カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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二十八話

 案山子は世界中で使用される鳥威しの一種で、誰もが知るとおり、鳥害を防ぎ田畑を守ることを目的として設置されるものだ。基本の一本足の人に似せた人形を田畑の脇に立てておくもので、バリエーションも多い。

 日本においてもその歴史は古く、古事記に現れることからわかるとおり、奈良以前にはすでに普及していたと考えられる。

 古語では『嗅がし』といい、獣肉などを火で焼き焦がしたものを棒に刺して田畑に立てかけたもののことで、これが現代の案山子につながったとされる。

 案山子は食害から田畑を守るものとして田の神、豊穣の神、山の神として崇拝されることになったという。

 

 

 土曜の案山子退治から数日が経ち、学校はついに夏休みを迎えた。

 これから一月。学生は自由を謳歌する。特に高校一年生などは、学校生活でよほどの失敗がない限りはパラダイスを堪能できるに違いない。なにせ、受験まで二年あり、課題の量も大したことはない。計画的に課題をこなしさえすれば、なんの負担もなく夏を遊び倒せるのだから。

 とはいえ、カンピオーネに夏季休業があるはずもない。

 夏になって自由時間が多くなったからといっても、目前に屹立する問題を解決しないことには大手を振って夏を迎え入れるわけにもいかないのだ。

 ということで、高橋家に集まるいつものメンバー。

 部屋の中はひんやりと冷えていて、快適だ。

「ああー、涼しい」

 護堂はT-シャツの胸元をパタパタとして冷気を体表に送り込む。

 どうやらこの部屋、呪術で気温を操作できるためにエアコンを入れていないらしい。呪術の燃料である呪力は体内と自然界の双方に存在している天然の力で、万物の生命力と言うべきものなのだが、これは石油や石炭のような消費エネルギーと違い、生命が存在する限り発生し続けるという永久機関的なエネルギーでもある。

 この呪力が強いか弱いかで、生命としての存在能力に差異が現れるという研究結果もあるのだとか。

 つまり、神様と同等の生命力を誇るカンピオーネはまさに人外。生命という範疇から逸脱した存在だということになるだろう。

「草薙さん。お茶です」

「ありがとう。万里谷」

 護堂は祐理から麦茶の入ったグラスを受け取った。

 茶色い水溶液の上に浮かぶ氷が揺れて音を出し、清涼感をかきたてる。音だけでも、涼しくなれそうな気がする。

 閉め切られた部屋の中。窓際にぶら下がった風鈴は、微動だにせず、氷に役目を奪われたことに不服を唱えている。

 いつも同じメンバーで顔を合わせるからだろうか。座る場所も毎回同じところになっている。無意識のうちに、そのように規定してしまった。

 護堂の正面には冬馬、隣に晶、そして晶の正面に祐理が腰掛けている。晶のデニムのショートパンツにアクリルブルーのタンクトップという出で立ちは、活動的な印象を強く与えてくる。対面する祐理は白いワンピースと淑やかな令嬢を思わせる服装で無難にまとめていた。性質は正反対ではあるが、どちらもその容姿を辱めることのない、すっきりとした服だ。

「さてさて、問題はこの案山子をどう解釈すべきかなんですねえ」

 皆が席に着いたことを確認した冬馬は、平常運転の軽薄な笑みを浮かべつつ写真を並べていた。

「これって……」

 祐理が目を丸くして驚いた。

 そこに写っていたのは紛れもなく、先の土曜日の案山子との戦闘の様子だった。

 なんと冬馬は祐理を案山子から守りながらも写真にこれを収めていたのだ。さすがは現代の忍といったところか。情報収集能力は抜きん出ているし、抜け目もない。

「見た感じは普通の案山子なんですよね」

「先輩。普通の案山子は刃物なんて持ってませんよ」

「動いている案山子はもう案山子とは呼べませんね。呪術的には」

 案山子は動的な存在ではなく、だからこそ知恵の神たりえる。常に世界を眺めていることが万象を見知っているという信仰につながったのだ。つまり、佇んでいることこそが、彼らの真髄なのだ。すると、刃物を持って移動している時点でそれは案山子としての本義に反する行いといえよう。

 万里谷の指摘に冬馬も頷いた。

「これをただの案山子ととるのは確かに早計でしょうね。嵐の呪力を感じ取った祐理さんの霊視と戦闘中のカマイタチ。間違いなく風を操ることのできる存在が関わっているのですよ」

