カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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二十一話

「我は神々に代わり魔を討つ者。如何なる邪悪も、我が身に害を為すこと叶わぬと知れ!」

 聖句を唱えると、全身を呪力が駆け巡るのがわかった。

 超能力やら魔法やらには関わらないと思って生きてきたし、実はそんなモノは存在しなかった、という結末を期待していた時期もあった。しかし、蓋を開けてみればカンピオーネになり、ヴォバン侯爵と雌雄を決しようとこうして戦ってしまっている。

(今はそんなこと、どうでもいい。この男を打倒することに集中しろ!)

 自分の現状に呆れそうになる心を諌めて、護堂はヴォバンと向かいあう。

 エメラルド色の瞳は依然として余裕の体を崩してはいなかったが、それでも、こちらが聖句を唱えたことで警戒の色を滲ませていた。

「別の権能を使ったか。では、見せてもらおう」

 指揮者のように、ヴォバンは右手を挙げた。付き従う騎士たちが具現化し、剣を引き抜く。

 ヴォバンの騎士は、出現と同時に護堂を取り囲み、切っ先を揃えて突きかかってきた。仮に味方にあたっても復活するから問題ない。こうした無謀な攻め方ができるということもこの権能の厄介に特徴だ。

「もう、遅い」

 護堂が呟いたその瞬間に、護堂の身体は幾十もの刀剣に刺し貫かれた。

「む!?」

 ヴォバンが、その手ごたえのなさをいぶかしみ、騎士を退かせようと指示を出した。

 長年の実戦経験が、その危険性を感知したのか。

 しかし、護堂が呟いたとおり、時すでに遅し。すでにヴォバンは術中に嵌ってしまっていたのだ。護堂を貫いたはずに騎士たちは、カタカタと震えて動きが緩慢になっている。

「自業自得だな。爺さん」

 全身を串刺しにされた護堂は、平然と話し始めた。

 その身体に突き立つ剣は二桁に上り、痛みを感じる前に死んでいてもおかしくはないほどの重傷であろうに、その声色には痛みを感じている様子すらない。

「小僧。貴様、小賢しい手を……!」

 低く、しわがれた声を搾り出すヴォバンは、今一度、騎士に戻るように伝えた。

 しかし、騎士たちは動かない。むしろ、ヴォバンの指示に反抗しているようにも見え、ヴォバンは目をむいた。

「ムダだ。爺さん。あんた、よっぽどひどいことを繰り返したみたいだからな。誰からも好かれてないじゃないか。だから------------」

 護堂が笑った。

「こんなに簡単に反逆を許すんだ」

 その瞬間、護堂が溶け崩れた。

 どろりと人としての輪郭を失い、色も失い、雨水で満たされた屋上の床に落ちて同化したのだ。後に残されたのはヴォバンと死相の現れた騎士たち。

 一瞬の静寂が流れ、そしてヴォバンが、驚愕の表情を浮かべて、飛びのいた。

 一人の騎士がヴォバンに向かって斬りかかったのだ。

 これまでにヴォバンの支配に抵抗できた亡霊は一人として確認されていないし、事実そうである。

 カンピオーネの権能にしても、『まつろわぬ神』の権能にしても、人間の力で打ち破ることは困難を極める上に、その力によって具現化したものは、カンピオーネや『まつろわぬ神』にとって自らの身体の一部に等しい。

 たとえば、神獣を召喚したとしても、その神獣から背かれるということは基本的にない。

 だから、ヴォバン侯爵の力の一部である騎士の亡霊が、どれほどにヴォバンを恨んでいようとも叛旗を翻すことは絶対に不可能なのである。

 しかし、その不可能を可能にするのが権能だ。

 理不尽にも殺害され、その魂に鎖をつけられた亡者たち。

 護堂の権能は、この鎖を緩め、ヴォバンの強制力を低下させた。完全ではないものの、騎士たちは自己の意思で身体を動かせるようになったということだ。また、ヴォバンの視覚にも干渉しているのか護堂の姿を隠すこともできている。

