カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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六十一話

 決戦を前にすると気持ちが昂ぶる。

 明日、斉天大聖と雌雄を決することになる。

 護堂は心を落ち着けるために、ホテルの屋上まで上り、眠気が訪れるまで精神統一を行っていた。

 まだ、木々が色づいていないとはいえ、十月の半ばである。大気には秋の気配が色濃くなってきていて、涼やかな風が護堂の身体を冷やす。

 昂ぶる気持ちを鎮めるには、これくらいがちょうどいい。

 玲瓏な光を降らせる月。

 世界は黒と青に染め上げられている。

「昂ぶる精神に冷徹なる思考を併せ持つ。命を懸けた死合を前に、それができる者のなんと少ないことでしょう」

 月琴を思わせる声音が、どこからか響いてきた。

 振り返ると、そこにいたのは、やはり羅濠教主。

「身体はもう大丈夫なので?」

「無論です。元より大した怪我でもありませんでした。呪力さえ戻れば、いつでも万全の態勢で戦に臨めたのです」

 護堂から受けたダメージは、本当に些細なものだったようだ。防御系の権能を持っているのかどうかわからないが、あのときは使用していなかったはず。ということは、純粋な体技と根性で、護堂の攻撃に耐えたということになる。

「ところで、斉天大聖が同盟神を召喚した話は知っていますか?」

「ええ、当然です。かの神も、わたくしたちとの戦いに備えて着々と力を取り戻しているようですね。それで、草薙王。あなたは、斉天大聖と戦えますか?」

「もちろんです。ここは、俺の国だ。神様が暴れているのを無視するわけにはいきません。それが斉天大聖のような人に害を与えるヤツなら尚のことです」

「…………ふむ、たしかに、ここはあなたの国。夷狄討伐は王の責務。ならば、あなたが斉天大聖と戦うのは自明の理。しかし、斉天大聖の討伐は、わたくしの悲願でもあります。さて、どうしたものか」

 口元に指を当てて、悩む羅濠教主。

 以前の護堂であれば、戦いたいのならば、戦えばいいとでも言っただろう。しかし、今回ばかりはそうもいかない。

 取り逃がせば、人間社会に多大な被害が生じる。物的被害ならば、まだいいが、人的被害となると無視できない。

「それなら、一緒に戦うってのもありますよ」

「ほう、共に戦うですか」

「もちろん、そうなれば、向こうも義兄弟を連れてくることになるでしょうけど……」

「問題ありません。なるほど、それは面白い趣向だと思います。この二百年の間に、他の魔王と共に戦うということは終ぞありませんでした」

 サルバトーレと同じような反応をする。武を尊ぶからなのか、単に暴れまわるのではなく、そこに様々な戦い方を求めようとする。

「しかし、向こうが義兄弟の契りを交わしているにもかかわらず、こちらが単なる同盟ではいけません。兄弟の繋がりは、万の有象無象に勝るもの。草薙王。以降わたくしを姉と思い、孝を尽くしなさい。わたくしも、あなたを弟と思い、十分な庇護を授けましょう」

「あの、そんなに簡単に義姉弟の契りを交わしていいんでしょうか?」

「あなたはこの羅濠を幾度も出し抜き、あまつさえ斉天大聖の封印術から救い出して見せました。これは、容易くできる偉業ではありません。あなたを我が義弟とするのに、なんの不都合がありましょうか」

「そういうものですか……」

 もうすでに、護堂が義弟になることは決定事項なようだ。

 原作と同じ流れになったことは、おそらく護堂にとって悪いことではない。ここで、羅濠教主との友好関係が築けたことは、むしろ僥倖だ。

「それじゃあ、よろしくお願いします」

 護堂はこうして、羅濠教主の義弟となったのであった。

 

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 

 思わぬところで義姉を得た護堂は、翌朝、清清しい秋晴れの下で男体山を見上げていた。

 中禅寺湖の畔に車を停め、そこから一気に敵の城砦を攻略する。相手のほうも、すでに護堂たちの動きを知っているのだろう。視線を感じる。それでも、仕掛けてこないのは、かかって来いという挑発に他ならない。

