カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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四十一話

「何かありましたか?」 

 夕食の席で、リリアナは護堂に尋ねた。

 というのも、リリアナ以外の三人の雰囲気がおかしいと思われたからだ。会話や視線に、不自然なぎこちなさがある。これはいったいどういうことだろう、と。

「いや、なんでもない。気にしないでくれ」

 と、護堂はフォークでサーモンのムニエルを突きながら言う。

「そうですか」

 護堂がそう言うのなら、リリアナにはそれ以上踏み込む理由がない。他者の内面にまで踏み込むのは、騎士にあるまじき行いだ。まして、護堂は立場上は目上の人物だ。いかに、その人柄が温厚であっても、そのことに甘えて不敬な行為に走るわけにはいかない。

 リリアナは俯きがちの晶を盗み見た。リリアナの視線には気づかないのか、晶は、祐理や護堂のほうをそれとなく見ている。眼を合わせないようにしているのは、どうにも羞恥心から来ているようだ。

 一体何が起こったのだろう、と好奇心が刺激された。

 リリアナの視点から見る限り、どう考えても高橋晶は草薙護堂に好意を抱いている。そして、万里谷祐理もまた然り。そして晶は今、祐理と護堂をいつも以上に意識している。そういえば、昼食時に晶は一時間ほど護堂の部屋を訪れたっきり音信不通になっていたと聞いた。そこで、何かあったに違いない。

 そう、例えば、晶が護堂の部屋を訪れたときに。

『せ、先輩。何をするんですか?』

『何を? ふふ、わかっているだろう? それとも、わからないふりをしているのか?』

 護堂に抱きかかえられた晶は、そのままベッドに押し倒される。

『イタリアにまで付いてきて、無防備に男の部屋に入る。襲うなと言うほうが無理がある。それに、お前も期待してたんだろう』

『ち、ちがッ。わたし、別にそんなんじゃ……』

『嫌なら抵抗してもいい。本気で嫌がる女の子に手を出すのは趣味じゃないからな。そのときは、もうお前に手を出さないと約束しよう』

『そ、そんなこと言っても』

 晶は逡巡してしまう。もう手を出さないということは、今を逃せば、胸に秘める恋慕の情を告げることができないということではないか。その一瞬の停滞を肯定と受け取った護堂は、晶の唇を強引に――――――いや、待て。

 リリアナはそこで一旦自制する。

 それでは祐理と晶の様子の説明がつかない。晶は明らかに祐理の機嫌を伺っている。とすると、晶の側に非がある可能性が高い。

 そう考えると、展開としてはこうなるのではないか。

『せーんぱい』

『うお!?』

 晶が護堂の背中に抱きついた。護堂の部屋だから、人目をはばかる必要もない。

『どうしたんだ、晶』

『なんでしょう。慣れないイタリア生活で、やすらぎが欲しくなったのかもしれません』

 人のいい護堂は、晶を叱ることもしない。だが、晶はここで、護堂を力いっぱいベッドに押し倒し、馬乗りになる。そして、頬を胸元によせて、囁きかけるのだ。

『ねえ、先輩』

『な、なんだ?』

『ふふ、知っていますか。今、万里谷先輩も《青銅黒十字》の方々も出払っているんですよ。それに、このホテルは貸切。今なら、誰の邪魔も入りませんよ』

 そして、晶が護堂のシャツに手をかけたところで、祐理が乱入してくる。

『晶さん! いったい誰の許しを得てそのような不埒な行為に及んでいるのですか!?』

 祐理の剣幕と、不埒な行為に及ぼうとしたという事実から、晶は祐理に主導権を奪われてしまうのだ。

 これだッ!

 リリアナの目が輝いた。

 試行開始から結論に至るまで、僅か二秒弱。リリアナの妄想力を以ってすれば台詞つきシチュエーションを二秒の間に二パターン用意するのも造作ないことだ。

 少々自分の好みとは逆方向であるが、今重要なのは己の作品ではなく、護堂と二人の少女の関係だ。

 それに、たまには別の方向性を模索するのもありだ。一回別道に逸れた後で、またいつもの----------------男性が主導権を握ってしまうストーリー展開を見直すことも重要だと思う。ここのところ、趣味の小説執筆で煮詰まり、展開がマンネリになってきたところだったので、これはいい刺激になる。

