カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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第九章 剣神死闘編
六十七話


 『神殺し』

 プロフィールの中に、この言葉を書き込めるのは、世界に七人だけである。

 そのうちの一人である草薙護堂は、『神殺し』であるが、同時に『男子高校生』という肩書きを持つ。むしろ、本来はこちらのほうが本業なのだが、残念なことに世の中はそのように見てくれない。もちろん、この『世の中』というのは、彼の真実を知っている者たちで作られた業界に限る。

 とはいえ、世界を震撼させる肩書きが猛威を振るうのは、基本的に『まつろわぬ神』が降臨してきたときだけである。現存するほぼすべての『神殺し』たちは、戦うことにのみ力を注ぎ、それ以外は基本的に常人と変わらず過ごしている。時代錯誤な生活を送る者もいるが、神殺し――――カンピオーネの興味関心は基本的に『まつろわぬ神』と戦うことに集約されているからであり、それが金銭や宝物や政治に向かうことはほとんどない。

 そのおかげで表向き、世の中は平穏を保つことができているのである。

 草薙護堂も、その例に漏れず、特に政治に関わるつもりはない。自分が一言で国家戦略を変え得る発言力を有していながら、それを使おうとは思っていない。その部分に関しては、庶民的な性格である。

 権力を手に入れたら人が変わるような人間は、カンピオーネにはなれない。

 確たる自我を、自然体で表すような、そんな人間でなければ、神を殺すことなどできないからだ。

 基本的に我が強いのが特徴のカンピオーネである。

 協調性、という言葉を、母親の胎内に忘れてきたような連中ばかりだ、というのが自分だけは例外的に協調性のあるカンピオーネだと自負しているこの男――――アレクサンドル・ガスコインの魔王観である。

「ふん、食えない男だ」

 アレクサンドルは、護堂についての報告書をテーブルの上に投げ捨てるように置いて呟いた。

「食えない? それは、どういうこと?」

 対面している少女はセシリア・チャン。華僑系の呪術師で、アレクサンドルの配下である。区分としては『道士』ということになろうか。かつて、アレクサンドルに助けられた恩から、彼の下で主に東方方面の情報を集めている。

「この男、カンピオーネになってから半年ほどで、四人のカンピオーネと顔を合わせている。その中で、共闘関係にないのは狼翁だけだ」

「イタリアではサルバトーレ卿とコンビを組み、日光では羅濠教主とジョン・プルートー・スミス様。確かに、それはそうね。でも、それはおかしなこと?」

「十分におかしい。カンピオーネたちが、共闘するなど、今までにほとんどなかったことだ。特に、あの筋肉至上主義が他人と共闘するなど、尋常ではない」

 まして、そのときの敵は羅濠教主が百年もの間敵視していた斉天大聖孫悟空だ。アレクサンドルは、日光での戦いの始終を盗み見ていたから、羅濠教主がどれほどあの猿神に執着していたかは知っている。

「それなら、協調性はあるってことでいいんじゃない?」

「……俄かには信じがたいがな」

 不承不承ながら、アレクサンドルは認めた。少なくとも、調査結果ではそう判断せざるを得ない。また、一般の学校に通い続けているという点も、考察材料にはなる。

「だが、裏を返せば、この男は他人を利用することを知っているとも取れる。サルバトーレに対しては、我が身を差し出す契約で、日光のときには何があったか分からんが、何れにせよこの男の都合のいいほうに流れが向いていたのは事実だ」

「自分が不利な状況なのはどちらも同じ。だとすれば、協力してことに当たるのは当たり前のこと」

「違うな」

 セシリアの言葉に、アレクサンドルは眉を顰めながら否定した。

「カンピオーネという連中は、そんな状態だからこそ、一人でどうにかしようとするものだ。サルバトーレが数的不利に陥ったとして、自分から誰かに協力を仰ぐと思うか?」

 セシリアは、アレクサンドルの例を頭の中でイメージし、それからどうしてもそれが不可解な行動にしか見えないことに気付いた。

 サルバトーレ・ドニが人を頼る。ありえない、としか思えなかった。

「そういうこと」

 セシリアはそこで納得し、アレクサンドルにこれからの計画を尋ねた。

 アレクサンドルはイギリスを中心に活動するフランス系カンピオーネ。しかし、レミエルから簒奪した『電光石火(ブラックライトニング)』によって、世界各地を自由自在に飛び回ることで、世界規模の活動領域を有している。ヴォバン侯爵はフットワークが軽いことで有名だが、アレクサンドルには遠く及ばない。

