カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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六十二話

 カンピオーネや『まつろわぬ神』は数的不利になると相手を打倒するために、力が湧いてくる。理屈を抜きにして、そういうことになっているらしい。

 しかし、護堂は一応真っ当な思考をする人間だ。少なくとも、周囲とそう変わりはないと思っている。だから、面子を揃えられるときにあえて少数で戦いに臨むような酔狂な真似はしない。

 きちんと数を揃えて、精神的にも状況的にも不利にならないように準備する。

 夏のイタリアのときと同じく、護堂は再び、他のカンピオーネと同盟を結んだのだ。

「よもや神殺しが手を結ぶとはの。くく、長生きしてみるものじゃ!」

「……あなたは、少々長く生き過ぎたようです。この場で、その命脈を絶つこととします」

 羅濠教主が、前に踏み出した。

 ゆらりと立ち上るのは、黄金の陽炎。

 明確に顕現していないが、これは金剛力士の権能だ。

「中華を代表する義兄弟にも引けを取らぬ、姉弟の絆を見せ付けるときです。草薙王」

「そうですね。あ、でも、ここにもう一人参加者がいるわけで……」

 スミスのことを完全に視界に入れていなかった羅濠教主に、護堂は事実を口にした。

 だが、それは羅濠教主にとって気に入らないことだったのか、剣呑な眼差しを向けられてしまった。

「おまえは、わたくしたちの初めての共同作業にこのような得体の知れない男を混ぜるつもりですか? 愚昧な!」

 やはり、こう言うか。

 原作でもそうだったが、羅濠教主はどこまで行ってもプライドが無駄に高い。心の中で嘆息しつつ、護堂は言葉を続けた。

「負けたときの言い訳をするために、少数で挑んでいる、なんていう謗りは免れたいじゃないですか」

「言い訳?」

「寡兵を以って多勢に相対するのは、確かに格好がいいかもしれないですけど、ここは真剣勝負の場ですから、敵にも礼があってしかるべきなのではないかと。意図して手を抜くのは、それは無礼ってもんです」

「なるほど、確かに一理ありますね。いいでしょう、その進言を受け入れます。ここは、武の正道を以って斉天大聖を打倒しましょう」

 羅濠教主は頷いてから、スミスに向き直った。

「察するに、あなたが亜米利加の王ですね。我が姓は羅、名は翠蓮、字は濠。これより我が陣中に加わることを許します。わたくしとともに戦いなさい」

「ご丁寧にどうも。ジョン・プルートー・スミス。微力を尽くしましょう」

 スミスは上から目線の共闘宣言に、さほど不快感を見せず、無難に応じた。

 顔が見えないから、なんとも言い難いが、おそらくは割り切っているのだと思われる。

「くくく、さてさて……では、それがしから相手を選ばせていただこう。鄙にも稀な嫦娥の如き神殺しよ。それがしの相手は、お主こそが相応しい」

 下卑た視線を羅濠教主に向けながら、猪剛鬣はにやりと笑う。それが、羅濠教主には甚だ不快でならない。

「孫悟空の側近にして、北極紫微大帝に仕えた武神。広く民の信仰を集めた神格でありながら、このような卑賤の身に墜ちるとは……恥を知りなさい」 

 羅濠教主はそもそも、日本に自国の英雄神が捕らえられていることを恥と思い討伐に来たのである。自国の英雄神の一柱が、助平な姿を曝していたら、それは真っ先に殲滅対象にするだろう。

