カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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五十三話

「今から千年ほど昔の話だ」

 そう前置きして、スサノオは話し始めた。

「あの時代は、呪術の最盛期って感じでな。平安京を中心に、今とは比べられねえくらいの実力ある呪術師どもがわんさかいたもんだ」

 ちょうど、スサノオが隠居して間もない頃だったという。

 平安時代中期。

 藤原家の摂関政治が興隆していたまさにその時で、時代の覇者は藤原道長である。

 現代では、すっかり日陰者となってしまった呪術も、この時代は日向の者であった。いや、日陰者を表で使わねばならないほどに、闇が濃かったというべきかもしれない。

 何れにせよ、呪術は日常の中に存在し、それを当然のものとして人々は生きていた。

「そんな時代よ。人間どもは目に見ねえモノを信じ、恐れていた。時の帝でさえな。呪術師として、それなりに力があれば、権力者に取り入るのも容易だったんじゃねえかと思うが。そんなところに、一柱の『まつろわぬ神』が異国(とつくに)から渡ってきたのさ」

 珍しいことではない。

 『まつろわぬ神』は、地上のことなどどうとも思っていない。

 好きなように暴れ、好きなように旅をする。気の向くまま流浪するのだから、異国の神が日本を訪れたとしても不思議ではない。

「そのジジイの奇妙なところは、見込みある人間の呪術師を弟子に取ったところだ。何が目的だったかは、分からねえが、播磨のあたりを中心にちょっとした呪術結社を作りやがった」

「『まつろわぬ神』が、そんなことを?」

「呪術の神だ。こと呪術において、右に出るもんはいねえ。問題はこっからでな、ソイツはよりにもよって、京に手ェ出しやがった」

 当時の天皇も摂家も恐れ慄き、神仏に祈りを捧げて身の安全を祈願した。

 もちろん、相手は本物の神である。人間の祈祷程度が効力を上げるはずもない。

 積極的に人間社会に関与しようとする神。

「それで、ソイツはどうなったんだ?」

「当然、討伐隊が編制されるわな。初めは武士どもが、次に陰陽寮の呪術師どもが。それでも尽くが返り討ちだ。中には裏切って向こうに付いたのもいた」

 相手が進んで手を出そうというのなら、討伐する以外に生き残る術はない。京を守るため、『まつろわぬ神』に挑むという暴挙。

「まっとうな呪術師では話にならねえことは、数度の討伐戦で明らかだ。名誉も何も関係なく、なりふり構わず倒さなきゃならねえ状況に陥った。そこで、当代最高峰の呪術師や武士が選ばれた。その筆頭が、陰陽師安部晴明だ」

「安倍、晴明……」

 護堂はごくり、と生唾を呑んだ。

 あまりにも有名な、陰陽師の名。

 現代でも、漫画やドラマ、映画と様々な媒体で主人公として描かれる、平安時代を代表する英雄ではないか。

「まさか、そんな大物が出張るってのか……」

「ほかにもいるぜ。源頼光、渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光、源頼信、平維衡、平致頼、藤原保昌……」

