カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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第四章 鉄竜遭遇編 ~ただのカカシですな~
二十五話


 深夜。草木も眠る静けさの中で晶はベッドの上に寝転びながら月を眺めていた。

 彼女の能力の一つに月光から大地の力を取り入れるというものがある。月と大地は地母の象徴であり晶たち媛巫女は神祖--------地母神の零落した存在の末裔に当たる。多くは霊視や神降ろしというシャーマニズム的な能力に長けているのだが、晶は違う。地母神は慈愛の女神であると同時に死に纏わる力を持つ。大地と共存していた時代、死は身近にあったからだ。晶の持つ媛巫女としての力は、この死の側面。つまり戦闘的な女神の側面を具現したものだった。

 そのせいか、晶は戦いを好む。武術も呪術も好きだ。武器も好きで、実際に彼女は銃器の呪術への応用を研究してもいる。

 対人戦闘最強という肩書きを得たのは、そうした自己の性質を突き詰めていった結果に過ぎない。

 東京都文京区にある二十階建ての高層マンションの十三階が晶の今の棲家だ。四月の終わりから五月の初めに日本呪術業界を震撼させた最大規模の反乱事件の際に、敵勢力の目標とされていた草薙静花を護衛する目的で派遣されてきたのがこのマンションに住む理由だった。ここからなら草薙護堂の住む家が目視で確認できる。任務に最善を尽くすために陣取るのであれば、ベストな選択だ。

 任務自体は簡単なものでありながら、ランクにしてSSSランク相当の超危険度の任務だった。理由は簡単で、日本のカンピオーネである護堂の逆鱗に触れる可能性が高かったからだ。当時は、正史編纂委員会も護堂の性格などを明確に把握していたわけではなく、新たに手に入れた『火雷大神』の権能も不明のまま護衛をしなければならないという状況は、護堂の性格を知っている者ならなんともないことでも、そうでない者からしたら天地が逆転してしまいそうなほどの不安感があっただろう。触らぬ神に祟りなし。しかし、触れねばならないという状況を前にして、関係者は祈るような気持ちで任に当たっていた。

 思い返せば無駄な心配ばかりしていたと思う。

 護堂は噂に聞くような傍若無人な魔王のイメージとはかけ離れた人物だったからだ。

 第一印象は普通のお兄さん。妹思いで友だち思いで、魔王の名を冠するほどの破壊的なイメージは一切なく、包み込むような暖かさを感じた。委員会側の不安は、まったく意味のないものだったのだ。

 知り合ってからまだ二ヶ月。しかし、その二ヶ月の間に、護堂は二度の激戦を潜り抜けた。その渦中には晶も参加していて、一度目はまったく役に立てずに悔しい思いをした。むしろ足を引っ張り、命を救われもした。対人戦闘最強を謳いながら、足がすくんで動けなかったことは、恥ですらあった。高橋家は武士の家柄。幼少より武士道を叩き込まれてきたのだ。敵を前に怖気づくなどあってはならない失態だった。

 二度目のヴォバン戦では、うって変わってただ一人で奮戦した。当初から、胸のうちにもやもやとしたものがあったが、それを差し置いて戦い、リリアナ・クラニチャールを自軍に寝返らせるという戦果をもたらすことができた。

 それだけの結果を出した晶は、月明かりの下、掛け布団を抱きしめて顔をうずめていた。

「えへへー。誉められちゃったー!」

 布団に押し付けてなおもくぐもった声は隠し切れない。

 『まつろわぬ神』に怖気づき、護堂の足を引っ張ったことが恥。だから努力しよう。というのが当初の考えだったのに、六月の終わりになってみれば、護堂の役に立てなかったことが恥。だから、護堂の役に立とうという方向に当人も気づかぬうちに変わっていたのだ。 

 この日、入院中の護堂を見舞ったとき、晶は護堂から誉めてもらった。リリアナを寝返らせたことや危険な役目を果たしてくれたことについて感謝された。それがたまらなく嬉しくて、家に帰って来てからも終始破顔したままだった。

