カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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五十五話

 栃木県日光市。

 関東圏でも古くから霊的権威を持つ土地として知られ、現在では日光東照宮を代表する観光名所として有名だ。

 日光東照宮と言えば、徳川家康を祭神として祀ることで護国の神とする呪術装置であるが、一般的には観光地として数多のガイドブックに名が上げられている解放された霊場である。

 常から数多くの人が集まり、その賑わいは日本中の神社の中でもトップクラスだろう。しかし、この日は神社関係者以外ほとんど人影がなく、閑散としていた。

 十月の三連休の初日にも関わらず、観光客がいないというのは、もはや奇跡を通り越して異常である。

「ふうむ。まさか、あの神殺しめ、勘付いておるのかの」

 その老人は、陽明門を見上げつつ、呟いた。

 ギリシャのトーガか、中国の仙人を思わせる一枚布の衣服に、上端が丸く削られた棍棒にも似た杖を突いている。

「邪魔にならねばよいがの。前回は百年前。今度こそ、あの《鋼》を退治してもらわねばな」

 この地で起こる戦いを予感し、蘆屋道満はほくそ笑む。にやりと笑うと、ひょうきんな顔が一気におどろおどろしい不気味なものに変わる。

「まあ、邪魔があればこそ、面白くもなるというもの。ふむ、困ったのう」

 風が吹き、雲が流れて一瞬だけ日が翳った。次に太陽が陽明門を照らしたときには、道満はその姿を消していた。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 万里谷姉妹と、日光行きを決めてから、当日までは一週間ほどの時間があった。そのため、護堂も最低限の準備をすることができたのだった。

 護堂はスマートフォンで電話をかけた。

「もしもし、沙耶宮さん」

『はい、どうも草薙さん。例の件ですか?』

「ええ、突然無理を言ってしまって、すみません。進捗状況を確認させてもらいたくて」

『そうですね。僕もお電話を差し上げたいなと思っていたので、ちょうどよかったですね』

 電話口から聞こえる明朗とした声の主は、沙耶宮馨。護堂よりも二つ年上の高校三年生でありながらも、すでに正史編纂委員会東京分室長を務めるエリート呪術師である。家柄は日本を代表する『四家』であり、『彼女』本人の実力も相当なモノがある。恵那ほどではないにしても、荒事をこなせる媛巫女でもあるのだ。

 そして、馨の持つ最大の武器は、その頭脳。

 政治手腕は、すでに外交官に比するレベルという図抜けた才覚を有する。

 力で物事を解決するしかない護堂とは逆に、言葉によって物事を動かすことができる。そしてその力を最大限に駆使すれば、多少の無理難題も可能とする実力がある。

『草薙さんに言われたとおりに、日光東照宮を三連休の間立ち入り禁止にしました。多少の混乱はありますが、なに、すぐに鎮めて見せますよ』

「ありがとうございます」

『それと、もう一つ。草薙さんの指示通り、この一月の間に海外からやってきた呪術関係者の足取りを追っているところですが、中国から来た陸鷹化という少年だけ消息不明です。追跡していた呪術師が、何者かに襲撃されてしまいまして、行方を追うことができなくなりました』

 護堂は、その報告を聞いて眉根を寄せた。

 陸鷹化と言えば、羅濠教主の直弟子に当たる人物。日光東照宮を中心とした戦いの準備に奔走しているのだろう。

『陸鷹化のことはご存知ですか?』

「中国のカンピオーネのお気に入りだとか……」

『はい。もしや、草薙さんは羅濠教主が日本にやってくるかもしれないとお考えですか?』

「そうですね。そうならないといいんですけど。とにかく、日光の西天宮は百年ぶりに開くことになります。何があるか分からないので、一般の人が近づかないようにお願いします」

 これは、単に『まつろわぬ神』が暴れたときに一般人が巻き込まれないようにするだけでなく、孫悟空の猿化の呪術によって変化させられないようにするためのものでもある。

『了解しました、王よ』

 そうして、護堂は電話を切った。

 さて、これからが正念場だ。戦う覚悟は、できている。なるようにしかならないのなら、戦うことに異存はない。ようするに、勝てばいいのだ。

「やってやるさ」

 目下のところ、最大級の試練であることに間違いはなく、護堂の精神も当人の自覚なく昂ぶってきていた。護堂の原作知識と直感が迫り来る戦いの気配を嗅ぎ取っているのだ。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 開いたサイドウィンドウから吹き込む風が、護堂の顔を叩く。

