カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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四十二話

 決闘場となるガルダ湖までは、ナポリからかなり距離がある。ナポリは南イタリアの都市で、ガルダ湖は北イタリアにある。つまり、長靴状をした国土の端から端までを、護堂たちは移動しなければならないのだ。 

 護堂は、記憶にある原作に従ってガルダ湖を決闘場に選んだのだが、正直に言えば地理を理解していなかった。失敗したと思った。ここまで移動が面倒になるのなら、近くの湖を探せばよかったし、いっそのこともう一度サンタ・ルチアを戦場にしたほうが早かったとも思った。とはいえ、ナポリに出されていた避難命令はすでに解除されていて、多くの住人や観光客が戻り始めている。こんな時に、再び避難命令や外出禁止令が出されれば、ナポリ市民も行政に不信感を抱くだろう。この決闘は、『まつろわぬ神』の突発的襲来ではない。戦う場所を指定できるのだから、人の迷惑にならない場所を選ぶくらいはしなければならないと、護堂のカンピオーネにしては大きい良心が訴えかけていた。

 困ったことに、護堂の中に芽生え始めた戦士としての本能が生み出す緊張感が、この良心と敵対関係にあるらしく、同じ作戦をとるのなら、ナポリの海でもいいじゃないか。周りのことはいいから早く戦おう、と訴えかけている。そうした気持ちが燻っていることに気がついて、愕然としながら、護堂はガルダ湖を目指した。

 堅実な移動手段として、列車を利用する。ナポリからミラノまでユーロスターイタリアで向かう。乗り心地はとてもよかった。また、最高時速二百五十キロから三百キロというのも伊達ではない。冷房の効いた車内から、覗く景色が飛ぶように過ぎ去っていく。

 これが、ただの旅行であれば、ゆっくりとした列車に乗って外の景色を楽しんでいたのだろうが、生憎と、今の護堂にはそんな精神的余裕はなく、張り詰めた緊張感で身体がはじけてしまいそうだった。

 ミラノから、電車を乗り換える。降りるのは、デゼンツァーノ・デル・ガルダ。イタリア共和国ロンバルディア州ブレシア県。ガルダ湖の南西に位置し、ミラノやヴェネツィアからの電車が停まる。そのため、ガルダ湖を訪れる観光客がもっとも多く降車する街だ。

「ようこそ、いらっしゃいました。草薙護堂様」

 駅前に現れたのは、壮年の男性だった。ラテン系らしい、ほりの深い顔立ちをしている。スーツを着ているというのに、筋肉質な身体を隠しきれていないほど、ガタイが大きい。整えられた顎鬚がダンディズムを感じさせる。

「私は、《青銅黒十字》の者です。ここから先は、私がご案内します。どうぞ、こちらへ」

 その騎士が誘導したところには、一台の車が停車していた。目的地となるクラニチャール家の別荘地には、この車で向かうということだ。

 そこから、およそ四十分。

 風光明媚な景勝地として有名なガルダ湖だ。そこを臨む別荘地なのだから、景色は一級品である。

 祐理も晶も、魚燐のような形に日光を乱反射する湖面と、明るい緑色に囲まれた景色に魂を抜かれたようになっていた。

 日本の湖は、奥ゆかしさがあり、主張がないという印象を護堂は持っている。このガルダ湖は、まさに正反対。鮮烈な輝きを惜しげもなく解き放っている。なるほど、確かに、これは一見の価値がある。

「ついに来ましたね」

「ああ」

 祐理は、護堂を心配そうに見つめている。護堂の全身からにじみ出る戦意を、彼女は肌で感じている。もちろん、晶もそうだ。戦場に来て、一層高まった護堂の戦意に当てられて、祐理も晶も唾を飲んだ。身体中の筋肉が固まってしまい、喉も渇いていた。