 スサノオが挙げる名は、どれもこれも現代ならば『まつろわぬ神』となって降臨してもおかしくない武辺者たちだ。源頼光など、実際にゴールデンウィーク中に降臨している。

「オールスターかよ……」

「ま、このほとんどが道長の側近なんだがな」

「確かに……」 

 道長固有の軍事力。尋常ではない。さすが、天下人だ。

「んで、俺たちもこいつらに手を貸した。晴明には天叢雲剣を貸してやったしな」

「貸したのか」

「アイツ、半分は神祖だからな。呪の力が強いのはそのせいだ。恵那みてえなことが普通にできた」

「そういえば、母親はキツネだって。神祖だったのか」

 伝説が真実だというのは、胸躍る展開だ。しかし、それにしても安倍晴明が天叢雲剣を振るうか。きっと、恵那以上に強力な存在になったことだろう。

 おまけに、仲間には退魔刀の最右翼童子切安綱を持つ源頼光に、雷神の子ともされる坂田金時、一条戻り橋の鬼退治で有名な渡辺綱などなど、化物退治のスペシャリストたち。

「なんで初めから出さなかったんだ」

「出し渋ったのさ。討伐に行かせたら、身辺を守ってくれる輩がいねえじゃねえか」

 どうやら、道長はへたれだったらしい。

「そんで、いろんなもんの威信をかけた討伐隊が、敵の軍団と正面衝突さ。場所は大江山。鬼が住むとされた土地だ。相手は『まつろわぬ神』だから、まっとうなやり方じゃ勝機はねえ。俺も天叢雲剣を通して権能使ったりして後押ししなけりゃならなかった。しんどかったぜ、あれは」

 幽界から現世に干渉するのは、神の力を以てしても難しい。

 今回、護堂を連れ去ることができたのは、恵那が天叢雲剣を使って術式を刻み込んだからだ。史上最高峰の陰陽師の手にある天叢雲剣なら、幽界のスサノオの力を存分に引き出せるかもしれないが、難しいものは難しいのだろう。

「それで、戦いには勝ったんだな」

「奇跡的にな。苦戦に苦戦を重ねたが、こっちだって用意周到に準備をしていたわけだ。第一、相手は本気で戦っていなかったからな。晴明と術比べをしているつもりでやってたんだよ」

 『まつろわぬ神』は人間を相手に本気で戦わない。

 そこにつけ込んだのだ。

 敵の『まつろわぬ神』は、安倍晴明と試合でもしているつもりだったのだろう。もしかしたら、胸を貸す思いもあったのかもしれない。負けるとは微塵も思わなかったはずだ。それが、大きな隙となった。

「まあ、倒したわけじゃねえ。天と大地の精を利用した大呪法で、神性をそぎ落としてやっただけだ。人間にできるのは、それが限界さ」

「それだけでも、相当のモノだと思うけどな」

 『まつろわぬ神』とて、そんな術を易々と食らったりはしないはずだ。それは、幾度となく相対してきた護堂だからこそ断言できる。つまり、人の身でそこまで追い込んだということだ。相手が油断しており、かつスサノオのバックアップがあったからなせたことだが、それでも尋常のことではない。

