カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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八十六話

 なんとも、よくできた話ではないか。

 蘆屋道満は、その少女の名を聞いたときにそのように思った。

 攫ってきた少女たちの中から、彼女を選別するのは難しいことではなかった。 

 神の力をその身に降ろすのは、巫女の本来の役割である。

 だが、残念なことに現代にその才能を持つものはほとんどいない。一流の巫女にはすでにスサノオが加護を与えている。迂闊に手を出すことはできない。どうしたものかと思ったときに、未熟ながら才ある巫女が見つかったと情報が入った。

 都合よく、拠点近くの出雲大社に出仕してくるらしい。

 情報を手に入れた道満は、捜索を撹乱するために彼女を含めて纏まった人数を誘拐した。

 必要なのは一人だけなので、他は適当なときに解放した。

 神降ろしの才を持つ少女は、道満の計画に必要不可欠であった。

 

 蛇を崇めるのがこの国に於いて重要な意味を持つ信仰であり、そのため、巫女は「蛇巫」とも呼ばれた。

 彼女たちの役割は、蛇神の声を聞くこと。

 そのために巫女は、時に身体を差し出し、蛇の子を孕む。

 アマテラスが女神である理由を、この蛇巫に求める説もある。

 蛇神は、雷神であり風雨の神である。雨を降らせ、時に川を氾濫させる自然の猛威の化身だ。それは、オオモノヌシや一目連、ヤマタノオロチのほか、数多の竜神信仰に見られる傾向である。

 しかし、古代日本に於いて蛇は太陽神でもあった。

 それは光を照り返す鱗が太陽を想起させたからであろう。そして、蛇を祀る巫女そのものの霊威が畏れられるようになり、やがて巫女が神格化されて太陽神アマテラスが生まれたのだという説がある。

 蛇は光り輝くモノ。

 

 本当に、不思議なものである。

 道満が蛇巫として選んだ少女の名が「晶」だというのは。

 というのも、「晶」という漢字は、輝く星が三つ並んだ形から生まれたものである。

 意味は、「光り輝く様」。特に、「澄み切った」という意味が強く現れる漢字だという。

 同じくアキラと読む漢字には、光に関する漢字が多く、字形も似ている「昌」の字も「光り輝く」という意味を持つ。

 しかし、「澄み切った」光を意味するのは、「晶」の字であり、この字は水晶や結晶など、澄み切った鉱石を意味する字でもある。

 だからこそ面白い。

 これから、死して砂に還る身体となる蛇巫が、「晶」の字を名に持つとは。

 運命というのは、斯くも皮肉で面白い演出をしてくれるのかと。

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 

 それはまさしく神話の再現であった。

 前が見えないほどの豪雨の中、雲にまで届くかというほどの悪竜を相手にたったの一人で立ち向かう大男。

 如何に、彼が巨体を誇ろうと、それはあくまでも平均的な人間の身長と比べての話。山と比較されるような怪物からすれば、虫も大男も大差ない。

 その刃は鋼鉄の如き竜鱗を斬り裂くことはできず、その拳は決して彼の命には届かない。

 吹けば飛ぶような羽虫に、意識を割くことこそ無駄なこと。

 以前の彼なら、そうして楽々と討ち取られてしまったことだろう。

 

 だが、今は違う。

 

 敵が、多少神格に違いはあれど、神代に於いて自分を打ち破った相手だと知っている。さらに、敗北の要因となった神酒がここにはない。

 加えて、敵は『まつろわぬ神』に届かない程度。

 力は圧倒的に、こちらが上である。

 故に、敗北する道理はない。

 八つの顎を大きく開き、一飲みにしようと食らい付く。

 

 山は崩れ落ち、川は溢れかえる。

 神代と何も変わらない闘争は、初手からヤマタノオロチの優勢で進んでいた。

 

 

 牛頭天王の手には、光り輝く神剣が握られている。

 神話に於いて、ヤマタノオロチの尾から取り出されたという《鋼》の神剣だ。

 ヤマタノオロチにとっては、自身の骨にして、己を討ち取ったという屈辱の証。

 日本の王権の象徴にして、考古学的に見ても正真正銘の本物だという、失われたはずの神剣だ。

 わざわざ、壇ノ浦から引き上げたそれは、神剣故に朽ちることなく神代の輝きを宿していた。

 スサノオと習合する牛頭天王にとって、これほど相性のよい武具はない。

 