 そして、そのアレクサンドルが当面の活動拠点と定めたのが、日本のとある中華街なのである。

 そこは、日本の呪術組織の手が届かないアウトローが犇く場所。アレクサンドルが主宰する《王立工廠》の日本支部も、そこに密かに居を構えている。

「当面は様子見だな」

「草薙護堂とコンタクトを取るつもりはない?」

「ああ。迂闊に接触して戦闘になれば、ヤツに気取られる。それでは、計画が水泡に帰すことになる」

 アレクサンドルが警戒しているのは、草薙護堂がカンピオーネだからだ。

 いかに、護堂がこの半年で、大半のカンピオーネたちと交流し、共闘関係を持ったといっても、それでアレクサンドルと共闘してくれる保証はない。かつて、理性的だと思ったスミスと殺し合いを演じた経験が、アレクサンドルを消極的にさせていた。

 だが、何れはコンタクトを取る必要はある。

 グィネヴィアが事を起こすのは間違いなく日本。あの神祖が、日光の事件に関わっていることは明らかであり、その後も日本に度々現れていることを確認している。手を出さないのは、その背後にいる護衛の存在があるからだ。

 アレクサンドルとグィネヴィアとの縁はあまりにも深い。

 今さら無視して先に進める相手ではなく、そろそろこの腐れ縁に終止符を打っておかなければ今後の活動に支障が出る。

 そのために、より確実に、逃げる余地すらない状況に追い込んだ上で、その生命を摘み取らなくてはならない。

 そのための障害となり得る存在こそが、草薙護堂。

 この男がどのように動くのか。それ次第で、状況は流動的に移り変わるのである。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 ――――――――后弟橘媛、太刀を抱きて海に入り給ふ。其の太刀の流れし先は陸にあらず、海にもあらざる処にて、浮島といふなり。――――――――

 

 

 それは、如何なる書物にも載っていない民間伝承の一節。

 伝承とは、語り継がれるものだ。誰かが創作しただけでは、伝承にならない。長い年月をかけて遍く人々に行き渡らなければならない。そういう意味では、これは伝承とは言えない。何せ、この一節が登場するのは千葉県のとあるアマチュア郷土研究者が自費出版した本だけだ。では、これは真作に程遠い偽作に過ぎないのだろうか。ただの一研究者の妄言として放置できるのだろうか。答えは、否である。これが、ただの偽作であれば、どれほどよかっただろうか。これがただの妄言で済めば、千年の長きに渡って正史編纂委員会とその前身となる組織が抹消に動くことはない。そう、これは極めて真作に近い、この国の呪術世界の中枢に鎮座する『御老公』たちが、なんとしても消し去りたいと思うほどの、『脅威』に繋がるキーワード。

 消せども消せども、何か見えない力が作用しているかのように同じような話が湧き上がってくるのだ。

 結局、記憶消去と、焚書で対処することで、いたちごっこを繰り返している。

 

「弟橘媛というと、まず真っ先に倭建命との繋がりを考えるところでしょうけど」

 風はなく、静かな小波の音が耳に心地よい。

 場所は千葉県木更津市内にある、とある海岸。祐理は、冬馬に連れられて静かな砂浜にやってきた。連れ合いには護堂と晶、そして恵那。この面々が揃うのは、日光での一戦以来となる。

 眉目秀麗な少女たちが居並ぶ様は、人の目を引いて余りあるが、幸いなことに、この海岸は千年もの間秘匿され続けた秘境の地。立ち入ることが許されるのは、特定の役職に就く者だけである。