 定員七名のミニバンは、護堂以下いつものメンバー、祐理、晶に加えて祐理の妹・万里谷ひかりと護堂の口添えで謹慎を解かれた清秋院恵那を乗せて東北自動車道を走っていた。ハンドルを握るのは、甘粕冬馬。正真正銘の忍であり、東京分室長沙耶宮馨の右腕として活躍する晶の叔父であった。

「いやー、あのときは本当にごめんねー。なんでかよくわかんないんだけど刀が言うこと聞かなくてさ」

 恵那と晶の再会は、恵那がいつも通りの能天気さを発揮することで始まった。

 晶は、僅かばかり怪訝な表情を浮かべたが、それ以上は過ぎたこととして流していた。また、喧嘩にならないだろうかと心配していただけに、ほっとする護堂だった。

 座席は、護堂を一番後ろに配し、その隣に恵那。中央の席に祐理、ひかり。助手席に晶という配置だ。この配置に関して、一悶着あったものの、護堂を上座に座らせることは確定として、問題はその隣ということになった。祐理とひかりは姉妹ということで真ん中の席が決定し、助手席と護堂の隣を振り分けるじゃんけんで、すべてを決した。

「お兄さまは、日光東照宮には行ったことがあるんですか?」

 前方の席から護堂を振り返ったひかりが、そう尋ねてきた。

 護堂は、少し考えてから答えた。

「そういえば、日光って初めてかもしれないな」

 日光について考えることは多かったが、実際に足を運んだことはなかった。それは、あの土地が、護堂にとって忌諱すべき土地だったからだ。

「ひかりは、行ったことあるのか?」

「はい。媛巫女の修行で何度か。それでも、西天宮にはこれが初めてなんです。でも、お姉ちゃんたちは、何度か西天宮にも行っているはずですよ」

「そうなのか?」

 護堂は左と前の媛巫女に尋ねた。

「はい、わたしは媛巫女になる前に一度だけですが。西天宮の本殿までで、祠には入りませんでしたが」

 祐理が答え、

「恵那はもうちょっと多いかな」

 恵那が続けた。そして、その答えを受けた晶が言う。

「わたしは初めてですよ。日光」

「初めてなんだアッキー」

「そう呼ばれたのも初めてです……」

 助手席から恨みがましそうに恵那を睨む晶。よほど、じゃんけんで負けたことが堪えている様子だ。

「それじゃ、アッキーお姉さまは」

「こらひかり、先輩に対してそんな呼び方をしたらいけません」

「えと、晶お姉さまは、どんなところで修行したんですか?」

 ひかりが、目の前のヘッドレストを掴みながら尋ねた。

「そうだね。ほとんどが出雲大社かな。あそこは、西の最大級の霊場。(こっち)で言うと、それこそ日光東照宮や伊勢神宮に匹敵する神聖な土地。わたしは、西の媛巫女候補だったから、そういうところで修行したんだ」

「なんだ、晶って西日本の人なのか?」

 晶の出身に関して、聞いたことがなかったので、護堂は驚いた。答えてくれたのは、ハンドルを握る冬馬だ。

「晶さんの母親は鹿児島の家なんですね。高橋家は、歴史を辿れば筑後高橋家に当たりまして、血筋は高橋紹運に始まります」

「高橋紹運だって!? 超有名人じゃないですか!?」

「いや、結構マイナー武将だと思いますけど」

「そんなことないって、戦国シミュレーションゲームで大友氏から始めると、立花道雪と並んで主戦力になる」

 高橋紹運と言えば、なによりもその死に際が有名だ。押し寄せる島津軍に対して一歩も退かず、撤退も降伏もせず、最後まで戦いぬいた猛将。史実における高橋紹運の系統は、息子二人が立花に改姓したところで絶えたのだが、その後の歴史の流れの中でいつしか高橋に名を戻し、呪術の道に走った一派がいたようだ。

