カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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五十七話

 幼いころから、祐理の勘はよく当たる。具体的に何が起きるのかという未来予知レベルのものではなく、なんとなく嫌な感じがするという程度のものではあるが、それは、何かしら自分や周囲に影響する範囲で現実のものとなる。そして、『嫌な感じ』という感覚からもわかる通り、祐理の勘は、大方不運な事故、事件といった負の側面に対して発揮される。それとは逆になにか良いことがありそうという場合はほとんどあてずっぽうになってしまう。

 そして、今、祠の前で護堂とひかりの帰還を待つ祐理には、漠然ながら『嫌な感じ』が心の中に広がっていた。

 それは、まるで薄めた墨液を白い半紙に滴らせているかのようにじわりじわりと彼女の心に滲んでいく。

 なにか、なにか本当にとてつもなくよからぬことが進行しているのではないだろうか。

 曖昧模糊とした不安ほど、落ち着かないものはない。

 祐理にしても、自分の感覚に確証があるわけでもなく、ただ経験則としてまずいということがわかるだけであり、明確な言葉にも感覚にもならないとなれば、人に説明することすらも憚られる。

 しかし、繰り返すように祐理の勘はよく当たる。それが、『よくない』ことであれば特に。

 ごとり、という物音。

 振り向いた先には、九法塚青年が倒れていた。

「み、幹彦さん!?」

 祐理が声をあげ、その声に反応して少し離れたところにいた冬馬も事態を把握する。

 祐理よりも速く九法塚青年に駆け寄った冬馬は、即座に彼の状態を確認する。首筋に手を当てて脈を取る。

「気を失っているだけのようですね。いや、しかしこれは……」

 祐理もそこに駆けつけた。

 そして、媛巫女の類希なる勘が、その原因を見抜く。

「この方に、なにかしらの呪術がかけられている痕跡があります。おそらく、精神に干渉する類のものです!」

「洗脳ですか。しかし、なぜ。彼を洗脳して得られるものなど、それほど多くはないでしょうに」

 冬馬は頤に手を当てて、考える。

 九法塚幹彦という青年は、武道も呪術もこなすエリートにして日本呪術界の頂点を争う『四家』を構成する家の次期当主となる人物だ。

 九法塚青年の能力を鑑みると、並大抵の術者では術中に陥れることは不可能なはずである。

 極めて高位の呪術師が、これに関わっていることは間違いない。では、その目的は?