「案山子には嵐を司る力は……」

「ありません」

 きっぱりと言い切った冬馬は、今度は大きな封筒を取り出した。

 中から取り出したのは地図だった。

「あ、これって」

「以前、スマートフォンでお見せした地図の最新版です。印刷してきました」

 そして、広げたその地図には、太平洋沿いに赤い点が記されていた。その数十二個。

「これがすべて事件現場ですか」

 護堂が尋ねると、冬馬は頷いた。

「なんてこった」

 いつの間にか十二件もの通り魔事件が発生していたということに、護堂は嘆息した。

 冬馬は点の一つである、和歌山県を指差した。

「ここの日付をご覧ください」

 各点の上にはボールペンで発生日時が書き込まれていた。

「五月十六日? かなり前なんですね」

「はい。実は立て続けに起こったのは今月に入ってからなので、世間が関連付けて騒ぐのはその期間中のものだけなのですが、実のところ案山子によって傷つけられたという話は今年の五月が最初なんです」

 そのころは、源頼光を倒した少し後だ。反乱が終息したからといっても気が抜けるわけがなく、様々な後始末があった。正史編纂委員会もドタバタとしていた時期で、細かい調査に乗り出せなかったという事情があったのだ。

「だとすると、ずいぶんと活気づいてきた感じがしますね」

 晶が頬を掻きながら所感を述べた。

「二ヶ月の間、じっくりと力を蓄えた、というところでしょうか。事件の多くは和歌山、三重に集中しているんですね。出所は間違いなくここなんですよ」

 ここ、といってもそれは大雑把に和歌山県、三重県近辺ということだ。

 点は六月の中ごろまで、この二つの県の中に納まっている。関東方面に動き出したのは六月の終わり。

「うえ、この日って」

 護堂が静岡県の事件日を見て、うめいた。

 晶と祐理も、それを見て驚いている。 

 それは、東京都を激しい大嵐が襲った日だ。暴風と雷雨が東京都全域で暴れ狂い、東京二十三区内は特に大きな被害を受けた。また、ホテルの爆破倒壊という前代未聞の大事件が、全国のお茶の間を騒がせたときでもある。

 無論、それは一般市民の目から見たもので、護堂たちにとってはさらに強い思い出となり、未だにはっきりと思い出すことができる。

「侯爵と戦った日じゃないか」

 護堂は顔を手で覆って天を仰いだ。

 この『敵』がなぜ、わざわざ東京を目指したのか、その理由が分かったような気がしたからだ。

「これを嵐の神格と見ましょう。そうすると、より強大な力を持つヴォバン侯爵の嵐に惹きつけられたという予測がつきます」

「不完全なのでしょう。それでなぜ?」

「戦うためでなく、嵐の力を身近で感じることで、失ったものを取り戻そうとしたのではないでしょうかねぇ」

 不完全な零落した神たち。もしくは神格の一側面を削り取られてしまった神。これが力を取り戻すには己の本性に立ち返らなければならない。この見ず知らずの神はそのきっかけとして、嵐を求めたのか。

「嵐がこの神格の本性か一側面かは判断がつきませんが、動きを見る限りはずいぶんと力を取り戻しつつあるみたいですよね」

 晶は指で赤をなぞる。 

 点は東京に近づくにつれて密度を増し、東京都を迂回する形で茨城県に入った。

「これは……」

「案山子が事件を起こしていることは終始一貫しています。東京には手ごろな案山子がなかったんでしょうか」

「こんな露骨な形で農耕神に避けられたら、東京の農業に未来が見えないんだけど……」

 しかし、この動きと出現場所を見る限りでは、そうとしか思えない動きをしている。

 案山子は田の神の依代だという。

 この神の農業神としての側面を表に出力するための装置、ということなのだろうか。

「今はまだ完全に顕現していないのかもしれません。案山子を介してしか地上に干渉できないとかそんなんじゃないでしょうか」

「それであんな中途半端な案山子が大量生産されたってのか?」

 晶はグラスを手に取りながら、頷いた。

「神獣としての顕現もできていなくて、力だけが漂泊している状態」

「それだと、俺のほうから手を出すことはできないな。せめて本体がいてくれないと……」

「それでも、この状況を見ると、近いうちに降臨なさると思いますよ。ヴォバン侯爵の嵐の権能の影響を受けていらっしゃるかもしれませんし」

 祐理が不安そうに瞳を曇らせる。

 祐理は呪力から敵の実像まで後一歩というところまで近づいた。その祐理が言うのだから、それは間違いないことなのだろう。嵐と農耕の神。少なくとも、その力を持つ者であることは確かだ。

