アレクサンドル・ガスコイン。
コーンウォールで育った彼は、カンピオーネとなる前から魔術を齧っていた。決して育ちがいいというわけではなく、その魔術知識も、手品の代用になる程度でしかなかった。
彼に魔術を教えたのは、アマチュアオカルト研究家の父である。
研究にのめりこむあまり、母は父を見限り家を出て行った。
そういった複雑な家庭事情が、屈折した人格を形成した、という評価はアレクサンドルの機嫌を損ねるだけだろう。彼は、その日々に退屈していても、否定的に振り返ることはないのだから。
アレクサンドルが神殺しを成功させたのは十六歳のときだ。
瀕死の父が残した暗号を巡る冒険。古の修道士が、カンピオーネを生み出すために設計し、作りそこなった迷宮。数多の罠を潜り抜け、最奥部で待ち構えていた堕天使レミエルを討ち果たしたことで、彼は歴史の裏に名を刻みつけた。
カンピオーネとなって以降、欧州を中心にあらゆるトラブルを引き起こし、巻き込まれてきた。
その原因となっているのが、興味本位に事件に首を突っ込む腰の軽さと、知的好奇心を満たすために手段を選ばない強引さである。
弱き者、市井の一般人を相手にするときは、相応の対価を支払ったりもするが、対象となるのが魔術関係者の所有物であったりしたときには、神速の権能を以てアイテムを強奪していくというネズミ小僧のような所業を繰り返している。
そんなアレクサンドルの研究テーマは、現在凡そ定まっている。
『
奇しくもそれは、父が生涯を賭けて追い求めた研究テーマと同一のものだった。
そして、アレクサンドルは少なくとも父以上に真実に近づいている。そういう確信があった。何せ、本物の聖杯をこの目で見ているのだ。その所有者とは聖杯のみならず、その他様々な場面で熾烈な戦いを繰り広げてきた。
アレクサンドルの部下や知り合いの中には、その戦いの中で命を失った者も少なくない。
聖杯の謎を解き明かすこと、そして長年の因縁にけりをつけること。この内、後者を優先的に片付けるべきであるとアレクサンドルは考えている。
神祖グィネヴィアが聖杯を抱え込んでいる以上は、彼女をどうにかしなくては聖杯の謎は解き明かせない。
仲間の仇を取る、というような高尚で酔狂なことを言うつもりはないが、そろそろ決着の時を迎えてもおかしくないまでに、互いの関係は悪化している。
拠点と定めたのは日本の中華街にあるマンションの一室で、イスに座ったアレクサンドルは手の中で鉛筆大の棒を玩ぶ。
日本のとある海岸に封印されていた国生みの伝説を持つ神具である。
天之逆鉾と呼ばれる物で、その伝説は海洋民族系の伝説の特徴を多分に含んでいる。
日本のカンピオーネがランスロットと戦っている間に、管理を委託されていた凄腕の呪術師から盗んできた物で、要するに盗品である。
神具の使用には様々な条件が必要だ。
場合によっては、使用者が使いこなせず死んでしまうこともある。しかし、カンピオーネであるアレクサンドルはただの人間よりも神具からのフィードバックには強い。さらに、この神具は人間であっても条件さえ整えれば使用可能という良心的な代物である。
「奇妙と言えば奇妙だがな……」
神具の使用条件は《蛇》の神格を有すること。
アレクサンドルはその使用条件を満たすために、わざわざロサンゼルスに渡り、天使の骸や竜骨と呼ばれ信仰を集める神の亡骸を入手したのだ。
地母神の亡骸は、その神が持っていた水と大地の神気を帯びている。
これに、天之逆鉾が反応して一メートル台の棹状に変わるのだ。こうして初めて使えるようになるのだが、
「あの娘、一体何者だ?」
地母神の神気でなければ反応しないはずの天之逆鉾が、人間の少女に反応したのをアレクサンドルは盗み見ていた。
性別は関係ない。それは、その場にいた他の少女たちも触れていたから分かる。アレクサンドルが行った実験でも、竜骨にしか反応を示していない。
「つまり、あの娘が竜骨の類を所持していたというのが妥当な推測なのだろうがな」
日本の呪術組織の中でも権威を有する媛巫女という一団。いや、肩書きか。その役回りはシャーマンであり、腐れ縁の女性と同じ神祖を祖とする血筋の少女たちである。
そして、カンピオーネの傍にいるのだから、それなりの物品を所持していても不思議ではない。
しばらく黙考して、
「まあ、あの娘が神祖だ、などというよりは説得力のある推論だな」
興味深い事例ではあるが、今はそれどころではない。
