カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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四十六話

 ルクレチア・ゾラの住まいは、サルデーニャの内陸部。オリエーナという風光明媚な街だ。街の周囲は田畑に囲まれていて、上空から見れば田畑の海に、オリエーナという小島が浮かんでいるかのようになる。

 とはいえ、それほど田舎というわけではない。確かに、背の高いビルはないし、若者が集う歓楽街もない。しかし、寂れているというわけでもなく、日本にも普通にありそうな、郊外の住宅街だった。

 強いて違いを挙げるなら、どの家も外壁が真っ白なのと、屋根が赤茶色に統一されているということくらいか。

 もちろん、小さな路地などに入れば、日本とはまったく趣きの異なる石の街が広がるが、今護堂たちのいるところからは、そういった異国情緒は感じられなかった。異国慣れしたからだろうか。

 すぐ近くに、大きな岩山が見えるのは、日本の都市部ではあまりない光景だろうが、ここはそれも相まって落ち着きと風情を持った静かな街並みを形成しているのだ。

 さわさわと、街路樹が風にそよぎ、木漏れ日が揺れる。

 気温は高いが湿度は低い。適度な風もあるおかげか、不快さを感じるほど体感温度が高いわけではない。

 護堂は一行の先頭を歩いていた。

 ルクレチアの家には春休みに一度、訪れている。あの時は、道に迷い、大変な思いをしたが、今回はそのような目に逢うこともない。

 人通りの少ない通りを歩く。

 人口が一万人に満たない小さな街だからか、あまり人と出くわすこともなかった。

「あまり、人がいないんですね」

「みんな冷房が効いた部屋から出たくないんだろうな」

 街並みを眺めている晶に護堂が答えた。

「近くに、娯楽施設でもあれば別なんだろうけど、それもないからな」

 バスでこの街を訪れてから三十分ほど経っている。

 汗もかいてきたし、そろそろ足も疲れてくる頃合だ。祐理など、先ほどから歩くことに集中して会話に入ってこない。体力に難があるために、すでに疲労困憊といった様子だ。

「万里谷。もうじき着くから、それまでがんばれるか?」

「はい、大丈夫です。草薙さん」

 健気に頷く祐理だが、息が上がっているのは隠しきれない。麦藁帽子の影に隠れた顔には、玉のような汗が滲んでいる。

 いざとなれば、どこか休める場所を探し、水分を補給する時間を設けないといけないな、と護堂は考えた。体力のある護堂や晶ならばまだしも、祐理は体力に自信がないことをコンプレックスにしているくらいなのだから。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 ルクレチアの家は街外れの森の中にある。

 年代物らしい雰囲気の石造りの小さな家で、庭もあるようだが、手入れはまったくされておらず、雑草が元気よく天に向かって背を伸ばしている。

 春に来たときよりも、ずっとひどい状況になっている。

 傍から見れば、ただの荒れ家であり、人が住んでいるなど思いもしないだろう。それほど、この家は生活感がなく、虚無的な雰囲気を漂わせている。

 ただし、家の中から漏れ出る呪力までは完全に消しきれない。

 カンピオーネに成り立ての頃は、そんなことにも気がつかなかった護堂だが、この濃密極まりない数ヶ月の間に、大きな成長を遂げたのだ。

 まさか、呪力などという、ファンタジーの力を知覚して、自然に受け入れてしまえるまでになるとは思わなかった。

「ここですか?」

「ああ、ここだ」

「いかにも、魔女の家、と言った感じですね」

 晶が身を乗り出すようにしているのは、早くルクレチアに会いたいと思っているからだろう。晶は、どうにも高位の魔女であるルクレチアに憧れを抱いている節がある。

 護堂がインターホンらしきボタンに手を伸ばしたとき、ギイィ……と軋む音とともにドアが開いた。

「ようこそ、少年。と、その友人たち。そろそろ来るころだと思っていた」

 ドアが開いた先にいたのは、背の高い妙齢のラテン系美女だった。

 すらりとした長い手足に、くびれた腰。圧倒的とも思える胸のボリューム。文句の付け所のない完璧なプロポーションは、護堂の背後に立っていた少女二人を打ちのめすには十分な威力を持っていた。