 黄金の拳が、向かってくる猪剛鬣を殴り飛ばした。

 『大力金剛神功』は、怪力の権能。

 護堂を追い詰めた羅濠教主のメインウェポンであり、必殺の権能なのだ。

「ふむ、教主がそちらに向かったか。すると、順当に行けば私の相手はあちらの鬼神になるのだろうな」

 バイザーで隠れた顔を、スミスが深沙神に向けた。

 水の竜に跨る鬼神は、水を使役する水神なのだ。

「さすがは『まつろわぬ神』。姿形で判断はできないか。力技でくるタイプだと思ったが、そうではないらしい」

 深沙神は地上にいる護堂とスミスをあざ笑うかのように竜に跨り空を舞う。

 四海竜王を率いたこともある水の神。日本では河童の印象が強いが、いずれにせよ、水と縁深い神なのだ。地上にいたのでは、空の相手に対して不利である。

 こちらからの攻撃は届かず、相手から一方的に攻撃を受け続けることになるからだ。行動の自由度も、三次元的に動ける空のほうが高い。

 だが、その程度で敗北を喫するようではカンピオーネは名乗れない。

 スミスが纏う黒いコートが大きく膨れ上がる。

「空は君だけの舞台ではないぞ。さあ、私の変化の秘奥をご覧に入れよう。付いて来られるかな?」

 仮面の下でほくそ笑み、スミスは嘯いた。

 スミスが持つテスカトリポカの権能は、『贄』を捧げることで五つの姿に変身する『超変身』。今回は地震を引き起こす代わりに黒き魔鳥に変身した。翼を広げれば十メートル近くになる巨体だ。呪力の風に乗って、黒き魔鳥は高々と舞い上がる。

「身共も甘く見られたものですね。その驕り、御自身の命で贖うことになりますよ」

 水竜が大口を広げて、スミスを追う。

 秋の青空を舞台に怪獣の大決戦が繰り広げられる。

 羅濠教主とスミス。二人のカンピオーネが二柱の神と激しく相食む中にあって、護堂と斉天大聖はいまだに立ち位置を変えていなかった。

「結局はお主か。草薙の」

「いいじゃねえか。ちょうどいいところに落ち着いたと思うぞ。俺は」

 羅濠教主にしろ、スミスにしろ、部外者なのだ。この騒動の原因は羅濠教主ではあるが、それはもうどうでもいいことである。重要なのは、ここが日本であり、斉天大聖を数百年に渡って封印していたのが日本の呪術組織だったということである。

「ペットの手綱が切れた以上は、そいつが引き起こす事件は飼い主の責任だからな」

「は、よう言うわ。お主を殲滅した後は、我が人間に鎖をつける番じゃ。手始めに、お主の巫女たちから手篭めにしてやろうかの――――とおッ」

 甲高い金属音。

 護堂が閃電の如き速度で槍を射出し、斉天大聖が如意金箍棒で弾いたのである。

「そう怒るな。悪いようにはせんよ」

「猿が調子に乗るんじゃない」

 斉天大聖の軽口を聞いて、護堂の胸に湧き上がったのは純然たる怒りの念だった。

 頭は冷静なままに、燃えるような怒りは無数の剣となる。その刃は黄金に輝き、分不相応な発言をした愚者を始末せんと殺意の切先を向ける。

「ふふん、いい目をするようになったの。やはり、戦士はそうでなければ。荒ぶる魂こそが、我らの戦いを彩るのよ」

 

 

 剣が空気の壁を突破して斉天大聖に襲い掛かる。

 数えることすら無謀とも思える剣の群れは、人間には視認するのも困難な速度で獲物に喰らい付かんとする。

 雷鳴の如き地響きと、視界を覆うほどの粉塵。

 突き立つ剣に掘り起こされた地面は、一瞬前の落ち着いた景観を想起させることは、もはやない。

 雨霰と降り注ぐ剣の間を縫うように、斉天大聖が翔ける。

 これが有象無象の輩であれば、切先を向けられただけで戦意を失ってもおかしくはない。しかし、護堂と相対するのは中華が誇る大英雄、斉天大聖・孫悟空である。この程度は逆境とも思わない。鋼の肉体はあらゆる刃を弾き返し、敵を打ち砕くだろう。生来の俊敏性は、数多の敵を翻弄してきた斉天大聖最大の武器でもある。

