カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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三十四話

「やってくれたな、アイツめ……」

 緑色の閃光が空高くのぼっていくのを護堂は路上から見ていた。

 サルバトーレが銀の腕で振るった魔剣が斬り捨てたヘライオンは、膨大な呪力を放出した。溜め込まれていた大地の呪力は、天井を打ち抜いてそのまま天まで駆け抜けていったのだった。

 貴重な地下神殿は岩盤の崩落とともに失われた。護堂は、降り注ぐ岩塊から自身と仲間を守るために、すばやく土雷神を発動して土中を雷速で移動したのだ。三人を連れて地上に出るのも、実際には一秒にも満たない時間でしかなく、気がつけば地上にいたというのがリリアナたちの感想だった。

「怪我がないから一先ずはよしとしようか」

 護堂は三人の様子を確認すると、腰に手を当てて逸らした。背骨が音を立てる。

 呪力の柱は次第に細くなっていき、やがて消えた。

 道行く人々は、一体何が起こったのかと足を止めて、その光景に見入っていた。

 初めは爆弾が爆発したのではないかと大騒ぎだったのに、それが不可思議な光景であっても、直接自分に害がないと分かると、一転して野次馬に代わる。

「あとは、あれをどうやって始末するのか、ということだな」

 緑色の光は、完全に消えたわけではなかった。

 あれは呼び水のようなもので、膨大な呪力はナポリの精気が凝り固まったものだ。それが解き放たれれば、ナポリの地脈に還っていくのが道理である。とはいえ、風呂の栓を抜いたからといって湯が一瞬にして下水道に流れていくわけではないように、限界にまで溜め込まれた呪力は自然が再吸収するには容量過多であり、地脈に還るには時間がかかる。余剰呪力は空高くたゆたい、互いにひきつけあって、この世に留まるために最も効率のよい姿を象る。

 大地の精が姿を得るのであれば、それは竜であるのが望ましい。

「二次災害の発生だな。神獣が出てきたみたいだ」

「あああ、そんな、このままではナポリが……」

 悲痛な面持ちのリリアナが呆然と空を見ている。

 ゆったりと羽を羽ばたかせて空を舞うドラゴンがいる。緑色の表皮は、吹き上がった呪力と同じ色合いで、爪も牙も野性味溢れる雄雄しさを感じさせる。

「ドラゴン。やっぱり、日本に現れるのとは形状が違いますね。そんなところまでお国柄が出るんでしょうか?」

「面白いこというな、晶。つまり、召喚される場所によって形状が変わるってことか」

「こういう事態はとても珍しいんですけど。『まつろわぬ神』が地上の神話を核にして降臨するならば、神獣も人々の思想の影響は当然受けますし。あれが竜なのも、竜が大地と深い結びつきを持っているからですからね」

「ふうん……」

 竜は、人々の視線を一身に受けても平然とナポリの上空を飛んでいる。

 あの竜にどれほどの知性があるのかわからないものの、もしかしたら母に等しいナポリに愛着があるのかもしれない。先ほどから鳶のように輪を描いて飛んでいるだけで、街に攻撃を仕掛けてくる気配はない。

「あの、草薙さん。サルバトーレ卿はどうされましたか?」

 隣にいた祐理が思い出したかのように尋ねてきた。

「いや、分からないけど、多分元気にしているだろ。瓦礫に潰された程度で死ぬ男じゃないからな」

 サルバトーレ・ドニの持つ『鋼の加護(マン・オブ・スチール)』は文字通り肉体の強度を鋼のそれに変える。あらゆる攻撃を無効化する鉄壁は、例えるならば移動要塞といったところだろうか。何れにせよ権能を用いた攻撃にすら耐えるサルバトーレがただの崩落で命を落とすはずがない。