 どれくらい嬉しかったかというと、今にも自転車で都内を爆走して回り、富士山を駆け上って朝日に向かって愛槍を投擲し、岩肌を転げて下山しても収まらない程度には多幸感に溢れている。今なら泳いで太平洋を横断し、琵琶湖の水を飲み干すことすらも不可能ではない、気がする。

『今回はありがとう。本当に危ない役回りだったのに、引き受けてくれて。晶のおかげで後ろを気にすることなく戦えたよ』

 と言ってもらえた。それはつまり、背中を守ったということに他ならず、武士道を行くものとして名誉極まりないものだった。

 この日の会話はもうこれくらいしか覚えていない。自分が思っていた以上に舞い上がってしまったものだから、それを悟られないように隠すので精一杯だった。必死で理性を働かせた結果、誰もいない家に帰ってくるなり精神が暴走気味になってしまったようだ。脳内では護堂の言葉が壊れたテープレコーダーのようにリピートされている。

「~~~~~~~!」

 もはや抱きつきからプロレスの域にまで達したホールドで布団がねじれる。まるで、綿(ないぞう)を搾り出そうというかのごとき光景。無意識のうちに溢れる呪力が腕力を強化していた。制御できていないのか、制御するという発想がすでにないのか。ここまでくると布団一枚が圧搾されるだけで済むのはむしろ幸運だ。

「先輩。先輩ー。えへへー。ふああー」

 奇声を発してベッドの上を転げまわり、足をばたつかせる。平素の彼女を知る者ならば度肝を抜かれることだろう。脳の回路がおかしくなっているのだろうか。ドーパミンもエンドルフィンも堰を切ったようにあふれ出しているに違いない。覚せい剤はドーパミンを過剰分泌させるという。エンドルフィンはモルヒネに似た作用がある。それが大量分泌となればどうなるか。心臓はドキドキと早鐘を打っているし、血圧も高まっている。もっとも、これに関しては理由が無きにしも非ず。なにせこの日は月が真円を描く夜。地母の血が月の中で一番昂ぶる時間帯なのだから。おまけに晶の先祖がえりに等しい強力で純度の高い血は、主に戦闘方面に特化している。興奮作用は他の媛巫女とは比較にならない。

「もう、もう、眠れないじゃないですかー! 先輩のせいでー!」

 身を挺して守ってもらっていた祐理に嫉妬心があったとか、力及ばず足を引っ張ったとか、いろいろとあったが、もはやどうでもいい。背中を守った。役に立った。誉められた。プラス方向で思考が固まっていたのだからマイナス部分は東京湾にでも沈めればよい。

 思いついたようにむくりと起き上がった晶は布団を抱いたまま胡坐をかく。抱きしめた布団に顎を乗せつつ、薄暗い部屋の片隅にかかる掛け軸を見た。そのときは、のぼせた頭も冷静さを取り戻す。

 『一志懸命』

 と楷書で書かれたそれは高橋家の家訓。

 元々は『一所懸命』だった四文字熟語。それは武士の在り方を表す語だ。自分の領地を守るために武装化したのが武士の始まり。そしてそれが今の『一生懸命』につながっていく。とはいえ、一所懸命の武士の在り方は江戸時代の到来とともに廃れていった。土地のためではなく、幕府のために命をかけることが武士道とされたから。明治維新後は天皇やお国のため。戦後は個人主義に走る社会の中で、お国のためにという考え方すらも否定的に見られてしまう。その中で高橋家が見出したのが己の志に命を懸けるということだった。個人主義と武士道の融和を図ったのだろう。

 比較的奔放な家庭の中でただ一つ守られてきたこの言葉。自分は一体なにに命を懸けるべきか。それを問いながら生きてきたのが晶の人生だった。

「武士としての志……女としての志……」

 晶は呟きながらまたベッドに倒れこむ。

「武士……侍……忠義……侍る……先輩の、隣に、侍る? ~~~~~~~~!」

 それができたらどれほど心が浮き立つか。きっと今の比ではあるまい。悶死するかもしれない。侍るといってもそれは武士としてか、それとも女としてか、それすらも今の晶には定かではない。恋慕と尊敬が入り混じり、収拾がつかない状況に陥っている。

