幸福な夢を見た。
出生の秘密を知らず、絶望を忘れ、一人の少女として、そして戦士として全力で駆け抜けたこの半年の夢だ。
出会いは劇的で、想いは純粋なまま育まれた。
共にいることが、喜びだった。
共に戦えることが、幸せだった。
いつの間にか、その姿を目で追うようになった。
いつの間にか、声を聞くことが楽しみになった。
体温を感じることができた日は、心が暖かくなった。
護堂がいて、静花がいて、祐理と恵那がいて、それから冬馬や馨もいて。学校では、普通の少女として生活し、戦いの場では戦士となって護堂の背を守った。
楽しかった。
想い出は、どこを切り取っても輝いて見える。
そう、それは黄金に輝く時間だった。
けれど、この身は紛い物で、魂は穢れていた。
乙女として恥ずべきことで、人として受け入れ難いこと。
あのままなら、すべてを諦めてしまえたのに。
幸福な日々を知ってしまったから、この苦しみはひたすらに大きくなった。
身体に力は入らない。
弛緩しきった肉体からは、確実に命が零れ落ちている。
冷たい外気が、そのまま晶の身体に吹き込んでくるようだ。
もう一度、触れたい。
もう一度、声を聞きたい。
もう一度、名前を呼んで欲しい。
「――――!」
もう誰もいない洞窟の中に、自分以外の声がする。
どこかで、聞いたような声だ。
「――――キラ!」
護堂によく似ている。
走馬灯が生み出した、幻聴。それにしては、はっきりとしている。
「晶!」
「せん……ぱい?」
ゆっくりと目を開くと、自分を見下ろしている護堂がいた。
どういうことだろう。
自分は、まだ夢を見ているのだろうか。
なんだろう。
とても、暖かい。
「しっかりしろ! 迎えに来たぞ!」
はっきりとした護堂の声は、弱りきった晶の胸に響いた。
こんなところまで、来てくれるなんて。
胸が一杯になって、涙が溢れ出した。
「あ、ありがとう……ございま、す」
掠れた声で、精一杯の想いを伝えた。
やっぱり、この人のことが好きだ。
■ □ ■ □
東京から島根県の出雲まで、真っ当な移動手段では何時間もかかる。
神速は、そのようなことはない。
何百キロ先であろうとも、瞬く間に移動することができる。その速度を人が目で追うのは、一部の武を極めた者を除けば、不可能と言っても過言ではない。
神速による長距離の移動は、本来、身体に大きな負担を強いるものであり、過去に東京から京都までを伏雷神の化身で移動したときには、頭痛や吐き気といった神速酔いに苛まれた。
だが、あれはカンピオーネになってから一ヶ月と少しという新参者のときのことであり、数多くの戦いを乗り越えて神速を使いこなした護堂は、神速の高速移動状態に慣れていた。雷化という身体への負担が小さい状態ということもあり、出雲への移動は苦もなく行えた。
途中、京都辺りで雨が止み、伏雷神の化身が解けるアクシデントがあったものの、地上に降りると同時に土雷神の化身を発動して再び神速の領域に足を踏み入れる。
出雲。
日本最大級の霊地の一つであり、神話的にも非常に重要な土地。
記紀神話の三分の一は出雲の神話であり、歴史的に見ても多数の青銅器などが発掘されていることから、古代日本を代表する一大勢力を築いていたことは明白である。
この勢力に対する研究は、当時を記した文献が存在せず、どうしても記紀神話や発掘品の状況から判断しなければならないために、定説を見るに至っていない。
しかし、様々な説が発表される中で一定の価値を認められた説として、出雲の勢力を大和の勢力が討伐し吸収したとするものがある。
スサノオとヤマタノオロチの伝説や国譲りの伝説は、こうした征服の歴史を反映しているものだという。
また、出雲の周辺は鉄が採れる。
良質の砂鉄を採ることができるのは、鉄器文明の発達には必要不可欠であり、それだけでも他勢力を圧倒する国力を養うことに繋がる。
巨大かつ資源大国を、隣接する大和政権が無視することはありえない。
武力による征服か、融和政策か。