 金品を狙うのであれば、もっと無難な相手がいくらでもいる。それこそ、呪術に関わりのない資産家を狙ったほうがずっと安全で確実だ。

 地位か。

 それも現状では考えづらい。

 そういったものを洗脳で得られるとは思えない。

「草薙さんたちが、祠に入ること。これが狙いなんでしょうかねェ」

 タイミング的にもそれ以外は考えられない。

 護堂とひかりが祠に入った後に、九法塚青年の役割を終えたとして洗脳を打ち切ったのであれば納得のいく話だ。

「長時間に渡る洗脳が、脳に相当な負荷をかけていたようですね」

 冬馬は、そう言いながら手早く応急処置をする。治癒の術は苦手とは言わないが得意でもない。それに洗脳という特殊な呪術のため、迂闊に手を出すこともできない。

「まあ、あとは馨さんたちの指示待ちですかね」

 相手の狙いが何かはわからないが、カンピオーネである護堂がいてもなお手を出してきたことから察するに、極めて厄介な相手だということが予想できる。

 やり口は『まつろわぬ神』というよりも人間的だ。それでいてカンピオーネに手を出せるとなると、もうそれはカンピオーネ以外にはありえない。

 そして、この祠に封じられている『まつろわぬ神』の出自を考えると接点のあるカンピオーネは一人だけ。

 陸家の御曹司が日本に入っていることからも、ほぼ黒だ。

 そして、その予想を確信に変える出来事が起こる。

 莫大な水と大地の呪力が炸裂した。

 場所は、少し離れた二荒山神社の方角だ。

「あれはッ」

 祐理が目をむいて驚いた。

 空に、巨大な蛇が浮かんでいた。その巨体を蛇と呼称していいものか。もはやそれは竜と呼ぶべき超生命である。

「レヴィアタン……そんな、まつろわぬレヴィアタンなんて!」

 祐理の声が、悲鳴にも似た色を帯びる。

 祐理の霊視が、強大な呪力を受けて竜の真名を読み解いた。

「ほう、レヴィアタンですか。しかし、妙ですね。レヴィアタンと言えば、ロサンゼルスのカンピオーネに討伐された個体のはずですが」

 しかし、これでこの事件を企てた者の狙いは明らかになった。

 《蛇》の神格と禍祓いの霊力を持つ巫女をそろえることで、神君を蘇らせようとしているのだ。

「だとすると、今頃祠の中で草薙さんが戦っていらっしゃるのでしょうかね」

 冬馬の呟きに、祐理は身をこわばらせた。

 もしも、そうであったなら、祐理はまた自分の都合で護堂を戦闘に巻き込んだことになる。

 護堂には、怪我をせず、無理をしないでいてほしい。それこそ無理な相談だと、この半年で実感してしまったことだが、それでもそう思わずにはいられない。

 しかし、今回の一件で護堂がまた命を懸けなくてはならなくなったというのなら、それは祐理の責任でもある。

 彼女はそう思っていた。

「それでは、私は彼を麓まで連れて行かなければなりません。この結界に覆われた西天宮では、救急車はおろかレスキュー隊すらも入り込めませんから。祐理さんも……」

「いえ、わたしはここで草薙さんとひかりの帰りを待ちます」

 今、冬馬と共に下山してしまえば、護堂と連絡を取れる者がいなくなる。この『まつろわぬ神』クラスの怪物が現れた以上は、護堂でなければ対処できないのだから。

「わかりました。ですが、祐理さん。くれぐれも無理はなさらないように。草薙さんならば問題はないでしょうが、あなたに武の心得はないのですから」

 その冬馬の言葉に、祐理は頷いた。もとよりそのつもりだ。自分にできることは限られている。その分別を間違うと、即座に足手まといになることもだ。

 祐理の返答を聞くや、冬馬は九法塚青年を担いで、跳んだ。一回の跳躍で杉の巨木を飛び越えんとするほどである。

 『猿飛』と呼ばれる跳躍術の一つだ。

 冬馬を見送った祐理は一人、ため息をつく。一人になると不安は大きくなるもので、護堂が祠の中で戦いに巻き込まれているとなると、それはもうどうしようもないくらいに肥大化する。

 身を案じることしかできない。

 そうしていた時、祠の閉ざされていた扉が開き、中から人影が現れた。

 護堂と護堂に抱えられたひかりである。

「草薙さん!」

「万里谷か。すまん、説明は後で。かなりまずいことになってる」

「はい、承知しております」

 どうやら、冬馬の呟きの通り、護堂は祠の中で戦ってきたのだ。

 見たところ、重傷を負った様子はなく、平時と同じように振舞っているが、所々服が破れ、傷を負っているのがわかった。

 しかし、無事戻ってきてくれたことに、とにかく安堵した。

 それから、護堂に抱えられているひかりがぐったりとしていることに気がついた。

「ひかり、どうしたの?」

 護堂に抱えられているひかりは、祐理の問いかけに反応しない。

「すまん。羅濠教主の術にかけられたんだ。若雷神の化身使ってなんとか術自体は取り除いたけど、まだ意識が戻らない」

 護堂はひかりを抱えたまま、祐理と並び早足で移動する。状況は切迫している。今にも羅濠教主が追ってくる可能性もあるのだ。いや、むしろその可能性のほうが高い。そして、羅濠教主が、祐理やひかりの安否を気遣ってくれる可能性は万に一つもない。残念ながらかの女傑は、自分が認めた人間以外は虫と同列にしか扱わないのである。

