カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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二十三話

 護堂が目を覚ましたとき、目に飛び込んできたのは眩い日差しだった。

 軽く首を左右に動かして、状況を確認すると、どうやらここは病院であるらしい。真上にはまっさらな天井があり、左手に薄いカーテンに覆われた窓がある。ベッドは部屋に護堂のものしかなく、一人部屋という贅沢をさせてもらっているようだ。この部屋は調度品自体がとても少なく、ベッドの他には花瓶と二段程度の本棚しか置かれていなかった。清掃が行き届いている上に、普段から人が使っていないためか、生活感はないに等しく、気味が悪いくらいに無機質な部屋だ。

 花瓶に生けられた花々はそんな無機質さにあって、ぐっと護堂の目を引いた。

 白い紙に点を打てば、自然とその点に焦点が合うように、色のない病室の中では、その花々はより一層美しく見えた。

「いよっと……」

 護堂は身体を起こした。時計を確認すると時刻は正午を回り、ヴォバン侯爵との戦いからおよそ六時間から七時間が経過した模様だ。

 もともと、若雷神の力で傷を癒していたこともあり、カンピオーネの回復力があれば僅かな睡眠でも十分に体力、気力を取り戻すことは可能だ。野生すら上回るその生命力を持つ護堂にしては、必要以上の睡眠時間だった。身体の状態を確認しても、いたって健康。護堂が関知する範囲での問題は特に無いようだ。

 体調面での心配はなくなった。残る心配事と言えば、ヴォバン侯爵との戦いとそれによる被害が一体どのようになっているのかということだ。

 思い返せば頭を抱えたくなることばかり。なんといっても、ホテルを倒壊させたという大惨事を引き起こしたということ。しかも、意図的に。それはテロリズムに等しい蛮行である。しかし、ヴォバンと戦うのであれば手段を選んでいる余裕などない。それは冷静に彼我の実力差を分析して得られる厳然たる結果だった。

 試しにテレビをつけてみると、ちょうどお昼のニュースを放送しているところで、今、まさにホテルの倒壊現場が映し出されていた。

「うわーお……」

 と、護堂はその破壊痕に絶句した。

 広大な敷地をもつ東京都を代表するホテル。豪華絢爛な摩天楼は、見る影も無く、ただのコンクリートと鉄筋の塊という瓦礫の山と化していた。隣接する駐車場も爆撃にあったかのような凄惨な状況で、アスファルトは捲れ上がり、焼け焦げ、蒸発しているところすらある。

 極めて強大なエネルギーが、集中的に、かつ無秩序に放出されたことを意味している。

 一応、テロの疑いアリとして捜査する方針だというが、物理的にありえない壊れ方をしているのだから調べたところで何もわかることはないだろう。

 この破壊の一端を自分が担ったと思うと、やはり思うところはある。正史編纂委員会が何かしらの働きかけをするのだろうが、一般社会から情報は隠せても、魔術社会には出回ることになろう。

 草薙護堂がヴォバン侯爵と戦って勝利したと同時に、ホテルを倒壊させることも辞さない魔王として認知されてしまった可能性は否定できない。

 正直に言うと、護堂は自分自身のことがよく分からなくなっていた。

 前世でおそらくは二十数年。そして今世で十六年。都合三十余年にわたって生きてきたにも関わらず、自分の精神がどういった構造になっているのか、判断がつかない。

 前世のことは置いておこう。もはや関係ない。しかし、それを引きずったままこの世に生れ落ちた以上は、人並み以上に精神性において大人であるはずだ。この年の春までは、護堂は確かにカンピオーネにはなりたくなかった。確かに、美少女たちとキャッキャウフフには興味がないわけでもないが、命を懸けるには小さな理由である。カンピオーネになるということは、神と殺し合いをすることなのだから、そこまでして特権階級になりたいと思わなかったし、むしろ、そうなることで戦いに明け暮れる日々を過ごすことになる、ということが嫌だった。

 しかし、思い返せば負けず嫌いな一面はあった。勝負事において負けるということが嫌で、努力を積み重ねた歴史があった。勉強でもサッカーでも、護堂は頂点を目指していた。もしかしたら、それは、前兆だったのかもしれない。カンピオーネとなった今でも、勝利へのこだわりは変わっていないらしく、手段を選ぶことに躊躇が無かった。

 ヴォバンと戦うことになった時、いろいろと言い訳を並べ立てはしたものの、結局自分から乗り込んで行った。話し合うことすらしなかったのは、原作を知っているからだが、それでも普通の感性であれば、まず会話から入ろうとするのではないだろうか。ホテルを使うという思い付きをしたときも、その後の被害を理解していながらその策をあっさりととった。それは、ホテルにもう従業員がいないことや、広い駐車場などの無人のスペースがあったからという理由もあるが、それでも実行に移したときの行動力は自分のこととは思えない豪胆さだった。