『万里谷。これから戦いになるけど、身体は大丈夫か?』

 護堂は念話で、祐理に状態を尋ねた。

 今朝方、祐理は羅濠教主戦のときと同じく、護堂に精神感応の術をかけた。二日連続の使用は、当然ながら祐理の身体を激しく傷めつける行為なのだが、これから先、全員が命をかけるに至って、自分が何もしないわけにはいかないと、進んで申し出てきたのだった。

『はい。今回はプリンセスがわたしを助けてくださいます。昨日に比べれば、負担はずっと少ないはずです』

『そうか。だけど、無理はするなよ』

 祐理とアリスは、ホテルに残り、戦いの趨勢を見守ることになっている。この二人は巫女であって戦士ではない。戦う術は元よりない。そして、冬馬や馨もホテルに残った。祐理やアリスを守るためでもあるが、馨たちは、対策チームの司令塔である。警察や国土交通省、農林水産省、日光市などなど、協力を仰がなくてはならない組織は多い。

 結果、この場に集ったのは、護堂、晶、恵那、鷹化、アニーの五人だけ。羅濠教主は、美味しいところにやって来るつもりだろう。先鋒は護堂に任せるとか言っていたから間違いない。

「それじゃ、行くか」

 皆が緊張した面持ちで、山を見上げる。土雷神の化身で一気に登って行くか。そう考えなかったわけではないが、手の内はできる限り隠しておきたい。特に土雷神の化身は、最も撤退に使える化身だ。迂闊に見せて対処されては、まずいことになる。

「先輩、来ます!」

 晶が、険しい視線を山に向けて叫んだ。

 呪力が沸騰しているようだ。傍目から見れば何もおかしなところのない男体山だが、呪力に関わる者が見れば、まるで火山が噴火したかのように、呪力が吹き上がっているのがわかるだろう。

「小手調べに神獣か。だけど、そんなんじゃ止められないぞ、斉天大聖!」

 護堂は一目連の聖句を唱える。

 瞬時に生成されたのは、数百挺はあろうかといる槍の穂先。朝日を浴びて、妖しく光っている。

 精神を統一し、感覚の触手を伸ばす。

 祐理とアリスの助けを受けて、護堂の空間認識能力は山を覆うほどになっているのだ。

 指揮をするかのように、振り上げた右手を、護堂は男体山へ向ける。

 瞬間、無数の閃光と化した刃が、男体山に向かって降り注いだ。

 蕭蕭と降る雨のように、大気を裂き、着弾と同時に轟然と爆発する。

 羅濠教主に相対した巨猿と同種の神獣たちは、先手を打たれて軍勢の大多数を失った。

 生き残ったのは運がよかっただけであったり、手傷を負っても動けるモノだけである。

「それでは、草薙護堂。一番槍はいただく!」

 護堂は槍を片手に、宣言する。他のカンピオーネたちに対する宣誓である。

 山上から転がり落ちるようにして、飛びかかってくる巨猿を、言霊で駆逐しつつ攻め登っていく。

「出てきやがれ、斉天大聖。はた迷惑なおまえを、駆除しに来たぞ!」

 真横から腕を伸ばしてきた巨猿の首に穂先を刺して、護堂は空高くへ向けて叫んだ。

「ハッ。誰かと思えば、お主か。我の封を破ったのは見事じゃが、図に乗るなよ、神殺し風情が」

 黄金の毛並みを持ち、京劇風の衣装に身を包む斉天大聖・孫悟空が、黄金色の棒――――如意金箍棒をくるりと回して護堂の前に立ちはだかった。

 見てくれは奇特な猿だが、その肉体は鉄壁にして、紫電の如く敏捷。油断すれば、一撃で頭蓋を割られることになろう。

「猿に言われたくはないな。俺の国で、勝手気ままに暴れてんじゃねえ」

「俺の国、のう。天地神明の理に逆らい、好き勝手にしておるのは、お主ら人間のほうじゃろうに。うむ、我等神に牙を剥く、お主のような者がいるから小人はつまらぬ希望を抱くのじゃな。であれば、話は早い。お主の首を取り、人間どもの愚かな希望を打ち砕いて見せよう!」