「甘粕さんは?」

「倒れられた九法塚さんを介抱するため、先に下山されました」

 祐理は、この場であったことを手早く報告してくれた。九法塚青年が倒れたこと、上空に浮かぶ竜の正体がレヴィアタンであることなどだ。それは、護堂の知識にあることであったが、万全と言いがたいことでもあるので、祐理の口から報告されたことでより脅威の度合いを明確化することができた。

「とにかく、万里谷。今は、この場を離れてくれ」

「羅濠教主が現れるからですか?」

「ああ。どうなるかわからんが、決着はつけなくちゃならないと思う」

 決然とした態度で護堂はそう言った。

 羅濠教主の出方次第というところもあるが、護堂の中ですでに羅濠教主との再戦は決定事項になっていた。

 そして、一度羅濠教主との戦いが始まれば、祐理を気遣っている余裕がなくなる。それは、先の戦いですでに実感していた。

「一旦、麓まで降りてくれ。清秋院と晶も一緒に。羅濠教主だけで終わらない。神君も出てくるはずだ。その時のために、沙耶宮さんと連絡を取り合ってくれ」

 この場にいて、祐理にできることはない。

 もともと戦闘能力でいえば、同年代の呪術師と同じかそれよりも低いレベルでしかない。カンピオーネ同士の戦いに手を出すことはおろか、同じ戦場にいることすらもできない脆弱な身である。

 祐理は、それがなによりも悔しかった。

 いや、本当にそうだろうか。

 確かに、祐理は戦うことのできない身。即戦力とは言い難い。だが、祐理には類希なる霊視力がある。これまでも、護堂に幾度も道を示してきた霊視力。それを、この戦場で使うことはできないのだろうか。

 そう思ったと同時に、できる、という確信が湧いた。

 祐理の霊視は、幽界に漂う情報を読み取る技法だ。そして、護堂もまた、ある意味では幽界にアクセスする力を持っている。一つはカンピオーネが生来備えている直感。そして、それを後押しするガブリエルの権能『強制言語』。この二つを併用することで、護堂はより正確な直感を実現しているのだ。

 そこに祐理の霊視能力を上乗せしたら。

 かつて、護堂の『強制言語』が、祐理の直感を強化したことがあった。万象に命令を下す言霊の権能の本質は、相手の精神に干渉することなのである。

 ならば、その逆もまた然り。祐理が護堂の『強制言語』を補佐することもできるはずである。

 今、祐理が護堂にできる最大の支援はそれである。

 できるかどうかと聞かれれば、間違いなくできる。

 あとは、祐理が一歩を踏み出すか否かである。

「草薙さん!」

 祐理は、意を決して護堂の名を呼んだ。

「あの……わたし、草薙さんの助けになりたいんです」

「助けって」

 そう言われて、護堂は言葉に詰まった。助けになりたいと言われても、具体的に何をしたらいいのか見当も付かなかったからだ。

「羅濠教主との戦いに少しでもお役に立てるように……その、草薙さんの『強制言語』を精神感応で強化したいのです」

 権能の強化。

 それは言葉で言えば簡単だが、早々できるものではない。そもそも、権能は人の手に届かないからこそ権能なのだ。

 しかし、祐理の精神感応をバイパスすることで、護堂の直感が並々ならぬものになることは事実である。

 ここは、正確には、護堂の勘と祐理の勘をリンクさせ、『強制言語』が持つ精神干渉能力とその力の源たる幽界へのアクセスを効率化するということである。

「だけど、それは……」 

 しかし、それはつまり祐理が護堂に術をかけるということである。

 カンピオーネには外界からの呪術はその意図と目的に関わらず無効化する力がある。

 その無効化能力を破る数少ない手段にして、今彼らが執れるのは唯一つだ。だからこそ、護堂も逡巡した。

「そのことについては、存じております。キ、キ、キスが必要だということは」

 どもりながらも、祐理は真っ直ぐに護堂を見つめてそう言った。

 羞恥に染まった表情に、確かな覚悟を見て取って、護堂は押し黙った。

 護堂の身を心配し、最大限の手助けをしようとしている。それを、無碍にしていいものか。また、護堂が理を以って断ろうにも、そのための理由がない。キスという手段は考え物だが、得られる恩恵は非常に大きい。それこそ、見えなかった羅濠教主の拳を視認することも可能だろう。

