カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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第二章 委員会内訌編
六話


 四月も終わりに近い。高校に入学しておよそ一月が経ち、新入生も緊張から解放され、新生活にもほどほどに慣れてきたころだ。

 散り始めた桜を眺めつつ、護堂は学校へ向かう。まだ肌寒い風が吹くけれども、日差しは日増しに暖かくなり、ここ最近は陽光も穏やかで過ごしやすい一日が続いている。

 結局、東京の天気が大幅に崩れたのは火雷大神の襲来が最後だった。まるで、あの雷神が数か月分の天候不順をまとめて持ってきたかのように、あの戦い以降の東京は、驚くほどに晴天が続いていた。

「復旧も結構進んできたなあ」

 護堂は少し前まで電柱がへし折れていた道路を眺めて感慨深そうに呟いた。

 今はかつての災害の爪痕など一切が消滅し、それ以前の風景に戻っていた。日本の技術力の高さを物語っている。

「江東区とかはまだまだみたいだけどね。あのスッパリ切れてるビルなんて何があったのって感じだよね」

「ああ、あれなあ……」

 静花の言うビルとは、すなわち雷神の斬撃によって角を切り落とされてしまった哀れな商社のことであろう。ニュースなどには報道されていないことだが、ビルの屋上が切り取られているなどということを大衆の目から隠すのは容易ではなく、瞬く間に世間の注目を浴びることになってしまったのだった。

 正史編纂委員会がこの件を隠蔽するのに、一体どれだけの時間と手間がかかることになるのだろうか。

 まつろわぬ神との戦いで、望まぬ破壊が生じてしまうことは、もうしようがないのかもしれない。

 およそ半月前の戦いを思い起こして、申し訳なさで心が一杯になったとき、横に並んで歩いていた静花が尋ねてきた。

「ねえ、お兄ちゃん。今日ってほらおじいちゃんが夜いないでしょ。夕ご飯わたしが当番なんだけど、何かリクエストある?」

「リクエスト、か」

 護堂は呟いて考える。

 ここでなんでもいい、と答えるのはマナー違反なのだろう。正直、我が身に置き換えてもいい気分はしない。とはいえ、これといって食に興味があるわけでもないのだから、パッと思い付きを言うことにした。

「カレー」

「はい適当」

 決め付けられ、う、と護堂は呻いた。

「お兄ちゃんってホント食べ物にこだわりがないよね。あるものならなんでもいい、みたいな」

 静花の兄への評価は実に的確だった。護堂を誰よりも近くで見てきた人物だけに、その嗜好を知り尽くしている。

「いいか、静花。今日の俺はカレーが食べたい気分なんだ。まっさきにカレーが思いついたのはきっとそういうことだ」

「きっとって何よ」

「さあ」

 護堂は、適当にぼかして静花をあしらった。

 不服そうな妹であるが、こうした会話は比較的多く、今に始まったことではない。すっかり慣れてしまったから嫌悪の念など抱きようがない。

「じゃあ、今夜はカレー、と。そしたら明日もカレーになっちゃうけど?」

「いいんじゃないか。それで」

「決定だね。それじゃ、今日の放課後にでも買い物に……」

 護堂を見ていた静花は、そこまで言って、視線を前に向けた。そして、複雑そうな表情に変わる。その表情の意味に、護堂は気づけない。

 静花が視界に捉えたのは万里谷祐理だった。

「おはようございます。万里谷先輩」

「あ、おはようございます静花さん。……草薙さん」

「おはよう。万里谷」

 祐理と通学路で出会うのは実のところこれが初めてだった。

 彼女の実家の位置はわからない。当然だ、遊びにお邪魔するような間柄でもないのだから。ただ、神社に向かうのに電車を必要とすることに比べ、こうして朝歩いているところに出くわすことを考えれば、神社と違い、家は、この近辺にあるのだろうという予測は立った。

 ただ、それだけだ。

「く、草薙さん。わたし、今日は部室の備品を確認しないといけないので、お先に失礼します!」

 祐理は、護堂と視線を合わせると、真っ赤になって俯き、早口でまくし立てるようにそう言うとそそくさと去ってしまった。

「おーい……」

 呼び止めようという気持ちは護堂の声からは感じられない。

 なぜか、まつろわぬ神との戦い以来、祐理とは疎遠になってしまっていた。

 学校では、クラスが違うためにこれといって接点はないのだが、廊下などですれ違うときなど、周囲からはそれとわからないだろうが、明らかに避けられている、ような気がする。