 ルクレチアは、祐理と晶のほうに視線を向ける。

「君たちとは初めてだな。わたしがルクレチア・ゾラだ」

 祐理と晶は、悲鳴にも似た驚愕の叫びを上げた。

 

 

「やれやれ、あそこまで驚かれるとは心外だ」

 だらしなくソファーに寝そべる家主は、祐理と晶にそう言った。

 イスに腰掛ける二人は、恐縮したように縮こまっている。

 それも無理からぬ話で、祐理も晶も護堂からルクレチアについての詳しい話を聞いていなかったのだ。特に容姿に関しては、『護堂の祖父と同年代』という護堂から得た情報と、凄腕の魔女という既有知識が合わさって勝手に老女の姿を想像していたのだ。

「まあ、わざとわたしのことを伝えていなかった少年にも非があるのだろうがな」

「わざとじゃないですよ。単に忘れていただけです」

 護堂はしれっと、ルクレチアの視線を受け流した。

 呪力が至純の域に達した魔女は、己の若さを保ち続けることができるという。イタリアはイギリスに並んで西洋魔術の本場とも言うべき国だが、そのイタリアにあって二十代の容姿を維持し続けることのできる老魔女が何人いるか。魔女の資質そのものが先天的な才能に由来するものであり、それはさらに血統にも関わる重大なもの。個々人の努力ではどうにもならない先天的な素質に左右される。

 魔女の才を持つ者の絶対数が非常に少ない上に、極めることも難しいとなれば、ルクレチアがどれほどの才覚を有する魔女なのかわかるというものだ。

「それで、そろそろ、君たちのことを教えてもらいたい。一応、少年からは愛人を二人連れてくると聞いているが」

「ふぇ!?」

「愛!?」

「言ってないです、そんなこと! 万里谷、晶。信じるなよ、この人は面白ければあることないこと平然と言う人だ!」

 びっくりするなあ、と護堂は一瞬で上がった血圧を下げるために深呼吸をした。

 今のは、皮肉を軽く受け流されたことに対する意趣返しのつもりなのだろうが、心臓に悪い。祐理も晶も大切な仲間ではあるが、そこから踏み込んだ関係になったことは一度としてない。原作と違い、護堂は未だにキスもしていないのだ――――と、本人は思っている。

「ふむ、少年よ。王たる者がそう取り乱すものではない。冗談で言ったつもりが、うっかり真実を掘り起こしてしまったのではないかと疑ってしまうではないか。いや、すまない。わたしにも失言というものはあるのだ。せめて失言を失言だと思わせないように配慮してくれてもいいのではないか?」

「だから、そんな事実はないと言っているんですがね!」

 突飛な上に自由人。

 己の道をひたすら行くルクレチアは、護堂がカンピオーネであることなど歯牙にもかけない。

 彼女にとって、護堂はかつて憎からず思っていた友人の孫であり、自身にとっても孫の世代だ。転生者として、同年代の二倍は生きている護堂でも、ルクレチアはそれよりも年上なのだ。人生経験においても劣っている上に、小市民的な護堂は年上をきちんと敬うし、祖父の友人に敬意は表す。そして、ルクレチアもそんな護堂の性格を知り尽くしているからこそ、あえて(・・・)このような態度で接しているのだ。

 つまり、二人の関係は、護堂の無意識下の要求を、ルクレチアが意識的に読み取って構築されたベストなものなのである。 

 もっとも、その主張を免罪符にして護堂をからかおうという意思もルクレチアには少なからず存在しているので、最適解というわけではなかったりするが、護堂は現状をこれといって不快に思っているわけではなかった。