 全身に傷を負いながらも、牛頭天王は歓喜を露にして斬りかかる。

 なんど、弾かれようとも立ち上がり、その度に力を増していく。

 一つ選択を間違えれば死に繋がる綱渡りの状況で、牛頭天王は自分が神に近づいていることを自覚していた。

 天秤が傾く。

 劣勢は均衡し、均衡は優勢に。

 ヤマタノオロチの攻撃は、徐々に牛頭天王に届かなくなってくる。

 戦い始めて何時間が経っただろうか。

 遂に、牛頭天王の一閃が、ヤマタノオロチの首を一つ叩き落とした。

 豪雨に、赤き血が混じる。

 鉄錆の臭いが充満し、蛇神がのた打ち回る。

 

 ヤマタノオロチは、大きな勘違いをしていた。

 優勢だから勝利を掴めるわけではない。

 英雄神は、如何なる劣勢をも覆して勝利を獲得するからこその英雄神。

 搦め手が使えないのなら、また別の方法で、それでもダメなら正面から堂々と。ありとあらゆる状況で、ありとあらゆる手段を以て敵を打ち倒す。それが、英雄神。

 ヤマタノオロチが如何に最強最悪の蛇神であろうとも、これを打ち倒せない道理がない。

 乗り越えるべき壁が高いほど、彼らは燃え上がるのである。

 

 幾度も打ち負け、幾度も弾き返される。

 それでも、牛頭天王は立ち上がり、一つ、二つと首を落としていく。

 

 そして、東の空から日が昇るころ。

 最後の頭に神剣を深々と突き刺し、激闘の幕は下りた。

 

「満足か?」

 すべてが終わった後で、道満が牛頭天王に話しかけた。

 いや、もはやそれは蘆屋道満などではなかった。 

 姿容に変わりはない。

 されど、その本質は大きく変容していた。元に戻ったというほうが正しいかもしれない。

「いいや」

 牛頭天王は、傷ついた身体を引きずるように、しかししっかりと大地を踏みしめて立つ。

 それが自分の血か討伐した魔獣の血かも分からないほどに赤黒く汚れた身体は、疲労に勝る高揚に支配されていた。

「まだ、足りぬ。俺は《鋼》。《蛇》を殺すのは至極当然。一匹程度では、まだまだ足りぬ」

 血に餓えた獣のように、牛頭天王は喉を鳴らす。

 頭から浴びた《蛇》の血が、彼を猛らせている。

「おうおう、なるほど。ならば、よい。これで満足してもらってはわしも困る」

「貴様も力を取り戻したようだ。道満。いや、法道」

「ホッ」

 法道は皺だらけの顔におぞましい笑みを浮かべる。

「なんともこそばゆいのう。千年ぶりに真名を呼ばれるというのは」

 法道。

 遥か昔、牛頭天王を伴ってインドから渡ってきたという仙人だ。

 陰陽道に優れ、播磨を拠点に多くの弟子を輩出したとされる謎多き人物である。

「まずは、早々にその傷を癒すのじゃ。半日もすれば、万全となるじゃろう」

「うむ」

「その後、千年前の借りを返しに行くとしよう。今の都は東京なる地。そこには、晴明の忘れ形見の魔王がおる。実に都合がよい。かつての雪辱を晴らすには相応しき舞台よ」

 小賢しい封印を破り、『まつろわぬ神』として再び舞い戻った今、人間どもから隠れ潜む必要性を感じない。

 そもそも、木っ端の如き格下の存在から隠れるなどありえない。

 なぜなら、『まつろわぬ神』にとって人間など歯牙にもかけない蟻でしかないからだ。視界にも入らない程度の存在から身を隠す。そんなことは時間の無駄であるし、考えるだけ意味がない。

 だが、噛み付いた虫は叩き潰さねばならない。

 この国にはちょうど、『祟り』という概念もある。

 神に楯突く愚か者に、神罰を下さぬほど、法道はぬるくないのだ。

「主の傷が治り次第行くぞ。魔王の血で、わしの凱旋を祝うのじゃ」

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 晶が消えた病室は、水を打ったような静けさに襲われていた。

