カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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四十五話

 サルデーニャ島は、イタリア半島の西方に位置し、周辺の島々とあわせてサルデーニャ自治州を構成している。この島は、地中海ではシチリア島に次いで二番目に大きな島である。

「やっと、やっとたどり着いたぞ。サルデーニャ!」

 うおおお、と護堂は意味もなく気炎を上げる。

 イタリアを訪れてからこの地に来るまで、紆余曲折がありすぎて、数十年もの月日が流れたかのようだ。二柱の神と死闘を演じ、剣の王には腹を貫かれ、挙句の果てに心臓を見ず知らずの少女? に引きずり出されて喰われた。これが、ここ数日の間に発生したイベントだ。

 泥を被り血にまみれた夏休み。

 これが、日常になりつつあることに愕然とするしかない。カンピオーネになって、まだ三分の一年。たったそれだけの期間で、いったい何度死に掛けたことか。これまでは運よく乗り越えてきたけれども、この先もこれが続くのであれば、人生長くないかもしれない、などと真剣に将来を不安視していたりする護堂だった。

 そんな護堂にとって、なんの用事(戦闘)も予定されていないサルデーニャ島訪問は、正真正銘のバカンスに他ならない。戦い続きで、消耗した心身を癒すのに、最適だ。

「この前来た時は言葉が分からなくて苦労したけど、カンピオーネになった今、そんな心配もない。全力でこの休みを謳歌するぞ!」

 護堂はカンピオーネであり、殺し殺される立場にあるが、それでも男子高校生という肩書きを忘れていない。

 夏休みは遊んでしかるべきだと考えているし、遊べない夏休みなど、夏休みではないと思っている。よって、護堂の夏休みは、今日、この日から始まると言っても過言でない。

 もちろん、転生者だから、精神的にも、もういい歳だ。しかし、大人だろうが子どもだろうが、長期休暇を楽しむことに変わりはない。

「盛り上がってますね、先輩」

「ゆっくり休めるのは、久しぶりですからね」

 空に向かって拳を振り上げる護堂を、後ろから眺める祐理と晶。

 その頬は、汗の雫に濡れている。時に四十度を上回る真夏のサルデーニャは、ヒートアイランド現象にも慣れ親しんだ東京人にしても耐え難い暑さだ。景観は、まさに南国。光る海、青い空、降り注ぐ太陽光に灼熱の風。石造りの古い街と、新興のコンクリートの町並みが、見事に合致してまったく新しい景観を生み出している。

 取り壊れている古いアパートを眺めていた晶が、看板に目を向けた。

「カリアリは、大規模な再開発の真っ只中みたいですね」

「ああ。そのうち、このカリアリ港も閉鎖されると聞いた」

 閉鎖されたカリアリ港の機能は、新たに作られる新カリアリ港に移されることになっている。

 その都市計画を後押ししていたのは、この春に起きた、原因不明の災害だった。

 いくつもの建物が倒壊し、死者も出た事件は、世界的な関心を誘った。もっとも、その背後にある真実を知るのは、極限られた世界の中にいる者だけだ。

「先輩も関わっているってことですか?」

「俺が戦ったのは、サルデーニャじゃない。シチリアだ。ここを荒らしたのはウルスラグナとメルカルトであって俺は無関係だ」

 もともとあった都市計画。そこに、ウルスラグナとメルカルトの争いが加わって、アパートの建築や都市の整備が急務になったのだ。

「プロジェクトの責任者はこれ幸いと開発に着手したんでしょうね」

「表向きは建物の老朽化が原因だとしているのもあるからなあ。まあ、上手いことやったって感じか」

「老朽化物件は、こんな風に崩れますよ、と宣伝してますからね」

 晶は、少し前に見たテレビコマーシャルを思い出してそう言った。コマーシャルを利用して住民の理解を得ようとしているのだ。『まつろわぬ神』によって生じた被害を、都合よく利用するのは、実に強かなやり方だ。

「それで、これからどのように行動するのでしょう?」

 祐理が、汗をタオルで拭きながら尋ねた。白いワンピースと麦藁帽が、彼女が持つ和の雰囲気によく映えている。旅行用の赤いスーツケースと、小さな桃色のポーチが、彼女の手荷物だ。