「お兄ちゃん――――!」

「う……!」

 刺すような鋭利な視線が隣から襲い掛かってきた。

 その声は番犬が侵入者を威嚇する時の唸り声にも似て凶悪だ。

「どうした、静花」

「どうした?」

 一瞬にして、静花は笑顔になった。ただし、あふれ出る怒気はまったく衰えるところを知らない。

「今のは何!?お兄ちゃん、万里谷先輩にいったい何したっての!?」

「ひ、人聞きの悪いこと言うもんじゃない。何もしてねえよ」

「ウソ。じゃあなんで万里谷先輩があんな風になってるの!?」

「いや、だから知らないって」

 それは、事実だ。

 祐理との接触は、初めて会った荷物運びの時と、七雄神社での一件、そして、まつろわぬ火雷大神との決戦の直前だけだ。終わってから、倒れた護堂の下に来てくれたような気もしないでもないが、その辺りの記憶は非常に曖昧だった。

 実のところ、そのとき。護堂が意識を手放したその際に治癒の呪法を施した事が根底にあるのだが、意識がない護堂にそれを自覚せよというほうが無理な相談であろう。

 結果、護堂はまったく理解ができないまま、祐理だけが一方的に意識するという状況が成立してしまったわけだ。

「じゃあ、なにか。まさか、おじいちゃんの悪癖がついに発現したってこと。今になって……?いや、昔から怪しいなとは思ってたけど。でも、まさか万理谷先輩なんて」

 戦慄にも似た表情で、静花がぶつぶつと呟き始める。

 やれやれ、と護堂は歩を進めることにした。

 どうにも静花は兄とその他女性との関わりを邪推する癖がある。

 原作静花は少々ブラコンの気質があった。それはわかっているが、実際に静花の兄という立場になってみると、まさかな、という思いが強い。

 それは、静花の兄として、十四年の月日を生きてきたから思えることで、他人からはどうかわからないけれども、原作護堂と自分は別物なのだから、細かい人間関係も変わって当然だ。

 今を生きる護堂は、これといって妹に家族サービスをしてきたわけではないし、女性相手に好かれることをしてきたわけでもない。自分の人生に手一杯の人間だったのだから、好かれる要素もない。その証拠に告白された経験はゼロ。三バカにも嫉妬の視線を向けられることなく五月を目前としているのだから。

 護堂は何気なく視線を背後に向けた。

 特に意味はないが、そうしなければならないような気がしたのだ。

「お兄ちゃん?」

「いや、なんでもない」

 気のせいか。

 確認のため、春の日差しが窓に反射するビル群をなんとなく眺め、再び歩き出した。

 

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 同時刻。文京区のとあるマンションの一室には不可思議な光景があった。

 人影は二つ。どこかの制服を着込んだ黒いショートボブの少女とスーツ姿の男が、窓の両側の壁に背を預けて冷や汗をかいていた。

 マンションは二十階建てで、四年前に完成したばかりだった。この近辺は住宅が多く、このような大きなマンションは比較的少ないのだから、やはり目立つ。 

 その十三階に陣取る歳の離れた男と少女の関係はいったいどのようなものなのか。

「まさか、気づかれたりしてないよね。叔父さん」

「どうでしょう。少なくとも私には自信ないですねえ……」

 叔父さん、と呼ばれた男は、本当に自信なさそうに笑った。いつもこの調子で真意を測らせないのは、間違いなく職業病だ。その性質を彼女は幼いころからよく知っていた。

 その男。甘粕冬馬は、窓を挟んで反対にいる少女に問いかける。

「あなたは、どうなんです。バレたと思ったから隠れたのでは?」 

「どうかな。向こうがこっちを認識しているかどうかっていうのなら、大丈夫だと思うよ。でも、後一瞬遅れてたら、アウトだったかな」

 少女は、その手に握られている無骨な双眼鏡を無造作にベッドに放り投げる。

 重量が相当あるのだろう。重みでベッドが軋んだ。

「一応精密機械なんですから、慎重に扱ってくださいよ。術で守っているからって扱いが雑だと作った人が泣くことになりますから」

「いいじゃん。もしこの程度で壊れたんなら、とてもじゃないけど不採用でしょ。実戦はもっとシビアな環境なんだから。そうだね、もしも壊れたら、そのときは技術開発室の人に文句の一つも入れないといけないね」

