カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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三十二話

 戦いは終わった。

 背後から首を貫かれ、電撃に焼かれた大鎧は、しかし、倒れることなく二本の足で立っていた。

 が、しかしそれもこのときまで。

 『まつろわぬ神』としての矜持からか倒れ伏すことはなかった彼だが、その命は燃え尽き灰となり、すでにこの世に留まることすら難しい。

「ふむ……」

 呪力は尽き、ひざ下はすでにうっすらと消えてきているというときに、それでも鎧は声をだした。

「草薙護堂か。なるほど、実に、よき敵手であった……」

 それを最期に、まつろわぬ一目連はこの世界から消滅した。

 

 一目連が消え去り、己の中にずしんと重みが加わったのを確認して、護堂はその場にしゃがみこんだ。

 周囲を見回すと農地はほぼ壊滅状態で、用水路も壊れて水が溢れている。復旧には一年近い時間を要することだろう。

 神の呪力が失われたからか地面に打ち込まれた鉄杭も消滅してしまい、いったい何が原因でこれほどの破壊が生じたのか分からないという状況だった。

「これはまた、ひどいな……」

 見るからに今期の収穫は見送らざるを得ないという、農家の方々が阿鼻叫喚に陥るであろうことは明確で、護堂にはどうしてやることもできない。

 霞ヶ浦を決壊させなかっただけでも上々とすべきだろうか。

 ツツガムシ病とかも考えられるし、水害というのは二次災害もかなり大きいものだ。

 何れにせよ、ここの農地は一目連の出現と同時に崩壊する運命にあったというこということだ。

 護堂は腹に手を当てる。

「ふさがってるか」

 若雷神の再生能力が傷を塞いでいた。

 見た感じでは細かい裂傷も見る見るふさがっていく。ただでさえ一晩寝れば回復するというこの肉体に、治癒能力まで加わってはちょっとやそっとでは死ぬこともないだろう。

「草薙さん!」

 祐理が護堂の下に駆けてくるのが見えた。その後ろに晶が着いてきている。

 ガタガタになり、水分を多分に含んだ湿地帯である。

 護堂も、体力の消耗からへたり込んでいるが、その身体は泥にまみれてしまっている。

 そんな足場の悪い場所を走ってくるものだから、晶はともかくとして、運動能力の低い祐理は当然ながら足を取られてしまう。

「あ……!」

「お、おい。危ない」

 間一髪のところで、護堂は身を起こして祐理を受け止めた。

 軽い少女の身体ではあるが、今の護堂には支えることができず、また泥につかる。

 それでも、祐理の身体が泥に汚れることはなかった。膝下くらいだ、汚れているのは。

「ふう……危なかったな。大丈夫か万里谷」

 肩を抱きながら祐理に問う。

 男女を分けて考えることが是か否かは判断の分かれるところではあるけれど、それでも祐理が泥に汚れるということが是であるとは思えず、男なら手を伸ばして当然というものだ。