「『まつろわぬ神』の神性をそぎ落とすか。そんなことができるなんてな」

「オレがいろいろと動いてやったからできたことだ。そうでなければ成功するはずがねえだろ」

 護堂は頷いて、賛意を示す。

 人間だけでは、『まつろわぬ神』には届かない。そして、御老公たちは、日光に孫悟空を封じているという実績がある。

「で、それからどうなったんだ?」

「どうもこうもねえよ。相手は身体を無くしてどこぞへ消えた。それで終ェだ」

「……おいおい、俺の転生についてはどうなったんだよ。その話をするんじゃねえのかよ」

「それはこれからだ。いちいち喚くな。終わったっつっても、根本は解決しちゃいねえ」

 そう、今の話が真実だとするのなら、神性を剥奪された『まつろわぬ神』が今も、日本のどこかにいるということである。

 そして、それがスサノオたちの危惧する『ジジイ』なのであろう。

「ソイツがじきに復活するってことか」

「おう。そういうこった」

 進んで人の世に関わろうとする『まつろわぬ神』。それが、現代に蘇ろうとしているのだという。

 護堂はさすがに慄然としてしまった。

「とはいえ、それは千年前から分かっていたことだ。神性を剥奪したとはいえ、ヤツは死んじゃいねえ。いつか、力を取り戻すだろうとはな」

「分かってて、それでどうした」

「『まつろわぬ神』に対抗するには、神殺ししかねえ。オレたちは、この千年の間にヤツに対抗できる神殺しを待ってたんだよ」

 神殺し。

 それが意味するところは、つまり。

「俺の転生に、あんたたちが関わってたってのか?」

「主導したのは晴明だがな。泰山府君の法って知ってっか?」

 それは肯定したに等しい回答だった。

 泰山府君の法といえば、安倍晴明が使用したとされる命に関する呪術だ。

「そんな、バカなことが……」

「本来なら、不可能だが、国全体から力を集めて蓄えれば転生の大秘法を発動させることはできる。それに反魂自体は難しい呪術ではないしな」

 スサノオは嘯き、ミイラが、

「それは間違っておりますな。反魂は本当に難しい呪でございます。少なくとも、人の身ではそうそうに扱えませぬ」

 そう反論した。

「だけど、仮にそれが事実だったとしても、生まれ変わったヤツが神殺しを成し遂げるとは限らないはずだ!」

「もちろんだ。オレたちも半信半疑だったよ。だが、オメエ、神殺ししたじゃねえか」

「ぐ……ッ」

「この大秘法に必要なのは膨大な呪力だ。それこそ『まつろわぬ神』に匹敵するな。そうでなければ、こんな奇跡が起こせるか。そして、その呪力の大部分は、神殺しを成し遂げる可能性のある魂を選別することに使われる。転生させること自体は、それほどでもないが、こっちが難しかった。とにかく、オレにはそういう力がねえからな。晴明をはじめ、星を読める連中が、なんやかんやするしかなかったわけだ」

 だから、スサノオ自身は、この呪法にはほとんど関わりがなかったらしい。ただ、星や大地の精を使うのに手助けはしたらしい。

「この大秘法は、基本的にあのジジイに対抗する力を持つ者を生み出すための物だ。相手が『まつろわぬ神』だから、それに対応して生まれてくるヤツは神殺しになる」

「そういうもんかよ」

「そういうもんだ」

「だけど、それほどの呪力をどうやって集めたんだ?」

 自分はそのジジイとやらを倒すために呼ばれた存在だという。まさか、生前読んでいた小説の世界で生じた力が、死後の自分の魂にまで干渉するとは思わなかったが、反論を構成するだけの材料がない。死後の世界は、もしかしたらすべてが同じ場所に繋がっているのかもしれないなどと、思わずにはいられなかった。

 そして、護堂は問いを続ける。

 納得したわけではない。しかし、スサノオの言っていることが事実なら、護堂は今のところ、スサノオたちの予定通りの行動をしていたことになる。

 神様には関わらないと決めておきながらも予定調和だというかのごとく神殺しを為してしまったのも、そういう星の下に生まれているからだというのか。

 すべてが、生まれる前から決まっていて、だからこそこの世に生を受けたと?

 転生したからには、何かしら自分の人生に意味を見出そうとは思っていた。それを求めてもいた。しかし、それを他者に規定されるのは、不愉快でしかない。

 しかし、納得できなくても、それが事実なら納得せねばならないだろう。

 わがままな子どもではない。自分に都合が悪くても、そこで拗ねては話が前に進まないというものだ。

 だから、問う。

 少しでも、納得がいくように。

「大呪法に用いる呪力か。それはな、畿内の大魔法陣を使ったのさ」

「大魔法陣?」

「おうよ」

 それから、スサノオは玻璃の媛に目配せをする。

 玻璃の媛は、スサノオの合図を受けて術を使った。

「ご覧ください、羅刹の君よ」

 空中に映し出されたのは、見慣れた畿内の地図であった。

 ただし、そこには大きな星が書き込まれている。

 ただの星ではない。

 一筆書きで描かれるそれは、五芒星(セーマン)と呼ばれる魔法陣。安倍晴明が好んで使ったものだ。

「ッ……」

 思わず、息を呑んだ。

「このセーマンは、外宮豊受大神社、伊吹山、伊弉諾神宮、熊野本宮大社、伊勢内宮の五つの霊地を結んだもので、一つの辺が、およそ百七十キロになる巨大なものです。そして、外宮豊受大神社と伊吹山を結ぶ線は、そのまま富士と出雲を結ぶ線に重なります。元々は、出雲から畿内を守るための魔法陣なのですが、此度の大秘法のために、流用いたしました」