 見れば、少し離れたところに人影がある。

 サルバトーレ・ドニと、アンドレア・リベラ。そして、リリアナ・クラニチャールだ。彼らは、護堂よりも一足早くこの地を訪れていたようだ。

 サルバトーレが護堂を見つけて笑いかけてきた。すでに剣を抜いている。両刃の豪剣を、手を振るのと同じように振り回し、隣にいたアンドレアが慌てて飛びのいた。

「いきなり剣を振るんじゃない、バカ!」

 ものすごい大声で、アンドレアがサルバトーレを叱りつけた。事情を知らずに今のやり取りを見てしまった者は、震え上がるだろう。世界中のどこに、カンピオーネを叱りつける者がいるだろうか、と。

 だが、アンドレアは、サルバトーレがカンピオーネになる以前からの友人で、その縁もあってサポート役を務めているのだ。互いに信頼関係が結ばれているからこそ、気の置けないやり取りができるのだ。また、実直な性格から、サルバトーレの権威を利用することなく、影に徹していることも、アンドレアの評価を高めている一因となっている。

 そんな微笑ましい会話の応酬も、特に護堂は気に留めなかった。

 黙然として、湖畔を歩く。サルバトーレが目の前にいる今、肉体的にも精神的にも戦闘状態に突入していたからだ。『まつろわぬ神』ではないので、自動的に身体のスイッチが切り替わることはない。それでも、今、護堂のコンディションは非常にいい。おそらく、炎のように湧き上がる戦意が、カンピオーネの本能を突き動かしているのだ。

「やあ、護堂。本当に来てくれるとは思ってなかったよ」

「もしも、俺がここに来なかったらどうするつもりだった?」

「ん? そうだねェ。例えば、イタリア中の空港を押さえて出国させない、とかもあっただろうし、僕が日本に行くこともあっただろうね」

「はあ、やっぱりな」

 サルバトーレは何の気なしに言ってのけるし、実行するだろう。何万人もの人々の生活にそれが直結するかも考えずに指示を出す。そして、結果として、多くの人々に影響を与えたとしても、何も感じないだろう。

 護堂は、分かっていたとはいえ、それでも、ため息をついてしまった。

 護堂がリリアナに視線を送る。リリアナは、頷いて、コホン、と空咳をした。

「では、役者もそろったところで、決闘をはじめます。よろしいですか? 立会人は、《青銅黒十字》所属、大騎士リリアナ・クラニチャールが務めさせていただきます。お二方の介添え役は、サルバトーレ卿は、アンドレア卿。護堂さんは、高橋晶でよろしいですか?」

 リリアナは、形式ばった確認をする。護堂とサルバトーレは、同時に頷いた。

「それでは、決闘の開始は二分後。我がクラニチャール家の屋敷の大時計が奏でる正午の鐘を以って、開始の合図とします」

 そう言うと、リリアナはアンドレアとともに、離れて祐理と晶がいるところまで退避した。

 カンピオーネの戦いは、騎士の決闘のように行儀のいいものではない。辺り一帯が危険区域となる。それなりに距離をとらなければならないし、気休めであっても防御の魔術は使用しなければならない。

「ふふ、僕は今、猛烈に感動している! 背中を預けて戦ったトモと、こうして剣を交えることができるなんて!」

「そのトモってのは、まさか『強敵と書いてトモと読む』じゃないだろうな?」

「おお、まさにその通り! さすが日本人、分かっているじゃないか! あの言葉は、真理だと思うよ。真の友情は、剣を通して培われるものなのさ」

「そうかい。お前がそう思うのならそうなんだろうさ。お前の中ではな」

 それも聞いたことがあるなあ、などといいながら、サルバトーレは剣を握り直した。

 護堂も神槍を呼ぶ。武器としての性能は、ただの剣であるサルバトーレのそれよりも、数百倍の格があるのが護堂の槍だ。しかし、サルバトーレの権能は、ただの剣を神すら切り裂く魔剣へと変貌させる。『斬り裂く銀の腕(シルバー・アーム・ザ・リッパー)』を前にして、護堂の権能が打ち合えるか否か。