 にやりと斉天大聖は酷薄な笑顔を浮かべる。

「花果山水簾洞の主、斉天大聖・孫悟空推参也! 名を名乗れ、倭国の神殺し!」

「草薙護堂。倭国じゃなくて日本だ。時代遅れだぞ!」

 護堂は、穂先を斉天大聖の喉笛に向け、斉天大聖は上段に如意金箍棒を掲げる。

 互いの戦意が喰らい合い、大気を歪めんとする。

 一触即発の空気は、限界まで軋み、そして、些細なきっかけで激発する。

 

 高まる緊張に、先に音を上げたのは護堂でも斉天大聖でもなく、運悪く近くにいた小鳥だった。

 神獣と護堂が演じた前哨戦を、乗り切った小鳥も、ついに逃げ出した。

 そして、その羽音が、護堂と斉天大聖を同時に前方へ押し出した。

「オオオオオオオオオラアアアア!!」

「ヌウウウウウウウウオオオオオ!!」

 槍と棒。二つの武器が、膨大な呪力を伴って激突した。

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 恵那も晶も斉天大聖と戦っている護堂の助けに入ることはできない。

 それは、あくまでも彼女たちがただの人間だからだ。そこには、明確にして歴然たる実力差が存在する。

 普段ならば、『まつろわぬ神』と護堂が戦い始めた時点で見守るだけになってしまうのだが、今回は、彼女たちにもしなければならない仕事がある。

「よし、来るよアッキー!」

「こっちはもう準備万端ですよ!」

 刀と槍。

 それぞれの分野で当代最高峰の使い手が、刃の向きを揃えて立つ。

「やれやれ、本当はこんな仕事はしたくないんですがねェ。ま、でも僕だけサボったら後で師父に殺されるだろうし、やるだけやりますか」

 パン、と手の平に拳を打ち付けて鷹化が呟く。

「ゴドーはすでに始めたようね。こっちも、彼に恥じない戦いをしなければならないわ」

 その後ろで、アニーが拳銃を握って怜悧な視線を山に向ける。

 木々が震え、音を立てて倒れていく。

 一瞬だけ広がる、不気味なまでの静寂。

 

 

 オオオオオオオオオオオオオッ!!

 

 そして、大音声で巨猿が叫ぶ。

「ここから先には行かせないよ。清秋院恵那、一太刀馳走仕る」

 恵那が巨猿に向かって駆け出す。風のように速い。そして紫電を纏っている。まさに疾風迅雷。スサノオの神力の数万分の一に満たない程度であるが、彼女は日本を代表する嵐神の神力を行使できるのだ。

 巨猿の丸太のような腕を掻い潜り、足首を刀で薙ぐ。

 バランスを崩した巨猿が、身を捻って恵那を襲おうとしたとき、

「南無八幡大菩薩」

 さながらミサイルのようだった。

 厳かな呪文とともに、放たれた大呪力。その中核を為すのは晶が振るう神槍。

 神なる槍の投撃は、巨猿が無防備に曝していた首に深々と突き立ち、重さ数トンはあろうかという巨体を吹き飛ばした。

「まずは一匹」

 手元に神槍を呼び戻し、晶は呟いた。

 彼女たちの役目は、戦場を離れた神獣たちが、人里に向かわないようにすることである。

「凄まじい力ね」

 アニーは、日本が誇る媛巫女たちの戦闘能力を高く評価した。もしも、彼女が何かしらの組織の長であったなら、迷わず勧誘し、しかるべきポストを与えただろう。そうでなくとも、盟友としてロサンゼルスに呼んだかもしれない。 