「上総に阿波。この辺りは弟橘媛と倭建命との縁が深い土地ですしね」

 ガンガンガン、と無粋な音が響く。晶が見守る先では、ショベルカーが海岸の砂を掘り返している。その周囲には呪術師が集められていて、一心に呪文を唱えている。

 千年間、荒らされることのなかった砂浜が、無残にも破壊される様子に祐理が表情を曇らせた。それは、自然破壊に対する憂慮か、それとも、これほどまでに厳重に守られた遺物に対する不安か。

 晶はなんでもない様子で眺めていて、恵那は目を輝かせている。彼女の場合は、山篭りの日々のため、こうして都会らしい光景を見るだけでも新鮮に思えるのかもしれない。

 ぼんやりと眺めているのは護堂だ。呼ばれたはいいが、問題の物が出てきていないので、手持ち無沙汰にしている。護堂は冬馬に尋ねた。

「解呪を進めながらの発掘作業ですか」

「ええ。何せ千年前の呪術師が施した結界を基本にした防御術式が仕込まれています。そして、その結界の中には、攻撃的なものも含まれているのですよ」

 無理矢理壊そうとすれば、当然ながらこちらに手痛い被害が出る。

 段階的に設置された結界を突破するには、解呪と掘削を繰り返すしかないというわけだ。

「手間がかかりますね」

「それはもちろん。そうでなければ、守れませんからね」

「言われてみれば、確かに」

 冬馬の返答に護堂は苦笑した。手間がかかるからこそ、結界の意味がある。解呪が予定時間を超えている件に関しては、むしろ歴代の術者たちを褒め称えるべきところだろう。

「それでは、暇つぶしに今回の一件のあらましから説明しましょうかね」

「そうですね。お願いします」

 暇を持て余していたのは事実だ。海が近いが冬が近いこの季節に泳ぐ者はいない。概要程度は、車の中で聞いたが、詳しい話はなかったので、ちょうどいい。

「今回我々が動いたのは、まず地元の郷土史を研究されている先生が発端でしてね。先に紹介したあの一節は、その方の本の中に取り上げられている民間伝承の一つなのです。問題は、この伝承でして、『太刀の伝説』は我々が千年前から闇に葬ってきたものなのですよ。それこそ、記されている本を焼き払い、媛巫女を動員して記憶消去をかけるなどしてです」

「でも、消し切れない?」

「ええ」

 冬馬は頷いた。

「記されている書物はなく、口伝も存在しない。それにも関わらず、どこからか現れては広まろうとするんです」

「広まろうとする、なんて、まるで伝説自体に意志があるみたいですね」

「そう思えるほどに、しぶといのですよ、これは」

 冬馬が困ったものです、と肩をすくめるのも分かる。自然発生的に現れる伝承をひたすら消していく。それは、真実終わりが見えない作業なのだ。

 通常、こうした文化は一度消えてしまえばそれまでだ。復活することはありえない。伝えるモノがなければ、伝わらない。そして、人間は伝わらないモノを知ることはできないからだ。文字のない時代の歴史は、遺物から類推するしかない。遺物や遺構が発見できなければ、たとえそこにかつて人がいたとしても、それが分からず、結果としていなかったということになってしまう。それが歴史であり現実であり、あるべき姿だ。