グィネヴィアを叩き潰し、後顧の憂いなく聖杯を探求する。そのために、策を練っている真っ最中である。余計な思索をするべきではない。
何れにせよ、ネックとなるのは草薙護堂の存在か。
できることなら接触は控えたいところだが、
護堂の行動を精査すれば、どれほど易々と面倒事に首を突っ込む性質か分かってしまう。
「気が乗らんが、一言言っておくべきだろうな」
アテナとまで共闘してみせた胡散臭い協調性に期待して、アレクサンドルはイスから立ち上がった。
■ □ ■ □
万里谷祐理は、日本はおろか世界レベルで高い資質を持つ巫女の一人である。
一般的に霊視の的中率は十パーセントほどという世界で、彼女は六十パーセント近い的中率を誇っている。儀式を行わなくとも、精神を研ぎ澄まし、神気に触れれば、神々の情報を幽界から引き出すことが可能となるのだ。その力で、草薙護堂の戦闘を陰ながらサポートしてきたというのは、今や呪術業界の誰もが知るところである。
護堂の名が注目を集めるごとに、その周辺人物への注目度も高まっていく。
祐理は本人の知らぬ間に、呪術業界の時の人となっていたのである。
とはいえ、祐理はそういった周囲の視線には基本的に無頓着である。彼女にとっては、当たり前のことを当たり前に積み上げてきただけのことであり、それがどれほど重要であるのかということを理解していない。いや、理解はしているが、それが評価されることだとは思っていない、というほうが正しいか。
なにせ、万里谷祐理という少女は、あまりに我欲に乏しいのだ。
自分ではなく相手を立てるという点に特化したような性格は、とにかく自分への評価を相手へのそれと同一視してしまう。
自分が注目されたとしても、それは護堂や晶の活躍あってこそで、自分の価値が高まっているとは夢にも思わない。
それは、祐理が周囲との摩擦をそれほど経験していないことも大きい。
優れた容姿、高い能力、媛巫女を輩出する旧華族の家柄と、祐理が生まれながらに持っているものだけでも大抵の相手は尻込みするだろう。さらに、非の打ち所のない真面目で大人しい性格は、他者と争う原因そのものを打ち消してしまう。
祐理に突っかかることは自分の負けを認めるようなものなので、多少意地の悪い女子でも彼女だけは敵に回したりはしないのだ。
これだけを並べ立てると、まるで祐理が箱入のお嬢様のように思えるが、そのような深窓の令嬢では持ち得ない強い芯を彼女は持っている。
ヴォバン侯爵に誘拐されたのは、若干十一歳の頃である。
小学校の高学年くらいか。その年代の少女が、死を自覚して他者を思いやる行動を取った。それは、祐理の天性の才能と言っても過言ではない。
祐理は、自分よりも相手を優先する気質である。
それは生命の危機という極限の状況であっても変わらず彼女の根幹にあり続けた。
祐理は自室のベッドに腰掛けてため息をついた。
すぐに我に返り、はしたないと自分を戒める。
ここ最近、こうしてため息をついては反省する機会が増えた。人と一緒にいるときなどは、そうでもないのだが、こうして一人になると自然とため息が出てしまう。
向かいの壁際に置いてある姿見に映る自分の顔は、薄らと憂いを帯びているように見える。他人事のようにそう感じたのは、既に思考が纏まっていないからだろうか。
「どうかしたの、お姉ちゃん」
「ひやッ!?」
祐理は飛び上がらんばかりに驚いた。
「な、ひかり!? いつの間に!?」
「ノックしたのに返事がないから寝てるのかなと思って」
「だからって勝手に入っちゃダメでしょう」
祐理は悪戯をした妹に諭すような口調で語りかける。とはいえ、ひかりの呼びかけに気付かなかったのだから非は祐理にもある。
「あはは、ごめーん」
両手を合わせて、ペロっと舌を出す。まるで誠意の感じられない謝罪だ。またしても祐理はため息をつきそうになった。
「それで、何を一人で黄昏れてたの?」
「別に黄昏れてはいないのだけど……」
できれば誤用である『黄昏れる』ではなく『物思いに耽る』という言い方にして欲しい、という言葉を祐理は呑み込んだ。あまり、細かく指摘するのもよくはないだろう。
「んんー、うっそだー。最近、ちょくちょくため息ついているく・せ・に」
妙なリズムに乗せて、ひかりは祐理に人差し指を突きつけた。行儀が悪い。ニヤニヤとしているひかりの表情によくないものを感じた祐理は、のけぞるように身を引いた。