 これほどの逸材は、残念ながらアメリカにはいない。

 アメリカの呪術文化はその成立過程からして、真っ当な実力者が育ちにくい状況にあるのだ。

 それをどうにかするために、スミスは戦いの日々を送っているのだが。

「たった一匹ではないわよね」

 仲間が倒れたことを察したのか、続々と巨猿が現れてくる。

 どれも、護堂の攻撃を受けた個体ばかりで、身体のあちらこちらに傷を負っているが、それでも神獣と人間とでは圧倒的に前者のほうが強い。

 恵那の神憑りも身体に負担が大きい技能だ。優位に立てる時間はそう多くないと思っていい。

 恵那は疾風のように動き回って巨猿の手足の筋を斬り裂く。晶は正面から堂々と首や胴体を槍で突く。持っている武器が神槍なため、他のメンバーよりも神獣に与えられるダメージが大きいのだ。主に息の根を止めるために晶は動いている。

 翻弄するのは、鷹化の役割だ。

 蝶のように舞い、蜂のように刺す。

 鮮やかな技の数々で、巨猿たちを手玉に取る。

 そして、アニーの銃弾も特別製だ。神獣を相手にするとわかったときから、ロサンゼルスの本部から転移させた銃弾は、人間に使うには過剰な威力を持った呪いの弾丸だ。神獣たちの目や鼻、口をこれで正確に撃ち抜いていく。

「セイッ」

 目玉を弾丸で潰された巨猿の首を、恵那が落とした。

「清秋院さん。その刀って、もしかして」

「そ、童子切。相棒が王さまに取られちゃったからね。その代わり」

 童子切安綱。

 日本が誇る最高の武器である日本刀の中でも、特に傑作の呼び声高い国宝である。千年の歴史を積み重ね、刀自体もある種の信仰を集める名刀である。それは、もはやただの刀ではなく、妖怪退治の霊力を帯びた霊刀と化しているのだ。

「後で、ゆっくり見せてください」

「いいよ。減るもんじゃないしね」

 青黒い鮮血が、二人の衣装を汚していく。

 

 

 軽口を叩き合っているのは余裕の表れ――――ではない。

 初めの内こそ余裕があったが、手負いとはいえ相手は神獣なのだ。一匹倒すだけでも命がけ。それが数体まとめてとなると、無謀の領域になる。

 恵那たちは次第に劣勢になっていく。

 晶の投撃や恵那の神力は、確かに敵に対して致命的な傷を負わせることができる。だが、如何せん数が多い。

 乱戦に持ち込まれれば、連携も取りづらくなり、加速度的に劣勢に陥っていくだろう。

「一旦、バラけたほうがいいかもしれないねェ」

 鷹化が提案した。

 後戻りできなくなる前に撤退するのは、戦の基本。ここで無理をする必要はない。

「そうね。あなたたちは、神獣たちを撒くことはできそう?」

「大丈夫です!」

「問題ないよ!」

 晶と恵那が答えた。

 そして、恵那が風刃を一閃する。

 神獣たちの足首を刈るように放たれた不可視の刃は、巨猿たちの足を止め、恵那たちの逃走を助けた。

「これから、どうします?」

「どっちにしても、お猿さんたちを放っておくわけにはいかないし、ヒットアンドアウェイで行くしかないんじゃない?」

 恵那と晶は、木立をすり抜けて走る。

 鷹化やアニーもそれぞれ山中に逃げ込んだようだ。

 山の中ならば、巨猿たちは好きなように動けない。機動力で圧倒できるという算段だった。

「追ってきたのがいますね」

「こっちには二匹か。一匹ずつ相手をしよう」

 

 