「えっふふぅー。先輩が主君かァー。いいな。ご主人様だー」

 世界に名を馳せる魔王の臣となる。魅力的だ。相手が護堂ならばなおさらだ。

「ご主人様。ご主人様ァ。あふう、なんか背徳的。はあ、はあ」

 晶の暴走は止まるところを知らない。ブレーキの壊れた機関車のようにただ加速していくだけだ。これほどまでに絶好調の晴れ晴れとした気分はいまだかつてなかったろう。最高にハイになっている。フルムーン・ハイ。

 そして、無意味にベッドを転がりまわって悶絶した結果、自分の位置すら覚束なかったらしく、あろうことか端からすべり落ちて背中を強打してしまった。同時に、ベッドの隣においてあった小さな本棚に頭をぶつける。

「うぐ……!」

 息が詰まる。何が起こったのか一瞬わからず思考がクリアに。そして、目を開けたとき、視界に入ったのは-----------今まさに晶の顔面目掛けて落ちてくる地球儀だった。

「あうッ!?」

 眠れぬ夜が終わりを告げた瞬間だ。星の火花を幻視して、布団を抱きしめていた両腕が力なく床に落ちた。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

「おまえ、本当に顔色悪いぞ。大丈夫か?」

 護堂が晶に会ったとき、真っ先に口にしたのがそれだった。

 退院した直後の病院の前。出迎えたのは静花と晶だった。晶がここにいることを静花は不思議がったようだが、護堂の言うとおり、体調不良を隠し切れない様子で、早く帰って寝ろ、と言いたくなるほどに具合が悪そうだった。診察を受けに来たのだろうと納得した。

「いえ、大丈夫です。ちょっと予想外に反動が強く……すみません。こんな目出度い日に」

 それは、どんよりとした雲が晶の頭上に立ち込めて、雨を降らせているようだった。

 テンションがとてつもなく低い。

「反動? 反動ってなんの?」

 家路を行きながら、護堂は後ろを歩く晶に尋ねた。

「月に一回来るんです……それが、昨日強すぎたというか」

 ぼそっと呟いた晶の言葉を理解するのに少々の時間を要した。そして、護堂は身を引いて、静花は目をまん丸に広げて驚き、

「ちょッ! 晶ちゃん、何言って……お兄ちゃん!」

「すまん! 今のは全面的に俺が悪い!」

 静花に叱りつけられた護堂が慌てて頭を下げる。晶は晶で自分の失言に気づいたのか、顔を紅くして口元を手で押さえた。

「い、いえ、お二人が考えていることとはたぶん違いましてですね! その、生まれ持っての物と言いますか……説明しづらいんですけど」

「うん。いいよいいよ、デリケートな問題だもんね」

「ありがとう。静花ちゃん」

 と静花は晶の背中を摩り、護堂はいたたまれなくなって早足になった。

 

 事情が事情だけに、この日も護堂は学校を休んだ。余り休みすぎるのも問題ではあるのだが、どこから漏れ出たのか草薙護堂が路上で倒れていた、などという話が広まっていたために、早々の退院ができなかったからだ。そのあたりは委員会側が何かしらの情報操作を行ったらしい。晶や祐理も、事件の関係者として後始末に奔走することになり、この一週間ほど、学校に通えない日々が続いた。晶に関しては、この日は完全にグロッキー状態になっていたために、仕方ないと誰もが納得することだろう。

「あれ? これはいったい」

 家もすぐそこというところまで来たとき、近くの公園からお囃子の音が聞こえてきた。見れば、いくつかで店が立ち並んでいて、まだ準備中ではあるが、小規模な祭が開催されるようだ。お囃子は機材のテストとして流されていた。

