カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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七十二話

 草薙護堂がカンピオーネとなったのは、この年の春のことである。それから、まだ一年と経っていないので、自動車の運転免許で言えば未だに若葉マークを取り付けているということになるだろう。

 経験値も他のカンピオーネに比べればまだまだ少ない。

 常識的に考えれば、半人前以下の見習いとされても可笑しくはない状況ながら、その戦歴を見れば一流も顔負けの猛者となる。

 そもそもの経験値が意味を成さない『まつろわぬ神』は置いておくとしても、三世紀を生きるヴォバン侯爵や、彼と同じく最古のカンピオーネである羅濠教主と戦い打ち勝ったのは、単なる偶然ではない。

 どれほどの年数を積み重ね、鍛錬に明け暮れようとも、カンピオーネはそれらを意志で凌駕する。権能の数も経験も勝利を手に入れるための道具に過ぎず、歴戦の魔王であっても、絶対の勝利はありえない。

 つまり護堂は新人でありながらも、先達と対等に渡り合うだけの下地を初めから持っていたということになる。

 数世紀もの戦闘経験を覆す胆力と、カンピオーネとしての動物的直感。そして、第一の権能の恩恵である超直感が加われば、大抵の危機に対して迅速な行動を起こすことができる。まして、それが【知識】に該当する事柄ならばなおさらだ。

 

 護堂は、ランスロットが持つ聖剣の危険性を知識として知っている。

 だからこそ、そのエネルギー源である聖杯をアテナから切り離し、さらに聖杯の使い手であるグィネヴィアとの繋がりも断ち切った。その時点で、ランスロットはランスロットの力でしか護堂たちと対峙できず、アテナを味方に引き入れたことで二対一の状況を作り出すことに成功した。

 『まつろわぬ神』はカンピオーネに対して数的不利を覆す力を持つものだが、今回、この戦場にいるカンピオーネは護堂一人。ランスロットの能力は強化されず、数的不利を覆すことはできなかった。また、ランスロット自身も『真なる神』でも『まつろわぬ神』でもない中途半端な存在として顕現しているデメリットとして能力値が低くなっている。こうした事情もあって、護堂はランスロットの奥の手を打ち破り、アテナと共にその首兜を挙げる一歩手前まで行くことができたのだ。

 ここまでは、すべて予定通りだった。

 ほぼ、護堂が描いた絵図の通りに事態が推移したわけで、『まつろわぬ神』を相手にしてそこまで計画通りに事を進められたというのは、【知識】があったとはいえ奇跡に近い。

 

 百聞は一見に如かず、という言葉があるが、まさしくその通りだと護堂は思った。

 ランスロットが魔王殺しの聖剣の力を使った瞬間、護堂はこれまでになく死を感じた。生き残るために、全力で回避行動を取り、奇跡的に生き延びることができた。

 獲物を捕らえ損ねた白き極光は、浜離宮恩賜庭園に巨大なクレーターを生じさせていた。

 驚嘆すべきは、爆発も衝撃も無かったことだ。 

 大地を抉る一撃でありながら、実に静かであった。

 文字通り、ランスロットの聖剣は、攻撃範囲にあるすべてを消滅させたのだ。

 それは、まさしく浄化の光。

 爆発の熱と衝撃で破壊するのではなく、ただ消し去る。どう表現すればよいか分からなかったが、強いて言えば分解に近いかもしれない。

「こんなん食らったら一溜まりもないぞ……」

 氷のような汗が、護堂の背筋を滑り落ちて行った。

 威力が威力だ。カンピオーネの抵抗力で防げるものではないだろう。なにより、あの光はカンピオーネを殺すことに特化した権能だ。基本的な戦略は、回避に徹することだろう。

「今の一撃を生き延びたか。さすがにしぶといな草薙護堂」

「そう簡単に死んでたまるか。そっちは……」

 護堂は、そこで初めてアテナを見た。

 そして、目を見開いた。

 アテナは護堂のすぐ傍に倒れていた。気丈にも、上体を起こしていたが、左腕を失っている。

「食らったのか!」

「掠めただけよ。この程度、大した問題ではない」

「腕がなくなってるじゃねえか。馬鹿言ってんじゃねえ!」

 思わず、護堂は叫んだ。味方が負傷して戦力が落ちるとかそういうことを考えていたわけではなく、ただただアテナを案じてのことだった。敵に対しては容赦のない護堂でも、味方として戦っているのであれば、気を回す。