「そうだな。とりあえず、ホテルに向かうのは確定だな。あとはどうするか」

 護堂は頭を掻きながら虚空に視線を向けた。

「やっぱり、心臓を抜かれたのが痛かったな。おかげで日程がずれた」

「あの、今の『痛い』はスケジュール上の問題を言っているんですか?」

「そうだけど?」

「いえ、なんでもないです。ただ、草薙さんの異常性を再認識しただけです」

 呆れたのか、諦めたのか、祐理はため息交じりにそんなことを言う。心臓のことは、護堂の中では一応の決着を見ているらしい。彼の行動を見ると、心臓は、これといった問題もなく回復したようだ。

「異常性って、そこまで言うのか?」

 などと、護堂は反駁しようとするが、自分の身体がどれほど強靭で、常識はずれなのか、ここ数日の行動を閲しても否定できる要素のほうが少なかったので、声は自然と小さくなった。

 そもそも、心臓を抜き取られて復活した男が、反論する術を持つはずがないのだ。

「とりあえず、歩きましょう」

 晶は、自分の麦藁帽を首の後ろに引っ掛けて、快活な雰囲気を出している。深緑色のタンクトップにデニムのショートパンツは、普段の彼女に比べればやや露出度が高い。それでも、すれ違うイタリア人女性の多くが似たような服装だったので、取り立てておかしいわけではない。ラテンの国のファッションに比べたら、これでも露出は控えめだ。

 いつまでも、港を眺めているだけというわけにもいかない。

 とにかく、荷物をホテルに預けなければならない。

 草薙護堂一向は、歩いて十分ほどのところにある、港近くのホテルに向かって歩き出した。

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 港から東に海沿いを歩く。通りの名はクリストーフォロ・コロンボ通り。

 最も、海沿いの大通りだ。ブロッコリーのような形の大きな街路樹が道の真ん中に植えられている。カリアリは大きな都市だ。交通量もとても多い。さすがはサルデーニャ自治州の州都だ。

「わたし、サルデーニャってもっとこう、田舎っぽいところだと勝手に思ってました」

「田舎だぞ。カリアリが発展してるってだけ。一歩街の外に出たら田園が広がっているからな」

 それを田舎と称していいのか、わからないが、大きな都市はこのカリアリくらいしかない。そういう意味で他の地域は田舎だ。事実、ルクレチアの暮らしているオリエーナは人口が一万人に満たないこじんまりとした街だったし、他の地域も似たようなものだ。

「まあ、都市だからいいってわけでもない。路面が熱を持つから気温も高い。海が見えるから、マシに思えるけどな」

 潮風を全身で感じながら、護堂はそう言った。

「あれ、そういえば万里谷も晶も体感温度を下げる術が使えるんじゃなかったか?」

 護堂は、以前、学校の屋上で昼食を摂ったときに祐理と晶がそんな術を使っていたことを、ふと思い出した。

 晶は、頷いて、

「使えますよ。でも、屋外で使うとなんとなく夏っぽくなくて嫌なんですよね」

「わたしも、そう思います。あまり、多用するのは身体にもよくありませんし」

 祐理も、晶も今は術を使っていない。そのため、護堂と同じように汗をかいている。

「学校で使ってたじゃないか」

「学校は人がいっぱいいますし、身だしなみに気を使うんですよ」

「はあ、そういうことなのか」

 屁理屈のようにも聞こえたが、女子と男子の意識には確かな違いがある。近年は男子も汗の臭いを気にかけたりもしているが、それでも女子には劣る。こういう意識の違いに下手なつっこみを入れるのは、不必要な反感を買うだけだというのは、男子暦前世込みで三十数年になる護堂はよく知っていた。

 

 ――――――もうおっさんじゃないか。

 

 厳然たるその事実に、護堂はギョッとした。いや、身体は十六だから、まだセーフなはず、と自分に言い聞かせる。 

「どうしました?」

 僅かにフリーズした思考。その隙間に祐理が入り込む。

「あ、いや。なんでもない。少し、ぼうっとしてた」

「そうですか。気温も高いですし、水分もきちんと摂らないとダメですよ」

「熱中症とかじゃないから大丈夫だ。俺よりも、万里谷とか晶のほうが気をつけないとダメだろ」

 カンピオーネは頑丈だ。水分不足がどの程度コンディションに影響するか試したことがないが、一般人や呪術師と同じではないだろう。いざとなれば、大気中から水分を集めてでも、水を確保しようとするはずだ。この身体は、そのような作りになっている。