 他のメンバーと同じく山中に逃れたアニーは、木々がなぎ倒されて開けた場所に立っていた。

 彼女を、三匹の巨猿が取り囲んでいる。

 筋骨隆々。ゴリラを思わせる骨格は、人間がどう足掻いたところで素手で勝つことはできない。

 だが、そんな状況下にあっても、アニーは平然としていた。

「分散したのは、好都合だったわね」

 アニーは、じろりと神獣たちを睨みつける。

 アニーの鋭い視線を受けて、神獣たちが後ずさる。

「……誕生、死亡。そして、無限」

 気圧された神獣を見据えながら、アニーは、静かに言霊を唱える。

 凛々しい女性に代わって現れるのは、黒い衣装と、昆虫の複眼を思わせるバイザーという奇抜な衣装に身を包む漆黒の怪人。手に持つのは、神を屠る魔銃である。

「そして、君たちにとっては不運だった。もしも、あの場に止まり続けていたのなら、もう少しだけ生き長らえることができただろうに」

 ロサンゼルスのカンピオーネ。ジョン・プルートー・スミスが今、ここに現れた。

「一番槍はかの少年に奪われてしまったが、構うまい」

 一瞬で、三匹の巨猿は殲滅された。

 討ち果たされた巨猿たちには、何が起こったのかすらわからなかっただろう。

「何と言ってもヒーローは遅れて現れるものだからな」

 時間にルーズで自己演出過多のキザな貴公子。

 それが、アニーの第二の性格(スミス)が標榜するスタイルなのだ。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 

「人と神が互いの命を貪り喰らいあう。神と魔王の宿命。さながらこの世は修羅道じゃな」

 そして、護堂たちの戦いを尻目に、怖気のする笑みを満面に湛えて翁が笑う。

 呪法を使って戦場を俯瞰し、観戦する。

 神殺しと斉天大聖はほぼ互角。膠着状態に陥っている。神速を駆使する斉天大聖に、護堂は苦戦を強いられているようだが、決定打は一つも貰っていない。

 何か狙いがあるのだろうか。

 そして、人間たちのほうは、劣勢極まりないというべきか。

 他の神殺しが混じっていたのは驚いたが、それは今の翁にとっては好都合である。何せ、計画を達成するためには、どうあっても斉天大聖を始末してもらわなければならないのだから。

「ふうむ。だが、まずいのう……」

 男体山の各場所で、粉塵があがり、呪力が爆発している。

「姫が力を増しているのは喜ばしいが、このようなところで死なれても困る。少々手出しさせてもらおうかの」

 そして、翁はよれた呪符を取り出して息を吹きかけた。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 恵那が、吹き飛ばされた。