 人の命が、一つ消えた。

 それが、これほど胸に重く圧し掛かってくるとは。

 護堂は、現実を受け入れられなくて、呆然とするしかなかった。

 明日香や祐理は静かに涙を流し、嗚咽を堪え、抱き合うようにして泣いた。

 恵那は晶がこの世を去ったと、病室のベッドの上で聞いた。初めに冗談だと笑い飛ばし、それが真実だと分かると、変わって色を失くして言葉を詰まらせた。

 恵那にとって、晶は、同年代の中で唯一自分に伍する実力を持った媛巫女だった。

 拳で語るというわけではないが、武芸に於いて常に意識してきた相手である。それが、このような形で失われてしまうことに、唖然としたのだ。

 馨と冬馬も、ショックを受けている。

 このメンバーの中でも最も修羅場を潜り抜けているのは冬馬である。飄々として、物事に動じない彼でも、実の姪がこのような形で死を迎えたことには憤りを隠せなかったが、同時に冷静な部分も健在だった。忍として、情を殺す訓練を受けてきたことや、仲間を失う経験をしてきたことが、冬馬にとって幸となり、だからこそ過酷な精神状態を齎した。

 冷静に、晶の死を受け止め、この先のことを憂う。

 実の姪に対してすら、そのように合理的に考えることができてしまう自分に腹を立てながら、それでも、今後を考えて対応に当たる必要性を認識する。

 まず、組織的に動く必要があるため、馨には冷静さを取り戻してもらわなければならない。

 まだ、馨も十八。

 近しい人間の死に慣れているとはいえない年齢だ。

 媛巫女であり、正史編纂委員会東京分室の長という肩書きを持っているが、高校三年生という若さである。まだまだ遊び盛り。本来は、冬馬たち大人がしっかりと舵取りをしなければならない。

 しかし、事は急を要する。

 晶が消えてすぐ、馨を病室から連れ出した冬馬は、即座に職務に復帰する旨を馨に伝えた。

 そのために、馨が指示を出さねばならないとも。

 冬馬の冷静さは、馨の動揺を鎮めるのに十分だった。

 馨はすぐに、対策本部を自宅に設けることを決め、その連絡を部下たちに入れ始めた。

 東京分室の建物は、道満の術がかけられていた。道満に対処するのに使用することはできない。

 朝日が昇る前に対策本部を沙耶宮家に移し、そして馨は情報収集に当たった。

 各地で起こる地脈の乱れは、未だに安定を見ない。そのため、混乱も続いていて、満足に情報を集めることは難しいと思われた。

 しかし、道満と牛頭天王は、その混乱の中でもあまりに派手に動いていた。

 出雲でヤマタノオロチと死闘を繰り広げているというのである。

 ほぼ予想の通りだったが、戦いの規模が非常に大きい。周辺が山で、人家が少ないということもあり、人的被害は軽微なのが幸いか。

 後の問題は、晶を失った護堂がどう動くのか、ということか。

 東京か出雲のどちらかが戦場になる公算が高い。

 護堂が攻め込むか、向こうが攻め込んでくるかで対処は変わるものの、少なからず被害が出るだろう。

 そのとき、護堂がどこまで今までの護堂として振舞ってくれるかで、大きく変わってくる。

「頼みますよ、草薙さん」

 何を犠牲にしてでも道満を倒してほしい。それとも、こちらを考慮して道満と戦ってほしい? 

 自分の呟きの意味を図りかねて、馨は唇を引き結んだ。

 