 ここは、地域の住民生活に密着した公園だ。そこそこの広さはあって、平日でも夕方になれば小学生がボールを蹴って遊ぶ姿を見ることができる。ブランコが一基にシーソーが二基あって、間抜けな顔をしたパンダとライオンのスプリング遊具があるだけの公園だが、昔から地元住民からは愛されてきた。護堂も小さいころはよくつれて来られたものだし、ここでよく幼馴染の明日香と遊んだことを思い出した。

「そうか、明日から町内会の祭だったな」

「明日なんですか?」

「ああ」

 と護堂は頷いて、

「もうすぐ七夕だろ? うちの町内会は毎年七夕前にここで出店をだすんだ」

「そうなんですか」

「じゃあさ、晶ちゃん。もしも明日体調がよかったらこのお祭りに行ってみない?」

 興味深そうに準備の様子を眺めている晶を静花が誘った。

「いいの?」

「もちろん。晶ちゃんの具合だけがネックだよ。早く帰って寝ないと」

「うん、そうだね。そうする」

 その後すぐに晶は別の道を行き、自宅のあるマンションに向かった。

 護堂と静花は晶を見送ると、並んで家に帰った。

 

 

 翌日の夜。午後八時を回ったころ、護堂と静花は晶と待ち合わせて公園に向かった。とくに浴衣などは着ていない。こんな小さな町内会の祭に着て行けば逆に浮いてしまう。普通に私服で済ませた。そろそろ本格的な夏が始まろうという季節ではあるが、蒸し暑くなるのはこれからのこと。今はまだ、時折肌寒い風が吹くこともあり、春物の薄手の長袖がちょうどよい気候だった。

 ついてみると、物寂しい感じだった公園は、オレンジ色の照明を吊り上げた紐で天を覆われ暖かい光に包まれていて、人で溢れ、老若男女様々な年代の層が訪れていた。

 狭い公園の中によくこれほどの人が入るものだと感心しながら歩を進める。途中で何人かと接触してしまいそうになりながらなんとかたこ焼きとオレンジジュースだけを確保して人込みから離れる。

 公園の中で出店が開かれているのは入り口付近で、奥のところは薄暗いままだ。ある程度楽しんだ人や一服入れたい人などは、ここにやってきて自由に過ごしている。

 ちょうど空いていたベンチに腰掛けてガヤガヤとしている出店あたりを眺める。ちらほらと見たことのある顔が見えるのは、地元の小さな祭だからだ。商店街のおばさんたちも顔を出していた。

「先輩、お疲れですか?」

 人込みを抜け出してきた晶がやってきた。護堂は腰を浮かせてベンチに座るスペースを作り、晶はそこに座った。

「静花は一緒じゃないのか?」

「あー、どうやら小学校のときのお友だちに捕まってしまったらしく。引きずられていきましたね」

「そうか。それはすまないな。アイツの方から誘ったっていうのに」

 活発な静花以上に活発な友人がそういえばいたな、と思い返しながら晶に謝った。

「いえ、そんなことはないですよ。すごく楽しかったです。わたし、あまりこういうところに顔を出したことがなかったので」

「そうなのか」

「はい。祭祀が絡むものはありますけど。ここは御神輿もでないみたいですし、神様とは無縁のお祭なんですね」

「神様、か。たぶんそうだろうな。もともとは、地域の叔父さんたちが七夕前に飲み明かしたところから始まったっていうし。もうずいぶんと前のことだけど」

「それが、ここまでになったんですか。すごいんですね」

 晶は手に持っていたジュースの缶に唇をつけた。舐める程度なのは、会話を余計に途切れさせないようにするためだ。

「祭っていうと、やっぱりもともとは神様関係なんだろうけどな。今ではどこもこんな感じだろ。信仰心よりもエンターテイメントに重きを置いている」

「ですね」

「やっぱり、呪術者としては納得いかないとかあるのか?」

 晶は首を振って否定した。

「これはこれで楽しいですし、否定することはないです。ただ、日本の祭の観念は『まつろわぬ神』を考える上で結構大切なところがありますし、わたしたちは見直していく必要があると思います」