「サルバトーレ卿なら、あそこにいらっしゃいますけど?」

「何?」

 晶が指差すのは五百メートルほど離れた波止場。

 白い石の上に、陽気な金髪が剣を抜いて立っていた。

 護堂に気づいた様子はない。それよりも、彼の視線は上空にいる竜に向けられている。

 ----------------竜を殺すつもりだ。

 真っ先に勘付いたのはリリアナだった。

「ま、まずい! あの竜は迂闊に殺してはいけない!」

 神獣にもいくつか種類がある。大別するならば、神やカンピオーネが操る権能として召喚された神獣と、自然発生した神獣だ。前者は戦い、敵を屠るためのものであるから、戦闘能力が高い。一方後者は偶発的な発生なので戦闘特化とは言いがたい。倒しやすいのは言うまでもなく、こちらのほうだ。

 今回現れた竜は、ナポリの大地が産み落とした神獣である。

 討伐するには呪術師数十人がかりで数日かかるくらいに強いものの、カンピオーネにかかれば一撃で終わる命だ。

「あ、あれはナポリの精気が固まってできたもの。それを迂闊に討ってしまえば、この街が終わってしまうかもしれない」

「終わる?」

「ああ、終わる。土地が枯れるんだ。木々が枯れて海から魚がいなくなる。そんな状態に陥る可能性がある」

 震える声で語るリリアナには、都市としての命脈を絶たれたナポリの姿が見えているのかもしれない。

「そりゃ、困るな」

「こ、困るどころの話ではありません!」

 興味なさそうに言う護堂にリリアナは食って掛かった。現地人と外国人の差異であり、呪術師とそうでない者の危機感の違いだった。

 そうしている間にも、サルバトーレは呪力を高めている。上空の竜も自分に武器を向ける敵の存在に勘付いたようで、その動きに変化を生じさせている。

 あのまま戦えば竜の敗北は必至。しかたない、と護堂は土雷神を使おうと呪力を練ったとき、

「あ……」

 先制攻撃は竜のほうだった。そして、こともあろうに、それで戦いは終わった。

 跡に残されたのは粟立つ海だけ。

 竜に気をとられていたサルバトーレは、竜が起こした大波によって攫われてナポリから消えてしまったのだ。

「アイツ、アホだろ……」

 思わず護堂は声に出してしまった。

「サルバトーレ卿は呪術戦闘のセンスが著しく欠けていらっしゃいますから……」

「たしか、呪力を溜め込めない体質で、術が一切使えないのだとか。カンピオーネになられた今は違うと思いますけど」

「その通りだ、万里谷祐理。カンピオーネとなり、莫大な呪力を手にされはしたが、剣一筋の生き方は変わっていない。あの方は、呪術による搦め手を力技で斬り伏せるタイプだ」

「ああ、だから、とりあえず攻撃は受けてみるまで察知できないってことか」

 呪術で生み出された大波であれば無効化もできたかもしれないが、今回は元々あった自然の波を大波にしただけのもの。カンピオーネの呪術に対する耐性も効果を発揮することはない。

