾度も攻撃を仕掛けてくる矢。攻守は反転し、晶は守りに回った。だが、意思を持って襲い掛かってくる矢を避け続けることは困難な作業だ。

 ついには追いつかれ、足首を刺し貫かれた。

「痛ッ!」

 矢の威力は足を貫くのみならず、その下のアスファルトに突き刺さるほどだった。晶はその場に縫いとめられた。そして、その背中に残りの三本が突き立つ。

 その瞬間、リリアナは飛びのいた。

 そこに、無数の銃弾が空中から降り注いだ。空中にいるのは、まぎれもなく晶。それも無傷だ。

「なるほど。身代わりか」

「空蝉の術って言って欲しいですね!」

 リリアナの放った矢は、今、レインコートのみを貫いて地に落ちていた。しかも、コートが石のように固まって、矢の動きを封じ込んでいた。なるほど、以前読んだ漫画のような技である。

「ニンジャのようだな!」

「忍者ね。今は忍って言ったほうがいいみたいですよ!」

 戦いは膠着状態に陥った。

 リリアナは矢を番えようとすれば、晶の銃撃によってこれを阻止され、剣に訴えようとしても接近を許されない。晶のほうも、間断なく銃撃するものの、リリアナに致命的なダメージを与えるには及ばず、牽制にしかならなかった。

 リリアナが矢を呼び出す。晶がさせまいと銃火を発する。矢を射るときはどうあっても両手がふさがる。また、正しい姿勢をとらなければ弦を引くこともままならなず、正確性にも劣る。自動追尾機能があるので正確性は削るにしても、構えを取った時点で機動力は大きく削がれることになる。

「これは呪術の矢だ。構えなくても、いいのさ!」

 ダーツを思わせる動きで、リリアナは矢を投擲した。

「そんな、反則!?」

 きっちり自動追尾機能も働いているようだ。

「それだけで終わらせないぞ!」

 さらに、リリアナは魔曲を奏でる。幻惑が邪魔をして、晶は矢の迎撃が上手くできない。

 まずい。

 そう判断すると、晶の行動は早い。アスファルトを蹴って、一気に飛んだ。

「何!?」

 リリアナも驚いた。

 晶は、軽々と塀を飛び越えてリリアナの視界から消えたのだ。

「しまった!」

 慌てて、塀に走りより、下を見ると、晶はすでに着地していて、あろうことかリリアナに背を向けて走り去っている。肩には対物ライフルを担いでいた。

 再び距離をとり、狙撃を行おうというのか。それはリリアナにとって好ましいものではない。祐理を追うためにはどうあっても後顧の憂いを排しておかなければならない。相手が魔弾を使うことができるとわかった今、あの対物ライフルは一層のリリアナに危険性を感じさせる代物となっていたからだ。

 決して無視できない脅威であるからこそ、リリアナは晶を追わねばならない。完全に足止めをくらっていることを自覚していても、そうしなければ自分が倒されてしまうからだ。

「ええい、面倒な!」

 そして、リリアナは晶を追う。

 


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