「妾のことを気にしている余裕はないぞ。次が来る」

「ええいッ。面倒だなッ!」 

 アテナの言うとおり、ランスロットは再び切先を天に振り上げている。

 護堂はアテナを抱えて土雷神の化身を発動した。この化身は地中を移動するために、心眼では捉えられないという利点がある。ランスロットが神速を見切る目を持っているのは確実なので、逃げようとするなら土雷神が最も相応しい化身だろう。

 とにかく、距離を取らねばならない。

 あの権能は、本気でまずい代物だった。攻撃範囲、威力共に尋常のものではない。浜離宮恩賜庭園の面積では、数回振るわれただけで壊滅することだろう。

 

 

 

 

 神速の権能は、戦場を変えるのも逃亡するのも自由自在で実に便利だ。

 雷の速さで移動すれば、数秒で東京都から出ることも可能だ。問題は、どこに陣を構えるかだが、人気のない土地を東京近辺で探すのは容易ではない。

 結局は、海に面した地から候補地を探すこととなった。

「山の向こうが明るくなったな……」

 護堂は東京方面の空を見る。アテナの神力が消えたことで、闇が消滅し人工の光が戻ったのだ。しかし、護堂たちがいるこの場所は、深夜の暗闇を正しく残している。闇を見通す透視能力がなければ一寸先も見えないことだろう。

 護堂が身を潜めるのに選んだのは、奥多摩の山奥だ。詳しい地名は分からない。人がいないという条件に合致するのは、山奥だろうという考えから我武者羅にこの地に飛び込んできたのである。大体の位置としては、山梨県との県境に当たるだろうか。どこかの山の頂上に腰を落ち着けている。

 人の手の入っていない、神聖な山の空気は、都会のそれと大きく異なっている。

 この壮大な自然は、なるほど畏怖を抱かせるに相応しい風格を持っている。

「まさか、またあなたに情けをかけられるとはな」

 ここに到着した時点で、アテナはひどく衰弱していた。

 今や身体を起こすことすらもできない状況だ。

 周りは木々に囲まれ、地面は湿っている。さすがに、少女の姿をしたアテナをそのまま横たえるのは、良心が痛むので、いろいろ考えた結果、護堂が膝枕をする形になっていた。

「別に情けをかけたわけじゃない。一緒に戦った仲間を見捨てたら寝覚めが悪いだろう」

「仲間だと? 卦体なことを言う。あなたは神殺しで妾は『まつろわぬ神』だぞ?」

「それがどうしたってんだよ。大体、カンピオーネ同士が仲間ってこともないし、神様同士が仲間ってこともないだろ。俺は他のカンピオーネと共闘したこともあれば、戦ったこともある。あなただって、ペルセウスと組んだし、今はランスロットと敵対している。だったら、神様とか神殺しとか、そんなことで分ける意味がないんじゃないか? 少なくとも、俺は同じ敵に一緒に挑んだヤツは仲間だと思ってるぞ」