 太陽が中天に輝き、湖面を渡る熱い風が髪をなで上げる。炎天下でここまで緊張したのは、昨年出場したサッカーの大会以来のことだ。

 視界の端で、別荘の塔につけられた時計の針が重なった。

 教会の鐘を思わせる、重厚な音が響き渡った。

「始まりの合図だ。さあ、行くよ、護堂!」

「ガルダ湖に沈めてやるから覚悟しろよ、サルバトーレ・ドニ!」

 二人同時に一歩前に踏み出し、それぞれの武器を振るった。

 護堂の槍は、全長三メートル。穂の部分だけで一メートルはある。それは、槍と言うよりも、巨人用の剣のようだ。その柄の部分を、サルバトーレは打ち払う。

「ただ一振りであらゆる敵を貫く剣よ。すべての命を刈り取るため、輝きを宿せ!」

「我は鉄を打つ者。我が武具を以て万の軍をまつろわせよ!」

 サルバトーレの右腕が銀色に輝き、呪力が高まった。軍神ヌアダから簒奪した強力無比な切断の権能が、剣に宿る。対抗する護堂も一目連の聖句で呪力を漲らせる。

「ッ――――――――!」

 護堂の予想どおり、サルバトーレの剣は、ただの一振りで槍を断ち切った。護堂は、剣の間合いに入り込まないようにバックステップを踏む。サルバトーレは、追撃をしなかった。この時、護堂の頭上には、すでに十挺の剣が滞空していたからだ。

「行け!」

 号令の下、凶器が空を切る。

 一つ一つの刃が、コンクリートをバターのように斬り裂けるほどの切れ味をもっている。それが、十もそろえば、石造りの城壁すら、崩壊の憂き目にあうことだろう。

 だが、敵対するのは、城壁よりも硬く、重い、《鋼》の肉体を持つ男。殺到する凶刃を、その身に受けて尚微笑みを崩すことはない。

 サルバトーレは三挺の剣を斬りおとし、七挺の剣を身体の何処かに受けたが、よろめくだけで傷を負うことはなかった。

「剣の使い方としては、下の下なんだけどね、それは!」

 護堂はサルバトーレに向き合い、現状を確認する。

 刃渡り一メートル。腕の長さを加味しても、攻撃の範囲は二メートルあるかどうか。遠距離攻撃手段を持っていることは確かだが、それも剣を変化させたり、呪力の流れから予測をつけられるものと推測する。

 彼我の距離は十メートル。剣の攻撃範囲の外であり、こちらの攻撃範囲内である。近づかせなければ、勝機は十分にある。

 護堂の頭上には、黄金の剣が並ぶ。その威圧感は、常人を発狂させるほどのものがある。込められた神力は、上級魔術師が集団で念を込めて何ヶ月かかるかというレベルだ。

「ふ……」

 サルバトーレは、剣群に狙われながらも平静なまま、呼気を出す。肺にたまった空気を抜いて、身体中の筋肉を弛緩させた。油断しているわけではない。リラックスし、余分な力を抜くことで、如何なる状況にも瞬時に対応できるようにしているのだ。これは、護堂も選手時代に行っていたことだ。

 剣士であるサルバトーレは、十メートルの距離を詰めて剣を振るわなければならない。一方の護堂は数百メートル離れていようとも攻撃することができる。戦闘において、距離は非常に大きい意味を持つ。剣が戦争から駆逐され、火砲が台頭したのも、偏にこの殺傷能力を維持できる距離が長いほうが有利だからだ。今、護堂が展開した剣は、形状こそ剣だが、その用途は砲弾である。剣と砲弾では、後者が圧倒的優位に立てる。

 しかし、それは、単なる常識であり、世の中にはその常識が通用しない規格外も存在する。

 カンピオーネは、須らくこの規格外に相当する。

 射手が規格外ならば、剣士は常識外。

 サルバトーレは、上体をほとんど動かすことなく距離を詰める。相手が常人であれば、サルバトーレの接近に気づくこともできなかったかもしれない。武芸の心得のない護堂も、これを目で捉えるのは困難だった。