 サルバトーレは海に消えた。

 とすると、残る問題は竜----------------ではなく、飛来する白い彗星のほうだろう。

 突如現れた白い光は、一秒にも満たない接触でその首を深々と抉ってしまった。

 鮮血を噴出して苦悶の咆哮を上げる竜。

「な!?」

 驚かなかったのは、この展開を知っている護堂だけだった。

 その護堂も直接あの動きを見たときから表情を硬くしている。

「あ、あれは、まさか!?」

「神様の類だろうな。力が漲ってくるから間違いない」

 カンピオーネ特有の『まつろわぬ神』が付近にいるときに体調が最高になる特異体質。それが、あの光が神のものであることを告げていた。

 『まつろわぬ神』が現れたとあっては、カンピオーネである草薙護堂が出て行くしかない。

 しかし、護堂は行動しない。上空で竜が切り刻まれている様子を観察しているだけだ。

「あの、先輩?」

「なんだ、晶」

「いや、神様が目の前にいるのに、向かっていかないのも珍しいなあと思って……」

「お前は俺をどこぞの戦闘狂と同一視してんか!?」

 サルバトーレと同じような扱いは遠慮したい。

「ああう、ごめんなさい。でもこのままだとナポリの竜が死んでしまいます、と思ったり……」

「そりゃ、分かっているけどさ」

 分かっているが、迂闊には動けない。

 なぜならば、ここにはペルセウス以外にももう一柱の神が現れる予定なのだから。

 すなわち、まつろわぬアテナ。

 原作において特に重要な位置付けをされる女神だ。

 本来は原作一巻のボスであり、その後も幾度となく護堂と敵対したり共闘したりと関わっていく女神なのだ。

 今の段階では春休みにサルバトーレと戦わなかったことからゴルゴネイオンフラグが立たず、アテナはここイタリアの地でサルバトーレと戦い、引き分けたと聞いている。

 死んでいないのであれば、ここに現れる可能性も高い。

 なにせ、逆縁が大好きで、竜を苛めているヤツに敵対する性質なのだから。

 とりあえず、アテナには来てもらわないと困る。

 あの竜を正しく始末できるのは、アテナ以外にいない。

 だというのに、

「来ねえ……」

 いつまで経ってもアテナが来なかった。

 これは、もう原作と違う流れになっているのだろうか。

 護堂は内心で焦り始めていた。上空の戦闘は、ペルセウス優勢。いや、もうここまで来たらあれがペルセウスかどうかも怪しいところ。とにかく、竜はひたすらその身を削られる一方で満足な反撃すらもできないでいる。

 竜がアテナに吸収されずに斬り殺されてしまえば、ナポリは終わる。

 ギリ、と奥歯を噛み締める護堂。まったくもって予定通りにことが運ばない。

 白い彗星が竜の腹部とぶつかり、爆ぜた---------------ように見えた。 

 今の一撃がよほど効いたのか、竜はそのまま落下していく。

 為すすべなく、地響きを立てて埠頭に落ちた。

 力なく横たわる竜に、最期の一刀を浴びせかけようと急降下する光。

「ああ、もう!」

 地団太を踏むような、そんな憤りを持って、護堂は雷になった。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 ナポリから東へおよそ九キロメートルのところにその巨体は鎮座していた。

 遥か古代からその威容を人々に見せ付けてきた火山の名をヴェスヴィオ火山という。

 その中腹、普段人間が立ち入ることのない場所に、白い衣服に身を包んだ青年が立っている。

 もちろん、人間などではない。姿形こそ、人のそれと酷似しているが、根本的に人間とは異なる存在だ。人の紡ぎだす物語を核として生まれ出でる彼らを呪術者たちは『まつろわぬ神』と呼ぶ。

 人類の物語がなくては生まれることがないにもかかわらず、人類では決して手の届かない高みにいる英雄豪傑にして神なのである。

 この精悍な顔立ちの青年もまた、神話か物語に語られる神、もしくは英傑であるのだろう。

「ほう、これはまた興味深い」

 彼の視力は常人のものを遥かに上回る。弓の名手でもあるから当然のこと。海と人が築いた街を見ることができた。その街から立ち上る水と大地の呪力の柱。まるでこのヴェスヴィオ火山の噴火のように荒々しく、雲にまで届かんとしている様は、圧巻の一言に尽きる。

「ふむ。水と大地の呪力、となると次はあれか」

 彼は無造作に己の神力を解き放った。《鋼》の性質を持つ彼の呪力に、大地の呪力が反応し、形を作る。

 長い胴体に強靭な四肢。コウモリの如き翼を生やす神話の生物。

 竜である。

 人々を恐怖のどん底に突き落とし、災厄を撒き散らす悪であり、己のような英雄によって討伐されるべき存在。

「ふふふ。そうこなくては面白くない」

 戦の神にして英雄。大地の精の討伐者である自分の相手を努めるには最適だ。

 とりあえず、敵がいればいい。乗り越える試練の数だけ生きがいも増えるというものだ。

 後は、救い出すべき乙女がいれば文句ないのだが、それは高望みが過ぎよう。

「ああ、名乗りを決めておかねばならぬな。複数の名を持つというのも面倒でいかん。もっとも、名の数だけ名誉があるということでもあるが。……ふむ、よし決めたぞ」

 そして青年は戦いに赴く戦士の笑みを浮かべて光となった。

 向かう先は人間達がナポリと呼ぶ大都市。

 その上空を飛ぶ悪竜を討ち果たし、意気揚々と凱旋するために。

 

 