「なるほどな……やはり、あなたは他の神殺しと少し違うところがあるようだな。いや、己の信ずるところを神にまで強要しようとするところは神殺しならではか」

 嫌な言い回しをするな、と護堂は苦笑した。

 何にせよ、弱りきったアテナでは凄んだところで脅威は感じない。ただの人間が相手であれば、この状態でも傅かせることは可能だろうが、カンピオーネには通じない。

「それで、回復しそうか?」

 護堂は尋ねた。

 アテナは戦力として数えておきたい。ランスロットがこちらに現れるまでに、回復して欲しい。

「いや、それは不可能だな」

 だが、そんな護堂の期待をアテナは自ら裏切った。

「どういうことだ?」

「あなたも察しが悪いな。あの聖杯が、敵の手中に落ちた時点で気付いても良かったのだがな。あの婢女め。再び妾と聖杯を繋ぎおった。妾の神力は、今、聖杯に削り取られているのだよ」

「な、何でそれを早く言わないんだよ!?」

 護堂は叫んだ。

 地母神を殺し、その呪力を根こそぎ奪い取る聖杯から逃れる方法は、アテナにはない。唯一、護堂の破魔の剣がそれを可能とするが、今は使い物にならない。

 護堂自身の権能を天叢雲剣に吸収させるのは、大きな負担になるのだ。連続使用は控えねばならない。斉天大聖のときに天叢雲剣にかかった負担は、しばらくの間、剣が使えなくなるほどのものだった。せめて、後一日は置いておきたいところである。

 無理をさせれば、今後の戦いに響く。しかし、ここでアテナを見捨てるわけには行かない。

 護堂の葛藤を読み取ったのか、アテナは笑みを浮かべた。

「蒙昧な。立てぬ兵は捨て置くのが、戦の道理。屍は踏み越えてゆくものぞ」

「まだ、死んでないだろう。縁起の悪いことを言うな」

「事実から目を背けるでない。妾は聖杯によって死に臨んでおる。それは否定できぬ。それに、二度も三度もあなたに借りを作るのは妾の矜持に反する」

 聖杯からの解放とこの逃亡で、二度、アテナは護堂に救われている。これ以上、護堂に情けをかけられるのは不愉快だというのだろう。

「だったら、このまま聖杯に食い潰されていいってのかよ」

「いい訳があるか。慮外者め。あの婢女と軍神には、相応の報いを与えねばならぬ」

 そう言って、アテナはゆっくりと上体を起こした。片腕を失いながら、それが彼女の美しさを損なうことに繋がらない。むしろ、その不完全性が、逆説的に完全性を齎しているかのような錯覚すらも覚える。

 アテナは、護堂の首に片腕を回し、身体を引きずりながら持ち上げようとする。

 護堂は、そんなアテナの腰に手を添えて、身体を支えてやる。

「今の妾には、軍神を打倒する力はもはや残っておらぬ。かといって聖杯に力をくれてやるのも癪に障る。あなたに妾の力を与えることで、意趣返しとすることとした。心して受け取るがいい」

 そして、アテナは護堂と唇を重ねた。

 護堂の中に、アテナの力が入り込んでくる。

 これは、権能なのだろうか。

「あの軍神の剣を破る術とあなたを庇護し、その前途を祝福(じゅそ)する力を授ける……ん……妾の名代として、軍神を討ち果たすのだ」

 ささめきながら、アテナは護堂の唇を求めた。

 自分の身体を呪力に変換し、護堂に流し込む。文字通り、命を分け与える所業である。己のすべてを捧げる行為に没頭する。互いに舌を絡め合い、唾液を啜る。アテナの小さな舌は蛇のように蠢き、護堂の口内を嬲るが、護堂も負けじと反撃する。それは、相手を屈服させんとする、ある種の闘争であった。口の端から唾液が溢れ出て、顎まで線を引く。