「心配してくださるのはありがたいのですが、草薙さんは、大量の血を流されたばかり。体調管理はきちんとしていないと――――――きゃッ!?」

 祐理が、小さな悲鳴を上げてよろめいた。

 背後から来た、金髪の男性がハンドルを握る自転車が、追い抜き様に祐理に引っかかったのだ。

「危ねえな! あのヤロウ!」

 祐理を受け止めた護堂は乱暴な口調で罵倒した。自転車は少しだけバランスを崩して地に足をつけたが、こちらに謝罪をすることなく走り去ろうとしている。

「万里谷、大丈夫だったか?」

「はい、なんとか。引っかかっただけですから」

 祐理は、笑みを浮かべて無事を知らせてくれた。自転車は利便性の裏に危険性を内包した道具だ。勢いよくぶつかれば、人の骨程度簡単に折ることもできる。祐理の身体は、平均的な女子高生のスペックしかもたない。晶であれば、受身を取るなり、なんなりできるのだが、祐理にはそんな芸当など、できるはずがない。

「あれ? 万里谷先輩。ポーチ……」

「え?」

 晶に言われた祐理は、ふと、手元を見る。

 そこには、あるはずのものがなかった。

 財布やパスポート、身分証明書などの旅行必需品の尽くが入った桃色のポーチがなくなっていたのだ。

「えと……」

 祐理は、不思議そうに、何もない手の平を眺め、

「ひ、ひやああああ!?」

 叫んだ。

 

「まさか、さっきの自転車か!!」

「ひったくり!! なんて最低なヤツ!!」

 護堂と晶は一斉に振り返る。

 祐理にぶつかった自転車は、すでに三十メートルは離れていた。

「その自転車、ひったくりです!!」

 晶が大きな声で叫ぶ。もちろん、イタリア語を使ってだ。呪術師は、幼いころから特別な方法で言語感覚を養う。他国の言葉であっても、一般人に比べて習得は早い。

「問題ない。すぐに捕まえる」

 護堂は走り出すことはない。その代わり、呪力を高めていく。

「狙った相手が悪かったな。ひったくり!」

 そして、地中を雷速で移動する土雷神の化身を使おうとした、そのときだった。

「あんたが、犯人か、このコソドロがァ!!」

 遠くからでもはっきりと聞き取れるほどの大きな怒声が護堂たちの耳朶を叩いた。

 さらに、それと同時に、逃走する自転車の真横から飛び込むように現れた少女が、華麗なとび蹴りを窃盗犯に喰らわせたのだ。

 自転車に乗っていた金髪の男は、もんどりうって倒れ、自転車は派手に横転した。

 倒れた自転車の籠から、祐理のポーチが路上に投げ出され、それによってあの男が犯人だということが確定した。

「うわ、痛そう」

 晶は、口元に手をやって、犯人に同情した。

 それほどまでに、自転車の倒れ方は凄まじかったのだ。窃盗犯の男は、未だに立ち上がれず、うめき声を上げている。かなり、打ち所が悪かったようだ。

「まあ、いい気味だと言えば、それまでなんだけどな」

 少女に足蹴にされて自転車から転げ落ち、腰を強打して動けなくなったところを通行人に写メを取られる。いっそ哀れにも思えてならなかった。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

「ありがとうございます。助かりました」

「気にしないで。アイツ、この辺りでスリを繰り返してた常習犯なんだ。あたしの友だちも財布、盗られちゃってね」

 祐理のポーチを取り返してくれた少女は、そう言って笑った。言葉は、なんと日本語である。

 絹糸を紡ぎ、星を織り込んだかのように綺麗な銀髪を肩口で切りそろえているが、不思議なことに、その髪は見る角度によっては、澄み切った空色にも見えた。黒曜石色の瞳は、正面から見ると吸い込まれてしまいそうだ。群青色のチューブトップにショートパンツ姿で、快活な印象は、どことなく晶に通じるものがある。足元はヒールの高いレディースサンダルを履いているが、それでも祐理よりも少し高いくらいなので、身長は低めだ。