「王さま、歴史ゲーやるんだ……野望?」

「野望」

「野望かー。面白いよね」

「おう、あれは嵌るな」

「ちなみに恵那の家系は千年の歴史があるよ」

「そりゃ、平安時代から続いていたらそうなるよな」

 家系自慢で清秋院に勝てるとしたら、平安時代の貴族階級出身者以外にいないだろう。それも、上流階級に限定される。だからこその『四家』だ。

「万里谷家には自慢できるところないね。ね、お姉ちゃん」

「まあ、家は取り立てて話すことのない下級貴族だから」

 などと、姉妹がひそひそと話をしている。

 なんだ、この会話。草薙家の出番ここまでで一度もなし。下級といっても貴族の時点で自慢できるということを万里谷姉妹は知るべきではないだろうか。

 実際学校では、旧華族の家柄というだけで、ワンランク上の扱いを受けているのだ。祐理は。当人に自覚はないが、現実として箔がつくものである。

 それに比べて、草薙家など、由緒正しい一庶民でしかないのだ。しかも、特筆すべきは無類の色好みという悪名のみ。血筋で言えば最下層である。

「血筋、なんていえばいろんな方がいるのが我等呪術師です。江戸時代に関東圏で全盛を誇った所謂武士派の呪術師のトップは、あの明智光秀の子孫が務めていたんですよ」

 冬馬が、血筋話に、呪術業界の裏事情を重ねた。

「なんでですか?」

「そりゃあ、明智光秀イコール南光坊天海だからですよ。その説、一般にも流布してますよね?」

「あの話実話なんですか!?」

 この日一番の驚愕だった。

「ええ、事実です。そして、これから行く日光もまた、その天海と縁深い場所となります。なにせ、天海こそが、家康に与える神号を『東照大権現』とした張本人です。彼がいなければ、家康の遺体は日光に埋葬されることもなかったでしょうし、日光東照宮もなかったでしょうね」

 などと、つらつらと話をしているうちに、一行を乗せたミニバンは日光山の麓にまでやって来た。

 冬馬は、ミニバンを駐車場に停めると、一足先に西天宮に行く用事があると言い残して消えた。その手並みは、まったく無駄のない術式を、瞬時に発動させたすばらしいものだった。

 冬馬を欠いた一行は、そのまま表参道を行く。

 普段なら、多くの旅行者でごったがえすはずの観光地も、この日は閑散としていた。

 それもこれも、護堂が無茶な要求をしたからである。

「こんなに空いている日光を見たことがありません」

 とは、祐理の言。

 事実、人は疎らどころか、人気そのものがなかった。

「廃仏毀釈のころは、ずいぶんと寂れてたって聞くけどね、東照宮。こんな感じだったのかな」

「いや、それにしても人がいなさすぎですよ清秋院さん。先輩の要求が、ここまで完璧な形で。さすがです」

「これ、お兄さまが命令したんですか!? すごいですね!!」

 ひかりが手を叩いて憧憬の眼差しをよこしてくる。決して真似して欲しくないし、護堂としては、そこは命令ではなく、お願いと表現して欲しかった。

「いやいや、王さまのお願いって、結局命令と同じだよー」

「そんなことはない、と言いたい」

 カンピオーネと呪術師の関係は基本的に上意下達であるが、護堂は、まだそのような立場になったという実感がない。自覚はしているが実感する場面があまりないのだ。

「せっかくの観光地も、これじゃあ回る意味がないね。王さまと回れると思ったんだけどなあ」

 と、恵那が露骨に護堂の顔を覗きこんだ。

 瞬間、護堂は身を引いた。

 バッチン!