 アテナは、唇を離し、微笑んだ。

「妾の中の聖杯が、あの軍神を呼び寄せたようだ。そう時を置かずに現れるであろう」

 アテナの身体が透けていく。黄金色の呪力の粉を風に乗せ、その存在を薄めていく。

 それでも、アテナは笑顔だった。

「ふふふ。かような仕儀となったが、これはこれで面白い。未だかつて、アテナの加護を受けた神殺しはおらぬからな。妾が加護するに値する戦士として勇名を馳せるがいい」

 アテナは、その言葉を最後に世界から消えた。

「ああ、やってやるよ。やってやるさ」

 護堂は逝ったアテナに宣言するように呟いた。

 巨大な存在感を有していたアテナが消えたことで、世界はその分だけ広がったように思えた。

「このような仕儀になるとは思わなかった、か。それはこっちの台詞だっての」

 女神アテナとの付き合いは、それほど深いわけではない。

 触れ合った時間は、全部合わせても一日に届かないだろうし、その半分を敵として過ごしていた。それでも、ランスロットという強敵を前にして矛を揃えて戦ったからには仲間だと思えたし、その仲間の死に対して何も思わないわけにはいかなかった。

 護堂はキッと北の空を見る。

 白銀に輝く流れ星が、夜空を切り裂いて飛んでいるのが良く見えた。

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

「アテナは逝ったか」

 聞くまでもないことだろう。

 ランスロットは、グィネヴィアからアテナが消滅したことを伝えられていたはずである。聖杯を管理するグィネヴィアには、聖杯と繋がったアテナの死は手に取るように分かるからだ。

「ああ。自分の名代としてあんたを倒せってさ」

「ほう、それは恐ろしいな」

 恐怖した様子などない。

 ただ、護堂の会話に合わせているだけだ。

「あんた、なんで俺を追ってきた?」

 護堂は尋ねた。

 聖杯の回収はすでに終わっており、アテナは死を待つのみ。ランスロットは深手を負い、連戦に耐えられる身体ではないはずだ。合理的に考えるのであれば、ここで撤退し、体勢を立て直すべきだろう。

「ふ、今さらそれを余に尋ねるか」

「いや、忘れてくれ」

 満身創痍。跨る馬も、限界に近い。動けるのが奇跡と言えるだろう。それなのにわざわざ護堂を追ってきた。《鋼》の性がより強くなっている。中途半端な神から、『まつろわぬ神』へ、変貌しようとしているのだ。

 だからこそ、護堂に逃げられたままにしておけなかったのだ。ランスロットは、戦いを求める心のままに、護堂に勝負を挑むつもりでいる。

「実を言うと、卿との戦いを愛し子は快く思っていないのだ。だがな、せっかくの聖剣をただの一振りだけで終いにしてしまうのも心苦しい。勝敗を明確にせねば、必勝の剣の威光も霞むだろう」

 護堂と聖剣のどちらが強いのか。それをはっきりさせたい。強弱を明確化し、曖昧なまま勝負を終えたくないというのが、この軍神のポリシーということだろう。

「故に、余は卿に一撃をくれてやろうと思うのだ。この一撃を卿が凌げば、余は身を引き、次ぎの機会を待とう。余に主の剣を使いこなす力がなかったというだけのことだからな」

 ランスロットは、白銀の刃を振りかざす。

 槍の神に合わせて聖剣の刃を槍の穂先としたものだが、威力も効果もオリジナルと寸分と違わない。さすがに、最強の《鋼》に随従しただけのことはある。

 他人の権能を、《鋼》という共通項だけで再現するのはさすがにやり過ぎな気もするが、現実に起きている事実は如何ともし難い。

「いいぜ」

 護堂はランスロットの挑戦を受ける。

「あんたに次があればな」

「む」

 ランスロットに正面から対峙する護堂は、夜の闇のような漆黒の刀身を持つ太刀を構えた。

 天地を斬り裂くランスロットの剣に対し、護堂の剣は天地開闢。始まりの闇を表すもの。アテナが神剣を解析し、己の知恵と命で再現した創世の剣だ。

 地母神が命を賭して生み出した権能。その在り方は、聖杯にも酷似している。

「アテナが残した一撃だ。覚悟しやがれ!」

「女神から加護を賜ったか。やはり、卿は侮れんな!」

 心底愉快そうに、ランスロットは笑う。

 強敵と認識されたのだろうか。護堂にはどうでもいいことだった。

 護堂とランスロットは、同時に剣の力を解放した。

 護堂の太刀からは、漆黒の闇が巨大な球となって現れた。局所的なブラックホールを生み出し、万物を吸収しようとする。その闇に、ランスロットの白が喰らいかかる。膨大な白のエネルギーが、護堂の黒を塗りつぶそうとする。