 おまけに、セーマンの中心には奈良があり、その真上には京都がある。どちらも都がおかれた都市で、中心線上に位置しているのは、偶然というにはできすぎていた。

「わたくしたちは、このセーマンを以て千年の時を費やし、阿頼耶の可能性に賭けた――――そして、あなたさまがお生まれになったのです。あの翁を打倒しうる、唯一の存在として」

 希代の大陰陽師と幽界の御老公たちが、千年という月日の先にある危機的状況に対処するためだけに、心血を注いだ結果、今護堂はここにいる。

「正直、実感が湧かないな。そんなことを言われても」

 護堂に反論する術はない。

 様々な思いが、胸に去来するが、言葉にすることができなかった。

「申し訳ありません」

 玻璃の媛が淑やかな所作で頭を下げた。

「な、何を謝っているんです?」

「わたくしたちの都合で、あなたさまを巻き込んでしまいました。羅刹の君の運命を背負わせたのは、他でもないわたくしたちです。恨まれても仕方がありません」

「そんな……」

 護堂は言葉に詰まった。

 恨む?

 それは、大きな勘違いだ。

「頭を上げてください。俺は、別にあなた方を恨んじゃいない」

 そう、恨めるものではない。

 皆が皆、全力でやった結果ではないか。守りたいものがあって、それを守るために死力を尽くしたのだ。

 そして、その期待を背負って生まれたのが、護堂だったというだけの話だ。

 納得できないところは多々あるし、不快を感じる部分もある。しかし、それ以上にありがたいと思えるのだ。

「むしろ、感謝しなければならないと思っています。あなた方のおかげで、俺はこの世に生まれてこれた。あのままでは死んでいたのは確かなんですから、恨むなんて以ての外でしょう」

 それだけは、確実に言える。

 この世界に生まれたからこそ、出会えた仲間がいる。

 スサノオたちは、戦い続ける運命を護堂に背負わせたかもしれない。

 しかし、それは護堂がこの世に生まれ変わるための対価のようなものではないだろうか。 

 転生という、あってはならない現象を体験したのだ。それくらいのペナルティーは甘んじて受け入れるべきだ。  

「あー、この国の敵を排除するためとかってのは、よく分かんないですし、正直荷が重いんですけどね」

 護堂は頭の裏をかいた。

 そして、スサノオたちを見回して、

「まあ、ソイツが出てきたら――――あなた方に言われるまでもなく俺が戦いますよ」

 どう考えても俺以外に戦えないし、と護堂は内心で加えた。

 

 

 

「ハッ」

 護堂の決意を聞き、スサノオが笑った。

 嘲笑ではない。

 呆れ紛れではあるが、決して相手を見下す笑みではなかった。

「殊勝なことを言うじゃねえか。コイツは逸材だったんじゃねえか?」

「なるほど。さすが晴明様がお選びになった相手というわけですな」

 玻璃の媛は、そんな二人をねめつけて、護堂に問う。

「よろしいのですか? わたくしたちは確かに、あなたさまがお生まれになる手助けをいたしました。しかし、それは、あなたさまの人生を規定するものではありません。戦わないという選択肢も、あるのですよ?」

「そうでしょうね。でも、結局戦うことになると思いますよ。実際、俺はカンピオーネになってしまった。それって、そういう星の下に生まれているってことですから。避けられる戦いに、首を突っ込むヤツはバカですが、避けてはいけない戦いから逃げるのは、ただの臆病者です。戦わなきゃいけないのなら、俺は戦います」

 この国には、大切な仲間がいて、大事な家族がいる。それに害を為そうというのなら、黙ってはいられない。

 これまでもそうだった。

 結局護堂は、巻き込まれ体質ではあるが、最終的には自分で戦うことを選んでいる。誰に強制されたものではないのだ。

 これは、草薙護堂が決めたことだ。

「なるほどな。そういう男だからこそ、選ばれたのかもな」

 スサノオは、訳知り顔で呟いた。

「最後だ。相手の『まつろわぬ神』だがなオレたちも神の領域にいるんでな、名を教えてやるわけにもいかねえ。めんどくせえ縛りだが、悪ィな。だが、ジジイを確実に縛るために、名を摩り替えておいた」