 晶も、文句なしの美少女であるが、目の前の少女は、通常のそれとは一線を画す完成度だ。まるで、美しくあるように定められているかのごとき容貌。外見だけではない。ただ、彼女がそこにいるだけで自然と周囲の視線が引き寄せられる暖かい雰囲気を醸し出している。そんな、魅力溢れる少女だった。

 その少女が、祐理の顔を覗きこむようにして、言った。

「でも、あなた呪術師でしょ? あっさり、スリに引っかかっちゃダメじゃない」

 あっさりと、『呪術師』という単語が出てきたことに、護堂たちは驚いた。

「え? えと、もしかして、あなたも?」

「ま、そんなとこ。生まれはシチリア。ここには、二ヶ月前に来たんだ。まあ、呪術師って言っても、あたしは人様に自慢できるような腕前じゃないんだけどね。家業のおまけみたいな感じだから、本当に基本を齧っただけ。あ、そうそう、あたしのことはエンナって呼んでよ」

 人好きのする笑みを浮かべて名乗った少女に、祐理は毒気を抜かれたようになった。

「はい、そういうことでしたらエンナさんと。その、よろしく、お願いします。わたしは、万里谷祐理と申します。それと、こちらの方が、カンピオーネの草薙護堂さん。そして、わたしの学校の後輩の高橋晶さんです」

 祐理が自己紹介と護堂、晶の紹介をする。

「カンピオーネ!? え、本当に!?」

 しかし、エンナは最後まで話を聞いていなかった。一瞬だけ固まった後、目を大きく見開いて叫んだ。それから、慌てて口を両手で塞ぎ、周囲を見回してから、

「ほ、本物?」

 と、尋ねてきた。

「ああ。正真正銘のカンピオーネだ」

 護堂は首肯して、自身がカンピオーネであることを認めた。

 思えば、これまでは、護堂がカンピオーネだということを相手が知った状態で出会うことが多かった。護堂がカンピオーネだと、知られないうちに出会った祐理でさえ、そうとわかった途端、恭しい態度を取ろうとしたものだ。敬われるのは、慣れていない。軽度の不快感すら抱く。だから、こんな風に、自分のことを知らない人と出くわすのも新鮮だと感じた。

 エンナは、おろおろとしながら、

「え、えーと、こういうときはどういう対応をすればいいんだったっけ……あ、そうか。とりあえず、握手とサインを頼めばいいのか。そういうわけでお願いします」

「え?」

 なにやらずいぶんと慌てている様子のエンナは、勝手に自己完結すると、右手を差し出してきた。

 護堂も、まさかこのような対応をとられるとは思っていなかったので、虚を突かれてしまった。まじまじと、差し出された右手を見て、それから握手に応じた。

「じゃあ、サインもついでに」

 どこからか、色紙を取り出したエンナは、護堂の前にそれを差し出した。ご丁寧に、サインペンまで用意している。

 頬肉を引きつらせた護堂は、サインペンを手に取った。

 だが、そこでやっと流れに追いついてきた晶が割って入る。

「ま、まってください! 何やってるんですか? 握手にサインって、先輩は芸能人ですか!?」

「え、でもカンピオーネって呪術界の有名人でしょ?」

 エンナの表情を見る限り、冗談で言っているわけではなさそうだ。どうやら、このエンナという呪術師は、カンピオーネという存在がどのようなものなのか、正しい知識を持っていないようだ。

「確かに有名人ですけど、一番重要なところを根本的に間違っています!」

「マジ?」

「超マジです!」

 両目に『真・剣』の二文字を浮かべて、晶は迫った。

「まず、カンピオーネの方々は、そんじょそこらの芸能人やら有名人やらとは訳が違います。あなただって神殺しの異名くらい知っていますよね?」

「そりゃ、もちろん」

 エンナは、自信満々に頷いた。答えが返ってくるのに、一秒とかからなかった。何も考えずに、反射で肯定しているのではないだろうかと思わせるほどの即答だった。

「じゃあ、なんでそんな風にいきなり軽く接してるんですか!!」

 あっさり、肯定したエンナに、噛み付くように晶が吼えた。カンピオーネは、呪術世界では王とまで呼び称えられる存在だ。その人となりを知っている祐理や晶ならばともかくとして、初対面で軽々しく接してよいものではない。晶には、護堂に強い王として振る舞って欲しいという願いがある。だから、このように、敬意の欠片も感じない接し方を、呪術師にされるのは、気に入らない。