「く――――――目茶苦茶な」

 サルバトーレの動きに合わせて剣を落とすことができたのは、直観力が冴え渡ったからだ。特に危機感には非常に敏感で、理性に先んじた回避ができる。それはカンピオーネにオプションとしてついてくるものであるが、護堂はガブリエルから簒奪した『強制言語』の能力で第六感を強化している。ゆえに、通常のカンピオーネよりもずっと危険には敏感でいられた。

「避けた上に、カウンターなんてね! 人間かい?」

「剣を斬りおとすヤツに言われたかないね!」

 十や二十では、この守りを突破するのは不可能だ。単純に防御力が並外れている上に、サルバトーレの剣は、投擲したこちらの剣まで斬ってしまう。

「戦は数だ!」

 呪力を練り上げる護堂は、脳裏に剣を思い浮かべる。とにかく刃があればいい、細かいデザインは破棄する。生成に至る過程を省略し、もっとも簡単な手段で刃のみを出現させる。

「おお!?」

 距離をとる護堂と入れ替わるように、出現した刃の群れは、二桁では収まらない。デザインはおろか、柄もなければ鍔もなく、文字通り同じ形をした刃だけが宙に浮かんでいる。

 大きさも形も剣とは呼べまい。どちらかと言えば、クナイのようだ。

 いかに、サルバトーレが優れた剣士であっても、手にする武器は剣一振りだ。百を超える刃が同時に襲い掛かってきて、切り払えるはずがない。サルバトーレは、降り注ぐ刃の雨霰を全身に受けることになる。

「来い、護堂!」

 無数。数えることを放棄してしまうほど大量の銀閃が、大気に刻まれた。速度は音を超え、威力はミサイルを上回る。

 そんな破壊の雨の中を、サルバトーレは一歩一歩大地を踏みしめて進んでくる。それは、彼の頑丈さを知っていても、震え上がる光景だった。人体から火花が出ている。肉を裂く音は一切せず、鉄と鉄を打ち合わせる音が響いている。サルバトーレは傷を負わない。『鋼の加護(マン・オブ・スチール)』がある限り、如何なる攻撃も防ぎきってしまう。アテナのアイギスと同じ、移動要塞として使用する権能だった。

 普通の精神であれば、刃に囲まれただけで、腰を抜かすだろうに、この男は、嬉々として飛び込んでいる。護堂は刀鍛冶になった気分だ。サルバトーレという剣を、護堂が打っているかのようではないか。

 だが、護堂の有する権能は、刀剣の生成だけではない。一撃必殺と呼べる権能はなくとも、使い勝手のよい能力を有機的に利用して勝利を目指すのが護堂の戦い方だ。

『砕け!』

 言霊を飛ばす。サルバトーレには通じない。だから、狙いはサルバトーレではなく、その足元だ。

「うわ!?」

 サルバトーレの足元が言霊によって砕けた。破壊は小さく、足首が埋まる程度の穴でしかないが、彼がバランスを崩すには十分だった。襲い掛かる弾丸に押されて体勢をさらに崩す。待機させていた刃を撃ちつくした。

「くらえ!」

 が、攻撃を止めはしない。

 護堂の呪力は、サルバトーレの真上で形を得た。

 巨大なギロチン。あるいは、ハンマー。その両方を無理矢理くっつけた奇怪な鉄塊が出現した。その大きさ、刃渡り十メートル。高さ五メートル。重さ、五十トン。

「ちょ――――――――」

 轟音とともに、地面が陥没した。サルバトーレはもちろん、その足場が完全に崩れ落ちた。五十トンもの重量が、刃を下に向けて落ちるのだ。地響きは、祐理たちの下にまで届いた。