 護堂と恵那の間で、弾けるような音がした。

 それから何かが地面に落ちた。

 クリップのようなもの。それはまさしく『痴漢バスターMkⅡセカンド』。晶が所持する痴漢撃退グッズであった。

「すみません。暴走しました」

 そう言うと、晶は護堂と恵那の間に落ちたクリップ型のそれを拾い上げてポケットにしまった。

「そんな簡単に暴走するようなものを持ち歩くな!」

「痴漢がいつ出るとも限りませんから」

 晶は、これからも持ち歩く気でいるらしい。

 晶が一度痴漢に遭遇した事実がある手前、防犯グッズを持ち歩くなと執拗に言うわけにもいかない。

「ところで、これから真っ直ぐに西天宮に行くんですか?」

 晶が護堂に尋ねた。

「どっかに寄ってくとこあるか?」

 護堂は他のメンバーに尋ねた。祐理が辺りを見回して答える。

「どこの商店も今日は休業されているようですし、このまま向かうほうがいいと思いますよ」

「確かに、店まで閉めてしまうと、暇つぶしもできないな。それは、考えてなかった」

 護堂が撒いた種であるから護堂が悪いわけで、誰にも文句は言えないのだ。人がいなければ商売はできない。なによりも、正史編纂委員会の人間は、護堂の指示通り、この辺り一帯を一時立ち入り禁止にしていたために、商店も例外なく立ち入り禁止となったのだ。

 特に、行くところもないので、そのまま進むことに決めた。道を知るのは祐理なので、祐理を先頭にして進む。

 日光東照宮は、言わずと知れた徳川家康を祀る霊廟である。ここに神君『東照大権現』として家康を祀ることで、その霊的権威を護国の要としたのである。

 五重塔を横目に石段を登り、鳥居をくぐる。その先は陽明門だが、その途中で祐理は、地味な建物に向かった。

「ここが神厩舎。東照宮の中で、最も神君と縁が深い場所になります」

「噂の見ざる言わざる聞かざるの場所ですか」

 晶が、目を輝かせて欄間の部分を見つめている。

 目を塞いだ猿、耳を塞いだ猿、口を塞いだ猿、空を見上げる猿など、計十数匹の猿が彫りこまれている。

 精巧な彫り物だ。かなり緻密な作業によって、この芸術品は支えられていることがわかる。

「どうして、ここに?」

「実は、この先に人払いの結界に守られた道があるんです。その先が、西天宮になります」

 祐理が指差すところには、横道が確かにある。呪力がたゆたっているのも見て取れる。この半年で、ずいぶんと護堂も成長した。呪力を認識するだけでなく、術の効力もなんとなく分かってしまう程度には呪術に慣れていた。

「それじゃ、わたしたちはこれで」

「そだねー。西天宮に部外者が入るわけには行かないし、東照宮を見てくるよ」

 恵那と晶は、護堂が呼んだわけだが、九法塚側からは確かに部外者である。呪術の世界に身を置いてきた恵那と晶は、西天宮の重要性を承知しているので、そこに部外者が踏み入ることを僭越と判断したのだ。

「ああ、終わったらすぐ戻ってくる。それと、周囲には気を配ってくれ」

「何かあるかもしれないから、ですか」

「ああ」

「わかりました」

 護堂の忠告に、晶が頷き、恵那が笑顔で返答する。

「じゃあ、またね」

 それから恵那が晶の手を引いて走っていった。晶のほうがどうかは分からないが、恵那はずいぶんと晶を気に入ったようだ。

「恵那さんに伍する武芸の持ち主は晶さんくらいのものですからね。同年代では」

「なるほど、そういうことか」

 対等に戦える相手を見つけて嬉しかったのか。なんにせよ、悪感情を抱いていないというのはいいことだ。

「それではわたしたちも、向かいましょう」

 祐理は札を取り出した。

 人払いの結界の中を正しい道のりで西天宮に辿り着くための物だという。

 護堂とひかりは、祐理の後について神厩舎の後ろの林の中へ分け入っていった。

 それから十数分の後、妙に開けた場所に辿り着いた。目の前には古びた神社が建っている。

「お待ちしておりました、みなさま」

 出迎えてくれたのは、神職の装束を身に纏う九法塚の若頭だ。

 その後ろに、冬馬が控えている。目礼しただけで、無言を貫いている。

「我等が九法塚の社に『王』をお迎えできるとは、光栄の至りです。まもなく、祠の戸を開き、神君と対面する準備が整います。もう少々お待ちくださいませ」

 幹彦が恭しく言上するのを聞きながら、護堂の意識は別のところにあった。

 見たところ、この青年はまったく問題ない。しかし、原作通りであれば、すでにアーシェラの操り人形になっていたはずだ。

 海外の流れも概ね原作通り、神祖アーシェラとロサンゼルスのカンピオーネの戦いの情報は、ある程度ではあるがこちらに流れてきている。今さら、アーシェラが関わっていないと考えるほうが無理がある。