「話を戻そう。彼女たちが何者なのかということを語って聞かせて欲しい」

 話を逸らしたのは誰だ、と思いながら護堂が祐理と晶を紹介した。

 祐理と晶と共に、これまで潜り抜けてきた修羅場の数々も、この機会に話して聞かせた。

 ルクレチアは、その一つ一つに興味を持ち、耳を傾けた。

 彼女は、護堂の話を理解し、その優秀な頭脳で護堂がどう話すべきかと思案しているところ的確な意見で言葉を引き出し、時に冷やかしを加え、時に独自の見解を述べた。

 

 

 

 ルクレチア・ゾラは『地』を極めたと称される魔女で、護堂の祖父と同年代でありながら、二十代の若々しい外見を保持している。

 若さの保持は、呪力が至純の域に達した魔女の特権だという。

 護堂と知己のある者では、ほかにヴォバン侯爵などがそれに当たる。彼は魔女ではないが、カンピオーネとしての極めて強大な呪力をその身に宿している。

 外見は老いて見える。が、ヴォバン侯爵は三世紀に渡り君臨する魔王だ。人よりも老化速度が遅いことがわかる。

 また、まだ面識がないが、中国の廬山に居を構える羅濠教主は、ルクレチアと同じく二十代の美貌を維持する老カンピオーネだ。その齢は二百年を超えるとされる。

 不老。

 それは、科学技術の分野では未だに人跡未踏の領域だが、呪術の世界では驚くほどのことでもないらしい。

 もっとも、ルクレチアの本分は、別に不老の術というわけではない。若さを保つのは強い呪力があれば誰にでも可能な術だ。それが一流の魔女の証ともされるし、ルクレチアの場合は容貌が非常に優れているのでそちらに意識を取られがちになるが、彼女は高位の魔女なのだ。その本質は呪術にあり、真に価値があるのは、長き研究の積み重ねによって蓄積された膨大な知識のほうだ。

「しかし、少年も災難だったな。心臓を抉り出された上に食われるなど、大抵の人間は未経験の領域だ」

 話を聞き終わった後のルクレチアの感想はそんなものだった。

 イタリアに来てから、さまざまなことがあった。

 アテナとペルセウスを相手に、サルバトーレとコンビを組んで戦ったことに始まり、そのサルバトーレと命を懸けた殺し合い。一段落したかと思った矢先に心臓を抉り取られて食われるという大事件に遭遇する。

 思い返すだけでもなぜ、この場所に立っていられるのか不思議になるくらいの壮絶な日々だった。

「普通の人間は死にますからね。そりゃ、経験がなくて当たり前です」

「だが、少年は生きているではないか。ふふ、少し見ない間に、ずいぶんと魔王らしくなったものだな」

「そうですね」

 否定しようのない現実だ。

 心臓を抉られたからには死んでいなければおかしいわけで、それでも生きているのであれば、それは人間というカテゴリーから逸脱しているということになる。

「なに。世の中にはクマムシなどという生物もいる。生命力が強いことは誇るべきだろう」

「今の発言のどこに誇れる要素がありますか?」

 以前、どこかのだれかにゴキブリと比較されたことがあったが、今度はクマムシか。

 宇宙空間で直接太陽光線を浴びて、それでも復活するという生物としてどこか間違っている生物と同列に扱われるのも、嫌だ。

 嘆息する護堂は、特に声を荒げることもなく冷静に指摘した。

「なんだ、つまらん。以前の少年のほうがおもしろかった。男子三日会わざれば刮目して見よというが、劣化してはどうしようもないな」

「いつまでも子どもではないということでしょう。半年も経てば、慣れますし、ルクレチアさんに会うとなった時点で、いろいろな覚悟をしてきているんですよ」

「ほう、大人になったと? 女を知らぬチェリーボーイだろう?」

「よけいなお世話です! それに、十五、六で経験があったら、それこそ問題でしょうが!」

「一郎は、十五の時には、すでに経験していたようだが」

「うおおお……身内にいたぁ」

 忘れていた事実を思い起こし、護堂は頭を抱えそうになった。

 そう。護堂の祖父は、希代の女誑しとして武名を馳せていたのだった。

「そもそも、少年の家系は女性関係に奔放な家系だと聞く。わたしとしても、君にそういう傾向があるのではないかと期待しているのだ」

「そんなこと、期待しないでください」

 これから、数日の間。このように弄られ続けるのかと思うと、両肩に重い荷物が圧し掛かっているかのような気持ちになった。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 ルクレチアの傍にいるのは、なにかと疲れる。 