「リリアナさん。どうかした?」

「え? あ、ああ、なんでもないです」

 リリアナは、妄想にふけっていたことを察知されたのかと思い、赤面した。

 リリアナの妄想時間は二、三秒と非常に短かったので、気づくことなど不可能に近く、護堂も、リリアナが晶を眺めていることを不審に思っただけで妄想云々に気づいたわけではなかった。しかし、リリアナには妄想をしていたという自覚があるため、羞恥心を刺激される結果となったのだ。

 

 

 

「それで、確認したいんだけど、サルバトーレとの決闘に選んだ場所は人気がないんだよね?」

 護堂の問いに、リリアナは大きく頷いた。自信満々といった様子だ。

「はい。ご指示の下で用意させていただいた場所は、クラニチャール家の別荘が建つところ。いわば我が家の私有地なのです。ですから、カンピオーネのお二人が戦っても、誰かの迷惑になることはありません」

「そう、か。それはありがたいけど。別荘なんだよな。それ、壊れても大丈夫か?」

「問題ありません。ここ数年は一度も使っていませんでしたから。それに、カンピオーネの決闘の場を提供し、その証人になることができるというのは名誉なことです」

 リリアナを決闘の証人にするのは、《青銅黒十字》の立場を思ってのことだ。今回の一件で、《青銅黒十字》は護堂に深入りしすぎた嫌いがある。イタリア国内に根を張る組織として、サルバトーレとの関係も重要なため、あくまでも中立なのだということを表すべく証人の立場をとった。

 予定としては、護堂の介添え役を晶が、サルバトーレの介添え役をアンドレア・リベラがすることになっている。

 一応、騎士の流儀にできるだけあわせてみた。これは、酔狂でやっているのではなく、ナポリで決闘しようなどと言い出されないように、相手を乗せる方便だ。

 エリカが、事前にアンドレアと図ってくれたおかげで、サルバトーレはあっさりとこの案を受諾した。今は、このナポリのどこかで、ペルセウスとの戦いの時の消耗を回復しつつ、剣を研いでいることだろう。

 怪我らしい怪我がなかったから、もしかすると護堂よりも早く戦える状態に復したかも知れなかった。

 サルバトーレを倒すのは非常に難しい。どれほど楽観的に考えても、簡単に勝てる相手ではないということが分かってしまう。かといって逃げたり、適当に誤魔化したりして素通りできるほどバカな相手でもない。それが厄介だ。あの男は、こと戦闘に関しては天性の勘がある。それは、カンピオーネ全般に言えることでもあるが、現存するカンピオーネの中でも純粋無垢な戦士はサルバトーレだけだし、その点からしても事戦いで誤魔化しの通じる相手ではないと思えた。

 サルバトーレの権能は、『斬り裂く銀の腕(シルバー・アーム・ザ・リッパー)』と『鋼の加護(マン・オブ・スチール)』の二つに注意していればいい。後二つ権能を持っているはずだが、そのうち一つは周囲の文明を中世レベルにまで引き下げるもので、戦闘には関わりがない。強いて言えば晶の得意とする銃火器が封じられる程度だ。もう一つは彼の隠し玉と思われるが、誰も正体を知らないので警戒のしようがない。

 今、護堂のすべきことは、サルバトーレが戦闘で頼みとする二つの権能について思索することだけであり、それ以外のことは余分な思考だと感じられた。

 草薙護堂はサルバトーレとの戦いを忌諱していない。むしろ楽しみですらある。おそらく敵もそうだろう。サルバトーレとの戦いは、護堂が自分から言い出したものだ。そのため、これまでの戦いのように、巻き込まれて、仕方なく(と、護堂は思っている)関わった戦闘ではなく、自らの意思で戦いに赴くという意識が強かった。

「それじゃ、俺は部屋に戻る。今からでも明日に備えないと」

「そうですね。それがいいと思います。戦士たる者、体調管理も怠ってはなりませんからね」

 リリアナがそう言うと、護堂はおやすみ、と言ってレストランを後にした。

 

 残された少女たちは、護堂を見送ってから互いに顔を見合わせた。

「なんか、ピリピリしてましたね。先輩」

「ええ、どうにも気を張っているような。それでいて、自然体ですし」

「それはそうだ。彼は生まれながらにして戦士なのだから、戦の前に精神を集中するのは当然だ」

「つまり、今の先輩は、すでに心が戦場にあるということですね。珍しい」

 護堂のこれまでの戦いには、必ずと言ってよいほどに、背負っているものがあった。それは、時に人命であり、時に建造物であり、時に信頼や良心のような他者との関わりで生じる精神活動であったりした。もちろん、それは十分に戦う理由になるのだが、カンピオーネの本能は、人よりも獣に近いと表現されるのだ。そのありかたを追求するのであれば、戦う理由を他者に依存する時点で、足枷をつけているようなものだと晶には思えていた。