何れにせよ、歴史の勝者は大和であった。
それでも出雲の神話は日本神話に大きな影響を与え、オオクニヌシを祀る出雲大社が今でも多くの参拝客を集めているのも、古代からの信仰が大和の信仰と一緒に溶け合って生き残ったからだろう。
奇妙なことに、撃ち滅ぼした敵を悪しき者、穢れた者として描く日本神話に於いて、出雲の扱いは別格である。
土蜘蛛やリョウメンスクナのように怪物になることはなく、国を譲って鎮まった。
神話の中で戦いはあったものの、国津神は怪物へと零落することはなく、出雲大社に至っては現在でも信仰を集める神道の重要拠点である。
神話から消しきれないほど、出雲が強力だったということだろうか。
もっとも、出雲の敵は大和ではなく、越国だとする説もある。その説では、ヤマタノオロチ伝説は、この越国との戦いの歴史だとされる。
出雲市は変わった地形である。
日本海に面する出雲平野の上に形成された都市であり、『出雲国風土記』に見られる国引き神話の舞台となった島根半島と北部を接し、南部は中国山地、東部は宍道湖に接している。上空から見ると、上下を緑に、左右を青に囲まれた不思議な地形であることが分かるだろう。
護堂は一時的に土雷神の化身を解除して、地上に出る。
田畑が多いため、高い建物は東京に比べて多くない。中心部から距離を置いた学校の屋上に出れば、遠くまで一望できた。
まだ夜明けには早く、街はとっぷりと闇に沈んでいる。
明かりは少なく、地上の星というには物寂しい。
だが、カンピオーネは、どれだけ深い闇でも見通すことができる。
この街にやってきてから、呪術の気配を肌で感じていた。
この出雲は富士山と地脈で繋がっているという。ならば、その地脈を弄り、各地に騒動を引き起こした道満が潜んでいてもおかしくはないのだ。
晶はどこにいるのか。
この街のどこかにいるはずである。
護堂は精神を研ぎ澄まして、呪力を感じ取る。
道満が儀式をしようとしているのなら、呪力が動くはずだ。
明日香が電波の届かない場所だと言っていたか。地下の可能性がある。地脈も大いに利用するだろう。すると、遠くに見える小さな社が怪しい。
どくん、と心臓が高鳴った。
引っかかるものがある。
「後ろか」
勘、であるが、おそらく間違いない。
中国山地を構成する山々の緑の奥に、呪力の流れを感じた。それも、結界などとは規模の異なる大きな呪力の動きだ。
山をいくつか越えたところ。今、護堂がいるところから、それなりの距離がある場所だが、出雲大社から流れ出る地脈から呪力を吸い上げていると見えて、そのおかげで護堂は感知することができたのだ。
すぐに、護堂は土雷神の化身を使おうとして、身体に変化が訪れたことに驚いた。
「な……ッ」
力が湧き上がる感覚は、間違いなく『まつろわぬ神』に相対したときの臨戦態勢である。
そして山の向こうが白銀に輝いた。
白銀の光と、信じがたい呪力の爆発。
それは物理的エネルギーとなって、街中を駆け巡った。
木々は大きく揺さぶられ、ガラスはガタガタと揺れた。
そして、太古の竜が目を覚ます。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
白銀の光の中に現れた八体の竜。
だが、その根元を辿れば一つの身体から八つの首が伸びているのだということに気付く。
護堂が立つところからも見えるのは、それだけその生物が巨大だからである。少なくとも、山の頂を見下ろすだけの巨大な身体を持っている。
「ヤマタノオロチ……! クソッ!」
その名を、馨から聞いていた。
護堂も極一般的な知識として、その魔獣のことを知っている。
とても、有名な八首の蛇だ。
天を突くほどの巨体だとされているが、それにしても遠近感が狂うほどに巨大。まさに、怪獣映画さながらの様相を呈している。
出雲の呪術師が、どこまで民間人の安全を守りきれるか。
あの巨体なら、寝返りを打つだけでビルを押し潰せるだろう。
