カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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六十八話

 グィネヴィアとの顔合わせを終えた護堂たちは、アテナの襲来に備えて東京に戻ってきていた。今のところ、『まつろわぬ神』に関する情報は入ってきていない。

 そこで、いつでも動けるように、護堂たちは正史編纂委員会の総本部とも言うべきビルで待機することにした。新宿にあるこのビルのオーナーは沙耶宮家。つまり、ビルは馨の所有物件である。

 そのビルの応接間に護堂たちは通されている。

 大きなガラス壁を覗けば、百メートル以上下を車が走っている。白い室内は小奇麗で、ほとんど物が置かれていない。ガラステーブルを挟んで向かい合った黒いソファーがあり、隅には観葉植物が置いてある。

「ところで、草薙さん。これから、どうされるんですか?」

 護堂がぼんやりと窓の外を眺めているとき、祐理が尋ねてきた。

「アテナが本当にいるのか、分からないから、なんとも言えないな。もしも、アテナが見つかったのなら、こっちから攻めることになると思う」

 アテナを東京都心に踏み込ませるわけにはいかない。

 あの闇の権能は、高度に文明化された都市にとっては致命的な大打撃を与える力だ。決して破壊を齎すものではないが、それ以上に厄介な経済的打撃を与えるには十分すぎるものである。

 さらには医療機関にまで影響が及べば、人命に関わる。交通機関は軒並みダウンし、自家用車すらも使えない。無論、救急車や消防車といった緊急車両も使えなくなる。不幸中の幸いは、アテナの力の下では、火事も起こらないということくらいか。

 とはいえ、アテナがすでに都内に入ってしまっていたら攻め込むのは悪手であり、護堂が身体を張ってアテナを海岸などにおびき寄せるしかないのだが。

「神様なのに、何一つ人類に恩恵を齎さないってのも、どうかと思うけどな」

 護堂は呟いた。

 しかし、それも無理のないことだろう。大多数の神が、神代から中世にかけて生み出されたのだ。その権能の方向性が現代人の価値観に合わないのは当然だ。まして、『まつろわぬ神』ならば、なおさらだ。彼らは、人間から見て、歪んだ方向にしか権能を振るわない。ゆえに、彼らの存在は自然災害に比されるのであろう。

「万里谷、霊視とかは来てないか?」

「申し訳ありません。今は、なんとも」

「そうか。まあ、意図して霊視ができるものじゃないって言うし、仕方がないさ」

 霊視は、自分の好きなように振るえる能力ではない。この力は、ある種の神託である。幽界と無意識の領域を繋げることで、あちら側の情報を読み取っているのだ。しかし、向こう側への道が開かれるのは何かしらのきっかけによるもので、祐理から能動的に働きかけることはできない。できたとしても、それは尋常ならざる負担を彼女の身体にかけることになろう。

「ところでさ、王さま。アテナって、実際どんな神様なの?」

 ソファーに腰掛け、お茶を飲んでいた恵那が護堂に尋ねてきた。

「そうか、清秋院はアテナを見たことがなかったな」

 アテナはイタリアで護堂が死闘を演じた『まつろわぬ神』。イタリア旅行の後で知己を得た恵那は、当然、アテナについて、神話と報告書の中でしか知らないのである。

「どんな、と聞かれてどう答えればいいのかわからないけど、我が強いって感じだな。孫悟空の正反対というか、一直線って感じだな」

 ギリシャ神話のアテナは複数の神格が混ざり合って生まれた神だ。元々は、ポリスの守護神。そこに、北アフリカ近辺から入ってきた地母神崇拝が加わり、大地に根ざした冥府の神となった。アテナという名は、北アフリカに起源を持つといい、地中海沿岸に広く浸透し、複数の神話に現地の言葉で現れるのだ。

 そういう意味では、複数の神話や伝承が取り込まれた斉天大聖と似た成立過程を経ているわけだ。文化や知恵を司るなど、様々な権能を併せ持つ点も、斉天大聖と似通っている。しかし、アテナの性格は愚直なまでの戦闘一直線。戦闘以外に楽しみを見出していた斉天大聖とは、まったく異なっている。