「名を?」

「本来の力を発揮するのを、遅らせるためにな」

「ということは、神話を作り変えたわけだ」

 『まつろわぬ神』は、神話を核に構成されるが、その神話が失われるとその神の名を失う。新たな名を得るか、名無しの神として流浪するかは様々だが。

「まあな。もっとも、呪で縛るためのものだ。その辺の神が名をなくすのとは訳が違う」

「だろうな。それで、その別名くらいは教えてもらえるのか?」

「おうよ。ソイツに刷り込んだ名は、『蘆屋道満』。安倍晴明に敗れた陰陽師として、現代まで語り継がせてきた」

 蘆屋道満。

 安倍晴明のライバルとして語られる陰陽師だ。

 実在するか否かは護堂には分からないが、今のスサノオの言によれば、晴明に敗北した呪術師の名を与えることで、その『ジジイ』本来の神格を抑えているということになるだろう。

 そして、近々その封が破れる。

「まあ、千年だ。持ったほうだろ。それじゃあ、これでオレの話は終わりだ。悪かったな、無理に呼んじまってよ」

 スサノオがまったく悪びれた様子なく謝る。

「羅刹の君。お戻りになるのでしたら、お急ぎください。これは、あなたさまの側女たちの様子でございます」

 浮かんでいた地図が消え、現世の映像に切り替わった。

「はあ?」

 声はスサノオ。

 映像に映っていたのは、夜闇に明滅する火花と、武具を打ち鳴らす恵那と晶であった。

「なんでこいつら戦ってんだよ!」

 護堂が叫び、

「天叢雲剣のヤツめ、暴走してやがる。どうしたんだァ」

 スサノオが自分の髭を撫で付けている。

 どうやら、これはスサノオたちにとっても慮外の出来事のようだ。

「それにしても、神憑りした巫女と渡り合うとは、なかなかできる娘ですな」

「あの武威、頼光を思い出すぜ」

「おまえら観戦してんじゃねえよ! なんとかしなきゃまずいだろ!」

 護堂は叫ぶが、スサノオたちは、慌てる様子がない。

 なんとかって言ってもなぁーとやる気がない。

「羅刹の君よ。ご安心ください。あなたさまの側女の一人が、もうすぐ幽界に参ります。その者の下に行けば、すぐにでもあの現世に戻ることができましょう」

 側女?

 一瞬、聞き慣れなさすぎて誰のことを言っているのかわからなかったが、それが祐理のことだと思い至った。

「そうか、万里谷か」

「かの巫女が現れるのは、あなたさまが現れたその場所でございます。あなたさまのご人徳を以て、巫女たちをお救いください」

「ありがとうございます!」

 護堂は礼を言うや否や、外に飛び出して行った。

 このすぐ後、現れた祐理と合流した護堂は、幽界から去り現世へ舞い戻った。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 裂帛の気合が、晶の喉をついて溢れ出す。