 自らの行いを振り返ってみると、確かに、カンピオーネとしての性質は生まれ持ってあったのかもしれないという結論に行き着いてしまう。

 ということは、自分がこのような運命を辿ったのは、偶然でもなんでもなく、ただ決められた宿命だったのかもしれない。

「お、お兄ちゃん!?」

 と、やや上ずった声。

 いつの間にか開いたドアから妹の静花が顔を覗かせていた。

「静花? 学校は?」

 護堂も我ながらのんきなことを、と尋ねてから思った。静花は学校を休んでまで自分を見舞いに来てくれたのだろう。

 案の定、静花は目を吊り上げて怒った。

「なに馬鹿なこと言ってんの! お兄ちゃんが病院に運ばれたって、今朝方連絡があってここに来てみたら、ずっと寝たまま起きないで。すごく心配したんだからね! 学校なんか行く訳ないでしょ!」

 と、ベッドの側までずんずんと近寄りながらまくし立てた。そのあまりの剣幕に、覚悟していた護堂も圧倒され、

「お、おう。すまなかったな」

 と返答するのが精一杯の有様だった。

 静花はベッドの脇においてあるイスに腰をかけると、力が抜けたように顔を下に向けた。

「でも、本当によかった……お兄ちゃんが無事で。身体、もうなんともないの? お医者さんは、特に異常はないって言ってたんだけど?」

「ああ、なんともないよ。心配かけたな。ごめん」

 護堂は静花の頭を撫でて謝った。

「ん。じゃあ、許してあげる。でも、無理はしないでね」

 静花は嬉しそうに笑った。護堂もつられて笑った。

 自分の精神年齢を加味すれば、静花は娘とも呼べるほどに歳が離れている。そのためか、幼いころから厚かましく世話を焼いてしまったものだが、いい娘に育ってよかったと安心した気持ちになった。心から人のことを心配できる静花なら、これから先、苦しいことがあったとしても、きちんと乗り越えていけることだろう。

 今回は、こうして生きながらえたが、次はどうなるかわからない。あっさりと死んでしまうこともあるだろう。そうなると、静花のことが気にかかるが、彼女は強い。きっと大丈夫だ。そう思えた。

 

 

 やがて日が暮れて夜になると、新たに客が訪れた。

 最初の客は万里谷祐理だった。制服ではなく、私服だった。正史編纂委員会に呼び出されたために、学校に行けなかったからだという。彼女はごねる静花を説き伏せて帰らせた後にやってくると、すぐに頭を下げた。

 真っ先に自分が見舞いに駆けつけなければならなかったのに、それができなかったことを謝罪したのだ。

 護堂は、原作でいうところの般若の笑みが来るかと身構えていたのだが、いきなり謝罪されたことに呆気にとられた。

 ヴォバン侯爵が祐理を狙っていたこと、祐理を守るために、護堂が戦いに赴いたことを祐理は逃亡中の車の中で聞いた。はじめは驚き信じられない思いだったが東京中の暗雲が意志を持つかのようにうごめき、雷鳴に呪力の猛りを感じてからはひたすらに護堂の無事を祈り続けた。これが、リリアナが羨望すらよせる万里谷祐理の万里谷祐理たるところか。自分のことよりも、他人のことを第一に心配し、必要とあれば自己犠牲もいとわない。そこに美学を持っているのではなく、義務感があるわけでもない。ただ、それが必要な状況に陥れば、黙して足を踏み出すことができる。彼女は歴戦の勇者ではない。もちろん恐怖がある。それでも、その恐怖で足を止めることがないという点で、彼女もまた、常識の埒外にある人間だった。

 そのため、かつての『まつろわぬ神』の招来の儀においても率先してヴォバンの下へと向かった。自分が強すぎる力を持って生まれたことを後悔するでもなく、ただ消費されるだけだとしても、それを受け入れることができてしまうだけの精神力を身につけていた。

「どうして、あのような無茶をされたのですか?」

 と祐理は尋ねた。

「無茶? それは、ヴォバンと戦ったことか?」

 護堂が尋ね返すと、祐理は頷いた。

「そんなに無茶、だったかな? 割といけると思ったんだけど」

 護堂は頤に手を当てて、おどけて見せた。祐理は信じられないとばかりに目を見開いて声を張り上げた。

「無茶に決まってます! ヴォバン侯爵がどのようなお人か、ご存知だったはずです! 天を裂き、地を砕く……暴虐の化身のような人です。平然と人の命を奪い去るのですよ。カンピオーネとしての歴史も段違いじゃないですか!」