「み、見てたの?」
「気付かれてないと思ってたの? お母さんも知っているよ。お父さんくらいじゃないのかな、知らないの」
男の人だからねー、などと父のことを言うひかり。
「まあ、お母さんはしばらく様子見って感じだけどね。あんまりウジウジしていると何か言ってくるかもしれないけど」
ウジウジ? 祐理は脳裏に「?」マークを浮かべながら、家族に心配をかけたことを申し訳なく思っていた。
「それで、お姉ちゃん。お兄さまとはどうなったの?」
「は?」
祐理は、思わず硬直した。
ひかりが言う「お兄さま」とは、草薙護堂のことだ。
斉天大聖と戦ったときから、ひかりは護堂とはほとんど会っていない。懐いていたこともあるし、何よりもカンピオーネであるから、彼の近況を知りたいと思うのは不思議ではないが、どうなったとは――――。
「どう、というと?」
質問の意味が理解できず、祐理は問い返した。
「そりゃ、デートとかさ、キスとかだよ」
「なぁ!?」
祐理は自分の頬が急速に赤くなっていくのが手に取るように分かってしまった。
「そ、そういうはしたないことを軽々に言ってはいけません」
「またまたー。お姉ちゃんってば、今さら。日光のときにだってしたんでしょ。恵那姉さまが言ってたよ」
「あ、そ、それは止むに止まれぬ事情があったから……それに、そんなことを聞いてどうするの?」
「その言い方はちょっとずるいと思うけど」
と、ひかりは困ったように頬をかく。
言外にあなたには関係ないでしょ、と言われたようなものだからだ。
「お姉ちゃんがお兄さまに侍るようになれば、家も関わらずにはいられなくなるって理由じゃダメなの」
結構切実だと思うけどな、といかにもな理由を告げる。
実際のところ、祐理が護堂と関係を持つことで万里谷家の家勢は目に見えてというほどではないものの上昇傾向にある。大人の事情というものが横たわっているのであるが、ひかりはそこまで考えて言っているわけではなかった。ただ、真面目な姉には一見もっともらしい理由を述べたほうが、「ただ気になったから」、といったような感情的な理由よりも効果的だと経験から知っていただけである。
「侍るだなんて、わたしと草薙さんはそんなんじゃ……」
「恵那姉さまや晶姉さまもいるし。ねえ、お姉ちゃん」
ぐぬ、と祐理は言葉に詰まる。
それが答え、とひかりは笑みを深くした。
姉のことが大好きなひかりだ。その姉がいわゆる「恋の病」を患っているのは、一目で分かった。未だ小学生の身であるが、姉と似て情緒面での発達は早いようだ。さらに言えば、物怖じしない分だけ姉以上に行動が速く、物事の機微に聡い。
だが、如何せん子どもでもある。
姉を応援する<からかうとなってしまうのも仕方ないことではあるのだろう。祐理にとっては甚だ迷惑ではあるが、真面目で融通の利かない姉を知る妹が起こした出来心である。
「と、とにかく、こういう話はひかりにはまだ早すぎるわ。この話はここでお終い」
「えー、まだ何も聞いてないのにー」
「わ、わたしはこれから出掛けるから。準備するから出ていって」
畳み掛ける祐理に、抗しきれずひかりは不服そうな顔をしながら部屋を出て行った。
――――疲れた。
ひかりはまるで小さな台風のようで、祐理は吹き飛ばされないように踏ん張るしかなかった。好奇心旺盛な妹が出て行ってから、室内がシン、と静まり返ったようになったのがいい証拠である。
しかしながら、小学生の妹に内心の悩みを突かれたのは衝撃的ではあった。それを知ってからかおうとしてくる心根には感心しないが、祐理が抱いているのは、まさにひかりの言ったとおりの悩みである。
草薙護堂。
祐理がプライベートで関わる唯一の異性。祐理が意識する、ただ一人の男性の名。
カンピオーネ――――祐理にとっては恐怖の代名詞であったそれが、今ではまったく意味合いを変えてしまっている。
祐理は桜色の形の良い唇を指でなぞる。
確かに、キスをした。
祐理が言ったとおり、止むに止まれぬ事情があったことは否めない。しかし、唇を重ねた事実に変わりはない。
思い出すだけで、心臓がはちきれんばかりに脈を打つ。
そして、ひかりが指摘したように、護堂の周囲には晶や恵那といった彼への好意を隠そうともしない少女たちがいる。
もしも、護堂が誰か一人を選ぶようなことがあったら、そこに自分の席はあるのだろうか。
確実にあると言い切れる自信はない。むしろ、晶や恵那のほうが選ばれる確率は高いのではないか。