ヤマタノオロチの出現に触発されて、空を暗雲が覆う。風が強まり、滝のような雨が降ってくる。顔を叩く水のベールが、護堂の視界を遮る。
ヤマタノオロチに、小さな何かが襲い掛かっている。
大蛇からすれば、羽虫に等しい。軽く身を捻ってこれを一蹴する。
どうやら、牛頭天王が神話をなぞり始めたらしい。
あの戦いの場に、晶もいるのか。
「晶ッ!」
バチ、と紫電が弾ける。
護堂の姿はその場から消えた。
雷光と化して、空を駆ける。
ヤマタノオロチも、おそらく護堂を感じ取っている。『まつろわぬ神』ならば、カンピオーネである護堂を感じないはずがない。
しかし、ヤマタノオロチの目の前には、天敵である牛頭天王がいる。護堂に襲い掛かる余裕は、おそらくない。
「どこだ。どこにいる!」
呪力を探る。
ヤマタノオロチが出現した山間の地。すでに、二柱の戦いで土砂は崩れ、木々は消し飛び、地形そのものが変わっている。
その中で、神社の跡地を見つけられたのは、呪力が流れ出ていることに着目したからだった。
崩れ落ちた神社。
それは、かつてスサノオを祀った須佐神社という歴史ある神社だった。
その瓦礫の中から、ヤマタノオロチと同質の呪力を感じるのだ。あの魔竜と、この神社は霊的に繋がりがある。
そして、この異質な空気。
間違いない。
儀式場は、ここにある。
「行くぞ」
土雷神の化身を使用して、護堂は須佐神社の地下空間に潜り込んだ。
地続きであれば、どこにでも入り込むことができるのが、土雷神の化身である。瓦礫が道を塞ごうと、関係ない。
地下空間は、土壁の簡単な横穴だった。
外の豪雨の影響か、入口付近は水が流れ込んでぬかるんでいる。
『開け』
道を閉ざしていた結界を、言霊で無力化する。
道を開かせる。破るのと異なり、自然に中に入ることができる。
以前は、もっと多くの守りがあったのだろうが、ヤマタノオロチが降臨した衝撃で多くの結界が無力化されていた。
護堂は難なく奥に進む。
雷化は、実のところ魔術破りに弱いという特性がある。アレクサンドルのそれと同じように、護堂の雷化も、結界の中では全力を出せない。
地中で雷化が解除されれば、かなり危険なことになる。敵の本拠地でもあるこの地下空間では無茶をすることができない。
まして、相手は大陰陽師の名を冠した呪術の神。
どこから何が飛び出てくるか、分かったものではない。
それでも、護堂の邪魔をしたのは入口付近にあった結界だけだった。
息を切らして辿り着いたのは、地下牢のような場所だった。小さな部屋が格子で仕切られている。部屋の中には鎖が落ちていて、人間を閉じ込めるための部屋だということがすぐに分かる。
巫女服の骸も、いくつか打ち捨てられている。
白骨化した遺体。年齢は分からないが、そのうちの二、三体は護堂よりも年下だと思われる。頭蓋骨がそれだけ小さかった。
この遺体の内のどれかが、もともとの晶の身体なのだろうか。
護堂は頭を振って、想像を振り払う。
充満する土の匂いに顔を顰めながら、護堂は道を進んでいく。
地下は、複雑な構造にはなっていなかった。
ほぼ一本道で、分岐することもなく、何かしらのトラップがあるわけでもない。
一番奥にやってきた護堂は、祭壇を見た。小さな、神棚のような祭壇だ。周りを見ても、何もない。道もない。
見落としがあったか。
それとも、間違えた。
そんなはずはない、と信じたい。
「何か、俺が気づかなかった何かがあるはずだ」
暗闇に目を凝らし、土壁のどこかが道になっていないかと探る。
三方の壁は閉じ、道になっているのは護堂が来た道だけ。
しかし、違和感がある。
呪力の流れから、ここが行き止まりになっているのはおかしいような気がする。ようするに、対流もなければ、澱みもない。どこかに、呪力が流れているように思うのだ。
そう考えているうちに、三つの壁の内の一つが、他の壁と異なるものだと気付いた。土の壁ではなく、これは呪術の壁だ。
『開け』
一縷の望みを託し、言霊で呪術の壁を開かせる。