「あの神祖から貰ったのは、聖杯の知識。それがなんでアテナに使えるんですか?」

 晶は、アテナが強大な神である、とじかに見て知っていた。終始護堂を圧倒したあの戦闘力。最後には護堂の奇策で敗れたものの、取り返しの付かない事態になる前に撤退している。勝利したことのある相手とはいえ、二度目も勝てるとは限らない。護堂が勝てたのは、隙をついた奇策であって、相手の実力を上回ったとは言い難い。基本的にカンピオーネと同格か格上なのが『まつろわぬ神』なので、護堂の勝利は絶対的なものではない。

「あのアテナを倒しうるほどの力なんでしょうか」

 だからこそ、グィネヴィアの言は疑わしい。

 強大無比、不死性までもったあの女神を降すほどの神具があるのだろうか。

「聖杯ってのは、地母神と繋がることで、その命を吸い上げる能力があるみたいだ」

 グィネヴィアに与えられた知識を掘り起こして、晶に説明する。

「地母神の生命力を、プールして純粋な呪力として運用する。そのための器ってとこだな。だから、地母神にとっては天敵ともなる。今は、アテナが体内に取り込んで、活動を抑えているみたいだけど、それでもじわじわと命を吸い上げているらしい」

「なるほど。すると、先輩が教わった術というのは、押さえ込まれた聖杯の活動を再開させるためのものですか」

「理解が早いな。そういうことになる」

 護堂は頷いた。まさしく、晶の言うとおりだったからだ。

「しかし、それではなぜ、グィネヴィア様はご自身でなさらないのでしょうか?」

「アテナに命を狙われているからな。危険は冒せないってわけだろ」

「草薙さんを利用して、アテナを討ち果たそうという目的は分かりました。しかし、それでは天之逆鉾を欲した理由が分かりません……」

 祐理が、考え込むように表情を曇らせた。

「ところで、先輩。アテナを倒した後、神祖に神具を渡すんですか?」

「渡すわけないだろ」

 晶の問いに、護堂は即答した。

「あれー。でも、王さま。知識を渡す代わりに神具をって話じゃなかったの?」

 恵那が首を傾げる。

 確かに、グィネヴィアはそのようなことを言っていたはずだ。が、護堂は首を振る。

「俺は渡すって言ってないから」

 向こうが勝手に知識を置いていっただけ。そういう認識だった。

「うわー。悪人だー」

「きちんと契約内容を詰めないヤツが悪い」

 たとえ経口摂取で約束を履行させる呪詛を流し込んだとしても、その気になれば害意ある呪力を弾くことができる。何よりも、若雷神の化身があるので、そういった強制力は一切通用しない。護堂を相手に交渉するなら、最後まで抜かりない契約を結ぶようにするべきなのだ。それでも、護堂が約束を破らない保証はないが、護堂の性格上それなりの筋は通す。だから、グィネヴィアは、呪術で強制するのではなく口頭での契約を持ちかけたところまではよかったのだが、最後で護堂が約束する前に知識を与えてしまうという過ちを犯した。最後の最後で詰めが甘かったのだ。

 よって、護堂は神具を渡さなかったとしても、良心が痛むこともない。

 つらつらと話をしていると、ドアがノックされた。返事をすると、ドアが開いた。現れたのは、冬馬だった。

「失礼します。草薙さん」

「甘粕さん。アテナの情報は入りましたか?」

「いえ、まだ。そこで、時間を潰しも兼ねて、以前頼まれていた資料をお届けに上がった次第です」

「資料?」

 冬馬の手には、青いファイルがある。

「蘆屋道満に関する調査報告の一部です」

「道満の!?」

 護堂は、飛び上がらんばかりの勢いで、冬馬に駆け寄り、ファイルを受け取った。

「それでは、私はこれで。また、何か情報が入りましたら連絡に来ますので」

「はい。ありがとうございます」

 護堂は礼を言い、冬馬は一礼して退出した。

 ファイルを受け取った護堂は、すぐにソファーに歩み寄り、腰をかけた。ガラステーブルにファイルを置いて、開いた。

「蘆屋道満とされる人物に関する調査報告書……」

 媛巫女三人も、興味を引かれてファイルを覗き込んだ。

 まず、資料には蘆屋道満の外見的特徴や推測される能力が書いてあった。

 これは、それほど重要ではない。直接相対した護堂は相手の外見を知っているし、呪術を扱うことは簡単に予想できる。そこに牛頭人身の神獣を使役するということは重視すべき点として加えるべきだろう。

