五十四話
もしも、原作通りの展開があるとするならば、そろそろ羅濠教主が攻め込んでくる時期だと思われる。
これまで、ずいぶんと護堂の知る話と異なる展開が多かったが、概ね原作プラスαという形でこの半年は進んでいる。羅濠教主と孫悟空のイベントだけ存在しないという都合のいい話はないだろう。
そこで、護堂は悩んでいた。
羅濠教主が来て、戦うことになったとしよう。それはいい。孫悟空も仕方がない。だが、もしも孫悟空が万里谷ひかりの身体を乗っ取った状態になったら、どう戦えばいいのだろうか。
原作のように知恵の剣があるわけではない護堂は、ひかりの身体を傷つけずに孫悟空を切り裂くなどという器用な真似はできない。
では、どうするか。
一番確実なのは、孫悟空が復活しないようにすることだ。
しかし、そうなると羅濠教主を打倒しなければならなくなる。それも一度ならず、羅濠教主が生きている限りずっとである。
孫悟空を殺すのを目当てに日本に来る羅濠教主をそのつど追い返すことができるのか。一度や二度は可能だろう。しかし、それが三度四度と続いたら? おそらくどこかで護堂は死ぬ。
では次善の策として、羅濠教主と孫悟空を勝手に相食ませる。
実はこれが一番いいのではないかと思える。
ようするに、孫悟空の封印さえ解いてしまえば、ひかりが身体を乗っ取られることもないのである。
いろいろ考えたが、護堂としてはひかりの身体が無事ならば後はどうとでもなりそうだという結論に落ち着いた。
護堂は自室のベッドに仰向けに寝転び、自分の右腕を見た。
そこには、新たな力が宿っている。
天叢雲剣である。
スサノオの相棒であり、清秋院恵那が振るった豪刀だが、護堂に散々に打ちのめされた結果、今では護堂の右腕に宿っていたのだった。
おそらく、こいつの力を借りることになるのだろうな。
そう思いながら、護堂は眠りに就いた。
■ □ ■ □
日本の呪術界を取り仕切る『四家』の一、九法塚家の役目は、日光東照宮の敷地内にひっそりと立つ秘密の社、西天宮を管理することである。より正確に言えば、この西天宮に封じられたまつろわぬ《鋼》の神威を借りることで、日本を《蛇》の神格から守ることである。
しかし、その役目を果たすためには、『禍祓い』という特殊な力をもった媛巫女が必要だ。
その力は極めて希少なもので、すでに百年の間西天宮の媛巫女は空位の状態が続いている。
「で、それをどうにかするために声をかけてきたということか」
七雄神社で万里谷祐理とその妹・万里谷ひかりと対面した護堂は予想していた通り、ひかりの進路の問題についての相談を受けていた。
原作同様、ひかりが祐理の携帯を無断借用して嘘メールを送ってきたので覚悟はしていた。
ひかりは、祐理の妹ながら天真爛漫を絵に描いたような少女だった。
小学校六年生。
背伸びをした感じのある子が多い中で、ひかりは歳相応の無邪気さで護堂を出迎えた。それを好意的に受け止めつつ、ひかりのイタズラを詫びる祐理を落ち着かせた。
「九法塚家については分かった。でも、結局のところ君次第なんだと思うよ。君が嫌だというのなら、行く必要はないし」
護堂は、公園のベンチに座っているひかりに言った。
とはいえ、ひかりは真面目な性格で、きっと断りきれないだろうと思う。
「うーん、でもそれだと幹彦さんが困ることに……」
「でも、聞くところによると、ずっと向こうにいなければならないわけでもない気がするんだよな。お役目のない日はこっちにいて、お役目のある日は向こうに行く。ちょっと面倒か」
ひかりに期待される役割は、斉天大聖孫悟空の只ザル状態を相手に、追いかけっこや毛づくろいをして遊ぶことだったはずだ。
もちろん、日本に竜の類が現れた際には、小太刀――――斬竜刀に禍祓いの霊力を込めて結界を開き、孫悟空を解き放つ役割を持つが、護堂が生きている間は、護堂が竜の相手をするので孫悟空が出てくることはないはずだ。
「まあ、それについても九法塚の人と話を詰めていくしかないわけだけど」
護堂が『ダメ、絶対』と言えばこの件は方がつく。しかし、孫悟空の問題は近いうちに必ず表面化する。羅濠教主が日本に来た時点で、西天宮は消し飛ぶのだし、九法塚の次期当主には悪いが、すでにそういう方向に運命が進んでいっているのである。
もしも護堂がここでひかりを引き止めて、絶対に日光にはいかせないと言ったら、どうなるか。
まず、間違いなく東京を舞台に羅濠教主と護堂の戦いが勃発する。