「それはどういうことだ?」

「『まつろわぬ神』は超自然的災害を神話の形に閉じ込めたものが、その神話から抜け出して形を得たもの、というのが一応の定義ではあります。でも、これは一定の説明をするためのものであって絶対ではないということを頭に入れておいてください」

 護堂がこれまで聞いた説明から、人間では理解も対処もできない力を、人間でもなんとかできそうな、せめて原理だけでも理解できる程度に落とし込んだものという認識にしていた。晶の説明も、この認識からはみ出すものではなかった。護堂は先を促す。

「漢字よりも以前から『まつる』という言葉があって、そこにいくつもの漢字を用途ごとに設定していきました」

 晶は、どこからかペンと紙を持ち出して字を書き始めた。

 『祭』『祀』『奉』『政』『纏』の五つの字が書かれていた。どれも『マツ』ると読む字だ。

 晶は一つ一つの漢字をペン先で指し示しながら、説明を加えていく。

 『祭』という字は、漢字の本来の意味としては『葬儀』であり、日本でも『慰霊』という意味合いを持っていた。例えば、古神道の先祖崇拝が仏教と神仏習合して生まれたお盆は、先祖崇拝の祭である。

 『祀』は、神・尊に祈ったり、時に儀式そのものを指す漢字であり、神社神道の本質はまさにここにある。

 さらに古くは『かんなぎ』といい、霊や命、物が『荒ぶる神』にならないようにと願うものだった。巫女のことを『かんなぎ』と言うのはここから来ている。

 『奉』は、『たてまつる』とも読み、目上の人に対する謙譲の意を示す言葉だ。目上というのは天皇であり、公家であり、さらにその上の神々のことである。

 これは元来、猟師や漁師が、獲物の一部を神に『奉げる』行為であった。今も地鎮祭などで御米を撒いたりするのはこの名残だという。ちなみに『まつろわぬ神』の『不順ぬ』も初めはこの『奉』が原義だ。税金や供物を中央に『奉』げない勢力が『不順』ぬとされたからだ。

 『政』は、文字通り政治のことだ。古代の日本は祭政一致の原則に基づいた政治が行われていた。『まつる』という行為は神と関わりを持つということであり、関わりを持つことができる人間、つまり強大な呪力の持ち主が祭主を務め、同時に政治を取り仕切った。

 『纏』という字。これは裁縫で言う『まつり縫い』の『纏る』だ。『~~にまつわる』という形でも使う。漢字の意味は、『まとわりつく』ということ。

「どの字も本来は同じ意味合いで使っていたものが、時代とともに用途が細かくなって分化したと考えるべきでしょうね」

「なるほどね」

「日本の古代の世界で神を『マツ』るということは極めて重要な意味を持ちます。なぜならば神を『マツ』る呪術者はそれだけで武力以上の力と権威を手にすることができたからです」

「武力以上の?」

 これまで、農耕民や製鉄民が武力によって討伐されて鬼へと変わった話は聞いたが、これでは逆な気もする。そう護堂が質問すると、晶は笑んで。

「じゃあ、卑弥呼は武力で国を治めましたか?」

 と問い返してきた。

 ぐうの音も出ない。卑弥呼は鬼道、即ち呪術を使って国を治めていたとされる。彼女亡き後は男の王が後を継いだが国内が治まらず、卑弥呼に縁のある台与が継いで治まったという。卑弥呼はシャーマン。巫女。つまりは『かんなぎ』だった。荒ぶる神々を押さえる力があった、あるいはあると思われていたということだろう。

「他にも面白い話はいろいろとあります。例えば神武東征では、東征軍は畿内での戦いで尽く負けているんです。武力による正面きっての戦いではまったく勝てなかったわけです。そしたら神様から八咫烏が遣わされて熊野国から大和国まで導かれてあっさり勝ってしまいます。長髄彦との戦いでは、やっぱり苦戦しましたけどどこからかやってきた金鵄に助けられて大勝利。それに天皇の仕事の多くは神々を祀ることですよね」