 ついに神憑りが解けてしまったのだ。

 神憑りはあまりにも身体にかかる負担が大きい。そのため、使用は厳しく制限されている。今回は、無茶をしすぎた。

「清秋院さん! ぐ……!」

 晶もまた、限界が近い。

 神憑りが解けてしまった恵那を抱えて戦場を離脱するのは、難しい。かといって、見捨てられるかと言えば、そうではない。

 人倫に悖る行いだ。

 そして、何よりも護堂に軽蔑される。

 それは何としてでも避けなければならない。

 神を敵に回すより、護堂に嫌われることのほうが、何倍も恐ろしいのだ。

「この、邪魔!」

 突き込む槍が、巨猿の胸板に突き立った。

 青黒い血が傷口から止めどなく流れる。しかし、巨猿は止まらなかった。槍に貫かれたまま、腕を振るう。

「ああああ!」

 晶も跳ね飛ばされた。それでも、槍を手放さなかったために、巨猿は身体の内側をかき回されて絶命する。

 だが、それまでだ。

 晶は勢いよく杉の大木に叩きつけられた。その衝撃は凄まじく肺腑の底から呼気が押し出された。

 激しく咳き込む。

 この場にいる巨猿は残り一匹。

 身体中から血を流しているが、それでも少女二人を握りつぶす程度の力は持っている。

「くそ、このォ!」

 尻餅をついたまま振るう槍は力なく、巨猿の毛皮を貫くには至らない。

 巨猿は、拳を握り無造作に振り下ろす。ただ、それだけで晶は肉片と化してしまうだろう。

 万事休す。

 もはやどうにもならない死の気配に、心が屈しかけたとき、不意に現れたのは、黒い濁流だった。

「な、え?」

 瞠目する晶を尻目に、それらは周囲を覆っていく。

 晶が背負う杉の大木を避けるようにして、黒い波が神獣を押し流していく。

 いや、これは波ではない。

 よく見れば、それは無数の鬼である。

 まるで日本画の中から抜け出てきたかのような黒い輪郭線に縁取られた鬼たちが、神獣に纏わり付き、牙と爪と武器を突き立てている。

 ガリ、

 ガリ、

 ガリ、

 と、肉と骨を喰らう音が妙にはっきりと聞こえてくる。

「これって……」

 すべてが終わった後には何も残らなかった。

 あれほど圧倒的な存在感を持っていた神獣が、跡形もなく喰い尽くされてしまったのだ。

 恐ろしい光景だった。

 突然現れた鬼たちは、おそらくは誰かの式神か何かだろう。神獣を喰い尽くした後で、鬼たちは初めからそこにいなかったかのように雲散霧消した。

 しかし、神獣を喰らうほど強力な式神など聞いたことがない。

 晶は、しばらくその場から動けなかった。

 そのあまりに不可解な光景に頭が付いていかなかったからだ。

 迂闊に動けば、自分があの鬼たちの餌食にされるのではないかと思わせられた。

 それほどまでに、あの式神は圧倒的だった。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 護堂と斉天大聖の戦いは地上戦から空中戦に移り変わる。