「先輩は自分から戦うことを決めた。舞台となるガルダ湖の周囲に人気はないから、存分に力を振るえると内心で喜んでいるのかもしれないですね」

「ふーむ。男性はやはり自分の力を最大限に発揮できる環境を求めるのだろうか?」

 呟くリリアナは、自分の唇を人差し指で触れるようにしている。独り言ではあるが、同時に他者に意見を求めるような言い回しだった。

「男性だからとか、そういうのは関係ないのではないでしょうか? 最近は、女性もキャリア志向が強い人も多いと聞きますし」

「ようは、社会とか、育ってきた環境の問題では? ただ、カンピオーネになると、そこらの常識に当てはめるのはダメでしょうけど」

「うん、確かにそうだな。生まれ育った環境でカンピオーネになるなど、ありえないわけだしな。それでいて、彼らの精神性には似通ったところがある。まるで、魂というか本質というか、それくらい深いところでつながっているかのようだ。カンピオーネになるには、肉体面よりも魂、精神面に因るところが大きいのだろうな」

「魂、だとすると、カンピオーネになるかならないかは、生まれる前から決まっているのかもしれないですね。まあ、魂というのがあるかどうかは別として」

 そして、晶はグラスを傾けて水を飲んだ。 

 ホテルが用意したミネラルウォーターだ。水道水はとても飲めたものではない。イタリアの水は硬水で、日本の水とは違いすぎる。イタリアに来た初日に、シャワーの水がゴワゴワしていると感じられた。水道水も硬いと思えるほどで、ポットで湯を沸かしたら底にカルシウムが沈殿していた。それは、家で花火をしたときの、燃え残ったろうそくの跡を思い出させた。そんな具合で、水道水を飲料水として利用することは無理だった。

 もっとも、世界で一番やわらかいミネラルウォーターを産出するのもイタリアなのだが。

 イタリアで初めて硬水を口にして、苦手意識を持ってしまったから、晶は、水を買う時に必ず軟水を買うようにしていた。

 今、晶たちが口にしているのも、軟水だった。

 晶は、冷たい氷水が、胃に届き、身体に吸い込まれるのを感じる。

「でも、まあ、これでやっと先輩は王として戦うことに目覚めたわけですから、いいことですね」

 晶は、戦う護堂を肯定する。

 晶には晶の、理想像がある。無論、それを護堂に押し付けることは絶対にないが、今の護堂の状態は、彼女が求めるものに近い。闘争を是としつつも、己の持ちうる力を理性的に振るう王。一度事があれば、死力を尽くして敵を撃滅する魔王。強い自己を持ち、それを貫く姿は、晶の中で理想化されている。

「戦うことがいいなんて、そんなことはないはずです。戦うということは傷つくということですよ」

 と、反論するのは祐理だった。晶を咎めるような視線を投げかけている。

「それでも、わたしは先輩に戦える人であってほしい。だって、カンピオーネは自然と騒乱に巻き込まれる性質なんだって、この数ヶ月で実感しましたから」

 たとえ、護堂が戦いから逃げたとしても、また別のところで別の争いに巻き込まれるだろう。多くのカンピオーネがそうであるように、護堂はこれからも、否応なく戦い続けることになる。それなら、背を向けるよりも、ドンと構えて待ち受けるほうがいい、というのが晶の考え方だった。そうすれば、事件の早期解決を図れる上に、被害も小さくできる。護堂が戦わないということは、即ち、意思のある自然災害(・・・・・・・・・)をその辺に放置するということなのだから。

「いいえ、わたしの言っていることはそうではなく、自ら戦いを引き起こすようになって欲しくないということです。草薙さんは、誰かのために力を使える人です。それが、彼の美点ではありませんか」

 と、祐理は言う。ヴォバン侯爵に二度も狙われた彼女は、カンピオーネの気まぐれに巻き込まれる不運を知っている。

「それは分かりますけど、今のままでは、誰かに利用される可能性を増やしてしまいます。そうなると、なし崩し的に騒乱に巻き込まれてしまう。今回のように、本当は無関係のいざこざにも首を突っ込んでしまいますよ」