「本当に、すまん。万里谷」

「はい、わたしは大丈夫ですから」

 そう言って、ゆっくりと確かめるように口付けを交わした。 

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 

 アーシェラと鷹化に対面した恵那と晶は、この二人の目的を図りかねて様子見に徹するより他になかった。

 まず、単体戦力としても神祖であるアーシェラの戦闘能力は、外見からは想像もできないが非常に高い。なにせ、ロサンゼルスに拠点を置くカンピオーネ、ジョン・プルートー・スミスと長年に渡って戦い続けてきたのだ。惜しくも、最後の戦いで敗れ去ってしまったものの、人ならざる力の使い手であることに変わりはなく、呪術師としては恵那よりも上である。そして、その傍らに佇む少年、陸鷹化は中国のカンピオーネである羅濠教主の直弟子であり、近接戦においてはまさに無類の強さを誇る。

 つまり、この組み合わせは呪術と拳法の達人がタッグを組んだ悪質極まりないものとなる。

 近接戦、呪術戦のどちらにも優位性を見出せない恵那と晶は、自身の力を恃みにしての戦闘行為に踏み切るわけにはいかなかったのだ。

 しかし、その僅かな均衡も、アーシェラの変身によって突き崩された。

 巨大な蛇体となったアーシェラは、もはやアーシェラにあらず。

 彼女は、神祖から『まつろわぬ神』に匹敵する怪物へと姿を変えた。

 こうなってしまっては、恵那にも晶にも手の施しようがない。

 彼女たちは、こうして撤退を選択した。

 護堂に言い含められていた通りに、まずは非常の際には、冬馬と祐理の二人と合流し、上からの判断を仰ぐ。

 それぞれが単独で行動したために、事態が悪い方向に進まないとも限らない。

 まして、今の恵那と晶には、あの二人の目的まで察することができなかったのだから。

 こうして、二荒山神社から退いた二人は、即座に護堂たちと別れた場所までやって来た。そこから先は、結界に守護されていて、許可がなければ入れない。

 レヴィアタンの出現は、西天宮からでも視認できるはずであり、向こうからも二人と連絡を取ろうとするだろう。

 恵那と晶が 結界の出入り口にまでやってきたとき、それと時を同じくしてひかりを背負った祐理が現れた。

「あ、万里谷先輩! ひかりちゃん! よかった無事でしたか!」

 晶が駆け寄って、二人の安否が確認できたことを喜んだ。

「先輩は?」

「草薙さんは西天宮に残られました。羅濠教主との一騎打ちをされるとのことです」

「羅濠教主と一騎打ち。……そんな!?」

 晶が悲鳴にも似た声を出す。

 羅濠教主は、ヴォバンと並ぶ現存最古のカンピオーネである。そんな魔物と一騎打ちなど、命がいくつあっても足りないというものだ。

 もちろん、それはあくまでも常識の範疇での話で、晶が主と仰ぐ護堂には通じない。しかしだ。それでも、数字の上では不利なままなのである。

「カンピオーネの戦いは、数字じゃ計れないからね」

 恵那がにこやかに、それでいて不安げな表情で西天宮の方を見ている。

「草薙さんなら、きっと大丈夫です。それよりも今は、速やかに下山しましょう。麓には冬馬さんがいるはずです」

「ちょ、万里谷先輩!? あの、草薙先輩は!?」

「草薙さんから頼まれたのです。皆さんと合流した後、すぐに山を降りろと。おそらく、この山全体が戦場になる可能性も考えておられるのです」

「なるほどねー。恵那たちがどこにいるかわかんないんじゃ、全力の出しようがないし、わかっていたとしても近くにいたら同じく邪魔。最終決戦に突入しちゃってたら出番もないかー」

 恵那は残念そうに両手を頭の後ろに回し、晶は悔しそうに俯いた。

 空にはまつろわぬレヴィアタンが蠢き、西天宮からは羅濠教主が現れる。死にかけのレヴィアタンならばまだしも羅濠教主を相手に立ち回れると思うほど、晶は自惚れ家ではない。