「いや、まあまあ、晶。いいじゃないか、別に」

 しかし、これといって思うところのない護堂は、鷹揚な態度で、これを認め、晶に自制を促した。

「先輩、しかしですね。相手が先輩だからいいものの、もしも、これがヴォバン侯爵とかだったらどうしますか? この人、会って三秒で塩の塊になること間違いありませんよ!」

「それは、極端な例だろう……」

 尻すぼみになってしまうのは、護堂も否定しきれないからだ。

 極端な例とは言うものの、ヴォバンは数十人のホテルマンたちを塩の柱に変えるという暴挙を気まぐれで引き起こした人物だ。万が一にも、彼女がヴォバンを相手にして護堂に取ったのと同じ対応をすれば、十代半ばで、その人生に幕を引くことになるに違いない。

「でも、クサナギ=サンからは、噂に聞くカンピオーネのような傍若無人っぷりは感じないけど?」

 おお、いい事を言う。と、護堂は、エンナの評価を嬉しく思った。面と向かって、このような高評価を得たのは初めてだ。護堂とて人の子。誉められて嬉しくないはずがない。

 しかし、そんな護堂の様子に、ムッとするのは、晶だった。

「いいえ、それは勘違いです。先輩だって、カンピオーネ。暴れるときは暴れま――――――」

「おい、コラ」

 護堂は晶の脳天に手刀を落とした。

「あう」

 小さく声を漏らして、晶は、言葉を切った。

「ううー。痛いじゃないですか、先輩」

「お前、せっかくの高評価を貶めるようなことを言うんじゃない」

 言いながら、護堂は、晶の左の頬を軽くつねった。

「ごめんなひゃい。先輩」

「ん」

 護堂は、晶の頬から手を離した。晶は、護堂につねられて少しだけ赤くなった頬を、揉み解した。

 二人の様子をエンナは興味深そうに眺めている。

「へえー。あなたたち、ずいぶんと仲いいみたい。付き合ってんの?」

「ほあ!? な、なんで、そうなるんですか!?」

 晶は、顔を羞恥で赤くすることになった。

「そりゃあ、今のを見てたらそう思うでしょ? ねえ?」

 エンナは、祐理に同意を求めた。

「え、ええ。確かに、今のお二人の行動は、他の方に勘違いをさせてしまうのも仕方がないと思います」

 祐理から同意を得ることができて、エンナは満足げに頷いた。そして、くわ、と目を見開いて、護堂と晶を指差した。

「聖書にだって『客観的に自分をみれねーのか、バーカ』と書いてある!」 

 モトネタを知らない護堂は、聖書とはなんなのかと唖然とし、晶はボソッと、

「ジョジョリアン……」

 と呟いた。

「第八部と思わせて、エイリアンの仲間っぽく呼ぶのは止めて」

 エンナはそう言いながらも、嬉しそうに頬を緩ませている。

「と、まあ、それは置いといて。あなた達、これからどうするの?」

「これから? そうだな。これから、荷物をホテルに置くことまでは確定しているんだけど、そこから先は、まだ未定ってところだな」

「じゃあ、暇ってこと?」

 護堂は頷いた。

「それなら、カルチェットしようよ。カルチェット」

「カルチェット?」

 祐理と晶が首をかしげた。聞き覚えのない言葉だったからだ。

「フットサルのことだろ? イタリアにはプロリーグもあるって聞くぞ」

「そうそう。クサナギ=サンの言うとおり。フットサルフットサル。そっちじゃ、こう言うのが一般的だったか」

 エンナは、斜め前を指差した。車道を挟んで赤茶けた建物が立ち並び、そのさらに向こうには海がある。

「あそこに、フットサルコートがあるの。あたし、これから友だちとフットサルをするから、もし時間があるのなら、一緒にどうかな、と思って」

「やる」

 護堂は即答した。

 考えるまでもないことだ。草薙護堂の青春は、勉学とサッカーに費やされたのだから。彼にとって、サッカーはスポーツの代名詞。意味もなく野球部をライバル視していたあのころが懐かしい。