「小僧!」

「言ったろ。自業自得だってな!」

 どこからともなく護堂の声が響く。ヴォバンは周囲を見回すが、姿を捉えることができないでいる。

 そうしている間にも反意を示す騎士は増え続けている。『死せる従僕の檻』が弱まっているからだ。このままにしておけば魂の拘束を抜けだしてしまう者もいるかもしれない。

 ヴォバンは呪力を高めた。

 攻撃的な権能ではなく、呪詛のようなものだ。それであれば、カンピオーネの呪力で弾き返すことは可能。

 ヴォバンに斬りかかろうとしていた騎士が動きを止めた。再び痙攣したように震えだす。ヴォバンの命令に意志の力で抗おうとしているのだ。

 ヴォバンの瞳が、ぼんやりと掠れているが、護堂の姿を捉えた。

「他者の権能を弱める権能か! 厄介な力を持っているじゃあないか!」

 魂の拘束と強制力を弱められて、反逆されたことに憤りを隠せないようだ。

「そうだな。権能を弱めるだけ。大した効果じゃないだろ。それでも、あんたが騎士に恨まれていたおかげで、彼らは自分の意思で反抗してくれたんだ」

 護堂としても、この展開は予想外ではあった。

 上手くいけば騎士たちの動きを封じられるだろうとは思っていたが、まさか味方についてくれるとは思っていなかったのだ。

 源頼光から簒奪した権能は、破魔の力。

 敵の呪力を低下させ、権能を狂わせる《鋼》の権能だ。

 ヴォバンの強制力を緩めることはできても、その支配権を奪うところまでは行かない。普通であれば威力が弱体化したり、神獣の制御ができなくなったりと混乱させる程度の権能。それでも、今回はヴォバンの権能が『魂を拘束し、隷属させる』という特殊なものだったことが功を奏した。

 彼らは通常の神獣とは違いヴォバンに心までも支配されているわけではない。よって、生前死後につもりに積もった恨み辛みを晴らすために、ヴォバンの支配力に抗い、反抗するようになったのだ。

「狼が好きなんだろ? 鼻利かせてみたらどうだ?」

 護堂が挑発するように語り掛ける。

 ヴォバンは騎士たちを無理矢理消滅させて、護堂の言に眉を顰めた。

「なに?」

 ヴォバンは、そういわれて初めて嗅覚を刺激するものがあることに気がついた。

 戦いの熱に浮かされて、臭いにまで気が回っていなかったのか。いや、ヴォバンが狼を駆使し、自らもまた狼へと変身する以上は嗅覚も人並み以上に優れているはず。それでいてなぜ、気がつかなかったのだろうか。

 心地のよい、芳醇な香りが薄らと屋上に充満している。

「これは、酒か!?」

「ご名答!」

 護堂が叫ぶと同時に、屋上の雨水が沸騰した。

 それは錯覚だったかもしれない。しかし、力を解放した護堂から見ても、そのように見えてしまった。それくらいに、劇的な変化だった。

 ヴォバンが呼び込んだ嵐によって東京都内は激しい雷雨に襲われている。今も川の水位は上昇しているし、風を遮る物のない高層建築の屋上は早い段階から水浸しになっていた。

 そこに、護堂は権能の神酒を混ぜ込んでいたのだ。

 低濃度の神酒は少しずつヴォバンの感覚を侵していた。嗅覚が慣れてしまったものだから、神酒の発動に気づくのが遅れた。

 そして今や、酒は霧となって屋上を満たしている。

「攻撃的な力じゃないけど、面倒だろ? これであんたの騎士は封じた。狼だって言うこと聞くかわからないぞ!」

 源頼光の伝説に『神便鬼毒酒』という小道具が現れる。

 かの有名な酒呑童子を打ち倒した際に、鬼たちを酔わせた神酒である。

 住吉・八幡・熊野、三社の神が頼光とその郎党に与えたもので、大酒のみの酒呑童子を酔い潰した上に、鬼にとって劇薬に、人間にとっては良薬になるという不思議な効力を持った酒である。この力を活用して頼光は鬼の首を獲ることに成功したのだ。

 源頼光は源氏の武将のなかでも特に怪物退治で有名な武将である。

 土蜘蛛や酒天童子など、日本を代表する怪物たちを討ち取っていることから、その武威の高さは伺える。しかし、実際のところどうであろうか。彼の生きた時代は、摂関政治の最盛期。藤原道長の時代である。頼光も道長の権威を背景にしてその権力基盤を築き上げた貴族的な人間だったようだ。

 そんな彼になぜ、怪物退治の伝説が付属するようになったのか。

 後の時代は源氏によって切り開かれたものであるから、それに伴って脚色されたことも大きいだろう。

 物語に出てくる鬼とは大江山に住み着く悪鬼であり、朝廷に服属しない『まつろわぬ者』である。また、頼光が討伐した土蜘蛛は、古来大和朝廷に反抗する山城国の原住民のことだったとされる。