 護堂もその時に向けて、覚悟を決めておこうと思った。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 やはり『敵』の居所は事件現場付近と考えられる。相手が不完全であれば、それだけ振るう力も弱くなる。力の使用者から遠く離れれば離れるほどに、呪力の消耗は大きくなるはずで、つまり、遠隔操作はされていないということがいえる。すると最後の事件現場である茨城県小美玉市にこそ、敵の本体ないし意識が存在しているということだろう。

 以上の推論から、護堂たちは同地を再訪していた。

 重傷者こそいないものの、傷つけられた人がいて、その事件を解決できる力があるのだから、それを使わなければならないという義務感が護堂にはあった。とはいっても、今の段階で護堂ができることは少ない。目の前に敵がいてくれれば、戦えばいい。それはわかりやすい解決方法だ。しかし、現実問題として、敵は不完全であり、未だに実体がない可能性もある。こそこそと隠れ潜んでいるところからしても『まつろわぬ神』となっていることはない。配下の使い魔も神獣にすら及ばぬという体たらく。

 もしかしたら、カンピオーネの出番はないかもしれない。

 しかし、以前訪れたとき、雑魚とはいえ護堂たちに立ち向かってきたのは明確なる事実であるし、まかり間違って晶たちの手に負えない敵が現れる可能性がゼロではない。神が出るか出ないかという瀬戸際にいるのだから、心配だ。

 そのために、護堂も調査に同行しているのだが、手持ち無沙汰であることに変わりはなく、ただ、以前と変わらない青々とした田を眺めているだけで終わってしまいそうだった。

「休日の遠征を田んぼを眺めて終わるとは」

 結局何も起こらなかったかとため息を吐く。

「だから言ったじゃないですか。先輩は敵が出てきてからの社長出勤で全然いいですよって」

「いや、地道な作業にも興味はある! ムダではなかったはず!」

 といって正当化するも、祐理の霊視に付き合うくらいしか手伝えなかったという事実と、炎天下に長時間晒されたストレスは如何ともしがたい。日が沈みかけていながら、未だに冷えない空気は、どんよりと濁り、滞留する熱気が重圧すらも感じさせている。

 西の空に日が沈み、物の影が伸びていく。東から夜の帳が降り始め、黒と青と赤のグラデーションと飛行機雲が空をキャンパスに絵を描く。

 黄昏時。

 『たそがれ』という言葉の由来は暗くなって人の顔がわからなくなることから、『あなたは誰ですか?』と尋ねなければならなくなることからだ。誰と彼でたそがれ。そこから、この世ならぬ者たちが異界から現れ出でる時間帯ともされるようになった。誰かもわからない者がやってくる。ゆえに、黄昏時の別名を『逢魔時』、すなわち『大禍時』とした。

 あの世とこの世の境目がもっとも薄くなる時間。

 だからこそ、それは現れた。

「おい、あれ……」

 護堂が最初に気がついた。

 あかね色の空を背後に、ポツリと佇む案山子の姿を。逆行になっていてそのシルエットは黒く塗りつぶされているが、そこからは明確な視線を感じ取ることができる。

「普通の案山子、ではないですね」

「はい。間違いなく、あの案山子です」

 祐理もピンと来るものがあったのか、そう断言した。

 見ている間に、田の中から次々と起き上がるようにして案山子が現れる。

「やっぱりカンピオーネが動くところに事件アリ、でしょうか」

「失礼なことを言うなよ晶。まるで俺がこいつらを呼んだみたいじゃないか」

 それではどこぞの少年探偵並に運がないではないか。

 護堂は憤然としながら前だけを見つめる。

 護堂の身体は今でも戦闘態勢にはならない。『まつろわぬ神』ではないということか。しかし、あの案山子たち、以前よりも厚みを増しているように見えた。存在としての厚みのことだ。それはつまり、あれらを操っている存在の力が強くなっているということに他ならない。

「なるほど、ちょっと厄介かもしれないな。みんな気をつけて」

 夏の熱い風が、稲を揺らす。両陣営に刹那の緊張が流れる。筑波山の稜線に、太陽が消えるまさにその時、事態は動く。

 仕掛けたのは案山子。

 一息で二十メートルの距離を跳ぶ。高度、速度、ともに以前の比ではない。

「まずはわたしが様子を見ます!」

 晶が一歩前に出て、これを迎え撃った。三メートルの大槍で、この案山子に突きを放つ。

「ッ……」

 晶の刺突は岩を砕き、大木を貫通するほどの一撃。かつての案山子であれば、この一撃で勝敗を決していた。だがしかし、この日の案山子は一味違った。空中で槍の一撃を受け、跳ね返されたものの、破壊されることはなく、立ち上がった。