言霊が壁に干渉したとき、一瞬だけ護堂は五感を失ったかのような錯覚に陥った。
空間そのものが歪曲し、そして壁の奥に、大きな部屋を生み出したのだ。
一目で儀式場だと分かる構造になっている巨大な部屋。
魔法陣らしき模様が地面に描かれていて、そしてその中央には、
「晶ッ!」
白装束の晶が寝かされていた。
名前を呼び、駆け寄って頬に触れる。
冷たい。
人間が、これほど冷たくなるのかと思うほどに。
護堂は晶を抱き起こし、若雷神の化身を使う。この化身は、あらゆる病や傷を治癒し体力を回復させる生命力の象徴である。弱った人間を回復させることは、この化身にとって造作もないことだ。
「晶、しっかりしろ! 晶!」
何度も呼びかける。
濡れた身体で、真冬の空気に曝されていたこともあって、唇は紫色に変わっていて、頬も白い。白装束の湯着は、死に装束を思わせた。
「せん……ぱい?」
「しっかりしろ! 迎えに来たぞ!」
何度も呼びかけていると、晶が反応を示した。
そのことで、少しだけ不安が薄れた。
「あ、ありがとう……ございま、す」
掠れた声。弱弱しく、力はない。若雷神の化身が、効いていないのか。呪力を注いでも、どこかに流れ出ているような感覚がする。
もっと、根源的な何かが、足りていない。
生命力ではない何かが、今の晶には必要だ。
「頑張れ。晶。すぐに、東京に連れてってやる」
護堂は晶を抱えたまま土雷神の化身を発動した。ヤマタノオロチと牛頭天王は、未だ激しく戦い、大地を震わせているが、そんなことは、もうどうでもよかった。
まず、晶を助けることが最優先だ。
東京に向かって雷速で移動する。
一瞬を凝縮したような時間が流れる。瞬く間の移動時間でありながら、それすらももどかしい。
晶を抱き抱えた護堂は、明日香の病室に戻ってきた。
病室を出てから戻ってくるまで、時間にして二十分ほどしか経っていないだろう。
そのような短時間で、連れ去られた晶を助け出して戻ってくるというのが、奇跡に近いことである。
祐理が護堂の帰還を喜び、駆け寄ろうとした。
だが、それに先んじて馨が目を見開き、冬馬が素早く晶の脈を取る。
「まだ、生きてます。すぐに治療をッ」
「濡れた服を何とかしないと」
「あたしの替えの服があります! あと、この毛布!」
馨が、明日香の服を取りにクローゼットに向かい、明日香は自分の毛布を鷲掴みにして晶の下に持ってくる。
さらにタオルで、濡れた身体を拭き、呪術で服を瞬時に交換した。晶は、白装束から明日香が病院に運びこまれるまで着ていた服に換えられたのだ。
「晶さん。しっかりしてください!」
明日香のベッドに横たえられた晶の手を、祐理が握る。
「クソッ。若雷神が効かねえ! どうなってんだッ!」
護堂は毒づきながら、必死に呪力を送り込む。
しかし、豊穣と生命力を司る若雷神の神力が、晶の身体に作用しない。身体の傷を癒し、体力を回復させる。今まで、多くの危機を救ってきた若雷神の回復能力が、ここに来て効果を発揮しなかった。
「万里谷。治癒を!」
「はい!」
「あたしもやるわ!」
祐理と明日香も持ちうる治癒術を使って晶の治療にかかる。
しかし、
「これ、傷とかそういうのじゃないッ」
「治癒、するところがない? いえ、これって……」
明日香が悲鳴に似た声を上げ、祐理が息を呑む。
呪術の知識を持つ彼女たちには、晶の状態が護堂以上によく理解できたからだ。なぜ、回復の権能も治癒術も効果がないのか。その根本的な問題を知り、そしてそれが彼女たちの手に余ることだと分かってしまった。
身体の問題ではないのだ。
晶の身体は、完璧に治癒が完了している。
傷一つない綺麗な状態だ。外側も内側も、どこにも問題はない。だから、どれほど治癒をかけたところで意味がない。
もっと、根源的な『生命』という部分で、晶は手遅れになっていた。
「…………護堂」
「なんだ! 少しでも治癒を手伝ってくれ!」
「護堂!」
明日香が、護堂の手を取った。