「蘆屋道満が関与したと思われる事件……」

 正体不明の呪術師による事件の資料が、その次に上がっていた。それも、江戸時代の事件から書かれているので、それなりの厚さになっている。神獣を呼び出していたり、犯罪者に力を貸していたり、神社を襲撃したりと、昔から事件を引き起こしていたらしい。

「めんどくさいお爺さんなんですね」

 晶がポツリと漏らした。

「ここに書いてあるのが、全部道満がしたことではないんだろう?」

「そうですね。道満様がしたと思われる未解決の事件を挙げているだけのようです。詳細も書かれていませんし」

「千年も隠れてきた相手だからねー。資料の体裁を整えるだけの情報がないってこともあるんだと思うよ」

 正史編纂委員会とその前身に当たる組織が、謎の老人とトラブルを抱えていた事実が認められただけでも収穫だ。

 資料には、古いものでは戦国時代に京の陰陽師との間に諍いを起こしており、元禄期には活発に活動していたことも記されている。

 そして、ここ半世紀に渡っての活動記録。

 全国各地の寺社仏閣を中心に、広く活動している。

「中国地方が多いみたいだな」

 それでも、よく見ると事件現場は、中国地方に多く見られた。

「委員会では、道満様が中国地方を中心に活動されていると考えて捜査に当たっているようですよ」

「ふうん……」

 護堂は事件名とその概要が書かれているページに目を通す。

 京都八幡山神獣召喚事件に伊勢内宮神域侵犯事件。直近では出雲媛巫女集団失踪事件。五年ほど前の大事件だ。

 護堂は、媛巫女が身近ということもあって興味を引かれ、その項に目を通した。

 事件のあらましは、こうだ。五年前の正月。出雲大社とその近隣の社寺に奉仕する媛巫女とその見習いたちが、突如として姿を消した。行方不明者は三十五人に上り、西の霊地を管理する媛巫女の消失は地脈を不安定にするなどの一時的な混乱を引き起こした。

 正史編纂委員会は、大規模な捜索隊を組織し、捜索活動に当たった。媛巫女は神祖の血を継ぐ特殊な存在。その存在は国家機密に当たり、外国へ連れ去れてた場合被るダメージは計り知れない。

 そういった事情もあって、出雲を中心に捜査が行われた結果、三十五人中三十人が無事、保護された。発見された地域が異なっており、なぜそこに移動したのか、自分たちがどのような状況に置かれているのかなど、まったく理解できていない様子で、彼女たちは狐に包まれたようだったと捜索に当たった呪術者の証言が残されている。

 五名はそのまま発見されず、行方不明のまま現在に至る。

 三十五人が一斉に消えたことから強力な呪術師による犯行と判断されたものの、目ぼしい犯人像は浮かんでくることはなかった。

「なるほど、それがここにきて現れた蘆屋道満によるものかもしれないという予測か」

「大きな事件で、話題にもなったんだけど、解決しなかったんだよ。あの蘆屋道満の仕業なら、仕方がないかもしれないね」

 恵那が、そんなことを言う。

 明確な証拠はない。しかし、そのようなことを可能にするのは人間業では不可能だ。よって、それが可能となる人外の呪術師ということで道満の犯行ではないかと疑われているわけだ。

 それから、護堂はページを捲る。

 そこには捜索対象となった三十五人の媛巫女たちの写真と名前が掲載されていた。

 曾我みのり。蘇峰美琴。多井中昴。高遠光。高橋晶。高殿由紀子……

「ん?」

 思わず、護堂は二度見した。

 だが、それで記載内容が変わるはずもない。

「おい、晶。名前が載ってるじゃないか!」

「ああ、はい。わたし、これの被害者です」

「いや、被害者ですって……なんで今まで言わなかったんだよ」

 あっさりとした口調に護堂は驚いた自分が馬鹿みたいに思えて、冷静になった。

「だって、蘆屋道満が関わってるって聞いてませんでしたし。わたしたちの間では、神隠しに会ったんだってことで決着させましたから……」

 晶はそこまで大きな事件だと思っていなかったという。当事者である彼女は、そのときのことを何一つ覚えておらず、気が付いたら一週間が経過しており、かつ知らない場所にいて、突然、正史編纂委員会の呪術師に保護されたというのだ。