「でも勝っただろ。まあ、痛みわけみたいなところはあるけど、あの勝負は俺の勝ちだぞ?」

「それは結果論です」

 祐理の声は弱弱しくなった。確かに結果論だ。明確な勝算があったわけではない。護堂も考えうる限りの手は尽くしたが、それでもそれが決定打になるわけではなかった。結局、最後は力押しになったし、カンピオーネや『まつろわぬ神』の領域に入ってしまうと、自然と策略が通じなくなる場面が多くなってくる。

 おまけに、護堂はあの戦いを『勝負』と言った。スポーツの試合程度にしか考えていないのではないかと思えるほどに簡単に言ったのだ。しかし、それはあの戦闘の跡地を見ればわかることだが、あれは『勝負』などという生半可な言葉で表してよいものではない。あの戦いは、命を懸けた殺し合いであり、その規模は戦争に匹敵する。現存するカンピオーネは感性からして常人とは異なっているというが、護堂も多分にその傾向を有しているということだろう。

 それが殺し合いである以上は、命を失う可能性もある。

「一歩間違えば、あなたは死んでいました」

「だろうな」

「だろうなって--------ッ!」

 平然と答えた護堂に、祐理はカチンときたらしい。

「あ、あなたは一体、何を考えているのですか!? まさか、自分が死んでもかまわないとでも思っているのですか!?」

 と問い詰める祐理に、それはない、と答える護堂。

「俺は死にたいなんて思ってないよ。せっかく生まれてきたんだし、人生を謳歌したいと思ってる。それに、命の危険は少ないほどいいに決まっているじゃないか。俺は伊達や酔狂で命を懸けることはないよ」

「それならばどうして侯爵と戦ったりしたんですか? わたし、聞きましたよ。あなたからあのホテルに乗り込んでいったと」

 護堂は頷いてそれを認めた。そして、笑顔をみせながら両手を広げて、

「今回はほら、俺が戦うしかない状況だっただろ?」

「そんなことはありません。他にも穏便な解決策があったはずです」

 祐理は首を振ってそれを否定した。

 しかし、護堂からすれば、それは現実的な方策ではない。穏便な解決策がないから護堂は乗り込んでいったのだ。そもそも、ヴォバンが話し合いに応じるはずもないし、祐理の言うようなことは不可能だ。

 だから、

「いや、無理だろ」

 と、護堂は言った。ヴォバンの企みを挫くことが狙いである以上はヴォバンと敵対するしかないからだ。しかし、祐理は再び首を振った。

「無理ではありません。わたしが侯爵のところに行けばそれで済みました。あなたが命をかける必要もありませんでしたし、あのホテルが倒壊することもありませんでした」

「はあ?」

 護堂は気の抜けたような声を漏らした。そして、納得もした。話がかみ合わなかった根本的な要因が見えたからだ。

 護堂が戦った目的は、祐理をヴォバンに渡さないこと。そのために命を懸けることも辞さなかった。祐理を渡すなどという考えははじめからなかったのだ。一方の祐理は護堂の身を案じていた。天秤にかければ護堂の命よりも自分の命のほうが軽いと考えている。どちらも、他者のために自分の命を懸けるという点が一致している。価値観が似ているのだろう。しかし、その結果が、まったく真逆の結論に至ってしまうとは、それはそれで、面白いことだと護堂は思う。

 護堂は祐理を、祐理は護堂を守ろうと考えたわけだ。

 なるほど、それでは意見が纏まるはずもない。

「だけど、まあ、それは受け入れられることじゃないしなあ……」

「なぜですか? それが最も被害を小さくすることのできる手段だったはずです。大局に立てば、それが最良のはずですよ」

 祐理の考え方はつまり、大をとって小を斬り捨てるということだ。驚くべきはこの小が祐理本人であることだろう。表情を変えず、当たり前のように、そういうことを言ったのだ。

「伊達や酔狂で命を懸けることはないのでしょう? それなら――――――――」

「万里谷を助けたいと思ったのは、絶対に伊達や酔狂なんかじゃない!」

「ッ?」

 護堂は強く言い放ち、祐理の言葉を遮った。

 決して大きい声ではなかったものの、祐理に言い募ろうという意思を挫かせるには十分な威があった。

「目の前に困っている人がいたら手を差し伸べるだろ? 理屈じゃないって。ましてやそれが友だちなら、十分に命を懸けるに値することじゃないか。俺にはそのための力があったんだから」