「チィ、攻めきれんの」

 だが、その斉天大聖が、苛立たしげに呟いた。

 護堂が湖水に混ぜ込んだ神酒によって、斉天大聖の権能は弱体化している。致命的ではないが、身体は重いし、防御力も低下している。

 思い通りに動けないのは、なかなかストレスが溜まるものだ。

 武器と武器が火花を散らし、呪力が爆散する。

 護堂は戦闘開始から一歩も動かず刃を撃ち続け、斉天大聖は機敏にこれをかわしながら円を描くように護堂に迫る。

「我は鉄を打つ者。我が武具をもって万の軍をまつろわせよ!」

 護堂が呪力を高めて、生み出したのは網だ。魚でも捕るように、斉天大聖を包み込んだ。

「おおう、面妖なことを!」

 神速には僅かに届かない。それでも相当な速度だが、祐理の協力を得た護堂は、斉天大聖の動きに合わせて攻撃することができるのだ。

 網は見事に斉天大聖の身体を包み込み、絡まって身動きを封じた。

「くたばれ!」

 殺到する無数の刃。

 今の斉天大聖の身体では、完全に防ぎ切ることはできまい。ならば、避けるしかないが、動こうにも動けない。

「甘いわ、草薙の。我は、呪法の神でもあるのじゃぞ!」 

 言い放つや、斉天大聖は自らの身体を小さく変化させた。網の目よりも小さな身体になったことで容易に脱出してしまう。

「くそッ!」

 劣勢になったのは護堂だ。

 今の一撃で、勝負を決めようとしていたために、滞空させていた剣群のうちの半数以上を一気に解き放ってしまったのだ。

 これまで、攻撃と防御を同時に行ってきたのだが、これで守りの手数が減った。

 攻撃すればするほど、守りが減る。しかし、攻撃しなければ、一瞬にして攻め込まれてしまう。新たな武具を生成しようにも、時間が足りない。

「ハッハーッ。隙ありじゃ!」

 斉天大聖が、如意金箍棒を回転させながら突き進んでくる。弾幕が薄くなったことで、回避から攻撃に転換したのだ。

 鋭い突きが、護堂の肩を掠めた。

「つ、あ……」

 嫌な音がした。おそらく、鎖骨辺りが砕けたのだろう。戦闘中だからか、痛みはそれほどでもない。行動に支障が出るのなら、若雷神で治癒する必要があるが。――――むしろ今は、斉天大聖が接近してきたこの時を攻撃に活かすべきだ。

「天叢雲剣ッ。力を貸せッ!」

 護堂は斉天大聖とのすれ違い様に前に出る。

 地面を力強く踏む。

「神威よ轟け。万象を打ち震わせる調べとなれ!」

 

 

 キンッ――――

 

 斉天大聖の人間以上の聴覚が、不愉快な高音に苛まれたとき。

 護堂を中心とした半径五メートルほどの世界が消し飛んだ。

 大地も、木々も何もかもが、瞬時に粉塵になってしまう。

「ぬううッ!」

 斉天大聖も無傷ではない。

 危険を感じて飛び退いたが、完全に避けきれたわけではなかった。右腕に無数の裂傷が生じ、血が流れ出ている。

「奇妙な技をッ!」

 斉天大聖は護堂に踊りかかる。フェイントを駆使し、速さと技で翻弄する。一瞬先が読めていても、護堂は、付いて行くのがやっとである。

 

 

 キン

 

 

 キン

 

 キン

 