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 

 朝日が昇り、病室に光が差し込んできた。

 晶が消えても、また新しい朝はやって来る。

 時間は止まることを知らず、生きていく中で彼女の存在は過去のものとなってしまうのだろう。

 それは、あまりにも虚しいことではないか。

 心の隙間から、大切なものが零れ落ちた。

 護堂にとっても、それは耐え難い苦痛であった。

 草薙護堂は、非情な殺人機械などではない。

 精神性が他人と異なっているとはいえ、そこに人としての倫理観がしっかりと根付いている。

 魔王などと呼ばれはしても、人並みに好意を抱くし、人並みに後悔もする。

 それが、自分の不注意で起きた悲劇だというのなら、その後悔は筆舌に尽くし難いものがある。

 時が戻せるのなら、今すぐにでも戻して晶を取り戻したい。

 この叫びが、晶に届くのならば、声の限りに叫ぼう。

 しかし、それはもはや何の解決にもならない。

 失われた命を取り戻す術を、護堂は知らない。

 絶望と憤りを抱えて、護堂は病室を後にした。ぽっかりと胸に穴が開いたような気分だった。せめて足取りだけはと、歩調を整え、病院の外に出た。

 昨晩までの悪天候が嘘のように、晴れ渡っている。

 普通、こういうときは雨天であるべきだろうに。

 天の神様は、護堂の心情にあわせるつもりなど毛頭ないらしい。

 日が昇り始めたばかりで未だに人気は少なく、車通りもない。東京といっても、場所によりけりだ。

「畜生ッ」

 転がっていた空き缶を踏み潰し、土雷神の化身でその場を後にした。

 とにかく、激情を吐き出せる場所に行きたかった。

 護堂が行き着いた先は、七雄神社だった。

 今のまま家に帰るわけにもいかず、物に当たるわけにもいかない。

 結局、記憶にある中で人目につかない場所といえば、ここくらいしかなかった。

 すでに、戦いが新たな局面に近づいていることから、この神社の呪術関係者は軒並み退去し、道満の術にかかっていないか検査を受けているという。

 そのため、今、七雄神社は無人となっているのだ。

 人気のない、静かな神社の境内。

 落ち着いたこの空間で、護堂は黙考するしかなかった。

 激情を鎮めるには、それくらいしか方法を思いつかなかった。

 

「草薙さん!」

 どれくらい、ここにいたのだろうか。

 制服姿の祐理が、七雄神社の階段を上がってきたのだ。息を切らして、なけなしの体力を絞りきったように、松の木と膝に手を突いて呼吸を整えている。

「万里谷、なんでここに?」

「草薙さんなら、こちらにいらっしゃると思いましたので」

「わざわざ、追いかけてきたのかよ」

「はい。幸い、病院からそう遠くありませんでしたし」

「明日香と清秋院は?」

「お二人はまだ、病院です。徳永さんは、草薙さんを追いかけるのを躊躇っておいででしたし、恵那さんはまだベッドから抜け出すべきではありません。草薙さんを追いかけられたのは、わたしだけです」

 はあ、ふう、と息を整える祐理。

 運動が極端に苦手な彼女は、学校の体育ですら場合によっては筋肉痛に陥るほどの運動音痴である。

 病院から七雄神社まで、二キロもないと思うが、それでも祐理にとってはとても長い距離である。また、この神社が高台に位置することもあって、石段は非常に険しいものとなっている。