 油断せず、相手を観察しつつ、受け答えをする。

 きっと、どこかに羅濠教主も潜んでいるはずである。

 とはいえ、今は刺激しないほうがいい。頭の片隅にとどめる程度にしておくしかない。

 

 

 

 神君との対面に備えて、ひかりは巫女装束に着替えることになった。今、ひかりは幹彦の案内で社務所に向かっている。祐理は、その付き添いだ。

 あの二人が戻ってくるまでの間、特にすることがないので、冬馬となんの益もない話をするだけで時間を潰していた。

 祐理が戻ってきたのは、二十分ほどしてからだった。

「ああ、万里谷。早かったんだな。……ひかりは、まだか」

 戻ってきたのは、祐理だけで、ひかりはまだ来ていない。

「はい、ひかりは今、幹彦さんと話をしています。草薙さん。猿猴神君さまの下に、わたしも連れて行ってください」

「万里谷も?」

「はい。なんだか、嫌な予感がするんです。それで……」

「だったら、万里谷は、ここに残ってくれたほうがいい。甘粕さんもいるしな」

 祐理の予感は大体当たる。ただの第六感も無視するわけにはいかない。羅濠教主の気配か、それとも九法塚青年の様子からか、祐理はすでにこの件が、一筋縄でいかないことを理由を抜きにして感じ取っている。

「向こうに行って何かあったら、まず全力でこっちに戻ってくる。ひかりを連れてな。だから、そう心配しなくてもいい」

「しかし……」

 なおも心配する祐理に、護堂は、心配ないとあえて軽い様子で繰り返した。

 むしろ、祐理を向こうに連れて行くと少々まずいことになる。

 守らなければならない相手が一人なのか二人なのかで、負担は大きく変わる。

 祐理も、姉としての責任感から同行を申し出たのだが、有事の際に直接的に身を守る手段に乏しい以上、認めるわけにはいかないのだ。

 それは、本人もよく分かっているはずだ。

「お待たせしました。みなさん!」

 そこに、ひかりがトタトタと駆け足でやってきた。

 手には小太刀を抱えている。

「あ、それが鍵になるんだな」

「はい、そうです。『弼馬温』の結界を、この刀と禍祓いの力で斬り開くのが、わたしのお仕事みたいです。それから、向こうの猿猴神君さまにお仕えするのは、それほど難しいことじゃないんですって」

 ひかりが、緊張の色を滲ませながら、早口に説明した。これから『まつろわぬ神』に会うというので、不安も大きいのだろう。

「それでは、これから祠に案内いたします。どうぞ、こちらへ」

 九法塚青年を先頭に、護堂たちは境内を歩く。

 田舎道にありそうな小さな祠があった。大きくもなければ、小さくもない。古びた祠。しかし、その格子戸の隙間からのぞくのは、一寸先も見通せない真正の闇であった。深い深い井戸の奥底に広がっているような、黒々とした闇が閉じ込められているかのようだ。

 すぐ傍には桃の木が植えられている。祠と桃の木を囲むように四方を注連縄が張ってある。

「桃は、破魔の植物です。古代中国でも日本でも、桃に対する信仰は存在します」

「ああ、それで、ここにあるんだな」

 桃には古くから特別な力があるとされた。中国では桃源郷という言葉があるように仙人に関わる伝説が多く残され、不老長寿の果実とされた。日本では、鬼を祓う力があるとされ、イザナミの命令でイザナギを追いかけた黄泉の国の悪鬼羅刹たちは、桃によって追い払われている。

 オオカムヅミと古事記では神名が与えられるほどである。

「桃太郎も、桃から生まれて鬼退治するしな」

「はい」

 護堂と祐理は、声を潜めつつそんな話をしていた。

 

 