 甲高い音が、斉天大聖の耳朶を打つ。

 護堂が足を動かし、腕を振るい、息をする。あらゆる物音が、指向性を持って斉天大聖を責め苛む。

 そう、これは超音波。対象を高速で振動させることで粉砕する力。天叢雲剣と鳴雷神が合わさって生まれたフォノンメーザーである。

「熱っつうッ!」

 ゆえに、超音波を受け続けた斉天大聖の表皮は激しく熱せられる。そして、振動は鋼の肉体を通り抜け、その内部に達するのだ。

 慌てて距離を取る斉天大聖。

「ええい、キンキンとうるさい技じゃ。これでも喰らえ」

 斉天大聖は地面を思い切り打ち砕き、跳ね上がった岩塊を護堂に向けて投げ飛ばす。

 護堂は、向かってくる岩塊に、超音波を叩き付けて粉砕した。

「それ、そこじゃ!」

 粉塵を潜り抜けて、斉天大聖が飛び込んできた。

「う、と」

 仰け反って突きをかわす。

 神速の突きから、鞭のような横薙ぎへ。切り返しが非常に上手い。護堂はそれを槍で受け止める。

「重ッ……」

 怪力の権能を持たない護堂では、当然それを受け止めることなどできなかった。跳ね飛ばされて地面を転がる。

 《鋼》の弱点は鉄をも溶かす超高温。振動攻撃は確かに斉天大聖にダメージを与えているが、致命傷を与えるには攻撃力が不足している。

 とはいえ、臓器に直接打撃を与えたようなもの。動きは確実に鈍っている。

 斉天大聖の身体には、確かにダメージの蓄積がある。

「ッ……」

 腕が痺れるように痛い。

 護堂のほうも、身体が悲鳴を上げている。

 しかし、神速に近い速度で動き回る敵を相手に、若雷神の化身で回復している余裕がないというのが現状だ。

 回復している傍から、殴られたのでは堪らない。

「まだ、いけるか?」

 右腕の相棒に、護堂は問いかける。

 天叢雲剣にはまだ踏ん張って欲しい。敵の権能を吸収して、利用するよりも、護堂の権能を取り込んで融合するほうが天叢雲剣にとって負担が大きいのだ。すでに、二日間で二度、権能の融合を行っている。おまけに、つい一分ほど前まで鳴雷神の化身と融合させていたのだ。

 護堂の問いに、右手に宿る天叢雲剣は、戦の高揚とともに是と返してきた。

 さすがは最源流の《鋼》に列なる剣。こと戦に限って言えばとことんまで貪欲である。

「じゃあ、いくぞ」

 天叢雲剣に力を集中し、聖句を唱える。

「燃え立つ炉に鉄をくべよ。剣となりて敵を討て。地獄の門は今開く。我は、煌々たる火を以って万象を包まん!」

「ごちゃごちゃと何を言っておるか! 草薙の!」

 斉天大聖がジグザグに飛び跳ねながら護堂に迫る。突き出すのは必殺の如意金箍棒。護堂の両腕が黒く染まる。それは、まるで灼熱の劫火を背後に背負った男の影を思わせた。

 斉天大聖の攻撃に合わせて、護堂が拳を繰り出した。

 殴りかかっても当たらないことは百も承知。突き出された如意金箍棒の進路上に置くように、握り締めた拳を前に出す。

 伝説に彩られた大英雄の武具。

 一撃喰らえば即死もあり得る強烈なものだ。護堂には肉体を硬質化する権能はない。つまり、本来ならば斉天大聖の攻撃を生身で迎撃するなど狂気の沙汰なのだ。

 護堂の拳と斉天大聖の如意金箍棒が激突する。

 紅蓮の花が大気に咲いた。

「んなァ!?」

 驚愕の声を上げたのは斉天大聖。

 護堂が横薙ぎに拳を振るうが、これを身を捻って回避した。

「草薙の。お主、我の秘蔵の武具をよくも……」

 斉天大聖が、ギリギリと歯を食いしばる。苛立ちを隠すことができていない。護堂の身体を破壊しつくすはずの如意金箍棒は、その半ばから完全に消失している。先端は奇妙な形に変形し、赤々と熱を放っている。

 そして、護堂の足元には血よりも赤い、紅蓮の液体が地面を焼いている。

 護堂の拳に触れた瞬間に、如意金箍棒は融解してしまったのだ。

 護堂は斉天大聖の恨み言には付き合わず、前進する。振り上げるのは、炎と黒煙を纏った大型の槌。

「おおッ!」

 斉天大聖が、大槌を如意金箍棒で受け止める。接触点から徐々に赤みが広がっていき、ずぶずぶと大槌がめり込んでいく。

「な、なんという熱!」

 飛び退こうとする斉天大聖の横っ腹に大槌を叩き込んだ。

 ズブリ、と大槌がめり込んだ。

「うおあああちゃあッ!」

 斉天大聖の腹部が赤く焼けただれる。

 《鋼》の神格が弱点とするのは、鉄をも溶かす超高温。

 天叢雲剣と火雷神のコラボレーションは、製鉄の力。鉄を溶かし、打ち、整える。灼熱の打撃である。

 炎の大槌の扱いは、相棒に任せ、護堂は『強制言語』に集中する。斉天大聖の動きの先を読み、攻撃を加えていく。

 如意金箍棒を叩いて、逆棘状に改造する。当然、棘は持ち主のほうに向かって伸びる。

「ぬ、ぐぬうッ」

 自分の武器によって、斉天大聖は傷ついた。

 その隙に、護堂は足元に落ちていた剣を、ゴルフボールのように打つ。燃える弾丸が、斉天大聖に向かって飛んでいく。

 もちろん、それで撃ち抜けるほど、斉天大聖は甘くない。当然のように跳んで避ける。だが、燃える鋼は、空中で形を変えて膜状に広がった。溶けた鉄に包まれる斉天大聖。網ではないので、小さくなって逃れることもできない。