 そのまま、身を投げ出すようにベッドにダイブする。

 双眼鏡が勢いで跳ねて、音を立てて床に落ちる。

 ベッドに沈む姪を冬馬は、やれやれといったようすで眺めていた。

「てか、あれが七人目の魔王なんだ。なんていうのかな。意外と普通?」

「ええ、普通ですね。表向きは。ただ、あれで正真正銘のカンピオーネです。ただの男子高校生だと思って軽々しく扱えない存在ですよ。それは、火雷大神との戦いを見れば一目瞭然でしょう。――――晶さん」

 晶と呼ばれた少女は、仰向けに寝そべったまま首肯した。

 実のところ、草薙護堂と火雷大神との戦闘は、密かに記録されていた。一応、日本のカンピオーネの観測史上初の戦いであり、正体不明の権能を堂々と使用しているのだから、日本の呪術管理を生業とする正史編纂委員会が映像記録を撮っていないはずがなかった。

 後々、トップが検証を繰り返し、様々な推論を並べていくことになる。

 彼女も、その映像を閲覧する機会を与えられたのだった。

 壮絶な、人類のものとは思えない戦いぶりは、映像に見るだけでも背筋を震わせた。

「まあ、それは十分理解してるつもり」

 その映像を思い出して、厳粛な表情をする。

 映像記録を閲覧することが許されるのは、基本的にトップの人間や『四家』と称される呪術界の重鎮たち。たとえ『媛』とよばれる階級にあってもよほどのことがなければ開示はされない。

 それを見る機会が得られたのは、単に任務が魔王がらみだったからだ。

「普通の神経なら、あんな戦いができる人間? に喧嘩を吹っかけようとは思わないよ。言われなくてもわかるって」

 多くの呪術者たちは、あの映像記録を見て、戦慄し、同時に喜びもしただろう。

 カンピオーネという存在を有する国は、言ってみれば核保有国のような影響力を得るに等しい。おまけに、諸外国のように、精神性からして人でなしというのではなく、あくまでも常識の範囲内にいる少年なのだ。これに目をつけないはずがなかった。

 間近でみるその戦闘能力に、多くの呪術者が驚嘆していた。もっとも、晶が畏れたのは権能ではない。カンピオーネと常人との隔絶した違い。それを彼女は精神性に見ていた。

(あのまつろわぬ神に相対して、まったく尻込みするそぶりすら見せなかったなんて……!)

 戦士として、様々な戦闘スキルをその身に叩き込んできた彼女だからこそ、その戦いの異質さが理解できた。

 神との戦いは超自然との戦い。戦争だ。それに単身戦いを挑むという常軌を逸した精神こそが恐ろしい。

 あの戦いの後、水面下で様々な思惑が交錯していた。

「それがわからない人も、世の中にいるってことですね」

「たとえ炭火であっても油を注げば一気に燃え上がるってのに、もう……」

「それをさせないようにするのが、あなたのお勤めです。対人戦闘最強の巫女たるあなたのね」

 日本呪術界とて、決して一枚岩ではない。

 むしろ、その歴史的背景からいって大きく分けても二つの呪術的性格をもっているのは想像に難くない。

「神憑りの巫女を除けば、ね。たく、武士が過ぎたことをグチグチと引きずるなってのに。おかげでこっちは命がけだよ。守る土地もないのに一所懸命に働かないといけないって割に合わないよね」

「一応、あなたも私も武士系ですが」

「叔父さんは忍者じゃん」

「それ、パチモノっぽくていやなんですがね」

 忍者と言われることを冬馬はなぜか嫌っていた。それをわかってあえて晶は忍者と呼ぶ。もともと、甘粕家は武家に仕えた忍びの家系だという。父方とはいえ、その血を引き継ぐ晶は、だがしかし、叔父とは違って忍者という言葉に好感を抱いていた。

 叔父が嫌そうにしているところが琴線に触れていたのかもしれない。

 彼女は、今の今まで忍者と呼ぶことを変えたことはなかった。

「まあ、いいでしょう。それでは、最終ミーティングと行きますか。今回の護衛任務が成功するようにね」 


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