「わかりました。下山して叔父さんに合流ですね」

 そう言って、晶は祐理に近づく。

「ひかりちゃんはわたしが運びます。万里谷先輩は、力仕事苦手ですよね」

「あ、はい。ありがとうございます」

 そして、晶はひかりを背中に担ぐ。

「それと、晶さん。草薙さんが、晶さんの力を貸していただくことになるかもしれないと仰っていましたので、心の準備をお願いします」

「わ、わたしの力が必要ってことですか!?」

「そのような場面が来るかもしれないと仰っていました。」

「わかりました。そういうことなら、がんばります」

 晶は浮かなかった表情を明るくして、頷いた。

 それから、四人は纏まって日光東照宮の長い参道を下っていった。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 護堂は羅濠教主の出現を、日陰になっている桃の木の下に座って待った。

 西日が差す日光は、人気がないことも相まって穏やかな時間が流れていた。嵐の前の静けさとわかりきっているが、休息を取るには十分だった。

 護堂の手にはすでに槍が生成されており、戦意は十分に高まっていた。

 一度目は、護堂がひかりの安全を考慮して戦略的撤退を選んだ。そして、これから仕切り直しといくわけだ。

 カンピオーネなればこそ、戦場における集中力は尋常ならざるものになる。

 草薙護堂が真価を発揮するのは、どれほど否定しようとも戦場以外ないのである。

「来たか」

 護堂は羅濠教主の気配を感じて立ち上がった。

 睨み付ける祠の扉が勢いよく開け放たれ、漢服を纏った麗人が舞い出てくる。

「草薙王。まさか、わたくしが祠より出るのを待ち構えていたわけですか」

 羅濠教主は、護堂の前に降り立つと、玲瓏な声でそう言った。

「どの道、あなたとは決着をつけなくちゃいけないと思ってな。ここは、一応俺が生まれ育った国だ。好き勝手にされて黙ってるわけにはいかない」

 槍の石突を地面に叩き付けると、石畳に蜘蛛の巣状のひび割れが走った。

 四方に護堂の呪力が散り、羅濠教主の髪を揺らす。

「ほう……なるほど、この羅濠に傷を付けるのみならず、打倒を目指すと。そういうことですね」

「もちろんだ。あなたは、ここで倒さなければならない。今後の俺のためにもな」

「その意気や良し! いと高く、険しい壁を乗り越えんと死力を尽くす。やはり、快男児はこうでなければなりません! あなたの心意気は実に見事です!」

 護堂の戦意に触発されて、羅濠教主は華が咲いたような笑みを浮かべた。ヴォバン侯爵のような獰猛さではなく、あくまでも一個の武人としてこの戦いに誇りを持って臨む。羅濠教主は護堂が自分にとって本当の意味で倒すべき相手になったことが嬉しくてたまらないといった様子だ。

「それでは、見せてあげましょう。あなたが乗り越えるべき壁の一端を!」

 轟。

 陣風が護堂の身体を打ち据えた。

 自然界ではありえない高密度の風が、護堂一人のために振るわれたのだ。

 だが、護堂は倒れない。それどころか身体が浮き上がりもしなかった。

「ふふ、やはり戦いなれていますね。距離を隔てての攻撃は、わたくしたちには効果が薄いもの。よって、短兵白打こそが戦の真髄と知りなさい」

 言うや否や、羅濠教主はものの一歩で護堂を自身の拳の圏内に捉えた。

 グッと握りこまれる右の豪腕。

 踏み込む右足。

 衝撃力が足から腰を通じて肩へ流れ、全身の絶妙な捻りが加わって爆発的に威力を増加させ、最強の一撃となって拳に集約される。

 そのすべての力が『大力金剛神功』によって神を殺める領域にまで引き上げられているのだ。

 一撃喰らえば即死もあり得る。

 羅濠教主が口にした通り、カンピオーネの戦いは近接戦での物理攻撃が基本である。そして、羅濠教主は、七人いるカンピオーネの中で最も物理攻撃に秀でている。その能力は、文字通りカンピオーネキラーと言っても過言ではない。