「あっちゃあああ!」

 液状の鉄が、斉天大聖の身体に纏わり付く。

「こ、こりゃ、堪らん! 二弟、三弟。合力せい! 三相一体となって、神殺しどもを一掃するんじゃ!」

 赤い繭の中から聞こえたその言葉に、護堂は慌てて第二撃を放つ。地面を叩いて融解した大地の津波で斉天大聖を押し流そうとしたのだ。だが、赤い津波を妨げるように、岩盤が盛り上がる。斉天大聖の呪術で、地面が隆起したのだ。目視しなくても外の様子がわかる。千里眼の能力か。

 そうしている間に、斉天大聖の呪力が爆発的に上昇する。そして、斉天大聖の呼び声に応えた二神が現れ、それぞれが、適した姿に変身する。

 猪剛鬣は巨大な大猪に、深沙神は東洋竜となって斉天大聖を守る。

「くそッ。これだけ強まると、神酒の効能も破られているかな」

 斉天大聖の力を弱めていた神酒の権能も、さすがにここまで強大化した相手には効き難い。新たに飲ませるなりすれば、話は別だが、そんな隙はないだろう。

「ふむ、あれが斉天大聖の真の力ということか。ギリシャの女神たちに見られる三相一体。なぜ、彼にも同じような性質があるのか、気になるところだ」

「姿形すら畜生に成り果てましたか。つくづく浅ましい限りです」

 スミスと羅濠教主が、それぞれの敵を追って護堂の下にやってきた。

「二人とも、余裕そうだな……」

 スミスも羅濠教主も、ほとんど怪我をしていない。互角以上の戦いを演じていた証である。

「無論です。斉天大聖ならばまだしも、あのような従属神程度の輩に遅れを取る羅濠ではありません。草薙王。まさか、あなたは、このわたくしを愚弄するのですか?」

「あ、いや。そんなつもりじゃなかったんですけど。先達の強さを再認識しただけです」

「ふむ。ならばいいでしょう。これよりは、戦場を同じくします。義弟よ。義姉の力をしかとその目に刻むのですよ」

 柔らかな視線を向けて、そう羅濠教主は護堂に言った。

 敵は三柱。羅濠教主一人に戦わせるわけにはいかない。それに斉天大聖は、護堂の敵なのだ。これは譲れない。

 斉天大聖は、大猪に見合う体格にまで身体を肥大化させている。素早さが損なわれないギリギリの大きさで、カンピオーネたちを速度と力で薙ぎ払おうとしているのだ。

「それ、いくぞ。神殺しども!」

 猛烈な突進。野生の猪の突進は、人間を殺害するほど強力だが、それが従属神クラスで、しかも巨体となると、体当たりの威力はジェット機の衝突に比肩しうるものになるだろう。

 ケルトの雄、ディルムッド・オディナを殺したのは猪であったし、ギリシャ神話にはカリュドンで大暴れした猪の話がある。そして、原作で大活躍のウルスラグナの猪の化身と、猪に纏わる伝説は世界各地に存在する。

 突進力は、極めて高い。おまけに、斉天大聖は猪剛鬣に騎乗している。斉天大聖を構成する数多の神話群の中でも、彼に剣神としての側面を与えたのは遊牧民族のスキタイである。大地に突き立つ剣のモチーフは、洋の東西に広がり、大きな影響を与えた。

 斉天大聖の騎乗は、彼が取り込んだモチーフを窺わせる。

「それッ!」

 いつの間にか、斉天大聖の手には、如意金箍棒。神力で作り直したか、新たに呼び出したかしたのだろう。

 護堂は大猪とのすれ違い様に放たれた打撃を、大槌で打ち返した。

「ぐ、う……」

 が、今回の如意金箍棒は一味違う。赤くなったが、融解はしていない。斉天大聖の呪力が上昇したことで、武器の神力も上昇したと考えるべきだろう。

 このまま受けては、身体が持たない。護堂は斉天大聖の力を流すように半回転してから、地面を転がった。

 そこに、羅濠教主の金剛力士が現れる。大猪の突進を、正面から迎え撃った。阿吽一対の大怪力が、大猪の力を見事に受け止める。斉天大聖は、慣性を無視せず、前に飛び、金剛力士を飛び越えて無数の毛を針としてばら撒いた。