 女性だらけということもある。今さらではあるが、ルクレチアのように、それを面白がる人間と同じ家に暮らすとなれば、精神的な疲労を感じてしまう。

 護堂は、散歩と称してその場から撤退した。

「いわゆる《蛇》というのは、まつろわされ、零落させられた女神たちに与えられる属性(・・)のことだ」

 護堂が外出している間、ルクレチアは二人の巫女を相手に講義を行っていた。

 どのような流れでそうなったのかは定かではない。夕食の最中に、呪術に関する質問が晶からルクレチアに投げかけられたのがきっかけだったのかもしれない。

 祐理と晶にとって、ルクレチアは偉大なる先達だ。膨大な知識を蓄え、また、それらを覚えているだけでなく、得た知識を正しく我が物として、より深く考察する頭脳を持つ。

 カンピオーネと共に行動する二人には、必然的に一定水準以上の呪術の知識と技能が求められている。

 そのため、日頃から呪術の研究や鍛錬を行わなければならず、そうなってくると独学でやっていくには厳しい。そんな状況だから、祐理も晶もルクレチアから得られるものはどんどん吸収してしまおうと、いつも以上の集中力で食い入るように話を聞いていた。

 それに、世界的に有名な魔女に教えを請うなどという贅沢は、そうそうできることではない。

 祐理や晶でなくても、呪術に関わり、ルクレチア・ゾラの名を知る者ならば、彼女に教えを請いたいと思うのは自然な流れだろう。

「そう、あくまでも属性だ。同じく、《鋼》も属性に過ぎない。数ある神話類型の中のペルセウス・アンドロメダ型神話に相当する武神と女神の間に成立する関係を言い表したものだな。だから、武神イコール《鋼》ではないし、竜イコール《蛇》でもない。そもそも、討伐されるのは竜ではなく単なる怪物だ。それが変わったのはキリスト教の影響が大きいな。キリスト教では竜は、邪悪な存在として扱われているからな。そこから討伐される怪物たちは竜として描かれるようになったのだ。まあ、断言するには至らないが、中世以降のヨーロッパでは顕著な流れだろうな」

「でも、日本にもアンドロメダ型神話はありますよ」

 晶の疑問に、ルクレチアは頷いた。

 キリスト教の影響をそれほど受けることのなかった日本にもアンドロメダ型神話があるということが、この話をややこしくする最たるものだ。

「スサノオと八岐大蛇が代表例だな。神話は民族や国家の歴史を反映するというが、あの神話を作った者はなかなか苦労したようだな。ああ、そんなことはいいか」

 自分で広げようとした風呂敷を畳みなおし、ルクレチアは話を続ける。

「わたしはかつて日本に留学していた時期があってな、アーサー王伝説に関係して日本の神話も調べたことがある。記紀神話は大陸の影響が多分にあるな。イザナミとイザナギの創世神話は儒教的だ。ニニギノミコトがコノハナノサクヤヒメを娶る際の話は、バナナ型神話に属するし、アマテラスは、少し捻ってあるが太陽の船型神話とでも言おうか、その類の話に当てはまるのだろうな」

「バナナ型神話は、確か、神から石とバナナの二者択一の問いを投げかけられた人間が、食べられるバナナを選んだことで寿命のある生物になってしまったという話ですよね」

「うむ、その通りだ晶嬢。ここでは、石が不老不死を、バナナが脆く腐りやすい生身の肉体を指し示しているわけだ。旧約聖書における知恵の樹と生命の樹の説話もそうだな」

「ニニギのところはなぜバナナ型なのですか?」

「あれは、コノハナノサクヤヒメとイワナガヒメがそれぞれバナナと石に対応し、コノハナノサクヤヒメは天皇家の繁栄を、イワナガヒメは天孫の不死性を表している。だが、それに気づかなかったニニギは結局、見目麗しい妹のコノハナノサクヤヒメだけを妻とし、イワナガヒメを送り返してしまったから、天孫は寿命を得てしまったという話だ」