 それを聞いて、リリアナは、少し申し訳なさそうにしていたが、晶はあくまでも祐理を見ていたので気づかなかった。

「それに、すべてにおいて善行を積むのは無理な話ですし、カンピオーネにそれを求めてはいけないと思います。彼らの義務は、『まつろわぬ神』から人類を守ること。それすらも、わたしたちが期待する程度の効力しか持たないルールです。カンピオーネが、自分から神々と戦ってくれるから成立するだけの、薄っぺらな口約束に過ぎません。だいたい、ヴォバン侯爵が日本に来たときは、先輩が素早く、能動的に動いたことで、万里谷先輩は助かったんですよ」

「それは、そうですけど」

「枷がなく、心のままにのびのびと力を振るう環境にあるほうが、カンピオーネは強いんです。自制心の強い草薙先輩は、きっと、今までの戦いで真価を発揮できていなかった。フラストレーションも溜まっていたかもしれない。それが、今の先輩の状態につながっているのではないでしょうか」

 口を開こうとする祐理に、反論の隙を与えないほど早口だった。

「それでは、晶さんは草薙さんにもっと戦えと仰るのですか? 彼は、戦うたびに傷を負い、血を流すんですよ。それでもいいのですか?」

 対する祐理は、落ち着いて、諭すような口調だった。まるで、我侭を言う子供に向き合う母のようだ。

「む。……それは、あの、そういうことではないですけど」

 晶はじっと見据えられて、はなじろんだ。確かに、進んで戦うべき、という意見は、傷を負うことを自明の理とするものだ。だから、彼の身体を心配するのなら、戦わないで欲しいと願うのは当たり前のことなのだが、それと同時に、祐理に対する反発心が晶の心の中で鎌首を擡げた。

 祐理はあくまでも、護堂を一人の人間の立場で考えている。しかし、護堂はカンピオーネという特殊な立ち位置にいる。人間から片足を踏み出した彼を、普通の人間と同じポジションにくくりつけるのが嫌だった。カンピオーネなのに、平穏の中に身を置いていいのか。それは護堂を惰弱にしてしまうのではないか。サルバトーレと共闘したときの様子や今の護堂の様子から、戦闘こそが、護堂の真価を発揮する機会なのだとしか思えなかった。

 

 ――――そうでなければいけない。

 

 晶が食って掛かろうとした時、リリアナがストップをかけた。

「そこまでだ、二人とも。ヒートアップしすぎだぞ」

 あ、と二人は同時にリリアナを見た。

 そして、赤面した。互いに、人前で我を忘れて大きな声を出して議論してしまったことを今さらながらに理解した。それが、恥ずかしく思えたから、二人同時に押し黙り、俯いてしまう。

「まったく、二人そろってらしくない。人の生き方を当人のいないところで議論するほど不毛なことはないぞ」

 人を妄想のネタにした人物の言うことではないが、それはそれ、これはこれだ。

「それに、あなた達がなんと言おうとも、最終的には護堂さんが決めることだし、彼もカンピオーネなのだ。基本的にはわが道を行くだろう。必要とあらばガードレールを破壊してでも目的地に進むのがカンピオーネだ。それを、横から矯正しようとしたところで、不可能だと思うぞ、わたしは」

「わたしたちが何をしようとも、草薙さんは変わらない、と?」

「根っこの部分は変わらないだろうな。彼はアドバイスを受け入れる度量のある方だから、その場その場では人の意見を取り入れるだろうが、最終的に行き着く場所は同じだろう」

 歴史上、最も長くカンピオーネと付き合ってきた欧州魔女の台詞には、説得力があった。リリアナが語るのは、護堂本人だけでなく、カンピオーネという枠組み全体の傾向で、個々の違いを無視した意見だったが、実際に護堂にも見られる気質だった。

「とにかくだ、その話は日本に帰ってからいくらでもすればいい。ここですることでもないんじゃないか?」

 そう言われてしまうと、それ以上話を続けることもできない。祐理も晶も、共に後ろめたさを感じていたし、何よりも憂慮すべきは翌日に行われる護堂の戦いだ。それを差し置いて、自分たちで護堂の今後を語るなど、不毛を通り越して失礼ですらあった。