『回れ』

 護堂の攻撃はそれだけに留まらない。繰り返すが、護堂は己の権能を有機的に織り交ぜて結果を導くタイプのカンピオーネだ。一回だけで済ませはしない。

 言霊が鉄塊に干渉し、ドリル回転を始めた。

 見るからに掘削機。それも、権能で作られた代物だ。人間に使うにはオーバーキルだ。それでも、護堂が躊躇なくこの戦法に踏み切ったのは、これでもサルバトーレは死なないだろうと、確信していたからだ。

 ガリゴリと、ひっかくような音がする。砕かれた岩は砂となって、周囲に弾かれ、積みあがる。だが、それもすぐに止まってしまった。回転はしているが、掘り進めないのだ。

 ゴッ、と、不可視の力が爆発した。護堂は、吹き上がる呪力に銀の色を幻視した。

 次の瞬間、掘削機は唐竹割りにされ、滑らかな断面を太陽に見せつけていた。

「いや、ほんと、無茶苦茶するな、君も。こんな容赦ない攻撃をされたのは久しぶりだ」

 サルバトーレは、ダメージを負った様子もなく、粉塵の中から悠々と歩いて姿を現した。その様は、南国の島にバカンスに来た資産家のバカ息子のようだ。少なくとも、大型ミキサーで撹拌されたことに対して、負の感情を抱いてはいないようだった。

「無傷かよ。信じられないな」

「無傷? いやいや、さすがにね。ほら、背中をちょっと擦り剥いちゃったよ。擦り傷ってヒリヒリするし、シャワーが染みるから嫌なんだよねー」

「ほとんど無傷だろうが! 大体、ジークフリートから奪った権能で背中も大丈夫って反則じゃねえか?」

「んー? そうかな。僕は、彼の不死身の肉体って側面を貰っただけだからね。背中が弱点なのはジークフリートであって僕じゃないし」

 権能は、神が持ってた力の一部を奪い取るものであって、神に成り代わるものではない。この辺りは、カンピオーネ化のシステムの思わぬ利点だと言えよう。

「僕もやられてばかりは面白くない。攻めさせてもらうよ!」

 サルバトーレは、珍しく剣を上段に構え、振り下ろした。一連の行動が、陽炎のようにぼやけて見えるほど、速い。

 切先から飛び出したのは、銀色の呪力の刃。遠くにいる敵を斬り、刃の長さを上回る太い物体を両断する斬撃だ。

 物理攻撃ではないと言っても、何でも切り裂くという悪質さは健在だ。体内の呪力で軽減できるだろうが、受けてやるつもりもない。しかし、不意を突かれたために、回避が遅れた。迫る刃を前に、護堂は迎撃を選択した。