「それでは太陽の船型神話というのはどういうことなのでしょう?」

 今度は、祐理がルクレチアに質問した。

「太陽の船型神話というのは、あくまでもわたしや一部の研究者が仮で呼んでいるだけだから、聞き覚えがないからといって恥じることはないぞ。これはな、西に沈んだ太陽が、東の空から昇る理由を古代人なりに考えて生まれた神話でね、代表例はエジプトのラーだ」

「太陽の船というのは、確かラーの乗り物だったかと。ピラミッドのすぐ近くから、それらしきものが発見されたとテレビで放送していましたが」

「ああ、それもある。ラーは日の出、日中、日没後で姿の変わる神でな、夜は雄羊の姿で船に乗り、死の世界を旅するとされている。そのときにラーが乗る船がいわゆる太陽の船。夜の間に東へ向かう、隠れた太陽の動きを表しているのだ。他にも、ギリシャのヘリオスなども日没後は黄金の杯に乗って海洋を東へ渡るというし、太陽神は、東から昇って西に沈む、太陽の運動を現す伝説を持つ場合が多い。そういえば、北欧神話のソールもそうだったな」

「でも、アマテラスは太陽の運行にはほとんど関わりがありません。どちらかというと、光の神としての側面が強いような気もします。天岩戸の話くらいではないでしょうか、太陽らしい話は……。とすると、太陽の船には当てはまらないのでは?」

 晶が言うように、アマテラスには太陽神らしい話はあまりない。太陽神としてよりも、皇祖神としての活躍のほうが目立っているようにも思われる。

 天岩戸伝説は、そんなアマテラスの神話の中で数少ない、アマテラスが太陽と関わりがあることを示すものだ。

「天岩戸。スサノオを恐れたアマテラスが、ヒッキーになったために世界が闇に覆われた話だったな。あれは、日没というよりも嵐に覆われた天。もしくは日食を表していると考えたほうがいいだろうな。原因はスサノオなわけだし。この神話によって、アマテラスはスサノオを追放するだけの力を得る。神々の中の頂点に君臨することを確かめるための儀式にも思えるな。まあ、それはいいとして、太陽の船との関わりだな。アマテラスは、君が指摘してくれたように、太陽神でありながら、太陽の運行を表す話はない。なぜなら、アマテラスは沈まぬ太陽(・・・・・)だからだ」

「沈まぬ太陽?」

「自然崇拝の日本人が、そのような不自然な神格を生み出したことも興味深いが、まあ、これは単純に、皇祖神でもあるアマテラスが、沈むのはまずいということだろうな。太陽は永遠に輝くもの。沈むなんてことは絶対にない。なぜなら、太陽が沈むということは、夜――――すなわち死の世界が現れるからだ。ラーが夜に旅をするのは死の世界だとさっき言ったな。夜は死に通じる時間帯だ。当時の政治家としては、アマテラスがそこに関わるのはなんとしても避けたかった。実際、アマテラスは巧妙に死から遠ざけられている。夜の神である月読とは、永遠に顔を合わせることはなく、その誕生には黄泉の王であるイザナミは関わらない。三貴神は父親の禊から生まれるのだからな。まあ、そんな風に試行錯誤して生まれたアマテラスは、決して沈まない太陽。日中の一瞬を切り取った、特異な太陽になったわけだ」

 祐理と晶が聞き上手だったことと、ビールが入ったことも手伝って、ルクレチアはいつも以上に饒舌だ。

「とはいえ、太陽の船型神話が日本にないわけではない。福岡県にある珍敷塚古墳の壁画には太陽と共にゴンドラ型の船が描かれている。この船は、記紀神話のアメノトリフネとの関わりを指摘されている」