相手は、人類七十億の命 < 地球と考えている羅濠教主である。東京都庁を拳で叩き割っても悪びれもしないに違いない。
日光の山奥ならば、被害は最小限で済む。
だから、結局ひかりは日光に行ったほうがいい。しかし、それはあくまでも護堂が理性的に考えてひかりの都合や気持ちを無視してのこと。感情面ではひかりを巻き込みたくはないという気持ちが強い。
まったく、ままならないものだ。
やはり、孫悟空を復活させた後、羅濠教主が因縁を晴らす。それが一番分かりやすく効率的な解決方法のはずだ。
しかし、それはそれで問題が残る。
羅濠教主に侮られるというのは、ほかのカンピオーネに侮られるよりもまずいことだと思われる。なぜならば、あのカンピオーネは旧時代的な思考の持ち主だ。日本の王は情けないと思われた瞬間に国交断絶は疎か同族にも関わらず情けない、我が手で掣肘してくれましょう、とか言い出しかねない。
結局は八方ふさがりの状況なのである。
それであれば、初めから戦うことを前提として行動したほうがいい。
とりあえず、護堂は、折りよく現れた九法塚家の若頭に条件つきでひかりの日光行きを認め、その際に自分が同行するということを確約させた。
□
護堂が、万里谷ひかりに呼び出されたまさにその時、高橋晶は人生最悪の経験を味わった。
およそ、すべての女性が――――よほど特別な性癖でももたない限り――――忌み嫌い、不快感を露にするだろう。
電車の中での『痴漢』である。
晶もまた、知識では知っていたわけだが、実際に自分が被害にあうとは思っても見なかった。
見ず知らずの他人に、触れられるというのは、不快以外の何物でもない。
おまけに相手は複数人。いわゆる集団痴漢というもので、サークル状に取り囲まれているという状況。電車の中に、無防備で乗り込んできた晶は格好の獲物だったわけである。
だがしかし、彼らにとっての不運は、一見無防備に見えても、晶を相手に痴漢行為を働くのは、女性警察官を相手に痴漢を行うよりもずっとハードルが高いということを知らなかったことだ。
武術に堪能な晶は、ゼロ距離に近づかれた状態でも相手の骨を砕くだけの打撃を与えることができる。
俗に言う寸勁という打撃技術であるが、動転した晶はこうした打撃技術を使うことなく、敵を始末した。極めて原始的で、有効的な痴漢撃退法。
自分の尻を弄る相手の指を咄嗟にへし折ったのである。
また、胸に迫る指に対しては、この直前に別れた女性呪術師に渡された正史編纂委員会が開発した痴漢撃退用呪物『痴漢バスターMkⅡセカンド』が撃退した。
その後は晶の独擅場である。
痴漢集団は、文字通り、猛然と踊りかかる晶の鬼の如き反撃によってあえなく撃滅されるに至った。
このような流れで、犯行グループを即刻警察にたたき出した晶だが、痴漢されたという事実が変わるわけではない。
痴漢バスターMKⅡセカンドはポケットに忍ばせておける優秀な痴漢撃退装置ではあるが、撃退という性質上痴漢を予防する効果は皆無だ。この小さな武器は、自分に触れ且つ不快感を与える他人に対して攻撃を加えるものであるが、当然触れられた時点で痴漢は成立する。
身の毛もよだつ不快感に晶は堪らず草薙家を頼った。
自宅に一人いるのは我慢できなかった。両親不在の今、次に頼れるとなれば草薙家以外にないのだ。
そうして、訪れた草薙家には、静花しかいなかった。
晶にとっては幸いだったかもしれない。
静花は、晶から一部始終を聞き出し憤るとともに、同じ女性だからこそ深いところまで共感してくれた。
その上で、不快感を忘れられない晶に対して、静花が与えた助言は、さすがの晶も唖然とした。
静花曰く、「お母さんが言ってたんだけど、気持ち悪いのは、もっと強い刺激で消し去ればいいんだって」と。
「あの、静花ちゃん。これはどういうこと」
晶は気づけば、イスに手を突いて四つんばい状態になっていた。
「気持ち悪い思い出を痛みで消してしまおうという試み」
「い、痛みって!?」
「お母さんが言ってた。そういうのは、叩いて直せばいいって」
静花の目は本気だ。すでに、手を構えている。
「直すの字が違う気がするよ。ねえ、まって、そんなロシア式修理法が」
「じゃあ、行くよ。歯食いしばってー」
パアン。
「ひゃあん」
「ちょ、ちょっと、変な声出さないでよ」
「静花ちゃんこそ、どうせするならもっと優しくしてよ」
「わかった。じゃあ、もう少し加減して」