 戦闘は実にあっけない。

 まずは出会い頭に一太刀を浴びせかけた。

 竜は愚直な直線攻撃にすら対応できず、首を斬られた。

 腕、胴体、翼と瞬く間に傷だらけになってしまう竜。戦闘開始からそう時間も経たずに終わりが見えてくる。

 もとよりこの身は竜殺しの英雄。竜退治は宿命のようなものとはいえ、こうもあっけないとそれはそれで戦い甲斐がない。

 神獣としてではなく、『まつろわぬ神』として顕現した竜であれば---------------例えば、ヘラクレスの宿敵ヒュドラであったり、ジークフリートの大敵ファブニールなどがそうだ。彼らほどの強敵であれば、これほどあっさりと勝敗を決することもないだろうが。

 心の海に浮かび上がる落胆の念を、まあよいかとあっさり斬り捨てた。

「英雄たる者、瑣事にこだわっては度量が知れよう。あの竜が我が敵にそぐわないのであれば、新たな敵を探すのみ!」

 とりあえず、竜を屠る。その後のことはそれから決める。

 まつろわぬ身だ。世界を漂泊し、異国の神々や当代の神殺しと剣を交えるのも一興である。むしろ、それこそ自分がなすべきことではないか。

 そう心に決めたからには、迷いはない。

 埠頭に落ちた竜を一刀両断すべく、剣を掲げて急降下する。

 白い彗星へと変じた彼に、竜は抵抗もできずに頸を落とされる。それ以外の未来があるとするならば、それは、この竜を上回る敵手が妨害に出る他にない。

「ぬ!?」

 彼がそれに気づき、加えて対応することができたのは類まれなる戦闘センスによるものだ。

 竜を目掛けて落ちる自分の身体に向かって、飛んでくる何か。それが、己を害するだけの力があると本能で察して、迎撃を行ったのだ。

 音速を上回る速度での飛行にもかかわらず、身を捻って右手の剛剣を振るう。

「ぬう、あ!」

 気炎を吐いて振るった剣が、中空で火花を散らした。

「これは、槍か」

 弾き返した乱入者は、鋼色に輝く無骨な一本の槍だ。

 力を失い、海に落ちていく途中で霧散した。その力は、権能と見ていいだろう。

 眼下に見える傷ついた竜。その竜をまるで庇うように立つ少年を見て、力が湧きあがってくるのを感じる。

 ここに来て、ツキが巡ってきた。

 あれは、我等《鋼》の仇敵に他ならない。

 乗り越えるべき壁である。

 であれば、正面から挑んで然るべき。

「何ゆえにその竜を庇うのだ、神殺しの少年よ?」

 とりあえずは、湧き出た疑問を問いかけた。

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 なるほど、外見はペルセウスだな。

 護堂は空から現れた白い青年を見てとりあえず安堵した。これで、ペルセウス以外の神格が現れていたらそれはそれで困ったことになったからだ。

「何ゆえにその竜を庇うのだ、神殺しの少年よ?」

 現れた神の問いかけは純粋な興味から来たもののようだ。

「何ゆえって。この竜を倒されたら困る人がいる。それだけだ」

「なるほど。ただそれだけの理由で、この私の獲物を奪うつもりかね」

「あんたも人の生活を守る英雄なんだろ? そのあたり考えようぜ」

「ふむ。確かに私は民草を苦しめる悪竜を屠り英雄となった身。ゆえにこそ、その竜を討つことは私が私であるために必要なことなのだよ。まあ、許せ、少年」

 民を守るために竜を討ったわけではない。竜を討った結果として民を守った。前提からしてこの男は常識の範疇にいなかったということか。その思考はサルバトーレのそれに似ている。