「まあ、わたしとしてはお正月が無くなっていい迷惑って感じでした」

「それで、何とも無かったのか?」

「はい。健康診断とか受けましたけど、何も見つかっていません。ほかの娘もそうですよ。何があったか、分かってないんです」

「そうなのか。まあ、何にせよ、無事だったのならいいんだけど」

 この件は、その手段から目的に至るまでが不明であり、犯人は目星がついているものの、推論の域を出ておらず、迷宮入りとなった。このファイルにある資料のすべてが未解決で放置されているものなのである。

 それだけ、蘆屋道満の実力があるということなのだろう。

「敵がいながら、はっきりとその正体も潜伏先も目的も分からないというのは、気味が悪いな」

 護堂はファイルを閉じて、テーブルの上に置いた。

 窓から西日が差し込んでくる。

 日が暮れ始めた。

 なんとなく、外を眺めてみる。ビル群の窓ガラスに反射する太陽光が眩しい。

 陽光の逆方向。東の空から、群青色が押し寄せてくる。ゆっくりと沈む夕日を眺めているとき、不意に身体に変化が訪れた。

「ッ……!」

「草薙さん!」

 護堂の身体に闘志が漲り、祐理が色を失って叫んだ。

 そして、ビルを守る結界をあっさりと貫いて、応接間に闇色の羽が押し寄せた。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

「久しいな。草薙護堂」

 ガラス壁を粉微塵に砕き、応接間に侵入したのは、ニット帽を被った少女。帽子に隠れた髪は銀色で、艶やかにも関わらず、なぜか蛇を想像してしまう。そして、吸い込まれそうな闇色の瞳は、なぜか猛禽を思わせる。

「登場が派手すぎんぞ、アテナ」

 無残にも破壊され、飛び散った窓ガラスの破片が室内に散乱しており足の踏み場もないといった状況だ。護堂はアテナを視界に入れながらも、三人の仲間の安否を確認する。

 幸いなことに、その時にはすでに、恵那と晶が祐理を守りながら部屋の隅にまで移動していた。アテナの突入に、祐理は声を出すことしかできなかったのだが、恵那と晶は言葉よりも先に身体が動いたと見える。さすがの反応速度である。

「用件を聞こうか」

「愚昧な。女神たる妾が神殺したるあなたの前にいる。その意味が分からぬほど耄碌してはいるまい」

 ジリ、と肌を焼くような戦意がアテナから溢れている。

 静かな闘志を漲らせ、彼女は護堂の前に現れたのだ。

「グィネヴィアから聞いたぞ。あんた、聖杯に命を吸われてるんだってな」

 アテナが、眉尻を上げた。表情こそ変わらないものの、不快感を覚えているのは確かなようだ。

「ふん。あの忌々しい婢女と接触したか」

「あんたを倒してくれってさ。こっちとしちゃいい迷惑だ。戦うつもりなんてないってのに」

「妾と戦うつもりはないと?」

「ねえよ。それに理由もない。大体、自分の故郷で戦争なんてしたくないだろ」

「なるほど、一理ある。確かに、己が国を荒らされるのは心外よ」

 そして、アテナは薄らと笑む。

「なればこそ、理由を作るのは容易ということだ」

「ッ……」

 アテナの小さな身体から、強大な呪力が吹き出してきた。大地と闇の権能。それだけに留まらず、一瞬にして辺りは闇に包まれた。室内の電灯が消える。続いてビル全体が停電し、外部にまで影響は広がっていく。

「お、まえッ」

「汚らしい光を消しただけだ。何を怒る? 人のあるべき姿に戻しただけよ。だが、それでも、あなたが戦うには十分な理由らしい」

 アテナは得意げに笑う。

 そんなアテナと対峙し、護堂は憤りながらも冷静に頭を働かせていた。

 アテナはとにかく護堂と戦いたい。しかし、護堂は東京で戦うことには否定的だ。本来の手はずでは正史編纂委員会がアテナを発見、然る後護堂がアテナの討伐に向かうという予定だった。都心での戦いを避け、被害が最小限に抑えられるような地勢での戦いにするようにしていたのだ。

 しかし、蓋を開けてみれば、アテナが逸早く護堂を見つけ、奇襲を仕掛けてきた。護堂は、知らぬ間にアテナの侵入を許していたのだ。

 そして、事ここに至っては戦わなければならない。

 アテナの闇は人命には影響しないが、人口の光をかき消す効果がある。停電のみならず、ガスを使って暖を取ることもできない。自動車も動かず、医療機関では手術もできない。文明に依拠した人間にとって、光を奪われることは生活そのものの崩壊に直結しかねない大問題だ。