「ええい!」

 護堂が地面を大槌で叩く。沸騰した大地が盛り上がって三人の神殺しを針の散弾から守り抜く。

 針の雨が止んだところで、スミスが黒き魔鳥に変身する。力技が苦手なスミスは、空中から斉天大聖を翻弄しようとしているのだ。だが、その進路を阻む者がいる。竜と化した深沙神だ。魔鳥の飛翔速度に勝るとも劣らない速度で、空を翔ける。

 スミスはこれまでに全六発中五発の『アルテミスの矢』を使っている。深沙神の復活は想定外のことであり、これまでの戦いから手の内をほぼ知られていると言っていい。

 スミスが飛び上がったとき、斉天大聖は金剛力士の背後を取っていた。得意の棒術で数え切れないほどの打撃を金剛力士に叩き込む。そうすると、大猪を抑えておけない。猪剛鬣は首を振って金剛力士を振り払うと、力強い後ろ足で大きく跳んだ。狙いは上空のスミスだ。

「させるかッ!」

 護堂が駆け寄り、大槌で大猪の後ろ足を打つ。肉を焼き、血が沸騰して吹き出した。

「アアッッチチチッ」

 空から悲鳴が降ってきた。

 止められなかったが、跳躍のコースは大きくずれた。スミスは竜を振り切って地上に降下。斉天大聖は、一直線に羅濠教主に挑みかかり、神速の攻防を見せる。

「ほう、この孫さまと武で張り合うか。やるではないか、同郷の神殺し」

「あなたほどの英傑からの賛美、ありがたく受け取りましょう」

 もはや目で追うことすらもできない棒と拳の攻防。リーチの長さでは羅濠教主が不利だが、彼女の立ち回りはそれを感じさせない。

 一瞬で、数合。目で追っているうちに数百合を打ち合った。斉天大聖の動きは、護堂と戦っていたときよりもずっと鋭くなっている。

 攻防の中で、ついに羅濠教主の肩を斉天大聖の如意金箍棒が捉えた。バランスを崩した羅濠教主の頭蓋を叩き割らんと、一撃が迫る。

「ハアッ!」

 斉天大聖を真横から裸体の巨人が殴り飛ばした。二対の金剛力士は猪剛鬣が跳んだことで、自由に動けるようになっていたのだ。

 上空で、激しい爆発が起こり、黒い怪人が再び地上に舞い降りてくる。

 三人のカンピオーネが自然と一列に並んだ。

「ふう、やれやれ、苦戦させてくれる」

「ギブアップか?」

「まさか。ちょうど盛り上がってきたところだ。我々の勝利を飾るのに、これほど都合のいい展開もあるまい」

 ダメージを受けていないということはないだろう。それでも無様に地に伏すことをよしとするわけがない。カンピオーネとは、総じてそのような生物だ。

 斉天大聖、猪剛鬣、深沙神。三柱の神が、再び護堂たちと向かい合う。

「あんた、噂によると炎の攻撃があるそうだな?」

「ん? ああ、あるが」

「そいつで、決めよう。俺と義姉さんであいつ等を止める」

 護堂は、そう言うと、羅濠教主の様子を窺った。

 案の定、共闘には不服といった表情である。

「三対三で戦おうって、最初に言ったじゃないですか。相手が義兄弟で共闘するのなら、こっちも仲間で共闘するのがベストですよ」

「む、仕方ありませんね。スミスとやら。確実に斉天大聖たちの息の根を止めるのですよ」

「大船に乗ったつもりでいてもらおう。私はできないことをできるとは言わない主義でね」

 黒いコートを翻し、ロサンゼルスの怪人は再度魔鳥へ変身する。空へは行かず、低空を滑空するように飛ぶ。反応したのは、当然、深沙神。これまでと違うスミスの動きをいぶかしみながらも鎌首を擡げてスミスを追う。

「ぬを!?」

 その鼻先を、黄金の刃が通り抜けていく。

 護堂の槍だ。

「ぐ、く……」

 権能の複数同時行使。想像以上に頭に響く。吐き気も凄まじい。祐理に向かう負担も、極めて大きなものになるだろう。

『草薙さん。……わたしなら、大丈夫です。お気になさらず、斉天大聖さまを』

 脳裏に響く、祐理の声。

 その声に後押しされ、護堂は三挺の槍を生成する。

 射出するのか、と三柱が身構えたとき、弾丸のような速度で駆け出したのは羅濠教主。黄金の金剛力士を従えて、三神に突貫する。その背に向けて、護堂は槍を放つ。羅濠教主を迎え撃とうとする三柱の前に着弾し、土煙を上げた。