 羅濠教主が放つ渾身の一撃は、護堂の頭蓋を砕きその生命活動を一瞬にして停止させる――――はずだった。

「む?」

 羅濠教主の縦拳を顔を逸らしてかわした護堂は、右半身を突き出す形になっている羅濠教主の右側へと身体を回転させながら移動する。その勢いのまま、上から下へ、槍を思い切り振り下ろす。

 長柄の武器の特徴にして最大の利点はそのリーチの長さにある。

 人間の武器の歴史は、如何にして敵の攻撃の届かないところから敵の命を奪うかということを突き詰めてきたものである。

 射出武器にはさすがに劣るものの、近接戦において槍を上回るリーチを持つ武器はほとんどなく、近接戦闘時には極めて大きな脅威になる武器である。

 では、長柄武器の最も正しい使い方はなにか。

 刺突だと思う者もいるだろう。刃を素早く敵の心臓に突き立てれば、それで戦闘は終了するのだから。

 しかし、槍が最も使われていた時代、胸は厚い鉄の鎧で守られていて、よほどの怪力でなければ貫くことはできなかった。

 また、突き技には力が伴わず、急所に当てなければ必殺にならない。

 つまり、槍による刺突は、基本的に愚策。護堂のような素人では簡単に避けられてしまう上、隙を生じることになるだけだ。

 槍を最強の武器たらしめるのは、その長大な柄を最大限に利用することで発生する遠心力を用いた振り下ろしによる打撃である。

 常人が使っても、穂先の重量も加算されて、その威力は骨を切断するほどであったという。

 振り下ろされる槍が、神槍であったのなら、打撃点に加わるダメージはもはや通常の槍とは比べ物にならない。

「ハッ!」 

 しかし、護堂の槍が常識外のものであるのなら、羅濠教主の功夫もまた常道にはない。

 なんと、羅濠教主は突き出した右腕の肘を直角に曲げ、瞬時に拳を天に向けたのだ。

 神槍と拳が激突し、衝撃波は四方の木々を激しく揺らした。

 羅濠教主の怪力が、護堂の槍を正面から受け止めたのだろうか。

 いや、違う。羅濠教主の足元の地面が割れた。驚くべきことだが、羅濠教主は力に力で対抗したのではなく、打撃点から力を地面に逃がしたのだ。

『縮!』

「シッ!」

 羅濠教主の反撃に先んじて言霊が空間を圧縮し、護堂を後方へ逃がす。羅濠教主の攻撃は空を切るのみで終わった。

 空間圧縮による緊急回避は、身体の動きとは異なる方向への移動を可能とする。初見での対処は難しく、二度目であっても対応しきれない。

 しかし、そこは羅濠教主。初めて見た技ならばまだしも、二度目となればほぼ完璧に対応する。この移動の方法がどうあれ、所詮は移動法に過ぎないのである。

 逃すまいと詰め寄る羅濠教主は、さすがの速度だ。瞬く間に護堂の目の前に迫り、拳を繰り出し、蹴りを放つ。一連の行動に切れ目がなく、流れるような連続攻撃に、護堂は舌を巻いた。