 斉天大聖の攻撃を受け止め切れなかった護堂が、空に楯ごと打ち上げられたからだ。

「チィ、まずい」

 斉天大聖は、サルバトーレと同じく鋼の肉体を有する。その上、神速持ちだ。正直、今まで戦ったすべての神々とカンピオーネの中で一番戦いにくい相手だった。

 空は、斉天大聖の独擅場。

 かの有名な觔斗雲に乗り、神速のままあらゆる角度から襲い掛かってくる。

 護堂は斉天大聖を、無数の武具で囲い込むように攻撃するが、軽々とかわされてしまう。

「くく、草薙の。この孫さまの速度によく喰らいつくの」

「まだまだ、遅いっての」

「言うの。ほれ、これはどうじゃ?」

「危ねッ」

 頭部を掠める一撃を辛うじて避けた。

 だが、そこにさらに追撃がくる。

「そら、喰らえい!」

 上段からの振り下ろし。

 鋼の肉体を持つ斉天大聖は、わざわざ胴体を守る必要がない。

 護堂は、二挺の槍で、如意金箍棒を防いだ。

「く……!」

 しかし、勢いまでは殺せない。

 そのまま、中禅寺湖の湖面に叩き付けられる。

 大きな水飛沫。

 水中から、護堂は斉天大聖を睨みつける。

 舐めるなよ、と。

 護堂の手には、細い鉄線が握られていた。

 呪力を鉄線に流し込む。

 一瞬にして、細い鉄線は、極太の鎖に姿を変えた。そして、その鎖は湖面のはるか上空。斉天大聖の腕に巻きついていた。

「何と!?」

 突然現れた鎖に驚愕し、そしてとてつもない力で湖に引きずり込まれる。

「如意棒で叩いたときか! 小賢しい手を使いよるわ!」

 護堂を湖中に叩き落したときに、鉄線を巻きつけられていたのだ。それが、鎖に変化した。

 水中に引きずり込まれたからといって、斉天大聖の戦闘能力が弱まることはない。

 だから、落ち着いていられる。

 鎖の先は、巨大な分銅に繋がっていた。なるほど、これで我が身を引きずり込んだのか。

 斉天大聖は、手刀で鎖を断ち切ると、宿敵を探して視線を彷徨わせた。

「あだッ!?」

 そして、強烈な一撃を額に受けて目を白黒させた。

「な、何じゃと!?」

 槍を持つ護堂が浮かんでいる。

 その姿を視認した直後、掻き消える。

 肩口に衝撃を受けてバランスを崩す。鋼の肉体は小揺るぎもしない。

「なるほど、お主も縮地の力を持っておったか。これで、速さは五分と五分。面白くなってきたわ!」

 斉天大聖は唸るように笑い、護堂に向かって神速で突撃する。

 水中なのに、普通にしゃべっていることに呆れながら護堂は応戦する。

 護堂が使っているのは伏雷神の化身。

 大気中の水分濃度が高くないと発動できない条件付きの神速である。が、ここは水の中。有り余るほどの水があるので、神速を発動する条件を満たしているのだ。

 おまけに神速は移動時間を短縮する能力だ。よってどれだけ速く動いていても水の抵抗は大して変わらない上、それが行動を阻害することもない。

 そして、斉天大聖は大きな勘違いをしている。

 速さが互角になったからといって、その他の部分で互角とは限らない。

「うぬう……」

 斉天大聖は呻いた。

 神速で果敢に打ち込んでも、一撃も入らないどころか、反撃を受けてしまうからだ。

 攻撃が読まれている。それも、こちらが攻撃に移る直前に、すでに相手は回避と反撃に移っている。

 速度が同じならば、出足が速いほうが勝つのは道理である。祐理の協力を得て強化された勘は、斉天大聖の動きを完全に見切っていた。

 とはいえ、軍神である斉天大聖にとって、この程度は問題にならない。護堂の武芸がおざなりなのは見ればわかる。攻め立てていけば守りきれずにぼろが出る。

 攻めて攻めて攻めまくる。

 斉天大聖が勝利するには、それが一番確実な方法だ。

 だが、この段階でまだ、斉天大聖は護堂の力を過小評価していた。

 神速で水中を動き回る。

 護堂は斉天大聖を目掛けて無数の刀剣を放ち続ける。無論、これまでと同じように避け続ければ問題ない。鋼の身体もある。脅威にはならない。たとえ、動きを見切られて、逃れた先に刃が待っていようとも、肉体の防御力が見事に弾き返してしまうだろう。

 ピリリ、とした痛みを感じて斉天大聖は飛び退いた。

「まさか、我の身体を傷つけたのか」

 信じがたいことに、斉天大聖の胸元から血が滲み出していた。その他にも裂傷がいくつかある。小さな傷で、命はおろか戦闘にも支障がない程度だが、鋼の守りが突破されているという事実は、斉天大聖を驚嘆させた。

 しかし、なぜだ。

 護堂の攻撃が今までと変わった様子はない。それなのに、鉄壁の守りが崩されかかっているのはどうしたことだ。

 護堂が手に持っている槍を投げつけてきた。

 神速が付与されている。

「ぬ、ぐ……!」

 かわそうと思ったところで、神速の槍が斉天大聖の腹に直撃した。

 防御力のみならず、速度まで低下している。

「そうか。草薙の。お主、なにか盛ったな」

 護堂の力が上昇したのではない。斉天大聖の力が弱体化しているのだ。原因は、湖水。この水の中に護堂が何かを仕掛けたのだ。

「そうとわかれば、いつまでもこの湖にはいられん。とっとと出るに越したことはない」

 護堂が、即座に斉天大聖の前に槍衾を展開する。

 やはり、湖の中から出したくはないようだ。

「水生木。ハァ!」

 渦巻く湖水が雷に変わり、護堂の槍衾を散らしてしまう。

 さらに、無数の分身を用意して、護堂の目を欺いた。こうした小手先の技は、イタズラ好きの性格から非常に得意だった。

 

 

 無事、湖の上に出た斉天大聖は、護堂に盛られた毒の所為で重い身体に活を入れようと呪力を練り上げる。

 ついでに、手についた湖水をペロっと舐めてみる。

「……これは、神酒!」

 なるほど、おそらくは敵をまつろわせるために用意された伝承を持つのだろう。芳醇な香りと豊かな甘味が格別だ。毒でなければ、なおよかったのだが。

 バチ、という音とともに、護堂が岸辺に現れた。

 若干顔色が悪いのは、権能を同時平行で使用したことからくる疲労の所為だろう。

「くく、やってくれたの。草薙の。ここまで、孫さまを手間取らせるとは。だが、わかるぞ。お主、水中でなければ縮地の類は使えんのじゃろう」

 護堂にとって、速度で劣るのは致命的な弱点になるはずだ。

 指摘された護堂は平然としている。

 ここでけりをつけると腹を決めているのだ。今さらジタバタしても仕方がない。それに、斉天大聖は神酒の力で速度も防御力も落ちている。持続時間はそれほど長くはないだろうが、それまでに決める自信はあった。