「あ、すみません。草薙さん」

 護堂は祐理の肩を支える。視線が至近距離で交差して初めて祐理は、密着していたことに気がついた。慌てて身を引き、立ち上がる。

「うお、と。乱暴だな」

「す、すみません。驚いてしまって……」

 その二人の様子を何やってんだかといった風な晶が眺めていた。

「ラブコメはその辺でいいんじゃないですか、お二人とも」

「ラブコメって言うなよな」

 護堂はとんだ誤解もあったものだと嘆息した。

 祐理のほうはラブコメという単語が彼女の単語帳に載っていないのか首を傾げるばかり。若者言葉を苦手とするにもほどがあるのではなかろうか。

「とにかく、怪我の治療とかいろいろありますから、こんなところにいつまでもいてはいけませんよ」

 晶は護堂の手をとった。

「立てますか?」

「ああ、大丈夫だ」

 護堂が晶に引っ張り上げられるように立ち上がる。

 足に力を入れてみると、これが思っていたよりもしっかりと立つことができて内心驚いた。

 本当は少しふらつくかと思っていた分、肩透かしを食らったような気持ちだった。

「て、おい……」

 護堂なにか言う前に、晶は身体を寄せてきた。

 手は肩に回し、自らの身体を支えとして、護堂が倒れないようにしようとしているのだ。

「そんなことしてもらわなくても大丈夫だって」

「いいえ、ダメです。さっきまで座り込んでいた人が言っても説得力がないですよ」

 護堂としては、本当に歩けるまでになっているし、頭一つ以上も小さい女の子に支えてもらうのは気が引けることだった。

「汚れるぞ……」

「もうずいぶんと汚れましたから、今さらですよ」

 と、聞く耳を持とうとしない。

 強情なヤツ、と護堂も観念し晶の好きにさせることにした。

「万里谷先輩そっちもお願いします。バランスが取れませんので」

「はい。わかりました」

 祐理も、反対側に回り込み、護堂に寄り添うようにして支える。

 右と左に当代きっての美少女を侍らせる様は、いったいどこのハーレム王だといわれそうな中で、護堂は視線を左右に向けることもできずただ前を見るだけだった。

 

 半径二百メートル圏内は深く掘り返されているために、舗装されていて尚且つ無事な道路までたどり着くだけでも一苦労だった。

 たどり着いたそこも農道であることには変わりない。

 幅は三メートルあるかないかという程度だが、車もこの時間は通らないということもあって、護堂は再び倒れこんだ。

「ちょ……草薙先輩! ダメですよ。まだ」

「ちょっとだけ休憩する。さすがに疲れたって」

 足もドロドロで気味が悪く、服は血と泥で汚れ、肌も微小な砂塵で覆われている。髪もこびりついた泥が固まって白くなっている。

 ここまで泥にまみれたのは中学時代の部活の試合以来、一年ぶりのことだ。

 早いところホテルに帰り、泥を落として着替えたい。

 とはいえ、戦闘が終わって一息ついたためか疲労感もかなり強く押し寄せてきている。

 こんなところで眠ってはいけないのだろうが、少しだけ休ませて欲しい。

「草薙さん。お身体のほうは大丈夫ですか? こんなに服もボロボロになっていて」

「それは大丈夫だよ。若雷神で治癒しているから。何度か腹に穴が開いたけど、それもふさがってるし」

「お腹に穴!? な、なぜそれで笑っていられるんです?」

「いや、それは、治ったし」

「治ったからいいという問題ではありません!」

 それは悲鳴のような声だった。

「一歩間違えば死んでいたかもしれないんですよ。それで平然としてるなんてどうかしています! というか、お腹に穴が開いていたら普通の人なら死んでいたんですからね! いくら治癒力が優れていたとしても、繰り返していけば必ず取り返しのつかないことになってしまいますよ!」

 一息でそのようにまくし立てた祐理の剣幕に、護堂は二の句が告げずに頷いた。頷いたが、あえて反論する。

「だけど……『まつろわぬ神』との戦いってのは、手の抜けるものではないし、怪我だってするんだ」

「結果的に怪我をしてしまうのと、怪我をすることを前提とするのとでは大きく違うではありませんか。わたしだって、カンピオーネがどれほど無茶な方たちか身に沁みてよくわかっていますし、あなたがどれほど無理を繰り返してきているかも存じています。そうしなければならないということも、わかっているんです。でも……それでも、怪我をして欲しくはないんです」

 祐理の言葉は不思議なほどに心に響いた。

 それは、それまでの叱りつけるような口調から一転して懇々と諭すような調子になったためか。心底心配をかけてしまっているということを実感させるものだった。

「すまなかった。気をつける」

 そこまで心配をかけてしまっては、それしか言うことができない。

 怪我をしてしまうのと、怪我を前提にすることは違う。それは当たり前のことでありながら、護堂の中から薄れていた感覚でもあった。

 普通の人間は進んで怪我をしようと思わない。もちろん護堂もそうだが、心のどこかでは怪我をすることを受け入れた上で戦いに臨んでいる自分がいた。

 『まつろわぬ神』との戦いを怪我程度ですますことができるのは御の字であると、生きていればいいのだと、そう考えてしまっていたのだ。

 なるほど、確かにそれは重大な勘違いだった。

 怪我をしてしまうことはあっても、怪我をして当然などということは絶対にないのだから。

 怪我というのはしないに越したことはないのだ。

 治るから大丈夫だとか、戦いだから仕方がないとかそういう次元の話ではなく、血を流し、痛みを感じるその意味をきちんと認識しなければならないのだと、目の前の少女は伝えてくれたのだ。