 護堂の頬がざっくりと切れて血が滴った。

 羅濠教主の十数発に渡る連撃を、ただそれだけの負傷でかわして見せたのだ。

 一撃ならば、偶然と割り切ろう。二撃目もかわせるかもしれない。しかし、ここまで攻撃をかわされては認めざるを得ない。

 草薙護堂は、羅濠教主の攻撃を見切るだけの眼を持っている。

「本当にすばらしい。わが拳をこれほどまで見切るとは」

 優雅とも思える挙措で護堂と向かい合う羅濠教主には、まだまだ余裕がある。対する護堂も、体力、精神力ともに充溢している。

 これまでの攻防は、小手調べだと言わんばかりに、羅濠教主を睨みつける。

 祐理のおかげで、羅濠教主の攻撃を見ることができる。確かに、護堂はあの恐ろしい拳を見切ることができるのだ。

 護堂と羅濠教主はおよそ二十メートルの距離を挟んで対峙する。

「ならば、わたくしもそれ相応の力を見せねばなりませんね」

 羅濠教主の呪力がそうとわかるほど上昇する。

 何か、大技を繰り出そうとしているのだ。

「させるか――――我は鉄を打つ者。我が武具を以て万の軍をまつろわせよ」

 早口で一目連の聖句を唱えると、製鉄神の力が無数の刃となって具現化する。柄はない。羅濠教主ならば、飛来する刀剣の柄を掴んで己が物とすることも可能だからだ。重さはないが、その代わり切先の鋭さに力を集中した。

 瞬間的に生成した刃は実に三十。

 それが、同時に放たれる。

 点ではなく、面による弾幕。

 もはや避けようのない死の嵐を前に、羅濠教主はそれでも微笑む。妖艶な笑みは、これしきのことでは傷すら負わないということを如実に示すものでもあった。

 風切り音も高らかに、柔らかそうな肢体へ向かう刃の前に、突如として浮かび上がるのは黄金の闘士。

 その身体は、筋骨隆々にして金城鉄壁。峨峨たる要塞にして絶対の城壁に等しい。

 その名は、金剛力士。

 仁王とも呼ばれる阿吽一対の仏尊である。

 砲弾の如き刃の数々も、鍛え抜かれた岩のような筋肉を前にすれば紙を丸めた弾と同じ。

 その尽くが弾き返される。

「くそ、出してきたか!」

「さあ、我が武芸の真髄をその身に刻みなさい、草薙王!」

 それまでの羅濠教主の動きをそのままに、金剛力士が大きな一歩を踏み出した。身体が大きい分だけ、その一歩も大きくなる。

 しかし、その動きの素早さは、護堂の予想を裏切って余りある。

「う、おおおおおおおおおおおおお!!」

 護堂が金剛力士の拳を避けることができたのは、偏に直感のおかげである。

 危険を察知したのは、金剛力士が動き出す直前。コンマ一秒の判断だった。全力で身体を真横に投げ出す、死に物狂いの回避行動。それでも、一瞬遅れていれば終わっていた。

「うがああッ!」

 護堂は腹に飛んできた石の塊を受けて、跳ね飛ばされた。

 護堂をしとめ損ねた金堂力士の拳は、地面にめり込み、大きく陥没させていた。地盤沈下を引き起こしても不思議ではない威力。攻撃を受けた石畳は、もはや原形も残さず消し飛んでいた。

「漫画みてえなことをッ」

 倒れていては格好の獲物。痛む腹部を押さえながらも立ち上がる。

「仁王を脅威と見て受けるのではなく回避を選んだこと。なかなか見事な判断です。しかし、このわたくしから眼を離すのはいただけませんね」

「ッ!!」

 反射的に楯を張る。

 頑強な《鋼》の楯を五枚重ねて勘任せに展開する。

「あ、っぶねえ」

 楯はなんとか羅濠教主の貫手を防いでくれた。

 恐ろしいことに、五枚のうち四枚まで貫通されている。

『弾け!』

 言霊を羅濠教主に向けて放つ。

 だが、そこに割り込んできた巨漢が、拳一つで護堂の呪力を叩き潰す。

 まずは、あの金剛力士をなんとかしなければ、羅濠教主に攻撃が届かない。あれは圧倒的な力で相手をねじ伏せる純粋なパワーファイターだが、その分だけ身体は頑強にできている。