「ぐ、く、なろッ」

 護堂はありったけの呪力を剣に込める。

 ランスロットの力に負けないように、全力で力を振り絞った。

『何をしておる、草薙護堂。力の使い方が雑だぞ』

 脳裏に、有り得ない声が響いた。

 なんと、アテナの声なのだ。さすがに護堂は驚いた。

「な、どういうッ?」

『細かいことは後にせよ。今は、目の前のこと集中するのだ』

 アテナにそう言われたときには、護堂の身体は数メートルほども押し下げられていた。ランスロット自身の呪力は枯渇していても、聖杯のバックアップがあるために聖剣の力は衰えることを知らない。

 このままでは押し負ける。

 そのとき、脳裏に聖句が浮かんだ。

「瞳輝く女神の祝福よ。我を勝利に導き給え」

 言葉にした瞬間に、身体に力が溢れてきた。

 大地に接する両足から、呪力が流れ込んできているのだ。

『ヘラクレス、ベレロポーン、ペルセウス、オデュッセウスにアキレウス……妾は戦う者を守護し、英雄へと導く神。あなたに勝利への道筋を示そうぞ』

 アテナから得た権能を使ったときから、身体中の怪我が消えてなくなった。信じられないほどに集中力が増しており、身体の内側から力が湧き出てくる。護堂はかつてないほどに絶好調だった。

『力を分散してはならぬ。剣は剣として使え。研ぎ澄まされた刃のように、斬り裂くのだ』

 護堂は頷いて、重力球に呪力を注ぐ。

 重力球は、太刀の姿に形を変えた。四方八方に伸ばしていた重力の手がなくなったことで、山から削り取られ、宙を彷徨っていた無数の瓦礫が地面に落ちた。刃の部分だけに重力を集中する。

「なんだと、これは!?」

 ランスロットが驚愕する。

 魔王殲滅の光が、左右に分かれてあらぬ方向に向かっていく。その中央を、斬り裂いて進む漆黒の刃。

「いっけエエエエエエ!!」

 そして、護堂はついに巨大な刃を振り下ろした。

 大地が裂け、刃に触れたところは容赦なく闇に吸い込まれていく。白き極光は、消滅し、世界は再び闇に閉ざされた。

 後に残されたのは、三角柱を横に倒したような形の異様な断層だけである。

「なんと、恐ろしい剣よ。今の余では分が悪いか」

「しぶといな。倒したかと思ったんだけどよ」

「うむ、余も身を翻すのが僅かでも遅れれば死んでいただろう。ふふふ、あの捻くれ者を相手にしていては味わうことの出来ない胸躍る一撃であった。さて、余は見ての通り満身創痍。卿もまた限界が近いようだ。無念であるが、決着はまたの機会に譲るしかないようだな」

 そう言うとランスロットの姿が薄れていった。身体を霧に変え、世界に溶けて消える。

「器用なヤツだ」

 ランスロットが消え、奥多摩の山奥に取り残された護堂。一番近い人里までどれくらいあるのだろうか。切り立った山に、縦横無尽に蔓延った木々と雑草。秋とはいえ、歩きにくさに変わりはない。とはいえ、帰宅手段に関しては心配する必要はない。権能を使えばすぐに帰ることができる。それに、迎えに来てもらうよりも、神速で移動したほうが早い。