 これらを討伐したのは頼光。それを指示したのは朝廷であるが、それはつまり道長だ。

 華やかな宮廷文化の裏に、仄暗い陰謀が見え隠れする。

 この物語で注目すべきは大江山である。

 この山には、実は酒天童子の伝説以外にも二つの鬼伝説が残っている。

 崇神天皇の弟の彦坐王が土蜘蛛陸耳御笠(くぐみみのみかさ)を退治したという話と聖徳太子の弟の麻呂子親王が英胡、軽足、土熊を討ったという話だ。

 酒天童子伝説はこれらをベースにしていた可能性がある。

 古代、多くの帰化人は高度な金属精錬技術により大江山で金工に従事していたとされ、これに目を付けた都の人々は兵を派遣、富を奪い彼らを支配下に置いた。こうした話を基にして現在の鬼伝説が形作られていったのである。

 また、酒天童子は八岐大蛇と関わりの深い神格でもある。

 日本最古にして最強の魔物である八岐大蛇は日本を代表する《蛇》の神格だ。

 この神の神話的役割は英雄神に討伐されること。ペルセウス・アンドロメダ型神話の類型であるが、八岐大蛇は製鉄を表す神だという説がある。

 出雲の製鉄民をヤマトの勢力が服属させた神話であると。

 その八岐大蛇の息子が酒天童子であるという伝説があり、彼は、酒で酔ったところを攻撃されるという父と同じ最期を遂げることになるのである。

 何れにせよ、源頼光は政敵を葬り去る『まつろわす者』であり、『王権の守護者』として描かれているし、神話的役割はまさしくスサノオと同じ英雄神だ。《蛇》と縁の深い鬼を討伐することで《鋼》の力を得ることも不思議ではない。

 屋上を覆う酒の霧は、物理的に視覚を覆い、呼気から体内に入り込むことでヴォバンの身体を汚染し、同時に護堂の心身を癒す。

 霧の領域は、ドーム状に広がり、それを吹き散らそうとする風に抗うかのように揺らめきながら今やホテルの上層部を包み込むまでになった。

「お得意の狼による物量戦ももう使えない。朝まで待つ必要もない! このゲームはここで終わりだよ!」

 護堂は声を張り上げてヴォバンに勝利の宣言をする。対するヴォバンは犬歯を見せるほどに口角を上げ、笑った。

「あまり私を……甘く見ないことだ! この程度の力で、我が狼を封じることなどできぬ!」

 ヴォバンの身体から、呪力が洪水の如くあふれ出し、変形を始める。

「望みどおり見せてやろう。これが、我が狼の真の力だ!」

 銀色の体毛が伸び、足も腕も身体も膨れ上がる。エメラルド色の瞳はそのままに、口と鼻がせり出して乱杭歯が露となる。数秒とかからず人の姿は失われ、十メートルを越える巨体は、まさしく狼のそれ。

「オオオオオオオオオオオオ!!」

 立ち上がり、霧から頭を出した巨狼が咆哮を挙げた。

 長き眠りから解放された歓喜の咆哮にして敵対者を葬り去るという破滅の宣言。

 ビリビリとした空気の振動が、護堂の身体を叩いた。

「ハハハハ! 小賢しい霧に身を隠したところでムダだ。圧倒的な力で持って、貴様を叩き潰してくれる!」

 確かに、肉体を強化する権能を持たない護堂にとって、物理的な攻撃というのは天敵である。カンピオーネの身体となって、ちょっとした交通事故程度なら問題なく活動できるほどに頑丈でも、対『まつろわぬ神』及び、対カンピオーネ戦となればそれが最低限の守りにしかならない。ましてや、このような体重数十トンはあろうかという怪獣の一撃を喰らえば、さすがに即死しかねない。

「せっかくの変身ショーを見せてもらって悪いんだけどさ、怪獣ってのはヒーローに倒されるのが神話時代からの基本だろうが。図体ばかりでかくなったからってそれが何になるってんだ!?」

「その減らず口もここまでだ。楽しい戦いだったぞ、小僧。後は我が亡者の一員として、自らの愚かしさを呪い続けるがいい」

 ヴォバンが大音声を放ち、護堂目掛けて拳を振り下ろした。

 霧に隠れている護堂のことを視認しているということではないが、それでも大体の場所に当たりをつけてしまえばその巨体だ。十分に薙ぎ払える。

 しかも、厄介なことに、護堂を襲うヴォバンの爪は確実に護堂を捉える軌道で降りてくる。

 ここで護堂は黒雷神の聖句を唱える。

「天を覆う漆黒の雷雲よ。光を絶ち、星を喰らい、地上に恵みと暗闇をもたらせ!」

 にわかに護堂の身体が闇に呑み込まれる。

 雷雲が天を覆いつくし、太陽も星も消え去る嵐の空を体現した黒き雷神は、同時に大地に潤いを与える豊穣の神。黒雷神の権能は、護身の力。特に天空に座す光の神に抗う力を与えてくれる。

