カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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五十九話

「く……わたくしとしたことが」

 羅濠教主は、歯噛みした。

 魔王になって一年と経たない若者と侮る気持ちがあったのではないか。護堂に敗れたというのは、己に未熟さがあったということである。とはいえ、武を志す者の頂点に君臨すると自負し、事実その通りである羅濠教主は、敗北を受け入れられないほど狭量ではない。護堂の実力は、武に関して言えば、未熟極まりないが、それでも魔王として相対するならば、油断ならぬものだった。敗戦の原因は、相手の実力を甘く見た羅濠教主自身にある。

 問題は、その後に襲い掛かってきた斉天大聖の呪術に羅濠教主を庇った護堂が囚われたことである。

 護堂に敗れた挙句、さらに救われたとあっては、羅濠教主が悔しさに顔を歪ませるのも無理のない話である。

「一人は取り逃がしたか。思い通りにはいかんのう」

 斉天大聖は、石化した木の上から、羅濠教主を睥睨する。

「だが、今のお主は大分呪力を消耗しておる。あの小僧めにずいぶんと手を焼かされたようじゃの。今ならば、容易に決着をつけられそうじゃが」

「そう思うのであれば、向かってくるといいでしょう。ですが、言っておきます。この羅濠。これしきの消耗であなたに遅れを取ることはありえません」

 毅然とした態度でそう言い放つ羅濠教主。

 虚勢ではない。

 羅濠教主は、本気で斉天大聖と戦えると思っているのだ。

 護堂を相手にしていた時は、護堂の実力を試すかのように振舞っていた。それが敗北に繋がったという事実はあるが、今回は、それが功を奏していた。

 つまり、羅濠教主の状態は、万全ではなくとも致命的なまでの消耗ではないのである。

 護堂に助けられた不明を恥じ、斉天大聖を討ち果たして護堂を救うことこそ己が役割と戦意を高めている。

「手負いの虎をこそ、恐れるべき。狩るにしても、今のお主は危険すぎるの」

 斉天大聖のほうは、戦意が十分とは言いがたい。中華最高峰の軍神ではあるが、同時に行楽を愛するなどの複数の側面を持つこの猿神は、だからこそ戦いに余計なプライドを持ち込まない。彼なりの矜持はあるが、生粋の《鋼》とは思考回路が異なるのだ。

「それに、復活したとはいえ、今の我には万全を期すためにせねばならんこともあるしの。君子危うきに近寄らず。お主の相手はまた後じゃ」

「逃げるのですか?」

「逃げるのではない。万全を整えるだけじゃ。とはいえ、お主をただ休ませるわけにもいくまいて」

 にやりと好戦的な笑みを浮かべると、斉天大聖は、大音声で叫んだ。

「さあ、出でよ我が王国の民たちよ! しばしそこの神殺しの相手をせい!」

 そして、現れ出でるのは、見上げんばかりの巨猿たち。十を超える魔性の猿が、よだれを垂れ流しながら羅濠教主に牙を剥いている。

「配下を呼びましたか。この程度では、わたくしの相手は務まりませんよ」

「なに、多少の時間を稼いでくれればよいのじゃ。そう、我が行方をくらます程度の時間をの」

 斉天大聖がそう言い終わる頃には、すでに二体の巨猿が腹部に大穴を開けて仰向けに倒れ、呪力の粉となって消えるところだった。

 しかし、それでも巨猿の数は多く、一体一体が雑魚ではない。

 羅濠教主からすれば、有象無象の一種であるが、それでも拳を振るい蹴りを放つその僅かな時間があれば、斉天大聖が姿を消すのに十分だった。

 百年前から再戦を望んでいた相手が消え去ったのを視界の端で捉えながら、巨猿の顎を蹴り砕く。

「鷹児!」

「はッ!」

 巨猿に囲まれているのは、鷹化も同じ。それにも関わらず、鷹化は師に対して、片膝をつき、右の拳を左の手の平に押し当てる。抱拳礼である。

「ここはわたくしに任せ、おまえは至急草薙王の巫女の下へ向かい、現状を包み隠さず報告しなさい」

 羅濠教主はさらにもう一体を衝撃波で粉微塵にする。

 武侠の王たる羅濠教主に、一対多の戦闘程度で優位に立つことなどできるはずがない。

 彼女は全身が武器のようなもの。暴力の台風である。徒党を組んで攻略するには、力の規模が違いすぎるのである。

 羅濠教主は巨猿どもを駆逐していく。

 そのあまりに圧倒的な姿を背にし、鷹化は軽快な足取りで山を下った。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