 そう思って、土雷神の化身を使おうとしたそのときだった。

 全身が鉄になってしまったかのように重い。倦怠感が押し寄せてきて、崩れ落ちるように倒れた。

「な、んだ?」

 柔らかい落ち葉の上にうつ伏せになりながら、護堂は呻いた。

『無理が祟ったのだ。妾の加護を、後先考えずに使うからそうなる』

「最初に言え……」

『教授するのはケイローンの役目よ。妾は道を示すのみ。進むのはあなた自身よ』

「ほんとに人任せかよ」

『妾もしばし眠ろう。そろそろ権能の効果が消える頃合だ』

 それ以来、アテナの声はぱったりと聞こえなくなった。

 アテナの加護。新たな権能と言えばいいのか。今までの権能とは毛色が違う特殊なもののようだ。ともあれ、敵は撃退した。今は休息が必要だ。

 護堂は睡魔に任せて、深い眠りに就いた。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 

 グィネヴィアの機嫌はよろしくなかった。

 ランスロットが、必要もないのにカンピオーネを追いかけて行った挙句、敗北に近い引き分けという結果に終わったからだ。

 アテナが死に、聖杯が手元に戻ってきた時点で深追いする必要はまったくなかった。

 ランスロットが《鋼》の軍神である、と長い付き合いだから重々理解しているが、それでも戦いを求めてさすらう性に振り回されるのは良い気分ではない。特に、捜し求めた主が眠るであろう極東の島国では、細心の注意を払った行動が必要となるのだから、ランスロットには万全の状態を維持してもらいたいのだ。

 重傷と言っても過言ではない身体で、カンピオーネと雌雄を決しようとするなど、正気の沙汰ではない。

「ははは、まあ、そう言うな。愛し子よ」

 グィネヴィアが多少強く物を言ったところで、この軍神は意に介さない。

 それに、グィネヴィアもランスロットにお願いすることはできるが、命令することはできない。そもそも、神祖と軍神では明らかに軍神のほうが格上だ。それを、ランスロットの善意から『まつろわぬ神』でも『真なる神』でもない中途半端な状態にしてグィネヴィアを守る術をかけさせてもらっているのだ。

 その術も、そろそろ効き目がなくなってきた頃合だ。かけなおすことはできず、あと数ヶ月もすれば、ランスロットは『まつろわぬ神』となるだろう。そうなれば、この関係も終わりだ。護堂の他、アレクサンドルまで敵に回したグィネヴィアは、単体で身を守る術がない。だからこそ、確実性を求めているのだ。一度主が舞い戻れば、護堂もアレクサンドルも物の数にも入らない。魔王殺しの《鋼》がこの世に顕現するか否かが、グィネヴィアの今後を左右する。

「しかしな、愛し子よ」

「なんでしょう?」

「いや、そなたも苦戦を強いられたようではないか。草薙護堂の配下はそれほどのものであったか?」

 グィネヴィアは、問われて沈黙する。

 神祖たるグィネヴィアにとっては、自分たちの遠い末に当たる媛巫女に後れを取ったことが恥辱以外の何物でもない。それを指摘されたので、言葉を失ったのだ。

「少し油断しただけです」

 プイ、と他所を向く。

 次に戦えば、問題なく勝利できる。確かに、神憑りの巫女は予想以上に強力だった。呪力を用いない銃火器を使われたことも想定外。だが、そのどちらも次に戦えば対処は可能なものでしかない。

「そなたが気にかけていたあの巫女はどうであった?」

「あの娘ですか。そうですね――――憐れな娘です。あの様子を見るに、己のことを何も知らないのでしょう。グィネヴィアは、あの娘を直に見て、理解しました。あれは、この世にあってはならない者です」

「ふむ。それほどか」

「はい。あれは、我ら《蛇》を愚弄する存在。あの娘に罪はなくとも、その在り方には眉を顰めますわ」

 グィネヴィアは憐憫と不満が入り混じった複雑な心境を吐露し、

「ええ、本当に。あそこまで色濃い反魂香。誰の仕業かわかりませんけれど、あれは、間違いなく神の領域を侵す大罪ですわ」

 そう吐き捨てた。


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