 さらに三体の案山子が襲い掛かる。

「固くなってる……」

 案山子の防御力はもはや木製のそれではない。日が暮れたことで気づくのが遅れたが、彼らの身体を作っているのは紛れもなく金属。それも、晶の槍を弾き返すほどの強度を持たせた代物である。

 しかし、敵の防御力が増したからといって、即座に劣勢になるほど晶の積み上げたモノは安くない。一撃で倒せなかったからなんだというのだ、二度三度攻撃を重ねればそれでいいではないか。

 晶の攻撃はなおも苛烈さを増す。一息三連の突きを放ち、その隙を狙った案山子には強烈な足蹴りが待っている。強化された蹴りの威力は小型の爆弾に匹敵する衝撃力を有し、上段から振り下ろす槍の運動エネルギーはとても鉄くずに受け止められるものではない。

 戦いは晶の優勢のままで推移する。足元には砕かれて意味を成さなくなった鉄くずたち。飛びかかる案山子に晶はこのジャンクを蹴り上げてたたきつけた。かつての同胞の無残な亡骸を全身に受けて胴体が折れ曲がった。

 案山子の数は見る見るうちに激減する。ただ立ち向かっては返り討ちにあう流れ作業のような状態になったときに訪れた変化に気づいたのは、戦闘を観察していた護堂たち。

 破壊された案山子たちが、白熱し始めたのだ。熱を発して陽炎を作り、薄暗い夜道にランタンのような明かりとなる。

「晶! 一旦下がれ!」

 晶も足元の灼熱を感じ、危険を察知したのだろう。素直に従い、護堂の隣まで引いた。

 真っ赤に燃える案山子。それは、怒りで顔を赤くしているようにも見えた。

 着ていた服や、頭を作る布が燃えて灰になり、その身体が露となる。全身は金属の塊だった。ただの案山子と違うのは、骨格になっていたこと。肋骨と背骨の構造は人体のそれに酷似していた。

「気持ち悪い」

 と晶がこぼす。

 たしかに、一本足という部分以外は人間の骨格を模しているのだ。悪趣味というよりない。

 熱気が伝わってくるほどに熱くなった鉄の末路は決まっている。

 白く、赤くなった最後には、ドロリと形を崩して溶解するものだ。金属であるのだから、その最後は変えようがない。

 しかし、溶けた鉄がそれで死ぬわけではない。そこから、再び新たな形を得て蘇るのだ。

 変化は瞬く間に起きる。頭を崩し、腕を崩し、足を崩した案山子は液体となり、新たな形を作り出す。

 長く伸びあがり、先端は鋭く尖った形状。合計十本の槍となる。その長さは三メートル。形状は、まさしく御手杵そのもの。

 さすがに、これには開いた口がふさがらない。

「まさか、晶の槍を模倣したのか?」

 護堂がそう漏らした。

「もしかして、槍を受けたのは、この槍を調べるため?」

 晶も呆然とした様子だ。無意識のうちに槍を握る力が強くなる。

 思い返せば、この戦いで案山子と戦ったのは晶だけだった。それは、護堂たちがあえて引き、案山子との戦闘を観察しようという狙いがあった。それでも、案山子が向かっていったのが晶だけだったということに、疑問を抱かなかったのは無用心が過ぎた。観察していたのは、護堂たちだけではなかったのだ。

 複製された御手杵を案山子が手に取った。

 その腕には関節が生まれていて、もはや案山子のそれではなく、ロボットのアームのようだ。

「農耕神のくせに鉄文明の象徴を手に取るってのはどうなんだよ」

 今度は護堂が前に出た。

 これ以上の何も起きないうちに片付けてしまおうと考えたのだ。

 案山子たちが槍を構えた。突撃体勢をとる。護堂はそれを正面から見据えて、

『拉げ』

 呪力を纏った言霊が、案山子の身体に纏わりつき、破壊していく。

 わずかばかりの抵抗があったものの、それでもカンピオーネの呪力にはさすがに抗しきれない。甲高い金属音を立てて捻じ切れ、押しつぶされていく。

 後に残ったのは、やはり鉄くずと化した案山子の残骸だけだった。

 護堂は砕き割った案山子の残骸を見下ろす。

「目かな」

 顔があった部分。胴体を砕かれ地に落ちたそれを見てそう口にした。

 その顔には、確かに大きな瞳が焼印のように描き出されていた。


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