「見事な武器ですね。草薙王」

 その槍を掴んだのは、羅濠教主と二対の金剛力士。

「むう!!」

 斉天大聖が目を剥いた。

 神業とも思える槍術が、斉天大聖の身体を強かに打ったのだ。さらに、金剛力士たちが、それぞれ猪剛鬣、深沙神と相対する。

 羅濠教主は、たった一人で、三柱の神を押さえ込もうとしているのだ。

 しかし、二世紀に渡って武林の頂点に君臨し続けてきた彼女の武芸は、斉天大聖と互角に打ち合えるほどだ。その手には護堂が渡した槍があり、斉天大聖の武器とリーチで劣ることはない。

 槍は、中国において最強とされる武器。羅濠教主が最も好む武器である。

 繰り出される絶技の数々。

 三柱の神々は、その場に釘付けにならざるを得ない。斉天大聖は、まだ互角。しかし、その義弟たちはそうもいかない。大猪と化した猪剛鬣は、槍を避けられるほどの機動力がなくなった。突進できれば、巨体を活かせるのだが、金剛力士はそれをさせない。深沙神も同じ。もともと筋力で戦うタイプではない彼にとって、羅濠教主の金剛力士に接近戦を許した時点で劣勢になるのは否めない。

 

 羅濠教主が敵を足止めしている間に、護堂は、足元に転がっている刃を叩く。護堂が今まで散々射出してきた一目連の刃たちだ。叩かれた刃は真っ赤に融解して、斉天大聖に灼熱の触手を伸ばす。羅濠教主が大きく後方に跳躍し、入れ替わりに超高熱の液体が斉天大聖たちに襲い掛かった。

 熱が熱を伝え、数百からなる刃がすべて融解する。さらに護堂は、地面を叩き、木々を叩き、岩を叩いた。大槌に触れられたものは、すべて燃え、溶け、形を失い作り変えられる。地面は沸騰し、溶けた鋼の刃と同化、溶岩の池を形成する。

「うおおおお、こいつは!」

「こ、これはまずいでござるぞ、兄者!」

「落ち着きなさいませ、大兄、二兄!」

 慌てているが、もう遅い。

 溶岩は大猪の身体を絡めとり、竜に纏わりつく。動きを封じるだけでなく、溶岩の中に溶かし込もうとしている。まるで、食虫植物のようだ。引きずり込んだ獲物を、消化しているかのような光景。

「厄介なことを!」

 地面が底なし沼ならば、空に逃げてしまえばいい。

 斉天大聖は、赤い触手を潜り抜け、大空へ自由を求めた。だが、この動きに真っ先に反応した者がいた。

 黄金の金剛力士である。

 羅濠教主と同等の武芸を誇る彼らは、溶岩の池に槍を突き刺し、その石突の上に立つことで巻き込まれるのを防いでいた。恐るべき武芸であるが、この金剛力士が、小さな足場から斉天大聖に跳躍する。

「ぬうあ!」

 怪力の化身である金剛力士の攻撃を、そうではない斉天大聖が正面から受け止められるはずがない。

 真上からの手刀の一撃を、辛うじて如意金箍棒で防ぐが、そのまま溶岩の中へ叩き落された。

「ぐあああああ!!」

 護堂の神力が溶岩を動かし、斉天大聖を逃さない。

 そして、この一瞬のために控えていた黒き魔鳥が、颯爽と現れる。

「滅びのために、我が大業を数え上げよう。我は終末を呼ぶ夜の斧。世界終結の幕を下ろす、黄泉よりの使者!」 

 黒き魔鳥の身体がほつれる。

 己の身体を焼き、敵を滅ぼす殲滅の炎。実体がないために、この状態のスミスを攻撃することは難しく、触れれば黒き炎に焼き尽くされる。

 地獄の溶鉱炉の中に、災厄の炎が投じられた。

 《鋼》を溶かす、大火力。

 さすがの斉天大聖も、この炎には勝てなかった。

 断末魔の叫びを上げて、融解した大地の中へ沈んで行ったのだった。


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