「なるほど、それはまずいことになりましたね」

 鷹化からの報告を受け取り、冬馬は顔をしかめた。その傍らにいる馨も同様だ。羅濠教主現るの報を受け、現地入りした馨は、斉天大聖の復活を確認したことで、正史編纂委員会所属の呪術師の中から腕利きだけを集めて、周辺の警戒に当たらせた。

「斉天大聖孫悟空か。イタズラ好きの神様が現世に解き放たれたとなると、まずいことになりそうだね」

「不幸中の幸いは、かの神格が未だに本調子ではないということでしょうか」

 詳細は不明ながら、斉天大聖は羅濠教主に対して、『万全を期す』ためと称して彼女との戦闘を避けた。それはつまり、斉天大聖は、まだ完全には力を取り戻していないということでもある。

「僕としては、あんな化物をどうやって何百年も封印し続けていたのかが気になるんだけどな」

「それはさすがに企業秘密さ」

「わかってるよ。僕だって、本気で聞きたいわけじゃない」

 むしろ、聞き出してしまったなら、羅濠教主になにを言われるかわかったものではない。今の羅濠教主は護堂に借りがあるのだ。その護堂の配下に対して、羅濠教主の配下である鷹化が無礼を働くわけにはいかない。

「さて、それで羅濠教主はこれからどうなさるおつもりでしょうかね」

「そりゃ、斉天大聖と戦うだろうさ。もちろん、そっちの魔王様の救出にも手を貸すだろうね」

「おや、そうなんですか?」

「師父は貸し借りにはうるさいんだ。まして、自分に借りがあるのなら、なんとしてでも返そうとする。ハチャメチャな人だけど、そのあたりは誰よりも信用できる」

 羅濠教主の人柄を知り尽くしている鷹化が言うのなら、これは間違いないだろう。

 それに、一般的な常識からかけ離れた行動、判断をするのがカンピオーネであるが、往々にして自分の敷いたルールは厳格に守るという傾向があることも認められている。

 例えば、護堂がヴォバン侯爵と戦った際に、ヴォバンは自分の定めたルールが守れなかったことを理由に撤退した。羅濠教主はヴォバン侯爵と同じく古い時代のカンピオーネ。似通った性質でも不思議ではない。

「それでは、羅濠教主は、我々と協同戦線を張ってくださると?」

 そう尋ねた馨に、鷹化は首を振った。

「いや、それはないだろうね。あの師父のことだから、自分の力でなんとかしようとするよ。それに、もしかしたら、そっちのカンピオーネのほうが自力で脱出するかもしれないしね」

「草薙さんが自分で脱出できるとお考えで?」

 冬馬が問う。斉天大聖がかけた石化の封印は、大陸系の呪術ではあるが、その系譜は日本の陰陽道などにも流れている。日本の呪術は独自に発展してきたものであるが、神道を除いてその源流は中国にある。斉天大聖が使用した呪術のことを、冬馬が理解できないはずがなかった。そして、理解できるが故に、あの呪術がとてつもない代物であると実感できた。

 そして、それは羅濠教主の下で過ごしてきた陸鷹化も同じである。方術(中国系呪術の総称)よりも、拳法に卓越した才を有する鷹化だが、師が師だけに、方術も齧っている。

 その鷹化が可能だと言い切った。

「その根拠は?」

「そりゃ、あの方たちは僕らの想像の範疇外の存在だからねェ。正直、あの程度でどうにかなるのであれば、人類最強なんて称号はなかったと思うよ。もちろん、一緒に取り込まれた二人はどうかわからないけどね」

 護堂が生き残るのは、確実。しかし、恵那と晶の命まではわからない。鷹化の見立ては非常に現実的であると同時に、残酷なものであった。

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 石の檻に閉じ込められるという失態を演じた護堂たちは、光の差さない闇の底に囚われたままになっている。

 漆黒の闇の中であっても、カンピオーネの透視能力があるので、行動に支障はない。闇を見透かす術を二人の媛巫女も持っているので、そちらも不都合はない。

 無明の世界。感覚に従うならば、ここは幽界と同じような場所だ。表の世界と物理的に繋がっているわけではない。力任せに術を破壊することも可能だろうが、それには全力を振り絞らなければならないだろう。