 しかし、これは違う。

 人の意志、文化によらず現れる。それは、それそのものが意志を持っているに等しい。

 何かしらの霊威がそこにはある。

「その正体は未だに不明。御老公も千年間だんまりを決め込んでいます」

 日本呪術界の中枢にある正史編纂委員会ですら、事の真実を知らないまま命じられたことを淡々を続けているだけなのだ。いい加減、これは何なのか教えて欲しいところだった。

「もっとも、弟橘媛の部分はそう重要ではないようです」

「というと?」

「これまで、様々なパターンが看取されましたが、中には弟橘媛が省略されていたり、倭建命が出てこなかったりします」

 それを聞いた祐理が、

「すると、弟橘媛や倭建命ではなく、太刀の行方のほうがポイントということでしょうか」

「鋭い。さすがです」

 冬馬は頷いた。

「この伝承のキーとなるのは、太刀が流れ着く先が浮島だということです。海底ではなく、陸でもない。つまりは異界です」

「海の底の異界であれば、竜宮がありますね」

 浦島太郎で有名な竜宮城。あの昔話は、異界訪問譚の一種であり、その原形は日本書紀にまで遡る。

「太刀と海との関わりと言えば、天叢雲剣と安徳天皇の話もありますよ。安徳天皇が八岐大蛇の生まれ変わりで、太刀を取り戻しに現世に生まれたというヤツです。ここでは、安徳天皇が帰るのは竜宮になっていますねェ」

「そうなんですか」

「『平家物語』とか『愚管抄』なんかにある記述です」

 どちらも、日本史の教科書に出てくる書名だ。意外な出典に、護堂は興味を深めた。今はあまり関わりがないので置いておくとして、これが終わったら確認してみようと思ったのだ。

「異界に眠る太刀。ルクレチアさんが研究なさっていた『最後の王』、アーサー王伝説と関わりがあるのでしょうか」

 祐理が護堂に視線を向けてくる。

「ない、とは言えないだろうな。あの人のフィールドワークの話、もっと聞いておけば絞り込めたかもしれないけど。まあ、関わりがあったとしても、今はどうにもならない」

 目覚めなければ万々歳。何れにせよ、今、この作業を見ているグィネヴィアが、自分から出てきてくれるのを待たねば始まらない。

 晶と恵那が意味ありげにこちらを見る。護堂は、首を振る。こちらから手は出さない。相手は神祖。その後ろにはランスロットという無双の大英雄がいる。迂闊に踏み込めば、即死に足を突っ込むことになる。

 グィネヴィアを始末するには、ランスロットと引き離さねばならない。

 ランスロットのことも含めて、ルクレチアから情報を引き出していた。イタリアの『地』を極めた魔女であるルクレチアは、神話学の大家でもある。グィネヴィアとも一時期行動を共にしていた。

 そして護堂はこの穴から出てくる遺物が、グィネヴィアの関心を集めていることを知っている。仲間たちとも情報を共有している。グィネヴィアが日光の事件の主犯だという事実があるので、警戒レベルは初めから高い。

 魔女が得意とする視線を飛ばす術で、海岸を睥睨しているのが分かる。媛巫女たちが気付いているのだ。直感に優れた護堂が気付かぬはずがない。

 しかし、こちらの警戒心に気付いたのか、それとも別の理由か。魔女の目は、フッと消えてなくなった。

「去られたようです」

 精神感応に優れる祐理が、視線が消えたことを告げた。

「さすがにカンピオーネがいるところに攻め込むわけにはいきませんか」

 冬馬も緊張を解いて、ハンカチで汗を拭った。夏でもないのに、汗をかいてしまった。護堂や恵那、晶のような(つわもの)の気に当てられたからだ。祐理が泰然としているのは、『まつろわぬ神』でなければどうにかなるという考えが、経験に裏打ちされているからだろう。実に頼もしい限りだ。

「お、見てください、草薙さん。発掘成功です」

 冬馬が指を指す。発掘現場のすぐ傍にはブルーシートが置かれている。その上に運ばれたのは、小さな棒状の何かだった。

「それでは行きましょう」

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

「これが、天之逆鉾」

 日本神話に登場する伝説上の矛だ。それは、獲物を獲るために使われるのではなく、国土創造に使用された創生の矛なのである。

 伊邪那岐と伊邪那美が、その矛を用いて混沌とした大地をかき混ぜたことで、日本国が生まれた。これは、創世神話に関わるアーティファクトだ。

「ふうん。鉛筆くらいの大きさなんだな」

 見た目は美しい木製の棒。飴色で、陽光に煌いている。天之逆鉾は、『日本書紀』での別名を天之瓊矛といい、「瓊」の字は玉を意味するという。なるほど、この美しさであれば、玉に匹敵する価値があると言われても頷ける。