 神槍が鞭のように撓り、恵那の神剣と衝突する。

 振り下ろす一撃が、刺突に比する速度。

 遠心力を用いた打撃こそが、槍の本来の攻撃方法だ。

 足の裏から大地の呪力を吸い上げて、全身に循環させているおかげで、敵の身体能力についていくことができている。

 しかし、

「ぐ、く」

 奥歯を噛み締め、せり上がるモノを堪える。

 様々な部位が悲鳴をあげている。

 人が扱うには重過ぎる呪力を使い続けることに対して、肉体が悲鳴をあげ始めている。

 もしかしたら、すでに限界かもしれない。

 もはや、自分の限界がどこなのかすらもわからない。

 だが、止まらない。止まれない。それは、そこまで死力を振り絞りながら、敵が一向に倒れないからだ。

 晶の技は無謬にして華麗。一方の恵那は、人形染みた直線的な動きで捌いていく。晶が恵那と対等に渡り合えているのは、槍と刀のリーチの差に助けられているところも大きい。

「この……」

 それでも、徐々に押されている。

 相手の速度は緩むことなく、それどころか加速しているようでもある。

 晶は身体中が傷んでいて、全身から痛みを感じている。

 恵那もきっとそうだろう。しかし、恵那の身体を操る神剣には、それは小さな障害でしかない。動けばいい天叢雲剣と常に痛みを感じ続ける晶では、俄然、晶が不利である。

『ぬん!』

 豪風を湛えた一刀が、晶の神槍の柄を強く叩いた。

「ああああッ!」

 とてつもない衝撃は、腕を伝って全身を叩き、晶の身体を宙に舞い上げた。

 視界が回る。

 手足がどこを向いているのかも把握できず、ただ為す術なく踊る人形のよう。

「あ……」

 視界の端に映る輝きは、神槍のそれ。いつの間にか手を離れ、あらぬ方向へ飛ばされている。それも無理のないことだ。なにせ、もう握力がない。

 神槍を失ったことで、天叢雲剣の簒奪能力を防げなくなった。

 全身から、急速に力が失われていく。

 これは死んだな、と他人事のように思えた。

 この高さから落ちて生きていられるはずがない。呪力がなくなってしまったために、術で身を守ることができないのだ。

 空に舞い上がった身体は、一度昇りきってしまえば、後は重力に任せて落ちていくだけだ。

『緩め』

 その晶の身体を、慣れ親しんだ呪力が包み込む。

 落ちるだけだった身体が、見えない力に支えられて浮いた。そして、ゆっくりと地上に降りる。

「間に合った。よかった」

 護堂が晶を受け止めた。

「先輩?」

「晶、大丈夫だったか? ずいぶんと面倒なことになってるみたいだけど」

 状況がつかめなかった晶は、しばし固まって、それから自分の状況を理解してさらに固まった。

 護堂の問いが耳に入らない程度には、混乱していた。

 今、晶は俗に言うお姫様抱っこをされている。そのことに、理解が追いつかなかったのだ。

 耳まで赤くなり、彫像のように固まった晶を心配した護堂は、確かめるように問いを繰り返した。

「おい、晶。どうした? どこか、傷むところでも?」

「あ、あ、大丈夫です! 全然、全然、イッ!?」

 大丈夫なわけがない。全身を酷使したのだ。敵から受けたダメージというよりは、自分の力に身体が耐えられなかったために負ったものが多いが、筋肉の損傷から関節の炎症などが身体中で起きている。

 慌てて否定しようとして、ジタバタと身体を動かしたために、鋭い痛みが晶を襲ったのだ。

「大丈夫じゃないみたいだな。まったく、無理ばかりして」

 護堂は晶を地面に降ろし、若雷神の化身を使った。

 護堂だけでなく、他者の怪我を癒すことも可能なのだ。

 晶に使うのは、土蜘蛛の一件以来となる。

「これで、いいな」

「ありがとうございます……」

「いや、悪かったな」

「何が、ですか?」

「もっと早く戻ってこれればよかったんだけどな」

 しゃがみこむ晶の頭に手を乗せて労った。

「よくがんばってくれたな。後は、俺がやる。すぐに終らせるから、休んでいてくれ」 

「……はい」

 頬を綻ばせて、晶は頷いた。

 

 

 

『邪魔立てするか、神殺し』

 憎憎しげな声で天叢雲剣が言う。

 神剣の切先を、目の前に進み出た護堂の心臓へ向け、呪力の風を吹き荒れさせる。

「当たり前だ。ついさっき、守れるもんは守るってあんたの主に宣言してきたところだ。いきなり反故にするわけにはいかねえよ」

 神剣を突きつけられていながら、護堂は落ち着いていた。

 理由は二つ。 

 自分の出生の秘密が明らかになったことで、これまでの悩みから解放されたこと。ウジウジと悩む性質でもないが、頭の端には引っかかっていた。喉に刺さった魚の小骨のようなもので、それが消えたことで心が軽くなっていた。