「お、もしかして経験者とか?」

「去年までな」

「そりゃ、心強い。面白くなりそう。アキラ=サンとマリヤは?」

「わたしは、サッカーできないんで、見てます」

「わたしも、運動はちょっと……」

 祐理と晶は、そう言って断った。未経験で、見ず知らずの人、それもサッカーを日頃からしていると思われる人とするのは勇気のいることだ。祐理に関して言えば、そもそも運動のセンスが致命的に欠けている。彼女にとって運動音痴は、コンプレックスになっている。

「そう、残念。でも、ま、ギャラリーがいてくれたほうが盛り上がると思えばいいかな。それじゃ、案内するね」

 エンナは護堂の手をとって、歩き出した。

「は?」

「え?」

 置いてけぼりを食った祐理と晶が、非難がましい視線を向ける。

 しかし、エンナは、まったく意に介さない。護堂を引っ張ったまま、ずんずんと歩を進めていった。

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

「なんなんだ、アイツは」

 護堂はついついそんなことを口にする。

 彼が辿り着いたのは、人工芝の屋外フットサルコートだった。すでに、人数は集まっていて、屈強な男が六人、背の高い女が二人。そこにエンナと護堂を合わせて十人となる。

「おう、エンナ。遅かったじゃねえか」

 リフティングをしていた男が、話しかけてきた。

「ひったくりと格闘してたの。ダイナミック・エントリーを叩き込んでやったわ!」

「おおう、そりゃイカシテルぜ! で、そこのアジア人は誰だ?」

「彼、クサナギ=サンっていうの。旅行者よ。そこで知り合って、誘ってみたの」

「ほう、なるほど。そりゃ、好都合だ。エンリコの野郎がまだ来てねえからな。代わりがいてくれるのは助かる。これで、ちょうど、五対五の試合ができる」

 もともと、小柄なエンナは、護堂よりも背の高い男たちや、百七十センチはあろうかというラテン美女たちに囲まれると、姿が見えなくなってしまう。人を隠すなら人の中、という言葉を否応なく思い浮かべてしまう。

 その後、赤いゼッケンと青いゼッケンの二チームに分かれて試合をする運びとなった。エンナとは、チームが分かれた。

「クサナギ=サンっていったか。フットサルの経験はあるのか?」

 クセのある赤毛を短く刈り上げたジャンは同じチームだ。護堂の一つ上で、地元の学校に通う学生だ。

「半年くらい前まではサッカーをしていた。訳あって辞めたけどね」

「そうか」

 と、だけ、ジャンは言った。もしかしたら、何か訳アリで、サッカーを辞めたと思われたかもしれない。

「別に怪我とかしたわけじゃないぞ」

「なんだ、そうなのか。気ィ遣って損したぜ」

 ジャンは、からからと屈託なく笑う。誰とでも仲良くなれる気質は、日本人が思い描くラテン系のイメージに完全に合致する。

「ところで、あのエンナって何者なんだ? 聞いた話だと、二ヶ月前にここに来たみたいだけど」

 護堂は、ポジションに向かいながら、ジャンに尋ねた。

「なんだ、お前、エンナに興味があるのか?」

「変に受け止めないでくれ。ただ、気になっただけだ。ひったくりにダイナミック・エントリーを叩き込む美少女なんて、滅多にお目にかかれないしな」

「ははは、まあ、確かに、そんなことすんのはエンナくらいのもんだな」

 ジャンは、その光景を思い浮かべたのか、思いっきり笑っている。普段の彼女が、どれほど破天荒に振舞っているのか、ということが窺える。

「エンナなあ。アイツ、二ヶ月くらい前にふらっと来てな、この辺に住み着いたのよ。学校に行ってるわけじゃないみたいだから、詳しいことは知らん。ただ、人当たりがいいだろ? お前みたいに、出会い頭にいきなりアイツに誘われて、以降、常連になった連中ばっかさ。ここにいるのは」

「外見に釣られたってことはないのか」

「ああ、まあ、それもある。なんせ、超美人だろ? 少女のように愛らしく、それでいて男を知っているかのような妖艶さを併せ持つ。俺は、初めてあったとき、ウェヌスがこの世に降臨したのかと思ったくらいだ」

 確かに、エンナの容貌は、女性が持つ美しさや可愛らしさという概念の結晶のようなものだ。エリカやリリアナも、イタリア人の中では飛びぬけて美しいが、エンナは彼女たち二人をして太刀打ちしがたい魅力がある。