「これをどう視る、万里谷」

「そうですね。まだ、霊視が降りていませんので、はっきりとしたことは言えませんが、大地と巌の気を感じます。伊邪那岐命と伊邪那美命に比すべき力と視受けます」

「やっぱり創世系の神具ってことか。それっと」

 護堂は手の中で弄んでいた天之逆鉾を、唐突に砂に埋没していたコンクリートブロックに叩き付けた。

 さらに両刃の剣を創造して柄を両手で握り、思いっきり振り下ろした。

「く、草薙さん!? 突然、何をなさるんですか!?」

「さっすが王さま。やることが派手だね!!」

「先輩。言ってからにしてください!!」

 三者三様の声が上がる。順に驚き、賞賛、文句である。が、護堂はどれにも取り合わず、すまんすまんとやり過ごす。

「んー。やっぱり壊れないか」

 護堂の剣は、コンクリートブロックをきれいに両断していたが、問題の神具には傷一つ付けることができなかった。両断されたコンクリートブロックの残骸と剣の間に挟まる形で、天之逆鉾は先と変わらぬ美しさでその存在感を誇示している。

「これは、不滅不朽の神具。神の叡智の結晶です。人の手では傷つかず、年月で変化せず、神の力を以てしても失われないものです」

「うん。まあ、そうなんだろうけど、壊せれば今後の憂いもなくなるかなって思ったんだよね。ほら、サルバトーレがヘライオンを斬ったみたいにさ」

「あのときは、それで竜が出たんですけど」

「そうです。もしも、ナポリと同じことになれば、今度こそ土地の精が枯れかねません!」

「あー、そういえばそうだったね」

 すっかり失念していた護堂は、誤魔化すように頭を掻いた。

「まあ、あれだ。とりあえず、コイツをどう扱うかってことを議論しよう」

 護堂は、この神具の使い方を知っている。薄らとではあるが、記憶に残っているので問題はない。はっきり言えばこれそのものが脅威になることはないと思う。何せ、地面を撹拌し、島を作ったり沈めたりする力だ。脅威の度合いで言えば、アテナのゴルゴネイオンのほうが格段に上だろう。

「はい、パス」

「え、ちょッ」

 誰かが制止の声を出し、護堂が天之逆鉾を放る。それをキャッチしたのは恵那だった。

「草薙さん。神具をそんな乱暴に扱ってはいけません!」

「大丈夫だろ。不滅不朽なんだから、頑丈さは証明済みだ」

 護堂の剣でも傷一つ付かない神具。当然、投げられた程度でダメージを受けるはずがない。

 少女三人は、手元で神具を眺め、外見や能力についてああでもない、こうでもないと話している。

 そうしている間に、護堂は冬馬に向かって話をする。

「あれは、俺が持っていたほうがいいんですか?」

「そうですね。そうしていただけると助かります。厳重な結界を解いたからには、それ以上の保管場所に入れておかなければなりませんので。現状、草薙さん以上の保管場所は考えられません」