「ふう、先輩が無茶苦茶をするのは慣れっこですけどね。いつものことながら見ているこっちは気が気じゃないんです。……とりあえず、砂を落とさないといけないですね」

 晶は、どこからとってきたのか濡れタオルを持っていた。

「それ、どこから?」

「これですか? タオルは転移で、あと水はあそこの水道が生きていたのでお借りしました」

 そこから十メートルほどのところにある水道を指差す。

 水を撒くのに使うのだろうか、ホースも取り付けられていた。

 これだけの破壊の中でも生きているとはさすが日本の水道はレベルが高い。

「ということですので、拭きます」

「いや、待て。さすがにそれくらいは自分でできる!」

 砂を落とさなければいつまで経ってもざらざらとした不快感は消えないし、ホテルに戻ることもできないので、ここで落としていくことに否はない。しかし、そんなことまで彼女たちにしてもらうわけにはいかないのだ。偏に自尊心の問題だ。

「でも、先輩の疲弊は大変なものですし、こんなに血を……流して、るんですよ」

 晶が言うのは護堂の服のこと。白かったそれは、いまや赤黒く変色し、色が着いていないところなどどこにも存在していなかった。

 一目連の血は彼の消滅と共に消えた。つまり、このボロボロになり、もはや布屑で纏っている程度のシャツを染めているのは護堂の流した血だということだ。

 若雷神で傷はふさがった。しかし、もしも治癒能力がなければ、今ごろは上半身がズタズタに引き裂かれた状態になっていたということは容易に想像がついてしまう。

「ッ……」

 護堂はチクリとした痛みを二の腕に感じた。

 晶がその部位を握っていたのだが、あまりに強くしたためか、爪を立ててしまっていたのだ。

「お、おい。晶……お前、顔色悪いぞ?」

「……え、あ、何がです?」

「本当に大丈夫か? ずっと雨に打たれてたんだろ。俺は頑丈だけど、お前はそうも行かないし、身体を冷やしすぎたか?」

 カンピオーネは戦うための肉体をしている上に、『まつろわぬ神』と戦うときにはコンディションが最高になる。なので、こと戦闘前後に関していえば風邪などありえない。しかし、一少女である晶には神力に触れ続けることも雨の中に待機し続けることも非常に大きな負担となるのではないか。

「大丈夫です。すみません、ぼうっとしてました」

「そうか。ならいいんだけど」

 なぜか気を張っているような晶に拭いてもらうわけにもいかないし、泥がついているのは彼女たちも同じこと。男がいちいち丁寧にタオルでふき取ると思ってもらってはこの先同じことがあったときに困る。

 ということで、護堂は

「水道があるんなら、そこで十分だ」 

 と、立ち上がって水道に向かって歩き出した。

 都合のいいことにホースまでついているのだ。どうせ雨でずぶ濡れの今、水で思い切り洗い流したほうがスムーズであろう。

「ん?」

 蛇口に手をかけたとき、何か奇妙な感覚を首元に感じて振り返った。

 が、そこには何もない。

 祐理と晶がいて、破壊されつくした田が広がっているだけだった。

「なんだ……?」

 気のせいか、と気を取り直して護堂は蛇口を捻った。

 気味の悪い感覚だった。おそらくあれは第六感に作用したナニカだ。ザラザラとした固い布が首筋を這っているかのような感じだった。

 言うなれば、そう、それは蛇。

 しかし、それも一瞬のこと。

 それから何も起こらなかったこともあり、護堂はすぐにその感覚を忘れた。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 イタリアはナポリの地下空間に、それはあった。

 日の光など刺しようのない地下深く。

 開けた部屋の真ん中に黒々とした円柱が立っていた。

「へえ、これがさっき言ってたヘライオンか」

 円柱を見つめる人影は三つ。

 銀色のポニーテールを揺らす青い騎士は、《青銅黒十字》の大騎士リリアナ・クラニチャールだ。

「これをギリシャの地で発見し、この地に運んだのは今から数百年前のナポリの魔女たちなのです」

 説明をするのはディアナ。普段はこのナポリで古書店を経営する女性だが、その正体は《青銅黒十字》のナポリ支部でリーダーを務める優秀な魔女である。

 その証拠となるかどうかは疑問だが、彼女の見た目は非常に若い。リリアナが出会ってから実に九年の月日が経っているが、いまだに顔かたちに変化はない。若干肌艶が落ちてきているような気はしないでもなかったが、リリアナはここに来る途中でもその手の話でずいぶんとからかわれてきたので二度と蒸し返すようなことはないだろう。