 ウェヌス、という表現も、あながち否定しがたいものがある。

「まあ、あれだ。アイツが敵チームになったからには、覚悟を決めなきゃならん」

「ん。どういうことだ?」

「そりゃ、あれだ。ウェヌスじゃねえ。どっちかっていうと、アイツはミネルウァだな」

 ミネルウァ。つまりは、アテナ。美の女神たるウェヌスではなく、戦の女神であるアテナを例に出したということは、彼女の実力は相当なものなのだろう。

「なるほど、心しておく」

 つい先日、そのアテナ(本物)と激闘を繰り広げた護堂は、アテナと称されるエンナの実力に俄然、興味を抱いた。

 

 

 

 そして、護堂は思い知ることになる。

 圧倒的な才能の差。吹き抜ける旋風の如き銀糸が、フィールドを所狭しと駆け巡る。

 ボールは足に吸い付いている。味方へのパスは針の糸を通すかのようで、一度としてパスミスをすることがない。そのドリブルは、まさに変幻自在。時に雷のように鮮烈に、時に絹糸のようにやわらかい。

「大道芸か」

 そう、言いたくなるくらいに、飛びぬけた技量だ。

「ロナウジーニョみたいなことをしやがる」

 エンナは、ボールを自由に扱っている。エンナが右へ行けば、ボールも右に、左へ行けばボールも左へ向かう。身体とボールは常に一緒に動き、片時も離れることがない。友だちなんてものではない。もはや、ボールは、彼女の肉体の一部になっている。

「行くよ、クサナギ=サン」

 三人をごぼう抜きした、エンナは、最終ラインの護堂を目掛けてドリブルを始める。護堂は、チームの最後の砦である。ここで、護堂が抜かれてしまえば、後はキーパーとの一対一。その時点で、得点されたも同然の状態となる。

「やらせるかよ!」

 そのため、絶対に護堂は抜かれるわけにはいかないのだ。

 護堂は腰を落とし、重心を安定させ、ボールの動きを注視する。

 彼女のドリブルは速い。あっという間に目の前に迫る。

 シュートコースは、護堂が身体で塞いでいる。ディフェンスの基本だ。これによって、エンナは左右のどちらかに、ボールを動かさなければならない。パスの選択肢はない。敵の他の選手は、彼女の高速ドリブルについてきていない。エンナは一人、突出して右サイドを駆け上がっていく。

 驚くべきは、大の男を上回るほどの運動を、ヒールの高いレディースサンダルでこなしていることである。

 

 あまりにも実力差のある相手だ。それをどうにかするには、確かな隙を突くしかない。狙うとすれば、彼女がボールに足を触れた直後。その一瞬は、ボールが身体から離れる上に、次の動きをするには、一歩を踏み出さなければならない。人体の構造上、この時ばかりは、無防備になる。

 その一瞬を見逃さないように、しっかりと見た。そして、彼我の距離が三メートルほどになったとき、エンナは、右足のアウトサイドで、ボールに触れた。

「ここだ!」 

 護堂はすぐに対応した。

 エンナは右にボールを動かした。護堂から見れば、左側を抜けて行こうというのである。だから、すばやく左足を出してボールを弾く。

「え?」

 しかし、次の瞬間、エンナが飛び出したのは護堂から見て右側だった。予想を完全に裏切られる形で、護堂は抜き去られた。

 ボールも彼女とともに右を抜けていく。

 護堂は内心で舌打ちをする。今のは、鮮やかなフェイントだった。

 ボールはエンナのアウトサイドで、押し出された。そこに護堂は反応したのだが、その直後、ボールを押し出したエンナの右足は、地に着くことなくボールの右側に回り込み、インサイドで反対方向に切り返したのだ。

 エラシコ。

 ポルトガル語で輪ゴムを意味する、高等テクニックだ。

 エンナは、内側に切り返したボールを、その流れのまま、左足のアウトサイドで押し出す。こうすることで、実質二歩で、護堂を抜き去ったことになる。

 重心移動、ボール運び、フェイントを仕掛けるタイミング。どれも、文句のつけようがないほど、完璧だった。

 が、護堂とて、経験者としての意地がある。加えて、彼はカンピオーネ。勝負事で発揮する集中力や粘り強さは、尋常のものではない。

「なんのおおおお!!」

 吼える護堂はなりふり構わず、エンナを追う。シュートを撃たれる前に追いつき、コースを塞ぎ、かわされては喰らいつく。ディフェンスの鑑であった。

 