 そして、実戦的な理由。

 今の天叢雲剣に脅威を感じないのだ。

 あれはあくまでも神剣であり、神の使い程度のモノでしかない。

「おまえは俺の敵じゃないよ」

『ぬかせ、神殺し』

 恵那の身体が一直線に護堂に向かって走る。

 地面と水平に跳んでいるかのような、驚異的な移動。

 晶を追い詰めた、重い斬撃が護堂の脳天を目掛けて振り下ろされる。

「遅いよ」

 鉄を打ち鳴らす、乾いた音が響く。

 護堂が生み出したのは、歪な形をした槍だ。先端が二股に分かれていて、その間に天叢雲剣が挟まっている。

 槍の穂先を十手にしたようなものだ。

「清秋院の身体にも大分負担がかかっているみたいだな。動きがぎこちない上に遅い」

『ぬう』

 天叢雲剣が、呻く。護堂は、『弾け』と言霊を恵那の手首に叩きつけ、同時に槍を捻る。

 言霊と梃子の原理に攻め立てられた恵那の手首は、もはや天叢雲剣を握ることはできない。神剣は恵那の手を離れて弾き飛ばされ、くるくると回転してからグラウンドの固い地面に突き立った。

 天叢雲剣と切り離された恵那は、糸の切れた人形のようにぐったりとして崩れ落ちた。

 地に倒れ伏した恵那の傍に膝をつき、様子を確認する。

 医療の知識のない護堂では細かいところまでは分からないが、息があるから一先ずはよしとした。怪我がひどければ若雷神の化身を使えばいい。怪我の度合いが一定以上であれば何度でも使えるのが、若雷神の利点である。

「草薙さん! まだです!」 

 離れたところから見守っていた祐理が叫ぶ。

 まだ、神剣の戦意は衰えていない。

 原作と同じ展開だ。

 敵の戦意を示すかのごとく、風雨は強くなる一方である。

 護堂は肺の中の空気を入れ替えて、頭をクリアにする。

 目の前で、形態を変化させていく天叢雲剣を観察する。刀の形状から、自立行動ができる人間型へ。大きさは二十メートルほどで、頭の部分はなく四肢は刀身となっている。

 なるほど、こういう風に変化するのか。

 護堂は興味深く、その光景を見守った。

「来るか」

 護堂に向かって天叢雲剣が走った。奇怪な動きでありながらも、速い。

 その動きに先んじて、護堂は聖句を紡ぐ。

「雷雲に潜みし、疾くかける稲妻よ。集い来たりて我が足となれ!」

 護堂は、恵那を抱えて加速する。

 天叢雲剣が雨を降らせているおかげで、神速を存分に使用できる。 

 身体を雷にすることなく、人の身のままで高速移動。祐理の隣に恵那を横たえた。

 突然現れた護堂に目を丸くする祐理に、恵那を任せて再び神速へ突入する。

「やっぱり、神速を捉えることはできないみたいだな」

 天叢雲剣に心眼の類はない。

 神速を解除し、地面に足を付ける。敵との距離は、二十メートルほどだ。

「我は鉄を打つ者。我が武具を以て万の軍をまつろわせよ!」

 護堂は一目連の聖句を唱える。

 護堂に気づいた天叢雲剣が、猛然と地を蹴った。

 今度こそ、護堂の身体を両断しようと刃の右手を振りかざす。

 だが、遅い。

 その動きは、人間から見れば対処できぬほどに速いのだろうが、数多くの『まつろわぬ神』と死闘を繰り返した護堂からすればあまりにも遅かった。

 光が奔り、巨人の胸に直撃した。

 それは一挺の見事な槍。

 衝撃で、天叢雲剣は吹き飛ばされた。

「同じ武器でも、カンピオーネが使うのと神の使いとして暴れまわるのとでは格が違うか」

 それを確認してから、護堂は、起き上がろうともがく天叢雲剣に向けて百を超える宝剣宝槍の類を叩き付けた。


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