「さて、主人も部屋に戻ってしまったことだし、我々もここでお開きにしたほうがいいな」

「そうですね。万里谷先輩、すみませんでした」

「いえ、こちらこそ、熱くなってしまって」

 イスを引いて、立ち上がりながら晶は祐理に謝った。祐理も、言いすぎたと感じていたので、同じように謝る。

 それから、三人は一緒にレストランを出て、エレベータの前で別れた。祐理と晶は自室へ戻り、リリアナは《青銅黒十字》の会合に出席するためにホテルを出る。リリアナは、明日の決闘を取り仕切る重要な役目を担っているのだ。時間厳守ができるほどの生真面目なイタリア人だから、人一倍仕事にも真面目に打ち込む。その姿勢は、『まるで日本人のようだ』と言われるほどだ。

 廊下を歩きながらリリアナは、傍観していた祐理と晶の口論を思い出す。

 それは、どちらかに非があるわけではなかった。むしろ、どちらも正しいからこその対立だった。

 ただ、互いの立脚点が違ったからこそ生じた矛盾。共に護堂を心配していながらも、正反対の意見にたどり着いたのは、それだけ草薙護堂に多彩な顔があるからだろうか。

 祐理は、一人の人間としての護堂を、晶は、一人の戦士としての護堂を見ていたのだ。そして、それぞれの視点から護堂のためにと思って意見を述べた。

 護堂が他のカンピオーネと違う印象をリリアナに与えたのは、彼の思考が人間的だったからだ。サルバトーレのような戦士としての顔を前面に押し出した魔王や、ヴォバンのように暴君そのものの魔王。アレクサンドルのような怪盗じみた戦略家もいるが、どれも明確なスタンスを持っている。だから、周囲の魔術師もそれに合わせて対応することができるのだ。サルバトーレであれば、戦う場所を用意しておけば直接的な害はない。ヴォバンはなかなか対応が難しい。だが、彼は、暴君ではあるが、王としての在り方を常に意識している。だから、王である彼を崇め、臣従し、その逆鱗に触れないようにすれば、一先ずは大丈夫というのが、三百年間の経験則だ。アレクサンドルは特殊な人格をしているが、彼独自に定めたルールがあるらしい。組織の運営にも余念がなく、暴力で解決するよりも、外交で済ませることを好む。プリンセス・アリスが外交で対処することができるのは、アレクサンドルのそうした気質によるものだ。

 また、ロサンゼルスのジョン・プルートー・スミスは、正体不明ながらも、その目的は街の平和を守り、邪術師たちを取り除くことだ。最も分かりやすい行動基準である。

 そうした先達を見ると、護堂の在り方は多面的だ。ヴォバンに対しては自ら進んで戦いを挑み、なりふり構わずこれを退けた。かといって、戦いを引き起こすようなことは決してせず、今回も未然に防ごうとイタリアを訪れている。戦闘狂ではないのは確かだが、戦うべきところでは戦うということだろう。問題は、その戦うべきところとそうでないところがどこで線引きされているのかだ。その辺りの見極めがむずかしい。他のカンピオーネのような、単純さや自分ルールが見出せない。傍目から見れば、戦う理由をその場の思いつきで定めているようだ。

 彼の性格を考えると、カンピオーネや『まつろわぬ神』の戦い以外の戦闘にも、武力介入する可能性がある。多くの呪術結社は、それを恐れているのだ。彼が、人間的な性格の持ち主だということは、すでに知れ渡っている。助けを請えば手を差し伸べてくれる人だということもだ。だが、同時にそれは、人間の些細な戦いにも手を出してくるかもしれないということでもある。他のカンピオーネであれば、放置するような小規模な戦いにさえ、手助けの名目で飛び込んでくる恐れがあるのだ。

 実際のところは、彼なりのルールがあるのかもしれないが、それが未だにはっきりしていないから、誰もが戦々恐々とすることになる。カンピオーネになってまだ四ヶ月ほどだから、情報そのものが少ないのだ。

 強大な力を持つ人間が振るう善意は、それだけで凶器になりうるということか。

 多面的な思考は人間らしいもので、性格も好意を覚える善良さだ。とはいえ、まず第一に何を優先すべきかを推し量らなければならない立場からすれば、その多面的な思考は、非常に厄介なものでしかない。護堂が王としての自覚を持って、意思を明確にしてくれれば、それに則った動きもできる。しかし、それも、いつになることやら。

 しばらくは彼に周囲の者たちは、振り回されることになるかもしれないとリリアナは思った。


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