 もしかしたら、神代の神殺しだったんじゃないか、と意味のないことを考えてしまう護堂。

「チィ……そうかよ」

 もともと言葉でどうにかなる相手とも思っていない。彼らにとって人間の生活など、己の武勲よりも価値が下だ。気にする筈もなかった。

 だとすれば、戦うしかない。

「一つ聞かせろ。竜殺しの英雄。あんたの名前はペルセウスでいいか?」

 すると、ペルセウスは一瞬だけ眼を大きく開いて、笑みを膨らませた。

「驚いたな、いかにして我が名を知りえたんだ。少年よ。それも君の権能かね? ますます持って興味深いな」

「力ずくで聞いてみればいい。あんたにできるならな」

「では、そうしよう」

 ペルセウスが豪刀を構えた。

 刃渡り一メートルはあろうかという分厚く反りの入った剣だ。

 神速の踏み込みをどう受け止めるか。そこを思案していたとき、一つ、この場にそぐわない可憐な声が割り込んできた。

「まあ、待て。そこで戦ってはこの子を巻き込んでしまうだろう」

 いつ現れたのか、そこには十代前半と思しい少女がいた。

 月を溶かしこんだかのような銀色の髪。

 夜闇を凝縮したかのような黒い瞳。

 なぜか、ニット帽を被っている、見間違えようのないその容貌。

 まつろわぬアテナ。

 文字でしか語られなかった女王としての貫禄というものを、護堂は全身で受け止めていた。

 間違いなく、この神は強い。理屈を抜きにしてそう感じることができた。

 やってきたアテナは胡乱げにペルセウスと護堂を眺めると、徐に護堂の側、より正確にはその背後に横たわる竜の下に歩み寄った。

「英雄ともあろう者が、たかだか神獣を甚振って得意がるとは嘆かわしいことよな」

 アテナは傷つき、瀕死の重傷を負った竜を見下ろして、慈愛の表情を浮かべた。

 そして、母が子にそうするようにその頭を撫で、なにやら呟くと、竜はその身を解いて呪力へと戻り、アテナに吸収されていった。 

 一先ず、竜の死によるナポリの滅亡は回避された形になり、護堂はほっと息を吐いた。

 それでも、厄介な問題が一つ片付いただけだ。気を緩めるわけにはいかない。

 竜を取り込んだアテナが次に視線を向けたのは護堂だった。

「この国にいたのは忌々しい剣使いの神殺しのはず。……あなたは何者だ? 異国の神殺しがなぜここにいる?」

「それは、なんででしょうね」

 サルバトーレが流されたり、アテナが来るのがもう少し早ければ表舞台に上がる必要性はまったくなかったのだ。強いて言うならアイツとオマエのせいである。

 そんな答えとも呼べない曖昧模糊とした返答に、女神は対して気分を害された様子も見せなかった。

「ふむ。どういう経緯かは知らぬが、我が子をあなたが死守しようとしていたことはわかった。そこだけは礼を言おう」

 雰囲気としては、護堂に好意的。少なくともペルセウスよりもいい。とはいえ、相手は神様だ。神殺しの護堂とは根本的に相容れないだろう。このアテナが今、護堂とペルセウスのどちらを相手にするかでこの戦局は大きく変わる。