「なるほどね。純粋に武力だけで勝ったわけでなく、当時は武力以上に神の加護を必要としていたわけか」

 晶は頷いた。

「しかし、都合がよすぎるな。神武東征って」

「神話ですからね。ただ、この八咫烏も厄介でして、怨霊神ととる人もいるんですよね」

「なんでだ? 吉兆の鳥だろう?」

「熊野三山では烏はミサキ神と考えられています。『ミサキ』自体は神の先鋒。つまりは案内人を指す言葉で、ミサキ神は神様の遣いの総称です。ただ、同時にミサキというのは死霊のことなんですよ。知ってますか、七人ミサキ」

 護堂もその名を聞いたことはあった。舟を襲う妖怪で、四国中国地方の民間伝承に現れる。溺死した人の怨霊が正体らしい。

「八咫烏も当然ミサキ神。この烏が現れたのは熊野で、神武天皇を先導したのだから間違いないです」

 熊野とは和歌山県南部と三重県に跨る地域だ。古来より聖地として名高く、その歴史を評価されて熊野古道は世界遺産となった。

「はあ、それが怨霊とどう関わりがあるんだ?」

「兵力に劣る軍隊が敵に勝利するためには謀略を使う以外にありません。スサノオが八岐大蛇を倒したときにお酒を使ったように、何かしらの搦め手が必要です。東征軍がとったのは敵を背後から強襲するという手でしょう。もっとも、敵が強すぎて大阪からの上陸を断念せざるを得なかったということもありますが」

 護堂は晶の言葉に耳を傾ける。非常に興味深い内容だと思えたからだ。

「このとき上陸したのが熊野なわけですね。ここで不思議なことが一つ。戦争するほどの大軍で熊野に押し入って、その後の進軍が上手く行きますか? ということなんですよ。それは地形を考えればわかることですが」

「熊野って言ったら和歌山のあそこか。山岳地帯、だよね」

 晶はこくり、と頷いた。

「そうです。しかも古代のですよ。そもそも『熊野』って言葉の由来を紀伊続風土記に見ると鬱蒼たる森林に覆い隠されているためだっていいますしね」

 ここで使われている漢字は『隈』。『隅にコモル』ということだ。これは同時に死霊が籠もる土地とも取れるらしい。

 『熊野は隈にてコモル義にして山川幽深樹木蓊鬱なるを以て名づく』

 これが原文。だからこそ、霊地、聖地となりうるのだろうか。

「何が言いたいかっていうとですね。見ず知らずの山岳地帯を行軍なんてムリなんですよ。道だってないんですから。それが、東征を成功させるほどの大進撃につながったとなると、地理に明るい案内人が必要になるわけで」

 そこまで言われて、さすがの護堂も得心がいった。カーナビはおろか、地図すらない土地で、熊野三千六百峰とまで呼ばれる山々が連なるのだ。しかも、明らかに敵地。そこにあるのは『地元民しか知らない道』だけなのだろう。とするとだ。

「搦め手ってのは裏切り者のことか、もしくは地元民をそのまま使ったか。どちらにしても熊野の山々を知り尽くしている人たちに道案内をさせたのか!」

 そして、それが八咫烏怨霊説における八咫烏の正体だったのだ。

「そのとおりです。八咫烏はその後、遣いとなって弟磯城を降参させる活躍をしますが、それは顔見知りなのか同郷なのかということでしょう。使者の役割をしたわけです。そして八咫烏の活躍はそこまでです。いざ長髄彦との決戦となると現れるのはなぜか金鵄になっています。それゆえに同一視もされるのですが、これはつまり、八咫烏の必要性の喪失ではないかと思われます」

「山を越えたし後は決戦。裏切り者はもう必要なしってことか。背中を刺されちゃどうにもならないしな」

 そして裏切り者の末路は往々にして悲惨である。怨霊になるには十分な要素と言えるだろう。

「だけど、それを幸運の鳥として祀ったのは?」

「御霊神ですよ。菅原道真や崇徳院がそうであるように恨みを残して死んでいった人たちの祟りを避ける有効な手段は神様にすることです。それは未だに出雲が残っているように御霊という言葉はなくとも魂が人に仇をなすという観念は古代からあって、そしてそれすらも味方にしてしまう方法を古代人は知っていたわけです」