 早急にアテナを排除する必要がある。だが、アテナをそのまま倒してしまうのも、好ましくない。

「仕方がないから、戦ってやる。けど、ここは人が多すぎる。お互い、こんなところじゃ満足に戦えないだろう」

「ほう、なれば如何とする」

「決まってるだろ。場所を変えるんだよ。わざわざここまで来てもらって悪いけどな」

 護堂の身体に紫電が弾ける。

「追いつけるものなら、追いついてみろ」

 そして、護堂は室内から姿を消した。

 後に残されたのはアテナだけ。護堂の傍に侍っていた媛巫女たちの姿もない。いつの間にか室内から退去していたらしい。その程度の瑣末事にアテナが意識を向けることはないので、気にもならない。

「ふむ」

 一人残されたアテナは、漆黒の瞳に炎を宿らせる。

「追いつけるものなら、な。よかろう。その挑戦を受けようではないか」

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

「アテナが草薙様と接触しました」

 グィネヴィアはアテナと護堂を遠方から監視していた。間違っても、『まつろわぬ神』とカンピオーネの戦いに巻き込まれないようにするためだ。いざとなれば、自身の守護者が身を挺して守ってくれるはずだが、それはグィネヴィアの切り札を曝すことになってしまう。そして、切り札というだけあって、そう乱発できるものでもない。

『ここまでは、思惑通りというわけだな』

 どこからともなく、声が聞こえてきた。凛とした声色は、涼やかで落ち着いている。男とも女とも付かない中性的な声だ。

 グィネヴィアの守護者であり、最源流の《鋼》の一柱。ランスロット・デュ・ラックだ。

「アテナの性格では、かつて煮え湯を飲まされた草薙様との再戦を望むものと思いましたので」

『煮え湯、といえば剣の王もそうではないか』

 グィネヴィアとランスロットは、護堂とサルバトーレが起こした事件を知っている。

 カンピオーネと『まつろわぬ神』が二対二で決闘をしたという話は、呪術業界を大いに賑わせていた。情報を得るのは、それほど難しい作業ではなかった。

 もちろん、それ以前のサルバトーレとアテナの関係も含めて情報を得ている。

 そうした事前の情報収集の結果と照らし合わせて、アテナは護堂に挑むだろうと予測していた。ゆえに、グィネヴィアは首を振ってランスロットの意見を否定する。

「イタリアでの決闘の折、アテナはアイギスを草薙様に破られています。アイギスはアテナの代名詞。絶対防御の楯ですから、それを打ち破られた草薙様との決着を望むと考えるのが自然。しかも、ここは日本。草薙様に背を向けるようなことをあの女神ができるとは思えません」

『なるほど。そこまで考えていたか』

「叔父様も一緒に考えてくだされば、グィネヴィアの労力も減るのですが」

『それは無理な話だな。余は《鋼》。ただの一騎にて戦場を駆け抜ける一振りの剣ゆえにな』

 戦うことこそ《鋼》の誉れ。

 軍略も、戦術も戦に必要不可欠ながらそれは軍師の仕事であって剣の仕事ではない。己はただ敵を切り捨てるのみ。それこそが存在意義なのだ。だからこそ、余計な思考はしない。できない。する意義を感じない。ランスロットはそのように生まれつき、そのように生きることしかできない不器用な騎士なのだ。

 グィネヴィアも長い付き合いなので、その気性を知り尽くしていたが、未だに悩まされることが多い。

『アテナが移動を始めたな』

 グィネヴィアは、ランスロットの声を聞いて視線をアテナに向けた。無数のふくろうを飛ばして、移動している。

「草薙様が戦場を変えられたようですね」

 アテナはグィネヴィアに気付いているのか気付いていないのか、まったくこちらに頓着せず、去って行く。おそらくはその先に護堂がいるのだろう。

「しばらくは様子見に徹します。叔父様。もしかしたら、叔父様に頼らなくてはならないこともあるかもしれません」

『承知した。ふふふ。ギリシャの戦女神に、若き神殺し。相手にとって不足はない』

 ランスロットは好戦的な笑みを兜の下に作る。グィネヴィアは、護堂が首尾よくアテナを倒してくれることを願いつつ、魔女の目を操った。


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