「えう、まだするの」
そうして、二度三度と戯れているうちに、第三者が部屋の中に入ってきたのだった。
万里谷姉妹と別れ、帰宅した護堂を待っていたのは、衝撃的な光景だった。
リビングの扉を開くと、そこには二人の少女――――静花と晶がいた。
それだけならば問題はない。もともと、この二人は同級生で、仲がいい。時折一緒に遊びに出かけることもあるくらいだ。二人とも、昨今珍しい、真面目な性格で、人の悪口は言わないし、本当によくできた娘だと思う。
しかし、その二人が、お尻ペンペンに興じているとなると、少々護堂の評価も変わってしまう。
それでも、自慢の妹だと思うし、自慢の友人だと言えることは変わらない。
たとえそれが、アブノーマルで倒錯的な関係に溺れていたとしてもだ。きっと波長が合ったのだろう。もともと、そういう気質を内包していたのだ。静花は天然女王様の才能があると分かっていたようなものだ。それが、ここに来て開花したのだろう。いつか、こういう日が来るのではないかと危惧を抱いていたことももはや懐かしい。母親の気質を、正しく受け継いだ彼女なら、こうなっても仕方がない。
だからこそ、がんばって祝福してやろうとは思った。
「お兄ちゃん!?」
「先輩!?」
一方の静花と晶だが、二人とも、部屋に入ってきた護堂の顔を見るなり動きを止めて固まっていた。
晶は、イスに手を付いてやや前傾姿勢をとり、静花は晶の腰のあたりに手を当てているという少しばかり奇妙な体勢について、護堂はあえて触れなかった。触れないままに、二人を手で制した。何ゆえに女子中学生がお尻ぺんぺんに興じているのか、など聞いても詮無いことである。
「いや、悪い。その、いきなりだったな。次からはノックするよ。家に入るときは、インターホンも押して返事を待つ。……その、悪かった。知らなかったんだよ」
後ずさりつつ、護堂はリビングを辞した。
今のは見なかったことにしよう。そういえば、最近は走りこみもしてなかったし、久しぶりに走ってみるかと玄関に向かい、後ろから走ってきた二人に組み付かれた。
そのまま、強引に引き戻される。
「お兄ちゃん、何か凄い勘違いをしてるでしょ!」
「誤解です誤解なんです!」
「皆まで言わなくても分かってる。うん、まあ、あれだ。最近はそういうのも、比較的寛容になってきてるし、二人が成人するころには、日本の法律もきっと変わって」
「だから違うっていってんでしょ」
言い切る前に、静花のチョップが、護堂の脳天に当たった。
無論、痛みを感じたのは護堂ではなく、静花だった。
「痛~」
涙目になって手首を押さえている静花は、憎憎しげに護堂をにらみつけた。
「なんなのその石頭は!」
「なんで俺は怒られてるんだよ」
護堂は静花と晶に肩を押さえつけられ、その場に座らせられている。
とにかく、話を聞けということらしい。静花は、護堂の正面に座った。
「あのね、わたしたちは別にやましいことをしていたわけじゃないの。ただ、晶ちゃんがお尻を叩いて欲しいって言うから」
「ちょっと、それじゃ説明不足だから!」
と、晶は食って掛かるように静花に言い、ほとんど泣きそうな顔で一部始終を話した。
痴漢にあったこと、その不快感を払拭するために、より強い刺激、すなわち痛みによる上書きを試みたことを上澄み部分であるが説明した。
とかく痴漢というのが重い話題であり、護堂も図らずして聞き出す形になってしまいいたたまれない気持ちになった。
これで犯人が逃走中ということであれば、護堂は容赦なく正史編纂委員会に通達してエージェントたちを街に解き放っていたことだろうが、晶が殲滅したことで憤りの行き場を失った。
ということで、その話題には触れず、何事もなかったかのように振舞った。
「ただいまー」
護堂は、リビングに戻り、たった今帰ってきたかのように振る舞うことで、すべてをなかったことにしたのだ。
そして、日が暮れて、祖父が外出先から帰ってきた。
草薙一郎は、さすがに女性の扱いに長けた人物。草薙家を辞そうとした晶に何かを感じたのか、夕食を共にすることを提案した。
さすがに、一家の団欒を邪魔するわけにはいかないと固辞する晶を、護堂と静花が説き伏せて、夕食に晶が参加することになったのだった。
そして、その夕食は一郎の手製である。
彼の手腕はなかなかのもので、繊細な味付けは日頃から夕食を用意することのある草薙兄妹でもまだ真似できないレベルである。そして、それは真似できていない、ということを理解できるだけこの兄妹の舌が肥えていることを意味する。