「二人とも、大丈夫か?」

 声は、岩壁に当たって反響する。

 空間の大きさは四畳一間程度。

 一人でも狭さを感じるのに、それが三人ともなれば、相当だ。足を伸ばすわけにはいかず、三人とも石壁を背にして座るしかない。

「恵那たちは大丈夫だけど、王さまのほうはどうなの? 羅濠教主と戦ってかなり疲弊しているはずだよね?」

「そりゃな。大丈夫とは言えないけど」

 怪我自体はすでに完治している。問題は呪力がすっからかんだということだ。羅濠教主を石の封印から弾き出したので打ち止めだ。

「休息がいるってこと?」

「少し休めば呪力は戻るから、そうしたら、ここを全力で破壊ってこともできるだろうけどな」

「はいはい、じゃあ提案! 恵那の膝貸してあげるから王さま寝ていいよ!」

 と、手を上げて言う恵那に、晶が食ってかかる。

「なんでそんなことになるんですか!」

「ん? この狭い上に地面は固い中で王さまを休ませるにはこれがベストな選択だと思うけど」

「だったら、清秋院さんじゃなくてもいいわけで、その、わたしでも……」

「え、じゃあ、二人でする?」

「どうやってですか!?」

 膝枕は二人でできるものなのだろうか。恵那の頭の中にどのような画が浮かんでいるのか甚だ不思議でならなかった。

 そして、そんな会話を間近で聞かされた護堂は、一人、とてつもない居心地の悪さを感じていた。

「ねえねえ、王さまはどっちがいい。どっちの太ももがいいかという話で」

「お、俺を巻き込むなよ」

 恵那に話を振られた護堂は、驚いて言葉に詰まった。ついつい、二人の足に目が行ってしまうのは、哀しい男の性である。

「先輩……」

 そっと目を逸らしたとき、晶に呼びかけられた。

「ち、違うぞ。俺は何も見ていない」

「そうじゃなくて! 何を見ていたのか気になりますけど、そうじゃなくて! なんか、息がしづらいような気がして」

「何?」

 浮ついた空気が、一気に引き締まった。

 考えてみれば、ここは、完全な密室である。閉ざされた空間では、当然呼吸に必要な酸素の量も限られてくる。外に道が通じていないというのなら、三人が利用できる空気は、正真正銘、今、目に映るこの岩壁に囲まれた領域にあるものだけになる。

「まずいな……」

 護堂はまだ、余裕がある。息が苦しいとも思わないので気がつきもしなかった。しかし、さすがに鍛え方の違う二人の媛巫女は察したようだ。

「あの猿が俺たちに空気を与えてくれるわけがないか」

「このままじゃ、酸欠になって死んじゃうねー」

「緊張感がないな、清秋院」

 恵那の言っていることは自明の理であるが、笑顔で言うことではない。

 護堂一人であれば、なんとか乗り越えることができるはずだ。若雷神の力があるので、うまく使えば冬眠状態となって呪力の回復に専念することができるだろう。しかし、そんな芸当がただ特殊な力があるだけの少女たちにできるわけがない。

「うーん、息止めてられるのも、五分くらいが限度だし。アッキーは?」

「わたしも、それくらいが限界です」

「五分ってすごいな」

 二人の肺活量が護堂以上だということがわかった。

 しかし、それがわかったところで解決する問題ではない。斉天大聖がかけた封印術を外の呪術師たちが破ってくれる可能性は、低い。羅濠教主がなんとかしてくれるかもしれないが、恵那や晶が窒息するまでの間に助けてくれるかというと難しいと言わざるを得ない。

「力技に訴えるしかないのか」

 現状、それ以外に脱出する手段がない。

 しかし、大雷神や咲雷神の化身はすでに使用済み。火雷神の化身は少女たちの身を危険に晒す。『強制言語』と『武具生成』。このどちらかで事態を解決しなければならない。

 だが、そのための呪力がない。

 手詰まりなのだ。権能を使うにしても、その燃料となる呪力がなくては意味がない。

 二人を見捨てれば、護堂は助かる。しかし、そんなことを容認できるはずがない。為らぬことを為らぬままに為すのがカンピオーネだ。

「王さまに呪力があれば、この状況を何とかできる?」

 恵那の問いかけに、護堂は頷いた。

「ああ、これくらい、なんとでもなる」

 方法も考えてある。ただ、それを実現するためには呪力が必要で、その呪力の回復には時間を要するというだけだ。

「だったら、恵那の呪力をあげる。好きに使っていいよ」

「清秋院?」

 恵那は、護堂が二の句を継ぐ前に、自分の唇で護堂の唇を塞いだ。

「あ――――!」

 晶が短い悲鳴をあげたときには、もう恵那は護堂に身体を預けるようにして倒れこんでいた。

 恵那の呪力が、唇を通して護堂に流れ込んでいるのがわかる。

「ねえ、王さま。王さまの中で、天叢雲剣が怒ってるよ……もっと、自分を使えって」

 キスをしながら、護堂の内に宿る神剣と意思疎通したのか。もともと、天叢雲剣は恵那の相棒。互いの呪力は、恵那の手元を離れた今でも感じることができるし、その意思を汲み取ることもできるのだ。