 ひかりが、注連縄に触れる。ただそれだけで、注連縄が地面に落ちた。呪力が霧散するのを感じ、弼馬温の結界が開いたのが分かった。

「これで、中に入れるわけか」

「はい」

 ひかりが頷いて、格子戸に近づいていく。

「それじゃ、開きます」

 緊張したまま、ひかりは祠の格子戸を開け放った。

「うわあ、本当に真っ暗」

 ひかりは、暗闇に圧倒されたようだった。

 無理もない。人間は本質的に闇を畏れる生物だ。まして、都会育ちの小学生だ。今時、田舎でもなかなか見ない漆黒の闇を前に躊躇するのは、むしろ自然だ。

「俺が先に行くよ。ひかりは、後ろをついてくればいい」

「はい、お兄さま」

 そして、護堂はひかりと一緒に、暗闇の中へ進んで行った。

 カンピオーネになって以来、久しく感じることのない闇だ。この世界は、どうやらカンピオーネの目をもってしても見通せない特別な暗闇らしい。

「あの、お兄さま」

 ひかりが、背後から声をかけてきた。

「ん。どうした」

 護堂が立ち止まって振り返る。闇が濃すぎるために、どこにひかりがいるのか分からない。しかも、止まったことで、ひかりのほうが護堂にぶつかってしまった。

「あ、ごめんなさい」

「いや、いい。これは、本当に手を繋いだほうがいいな」

 もしも、仮にこの暗闇の中で道が分岐していたら大変なことになる。そんなことは万に一つもないだろうが、断言できるほど、この空間に詳しいわけではない。

「は、はい。お願いします」

 ひかりの小さな手を握り、護堂は暗闇を進み続ける。

 あまりに闇が濃く、時間の感覚すらも曖昧になる中でひたすら歩み続けるのは、精神的に辛いものがある。

 しかし、無限に続く道というわけでもない。歩いているうちに、光が差し込む四角い出口に行き着いた。

「ここまでは、問題ないか」

 護堂は、無事辿り着くことができてほっと一息つきつつも、背後に意識を向ける。羅濠教主の気配は、まだない。いや、もしかしたら気配を消しているのかもしれない。何分情報がない上に、公式チートな魔王である。護道の直感を平然とすり抜けてくることもあるかもしれない。

 護堂は周囲を見回す。

 燦燦と太陽が降り注ぐ屋外だ。離れたところには唐風の宮殿を思わせる建物が建っている。そして、目の前には簡素な馬小屋。

「お兄さま。お猿さんがいますよ!」

 ひかりが、馬小屋の中を指差した。

 干草の上に、八十センチほどの金色の猿が寝そべっている。 

「おまえが、猿猴神君か」

 護堂に問われた猿が、のっそりと起き上がった。

 そして、不敵な笑みを浮かべて頷く。

「いかにも。まあ、本当はもっといかした名前があるのだがな。そっちは封じられておるのよ」

 孫悟空の名を封じ、別の名を与える。

 護堂がスサノオたちから聞いた、蘆屋道満の話と酷似している。『まつろわぬ神』を封じるという性質も似通っているので、もしかしたら、この畢生の大呪法とやらは、蘆屋道満を封じた術式を基にしているのかもしれない。

「それにしても、久しぶりに客人が来たと思ったら、まさか神殺しまで一緒とは! この国にもついに神を殺める不埒者が現れたか!」

「まあ、あんたからしたら不埒者だろうけどさ。怨敵を前にして楽しそうだな、ずいぶんと」

「うむ。何せ、百年ぶりの客人でな。聊か昂ぶっておる」

 そう言った猿猴神君は、護堂ではなくひかりを観察している。

「ふむ。今代の巫女さんはまだ幼女であるか。むむぅ、今後に期待かの」

 などと呟いているのを護堂は耳ざとく聞き咎めた。

「なあ、ひかり。どうも人畜無害そうだし、この役目、放棄してもいいんじゃないか? むしろ、おまえのほうに危害が加わりそうだ」

「え、でもそういうわけにもいきませんよ」

「これこれ、神殺し。人の楽しみを平然と奪おうとするでない」

 おまえ、猿だろうが、というツッコミは無粋と思い、心の中にしまいこんだ。

「とりあえず、用事を済まそう。この娘が、お前の新しい巫女になる予定なんだが、百年も空位だったから何をしたらいいのかよく分からないらしい。教えてやってくれ」

「なんじゃ、そんなことか。よかろう」

 猿猴神君は再びごろりと寝そべり、気だるそうにしながら説明を始めた。

 巫女として奉仕するといっても、実はこの猿と一緒に遊べばいいだけである。毛づくろいから鬼ごっこ、ボードゲームなども現代ではアリかもしれない。とにかく、猿猴神君の暇つぶしに付き合う程度のゆるい仕事だ。