それで、結局手持ち無沙汰になったので、静花と晶は最近流行のテレビゲームに精を出している。その後ろで、護堂はぼけーと眺めているだけになった。
「なんだ、こりゃ」
本でも読もうかと、視線を巡らせて考えていたとき、床に黒いターンクリップのようなものを見つけたのだ。
誰が出したのだろう、と護堂は重い腰を上げて、そのクリップを拾い上げようとしたとき、
「おおう、危ねッ」
そのクリップから呪力が立ち上り、独りでに護堂の指を挟もうとしたのだ。慌てて、手を引いて事なきを得たが、避けていなければバッチンと噛み合わさったクリップに指を挟まれていたことだろう。
「これ、晶のヤツだな」
「あ、すいません! 落としたみたいで」
何が起こったのかすぐに察した晶が、護堂のところまで駆け寄ってきた。ちょうど、ゲームは晶がリタイアして静花はNPC相手に激しい戦いを繰り広げているところだった。
「なんだ、この悪意あるトラップは?」
「これ、痴漢撃退用の呪具なんです。すいません、先輩の呪力に当てられて暴走したらしくて」
ポケットに再びしまいこむ晶は申し訳なさそうに謝った。
痴漢撃退用の呪具に反応されるというのは、それが事故だとしてもショックである。
「痴漢撃退用?」
「はい。痴漢バスターMkⅡセカンドです」
「それ、MkⅢじゃだめだったのか?」
Ⅱとセカンドで被ってるじゃないかと、問うと、晶は、
「Ⅱ型2号って感じで。これ、MkⅡの改良型なんです。もともとのヤツは開発担当の女性呪術師の怨念が反映されて凄いことになったみたいで生産中止になったんです」
「凄いことってなんだよ。そして、その女性呪術師に何があった」
「なんでも、クリップ型ではあったのですが、イタチザメの歯をモデルにした鉄製の歯が付いてたらしいです」
「殺傷性の武器になってんじゃねえか。公務員がそんなん作っちゃダメだろ」
と思ったが、目の前の少女ですら対物ライフルを街中で撃つような組織である。痴漢バスターMkⅡセカンドが、痴漢の指を食いちぎらずにへし折る程度に力を抑えているのも良心的と言えるのではないか。
「何、晶ちゃんのご両親って公務員なの?」
そこに、対戦を終えた静花がやってきた。
「ううん。叔父さんが公務員かな。なんか、会うたびによれよれになってる感じだけど」
「へえー、堅実。家はそういうのとは無縁だからねえ」
静花が意味ありげに護堂に視線を送る。
「まあ、確かにそうだな」
護堂も、両親に公務員など務まるはずがないと思っているし、天地が逆転してもそんな職に就くことはありえないと考えた。
中二病を患っているかのような父は、海外を放浪しているし、母は男からの貢物だけで生計を立てられるほどである。どうしてこの二人が出会い結婚に至ったのか、転生の秘密が明かされた今、草薙家に残された最大の謎は、これである。
「まあ、そうだな。この家中で公務員になれるとしたらやっぱり俺くらいのもんだろうな」
護堂は冗談めかして言うのだが、静花も晶もなに言ってんだ、という視線を投げかけてくる。
「何か?」
「いや、お兄ちゃんに公務員は無理だと思うよ。去年までならまだ信じられたけど、今年のお兄ちゃんは無理そう。ねえ、晶ちゃん」
「え……そんなこと、ないと思うよ。先輩、頭いいし」
「目が泳いでるぞ、晶」
わかっていたさ。将来の夢、国家公務員がすでに過去のものになりつつあるということくらいは。今や護堂は魔王で、事あるごとに命をかけた戦いに身を投じなければならない運命である。安定した職業はおろか、安定した生活すらも難しいとあってはとても公務員など務まるはずがない。
「はあ……」
「あ、落ち込んだ」
「先輩、大丈夫です。少なくとも、先輩は就活の必要がないですし」
遠まわしな人外発言に、護堂はまた落ち込んだ。
今回は、苦戦。結局原作と同じ流れになりそうな感じなんですね。そうしないとどう考えても不都合が生じる。
そんな感じでいろんなものに逃避的にまったく関係ないもの書いてたり、集中講義に出てたりしてまして、こんなに間が開きました。
フェイト/アポクリファの二巻を読んで気になったこと。
赤のセイバーと黒のアサシンを比較して、身長、スリーサイズともに赤のセイバーのほうが大きいのに、体重は黒のアサシンのほうが三キロ重い。
月霊髄液がメイドゴーレム化。