 その古墳が作られたのは六世紀の終わりごろ。記紀神話が編纂されるよりも百年以上も前のことだ。それはつまり、記紀神話以前の世界、つまり縄文由来の神話の中では、太陽と船が密接な関係を結んでいたことになる。

「アメノトリフネ。つまり、トリノイワクスフネノカミですね。神産みのところで、イザナミとイザナギの間に生まれた、世界を渡る鳥の神にして船の神。そうしますと、この神と太陽神の関係が気になりますね」

 祐理に対し、ルクレチアは微笑んだ。

「ここまで来れば、さほど悩むことはあるまい。アメノトリフネは神話の中で様々な役割を演じるが、この神が最初に行ったことはなんだったか、知っているか?」

 そして、ルクレチアは、祐理と晶に問いを投げかけた。

 祐理と晶は、少しひるんだようにしたが、即座に頷いた。

 続いて晶が、ルクレチアの質問に答える。

「神産みのところで、ヒルコを流すことですね」

 そこは、日本の媛巫女。記紀神話の概要くらいは頭の中に入っている。驚くべきは、異国の神話にまで考察を巡らせる、ルクレチア・ゾラの知識量だ。

「ヒルコは、古事記では、イザナギとイザナミの間に最初に生まれた子。日本書紀では、必ずしも最初ではありませんが、古事記同様、身体に問題を抱えていて、流されてしまうことは共通していますね」

 祐理が、晶の答えに補足を加える。

「つまり、ヒルコとアメノトリフネが、それぞれ太陽と船の関係で結ばれているということでしょうか?」

「そうだ。ヒルコとはつまり、日の子だ。この話では、アマテラスはオオヒルメという名で現れる。ヒルメは日の女と書く。アマテラスが女性太陽神なら、ヒルコはこれと対を成す男性太陽神となるだろう。そして、アマテラスが日中に輝く太陽を象徴すると同時に、ヒルコは日没後の、海に沈む太陽の役割を与えられた。皇祖神としての太陽神には必要のない、船で旅をするという役割を押し付けられた――――古代の太陽神ということだな」

 ヒルコが流されるというのは、太陽が船に乗って旅をする神話類型に合致していて、さらにアマテラスを頂点とする日本神話において、それ以前の太陽神を追放するという意味合いを持たせているのだ。

 ヒルコが、アマテラスたちよりも前に生まれるのは、『二神の最初の子どもが出来損ない』という神話類型に当てはめた結果だろう。

 もっとも、日本書紀には複数のバージョンが存在するし、古代のアマテラスが男神だとする説もある。しかし、ここで重要なのは、政治上の都合で成立した日本書紀で、古い太陽神が流されているということだ。

 ヒルコの正体は、明確な文書として残っているわけではない。

 日本の古代を記した文字資料が、極めて少ないからだ。当時の習俗を知るためには、記紀神話や風土記などから推測するしかない。

「さて、そんなわけでアマテラスは《鋼》の英雄神すらも追放する名実共に最強の太陽となるわけだが、このアマテラスが本来は蛇神であるとする意見もある」

 そこで、一旦言葉を切って、

「《鋼》を追放するだけの力を有する蛇。これでアマテラスが《蛇》の属性をもっていたら、アンドロメダ型神話が成り立たないわけだ。少なくとも、すべての蛇、竜が《蛇》の属性を持つわけではないということは頭に入れておいていいだろうな」

 ルクレチアは、話疲れて喉が渇いたのか、ジョッキに並々とビールを注ぎ、一気に飲み干した。

 《鋼》と《蛇》の属性は、討伐する神と討伐される神という関係が成立して初めて与えられるものだ。そのため、そういった神話なり伝承なりがなければ《鋼》の属性も《蛇》の属性も持つことはない。