 

 

 そして、試合は終わった。

 何度か、チームのメンバーを入れ替えて計八試合を行った。

 いつの間にか日が暮れている。コートはナイター用の照明に照らされている。

 火照った身体は、大量の汗を噴出して、なんとか熱を放出しようとしている。

「お疲れ様でした。草薙さん」

 祐理が、冷たいミネラルウォーターが注がれたカップを渡してくれた。

「ああ、ありがとう」

 護堂は、それを一気に飲んだ。身体の内側に、冷たい水が溶け込み、一体化するのを感じた。護堂の身体は、乾燥した砂漠の砂かと思うくらい貪欲に、水を欲した。

「いや、やるね。クサナギ=サン」

 タオルを首にかけたエンナが、やってきた。運動の直後で、白い肌が、桜色に染まっている。

「そっちこそ、ずいぶんと上手いんだな。サッカー」

「ははは、勝負事は昔から得意でさ。負けず嫌いって言うか」

「相当練習したって事か」 

 とにかく、負けるのが嫌だから練習するタイプか。そういう人は、プロのスポーツ選手でも多い。彼女は、持って生まれた才能を、努力で磨き上げてきたのだろう。

「じゃあな、エンナ」

「また試合しましょう」

 集まったエンナの友人たちが、帰っていく。

「あたしたちも帰らないと。ここ、もうすぐ空けなくちゃいけないし」

「そうか、じゃあ、とりあえず外に出るか」

 エンナが言うには、そろそろ借りている時間が過ぎてしまうとのことだ。それを超えると延滞料を払わなければならない。護堂たちは、このままホテルに向かえばいいので、帰宅の準備をする必要もない。着の身着のままで、コートを後にする。

「今日は、楽しかったわ。クサナギ=サン」

「こっちこそ、いい息抜きになったよ。ありがとうな。時間もちょうどいいし、夕食、一緒にどうだ?」

 時刻は、八時を回ったところだ。運動後ということで、ほどよい空腹を感じている。

「デートのお誘い? 見かけによらず、積極的なんだ」

「違うよ。せっかく、知り合ったのに、ここでバイバイってのも、つまらないだろ」

「ふうん、そういう手口なの」

 と、エンナはクスクスと笑ってから、そう呟いて訳知り顔をする。

「いや、残念だけど、あたしは帰るわ。これから用事もあるし、それに、馬に蹴られるような愚は犯さない」

 エンナは、護堂の後ろに視線を向ける。

 そこには、三白眼で、護堂を睨む、幽鬼の如き人影が二つ。黙して語らず。ただ、視線で非難の意思を伝えていた。

「それと、これは忠告と思って聞いて」

 エンナは、それまでの明るい表情から、神妙な顔つきに変わる。

「なんだ、改まって」

「いや。カンピオーネだから大丈夫だと思うけど、実は最近物騒でさ。特に男性は、夜間の外出を控えた方がいいよ」

「なんだ、それ。どういうことだ?」

「猟奇殺人」

 エンナは、不穏な単語を口にする。それだけで、真夏の暑さが、吹き飛んだかのような気がした。

「猟奇殺人?」

「そう。被害者はみんな、男性。十代後半から三十代前半まで。シチリアと、サルデーニャで頻発している、男狙いの連続殺人よ。遺体は、原形もとどめないくらいに破壊されつくしたものが多いらしいんだけど、特徴的なのがね、必ず一つ、臓器がなくなってるってこと」

「臓器が、ない?」

 エンナは、首肯する。

「検視結果が全部公表されてるわけじゃないけどね」

 彼女は何を思ったのか、海の方を向く。建物に邪魔されて、海そのものは見えない。しかし、潮騒は確かに、耳に届いている。

 いったい、何に思いを馳せているのだろうか。

「あなたが噂どおりのカンピオーネなら、臓器を抜かれるようなヘマもしないんでしょうけど、一応報告ね」

「お、おう。そうだな」

 カンピオーネであるが、心臓を抜かれた男には、本当に胸に来る台詞だった。

「じゃあ、また、縁があったら会いましょう」

 そして、淡い笑みを浮かべたエンナは、夜の街に消えていった。

 


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