 護堂は頭を働かせる。仮にも民俗学の教授を祖父とし、幼いころからフィールドワークに駆り出されてきた身だ。その手の話は比較的好きな領域。これまでの話を頭の中でまとめつつ、既有知識に関連付ける。

 そもそも、先祖崇拝もその系統に当たる。そしてそれは縄文時代の屈葬を見ればわかるように、とてつもなく古い時代から存在していた信仰だっただろうし、祭祀は荒ぶる神を鎮めるための物だ。

「あ……」 

 護堂は呟き、

「話が戻った」

 と言った。

 晶は満足げに目を細めた。

「気付いてくれてよかったです」

 晶は缶ジュースを口に含んで喉を潤すと、また語りだした。

「御霊神の作り方は簡単です。死んで災いを為す神。『荒ぶる神』を『マツ』るんですよ」

「神となることで人々を害することがなくなる」

「怨霊が仕出かすことは大体決まっています。飢饉や疫病、落雷です。当時の人々からしたら超自然的現象ってわけです。例えば菅原道真であれば、清涼殿に雷を落として多くの朝廷関係者の命を奪いましたが、これは逆です。落雷という超自然現象が起こったから、それを菅原道真のものとして扱ったんです。そのほうが、納得できますからね。怨霊のせいだって。そして、菅原道真は結果として『マツ』り上げられて御霊となって雷神になったんです」

「それって『まつろわぬ神』を神話に閉じ込めたって話と同じ」

「はい、そうです。そこから抜け出してきたのが『まつろわぬ神』なんです。菅原道真という殻を被った雷の超自然現象。殻を被ったがゆえに、その力を振るう範囲は神話をベースに制限される。無秩序でない分マシということです」

「なんかすごいな……」

 その話を聞いて、少し興奮してきた護堂だった。

 これまでの疑問の一部が氷解したような気がしたからだ。

「もうお分かりかと思いますが、神を『マツ』るという行為は超自然現象を押さえつけるという行為でもあります。例えば『(コレ)』は『まとわりつく』という意味ですが、それはつまり『まとわりつかせる』ということ。身動きを封じて押さえ込んでしまうと取れます。神を『マツ』るということはつまり、『神』を封じるということなんです。それは、『まつろわせる』ということです」

 なるほど、と護堂は納得した。

「それが『祭』と『まつろわぬ神』の関係性ってことか」

「はい」

「いや、面白い話だった。なるほどなー。それにしても、まさかこの祭からこんなに話が広がるとは思わなかった」

「あ、それはそうですね。ふふ、わたしもそう思います」

 笑った晶は立ち上がって背伸びをした。いつの間にか手に持っていた缶は空になっている。

「あ、静花ちゃんも解放されたみたいですね。たくさん話して喉も渇きましたし、わたし、向こうに行ってきますね」

 そう言って晶は駆け出し、出店近くでこちらの様子を伺っていた静花と合流した。

 護堂は自分なりに知識を組み合わせてこの日の会話の内容を整理する。その中で、ふと、

「そういえば天照大神って『マツ』る神だったなあ」

 ということに思い至った。

 太陽の女神天照大神。武力で敵を圧倒するような描写はないものの、スサノオを相手に武装するところはある。また、彼女が天の岩戸に隠れると日食が生じて困ってしまったという話がある。その後に開かれたのは神々の祭だった。天照大神をおびき出すための祭。それは天照大神を『まつろわせる』ための祭なのではないだろうか。そして、それと同時にこの女神は巫女であり、神々を『マツ』る役割を持つ。卑弥呼と同一視されることもあるというのは、わからなくもない。

 護堂はなんとなく、空を見上げる。

 神話の時代の神々の話。それが日本の建国神話ともつながりがあり、さらに遡っていくことができるのだということがわかった。カンピオーネとしての戦いが、これからも続いていく。それは、連綿と受け継がれてきた民族の歴史との戦いなのだ、と意味もなく感傷に浸ってしまったのだった。

 


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