そう思うと、胸が苦しくなる。
自分と他人を比べたことのない祐理にとって、それは初めての感情だった。
人に比べて、自分は劣っているのではないか。
祐理自身が持つ、小さなコンプレックスが、異様に目に付くようになる。運動ができないことや、髪が茶色みがかっていることすらも、マイナス要因になるのではないかと思うと恐ろしい。
唐突に不安と焦燥に駆られることがある。
要するに、これは嫉妬なのだろう。
理解しているが故に、自己嫌悪に陥る。
はしたない、いやらしい、不健全。
恵那のように、明け透けになれない。
晶のように、無邪気になれない。
思い悩んで、さらに内向きになる。
この日、何度目かのため息をつく。
このままではいけない、とにかく外に出よう。ひかりに言ったとおりにしなければ、また後で何か言われてしまうに違いない。
手早く身支度を整えて、祐理は自宅を後にした。
□ ■ □ ■
護堂は散策がてら上野駅までやって来ていた。
静花の誕生日が近いこともあり、プレゼントを買わなくてはと思い立ったこともある。
原作でも静花の誕生日プレゼントを買っていた。
あそこでは明日香が一緒にいて、ランスロットに呪縛されることとなっていたが、その点を護堂は弁えていた。
アレクサンドルと戦う理由がない以上、ランスロットの策に乗る必要はない。
そして、ランスロットはどうあれ、静花の機嫌を取っておかなくては、今後の家庭内での地位が危うくなるという切実な事情が護堂にはあるのだ。
プレゼントを渡さないという選択肢は存在しない。
ついでに、手作りのバースデーカードなどは護堂の芸術センスの欠如以前に、実用主義の静花の気質を思えば当然に除外される。やはり、既製品に活路を求めるしかない。
子どもっぽくなく、日常的に使え、そして中学生活のみならず高校、大学での使用にも耐えうるデザインの何か。
中学三年生ともなると、自意識がかなり強くなってくる頃であり、他人との違いをとりわけ意識する年代と言える。
そういった静花の精神性を考慮しなければならず、選択を誤ればプリプリと怒らせてしまうのは火を見るよりも明らかである。
「ううーむ……どうしたものか」
頭の中で幾通りかの候補を挙げてみるものの、なかなかこれというものがない。
商店街なりデパートなりをうろついていれば、そのうちこれはというものに出会えるだろうと期待して上野駅まで来たわけだ。
ちょっと距離があるが、新宿まで出張ってみるのもいいかもしれない。
「あん?」
道行く人を眺めていると、そこに見知った顔を見つけた。
近づいていって声をかける。
「珍しいな、万里谷。こんなところで」
「ひゃうッ」
祐理は小さな悲鳴を上げて振り向いた。
「あ、く、草薙さん。なぜ、ここに」
「ちょっと買い物に。近くで一番大きい駅がここだからな」
場合によっては、上野から電車で出かけることも考えていた矢先である。
「なんかあったのか?」
「え、いえ。特には……」
祐理は髪を触ったり、視線を彷徨わせたりと落ち着きがない。
常とは異なる反応をいぶかしんで尋ねたのだが、本人が何もないというのであれば、踏み込むまい。
「ああ、そうだ。万里谷に聞きたいことがあるんだけど、いいか?」
「聞きたいこと、ですか? ええ、わたしが答えられることでしたら」
「そうか。よかった。実は静花の誕生日が近くてな。何か実用的なものを贈ろうかと思ってさ」
「あら、そうなのですか。静花さんの誕生日プレゼントを」
「ああ。それで、どんなものを贈ればいいのか分からなくてさ。もう中三だし、子どもっぽいものは嫌だろうケド、かといってちゃらちゃらしたものはらしくないし」
「それで、実用的なものにしようと思われたのですね」
護堂は頷いた。
「ええ、それがいいと思います。普段から使う物であれば、ただ場所を取るということもありませんし」
「そうだよな。だとすると、カバンとかかな。いや、冬も近いしマフラーとかって手もあるか」
キーワードとしては、実用的であり、子どもっぽくなく、それでいて学生らしい落ち着いたもの。その中から静花の嗜好を十六年の人生経験から思い返し、合致するプレゼントを選ぶ。
そもそも静花は何が好きなのだろうか。
それが、思いつかない。中々に難解なミッションになりそうだ。
「あの、草薙さん」
悩んでいたところで、祐理がおずおずを話しかけてきた。