 優秀な魔女は外見年齢を若く保つことができるということだけ押さえておけばよい。

「問題は、このヘライオンが今年の春ごろから呪力を蓄え始めたということなのです。これまではわたしたちが隠遁の魔術を編んで隠してきましたが------------」

 それも限界を迎えつつあるということだ。

 ヘライオンとはそのまま『ヘラのしるし』のことであり、同時に『ヘラの神域』を意味する。

 最も著名なものはサモス島のヘラの神殿で、紀元前八世紀から存在している。

 ヘラはギリシャ神話最大の地母神でありその名は貴婦人を意味する。

 ギリシャ先住民が崇めた大地の女神であり、その地に侵入したギリシャ人によってゼウスの正妻の地位を与えられたという。

「なるほどねえ。このままだと、どうなるのかな?」

「近く、溜め込んだ呪力が爆発することになる可能性もあります。そうなってはこのナポリの地脈にも多大な影響が出ることになるでしょう」

「ふーん……ゴルゴネイオンみたいなものだね。あの時はアテナが出てきたけど、今回はヘラでも出てきてくれるのかな」

「それは、わかりませんが。今、我々にできることはほとんどないのが現状でして、卿のお知恵を拝借したいということなのです。えと、よろしいでしょうか、サルバトーレ卿」

 ディアナの説明が聞こえているのかいないのか、サルバトーレと呼ばれた金髪の青年はヘライオンをじっくりと見て回っている。

 暗闇の中、足音だけが響いている。

 彼こそが六人目のカンピオーネ、剣の王たるサルバトーレ・ドニだ。鋼の如き肉体と、万物を両断する魔剣の権能を持ち、四年前にヴォバン侯爵のたくらみを挫いた張本人である。

「ん? 大丈夫、聞いている聞いてる。でも、どうしようか。ゴルゴネイオンのときみたいにポケットに入れて持ち歩くわけにも行かないしね。うーん。竜とか神とか出てきてくれるっていうから来たっていうのに、柱のお守なんか退屈じゃないか」

 などと言いながら、剣を抜く。

「卿! いったい何をなさるおつもりですか!?」

 リリアナが堪らず叫ぶが、サルバトーレはまったく意に介さない。

「言っただろ? 何も起こらないと面白くないんだ。だから、ちょっとだけ斬ってみようと思ってね」

「き、斬る!? ヘライオンをですか!?」

 お茶目にウィンクしているサルバトーレだが、その剣には信じられないくらいの呪力が宿り始めている。

 思えば、この男はアテナの完全体と戦いたいからといって、守るべきゴルゴネイオンをあっさりと渡してしまったという前科もあった。できるなら頼りたくはなかったのだが、自国のカンピオーネを差し置いて他の王を頼るわけにもいかない。

 斬る。この男は斬るといったら例外なく斬る男だ。たとえナポリが歴史から姿を消そうとも剣を止めることはない。そういう男だ。

「ま…」

 もはや息もできないくらいに濃密な呪力の中、喘ぐように出す声も、相手に届くほどにはならない。

 が、しかし。

「え……?」

 その呪力が一瞬にして霧散した。

 何が起こったのか、サルバトーレは剣を降ろして鞘にしまいこんでいたのだ。

「サルバトーレ卿? いったい……」

「うん。気が変わったよ。どうせ放っておいても何か起こるんだ。なら放っておいてもいいよね」

「え、いや。決して放っておいていいというわけではありませんが……」

 斬られなかったのは僥倖だが、放って置かれるのも決してよいことではない。

 とは言っても呪術の知識のないサルバトーレに頼ったのがミスだったのかもしれない。

「とりあえず僕はバカンスに戻るとするよ。せっかくだからちょっと遠くに行くのもいいかもしれないね」

 などと言いながら、サルバトーレは階段を上がっていく。

「ちょ、ちょっと卿! お待ちください。何故ですか! バカンスっていったいどちらに……卿!」

 リリアナの叫びをその背に受けて、サルバトーレは一切振り返ることなく去っていってしまった。

 それから二時間後、彼の腹心たる騎士になんとか連絡をつけたものの、その騎士ですらサルバトーレの居場所はわからなかった。

 完全にお手上げの状態のまま、リリアナは呆然と立ち尽くした。


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