「なんだよ!」
「…………」
強い口調の護堂は、明日香に意識を割く余裕はない。少しでも、晶を回復させることに躍起になっているのだ。
そんな護堂も、明日香が何も言わずに護堂の手首を握り締めているので無視するわけにもいかず、
「なんだ。なんか言えよ」
尋ね返し、明日香の悲痛な表情を見て、胸が締め付けられるように痛んだ。
「もう、この娘の身体を維持できない……。道満の術式が、壊れているからッ」
明日香は、目に涙を浮かべて声を絞り出した。
肩を震わせて、護堂の手首を、爪が食い込むくらい強く握り締める。
「ふ、ふざけんなッ! そんなん認めるか!」
怒鳴った。
呪術で維持? 知ったことか。命がここにあるのなら、若雷神の生命力が使えないはずがない。権能なのだ。呪術とは次元が違う。奇跡だって、平然と起こせる代物だ。
「戻って来い」
護堂は祈るような思いで、呪力を注ぎ続ける。
「戻って来いよッ。晶ッ!」
「せん、ぱい」
晶が、気だるそうに目を開いた。今にも眠りに落ちそうな、そんな表情だ。
「あ、晶。気が付いたのか?」
護堂は晶の手を握る。
ひんやりとして冷たい。けれど、確かに仄かな暖かさがある。晶は、まだここにいる。
「ごめんなさい」
「何を謝ってんだ。心配すんな。すぐに元気になる」
弱弱しく、晶は微笑んだ。表情を動かすことすらも、体力を消費するような状態で、それでも笑った。
「晶ちゃん……。あたし……」
明日香は、怯えたような表情で、そっと晶の顔を覗き込む。何を言えばいいのか、言葉が浮かんでこない。明日香は、晶をこのような状態に陥れた責任を感じていた。もっと早く、護堂に正体を明かしていれば、このような事態を回避できたかもしれないと。
「ありがとう、ございました」
「え……?」
聞き取れないほど、か細い声。
明日香は、呆然と晶を見る。
「誕生会、楽しかったです。……みんなで、集まって……たくさん、おしゃべりして……それで……」
その囁きは、半ばうわ言めいていて。晶の唇を、何か別のものが動かしているようにも思えた。それくらい、受け入れ難い現実だった。
晶が、なぜこのようなことを言うのか。
その不吉さを、病室にいる誰もが感じ取り、そしてそれが不可避なものだと誰もが理解してしまっていた。
「……たし、幸せ、だったんです」
パキン、と何かが割れる音がした。
「……叔父さん。こんな、ことになって。ごめんなさ、い。……お母さんに、伝えて……ありがと、う……」
晶の目から、涙が零れ落ちた。
そして、銀色の粉が、どこからともなく舞い上がる。
キラキラと、それはダイヤモンドダストのように美しい。
護堂の手の平の中で、晶の手が固くなった。
「せんぱい。……助けて、くれて……ありがとう、ございました」
晶の身体が、少しずつ白くなっていく。
「あ、晶。待て、逝くな!」
存在感を薄れさせ、透明な砂に変わろうとしているのだ。
それは、エンナの最期を髣髴させる。
神祖に近い身体になった晶は、自らの死と同時にその身体を無機物に変える。
握った手の中から、珊瑚のように綺麗な砂が零れ落ちた。
護堂の心臓が、拍動を速めた。
頭に昇った血が、急速に引いていく。感情が現実を受け入れられず、しかし頭の片隅に残った理性が、理解してしまう。
恐ろしい。
今までにないほど、恐ろしい。
この状況が、晶の笑顔が、晶の声が、恐怖を助長する。
「…………負けないで。……………………わたし、先輩が、大好きです」
最期に、花のような笑顔を浮かべて、晶は逝った。
誰も、何も言えなかった。
静かに崩れ落ちた晶の身体は、真っ白な砂と小さな呪力の塊――――竜骨に別たれた。
その竜骨も、呆然とする護堂たちの前で透けて消えた。
そこに、高橋晶という少女がいた痕跡は、何もない。
辛いだけの人生の中で、僅かばかりの幸福を得た少女は、ただそれだけを胸に、この世を去った。
残された者たちに、消えない痛みを残して。
子どもの頃、僕はハッピーエンドに憧れてた。