「日本では、八岐大蛇伝説がアンドロメダ型の代表と言ったが、逆に言えば、それくらいしか主だったアンドロメダ型神話がないということでもある。ヤマトタケルも似た神話を持つが、これも記紀神話だ。記紀の外に、竜退治を求めるのは、難しい。見つけようとすれば、それこそ、民間伝承レベルにまで下がることになる」

「まあ、日本には神話と呼べるものは記紀と風土記くらいしかありませんし……」

 晶の言うとおり、日本神話は、ギリシャ神話のように物語としての発展がなかった。それは、民族・宗教としてのあり方が、記紀神話成立以降もほとんど変わらなかったからかもしれない。天皇家に関わる神話を、勝手に解釈して文学化することは、当時の日本人には考えられなかったことだろう。

「キリスト教で竜が悪となったのは、聖書の神の敵対者が竜の姿で現れるからだ。そこから、竜と悪魔は同一視され、特に中世以降、竜は悪の代名詞にまでなった。一方日本では、竜神信仰が未だに残っているくらいだ。竜は悪ではなく、水の守護獣と認識されることが多いな。蛇口という言葉があるくらいだしな。討伐される役目は竜ではなく、別の存在に置き換えられた」

「鬼、ですね」

「そう、鬼だ。もしくは妖怪。零落した神々の成れの果てとする説もあるな。まあ、とにかく、日本では強い、悪いの代名詞は鬼だ。よって、伝説の中で退治されるのも鬼になる。少年が倒した源頼光が《鋼》の軍神なのは、酒天童子が、討伐される《蛇》の属性を持っていたからだ」

 護堂の得ている権能は、現在四つ。

 ガブリエルから簒奪した『強制言語(ロゴス)

 火雷大神から簒奪した『(エイト・アス)(ペクツ・オブ)(・サンダーボルト)

 源頼光から簒奪した『神便鬼毒酒(フォッグ・オブ・ザ・インタクシケイション)

 一目連から簒奪した『武具生成(アームズ・ワークス)

 賢人議会の会員のみが見ることのできるウェブページには、カンピオーネたちの情報が掲載されている。

 ルクレチアも、暇なときにはここに目を通し、護堂の情報を取得していた。

「そういえば、少年は《蛇》の権能も持っていたな。火雷大神から簒奪した権能。まあ、あれが《蛇》かどうかは議論する必要があるだろうが、驚異的な生命力があるそうだな」

「蛇神から奪った力ですから。日本には、今でも蛇信仰はありますし」

 白蛇は縁起がいい、とか言う話はよく聞く。

 晶が言いたいのはそういうことだった。

「ふむ。聞いた話では、少年は心臓を抉り出されて瀕死の重傷だった。……サルバトーレ卿との戦いの直後で疲労困憊、呪力も心もとないという状況だ。果たして、そんな状態から即座に復帰することができるのか」