 恵那は、護堂を求め続ける。護堂が持つ無尽蔵のキャパシティーを満たすには、彼女の呪力を根こそぎ与えるくらいの覚悟は必要だ。そうなれば、もう恵那を守るものはなにもない。護堂が失敗すれば、低酸素状態の中で、恵那は静かに命の火を消すことになるだろう。恵那は、護堂に自分の命運のすべてを託すつもりでいるのだ。

 それが今打てる手で最良の手段だということは、晶にも理解できる。

 だが、目の前で、護堂と恵那がキスしているということに関しては、状況も理由も関係なく認めたくなかった。

 護堂を想ってきた時間は、恵那に比べてずっと長い。晶からすれば、恵那はぽっと出の新参者でしかない。それなのに、なぜ、今キスをしているのが自分ではなく恵那なのか。

 しだいにむかっ腹が立ってきた。

 護堂に呪力を分け与えるくらいの仕事は自分にもできる。それに――――今、しなければ、きっともう先はない。

「先輩。……恵那さんばかりにさせるのは、ダメですよ。わたしだって、先輩の役に立てるんです」

「晶……!」

 恵那は、晶に譲るように唇を離し、晶は吸い寄せられるように、護堂にキスをした。

「天叢雲剣を活性化させるのなら、わたしの呪力のほうが相性がいいはずです」

 《蛇》に最も近い媛巫女。それが、晶の媛巫女としての特性である。大地と月から高純度の呪力を吸収し、己が力とする。そして、その力は、翻ってみれば《鋼》の神格を滾らせる《蛇》の特性でもあるのだ。

 だから、晶は《鋼》の天叢雲剣に力を与えるには最適な人材といえたし、そう自分に言い聞かせることで、より積極的に護堂を求めることもできた。

 護堂に粗方の呪力を分け与えた後、晶は顔を真っ赤に染めて護堂の胸に顔をうずめた。

「わ、わたし、なんてこと……」

 雰囲気に流されたこともあったし、危機的状況だったこともあったが、勢いとはいえ、このような形でキスしてしまうとは想定外だったのだ。恥ずかしくて、まともに護堂を直視できなかった。

「あー、なんか本当にすまん」

 気力を吹き返した護堂は、そんな晶にかける言葉が思いつかず、密着している晶の髪をすくようにして撫でるくらいしかできなかった。

「別に王さまが気にすることないよ。恵那たちが進んでやったことだしさ」

「そうはいうけど」

「もしも、気にしてくれるんなら、恵那たちのお嫁入りの話を前向きに考えてよ」

 紅潮した顔で、恵那は柔和な笑みを浮かべている。これが冗談か本心かは別にして、このような状況下でもこうして軽口が出てくるというのは、ありがたいことだ。必要以上の気負いがなくて済む。

「清秋院、おまえは結構な悪女だな」

「ひどいなあ、これでも、頑張ってるのに」

「わかってるよ」

 さて、呪力も戻ったところで、そろそろこの牢獄から脱出しなければならない。今では、護堂でもわかるくらいに空気が薄くなっている。おそらく、数千メートル級の山の頂上程度には薄まっているはずだ。後数分もすれば、人が生きていける濃度を下回るのは確実だった。

 護堂は立ち上がり、上を見上げる。

「それじゃ、一気に出るぞ。二人とも、俺に掴まっててくれ」

 護堂は右手を天に突き出して、呪力を練り上げる。二人から分け与えられた呪力は十分とは言いがたいが、それでも護堂の基礎能力を高めるだけのものになった。僅かでも力を取り戻せば、後は護堂自身の気力の問題となる。

「我が前に敵はなし。我が道を阻むもの、皆尽く消え失せよ。之、魔を断つ一斬なり」

 護堂は、脳裏に浮かび上がってくるままに聖句を唱える。

 清らかで、芳醇な香りが石牢の中に満ちる。

 これは、源頼光から簒奪した神酒の権能。しかし、いつものそれとは様相を異にしている。

 通常は、霧状か液状で召喚される神酒が、今は護堂の右手を包むようにして渦を巻き、鋭い光を放っている。

 破魔の神酒の権能と、まつろわす神剣の特性を融合させた一斬は、あらゆる呪力を打ち消す呪術破りの権能となる。

 

 ――――斬ッ

 

 振り下ろす一刀は、瞬時に巨大化し、深々と石の天井に突き刺さり、道を切り開く。

 両断された石牢は、呪力を断たれたことで力を失い土に還る。

 崩れ行く石牢。

 護堂は完全に石牢の術が解けてなくなる前に、恵那と晶をしっかりと掴んで、土雷神の化身を行使した。

 

 

 

 

 


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