「ここの石段は、いつも辛いんです」

「体力、ないからな。万里谷は」

「それでも、ここ最近はよくなってきたのですよ? これでも、歩く機会が増えてますから」

 ウォーキングレベルで体力が増減するというのは、果たしてどうなのだろう。

 平均値よりも体力が少ないから、ちょっとの運動でも変化を感じることができるということだろうか。

「大丈夫ですか、草薙さん」

 祐理が、護堂の傍まで歩み寄ってきた。

「何が、だ?」 

「とても、怖い顔をされています」

 そっと、祐理は護堂の頬に触れた。

「あなたは、泣かれないのですね」

「そうだな。そういえば、そうだ」

 言われて、初めて護堂は涙を流していないことに気が付いた。

 泣かないのは、晶の死が認められないからか。

「なあ、万里谷。頼みがある」

「はい、なんでしょう?」

 祐理は優しい。

 痛いほどの優しさが、護堂の胸を締め付けるのだ。

「道満が東京に来たら、そのときは、東京から離れてくれ」

「え?」

 祐理は、信じられないといった表情で護堂を見た。

「何を仰っているのですか?」

「東京は戦場になる。万里谷が巻き込まれない保証はない」

 今さらだった。

 これまで、散々『まつろわぬ神』の戦いに同行してもらっていて、祐理や恵那が命を失う危険性があると本気で考えたことがあっただろうか。

 祐理たちの安全を思うのなら、遠ざけるのが一番だった。

 大切なものを失うのは恐ろしい。そして、護堂は、それらを守り通す自信が持てなかった。

 だから、こんなにも弱弱しく頭を垂れるように頼むしかなかった。

「晶は俺の所為で死んだ。俺には、敵と戦うだけの力はあっても、仲間を守るだけの力がないんだ。万里谷まで、俺の戦いに巻き込むわけにはいかない」

 そう言って、護堂は祐理に東京から離れてもらおうとした。

 恵那もそうだし、明日香もそうだ。大事なものを巻き込みたくないのなら、遠ざけるより他にない。

 突然のことだった。

 パン、と乾いた音が響き渡り、視界がブレた。

「……な」

 護堂は驚いて、言葉を失う。 

 掛け値なしの不意打ちだったのだ。

 頬が、僅かな痺れの後に、熱を帯び、赤くなる。

「……万里谷」

 祐理が、護堂の頬を力いっぱい平手打ちしたのだ。

 目に涙を溜め、唇を噛み締めて。

「気をしっかり持ってください、草薙さん!」

 祐理が、縋るように声を張り上げた。

「わたしは、そのような草薙さんを見たくはありません!」

 祐理は、護堂の胸倉を両手で掴む。

 常の彼女からは想像もできない過激な行動は、それだけ祐理の想いの強さを物語っている。

「わたしは、晶さんが好きでした。真っ直ぐで、頑張りやで、一緒にいてとても楽しかった」

 祐理は、涙を流しながら護堂に言葉をかける。

 晶に対する想いを吐露していく。

 祐理にとっても晶は、共に戦い、共に生きた仲間なのだから。

「その晶さんが、道満様の手にかかって亡くなったのです。どうして……どうして、これを許せましょうか。わたしは、絶対に許しませんし、道満様から逃げたくもありません。だから、いくら草薙さんの頼みでも、こればかりは聞き入れられません。わたしは、わたしの職務を東京にて完遂します。これが、わたしの意地です」

 断固として、祐理は護堂の頼みを受け入れないと言う。

 額を護堂の胸に押し付けるようにして、祐理は言葉を続けた。

「あなたが、もう大切なものを失いたくないと仰るのでしたら、今度こそ守り抜いてください。戦って、打ち倒してください。あなたは、カンピオーネなのですから――――カンピオーネとしての意地を通してください! …………晶さんの仇を討てるのは、あなただけなのですからッ!」

 祐理の真っ直ぐな思いが、迷いと後悔に囚われた護堂の心に突き刺さる。

 後悔し、苦しんでいるのは護堂だけではない。

 自分に力がなかったために、友の窮地を救うことができなかった。祐理の心にも、大きな後悔の念が渦巻いている。

 仇討ちを口にするほどに、祐理も追い詰められていた。彼女は彼女で、己の弱さを嘆いていたのだ。

 祐理もまた、道満に立ち向かおうとしている。

 決して、負けない。たとえ、戦うことはできなくても、意地だけは通そうと。

 護堂に比べて、遥かに弱い祐理が、強大な敵を相手に一歩も引くことなく敢然と向かい合おうとしているのだ。

 弱気に支配されていた護堂にその気持ちを無下にすることはできなかった。

 祐理の言葉は、閃光のように護堂の心の闇を払った。

 そして、晶を苦しめた敵を前にして、弱気になってしまったことを恥じた。

「そうか。そうだな」

 護堂は祐理の肩に手を置いた。

「万里谷の言うとおりだ。俺がどうかしてた」

「草薙さん」

「前言撤回だ。万里谷。必ずアイツを倒す。だから、きっちり見守ってくれ」

「はい」

 戦いは、近く必ず起こる。

 護堂と道満の間には、千年にもなる因果の糸が結ばれているのだ。

 絶対に、これを自らの手で断ち切る。

 強く、護堂はそう心に決めた。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 祐理と一緒に病院に戻ってくる。