 よく分からないと、首を捻る晶の隣で、ビク、と震えたのは、祐理だ。

 人生経験が豊富かつ、人をからかうことが大好きという困った魔女は、その僅かな身じろぎが自論を裏付けるに足る証拠になると察した。

「やはり、治癒を施したか。そうだな、一方が敵と戦っている最中、自分だけが何もしないわけにはいくまい。かといってできることといえば、怪我を癒すことくらい……」

「ル、ルクレチアさん! あの、その話は」

 祐理が顔を赤くして、止めに入る。状況を理解していない晶には、何がなんだか分からない。なんとなく、胸騒ぎがして、ルクレチアに説明を求めた。

「ルクレチアさん。今のはいったいどういうことでしょうか?」

「ん? 少年が心臓を抜かれた時のことだ。君は正体不明の敵と戦っていただろう?」

「え、はい。そうです。負けちゃいましたけど……」

「うむ。その時に、万里谷嬢が何をしていたかと言うと、少年に治癒魔術をかけていたのだよ。ちゃっかりな」 

「はあ……あれ、でも、カンピオーネには呪術が効かない。ま、まさか!」

 晶が勢いよく立ち上がった。イスが後ろに倒れるのも気にかけない。思い当たったのは、彼女にとっては最悪のシナリオ。だが、しかし考え付くのはそれしかない。

 頬を赤く染めて言葉を失っている祐理を見れば、確信せざるを得ない。

「ま、万里谷先輩。草薙先輩に、キキ、キ、キスしましたね!」

 呪力を弾くカンピオーネに術をかける方法。

 広く知られているものとしては、経口摂取がある。つまり、口付けである。

「あれは、そういうふしだらなものではありません! た、単なる人工呼吸のようなものです!」

「そ、それでもキスはキスだし!」

「応急処置だから、ノーカウントです!」

 祐理は腕でバッテンを作って必死に否定しようとする。

 祐理からすれば、緊急事態だったのだから仕方がない。カンピオーネに呪力を渡し、治癒を促進するためにはああするしかなかった。晶もそれは分かっているが、キスをしたという事実が気に入らない。偏に感情の問題だ。

 かみ合うはずのない平行線の論議に、水を差すのはルクレチアだ。

「話は簡単だ。そんなに羨ましいのなら、君もしてしまえばいい」

 二人はほぼ同時に固まって、

「す、するって……!」

「キスをすればいい、と言っているのだ」

「な、なんでそんな話に。できる訳ないじゃないですか!」

「いいだろうキスくらい。こっちじゃ初めて会った相手でもするぞ、挨拶で」

「それ、日本じゃ犯罪ですよ」

「カンピオーネなら、犯罪ではない。向こうをその気にさせてしまえば公然猥褻だろうが猥褻物陳列罪だろうが合法だ。況やキスをや」

「なんてこと言ってんですか!? というか、況やの前と後の次元が違いすぎますけど!?」

「いや、そんなことはないぞ」

「キスと猥褻物陳列罪を同列扱いですか!?」

 あまりの言いように、晶の言葉も荒くなる。

 冷静沈着で、落ち着いた大人の女性。そんなイメージを抱いていたというのに、それが、一挙に瓦解してしまった。

 ルクレチアと晶の言葉の応酬で、祐理はすっかり蚊帳の外だ。そのことに、ほっとしつつ飛び火しないように心から願った。

 そして、その時、玄関から物音がしたので、そちらを振り向いた。

 少しして、ドアが開き、護堂が入ってきた。

「ただいま戻りましたー。……なんの騒ぎだ?」

「あ、いえ。お気になさらず」

 と、祐理が取り繕おうとしたところで、

「ほら、帰ってきた! お帰りのちゅーから始めよう!」

「だから、そういうこと言うの止めてくださいよ!」

 ルクレチアが、キース、キースと連呼。晶は、そのコールを必死に止めようとしている。これは、まさに合コンのノリだ。ルクレチアの足元には、ビールの空き缶がいくつも転がっている。

「ルクレチアさん、もしかして目茶苦茶酔ってる?」

「あ、そういえば、お話されている間に、ずいぶんと飲まれていたような……」

 夢中になって話を聞いていたから、そこまで気にしていなかった。どこかで止めていれば、この惨状はなかったかもしれないのに。

「わかった。君がそこまで言うのなら、仕方がない。わたしが一つ、手本を見せてやろう」

「は? ちょ、ちょっと、何を言って……先輩逃げてーーーー!!」

 ルクレチアが衣服に手をかけ、危険を察知した晶がそれを阻止しようと飛びかかり、護堂はわけも分からないままに、自室へ戻ることを促され、祐理はどのように事態を収拾すべきか頭を悩ませた。

 

 




どうも、お久しぶりです。
一月以上ぶりになりますか。間を開けてしまって申し訳ありませんでした。私、実は教育学部の人間でして、もうすぐ、あの時期に突入するということで準備のために忙しくしておりました。ゼミの発表とかもありましたし。とりあえず六月終わるまで、気が抜けない状態が続いておりますので、これから先も不定期になります。始めるまでにもう一度くらい更新したい。

ちなみに、このssのラストは決まってますので、そこまではちゃんと持っていくつもりです。

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