 護堂の身体を覆う黒い外殻が、ヴォバンの爪を受け止めた。コンクリートはおろか鉄骨すら易々と切り裂いてしまう巨大な爪をがっちりとガードしたのだ。

 さらに、護堂の守りは攻勢に移る。

 護堂を包む卵の殻は、雷雲が姿を変えた物だ。つまり、

「ガアッ!?」

 青白い発光。

 黒雲に潜む電気エネルギーが爪を伝ってヴォバンに流れたのだ。

 ヴォバンの動きが止まったところを見計らって、護堂は神速をオンにする。実体をほどき、雷速で空中に逃れた。ヴォバンの身長をあっさりと飛び越え、はるかな高みで俯瞰する。

「十メートル台か。思ってたよりも神酒が効いてたみたいだな」

 あの狼への変身は三十メートルにはなったはずだ。十メートル台はその半分ほどのサイズ。それでも、あの巨体を前にするとプレッシャーがとてつもないものになったが。

「まだ、権能を隠し持っていたか!」

「手札は多いほうがいいだろ? 『砕け』!」

 護堂は言霊を飛ばした。

 ガブリエルから奪い取った強制する力。

 コンクリートの床が護堂にしたがって砕け散る。

「な、にィ!?」

 足場を失ったヴォバンは仰向けになって、背中からホテルの屋上に倒れこんだ。

 如何に、日本の建築技術が高くても、倒れこんできた数十トンの重さのある物体を支えることは困難だ。まして今床は護堂によって破壊されている。必然的に下の階へ、下の階へとフロアを砕いて落ちていく。

「ぬおおおおおおおおお!!」

 叫ぶヴォバンが両手両足を広げて壁や床を掴み、落下を抑えようとする。しかし、彼の爪はあまりに鋭く、軽々とホテルの壁を切り裂いてしまう。彼の足はあまりにたくましく、ホテルの壁を蹴り砕いてしまう。

 ヴォバンの身体を支えるのに、このホテルはあまりにも脆すぎた。

 護堂は雷化して、ヴォバンの剥き出しの腹部に降り立った。銀毛を鷲掴みにして、振り落とされないようにする。

「自分の足場くらい自分で確認しやがれ! 俺が何のためにわざわざ屋上で戦ったと思ってんだよ?」

 狼となったヴォバンの顔に、明確にそれとわかる理解の色が浮かんだ。

「貴様、はじめから!?」

「有名すぎるってのも考え物だな、爺さん!」

 この戦いのルール上、護堂は朝まで逃げ回ってもよかった。ただし、その場合はヴォバンに祐理を捜索する余裕を与え、かつ東京の住宅地で戦わなければならないということにもなりかねない。当然、犠牲者が出る恐れがある。

 超高層ビルであるこのホテルの屋上であれば、周囲を巻き込む不安もない。

 また、限られた足場であるために、ヴォバンは得意の物量を活かしきれなかった。もっとも、それだけであれば、別の場所で戦うこともできた。それでも、あえて護堂はこの場所選んだ。その最大の理由は、ヴォバンの権能の中で最も有名であり、彼が特に信頼する狼化に対抗するのに適していたからだ。巨狼の体重を支えることのできない建造物の上であり、このホテルの中にはもう誰もいない。皮肉なことに、ヴォバンが先んじてホテルの従業員たちを皆殺しにしていたおかげで、護堂は何の躊躇も無くこのホテルを破壊できた。

 崩れた足場。倒れる巨体。今、ヴォバンは完全に無防備となっている。

「鋭く、速き雷よ! 我が敵を切り刻み、罪障を払え!」

 凄まじい轟音が響いた。ヴォバンによる建物の破壊ではない。もっと、根本的な部分から、このホテルは破壊されたのだ。

 背の高い物体を犠牲にして発動する咲雷神の力。落雷によって万物が破断する様を神格化した一撃は、まさに雷撃の斧か刀のような一閃でもって、ヴォバンの巨体を袈裟斬りにした。 

 


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