 それに、護堂はあくまでも一番槍。

 この戦いは、決して一人で挑んだものではない。

 一条の閃光が、青空を切り裂いて飛翔する。

「おおっと!」

 斉天大聖は大きく飛び退いてかわす。

 黒いローブのカンピオーネ、ジョン・プルートー・スミスが放つ、銃弾。月に六発しか使えない代わりに強大な破壊力を有する『アルテミスの矢』である。

 斉天大聖は神速に突入して銃弾の追撃から逃れようとする。しかし、速度が出ない。神酒によって弱められた速度では、完全な神速に突入している魔弾から逃げ切れない。

「ええい、面倒な。これでどうじゃ!」

 斉天大聖の身体から放たれたのは、強烈な雷撃。

 これをスミスの魔弾にぶつけることで相殺したのだ。

 神速から、通常の速度に戻ってきた斉天大聖は、忌々しげに呟く。

「あの羅刹女ではないのう。まさか、三人目が隠れておったとは!」

「隠れる? それは違うな。己が役割を果たすため、あえて舞台袖で出番を待っていただけさ。役者はそれぞれの役割に応じてステージに上がるもの。そして、ここに私が現れたこと。それは即ち、この舞台がクライマックスに近づいているということの証左に他ならない」

 芝居がかった口調は、本当にあのアニーなのだろうかと疑いたくなるほどだ。

「ふん、言うの。だが、その大言。我が義弟たちを前にしても吐けるか」

 斉天大聖の力が、爆発的に上昇した。

 今までの比ではない。

 これが、魔王殲滅の権能の一端か。

「北海より出でよ、我が賢弟・猪剛鬣。西域より出でよ、我が賢弟・深沙神!」

 懐より取り出した二つの木彫りの像を、高く放り投げる。

「魔を討ち、鬼を裂き、羅刹を屠る剣神の宿星よ。我に怨敵征伐の利剣を授けよ!」

 二つの像が一気に膨れ上がり、肉質を得る。

 先に顕現したのは、猪顔の巨漢。登場と同時に十五メートルほどの巨体となる。三面六臂の武神である。そして、次に青黒い肌と逆立つ赤い髪の鬼神。水竜に跨り斉天大聖を守るように飛んでいる。

「今度こそ長めの出番を期待しておるでござるよ。兄者」

「二人の神殺し。なるほど、よき敵手と見受けました。……大兄、何なりとお申し付けを」

 西遊記の主要登場人物たち。

 敵ではあるが、護堂はドラマや漫画で見知った英雄たちの集合に、興奮を隠しきれないでいた。

「猪八戒に沙悟浄。いや、まつろわされる以前の神格だから、猪剛鬣と深沙神か。仏教や道教にベースを持つ鬼神。ロスにいたのでは、なかなかお目にかかれないな」

「まだ、三対二なわけだけど、大丈夫か?」

「何、問題ない。この程度の窮地、いくらでも乗り越えてきたさ。数的劣勢。ちょうどいい見せ場じゃないか」

「確かに、燃える展開ではあるんだろうけどな。だけど、せっかくの大一番だ。ド派手に決めるんなら、魔王は三人いたほうがいい」

「ふむ、なるほど……」

 バイザーの奥に理解の色が見えたとき、護堂たちの周囲を取り囲んだのは季節はずれの梅の花。華麗な旋風の中に、白磁の如き肌が浮かび上がる。明眸皓歯。彼女を前にすれば花すらも恥じらい下を向く。

「実に見事な一番槍でした。羅濠の義弟に恥じぬ戦いをしてみせましたね」

 朗らかに微笑む、羅濠教主。

 ここに、役者は揃った。

 いまだかつて類を見ない、カンピオーネと『まつろわぬ神』の三対三の頂上決戦の火蓋が、切って落とされた。




マントルの下にガメラの王国とか書き込む先生嫌いじゃない。サウザー遺伝子みたいに実在するのかと一瞬思ってしまうくらいに自然に書き込むあたりさすがやで。
ついでに参考図書にらんま混ぜていたり、授業紹介プリントのおまけ欄、知っておくべき偉人紹介の中に田中角栄に並んで高橋留美子が入ってたりするけど、ほんとに嫌いじゃない。

ちなみに神酒は《鋼》の権能ということもあるし、《蛇》殺しに使われているため、《鋼》よりも《蛇》に対して使ったほうが効果的。なんせ酒好きの酒天童子が泥酔するくらいだから。

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