「そうですか。それじゃ、どうしようか。筆箱かなんかに入れるか」

 大きさが鉛筆くらいということでちょうどいい。神具をそのような場所に入れておくのが妥当かどうかは別として。

「う、きゃッ」

 小さな悲鳴。三人のほうを見ると、なんと、天之逆鉾が一メートルほどの長さになっていた。

「は?」

 護堂は思わず首を捻り、晶たちはどうしようと慌てている。

「すみません、先輩。触ってたら大きくなりました!」

「いやいや、大きくなったって、おかしいだろ。何がどうした!?」

「理由は分かんないけど、アッキーに反応したんだと思うよ。大きくなったのは、アッキーが触ったときだったし」

「わたしの所為ですか!?」

「まあまあ、とりあえず俺が持つよ」

 そう言って、護堂は晶から天之逆鉾を受け取った。途端、力が抜けたように収縮して、元の鉛筆大にまで縮んでしまった。

「なんだったのでしょう」

 祐理が不思議そうに天之逆鉾を眺めた。晶はほっと一息つき、恵那はつまらなそうにした。

 天之逆鉾が本来の姿に立ち返った要因。それは紛れもなく晶にあった。この神具は、大地と水に深く関わる地母神に反応する。原作では、アレクサンドルが女媧が降臨した地で採取された竜骨を利用していた。しかし、それがなぜ晶に反応したのか、というと分からない。そのまま考えれば、晶が極めて祖に近い存在だからという認識になるのだが、それでも人間の枠を出ているわけではない。そんな晶が、たとえ強力な大地の加護を得ていたとしても発動できるものなのか。

「考えても仕方がないか」

 護堂はそこで思考を打ち切り、天之逆鉾をズボンのポケットに押し込んだ。

「実はさ、その神具についておじいちゃまに連絡したんだけど、うんともすんとも言わないんだよねー」

「ここまで来て知らぬ存ぜぬを決め込む気なんだろうな」

 千年間保守し続けてきた秘密だ。秘匿という消極的な保護ではなく、カンピオーネに手渡すという積極的な保護策に移行したとしても、彼らにすれば状況の変化とは言えないのだろうか。

 護堂が幽界の御老公たちに思いを馳せていたそのとき、恵那が不意に佩いていた太刀の鯉口を切った。柄に右手を添える。晶は拳銃を呼び出す。恵那を前線に配置して自身は後方から援護する形を取るつもりだ。

「白い、女神。いえ、それとはまた別の何かが向かってきます」

「なるほど、お客さんが動きましたか」

 冬馬のポケットに入っていた携帯が振動している。連絡が入っているのだろう。

 そして、祐理が見つめていた空間に、忽然と少女が現れた。

 喪服を思わせる黒いドレス。ブロンドの髪。そして、女神とも人ともつかない奇妙な気配。イタリアで会ったエンナと似た気配だ。

「神祖か」

「はい。お初にお目にかかります。草薙護堂様」

 見た目の幼さに似つかわしくない、玲瓏とした声だ。

「神殺したる御身に、直々に名乗る非礼をお許しくださいませ。我が名はグィネヴィアと申します。御身のお耳に入れたき儀がございますゆえ、罷りこしました」

 なるほど、確かに美しい少女だ。そして、謙っていながら、どこか尊大さを窺わせる口調。謀略の臭いがプンプンとする。

「名前は、ルクレチアさんから聞いたことがある。それで、俺になんのようだ?」

 警戒心を露にして、問う。おまえを信用していないということを表す。

「この国に、女神アテナが入っております」

 護堂は特に驚くそぶりを見せなかった。来るだろうとは思っていたからだ。原作ほどにアテナとのつながりがあるわけではないが、それでも因縁はあった。イタリアで、彼女を撃退したのは護堂だ。絡まれる可能性は否定できない。

「アテナが? ふうん、理由は」

 しかし、護堂は知っていたことを隠し、話を続けた。

「このグィネヴィアの命、が目的でございます」

「アテナの怒りを買ったか。それで、俺を楯にしようって魂胆なわけか」

「とんでもございません。そのような非礼、グィネヴィアにどうしてできましょうか。確かに、かの女神は我が命を狙っております。しかし、それは叶わぬ願い。アテナより逃れる方法をグィネヴィアは持っておりますので。ですが、グィネヴィアに届かぬと知った女神は、その矛先を最も身近な御身に向けることになりましょう」