『弾け!』

 言霊を斬撃の腹部分に集中して叩き付けた。『強制言語』は掌握したといってもいい。細かい力加減や精密な狙いも、以前に比べてずっと上手くできるようになった。

「痛ぅ――――――!」

 軌道を逸らされた銀刃は、護堂の二の腕を切り裂いて明後日の方角へ飛んでいった。触れた場所が、薄く斬れてしまった。剃刀で斬られたかのようだった。

「大したもんだね。確かに、僕の権能が剣で斬るというものである以上は、腹の部分は切断力を持たない。一瞬で判断を下せるなんてびっくりだ」

「お褒めに預かり光栄、と言っておこうか」

 ニヒルに笑んでみせる護堂は、その裏で冷や汗を流していた。サルバトーレの剣は、予想以上の切れ味だ。直撃を貰えば、即死かもしれない。

「我は神々に代わり魔を討つ者。如何なる邪悪も、我が身に害を為すこと叶わぬと知れ」

 聖句を呟く。静かに、心を落ち着ける。源頼光の権能。それは、破魔の神酒を作り出すこと。

 護堂の周囲に酒の雫が生まれ、見る見るうちに大きなうねりとなった。芳醇な香りをばら撒きながら、一本の水流となって、サルバトーレに襲い掛かった。

「お、と」

 サルバトーレは慌てず、これを両断。モーセが海を割ったように、神酒の流れはサルバトーレを避けるように二本に分かれた。

「水かい? そんなんじゃ、僕は倒せないよ!」

「それはどうかな。権能を舐めんな!」

 切り裂かれた酒は、細かく分かれて蛇の姿を象った。生み出された酒の重量は、先ほどサルバトーレを押しつぶした鉄塊に匹敵する。攻撃用の権能でなくとも、こうして使えば十分攻撃力を持つことになる。が、鉄塊で貫けない防御を液体で貫けるはずがない。そういう、常識から、サルバトーレは油断したし、そうすることが、端から護堂の狙いであった。

 サルバトーレは自分の防御力に絶対の自信を持っている。それは、護堂の攻撃を見せ付けるように受け止めてきたことからも分かる。かつてのサルバトーレであれば、回避していた攻撃でも、今の彼は受け止める。『鋼の加護』にサルバトーレは頼りきりで避けることをしなくなったということだ。

 それでも、さすがに図抜けた戦士。神酒の危険性を感じているのか、受け止めるよりも、見事な剣技と権能が付与する切断力で、切り払うことを優先している。おかげで、神酒に溺れさせることができない。しかも、『鋼の加護』は呼吸をする必要がなくなるという能力がついている。鉄は息をしない、ということらしいが、そのおかげで蒸気を吸入させるという手段がとれない。カンピオーネは呪力に対する抵抗力が強いから、できるだけ体内から攻めるべきなのだが、今のところは表面を濡らすだけにとどまっている。

 時間をかければ、サルバトーレに神酒の効力を勘付かれてしまう。

 サルバトーレの剣技は見惚れるほどに美しい。柔よく剛を制すと言うが、柔の剣と剛の肉体を持つ彼の強さには、背筋が震える思いだ。

 三百六十度を針状に変化した神酒に覆われながら、サルバトーレは最小の動きで、無駄なくこれを避け、斬り捨てている。

「それでも、避けきれているわけではないな」

 手ごたえはある。サルバトーレの身体は神酒に侵されはじめている。飛沫や蒸気が、肌に、服に、そして剣についている。十分とはいえないまでも、敵の権能を弱体化させることはできているはずだ。

 護堂は攻め手を変え、神酒の竜巻を作り出す。念じてすぐに、撒き散らされた神酒は反応した。巨大な蛇体を思わせるうねり。大質量で、剣士を押しつぶさんと襲い掛かった。

 斬り裂かれても、形を変えて襲えば済む。だから、余計な策を弄することなく、そのまま叩き付けた。予想外だったのは、サルバトーレが剣を手放したことだ。

「え、な!?」

 サルバトーレは迎撃を放棄した。その代わりに、神酒の主である護堂に狙いをつけた。ダーツのように、剣が護堂目掛けて投げられた。

『弾け!』

 呪力を剣に叩き付ける。狙うは刃のない、腹の部分だ。刃がなければ、斬り裂くことはできない。ところが、護堂の言霊が作用する直前に、剣は形を変えた。どろり、と銀白色の液体に崩れたかと思えば、また、同じ形に戻る。大きさも、形状も一切の変化がない。ただし、刃の位置が九十度ずれていた。それまでは、腹を地面に向けていた剣が、刃の部分を地面に向けるようになっている。つまり、腹のあったところに、刃が来ているということ。護堂の言霊が、刃に触れて両断された。

「う、く、あがああああああ!」

 脇腹の激痛は、とても我慢できるものではなかった。

 噛み殺しきれない唸りは、喉を壊しかねないほどだ。ただ、突き刺されただけでない。剣に込められたサルバトーレの呪力が体内で荒れ狂い、臓器をズタズタにしようとしているのだ。

 しかし、同時に、剣を投擲したことで神酒を避ける術を失ったサルバトーレは、轟音を立てて落ちる瀑布に押し包まれていった。


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