「さて、古の蛇の女王に当代の神殺し。ふふ、これは本当に面白くなってきましたな」

「妾をアテナと知り、なお、微笑むか。それであれば、あなたの真名も予想がつくが」

「ふ、かつてメドゥサと呼ばれた御身には忘れがたい名でありましょうな。いかがでしょう、ここで神代の恥辱を雪ぐというのは?」

 人好きのする笑みを浮かべてペルセウスはアテナを誘う。

 メドゥサとしての相を持つアテナにとって、彼は天敵に等しい存在なのだ。

 奇妙なことに、メドゥサ退治でペルセウスの最大の庇護者がアテナだっということもあり、この二柱は神代のころから続く逆縁の担い手として互いを認識していることだろう。

 しめた、と護堂は心の中でほくそ笑む。

 ここでこの二人が戦ってくれるのならば御の字である。自分は悠々とナポリに帰還して、後は神様同士の戦いを観戦しつつ、被害が街に及ばないように気をつけるだけでいい。

 そう考えていたところで、アテナが口を開く。

「……なるほど、確かに、それも一興。だが、ここにいる神殺しに不意を打たれんとも限らぬ。安い挑発には乗らぬよ」

「ほう、では如何様に?」

「まずはあなた達で決着をつけるとよい。このアテナ。英傑の戦いを邪魔だてするような振る舞いはせぬ」

 ここに来て、事あるごとに英雄に手を貸してきた女神の相が出現してしまった。

「ま、まてよ。話の流れがおかしくはないか? あんたたちは宿敵同士なんだろ? なんでこっちに回ってくる」

「何を言う。宿敵というのなら、真っ先に君が挙がるではないか」

「その通りだ、異国の神殺しよ。古来より《鋼》の軍勢と魔王どもは殺しあってきた仲だ。その縁は神代まで遡っても消えはせぬ」

 知ってた。でも、それはペルセウスの台詞だったような気がする。

「なによりも、先に手を出したのは君だろう?」

「ぐぅ……」

 そこを突かれると。どうやっても言い逃れができない。確かに、竜を殺そうとしたペルセウスに槍を投げつけたのは他ならぬ護堂である。真に不本意ながら開戦の火蓋を開いたのは、この中で最も戦いたくないと思っていた護堂だったわけである。

 今なら山本五十六の気持ちが分からなくもない。

「俺のほうにはこれ以上戦う理由がないんだけど」

「理由ならばあるではないか。ここに私がいて、そこに君がいる。それ以上の理由はあるまい」

「そんな山があるから登るみたいに殺し合いを語るんじゃねえ!」

 あまりの言い草に護堂はつっこんだ。

 ペルセウスだけでも強敵だというのに、アテナまでいる。しかもこの空気は味方になってくれそうにいない。

 弱った。アテナフラグがないだけで、ここまで戦局が変わってくるか。基本的に一対一。ただし、状況次第では二対一もありえる。

「ペルセウスのほうはやる気満々って感じだけど、まさかアテナまで加わって挟み撃ちなんてことはしないだろうな?」

「無論だ少年。そのような手段はとらんよ」

「とはいえ、勝った後に連続して神様と戦うのは気骨が折れるんだけどな」

 護堂の言葉に、ペルセウスは不快そうに顔をゆがめた。

「今から勝利後の心配をするとはな。聊かこの私を甘く見ていないかね」

「まさか。でも、神様二柱が敵側にいると思っただけで、圧迫感はあるね。俺はあんたと違って小心者なんだよ。なし崩し的に死闘を演じることはできそうにないんだ」

「ならば、どうする?」

「時間が要るな。せめて二日。いきなり決闘というのは面白みがない。俺のほうも準備ができていないんでね。ここで戦うのは二日後の夜にしよう」

 それだけの提案ではまだ、弱い。

 この二柱が戦いの神であることを利用する。

「この国にはもう一人の神殺しがいる。そこの女神様とも因縁のあるヤツだ」

 この言葉に、成り行きを見守っていたアテナも眉尻を動かした。

 戦を生業とする英雄も明らかに興味を示す。

「ほう。……続けたまえ」

「なんということはない。そっちに神様が二人いるのなら、こっちに神殺しが二人いてもいいだろう? そうすれば、文句なしの一対一ができる。言い訳無用のガチンコ勝負だ」

「ふむ……」

 頤に指を当てて思案するペルセウス。

「まあ、あんたたちが弱った神殺しに勝って武勲だと言い張れるのなら話は別だけどな。特に後から戦おうとするアテナは----------------」

「そこまでにせよ、神殺し。よもや、あなたはこの戦神たる妾を卑怯な振る舞いで勝利を盗むハゲタカの如き者と同列だとでも言うつもりか?」

 そこまで言うつもりはなかったのだが、アテナにはそのように聞こえたらしい。気位が高すぎやしないだろうか。

「そこまで言うのであれば、あなたの要求を呑もうではないか。ここにあの剣士を連れてくるのであれば、以前の借りも返せるというものだ」

「そういうことであれば、私も一端引いておこう。……少年、なかなかに見事な策謀だな!」

 アテナの判断に従うペルセウス。

 笑いかけるペルセウスの目は、逃げるなよ、と言外の圧力をかけてくる。

 逃げてもいいけど、格好がつかないから逃げられないかな。

「ああ、やってやるよ……」

 人ならざる手法で消えていく、二柱を見送って、護堂は呟いた。

 二日後の夜。ここにサルバトーレをつれてくる。そのためのプランを練らなければならない。

 まず、漂流しているサルバトーレを引き上げることから始めないといけないことを思い出し、ため息を吐いた。


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