 時間的にはまだ早朝で、朝食の準備をしている時間帯になる。

 まだ受付も始まっていないので、見かけるのは入院患者と病院関係者だけである。

「一時はどうなることかと思ったよ」

 というのは、恵那の談。

 恵那の病室に、祐理と明日香を連れ立って集まった。

「祐理が絶対に連れ戻すって言うから、ここに残ったんだけど、結構早かったね」

「俺を家出娘みたいに扱わないでもらえるか」

 納得いかないと拗ねたように言う。

 ここにきて、やっと固い表情だった皆に笑みが戻ってきた。

「それで、護堂。どうするの?」

 明日香が尋ねてくる。

「とにかく、道満を倒す。絶対にだ。詳しいことは決めてないけどな」

「うん。それでこそ、王さまだ。突き進んで何ぼだよ。恵那たちもできる限り協力するよ」

「まあ、あたしも、弱い式神くらいなら何とかなるかもしれないし。そうでなくても、人払いくらいはできるから」

 『まつろわぬ神』となった道満がどれほどの術者になっているのか見当もつかないため、曖昧な表現にならざるを得ない。

 どのみち、道満に対抗できるのは護堂以外にいないのだ。

 そのとき、ノックの音が聞こえた。

「お話中失礼します」

 馨の声である。

「はーい」

 返事をしたのは、部屋の主である恵那。

 恵那の返事を聞いて、馨が病室内に入ってきた。

「至急お耳に入れなければならないことがありまして、お伺いしました」

「ヤマタノオロチですか?」

 護堂が目撃した巨大な悪竜。晶の救出を優先したために、そちらを放置していた。あの巨体で動き回られたら、それだけで大災害を引き起こしかねない。護堂が腑抜けているわずかな時間でも出雲市を壊滅させることくらいはできるだろう。

「はい。それなのですが、どうやらヤマタノオロチは討伐されたようです」

「……それは、つまり牛頭天王が完全に力を取り戻したということですね」

 『まつろわぬ神』に届くのは、『まつろわぬ神』かカンピオーネのみ。牛頭天王が、ヤマタノオロチを討伐したというのであれば、牛頭天王はまつろわぬ性を取り戻したということになる。

 《蛇》は存在するだけで《鋼》を刺激する。

 道満の都合のいいように話は進んでいるということだ。

「従属神がまつろわぬ性を取り戻したのだから、道満が『まつろわぬ神』にならないはずがないか」

「それなのですが、おそらく道満は真の名を取り戻しているはずです」

「そういえば、道満はあくまでも神性を押さえ込むための名前だったんでしたっけ」

 スサノオから、そのような話を聞いた。

 呪術の神ではあるが、蘆屋道満ではない別の神様。

「本当の名前に心当たりがあるのですか?」

「ええ、はい。状況証拠からの推測ですが」

 馨は、頤に手を当てるそぶりをする。

 護堂たちが、馨の次の言葉に集中し、そして馨は口を開いた。

「蘆屋道満の本当の名前は、法道です」

「法道?」

 まったく聞き覚えのない神の名前。

 護堂は首を捻った。

 だが、呪術を知る者たちには当たり前のように知識としてある神様らしい。

 祐理も恵那も明日香もなるほどと頷いた。

「知ってるのか、皆?」

「はい。法道上人ですね。空鉢仙人とも呼ばれる、インドの仙人です」

 祐理が答えた。

「ま、その辺は伝説でしかないんだけどね。雲に乗って空を飛んだり、空の鉢を飛び回らせたりしたっていう話。で、法道上人は、インドから朝鮮を経由して日本に入ってきたっていう風に伝わってるよ」

 恵那が、祐理の後を受けて話を続けた。

「へえ、そうなのか。呪術の世界では有名だったりします?」

「そりゃあもう。実は、この神様が現代にまで伝わるこの国の呪術事情を形成したといっても過言ではないのです」

「というと、どういうことでしょう?」

「法道上人は、六から七世紀頃に播磨国……今の兵庫県を中心に活動しました。その際、現在にも残る多くの寺院を開基したとされますが、重要なのは、彼の門徒が公の呪術師ではないということです」

「?」

 護堂はまた首を傾げる。

 公の呪術師ではないというのは、つまり今でいう正史編纂委員会所属の呪術師ではかったということだろうか。

「かつて、ほとんどの呪術は国家の管理下に置かれていました。呪術を司る者はごく一部に限られ、仏僧になることにも国の許可を必要とした時代です」

「私度僧ってのが教科書に出てきましたね。その時代ですか」

「はい。陰陽師にいたっては官職ですから、呪術は国家によって厳しく統制されていたので民間で呪術が発達することはほぼないのです。ただ、例外的に、播磨は違いました。当時最新鋭の呪術や大陸系の呪術を網羅した、凄まじい呪術文化が突然、花開きました。その切っ掛けとなったのが、この法道上人だったのです。ようするに、僕たちにとって彼は『民』の呪術師の祖とも言うべき存在なのです。なんといっても、蘆屋道満は、この法道上人の弟子ともされる人物です。活動拠点も同じ播磨。互いに伝説的な呪術師ですから、仮の名として結びつけるのに最適だったのでしょうね」