「それは、そうかもしれませんが」

「万里谷は自分のことを軽く考えすぎてるんじゃないか? 君の命は君が思っているほど安くはないはずだ」

 護堂は祐理と価値観が似ていると感じはしたが、それはまったく同じというわけではないらしい。護堂はまず自分の命をムダに投げ出すまねはしない。自分の命が大切だからだ。人のために命を懸けることもあるが、それでも、自分が死ぬことを了承した上で行動することはない。祐理は違う。彼女は自分が死ぬことを含めて命を懸けてしまえるのだ。それはとてつもなく、危うい精神構造と言えた。

 護堂は本気で祐理の身を案じていたのだ。それは祐理にも伝わった。真正面から身を案じられて、祐理はさすがに返す言葉を失った。もともと、護堂がこうしてベッドの上にいるのも、祐理の力を巡る戦いの結果だ。

 祐理は自分の力が人とは違うことを幼いときから感じていたし、その強大な力が特別なものだということを大人たちから教わってもいた。使い方から使うべき場面まで巫女の修行をする中で学んだ。力ある者の義務として幼少のころから正史編纂委員会で職務に励み、そしてヴォバンにまで目をつけられた。力を持って生まれたがゆえの苦悩と言ってしまえばそれまでだが、そこには祐理個人の意思を無視したものが多々あり、甘んじてそれを受け入れることに慣れてしまうのも無理ないことだ。

 幼いころからの教育と経験が、そうさせてしまったのだ。

 おそらく、周囲の大人たちにそんな意図はなかったはずだ。彼等、もしくは彼女等は祐理を愛し、守ろうともしただろう。組織のしがらみはあれども、正史編纂委員会は小さな子どもに自己犠牲を強いるほど非人道的な組織ではない。政府主導の機関であることを考えればむしろ、他国の魔術組織よりも、人命を重んじているはずである。

 ただ、相手が悪かった。

 万里谷祐理という少女は、人一倍他者を思いやり、人一倍努力家で、人一倍大人の期待に応えようとする良い子だったのだ。

 それが、極めて模範的であっために、誰もが見逃してきた理想的な歪みを祐理は内包しつつ成長した。人のために力を使うという当たり前の精神を自然な形で拡大解釈してしまっていることを誰も思いつくことはなかったのだ。なによりも、周囲の大人たちは、人の命を大切にすることを教えても、自分の命を大切にすることは教えなかった。

 祐理は自分の能力、延いては命が消耗品であることを受け入れてしまったということは、誰にも予測のつかないものだっただろうし、誰も気づかなかった歪みだったわけだ。

 非常識なまでに常識的だった彼女の行動の裏側にあるのは、そんな小さなすれ違いによるものだった。

 そういう観点で言えば、力を度外視して祐理個人を重んじた護堂の行動は、彼女の心を揺さぶるには十分だった。様々な政争を目の当たりにしてきた祐理でも、命を懸けて助けてくれた人など皆無だったからだ。

 なんということはない。護堂からすれば友人の身を案じただけの行動だったのだろうし、誰かが同じような状況になれば、護堂はすぐにその誰かを助けに向かうだろう。

 祐理の心に去来するのは言葉にできないくらいに雑多な感情の切れ端ばかり。言語化することはおろか、それがどのような思いなのかさえ明確ではなく、祐理の心は混沌の渦に陥っていた。不安なのか、恐怖なのか、怒りなのか、喜びなのか、悲しみなのか、安堵なのか、自分の気持ちに靄がかかって理解できず、胸がつまって涙で視界が霞んでいく。唇も震えて声も出ない。祐理の心は強靭だ。ヴォバンに攫われたあの時ですら涙は流さなかった。恐怖は涙するに値しない。立ち向かうだけの強さがあるからだ。しかし、そんな祐理が今、涙を流していた。当人すら、その理由に思い当たらず、なぜ、こんなにも胸が苦しいのかわからなかった。

 これではダメだと、祐理はなんとか言葉を口にしようとする。何を話せばいいのかわからず、嗚咽に変わるだけ。  

 やっとの思いで、たったの一言だけ、

「………………ありがとう、ございました」

 とだけ、言うことができた。

 それを言った瞬間に、祐理の入り組んだ気持ちがストンと落ち着きを見た。 

 この病室を訪れるとき、いったい何から話をするべきか煩悶としていた。命を懸ける行いやホテルの倒壊に対しては憤りがあった。ヴォバンと戦い倒れたことには不安があった。何のためにあれほどの戦いをしたのか、ということに疑問もあった。

 しかし、そんなモノは結局のところどうでもいいことだったのだ。

 祐理が最も口にしたかったこと。何よりもまず護堂に伝えたかったことは、『ありがとう』の一言だったのだから。


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