「もし、よろしければ、わたしもご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、でも」
「静花さんには、いつもお世話になっていますし、わたしからも何か差し上げたいと思いまして」
静花のほうが世話になっているようにも思うが、こういうことに気を使うのも祐理らしい。
「そうだな。万里谷さえよければ。ついでに相談に乗ってくれると助かる」
「はい。それは、もちろんです」
祐理は花が咲くような、朗らかな笑みを浮かべた。
とかく、女性の買い物は長いという。
護堂もそのようなイメージがあったのだが、幸いなことに祐理に関してはそういったことは当てはまらないようだった。
もっとも、彼女がショーウィンドウやらブティックやらをいくつも梯子するのは想像できないことで、半年ほどの交友関係ではあるが、祐理にそういった物欲がないことはよく分かっていた。
必要以上の買い物はしないというのは、男としては楽でいい。
静花へのプレゼントとして選んだのは、桃色のマフラーだった。
季節物としては妥当な線だろう。
ただマフラーを買うだけでは味気ないので、護堂と祐理は一緒に遅めの昼食を摂り、デパートをぐるりと一周して回った。
それだけでも、二時間はかかった。
「今日は付き合ってもらってすまなかったな」
「いえ、楽しかったですし。静花さん、喜んでくださるといいですね」
「ああ、そうだな」
日が暮れないうちに、護堂と祐理は引き上げることにした。
護堂は家が近いので問題はないにしても、祐理の家は、ここから多少離れている。呪術を使うことができるので、実はちょっとした暴漢くらいは一人で倒すのも不可能ではないが、だからといって万全というわけではない。暗くならないうちに家に帰るようにして欲しいというのは、護堂がそれだけ祐理を心配しているからである。
「そうだ、万里谷。今日のお礼」
護堂は小さな包みを祐理に渡した。
「え、いいんですか。いただいても」
「ああ、わざわざ付き合ってくれたわけだしね」
「あ、ありがとうございます。あの、開けてみても?」
護堂が頷いたのを見て、祐理は包みを開けた。
袋から出てきたのは、小さな熊のキーホルダーだった。
「それ、携帯ストラップ。確か、付けてなかったろ」
「はい、……可愛い。ありがとうございます。さっそく、付けて……あら」
祐理はストラップを付けようと携帯を探し、
「あ、今日持って出るのを忘れてしまいました」
「持ち歩かなかったら『携帯』じゃないじゃないか」
護堂はからからと笑った。
祐理は、ストラップを袋に戻し、カバンの中に入れた。
それから、二人で少しの間話をしてから別れた。
護堂の手には、妹へのプレゼントを入れた紙袋がある。後は、これを静花に気付かれないように部屋に持ち帰るだけで今日のミッションは達成される。
夕暮れの冷たい風を感じながら、護堂は家を目指した。
上野公園を横目に通りを歩き、商店街へ。
あと少しで家に帰るというところで、護堂は呼び止められた。
「あ、いたいた。護堂、どこ行ってたのよ」
「なんだ、明日香か。何してんだ」
幼馴染の徳永明日香だった。
彼女の家はすし屋を経営している。なかなか評判の良い店で、商店街の中でも繁盛しているほうだ。確か、グルメ雑誌にも取り上げられていたはずである。
「あんたを待ってたのよ。あ、勘違いしないでよね。待ってたのはあたしじゃないから」
「ん?」
「お客さんが来てるの。あんたを待ってるって。外国の背の高い男の人」
外国人。しかも護堂の知り合いとなると、真っ先に思い至るのはサルバトーレ・ドニだが。
「その人、もしかして黒髪か?」
あえて、それは選択肢から外した。
今、この状況下で最も護堂と接触するであろう人物。それはサルバトーレではなく、
「あ、そうそう。やっぱり知り合いだったんだ。今、うちの店で待っててもらってるから、すぐに来なさい」
明日香はそう言って、護堂を連れて行こうとする。
「いや、その必要はない」
その明日香を背後に立った長身の男が制止した。
すっきりとした顔立ちの男である。褐色の肌がより引き締まった印象を与える。髪もきちんと整っており、身だしなみに関して言えば、文句の付け所がない。
だが、その視線は実に挑戦的だ。まるで、こちらを値踏みするかのようではないか。
「わざわざ自己紹介をする必要はあるか?」
その男、アレクサンドル・ガスコインは、無愛想な表情で護堂に言った。