 そういえば、播磨の呪術師たちを手下に従えていたとか何とか。そのようなことをスサノオが言っていたと思う。呪術結社のようなものを作ったと言っていたか。その頂点に君臨していたのが、法道という呪術師なのだろう。

「確かに、スサノオから聞いた話と重なりますけど、どうしてそれだけで法道と言えるんですか?」

「法道上人は、大陸から日本に渡ってきたときに牛頭天王を従えていたとされているんだよ」

 恵那が、その答えを言ってくれた。

「牛頭天王を、従えて日本に渡ってきた?」

「うん。恵那が戦った牛頭天王は、道満とは長い付き合いだって言ってたし、法道だった頃、それも大陸にいた頃から一緒に行動してたんじゃないかな」

「そうなのか……」

 法道上人か。まったく聞き覚えのない神様だ。いや、神様というよりは仙人か。『まつろわぬ神』だから、厳密には神様でなくても降臨するものだから、そこはいい。

「千年以上前からいるというので、歴史としてはもっと古いのかと思っていましたけど……六世紀くらいの人なんですか」

 それに、神様として大陸から渡ってきたと受け取れることをスサノオは言っていた。すると、矛盾するのではないか。

 あの神が法道であれば、それは日本の『まつろわぬ神』ということになる。いくら、伝承上は大陸から渡ってきたとなっていても、日本で発生した『まつろわぬ神』を大陸から渡ってきた神と表現していいのだろうか。

「それは、おそらくは逆ですね」

 そう言ったのは、馨だ。

 彼女は、今までの情報から法道という名前に行き着いただけに、確証なり確信が持てるだけの論理的根拠を持っているのだ。

「逆と言うのは?」

「草薙さんは、海外から日本に入ってきた呪術師が神格化され、後に『まつろわぬ神』となったように考えているかもしれませんが、おそらくこの場合は、逆。もともと『まつろわぬ神』だった呪術神が、牛頭天王と共に日本に渡ってきて、播磨に根を張り、結果それを崇める者たちの手で法道上人の伝説が生まれたという順序です。僕も当初は半信半疑だったのですが、ランスロットという前例があります。可能性は高いでしょう」

「そういう順番ですか」

 なるほど、それならば海外の伝承を探ったところで見つかるはずもない。

 ランスロットのように、元の名を失った神が、漂泊の果てに新たな神話を獲得するということは儘あるらしい。

 ランスロットの場合は、創作物と自身を重ね合わせたことにより、ランスロットという名が定着したが、法道も、もともとの名を失い、日本で信仰を集めるようになって法道という名を手に入れた。

 だから、あの法道は法道としての神話から発生したものではない、というのが馨の推測であった。

 そして、二人の媛巫女や、道満によって呪術の知識を刷り込まれている明日香が納得の表情を浮かべていることから、ほぼ間違いない情報といってもいいだろう。

「しかし、ランスロットと異なり、あの神の能力は概ね伝承の通りです。ランスロットの神格は創作物としての側面が強いので、別物のようになっていますが、法道の伝承はあの神と直接触れ合い、見聞きした人々によって形成されたものです。決戦までに目を通されておくのもいいかと思います。一応、関連書籍や資料を持ってきましたので、よろしければ」

「ありがとうございます。読ませていただきます」

 護堂は、馨から本と資料を受け取り、法道が動き出すまでに目を通すことにした。

 そして、法道の正体が分かったことで、対策を取りやすくもなった。正体不明の敵と戦うよりも、正体が分かっていたほうがずっと精神的に楽だ。

 戦いの気配を感じることもできる。

 どのような手を使ってでも法道を倒さねばならない。

 護堂は、病院を出て、スマートフォンを取り出した。

 できるかどうか分からない。けれど、法道を倒すため考え得る限りの手を尽くす。これは、その最初の一手なのであった。


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