 それが普段すべきこと。

 言わずもがな、この猿猴神君は、今でこそ無害な猿だが、その本質は竜を撃ち殺すために使役される《鋼》の神である。

 日本に《蛇》の神格が現れたとき、それを素早く討伐するために存在しているのであり、この猿に奉仕する媛巫女の最も重要な仕事は、この神の手綱を握ることなのだ。

 無防備にひかりと話している猿。まったくの隙だらけである。『まつろわぬ神』としての性を封じられているのだから、当然と言えば当然なのだが、それはつまり、戦闘能力が自我の強さに比例するという神と神殺しの性質からすれば、非常に貧弱ということでもある。

 つまり、今の猿猴神君なら、容易に殺せる。

「ほう、やるかね?」

 猿猴神君は護堂から僅かに漏れでた戦意に気づいたようだ。

「中国の魔王があんたと戦いたがっているらしいけど、ここであんたを殺せば面倒事も一気に解決するんだよな」

 多少教主の恨みを買うだろうが、羅濠教主とは戦わなければならないのだし、すべての決着をこの場でつければ日光東照宮が吹き飛ぶこともない。

「なるほど、初めからそういうつもりでこの場に来たということですか」

 護堂がいよいよ呪力を練ろうとしたとき、それを遮るように聞こえてきたのは雅楽のような美しい女人の声だった。

「ッ!」

 いつの間にか、本当に美しい漢服の女性が立っていた。

 いつからそこにいたのか、まったく分からなかった。方術の天才にして武林の至尊たる羅刹女は、気配の消し方も一流だったのか。

 姿は疎か、気配も感じなかったために遅れているのかと早合点した。

 いくら羅濠教主が方術の天才であろうとも、直感に優れた護堂がその存在を捉えられないはずがないと。

 結果としては、判断を誤った。

「あなたが羅濠教主、ですか?」

「いかにも」

 鷹揚に頷く羅濠教主は、鈴のような声で語りかけて来る。

「倭国の神殺し。たしか草薙王といいましたね。わたくしの計画を見破り、先手を打つとは大したものです。しかし、そこの英雄神はわたくしが掣肘するべき者。あなたに討たせるわけにはいきません」

「たしかに、あなたが討つべき神かもしれない。けど、あなたはアイツを外に出して戦うつもりなのでしょう?」

「無論です。そうでなければ、意味がありません」

 知ってはいたが、改めて話をすると、どうもこちらの言うことを聞くつもりがないように思える。羅濠教主の中で結論は決まっているために、他者の話を聞く必要がないということなのだろう。本当に面倒な相手だ。腕力至上主義とはよく言ったものだ。羅濠教主を相手に、言葉は意味を為さない。

 なによりも、土足で踏み入られておきながら、それを見逃すとあっては、草薙護堂の名折れである。

 だとすれば、やはり――――身体に力を込めた瞬間、羅濠教主は優艶な微笑みを浮かべた。

「なるほど、鷹児の言が予言になろうとは。たまにはあの子も正しいことを言います。――――どうしても、わたくしの邪魔をするというのであれば、あなたを我が障害と認識し、打ち砕くのみ。武林の至尊と仕合うことを誇りに思いなさい」

 次の瞬間、羅濠教主の縦拳が、護堂の胸元で炸裂した。

 目には何も映らず、何かが爆発したかのような轟音は後から聞こえてきた。それが、護堂の胸を拳が打った音なのか、それとも信じがたい速度で護堂に詰め寄った羅濠教主が、その踏み込み足で地面を強かに踏みしめた音なのか判然とせず、護堂は何が起こったのかわからないまま勢いよく宙を舞った。


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