「なぜ、そう言い切れる? あなたを追い続けるかもしれない」

「それは不可能でございます」

 グィネヴィアは妖艶に微笑んだ。アテナに自分は殺せない、という確信がある。

「かの女神はじきに命を落とします。大地母神の命を吸う、聖杯の力によって」

「残り幾許もない命を、あの女神ならば戦いに費やす。で、因縁のある俺が標的第一号になるだろう、ということでいいのかな」

「はい。その通りでございます」

 護堂の理解が早かったことが意外だったのか、少々驚きの表情を浮かべたグィネヴィア。

「よし、だったら前置きはいい。さっさと本題に入ろう。あんたの目的はコイツ、それでいいな」

 護堂はポケットから取り出した天之逆鉾をグィネヴィアに見せる。何日も前から、この海岸を監視していたという謎の術者。それが、グィネヴィアと見て間違いない。

「ええ、そうですわ。グィネヴィアはその天之逆鉾を頂きたいのです。無論、ただでとは申しません。代わりに、アテナを討ち果たすための策を用意しております」

「それが本当であれば、興味深いけどな。策の一つか二つで、あのアテナが倒れるとは思えないな。はっきり言って、信用ならんぞ。その提案は」

 成功するか否か分からないものに投資するのは愚かなことだ。それも女神相手の策は、常識的に考えて失敗するに決まっている。

 グィネヴィアが何をしたいのか知っているとしても、素直に頷くわけにはいかない。

「用心深いのですね。ですが、ご心配には及びません。我が策は確実にあなた様に勝利をもたらすことでしょう」

「ずいぶんな自信だな」

 そこまで勝利を確信できるのであれば、自分ですればいいものを。

 ランスロットを動かしたくないわけだ。護堂とアテナが相食んだところを狙う腹だろう。

 護堂は冬馬に天之逆鉾を投げ渡した。魔術を自在に操るグィネヴィアに懐を気にして相対するのは不利だと思えた。倒すだけなら可能だろう。しかし、盗み出す手がないとも限らない。

「前言を撤回しましょう。ずいぶんと、無用心でいらっしゃるのですね」

 護堂が冬馬に天之逆鉾を投げ渡した直後、グィネヴィアが目の前に進み出た。瞬間移動ほどではないが、意識を逸らした間隙を突いてきた。

 そして、キスをする。

 聖杯についての知識が流れ込んでくる。アテナの腹中に封印され、少しずつその命を削っている聖杯。それを起動させるキーワードが、脳に染み込んでくる。神祖や『まつろわぬ神』が使う、最上位の教授の術だ。

「それでは、失礼いたしますわ。草薙護堂様。何卒、アテナをお討ちくださいませ」

 そう言って、グィネヴィアは姿を消した。

「王さま。今のって、教授?」

「似たようなものだろうけど、次元が違うんだろうな。魔術を教えることもできるみたいだ」

 護堂の中には、グィネヴィアが与えた、ある種の儀式の方法が残っている。そして、これは消えることがない。知識だけでなく、魔術の使い方すらも相手に伝える秘術なのだ。

「それにしても草薙さん。出会ったばかりのグィネヴィア様にまで唇を許すなんて。あの方の仰るとおり無用心ではありませんか?」

 ちょっと怒ったような祐理の口調。

「いや、今回はアテナを倒す策があるって言ってたじゃないか」

「しかし、別の術をかけられる可能性もあります。お気をつけください」

 経口摂取が唯一カンピオーネに術をかける手段だ。アテナを倒す策、と見せかけて別の呪いの類だったらどうするのか、と祐理は言いたいのだ。

「あー、確かにその通りだな。うん、悪かった」

 正論なので、言い返せない。そして、半ば表情の抜け落ちた顔で護堂を見つめてくる晶は、怖いので直視しないようにする。

「さて、私はアテナ対策に行きますかね」

 そんな場の空気から逃げ出すように冬馬は海岸を去ろうとする。

「甘粕さん。どこ行くんですか!?」

「修羅場は見てる分には楽しいんですがね、同じ空間にいるのは辛いんですよ。ということで、一旦離れさせていただきますね」

 頼りにならない大人は、早々に車のほうに向かっていった。携帯を取り出して連絡を取り始めたので、呼び止めることもできない。

 にやにやとした恵那、心配しつつも怒っている祐理、そして無言の晶という組み合わせは、なかなかに堪えるものだった。




明けましておめでとうございます。2014年です。今年の夏でカンピオーネのアニメから二年が経つと思うと、時の流れの早さを感じますね。

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