「我が言は衆生を導く教えなり。我が呪言は、万象貫く法にして罪人を討つ裁きの剣なり!」

 ガブリエルの聖句で直感を強化する。遠くで祐理が呼応するのを感じ取る。途端に、世界が開けたような錯覚を覚えた。

 大気中を漂う呪力の僅かな乱れが見える。木々の息吹を感じる。この世ならぬどこかから世界を俯瞰する全能感。

「ハアッ!」

 金剛力士の踏み込みが、遅くなったようにも見える。

 振りぬかれる巨大な拳を最小限の動きでかわす。左肩を掠めるが、気に止めない。

「鋭く、速き雷よ! 我が敵を切り刻み、罪障を払え!」

 そして、護堂は咲雷神の化身を使う。周囲にある高い物体を生贄にすることで、相手を両断する雷の刃を解き放つのだ。

 護堂は今、金剛力士の懐深くにいる。巨体が祟って近づかれすぎると効果的な攻撃が難しい。ましてや、今は護堂に殴打をかわされた直後である。

 ここは、護堂にとって一番の安全圏であると同時に射程圏なのだ。

 護堂は金剛力士の腹部をなぞるように右手を真横一文字に振りぬいた。

 紫電が奔り、次いで雷光が煌く。遅れて莫大な雷鳴が轟いた。

「なんと!?」

 羅濠教主が驚愕に目をむいた。

 羅濠教主自慢の金剛力士が、上半身と下半身で分断されて打ち倒されたのだ。

「仁王の攻撃を読み、かわすと同時に返す刀で両断する。柔よく剛を制す。止めどなく流れる水の如き振る舞い。なかなかどうして、楽しませてくれるではありませんか」

 羅濠教主は、口の端から滴る血を親指で拭った。金剛力士が受けたダメージが影響しているのだ。

「過大評価も甚だしいんだけどな」

 護堂が羅濠教主の攻撃を捌くたびに、彼女の中で護堂の評価が鰻上りな気がする。

「幽界でわたくしの拳を受け止めた雷雲の権能と同じ類。異なる雷神から得たようにも思えませんし……。なるほど、複数の側面を持つ雷神を討ち果たして得た権能というわけですか。あなたはわたくしのように剛の拳を極め、柔の技で敵を屠るのではなく、複数の選択肢をあらかじめ用意しておいて状況に合わせて自ら取捨選択することで戦況を優位に運ぶ戦い方をするのですね。昨今の魔王の中では英吉利(えげれす)国のひねくれ者が近いでしょうか」

 アレクサンドル・ガスコインのことを言っているのだろう。確かに、力攻めに固執しないところは似ているかもしれないが、護堂はアレクサンドルほど、戦略家ではない。その場その場で手を変えるだけである。

「それ、もう一発!」

 逆手に構えた神槍に、護堂は残りの咲雷神の力を注ぎ込む。

 雷光を宿した神槍を力の限り投擲する。

「それは甘い」

 金剛力士像。あるいは仁王。彼らは阿吽一対で存在する神格。狛犬やシーサーと同じく左右にいることで一柱の神となる。

 ならば、ただ一柱を倒したところで、もう一柱いるのは必然だ。

 雷撃の槍は、羅濠教主の前に出現した仁王の腹部に突き立った。貫通するが、持ち前の怪力が柄を掴み、それ以上の侵攻を阻む。

 だが、それでいい。

 右腕に雷撃の力を集中する。

 拳で弾ける紫電が、渦を巻いて解き放たれる。

「今ここに顕現せよ。天を翔け、地へ降り下る者。蛇にして豊穣の主。地下深く眠る死者の総帥よ、大いなる雷の神威を我が前に顕し給え!」

 『八雷神』の権能が持つ八つの化身の中で、火雷神と並んで最高威力をたたき出す、必殺の化身。

 大雷神の力である。

 青白い閃光が、一直線に羅濠教主に向かって迸る。

 大気は瞬間的に膨張して、轟音を撒き散らす。

「一力降十会、一力圧十技!」

 羅濠教主も聖句を唱える。

 強大無比な雷撃を前に、金剛力士が猛然と前に進み出る。

 そして、二つの権能が真っ向からぶつかり合った。

 




何故遅れたか。
別の作品に逃避していたこともある。
集中講義に出てたこともある。
しかし、かの場面が、書けなかった。これが大きい。
書いてイラッとした。羞恥もあった。

この拳を、リア充に、シュウウウウウ!!

長くなったので分割します。羅濠戦は、もう少しだけ続きます。次回はついにあの人登場!!

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